何としたことだ。何のために、何日も修理にあずけたのだ。やはり……。信用できない気持は初めからあった。そもそも、僕のいう音の不満を、あのラジオ屋は把握していなかった。一所懸命聴かせた、あのクラリネット、ファゴット、ホルンの三連音の部分をどう聴いていたのだろう。何のために、大切なレコードまで貸したのだ。一体あのおじさん、何をどう聴いていたのか? 若干割れ気味だなとか歪みっぽいねとかいっていたが。ああ、ああ、せっかくレコードを買うために貯めていた小遣いを全部はたいて、それでも少し足りないくらいの修理代までとられて、これではひど過ぎる。もう一度言いに行こう。いや、無駄だろうな。しかし、このままじゃ耐えられない。いつまでも、この髭の生えた音を聴いていられないし。第一、こうなると以前より気に障って、その音が出る度にこっちの神経は逆撫でされる。
 僕は、それから数日間、まことに憂鬱な日々を悶々として過ごした。相変らず音の髭は、スイッチを入れて一〜二時間ほどひどく、その後は徐々によくなるようだ。しかし、それも音を出していればの話であって、ただ電気を入れておくだけでは駄目であることを、ある日、発見した。朝、電源を入れて学校に行き、午後帰ってきて、試してみたら、ちゃんと髭が生えていたのである。あのラジオ屋はアンプを調べ、球を交換し、ぶつぶつとおできができたようになったコンデンサーや、やや茶色に焦げたような抵抗をつけかえていたっけ。アンプの中味は異常がないと言っていたことを信用すれば、ピックアップかスピーカーということになる。しかし、ラジオのアナウンサーの声にもときどき髭が生えるから、僕の修理したピックアップのせいじゃない。残るはスピーカーである。疑わしきはスピーカーだ。
 こうなると、もうじっとしてはいられない。僕は、重い電蓄を動かして、また、中をのぞくことにした。6 1/2インチのスピーカーは、四本のねじで締めつけられてキャビネットに取付けられている。バッフルボード(この頃は、そんな名称さえ知らない)のほうにボルトが立てられていて、それにスピーカーのフレイムの穴を合せて押し込み、こちら側からナットで締められていた。何が何だか解らないが、取りあえず、このスピーカーをはずして見てやれ。ナットを廻すボックスなど持っていないから、ペンチを持ってきて、四つのナットをゆるめ、スピーカーをそっと、手前へ引いて取りはずした。
 スピーカーとはこんなものか……。僕は、それをまじまじとあらゆる角度から眺めていた。フレイムには小型のトランスが取り付けられ、そこから、二本のワイヤーが、円錐型の紙のコーンの根元に連なっている。あとの二本は、アンプからきているのである。その他に、さらに別のワイヤーも……。とにかく、何が何だか皆目解らない。しかし、よく見ているうちに、アンプの出力側に連なるアウトプット・トランスの一次側と、二次側からボイスコイルに連なってコーンを動かすらしいというようなことが、おぼろげには理解できた。
 その他のワイヤーとは、いうまでもなく、スピーカー・マグネットがコイルを巻いた励磁型であり、そこへ電流を流すためのものであったが、この時は遂に解らずじまいであった。恐る恐るコーンに触れてみる。前後に僅かに動く。ハハーン、これで振動を作り出すのだな。
 この頃、僕は、模型の電気機関車をやり始めていたから、この程度の推察能力はあったわけだ。急いでラジオ雑誌をもってきて、何か参考になる記事はないものかとページを探す。あった、あった。スピーカーの原理そのものを記述したものではなかったが、それに関してもちょっぴり触れた記事を見つけたのである。どうやら、スピーカーの動作原理は、電気モーターの動作原理に似ているぞ、という気がした程度の理解ではあるが。
 しかし、外側からいくらスピーカーを眺めていても、肝心の音の原因など解るはずもない。別の興味で一時を過したが、やがて、思い諦めた僕はスピーカーを元の位置に戻すことにした。
 向うからこちらへ向って四本のボルトが突き出しているのだから、四つの穴を慎重に合せて差し込まなければならない。それが、大変狭くて奥まった場所のため、決して容易ではないのである。どうやら、製造工程では、まずスピーカーを取り付けて、後でアンプを固定するらしく、一度はずしてしまったスピーカーは、うしろからは真直ぐ入らないのである。だから四本のボルトとフレイムの六合わせの見当を手前からつけるわけにはいかないのだ。アウトプット・トランスがアンプの一部にぶっかるのである。真直ぐ入れて、そこで角度をつけて、ひねるようにして左へずらし、そこで穴合せをしてボルトに差し込むという作業を要するのであるが、これが、手前からでは、目で見えない仕事になるのである。卓上電蓄だから小さいのである。スピーカーを入れると、向う側はすべてスピーカーの陰になって見えないのだ。自分の頭も一緒にもぐり込ませたくなるのだが、そうすると、余計いけない。かといって、頭を引いてやると、手の長さが足りなかったり、穴合せの勘が狂ったりという有様なのだ。
 行きはよいよい帰りはこわい。はずす時には夢中ではずしたが、後が悪かった。だんだん疲れてくるし、汗は出てくるし、気はあせってくるし、という体たらく。後悔先に立たずとはこのことだ。腕はしびれるし、本当に泣きたくなってしまった。
 そのうちに、遂に、コーンのエッジ部をボルトで引っかいてしまった。さあーっと頭から血の引く思いと、血が逆流して頭に上る思いを、ほとんど同時に味わって、スピーカーを箱から引っ張り出したまま呆然自失。「やっちゃったあ」と独り言をいいながら、エッジの傷を両側から指で押えてみても始まらない。心が千々に乱れるとは、この時の僕の実感である。
