機械吹込時代のニキシュの「運命」交響曲
 いま私たちが、レコードを通じて聴くことのできるベートーヴェンの交響曲の最も古い録音は、アルトゥール・ニキシュの指揮、ベルリン・フィルハーモニー交響楽団の演奏による第五「運命」だとされている。このレコードは一九一四年の二月に、HMV(ヒズ・マスターズ・ヴォイス)レーベルで発売されているが、録音は一九一三年十一月二十日で、七十八回転のSP四枚組であった。いま残っていれば大珍品レコードだろうが、幸いなことにアメリカ・エヴェレスト・レコードの手によってLPに復元されて、日本ではコロムビアのプレスで入手することができる。
 一九一三年といえば、エディソンが世界最初の円筒式録音再生機を完成(一八七七年)してからすでに三十五年を経過している。ドイツ人エミール・ベルリナーが円盤式に改良(一八八七年)してからでも四半世紀の年月が流れ、レコードと蓄音機は欧米では相当に普及していたし、日本でものちのコロムビアの前身である日畜(日本蓄音器製造株式会社)がレコードや蓄音機を製造していた。
 しかし、レコードの録音にも再生にも、まだ電気の技術はとり入れられていなかった。初期のレコードのほとんどが、そのレパートリィの大半を「歌」に頼っていたのも、当時の録音技術では、編成の大きな、或いは複雑な音色の楽器の音をレコードに収めることがほとんど不可能だったからだ。唱い手は、録音スタジオの壁から突き出した、長さ一メートルあまりのラッパ(ホーン)に向かって、唱うというよりもまさに声を吹込む。いまでも残っている「吹込」という用語は、このようないわゆるT機械吹込時代Uの名残りに外ならない。おそらくかなりの声量が要求されたにちがいないが、しかしマイクロホンや拡声器のない時代の歌手にとっては、たいした難事ではなかったのだろう。マイクを嘗めるような、などと形容される囁くような唱法は、明らかにマイクロホン時代に入ってから編み出された唱い方だ。
 こうして吹込まれた声は、壁を隔てて隣室に突き抜けたラッパの根元まで導かれる。その先端には、声を受けて振動する振動板がとりつけられ、その振動はさらに細い針先に伝えられて、回転しているワックス製の円盤の上に、外周から少しずつ内周に向かう一条の細い溝として刻みつけられる。演奏は録音盤の回転のスタートと共に開始され、レコード一面の決められた時間(せいぜい三〜四分)内に終了しなければならないし、もし途中でミスをすれば、録音盤を交換して最初からやり直し、ということになる。さあこれから本番、という瞬間には、どんな名演奏家でもよほど緊張したにちがいあるまい。
 レコード片面三〜四分という時間の制約、そして機械吹込というプリミティヴな録音方式とスクラッチ・ノイズ(針音)という避けがたい雑音のために、ピアニシモを録音することはほとんど不可能だ。唱い手がラッパの開口部に口をつけるようにしてようやく音が入るのだから、伴奏はそのままでは入らない。そこで壁面の別のところにもう一本のラッパを突き出させ、伴奏はそちらで吹込む。ふたつのラッパは根元でつながって、一本の針先まで導かれる。いわゆるミクシングである。
 はじめはピアノ伴奏だったのが、やがて小編成の(おそらく十名前後の)管弦楽の伴奏になるのが一九〇五年ごろ、そしてオペラの全曲レコードなども作られるようになってゆく。吹込用のラッパも三本、四本と増えてゆく。しかしそれでもオーケストラの楽器そのままではラッパの根元の振動板を十分に動かすことができない。管楽器は吹込用のラッパの近くで演奏すればどうやら録音できたが、難物は弦楽器であった。一九〇六年ごろ、つまり前期のようにオーケストラがようやく録音されるようになった当初は、吹込用としてドイツ人シュトロー Stroh が発明したいわゆにシュトロー・ヴァイオリンというのが使われた。それは、ふつうのヴァイオリンの木製の胴を取り除いて、駒の下側から弦の振動を拾って指板の斜め上に向かって開口する金属製のラッパをとりつけたという珍妙な楽器で、ラッパの開口はアルトサックスよりもやや小さい。この不思議な楽器をかまえた弦楽奏者たちは、まるで肩を寄せあうほどに密集して吹込用のラッパの前に一群を形成する。管楽器奏者たちは別の吹込用ラッパの前に同じく一団となる。