御承知のようにアンプは、大きく二つのブロックから成立っている。プリ・アンプ部とパワー・アンプ部である。プリ・アンプは読んで字のごとく、アンプの前段階として各種のプログラムのプレーヤーからの微細な電気信号を扱うもので、インピーダンス・マッチングやイコライジング、電圧増幅、そして、ファンクションの切換えやボリュームのコントロール、さらに、トーン・コントロールや各種フィルター・スイッチなど、オーディオ再生に必要な操作機能と、パワー・アンプが動作するのに適した電圧を供給する役目を受けもつものである。
そして、パワー・アンプ(=メインアンプ)は、このプリ・アンプ(=コントロール・アンプ)の出力電圧を受けて、スピーカーが動作するに十分な電力を供給するアンプだ。これが一つにまとめられたものをプリメイン・アンプ、あるいはインテグレイテッド・アンプと呼び、別々のアンプとして完成されたものをセパレート・アンプと呼んでいる。プリメイン・アンプの場合は、一体として考えればよいが、セパレート・アンプは、プリ・アンプとパワー・アンプが独立しているから、ここに、またまた、組合せの問題が存在することになる。これも順列組合せの数だけ音のちがいが存在することはいうまでもない。
プリ・アンプとパワー・アンプの組合せによる音の優劣はスピーカーによって変化する。同じ組合せが全てのスピーカーに対してベストだというわけでもない。無論、その評価は人によって異なるだろう。この辺の微妙なニュアンスは、もはや食通の味覚に対する嗜好のようなものだ。全ての人に、このこだわりを持てなどという気はさらさらないが、セパレート・アンプを作る人たち、それを使う人達はこだわって当然だろう。
あえていわせていただくならば、そもそも、セパレート・アンプなどというものの存在は、必要とか十分といった常識の世界の外にあるものである。そのスピーカーにぴったりとマッチしたプリ・アンプとパワー・アンプの組合せを発見した時の喜びは、苦労した人でなければ解らない。まるで目から鱗が落ちるように、音の細部から全体までが透徹に見透せるようになる。だから、スピーカーの向うにある音楽の姿が、そして、その音楽の存在する空間が、あるがままに浮彫りになる。この音こそ、自分がさがし求めていた音だ! という感激である場合もあるだろうし、あるいは、こんな美しい音の世界があったのか! という新鮮な驚きである場合もあるだろう。
数は少ないが、こんな瞬間を僕も何回か体験してきた。そして、その度に実感として湧いてくるのはT喜びには悩みが、悩みには喜びがなければならないUという言葉だ。悩みを恐れ、回避していては喜びは得られない。ベスト・バイやグランプリに推薦された機種は確かに個々には優れた機械であるだろう。しかし、それを組合せて、自分にとって、音楽を享受する手段となすのは容易なことと考えるべきではないと思う。
悩むことなしに結果を急ぐことは、喜びを希薄にしてしまう。最高級、あるいは最高価格のコンポーネント同志を組合せるという浅はかさはもっと悪い。僕の知っているある販売店では、お金持とみるとなんでも最高価格のものを推めて買わせてしまう。より高額のものがあると即、全体のバランスなどお構いなしに買い換えさせてしまう。オーディオ専門店としては下の下である。
また、ある時、僕はT氏にシステムの相談を受けた。音楽好きのT氏はお金持でもある。室内楽が大好きで、夜、静かにハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏曲、そしてピアノ・トリオなどを聴くのが幸せだとおっしゃるのである。部屋はかなり広かったけれど、僕はスピーカーに当時としては新しい製品であったスベンドールBCIIをおすすめした。T氏も音を聴いて気に入られたのだが、値段を聞いて不満顔となった。十数万円のBCIIは安過ぎる。最高のものが欲しいといわれるのである。
結局、当時の最高価格に近いスピーカーとしてJBL4350も買ってしまわれた。4350が悪いというのではないが、あれは容易には使いこなせる代物ではないのである。オーディオそのものに関心の薄い室内楽愛好家のT氏にとって適したスピーカーとは思われない。何ヶ月か後にT氏を訪れてみると4350は大きな飾り物になっていた。もっぱらBCIIでお楽しみというわけである。