としたら見つかるかもしれないよ。まず、無理だとは思うけど」と教えてくれた。
「何という名前の店がいいのかな?」と僕。
「店の名前なんてないよ。みんな露店だよ。そうだなあ、須田町へ向かって左側の道路のほうにある店のほうがいいかもしれないなあ」
 いてもたってもいられない僕の性分だ。その足で家へとって返すと、母をつかまえて小金をもらい、走るようにして西荻窪の駅へ向かった。
「カンダー、カンダー、東京行。最後部は進駐軍専用車でーす」
 ホームのアナウンスを聞きながら、僕は階段を走り下りていた。ある、ある。道路脇にずらりと並んだ露店に、真空管、スイッチ、ボリュウム、コンデンサー、抵抗、見たこともなかった軍用の通信機器、線材、コイルやバリコン等が、ある店は比較的整然と、ある店は全く雑然と並べている。こんな中から、ただ無闇にピックアップのダンパーをさがせといったって無理だ。とりつくしまもない。
 それでも一軒一軒、僕は目を皿のようにして見て回った。店の前に立つと、だまって皿をつき出す店。この皿に、小部品を自分で取って買うらしい。そうされると、なす術のない僕は、ものおじして、そうっと次の店へ逃げる他ない。なんとか目で見つけて「これ下さい」と買う他はないのだが、それらしきものは見つからない。勇を鼓して、比較的やさしそうな小父さんに僕は聞いた。
「あのお、ビクターの卓上電蓄なんですが、そのピックアップのダンパーがこわれちゃったんで、あのお、部品ないでしょうか?」
 期待に反して、この小父さん、全く無言で首を横に.振るだけ。しょぼんと、こっちも無言で立ち去る以外にない。こりゃ、ますます聞きにくくなったぞ。しかし、もう一軒聞いてみよう。何軒も何軒も物色しながら、気を立て直し、それらしき店、親切そうな顔つきをさがして、
「あのお、ビクターの卓上電蓄なんですが」
 また駄目だった。ここは、ちゃんと知識をもっていなければ、何も知らない子供には歯が立たないところなんだということが痛いほど身に染みた。だんだん薄暗くなってくるし、少々心細くなってきたけれど、それでも僕はあきらめきれず、何度も何度も露店街を行ったり来たりした。それも、誰に見られているわけでもないのに、妙に虚勢を張って、すたすたと歩くテンポは速かった。ついに日が暮れて、あちこちの店からアセチレン燈のガスの匂いが漂い、中には店じまいを始める店も出始めた頃、僕も空腹をおぼえてきた。疲れた。
 ああ、あれさえ見つかればなあ、また、あのいい音が聴けるのになあ。なんだか悲しくなってきて、分解されたままで僕の帰りを待っている僕の愛器(本当は父のものだが、いつの間にやら、そんな具合になっていた)がかわいそうな気分になってきた。今すぐ電車に乗っても、家の夕食には間に合わない時間になってしまった。急いで帰ったほうがいい。しかし、せっかくここまで来たのだ。そうだ。もう一軒、今度はもっとしつこく聞いてみよう。もし、そこになくても、どういうところに行ったらありそうかを聞いてみるのもいい考えだ。うん、最後にもう一軒だけ、当ってみよう。
「すみません。ちょっと教えてほしいのですが。ビクターの卓上型電蓄のピックアップのダンパーが駄目になってしまったんですが、ビスコロイドっていうらしいんですが、ないでしょうか?」
 前より明確な態度と口調で質問することができた。「そうねえ、そのものはないけどね。型番わかる? わからないか。型番わかっても、その部品はどこへ行ってもないと思うよ。あのね、応急措置だけど、ええと」
 なにか、ゴソゴソと台の下をさがしながら、「こんなピックアップじゃないの?」とつかみ出したのが、なんとビクター製のピックアップだった。しかし、形は全く違い、それは後年名器と呼ばれたコブラ型のピックアップであった。そのときはそんなことは知らない。
「もっと小さくて、細いのです。でも同じビクターです」というと、その親切な小父さんは、ドライバーを出して頭の部分のカバーをはずし始めた。僕は嬉しくて、しかし、何か申し訳なくて、それでも凄く興奮して小父さんの指先を見守っていた。時折、モワァーとアセチレンガスの匂いが漂う中であった。カバーをはずしたピックアップの中味は似ていた。全体の形状寸法は異なっていたが、アマチュア廻りの構造はほとんど同じように見えた。
「これだね。ああ、これも大分へばってるなあ」
 と小父さん、いいながら、再びカバーを元へ戻し、ていねいにねじ止めしてから、
「明日、またおいでよ。何か適当なものをさがして持ってきておくから。君、遠いの? ああ、西荻窪ね。明日でなくてもいいよ。覚えておくから」といってくれたのである。
「ありがとうございます。僕、必ず明日来ます。本当にありがとうございました」
 やっぱり、最後にもう一人聞いてよかった。僕は勇んで神田駅へ。あちらこちらの店から、焼鳥の香り、煙、そして歌謡曲の響きがもれてくる。人の群に混じって歩きながら、こんな時間に一人で都心にいることに、なんとなくときめきを感じながら、しかも目的を半ば達した充実感に胸をふくらませていた。
 いい人だなあ。僕は、その露店の小父さんが、すっかり好きになっていた。他の人たちとあまりにも違う態度であった。決してにこにこと愛想がよい人ではないけれど、僕をまともに相手にしてくれた。あとの二人は何だ、あの態度。一人は無言で首を振るだけ。しかも斜め横を向いて。もう一人は、ただ一言「ないね」だった。しかし、それが普通だろう。こっちは子供、求めているのは、ちっぽけなゴムの切れはしみたいなものなのだ。客としたら問題にならない。そう思い始めると、ますます最後の一人は素敵に思えてくる。
 翌日、学校から帰ると、すぐに神田へ向かったことはいうまでもない。電車が遅く感じられたほど、僕の気持はせいていた。学校の授業も、心ここにあらずだったように思う。この二日間のことは、今でも克明に覚えているから不思議である。
 電車の中で、僕が一番心配だったのは、そのダンパー用の材料の値段であった。昨日は値段を聞いてこなかった。そんなに高いとは思えないけれど、高いこといわれたら買えない。母からもらったお金も、電車賃が倍になっているので、そうは残らない。いくら持っていたかは忘れたが、決して心強い金額ではなかった。
 その店に着いた。ちょうど客が一人、例の皿の上に、コンデンサーや抵抗を、あっちこちから集めていた。
 僕を見て、「ああ、昨日のね。いろいろさがしたんだけれど、いざとなると、なかなかなくってね。でも、これなら使えると思うんだ」といって出してくれたのは、厚さ3cm、縦横1cm、5cmぐらいのゴムであった。生ゴムに近いもので、すごくしなやかで弾力性に富んでいた。僕もダンパー代用材として頭に描いていたものに近いなと思った。焦茶色の生ゴムは、まるで宝物のように感じられたものだ。
「わああ、これいいと思います。どうもありがとうございました。おいくらでしょうか?」
「いらないよ。値段はないよ」
「でも、それじゃあ僕、困ります」
「いいったら。それより、成功祈ってるよ。うまくいくといいけどね。これで、音、いろいろ変ると思うよ」
「はあ……?」
「やわらかすぎても、硬すぎてもいけないんだよな。まあ、やってごらんよ」