しつこい僕に、ついに父が折れた。
「お前にはまいった。凄いよ。その情熱は並大抵のものじゃない。しかしな、なんでも自分の思い通りにいくと思ったらとんでもないぞ。こうしたいと思ったら、そのための努力をしろ。ただ、ねだるだけじゃ努力じゃない。前にもいったように、お前は学生だ。学校の勉強が第一だ。ピアノを弾くのは決して悪いことじゃない。しかし、それ以上に大切なのは勉強だ。ピアノも勉強にはちがいないが、お前にとっては遊びといってよいだろう。好きなことだけやっていては駄目だ。将来、立派な大人になるための最低限の勉強を学校で学ぶことだ。しかも中学生だぞお前は、まだ。これから高等学校、大学とあるんだぞ。今、頑張っておかないと、先へ行ってどうにもならなくなるものなんだ。いいな!」
「はい。わかっています。学校の勉強だってやってます。成績だってそんなに悪くないし」
「一番じゃないだろ」
「それは無理だよ」
「何が無理だ」
「……」
「中の上ぐらいで安心していられるか」
「上の下だよ」
「同じようなもんだ」
「クラスで三番以内になれ!」
「そんな」
「小学校の時は一番だったじゃないか」
「中学じゃ、そうはいかないですよ」
「どこが違うんだ。同じだ。とにかく、男と男の約束をしようじゃないか。十万円は本当に大金だ。パパとしてもこれは大頑張りだぞ。だから、お前も頑張って、三学期までには三番、少なくとも五番以内に入れ」
「本当? 本当? 買ってくれるんですね。ありがとうございます。ありがとうございます」
 僕は嬉しくて嬉しくて、手をついて、ぺこぺこ頭を下げた。感激であった。毎日のように請願を続けて一月目ぐらいのことであった。スウェイツというピアノはまだ売れていない。少なくとも、売れたという連絡はなかった。まだ、あの新橋の工場にあるはずだ。ああ、毎晩のように夢にまで見たピアノ。整然と並んだ白鍵と黒鍵。黒光りのするキャビネット。ハンマーやダンパーのアクションの精巧で繊密な作り。そして、何より、あの輝かしい音色。一つ一つが、まるで宝石のように美しく魅力的なピアノの音。一音一音が、個性をもっていて、しかも、端正に調和する素晴らしい楽器だ。ゴージャスな音だ。美しい音ほど、ぜいたくなものはない。宝石のように、なんていうが、宝石なんて問題じゃない。美しい音以上に美しいものなんて考えられない。その頃、僕はそう信じていた。いや、今だって、僕はそう思う。いい音を聴く喜びは、僕にとって、何にも勝る幸せである。
 音にしびれる快感は、小学生の時に体験したことは前に書いた。それが、ピアノの銅巻線であった。それは明らかに、性的快感に共通した、肉体の深い内奥から湧き上がり頭を刺激する質のものだった。そんなエネルギーが根底にあって、しかも、ピアノは、ピアノ独特の美しい装いを凝らしている。すべての楽器は、みな、それぞれ、独自の美しい装いを凝らした美音達であるが、僕にはピアノが最も美しい音に感じられていた。ピアノに恋い焦がれ、半病人のようになっていたようだ。
 この頃はレコードも、ピアノばかり聴くようになっていた。今、おぼえているのは、フリードマンのショパンの《マズルカ》や、コルトーの同じショパンの《ワルツ》、《バラード》、特にその第一番に熱狂的であった。また、ロべール・カサドシュスのショパンの《バラード第二番》も好きだった。この頃、まだカサドシュスは、あまりレコードがなく、知名度も低かったが、たまたま、このレコードを古道具屋で見つけて買ってきて以来の愛聴盤であった。エゴン・ペトリの弾いたリストの《ラ・カンパネラ》の技巧に驚かされたのもこの頃だった。そして、イヴ・ナットを知ったのも同じ頃だ。シューマンの《ファンタジーステュック》が素晴らしかった。竹針の切屑を周囲にまき散らしながら、例の手直しで蘇生した日本ビクターのピックアップで、大切に、ていねいに、これらのレコードを愛聴していたのを思い出す。いつの日にか、せめて、ショパンの《ワルツ嬰ハ短調》ぐらいは、思うように弾けるようになりたいものだと、ピアノへの思慕をつのらせていたのである。とつとつと、譜面を鍵盤に移しながら、動かない指にじれったい思いを感じながら自分のピアノを弾いている夢をどれだけ見たことか。
「よし。頑張れよ。そのピアノ、間違いのない品物だろうな」と父がいった。
「うん。買うことになったら、もう一度、ピアノの専門家に見てもらうことになっているんだ」
「根本先生か?」と父はいった。やはり、僕が根本先生にピアノを習っていることは母からつつぬけだったらしい。まあ、よろしい、夫婦はそうあらねばならぬ、などとは当時の僕が考えるはずもないし、今にして思えば、父に内緒で母に頼むという甘ったれが、通用していると思っていた。浅はかな僕であった。
 いよいよ宿願のピアノが持てる喜びで、僕は興奮し切っていた。早速、根本先生に、かくかくしかじかで、新橋のピアノ工場にある楽器の品定めをお願いしたいと話しに行った。
「あら、それはおめでとう。そうなの、お父様、よく承知してくださったわね。沖彦さんの強引さに降参したわけか」と先生にひやかされた。僕は、とにかく、その楽器を早く見てほしいと頼みながら、あれしかないという思いにとりつかれ、もし、楽器がよくないといわれたらどうしようという不安に苛まれ始めていた。ここが、僕の愚かなところであって、衝動的な性格が慎重さを上廻ってしまって、それが駄目なら他にもあるさ、という心の余裕が持てない悪い癖があった。さすがに大人になってからは(それも三十代以降だが)この自分の性格を意識して冷静に物選びをするようになったと思うが(それでも、人から見ると決めるのが速いそうだ)、こんな性格だから、すぐセールスマンの口車にのせられる危険性があった。