場合によっては指揮者に背を向ける形になるので、譜面台に自動車のバックミラーのような鏡をとりつけるというこれまた奇妙なしかけがくふうされたという。吹込用のラッパから遠い楽器――たとえばチェロやコントラバス――は、楽器がラッパの位置と同じ高さになるような台の上に乗せられて演奏する。吹込のためのこういうオーケストラの特殊な配置を考案したのは、ドイツ人の指揮者ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラーだと言われている。しかしこのような苦心をしてもなお、レコードにオーケストラの音を吹込むためには、楽器の人数をごく少数に制限したりそのために原曲を吹込用に編曲して、たとえばほんらい弦楽器だけで演奏すべきパートに木管を重ねるなどのくふうが行われた。
 こうして何本かの吹込用のラッパで集められた音は、そのまま溝を刻むカッティング針のところに導かれるわけで、途中での音量の制限ができないから、オーケストラが不用意に強奏すれば、吹込まれた音が割れてしまうし、ピアニシモの音は入らない。つまり演奏の時点ですでに、実演の時よりもはるかにダイナミクスの表現の制約を受けることになる。
 少なくともこれが、一九一〇年前後のオーケストラ録音の一般的な姿であったが、これよりはるか以前の一八九一年に、ハンス・フォン・ビューローがカーネギー・ホールでオーケストラを指揮して、ベートーヴェンの第三交響曲「英雄」を実験的に吹込んだと記録に残っている。しかし実験にとどまって市販されるに至らなかったことは、おそらくこれが失敗に終ったのであろうことを裏づけている。
 アルトゥール・ニキシュの「運命」が、どういうオーケストラ編成で吹込まれたのかは明らかでない。クルト・リース(「レコードの文化史」音楽之友社刊)によれば、ヴァイオリン・パートには例のシュトロー・ヴァイオリンが使われたことになっているが、ほんとうのところはよくわからない。というのは、このクルト・リースの本の記述には、至るところにあやしい部分があって、たとえばニキシュの「運命」の場合でも、「太鼓が入ったなら、ほかの楽器の音が聞こえなくなったであろう」からそれは除かれた、とリースは書いているが、あとでもふれるようにこのレコードには、明らかにティムパニが入っていることが聴きとれるので、なおのことリースの記述の信憑性が疑わしくなるのである。
 ティムパニが聴きとれるくらいなら、聴いてみればヴァイオリンの件も明らかになるではないか、と言われるかもしれない。しかし、このレコード(日本コロムビア=エヴェレスト原盤のLP)をこんにちの最高の再生装置でくりかえして聴き返してみても、ここから聴こえてくるあまりに遠い時代の音からは、弦のパートが、ナチュラルなヴァイオリンなのかシュトロー式なのか、とうてい判別がつきにくい。
 このレコードの録音は前記のように一九一三年だが、一九一一年の撮影とされるイギリス・コロムビアのスタジオでのオーケストラの録音風景(ヘンリー・ウッド指揮、ニュー・クイーズホール管弦楽団)の写真には、シュトロー式でないふつうのヴァイオリンをかまえた奏者たちが写っている。これで演奏に支障をきたさないのかと思えるほどに、楽員たちがひしめきあうようにラッパの前に寄り集まっているところは、いかにも機械吹込時代を思わせるものの、少なくとも写真を信ずるかぎり、この時代のオーケストラ録音のすべてが、シュトロー・ヴァイオリンによったわけではないことがわかる。それにしても、いま残されているレコードの音を聴いてよくわからないことが、同じ時代の写真からは明瞭に読みとれるというのは何と皮肉な事実だろうか。
 ともかく、こうした背景を頭に置いた上で、改めてニキシュの「運命」を聴いてみる。最高の再生装置で……。しかしいまもヴァイオリンの音色が木製のそれか金管で拡大されたシュトロー式のそれかの区別がつきかねると書いたように、鳴ってくる「音」から、楽器固有の音色を聴きとることはほとんど不可能に近い。まず主旋律の線を大まかになぞってゆくのが精いっぱいと言っていいだろう。それでも、第一楽章の緊張を孕んだ畳み込むようなニキシュの表現を「感じ取る」ことはできなくもない。だが、この必ずしも遅くないテンポが、ニキシュの本来意図したものか、それともレコードの制限時間に収めるために多少の無理が強いられたのか、もはや確かめるすべはない。
