「叱られて、叱られて、あの娘は町までお使いに……」透明な声は、多少、上り気味で小刻みに震え、音程がふらついていたが、とても魅力的であった。僕の眼は彼女の顔を見る勇気がなく、きちんと合された二つの膝の上で、小さなハンカチをもみくちゃにしながらもじもじと動いている白いふっくらとした手を見つめていた。その膝頭のちょうど半分位までは、紺のスカートがおおっていて、そこから、肌色のストッキングに包まれた脚線の流れが始まるが、その紺と肌色の対比の美しさに僕は感動していた。美しい……と心から思った。そして、体内の深いところから何かが蠢くのを意識していた。やがて、彼女の歌声は、どこか遠くから聞えてくるように遠ざかり、僕は、その辺りのふっくらとした丸味と、すっきり流れる線の造形に見とれ、その内に秘められたぬくもりに生命を感じ、すっかり陶酔していたようだ。
 突如起った拍手の音で我に帰った僕は、あわてて拍手に加わったが、皆に僕の胸の内を見透かされたような気がして、ひどく恥ずかしい気持であった。
 この日は、僕がピアノのレッスンに通っていた根本先生のお宅に、お弟子さん達が集まって、おさらい会のようなパーティをやっていた。一通り、それぞれピアノの演奏をした後で、余興ということでピアノ以外の芸を披露し合っていたのである。「叱られて……」を歌ったK嬢は、僕より三歳上の知的な美人であった。それまでに二〜三度、レッスンで顔を合せたことがあるが、親しく口をきき合ったことはない。僕のレッスンの終り頃に彼女が来て待っていたり、その逆に彼女のレッスンが遅れて、僕の時間に食い込んでいたりした時に顔を合せただけなのだ。だから、互いに、「お待たせしました」、「どういたしまして」程度の言葉しか交していなかったと思う。なにしろ、この頃は僕の眼も心も、完全に根本先生に奪われていたから、他の女性へ関心がいかなかったようだ。
 この日も、根本先生がオーケストラ・パート、このK嬢がソロ・パートをもって、二台のピアノでモーツァルトの《イ長調協奏曲》K四八八を演奏したのだったが、僕の関心は、もっぱら根本先生のオーケストラ・パートを聴くことに集中していた。それほど広くない部屋、せいぜい十二畳ぐらいの洋間だったと思うが、そこに、グランドとアップライトが二台入っていて、しかも、この日は二十人近い人数がいたはずだ。半分は子供だったとは思うが、よく入ったものだ。そんな中で二台で弾くのだから、とても、まともな音では聴けなかった。
 しかし、あの素晴らしい《イ長調コンツェルト》がとてもいいテンポで、軽快にやさしく弾かれたのを思い出す。アインシュタインをして「天上の音楽」と称賛せしめた第二楽章は、今でも僕の最も好きな音楽の一つだが、あのアダージオの流れはピアノ二台ではきつい。オケ・パートを受け持つ根本先生の妙技をもってしても、ピアノの音が持続しないという宿命はどうしようもない。特に木管で奏されるはずのフレーズはどうにもならないのだ。僕は、この曲を、マルグリット・ロンのピアノ(指揮とオーケストラは忘れてしまった)によるコロムビア盤で聴いていた。だから、オーケストラの音色を、ピアノから想像することができたのである。あまりに美しいこの楽章だけは、多くの不満を残した演奏であったが、フィナーレなどは快調で、時々顔を出す愛らしいフレーズで首をふりながら弾いているK嬢の存在に気をとられ、魅力を感じ始めていたのである。そのK嬢が、演奏を終ると、僕と向い合って座ったが、なにしろ狭いから、互いの膝と膝はくっついてしまうような情況であったのだ。
 K嬢の歌っている最中に僕が勝手に抱いた妄想にも似た情念は、いやにしつこく僕の中に停滞し続け、いつの間にか、その情念はK嬢への憧れに変り始めた。この、おさらい会は、窓から、銀杏の葉が、黄金色に輝いて見えていたのを憶えているから秋であったと思う。おかしなもので、秋〜銀杏〜モーツァルトの《イ長調コンツェルト》〜K嬢という関連ができ上り、根本先生への憧れとプラトニック・ラヴに平行して、また、少し趣きの違った恋愛感情が、僕の中に芽生えることになってしまったのである。
