アンプとスピーカーの組合せはシステム全体の基本である。これが決まれば家は出来上がったようなもので、あとは、内装や家具、そして、いかに、家を活用して生活をエンジョイするか……というような問題である。勿論、家は、そうした中味のことを考えて設計する必要があるように、アンプとスピーカーの組合せには、使うプレーヤーや、レコーダー、そして、楽しみたい音楽プログラムも密接にかかわり合いをもつ。
まず、アナログ・ディスク・プレーヤーを考えてみよう。レコード・プレーヤーと呼べばよいのだが、CD(コンパクト・ディスク)プレーヤーが登場したので混乱を避けるために、こんないい方をした。以下、前者をADプレーヤー、後者をCDプレーヤーと呼ぶことにする。ADプレーヤーは残念ながら終焉を迎えようとしている……。不吉な発言だが、これは最近の僕の実感である。エジソン、ベルリナーの音の記録再生のメカニズムの発明以来、100年余り続いた機械振動式のアナログ記録ディスクは、今、その生命を絶たれようとしているのである。嫌なことだが、少なくとも、その段階に来ていることを感じないではいられない。まさに一大事なのである。
僕が不満なのは、この機械式の録音再生のメカニズムの原理である相似性記録再生変換方式……つまりアナログ方式が、まだ、発展の可能性を極める途上にあるにもかかわらず、少なくとも記録媒体に関してはディジタル方式に切り換えられつつある趨勢にあることだ。まだその割合は小さいが、遠からず逆転するのは必至であろう。
多くの新録音は、例え、アナログ・ディスクとして発売されているものでも、オリジナル・マスターはディジタル録音に切り替わりつつあるのは事実である。過渡期のことだから、そう安易に決めつけるわけにはいかないが、この調子だと意外に早くCD全盛時代になるかもしれない。
つい最近、僕は、アナログ録音でレコード制作をしたが、これをCDとADと両方で出した。イーストワールド・レーベルで山本剛トリオの演奏「セント・エルモ」というタイトルのジャズである。オリジナルはアナログで録音したが最終商品としてはCDの方が音がよかった、マスターに近いのである。アナログ・ディスクの方は、やや演奏時間も長過ぎたせいもあってカッティングに無理をしたことも理由の一つだろうが、マスターからは、かなり音質が劣化していた。
また、これに先立って名ピアニスト、ルドルフ・フィルクスニーの独奏のCDを二枚作ったが、これはオリジナルもディジタルで録音した。この時も、CDが、マスターにかなり忠実であることに感心させられてしまった。制作者としては、最終的に商品になる媒体が、元のマスターに近いということは重要なことだし嬉しいことでもあるので、僕としても仕事として今後CDを重要視していくことになるだろう。
とはいえ、CDが全ての点でADに優っているとは考えていないし、アナログ録音の現在の水準は、ディジタル録音の現状での水準を上廻っている面もある事を実感している。現在でも僕個人としてはアナログ・レコードをこよなく愛している一人だし、こうした現状を十分知りながら、あえて、この時点で大金を投じてトーレンスのTリファレンスUというADプレーヤーを買い込んだほどである。もっとも、現状を知っていたからこそ、今後、もうこれ以上のADプレーヤーが、開発される可能性が少ないと見てとって購入したともいえるのだが……。
AD製造に関しては西独のテルデックがDMM方式という新しいカッティング方式で頑張ってはいるが、今のところ、AD製造に新たに設備投資をして性能改善をおこなう情熱をもつレコード・メーカーは皆無に等しいらしい。淋しいことである。
こんなわけで、ADプレーヤーは、CDに対して、今後、ますます趣味性の強い存在になっていくものと思われる。しかし、今現在はADプレーヤーによって楽しんでいるファンが圧倒的に多いのであるから、CDに関しては、また別に述べることにして、ADプレーヤーについて話しを進めよう。