 第二楽章はこの交響曲で最も穏やかで美しい部分だが、その美しさは楽器編成に負うところが多い。アンダンテ・コン・モートでヴィオラとチェロがユニゾンで主題を演奏し始め、次に弦楽のパートがすべて加わり、木管群がそれを受ける。だが、そういう楽曲の構造を知らずに聴く人に、このレコードから実際の曲の美しさを聴きとれというのはとうてい無理だ。押し固められ、常に固有の響きを持つラッパ臭い、そしてあまりにも遠い古い音色が、ただ表面の旋律を唱わせるだけだ。
 第三楽章の終りから第四楽章にかけて切れめなく演奏されるブリッジの部分は、この曲でも最も重要なパっセージだ。第三楽章の終り近くで鳴り出すティムパニはpppが指定されている。第四楽章への移行部で、弦の五部と共にそれがppになり、緊張を持続させながらファゴット、オーボエ、フルート、ホルンと木管が加わり、トランペットが入ると同時にクレッシェンドしながらアレグロのffにふくれ上ってゆく。ここでは、各楽器の微妙な音色の積み重なりとともに、pppからfffに至るダイナミクスが聴きとれなくては十全と言えないのだが、むろん一九一三年の録音には、それはあまりにも無理な注文であった。
 ニキシュが、このレコードではないがもう少し後の一九二〇年に録音したベルリオーズの「ローマの謝肉祭」について、岡俊雄氏が測定されたデーター(「レコードと音楽とオーディオと」ステレオサウンド社)によれば、周波数の範囲は約三〇〇ヘルツから八〇〇ヘルツがほぼ平坦で、それより一〇デシベル落ちたところで低音は約一二五ヘルツ、高音は二キロヘルツが限界になっている。同じ部分に引用されているG・スロットの作成したデーターによれば、一九二〇年ごろのレコードの一般的な物理特性は、周波数の範囲が約二二〇ヘルツから一・五キロヘルツまで、音の強弱の比がせいぜい一五デシベル、歪は約一〇パーセントとなっている。それより以前の録音がこの「運命」のレコードなのだから、音の悪いのをせめても仕方がないが、それにしても人間の永い歴史の中でみればほんのついこのあいだのような、今世紀初頭からみて、レコードの録音のいかに進歩の著しいかに改めておどろかされる。

 その後のレコード録音技術の大まかな流れ
 ニキシュの「運命」が市販された一九一四年は、第一次世界大戦の勃発した、まさに運命の年であった。そして皮肉にも、この大戦によって電気通信技術が発達し、大戦終了後の一九二五年には、それでの機械吹込に代ってマイクロホンとアンプリファイアーという電気の力による録音が可能になる。楽器の精妙な音色や強弱が、少しずつではあったがいっそう完全に近く録音できるようになって、一九三〇年代を通じて、電気録音は非常な発展をとげ、多くの名演奏家たちが優れた演奏を残す。が、レコードにはまだ、演奏時間という制約がある。レコードは相変わらず七十八回転のSPだし、スクラッチ・ノイズ(針音)の大きい点も未解決のままだ。しかもステレオはまだ実用化されていない。歌曲や、楽器による小品は、いちおうそれらしい音で聴くこともできたが、オーケストラの音はまだまだ不自然だ。
 やがてもうひとつの大きな戦争、第二次世界大戦が始まって、世界中がレコードどころではなくなるが、第一次大戦が電気吹込をもたらしたように、第二次大戦はこんどはレコードの材料にプラスチック(塩化ビニール)という新しい素材をもたらした。この高分子化学の産物は、SP時代のシェラックにくらべてはるかに粒子が細かいために、スクラッチ・ノイズが無く、溝を細くして回転数を三十三1/3(毎分)に落とすことによって切れ目のない演奏が可能になった。そしていっそう改良された録音システムによって、LPレコードは真の高忠実度録音再生に大きな手がかりを与えた。一九五〇年代に入ってからの録音の中には、ステレオではないがいま聴き直してみても驚異的に優れた音質のレコードがある。
