オーディオはエジソンの発明以来、その技術は日進月歩し、いまやレコード音楽がひとつの分野を確立するなど、素晴らしい音楽のコミュニケーションの世界を築き上げている。こうしたなかで、アメリカやイギリス、ドイツ、フランス、デンマークなどの文明国には、かなり昔から有名なオーディオ機器が存在してきた。日本は戦後、急激にこの分野に進出したわけであるが、こんにちでは世界一のオーディオ生産国であり、日本のオーディオ機器はアメリカやヨーロッパをカメラと同じように席捲し、その結果、海外のメーカーにかなりの打撃を与えているようである。
それはそれとして、このようにオーディオの技術は日進月歩だから、もう十年も二十年も前の機械なんか使えないのではないかと思われがちだが、実際にはそうではないのだ。技術の進歩は技術の進歩として、我々がレコードを聴く時の音というものを感覚的に受けとった場合、この技術の進歩ということと、音を良くしていくということとは、必ずしも比例関係にはない、ということが言えそうだ。スピーカーを例に挙げれば、二十年前さらには三十年前のものでも、名器と呼ぶにふさわしい素晴らしいものが結構ある。例えば、イギリスのTタンノイUなどは神格化されるほどマニアに尊ばれてきたスピーカーである。また、アメリカのTJBLUとか、TアルテックU、TエレクトロボイスUなども同様で、その基本設計は数十年来大した変わりはない。
ところが、最近、これらの名門メーカーがつくる製品でも、かつてのようにつくる人間の情熱が伝ってくるような風格のあるものが、だんだん少なくなってきている。これは非常に残念なことだ。理由のひとつには、過当な国際競争ということが挙げられよう。しかし結局は、創設者の意志というものが現代に至って薄らいできたというのが最大の原因だと思う。TタンノイUは現存はしているものの、かつての伝統的なものは影を失い、他のメーカーと同じようにスリーウェイのスピーカーもつくりはじめている。このように時代に迎合した生き方をしなければならないほど競争が激しいのだ。
これは車でも同様だ。TロールスロイスUは名実ともに残っているが、TベントレーU、TバンデンブラスU、TダイムラーUは、いまや名前だけである。このように現代は、本当にいいものをつくり得ないような社会体質になってきている。
しかし私がここで問題にしたいのは、たとえこのようなマスプロの時代であっても、ひとりの人間がその持てる英知と情熱を100%傾注した製品というものは、厳然として存在しうるということである。マスプロというのは、ある製品を大量につくることであって、製品を創造する手段ではない。したがって、元のひとつの製品は人間が生み出すわけである。その生み出されたものを大量につくり出す時にマスプロのシステムが使われるわけだから、世の中、マスプロの時代だからと言って、ひとりの人間の英知と情熱の賜のようなものが生まれにくいとは決して言えないと思う。
ただひとつ言えることは、個性の強い製品というものは、世の中に出ていった時に必ず好き嫌いがはっきりする。現代はとにかく大量生産、大量販売が前提条件だから、好き嫌いではなく万人に受け入れられるものをつくろうとする。これは結果的には中途半端なもの、妥協の産物だという言い方もできると思う。とにかく、最高級と言われるもの、名品と称されるものは、決して万人に受け入れられるものではない。しかし、世の中にはものの分る人間もいる。だから、百万の人が買わなくても、ごく一部の一万人の人が素晴らしいと共感できるようなものをつくれば、それだけでも十分に存在することができるはずだ。
ところが現実には、時間と金に糸目をつけない個性的な高級品は存続しえないと頭から決めつけてしまっている経営者が多いということである。このような傾向をたどっていくと、ことオーディオ界のみならず、本当にいい文化というものは存続してはいかないだろう。これは非常に残念なことであり、なんとか是正していかなければならない問題だと思う。
もちろん、オーディオの技術はかなりのスピードで進歩している。素晴らしい製品もつくられている。しかし、これらの製品はいわば実験室から出て来た最高級品という感じである。性能面だけで見れば、十年前のものと比較にならないくらい向上していると言っても過言ではあるまい。しかし、何かが欠けているのだ。端的にいえば冷たいのだ。現代科学の最高のレベルを駆使していながら、雰囲気のある魅力となると、もうひとつ何かが足りない気がする。スピーカーを例にとっても、昔のものは惚れ惚れするような木工の技術が施されておりスピーカーとしてはもちろんのこと、家具としても置いておきたいと思うような素晴らしいものがたくさんある。
言うまでもなく、オーディオは趣味の世界である。音楽を聴く人間にとって、オーディオ機器は、やはり美しくあって欲しいと思う。その意味でも、最近のものは、技術面での進歩とは裏腹に、工芸面でのレベルダウンは著しいと思う。口では個性的だとか高級化だとか言っていながら、実状は世界的に産業界を見渡してみても全く逆行した方向に行っているのだ。いかにも性能むき出しという、メカ至上の最近の機械をみるにつけ、音楽を聴く道具としてのオーディオというものに淋しさを感じるのは私だけであろうか。
ひとつの工芸品としての美を備えたオーディオ機器の出現を待ちたいと思う。オーディオの世界を、より豊かにしていくために、オーディオ産業に携わるすべての人たちが、より高い問題意識を持っていただきたいと、切実に願わずにはいられない。
(一九七九年)