 定位置から引っ張り出された電蓄。後ろから取り出されたスピーカー。この二つの光景でさえ、僕のもっとも嫌なもの。納まるべきところにちゃんと納まっていなければ、僕の気持は絶対に落ちつかない。しかも、スピーカーを傷つけ、元へは戻らず、前よりはるかに悪いことになってしまった。錯乱した頭の中には、やたらに、あの髭の生えたホルンの響きが交錯する。大事な大事なものを自ら滅茶苦茶にしてしまった。絨毯の上に頭を抱えて寝そべったまま、僕は自分を冷静にすることに努めた。
 気をとり直した僕が決めたことは、順序に従って、アンプをまず箱から取り出し、スピーカーをつけてから元に戻すことだった。つまみをとり、底ねじを外し、プレーヤー部からのワイヤー・コネクターも抜いて、アンプを出す仕事にかかった。しかし実際には、外へ取り出すまでもなく、箱の中で自由になったアンプを横へずらすだけで、スピーカーを楽に取り付けられたのである。こんなことなら初めからこうすればよかった。
 人から見れば、こんなつまらないことと思われるかもしれないが、この体験が後々、どれだけ僕にプラスになったかわからない。ものに限らず、まず、その状態のメカニズムを冷静に観察し、ルールを見出し、忍耐強く、一本一本の糸のからみをほぐしていく筋立ての重要さとでもいったものを、この時、僕は学んだような気がした。
 ところで、エッジの傷ついたスピーカーは元の位置に取り付けられた。これで音がもっとひどくなっていることは間違いない。しかし、この程度の傷が果して、音にどんな影響が出るものかはわからない。とにかく、鳴らしてみよう。その上でまた対策を考えることにしよう。と心に決めて、再び、例によってワルターの《田園》の第一楽章をかけてみた。
 なんと! 何事も起らない! つまり、きわめて正常な響きなのである。管の三連音の髭はきれいにとれている。透明で、汚れがないのである。しかも、傷による悪影響も、この時の僕の耳には全く感じられなかった。ほっと安堵の胸を撫でおろすと同時に、一人でにやにやするほど嬉しくなってしまった。
「いいよ、全然いいよ。なんともないよ」と僕は一人で声に出して喜んだものだ。しかし、まだわからない。この現象は、翌日になるとまた起きるのだから? その日はずっと完壁であった。僕は念じるような気持でスイッチを切り、くたくたに疲れながらも晴れ晴れとした気持で眠りについたのだった。
 さて、翌日である。僕はいつもより早く起きて、学校へ行く前に、音を聴こうとしたのはいうまでもない。顔を洗って歯をみがくのもそこそこに、電蓄の所へとんでいき、スイッチを入れた。どきどきしながら、祈るような気持で、電蓄の上蓋を開く。いつもより慎重に竹針をカッターで切り、慎重にピックアップに差し込み、僕だけが知っている、と自分で信じている最適の強さにねじを締める。麦の穂の箔押しされたワルターの《田園》のアルバムを開き、レコードを取り出す。慎重にターンテーブルの上に置く。ピックアップを持ち上げてレコードのリードインへ持っていく。スイッチが入ってターンテーブルが回転を始める。針をおろす。ボリュウムを上げる。第一楽章。アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ヴィオラとチェロの先行で、アウフタクトで始めるヴァイオリンの第一主題が流れ出る。
 快調だ! やがてホルンも加わってのフォルテ、クレッシェンド〜ディミュニエンド。きれいだ。そして問題の、恐怖の五十三小節目が近づく。きたきた。鳴った! やった! 髭がない。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、そしてホルンの響きは透明だった。三連音のpも見事に無事通過した。直ってしまったのである。何故だか知らないが、一晩経ったら必ず起った現象がなくなったのだ。僕はにこにこ顔で、ホップ・ステップのルンルン気分で登校することができた。
 それにしても何故だろう? エッジを傷つけて前より悪くしてしまったはずなのに。しつこい僕は当然、その後も原因を追求した。そして、遂に数日後、それをつきとめたのである。
 原因は、スピーカーの四本のナットの締めつけであった。多分、長年の間の木の狂いで、フレイムに無理がかかったのだろう。プレス・フレイムが若干歪み、ボイスコイルが軽くギャップ中でヨークかポールピースに触れたらしい。ごく軽度であったらしいので、音を出しているうちに振動でずれがなおりよくなるが、一晩経つと、また元の状態に戻るという現象だったらしい。スピーカーを脱着した時に、偶然、締めつけが平均してうまくいってボイスコイルのセンターが定まった。事実、その後、音を出しながら、四つのナットの締めつけを変えてみると、ちゃんと髭が発生したのである。
 それにしても、偶然、均等に締めつけたのは、まさに僥倖といわねばなるまい。もし、不均等に締めてしまって音が歪んだら、その後の僕はどれだけ苦しんだかわからない。前より悪くなれば当然エッジの傷のせいだと思い込んだろうし、ナットの締めつけのバランスには気がつかなかったに違いない。この偶然の締めつけのバランスは、僕の努力に対する神様の御褒美としか思えない。
 原因の発見は、僕が自分のしたことをたどって、一つ一つの要素を思い起し、それと外側から見たスピーカーと、雑誌の記事から学んだスピーカーの構造とを結びつけて、勘で見つけ出したまでのことである。大したことではない。しかし僕にとっては大きな喜びであった。僕はますます、この電蓄が可愛くなった。音と音源と機械は、こうして、がっちりとこの頃の僕の中で結びついてしまったのである。