味というものは、辛いとか甘いとか口中の味覚器官で感じるものだろうが、食べものによっては、それ自体に格別に味はなくても舌ざわりがいいとか、歯ざわりがいいといった、いわば触味とでもいうようなものがある。
例えば、ふぐがその代表だ。味そのものに強烈なものがあるわけではない。強いて味を挙げろと言われれば、ポン酢の味だ。もちろん、ふぐのもっている味というものは歴然と存在していて、ポン酢で食べれば平目でも鯛でも同じ味かと言えばとんでもない話である。やはり、ふぐはふぐでなければ味わえない味というものがあって、その味は決して別のかたちにはおきかえられないものだ。別のかたちというのは、喩えが悪いが梅ぼしガムとか、コーヒーガムの類である。梅ぼしとかコーヒーなどは、そのエッセンスを他のものにおきかえて、そのフレーバーを楽しむこともできる。まあ、卵やきとかハム、焼豚くらいまでならそんなことも可能ではないかという気がするが、ふぐは絶対不可能であろう。ふぐの味というものは、それ程、ほのかで微妙なものなのだ。つまり、デリカシーというものが生命の味である。これは、ふぐ以外にもいえることだが、なかでもこれがデリカシーの王者であるようだ。
ふぐには辛いとか甘いとかという言葉では表現できないクォリティの微妙な味わいがある。つまり、ふぐはクォリティで食べさせるものだと思う。そのもの自体に明確な味や香りがあるわけではないが、質感が抜群なのである。そのクォリティを生かし、それにいかにマッチした味をつけるかが料理の技術とセンスであり、その積み重ねが洗練というものだろう。いかにふぐが好きだからといって、薄造りをポン酢なしで食べる人はいまい。しかし、なにもポン酢で食べなくても場合によっては、溜(たまり)で食べてもいいし、食塩で食べてもいいわけだ。また、特別に他のソースをつくって食べても何ら差支えないはずだ。
しかし、長年の歴史のなかで、結局はポン酢で食べるのが最高だということになった。このポン酢とふぐの組み合わせが、つまりは一つの料理としての完成度であり、洗練である。日本料理のセンスの代表的なものといってよいだろう。
このように、材料そのもののクォリティとフレーバーに対して人間がいかにマッチしたテイストをつけるかというものが料理であり文化であろう。したがって、例えばアワビを海から漁ってその場で海水で洗い、ガリガリ食べるなどというのは、うまいことはうまいが料理や文化とは言えないだろう。アワビのクォリティとフレーバーだけで、そこには人間のセンスは何ら関与していないわけで、これは文化とは呼べまい。自然の恵みである。
そういえば、いつだったかサンフランシスコで食べたアワビのステーキはひどいものだった。アワビをミンチみたいに切りきざんで、たたきつぶし、それに味つけして衣をつけて揚げたものであるが、いくら人間が手をかけたとは言ってもこれはひどすぎる。食べものの文化のちがいは恐ろしい。私は、素材を大事にしない料理というものは好きになれないのである。
ついでだが、最近の音楽もこのアワビのステーキのようなものが多すぎる。自然にある音の美しさと深さというものを愚かにも無視している音楽家が多い。人間が傲慢につくりだした機械音だけで音楽をつくりだし、これがかつて無かった新しい音だ音楽だと理屈をつけている。人間性の根源に虚しく、高い知性や、洗練された感性、豊かな情操にも訴えないで、それ以下の段階で人の興味を惹くだけだ。
人間にとって素晴らしい素材を見つけだしてきて、その素材の本来の特性をよくみきわめたうえで、もっともマッチした味を考える……これが料理の本道だと思う。そして、ひいてはその料理に視覚的にマッチした器や環境を用意する……これが食べものの文化というものであろう。
時には味づけが手のこんだものになる場合もある。事実フランス料理などは、かなり手がこんでいる。しかし、本当にうまいフランス料理というものは、いくら手がこんでいても絶対に素材を殺してはいない。その意味でも前述のアワビのステーキのように、素材を殺すように手をかけたものは高く評価できない。食文化の違いだけではすまないセンスの問題だと思う。
日本料理というのは手のかけかたがフランス料理とは違う。ひとことで言えば、いかにして素材を生かして美味しく食べるかというところにある。白魚を泳がせながら食べる。いけすに泳いでいるものをそのまま活造りで食べるというような料理は決して文化的に上品な料理とはいえないかもしれないが、調味料をたくさん使って手をかけることだけが料理ではないわけで、こういうアイディアや手のかけかたが日本料理の魅力であろう。味に限らず音であれ色であれ、その本質的なクォリティを生かせば生かすほど逆に高度に洗練されたものになることもあるのではないか。
それが日本料理で言えばふぐの味であり、前項で述べた、あんこうの味ではないかと思う。日本料理はいろいろと凝った海の幸をオードブルとして食べる。もちろん、その素材を生かして。なかでも私の好物はホヤとか、ナマコ、コノワタなどだ。これらの海の幸は、口に入れたとたんに海が偲ばれる。海をテーマにした下手な詩を読むより、はるかに詩的であると感じる。海の情景を頭の中に想い浮かべながら、目の前の海の幸に次々と箸をつける……。考えただけでも幸せな人生だ。日本人に生まれてよかった!
(一九八〇年)