 だが、ほんとうの意味でオーケストラの音が自然に聴こえるような録音・再生をするためには、どうしてもモノフォニックでなく、ステレオであることが必要だった。ステレオという方式そのものは一九二〇年代以前からも研究され、一九三〇年代に入ってまもなく、イギリスEMIの技術者、E・D・ブルームラインによってステレオ・レコードの実験が完成していたのだが、ステレオのLPがほんとうに実用化されて市販されたのは一九五八年以来のことなのだから、結局、世界中の音楽愛好家が、想像力を大きく働かさなくともオーケストラを自然な感じでレコードから聴きとれるようになってから、まだようやく二十年しか経っていないのである。しかも、ステレオ方式で録音が行われるようになってからの最初の数年間は、むしろごく素朴に音をとっていたからまだよかったのだが、いわゆるマルチマイクロホン・テクニックが多用され始めてからの一九六〇年代後半の一時的な過渡期にはいま聴き直してみると相当におかしな録音のレコードも少なからず作られた。
 新しい録音・再生のシステムや新しい録音技術を、ほんとうに消化できるようになったのは、実はついこの数年間のことだと言ってもよさそうだ。そうした事情を、今回のカラヤンの再録音のベートーヴェン全集は如実に聴きとらせてくれる。

 レコードの「音の良さ」「録音の良さ」とは
 いったい、レコードの録音が良いというのはどういうことだろうか。第一に、演奏者の鳴らす楽器の精妙きわまりない音が、そのままの音色で、そのままのバランスで自然に聴こえること。第二に、音の強弱(ダイナミクス)が自然であること。第三に、仮にそれがオーケストラ曲であれば、各パートが眼前に自然に広がって展開し、それぞれの楽器があるべき自然な位置から聴こえてくること。大まかに分ければ、まあこんなことになるのだろうか。
 ここで言うT自然なUという形容は、よく原音そのまま、というように短絡的に解釈されがちだ。しかし、レコードに録音され、再生される音楽は、生の演奏会でのそれと、少なくとも物理的な意味で次の二点に於て大きく異なる。第一は再生される場が、もとの演奏会場にくらべて(原則的に)はるかに小さいこと。たとえば日本家屋でいえば、六畳前後からせいぜい十数畳どまり。一方の演奏される場は、数十人のオーケストラを収容してまだ余りある大空間である。物理的な意味で「原音そのまま」が再生できる道理がない。
 第二に、現在の録音再生システムでは、ナマの演奏を聴くときと異なって視覚が一切断ち切られていること。ナマの演奏会場で、私たちは、特定の楽器またはパートの動きを目で追うことによって、大きな音に埋もれがちのごく微妙なパッセージも選択し、拡大して受けとめる。心理的にも生理的にも、人間の感覚には、視覚と聴覚の両方を併せ働かせることによるズームアップの効果がある。この点、視覚をともなわないレコードの録音・再生では、特定の楽器や特定のパートあるいは特定のパッセージを、ナマの演奏よりもわずかに、場合によっては相当に、クローズアップしたり強調したりしなくては聴こえないことがある。少なくともそうした方が、心理的にはいっそう自然に感じられる。
 カラヤンの今回のベートーヴェンの新録音は、確かに、これまでのどのレコードよりもいっそう、音がT自然Uになめらかに響く。が、いまも書いたように、レコードから再生された音楽がどれほどT自然にU感じられたとしても、それは決して物理的に原音そのままではなく、あくまでも、心理的にそう感じさせるように、細心の注意をもって作り上げられた音、なのだ。現在の優れた録音エンジニアは、レコードの録音から再生までのプロセスを知り尽くした上で、機械を選びマイクロホンを慎重にセッティングし、どのパートを、どの楽器を、楽曲のどこでどう強調すれば音がT自然に聴こえるUかを計算しながらレコードを作る。こうしたレコード制作のメカニズムについて、こんにちの演奏家たちも無関心ではいられないが、中でもカラヤンは、むしろ例外的といえるほど最高の録音技術の限界を知り尽くして、自らオーケストラを統率しているように思われる。
 こんにちのレコードが、このような緻密な計算にもとづいて録音をさまざまに加工しながら制作されるという、そのことをもって、だからレコードなんてニセモノだ、式の、あるいは、だからナマ演奏以外は信じるに足らない、式の論法が現われる。ことに、そうしたレコード制作のメカニズムに通暁しているカラヤンに対しては、カラヤン嫌いの人たちのさらに絶好の攻撃材料になる。