 よくよく考えると、要するに、欲しいという欲求が勝つのであって、これは、誰にでもあることのようにも思える。セールスマンにとってはこんな客の心理がつけ目であるらしく、この客は欲しがっているなと判断すると、たたみかけるように美辞麗句甘言を並べたてて、契約へもっていくのが手のようだ。このピアノが、この手にひっかかったとまではいえないが、結果的にはスウェイツは決してよいピアノではなかった。相当ながたがたピアノで、修理も、決して徹底的になされたものではなかったようだ。これは、後日、例によって、メカ好きの僕が、このピアノをいろいろ調べてみて判明したことである。
「私が見ても、楽器には素人だから弾きやすいかどうかぐらいしかわからないわよ」と根本先生は言われた。
「いいんです。口をきいてくれた人は確かな人だし、いい楽器だと思います。先生に見ていただくことで父も安心しますから、お願いします」
 確かな人などと、なんの根拠をもって言ったのかわからない。単に、友人が紹介してくれたピアノ業者というだけのことで確かな人だとしたら、世の中、みんな確かな人ではないか。馬鹿な話である。ピアノとしては安くても、十万円という当時の大金を、こんな安易な買い方をしていいわけはないと、今は思う。しかし、当時はただ早く欲しい一心だ。
 冬の晴れた日であった。僕は、新橋駅の烏森口で、根本先生と待ち合わせをした。ピアノを見にいく喜びの他に、実は、僕にとって、根本先生と出かけるということの喜びが大きかった。憧れの先生であり、女性である。この頃の僕にとって、根本先生はたしかに秘かに恋する女性となっていた。こんなに素晴らしい明晰な頭脳の持主はないと思っていたし、その豊かな教養と長身の美貌は、美しいピアノの音と重なって、僕にはまばゆいばかりであったのだ。若き外交官夫人としての立場も僕にとって遠く手の届かない存在であっただけに、憧憬は一層大きかった。その人と一緒に町を歩けるのである。あわよくば、一緒にお茶ぐらい飲めるかもしれないと、僕の心はときめいた。
 駅の階段を下りて、改札口を出る前に、僕は根本先生を見つけていた。真っ赤なウール地のハーフコートを着ておられたのを今でもはっきりおぼえている。小脇に抱えていたのは楽譜であろう。この頃、まだ先生は、毎週、横浜へピアノのレッスンに通っておられたので、その帰りに待ち合わせることになったものだ。
「すみません。お待たせして」
「いいえ、ちよっと前に来たばかりよ。それに、まだお約束の時間には五分前ですよ」
「お忙しいところを本当にありがとうございます」
「いいえ。どんなピアノかしら。楽しみね。じゃ、まいりましようか」
 そのピアノ工場は、駅から五分とかからないところにあったのがうらめしかった。できるだけ長く、一緒に歩きたいと願っていたからだ。でも、しかたがない。僕よりずっと背の高い美しい先生を強烈に意識しながら、僕は、自分の足が真直ぐ歩いていないように感じられてならなかった。一歩一歩、足の運びのテンポまで気になって、なんともいえない快さと窮屈さのごちゃまぜになった気持で歩いていた。
 工場には、例のピアノ業者H氏が待っていた。そしてもう一人、おとなしい、実直な感じの、H氏より若い人がいて、どうやらこの人がこの工場の主人であったようだ。H氏は如才なく、根本先生と、ピアノ界の話などをして、その場を取り持っていたようだ。二人の会話は、意味もなく僕には疎外感として響き、自分がまるで子供で、オミソのように感じられた。
「どうぞ、弾いてみてください。物は保証します。戦前、蒲田ピアノというところで作られた楽器ですがね。イギリスの楽器ですよ、もともと……」
「チャールス・スウェイツ」と根本先生がスウェイツのス、THを美しく発音されたのが、今でも耳にこびりついている。ショパンの嬰ハ短調の《ワルツ》の速いパッセージが弾かれた。メンデルスゾーンの《ロンドカプリチョ》のフォルテが続いた。オクターブで低音を弾き、
「低い音にボリュームがないわね」
「アップライトはこんなものですよ。ね?」隣の地味な感じの工場主は、もぐもぐと口を動かして、言葉にならない発声で、それでも同意しているらしい意志を表わした。
 僕は不安になってきた。駄目なのかな? 先生はなんと結論されるのだろう?
「沖彦さん、お弾きになってごらんなさいよ」と先生。
 僕、もじもじ……。
「ほら、お上手なのがあるじゃないの。《乙女の祈り》ね」僕は真赤になっていた。こんな場所でとても弾く気になれない。それでも勇を鼓して、男の子が《乙女の祈り》を弾くのは恥ずかしくて、《ウォータルーの戦い》の一部を弾いてみた。僕には何の判断力もない。ただ、もう、これが自分のピアノになるという気持で興奮しているだけであった。
「タッチはかなり重いというか。堅いほうね。でも、音はよくそろっているし、この辺の音、よく鳴るわね」
 ああ、よかった。どうやら、パスするムードである。
「きれいな音だと思いますよ」
 この一言で決定となった。納品の日時など打合せをして、僕達は帰路についた。
 帰り路、駅の近くの喫茶店へ先生が誘ってくださった。ああ、なんという幸せ!アップル・パイとレモン・ティの甘い香りを想い出す。