 そんな、ある夜、僕は一所懸命ピアノをさらっていたが、突然、ドアが開いて、父が恐い顔で入ってきた。
「いい加減にしなさい。お前は、相変らずピアノに夢中になっているのか!」
 実をいうと、この頃、僕がピアノに熱中していることを父が心配し始め、あまりいい顔をしなくなっていたのである。それどころか、この一年ぐらいは、僕が音楽家になりたいと言ったのが刺激となって、むしろ高圧的にピアノをやめさせようとするようになっていた。僕のことだから、何かに夢中になると、それに集中し過ぎて、他はほったらかしにするのがいけなかったのである。事実は、ピアノだけではなく、根本先生への、そしてK嬢への強い強い観念も邪魔したのであるが、学校の勉強はほとんど手につかなくなっていた。父の教育は、長男の僕に集中していて、僕次第で弟妹も良くなったり、悪くなったりするという考えの持主だったから、僕への風当りは一際強かった。高校一年ぐらいから、確かに僕の成績は悪くなっていたことも手伝って、この頃は、顔さえ合えば怒られっぱなしであったようだ。夜、ピアノを弾いたり、レコードを聴く時は、必ず母に、父の帰りが早いか遅いかを確かめてからにしていたのである。音楽が聞えていなければ勉強をしていると信じるほど単純な父ではなかったろうが、音が鳴っていれば勉強をしているはずはない事だけは確かであったから、それが父の焦りと怒りを刺激した。
 この夜は、父の帰りは遅いはずであったから安心してピアノを弾いていたのだが、突如、父が早く帰宅したのである。お酒も入っていたと思うが、積り重なる怒りが爆発したかのように怒鳴られた。
「学校の勉強もせずに、女の子じゃあるまいし、ピアノにかじりついて、あれほど何度もいったことがわからんのか!」
「……」
「もうピアノは売り払うことにするぞ!」
「そんな。僕はやはり音楽家になりたいんです。音楽学校へ行きたいんです」
 これが決定的に父を刺激した。
「馬鹿者! 音楽家? 歌舞伎役者の次は音楽家か。そんな、河原乞食みたいなものに、うちの長男をさせるわけにはいかん!」
「河原乞食?」
「そうだ。まともになれ、まともに! お前は長男だぞ。考えろ!」
 ついに僕の感情も爆発してしまった。この父の言葉は、何が何だかわからないが、僕と僕の周囲のすべてを侮辱しているように感じたからだ。僕はくるっと向きを変えると、父に背を向けて、震える心と身体を押えつけて、ピアノを弾いてしまった。今でもはっきり覚えているのだ、この時の情景は。弾いたのは、ベートーヴェンの《ハ短調ソナタ》のグラーヴェの序奏の終りの部分、クロマティックの下降音階。何故だか、ただ反射的な行為であった。怒りをぶつけるにはこうする他なかったようだ。次の瞬間、僕の後頭部は激しく突き押されていた。父はまだ若かった。僕の衿元を掴んだ力は強かった。二、三発パンチをくらわされ、ずるずると部屋を引きずられ、ガラス戸をがらりと開けるやいなや、庭へ突き飛ばされていた。
「出ていけ!」
 僕の眼の前で、雨戸はびしゃりと閉ざされていた。家の中には心配そうな顔つきの弟妹達が見えたし、母の姿もあったが、この父の剣幕の前にはどうすることもできなかった。突き飛ばされて庭の地べたに転がったまま、僕はしばし呆然としていた。一体、何がどうしたというのだろう。ピアノがそんなにいけないのか? 音楽家になることは、父にとって、そんなに嫌なことなのか? 河原乞食っていうのは一体何者だ? 橋の下のルンペンのことじゃないのか? 何故、音楽家が橋の下のルンペンなんだ? 僕にはすべてがよく理解できなかった。ただ、学校の勉強に差し支えること、学業以外に時間をとられることが悪いということしかわからなかった。そんな馬鹿な! それじゃ、学業以外のことはすべてが悪いということになる。