 だが、すでにニキシュが「運命」を録音したときから、前述したように音楽を一枚の円盤に定着させるためには、ナマとは別の演奏法が行われていた。先にもふれた第三楽章から第四楽章へのブリッジで、弦の五部とティムパニがピアニシモで音を持続させる、あの部分で、ニキシュの一九一三年の録音は、まるで遠いほら穴から響いてくるような、およそ自然でない古めかしい音の中からティムパニの「タ、タ、タ、タン……」と刻むリズムがかなり明瞭に聴きとれる。当時の録音技術の水準を考えてみれば、このティムパニはおそらく、楽譜に指定された強さよりもかなり大きな音で、しかし弦の持続音をかき消さないようなきわめて微妙な強さが、何度かのテストと失敗ののちに選ばれたにちがいない。
 こうしたくふうは、おそらく全曲を通じて至るところで行われたと思えるが、しかし、どうくふうしてみたところで、当時の周波数特性範囲や強弱の制限や音の歪などの物理的制約から、たとえば、弦の五部に次第に木管が同じ音形を重ねてゆく、というようなパッセージでは、それら楽器の音色の積み重なりや響きの溶け合いなどの微妙なうねりを、とらえることも再生することも不可能だったことは、ニキシュのレコードを聴き直してみるまでもない。が、おそらく吹込を担当した技術者もニキシュ自身も、そういう限界は知っていて、同じ音形で違う楽器が重なってゆくという微妙な色あいの表現は思い切りよくあきらめた。しかし反面、第三楽章から第四楽章への橋渡しをするティムパニがもし全く聴こえなくては、楽曲の構造に決定的なダメージを与えることも、むろんのこと十分承知していた筈だ。結局のところ、ニキシュがこのレコードを作ることに同意したときから、指揮者も演奏家も、ベートーヴェンの交響曲を、そしてそれを演奏する自分たちの作り上げてゆく音楽を、録音・再生のメカニズムの制約の中で表現するために、最善の努力を試みるほかなかった筈だ。そうして作り上げたにもかかわらず、このレコードは、発売当初でさえ必ずしも全面的に良い評価ばかりではなかったといわれる。
 カラヤンは、ニキシュのように音のダイナミクスやエクスプレッションに制約を受けずに、思うがままの演奏を展開できる時代に生きているという点で確かに恵まれている。とくに今回のベートーヴェンの交響曲では、これまでの他のどんな録音の同曲よりも、音の強弱の幅を自在に使い分けている。

 カラヤンの新録音を中心に……
 言うまでもなく、DGG(ドイツ・グラモフォン)でのカラヤンのベートーヴェン交響曲全集は今回が二回目だ。同じレコード会社から、同じオーケストラを使って、約十五年の歳月を隔てて再録音をさせてもらえること自体が、演奏家として冥利に尽きるだろう。それができるのは、外ならぬカラヤンの人気のゆえんであり、レコード会社にとってみれば、交響曲全集というT金のかかるU企画を立てても十分に採算の取れる演奏家であるからだ。だが、そうしたカラヤンのいわゆる大衆受けするスター性と、この全集の出来栄えとはおのずから別だ。カラヤンのこの十五年間の音楽表現上の変化と、それをとらえるレコードの録音と再生の技術的レベルの向上とが、六二年録音の同レコードとは明らかに違った、そしてどちらもそれぞれに見事なでき栄えを聴かせる。
 まず全曲を通して言えることは、旧録音にくらべて今回の方が、前述したような意味で音がいっそうT自然Uに響く。旧録音には、当時のDGGに共通した硬質の音が一貫して、おそらくもっと柔らかく、ふくよかに響くであろう音でさえ、いくらか硬目に表現されている。そのことはしかし、カラヤンの音楽の表現と切り離して考えることはできない。
