私は酒を全然飲まないが、なぜか酒飲みの好む料理が好きで、食べものの嗜好は完全に酒飲みのそれである。これは酒を少々飲みすぎた父親の影響によるところが大きく、酒を飲むということに抵抗したおかげで、その幸せはつぶされたが、酒飲みが好む料理を味わえるという幸せは父親から与えられたと思っている。
 ひとくちに酒飲みの好む食べものと言ってもいろいろあるが、ふぐとかあんこうは冬でなければ味わえない、日本の味覚の最も洗練されたものだと思う。ふぐの方は、家庭料理というわけにはいかないが、あんこうの方は、我が家の冬の食卓をたびたび飾るものである。これは父親が好きだったということに大きな原因があるだろう。このように小さい時分からあんこうに接していたわけだが、実のところ、このあんこうというものの味を、うまいと理解するまでには、ほぼ四十年の歳月がかかっているのである。つまり、四十歳をすぎて、はじめてあんこう鍋がうまいと思うようになったというわけだ。
 あんこう鍋の味というものは、分かりやすくいうと子供の好きなロールキャベツとかオムレツ、あるいは卵やきなどとは正反対の、対極にあるものだと思う。その証拠に、おそらくあんこう鍋がたまらなく好きだという子供は、まずひとりもいないだろう。まずいから食べないということはないかもしれないが、大好物だという子供はいないと思う。つまり、オムレツとか卵やきなどが、誰でもプリミティブに好きになれるという味であるのに対して、あんこう鍋はその対極にある洗練の味だということが言えるのではないか。
 話はやや横道にそれるが、味の中には味覚の洗練だけではなく、肉体的にもある年齢に達する必要があったり、人生体験としてのキャリアを積まなければ、本当のところは分からないものがあるといえると思うのである。
 あんこう鍋のオリジナルは、茨城県の大洗あたりのものだそうだが、もともとは地元の漁師が自分たちだけで食べたものであると、ものの本に書いてある。この魚の姿かたちが気持ち悪いので売りものにもならず、それで自分たちだけで食べようと鍋にしたのが、そもそもの始まりらしい。
 あのあたりでは味噌仕立と聞いたが、我が家のものは味噌はいっさい使わない。具も少なく、あんこうとしらたき、それに春菊と豆腐だけである。味は塩味で、いかにスープを澄ませるかというふうにつくる。そんなものだから、小さい時分の私には本当のところの味など分かりようがないのである。したがって、日曜日の夜など、あんこう鍋だと知ると愕然としたものである。まずいとは思わないが、食べ盛りの私にとっては、まずおかずにならないのである。こんな薄味の洗練の極が、餓鬼や青二才にわかるはずがない。
 また、あんこうのいちばんうまいところはキモとアラだ。白身はまずくはないが決してうまいというほどのものではない。ところが、食べ馴れない人は白身しか食べないから、余計にあんこう鍋なんてうまいものではないということになってしまうわけだ。とにかく私は、あんこう鍋の本当のうまさというものを完全に理解するまでに、四十年もかかってしまったのである。
 キモとアラがあんこうのいちばん素晴らしいところだが、とくにそのキモはふぐのそれにせまるものであろう。また、素晴らしいキモが手に入ったときは、フォアグラに決して劣らない美味だとも思う。しかし、あんこう鍋ではカンザシなどと呼ばれるアラが、さらにうまく感じられるのだ。
 世の中には食わず嫌いという人がいるが、人一倍食いしん坊の私だってアラのうまさを味わうまでには、四十年かかったのである。何事でもそうだが、本当に深いものほど初めはとっつきにくい。だから、食わず嫌いということがいかに不幸なことかと、つくづく思うのである。
 食わず嫌いではないが、私の友人で大変な食通だが関西の人間なのであんこうを食べたことがないという男がいた。そこで、一夜私の家に招いてあんこう鍋をごちそうしたことがある。前述したように、あんこう鍋というのは一般的な意味で、積極的にうまいというものではない。何度もいうように洗練の極地のような淡白な味なのである。それを、生まれてはじめて口にするという初体験で、どんな反応を示すかと興味しんしんだったが、この友人の感激のしようといったらなかった。舌つづみをうって食べたとはこのことだろう。見事な食べっぷりだった。さすがに食いしん坊の彼らしい反応だと感心した。
 感激した彼は家に帰ると早速あんこう鍋をつくったという。ところがこれが見事に失敗で、うまくないというより、極端にまずかったというのである。我が家に特別に料理の秘法があるわけでもないし、きわめて単純な料理なのに……。しかし、料理が単純なだけに材料の差がそうとう効いてしまうということであるのかもしれない。そしてまた、フランス料理や中華料理なら手順や塩加減の一つや二つ狂っても全体のコンマ数%くらいにしか響かないが、こんな単純な料理であればあるほどちょっとした差が10%も20%も影響してくるのかもしれない。
 ところで、あんこう鍋というと必ず出てくるのが、神田の「いせ源」という店である。私は「どこの店の何々がうまい」と聞くと、飛んで行って食べるほうだが、「いせ源」だけは、いまだに足を運んでいない。なぜかと言うと、恐いのである。味噌味か塩味かも分からない。先日も仕事で一緒になったときに、荻昌弘さんに聞いてみたが、もう十数年来行っていないので、さだかではないという。とにかく、あれほど有名な店だから期待以上のあんこう鍋を食べさせて欲しいという願望があるだけに、そうでなかった時の失望と落胆が恐いのだ。しかし、先述の友人と「いよいよ行かなければならないな」と、近日中に意を決して行く約束がまとまってしまい、今、私は恐れと期待の谷間にいる次第。
(一九八〇年)