 晩秋の夜空は寒い。庭の土も冷えきっていて、裸足のままの僕を絶望的な気分にさせていった。
 さあ、どうしよう。どこかをこじあけて家へ帰ろうか、しかし、それも業腹だ。
 とにかく、裸足ではどうにもならない。幸い、庭履きの下駄があったので、これを履いて門の外へ出た。空は明るく、月がとってもきれいに冴えていた。透明な空気は肌寒く、何かもの悲しい気持になってきた。家を出て、とりあえず友達の家を訪ねようと思ったが、僕の眼に根本先生のお宅の灯りが生垣越しにやさしく、暖かく入ってきた。ふらふらと僕の足はそこへ向いてしまっていた。気がついた時には、ベルを押していたのである。もう九時は廻っていただろう。突然の訪問をすべきではない時間である。
 門の奥の玄関の灯りがついて、がちゃがちゃという聞き馴れたドアロックの音がしてドアが開いた。灯りを背に黒いシルエット、根本先生ならよいが他の人だったら困るな、と思いながら、人影が近づくのを待っていた。
「どなた様で?」根本先生の母上の声であった。
「夜分どうも。菅野です」
「はいはい、沖彦さんですね」多分、僕の顔が普通ではなかった事に気づかれたのであろう。彼女は一瞬笑顔を止めて真剣な顔になった。が、すぐに前の表情にもどっていた。
「根本先生いらっしゃいますか? ちょっと、御相談したいことがあって……」
「はあ、ええ、どうぞ……」僕を玄関まで案内し、そこで待つようにという感じで、奥へ消えた。何やら話し声が中で聞えていたが、やがて根本先生が現われると思っていたら再び母上が現われた。
「どうぞ、お上りを。ちょっとお待ちいただくようにとのことですから」といわれた。僕は戸惑った。この時間に来て、上るなどとは非常識だし、なにも具体的に用があるわけではないのに、部屋へ入るようにいわれて急に冷静になってきた。来なけりゃよかった。何を話そうというのだ? しかも、足は泥だらけだし、ズボンにも土がついているではないか。逃げ去りたい気持になった。
「さあ、どうぞ、おあがりあそばして」
「それではちょっと、雑巾をかしていただけないでしょうか」泥足と下駄履きに気がついた母上は、さすがにちょっと驚いたようだった。
 ピアノのある部屋のソファに座って待つことしばし、根本先生が現われた。
「今晩は、お待たせしました」
「すみません、こんな時間に」
「いいえ、ちょうど晩御飯の片付けが終ったところです。あら? どうかなさったの? こんなところに泥が」
 足は拭いたが、上着の泥には気がつかなかった。僕は急に何かが胸にこみあげて来た。
「どうなさったの?」
「……」
「もしよかったら、お話しになって。何かあったのでしょ?」
「はい……。すみません。急に、こんな汚い恰好で……」
「いいのよ。さあ、聞かせて下さい」
「実は、父に追い出されました……」
「まあ、お父様に叱られたの。どうして?」
「今まで、先生には申し上げなかったのですが、父は僕が音楽をやることに反対なんです」
「あら、そうだったの。それは知らなかったわね。でも、ピアノまで買ってくださったんじゃないですか?」
「ええ、あの頃はそれほどでもなかったんです。もっと学校の勉強をするっていう約束で、ピアノを買ってくれたんですが……」
「沖彦さん、それで学校の勉強、一所懸命しているんでしょ?」
「いいえ、音楽に夢中であまりしていません」
 本当は、音楽だけではない。この根本先生への恋、そして、最近登場したK嬢への思いなど、心ここにあらずといった僕だったのだが。
「そう、それはよくないわね。学校の勉強はちゃんとしないと。しかも、それが約束でピアノを買っていただいたんだったら、なおのこと、ね」
「はい」
「それで、お父様が怒って? あらあら、こんなところをすりむいて……」
