オーディオは音楽と結びついた非常に範囲の広い、しかも深い趣味の世界であることは、これまでもくり返し述べてきた。しかし、音楽と切り離してオーディオそのものだけをみても、大変幅の広い、深い趣味の世界だと思う。アンプに例をとってもいいし、スピーカーであってもいいが、オーディオの機器そのものにも、趣味の対象としての素晴らしさが見出せるということである。
話はやや横道にそれるが、趣味というものは本来、その人間にとって大変贅沢なものである。また、贅沢と言えば、この世の中で芸術ほど贅沢なものはないだろう。もちろん人によって贅沢の尺度は違うだろうが、人それぞれの立場の中で趣味は贅沢なものだと思う。幸わせな人生のために、贅沢というものの良い意味を再発見し、良い意味での贅沢ということを評価しない限り、趣味も文化も存在できないことになる。
古今東西、多くの音楽家たち、作曲家たちが残してくれた素晴らしい芸術的所産――それらに親しむために使うオーディオの機器が、それらの作品の風格と違和感なく受け取られるだけの魅力をもっていなければ、本当のオーディオ機器とは言い難いということを言いたいのである。素晴らしい音楽を聴きたいという心情で選ぶ機械が、変てこりんな安っぽいもので満足できるはずはない。それは単純にただ物理的な性能がいいという事だけでなく、その機械としての風格、言葉を変えれば、その機械をつくった人間の、英知や精神の高い水準をも反映しなければならない。
オーディオ機器というものは、工業生産品である。したがってマスプロは避けられない現実である。しかし、いかなるマスプロ製品といえども、どんな工業製品であろうとも、最初から何千人、何万人もの人が寄ってたかってつくったものではない。始めは一人、ないしは数人の専門家が設計するものである。当然そこには設計者の頭脳、感性が反映するものだ。私も含めて機械好きの人間というものは、とかく物事を機械的に考えると思われがちであるが、本当に機械の好きな人間はその機械を通して、機械をつくった人聞との対話を楽しんでいるのである。
私は、オーディオと同様に、車好きという点でも人後に落ちないつもりである。車といっても実用的な車と、趣味的な意味の車とに分けられると思うが、私の場合は、趣味的な要素が大変強い。したがって、その車をつくった人間の思想が反映され、個性をはっきりと物語っているような車でなければ、趣味の対象としては全く物足りない。車のような工業製品、マスプロ製品というものは、趣味などとは全く無関係だと思い込んでいる向きも多いようだが、それはとんでもない間違いである。もちろん、つくる段階から大衆の不特定多数のマーケティング・リサーチをして、全ての要望を満たそう、より多く売ろうという動機からつくられた物は、マスプロしようがしまいが没個性の物しかできないのは自明の理だ。
しかし、車にしても、オーディオにしても、それをつくる人間は、その分野におけるオーソリティなのだから、大衆に媚びる形ではなく一般の人たちを指導し、啓蒙し、理解させる誇りと心構えがあって然るべきだろう。本当に自分の理想というものを、車を通して打ち出そうと思ったら、マーケティング・リサーチや合議制だけで、物を生みだすのは間違いだということがすぐ理解できるはずだ。
私がこのようなことを言うと、メーカーの方々はTそれは理想論Uだと、反発してくる。小さな会社ならコツコツと手作りで個性的なものもつくっていられるけれど、我々の会社は今や大きくなってしまって、たくさんの社員を喰わせるためには、そんな悠長なことはやっていられません、というのがその言い分らしいが、私に言わせれば冗談もほどほどになさい、ということだ。会社が大きいからというが、たかだか二千から三千人位の規模である。メルセデス・ベンツをつくっている西独の自動車会社ダイムラー・ベンツ社は従業員数実に一六万人である。それでいて世界中の人たちに高く評価され、深い満足感を与え、しかも実用面でも、高い信頼性と安全性を保証し、加えて車の芸術品と言わせるほどの趣味性をも備えているのである。しかもこのメーカーは例のエネルギー・クライシスの時にも、他社が軒並み売上げダウンしたのに、着実に売上げを伸ばしたという驚異的な実績をもっている。これは一つの範とすべきものではないだろうか。
ましてやオーディオは、車よりも何よりも100%近く趣味のものである。故に私は、本当に趣味の世界に生きがいを求め人生の価値観というものをしっかりと把握している人たちにこそ、オーディオ機器をつくってほしいと願わずにはいられない。また、このような観点から、オーディオの機器それ自体が、趣味の対象となりうる素晴らしいものであると確信している。
我々が超一流品に接したときに、どんなに高い代価を払っても受ける満足感というものは、趣味の原動力となるものである。趣味というのは、このように我々の精神に働きかける力を持っていなければいけない。精神への働きかけ――音の面でいえば、我々を心底からうならせるような素晴らしい音を出してくれる装置である。これこそ正しく、趣味の対象そのものであろう。ところが、巷に氾濫している多種多様のオーディオ機器を見廻してみても、趣味の対象として本当に我々を満足させてくれるものがどのくらい存在しているかというと、現時点ではきわめて辛い採点をせざるを得ないのは、本当に残念なことだ。
特性的には我国の機器は世界一だと断言していいし、我々の意見や要望を取り上げて、メーカーもかなり努力している様子だし、事実なかなか良い機器も出てきている。しかし一部を除いて、まだまだ外国の製品に一歩ゆずらざるをえないことも厳然とした事実である。このことは、平たくいえば伝統の差とか、歴史的なものも原因のひとつにはなっているだろうと思う。しかし、究極的には、それをつくる人間の精神性の差だといいたい。設計者が、製造者が、自己に忠実に精一杯その作品に真心を込めて、妥協のない主張を貫き通した時にこそ、人を説得することができる機器が生まれるのである。
世上、使い捨ての時代は終った、これからはホンモノの時代だと言われているが、我国の工業製品に反映しているかどうか、はなはだ疑問だ。企業がT物づくりUという原点に立ちかえって、根本的に思想を洗い直してくれることを大いに望みたいし、そうでないと、人間の優れた英知と感性、文化の香りのする素晴らしい名器というものは、生まれてこないのではないかと思う。ただ、ここで見落してはならないのは、メーカーがいくら良い製品を開発しても、それを正しく評価する人たちがいなければ、マーケットが存在しないということである。このことは一にユーザーにかかっている。購買層の大半を占めている若い人たちも、この認識の上にたって、謙虚に目を開いて情操を培い、教養を身につけ、感性を洗練させて本当に良いものは何か、ということを見極める眼力を養う努力をして欲しいと思う。その努力が若者の中にあって、ホンモノを見る目がマーケットにできて、はじめてホンモノが高く評価され、好ましい循環が誕生する。世の人々の幸せのため、世界の文化の高揚のため、ぜひともこの好ましい循環を実現していきたいと念じている。少なくとも、そのほとんどが趣味の対象であるオーディオの世界からでも、即座にやっていきたいと思う。
(一九七六年)