 父に庭へ突飛ばされた時に、どこかですりむいたらしい手の傷を根本先生に見つけられた。
「ちょっと待って、今、お薬持ってきましょう」
 多分、オキシフルであろう、脱脂綿とビンを持ってこられた、僕の手の擦過傷を手当てしてくれた。滲みた。でも、根本先生に手を触れられている幸福感が、それを上廻っていた。けしからん奴だ。
「いいんです。大丈夫です」
 本当は、もっとていねいにして欲しいくせに、僕は心にもなく手を引っ込めたものだ。
「駄目駄目、もしとがめたら、あとがやっかいですよ」
 また、手を引っ張り出され、ていねいに傷の周りも手当してくれた。
 僕は、根本先生のやさしい誘導尋問にのって事の次第の一部始終を話した。話しているうちに、恥ずかしいことだが、涙が出てきた。しかし、この涙、決して悲しみの涙ではなかった。むしろ、嬉し涙に近かったようだ。こんなことがなかったら、夜、二人きりで、しんみりと、この部屋にいられるわけはない。憧れの女性とこうしていられる嬉しさに増して、僕のことを心配してくれ、一所懸命話をしてくれていることへの感激の涙であった。根本先生がそれをどう受け取られたかは解らない。しかし、彼女は僕の手をとって、暖かく両手で包んで話をしてくれたのだ。
「沖彦さん、あなたは本当に音楽がお好きなのよね。でもね、音楽って、音楽のことだけをやってすむものではないと思うのよ。音楽は、その人のすべてが表現されるものだと思うの。だから、沖彦さんが学校の勉強をしっかりして、豊かな人になるっていうことは、ピアノを練習することと同じか、それ以上に、音楽にとって大切なことだと思う。音楽家になるか、ならないかは別として、まず豊かな知識と心をもった教養のある人間であることが一番大事なことだと思う。そして、もし、周囲に、音楽をすることを反対されてもね、本当に音楽をやるべく生れた人は、必ずやるし、やれるものだと思うわ。ヨハン・セバスチャン・バッハは貸してもらえない楽譜を、そうっと、夜、ろうそくの灯りで写譜をし続けたというでしょ。ほら、あの、ポーランドの名ピアニスト、パデレフスキーは、大統領として立派な政治家でもあったでしょ。やればやれる。そして、立派な音楽家でも、立派な政治家でも、まず、その前に、立派な人であるべきだということよ。あなたは今学生なんだから、学校の勉強をするのは当然だし、それをおろそかにしなければ、お父様だって、そこまでピアノを弾くことを叱らないと思うわ」
「はい。でも、父は音楽家のことを河原乞食っていいました。音楽をやることは、そんなに低級なことでしょうか。音楽家になっちゃ絶対にいかんというのです」
「決して低級なことじゃないわ。お父様は沖彦さんの将来を心配されて極端ないい方をなさったのよ。音楽家になることは素晴らしいことだと思うけれど、とても、とても難しく、苦しいことだとも思うのね。私も、一時はピアニストになりたいと思ったことがある。でも、大学へ進学する時に考えて、私は音楽を自分の幸せの糧にしようと思ったの。音楽を仕事にして、音楽で苦しむことを恐れたの。それで、東京女子大の英文科へ入ったの。そう考えられたっていうことは、音楽を天職とする才能が私にないということかもしれないのね。でも、ここから学校が近いでしょ。だから、お昼休みや休講の時間は、家へ飛んで帰ってピアノを弾いていた。弾きたくて弾きたくて。でも、今は音楽家にならなくて後悔はしていない。結婚して、子供をもって、音楽の好きな方々と一緒に勉強して、週に一回は、私も先生についてレッスンを受けています。沖彦さんが音楽家になるかならないかは自然に決るものだと思うわよ。今、なるかならないかで争ったり、決めつけたりすることはないと思う。あなたが思うほど、お父様だって解らない方ではないはずよ。あなたのことを心配するからこそ、こういうことも起きたのよ」