 たとえば、前述の「運命」の第三楽章から第四楽章へのブリッジのような、ピアニシモからフォルティシモへのクレッシェンドの部分を聴きくらべてみるとわかる。少なくとも、音楽的な意味でなく音響的な意味で――ということは、ピアニシモからフォルティシモまでのダイナミック・レインジ(強弱の比)、ピアニシモでの音のどこまでも微弱に、それだけにいっそう、雑音や歪の悪影響を受けずにあくまでも繊細に透明に、そしてフォルティシモにかけての音量がどれほど自然に増大してゆくか。フォルティシモであらゆる楽器が一斉に咆哮しているときでさえ、各楽章あるいは各パートの音色のつみ重なりやうねりや溶けあいが、濁ったり汚れたり割れたりせずに十全に聴き分けられるか。等といった意味あいで――。ピアニシモからフォルティシモへ、クレッシェンドする部分を探してゆくと、ほかにも、たとえば第四番の第一楽章の序奏から主題のところまで、とか、第六番の第四楽章での雷鳴と嵐に至る部分……などがあげられる。
 第四番の第一楽章は、旧録音と新録音とで最も違いの大きな部分のひとつだ。アダージョの導入部。変ロのピッチカートで始まる弦のユニゾンは、さりげなく、しかしきわめて注意深く鳴り始める。この響きは、十五年という時間を考えると旧録音も悪くはないが、新録音の方が、バックグラウンド・ノイズが減っていていっそうミステリアスに響く。音は次第にふくらんで、やがて四小節のダイビングボードを飛びこえるようにしてアレグロ・ヴィヴァーチェの主部に盛り上る。このフォルティシモへかけての音量の増大は、旧録音ではいささか唐突だが、新録音ではいかにも自然に、しかもいささかのためらいもなくクレッシェンドする。「ためらいもなく」と書いたのは、カラヤン以外の少し前の録音、たとえばワルターがコロムビア交響楽団を指揮したレコード(この演奏はとても優れていると思うが)と比較すると、おそらくそれが半分はワルターの求めたクレッシェンドであるだろう反面、当時(一九五八年、つまりステレオのごく初期)の録音・再生の技術の制約から、カラヤンの旧録音(一九六二年)にくらべてさえも、フォルティシモがかなりおさえられ、聴感上のダイナミクスがはるかに控え目だからだ。
 このワルターにかぎらず、ここ数年来より以前のレコードでは、おもにダイナミック・レインジの面から、実際の演奏よりも音の強弱の表現に制約を受けていることがはっきり聴き分けられる。演奏者はおそらく、ピアニシモを実演よりもやや大きめに、そしてフォルティシモを逆におさえぎみに、演奏させられている。或いは演奏はそのままでも、録音のプロセスでリミッター(音量制限器)やコンプレッサー(音量の強弱を圧縮する)などによって、ダイナミクスをおさえられてしまう。
 その意味で、こんにち、ことにDGGノロクオンギジュツハ、世界の最高水準にあると言える。そういう技術を知った上で、カラヤンは、第四番の導入部をとても繊細な音で開始する。
 この音は、一九七一年に発表されたカラヤンのモーツァルト後期交響曲の練習風景のレコードを思い起こさせる。第三十九番の第一楽章のアダージョからアレグロに至る導入部で、カラヤンはしばしば、「いつ始まったかわからないように、そっと始めるように」という意味の指示を楽員たちにくりかえす。いつ始まったかわからないほど、できるだけそっと……。そういう演奏は、ニキシュの時代は例外としても、比較的最近まではレコードではきわめて難しい音の素材だった。カラヤンは、それが可能であることを十分に知りぬいて、楽員に音を要求している。しかもそうして始まった音たちが次第にふくらみ、成長して、爆発するようなクレッシェンドへと雪崩れ込む音の強弱の幅の広さ。それはこんちにのレコードでも、ごく限られた優秀な録音技術をもってしてもかなり困難な要求だが、 DGGのスタッフは、可能なかぎりの技術でカラヤンの要求にこたえている。実際にピークメーターで監視するかぎり、新録音の方が旧録音よりも少なくとも三ないし四デシベルまたはそれ以上、強音を延ばしているのだが、そのことがかえって、演奏者に音楽上の表現を自由にさせたのか、前述のように旧録音はむしろ精一杯、まるで癇癪持ちのようにフォルティシモが突然爆発するが、新録音はフォルテに至る音の増大がとても自然になっている。
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 全曲を通して、以上の例に代表されるように表現が旧録音よりも柔軟性を増している。それは、カラヤン自身の音楽表現上の変化とも言えるし、また、レコードを前提としたときに技術上の制約が減ってカラヤンがいっそう自在にふるまうことのできた結果だとも言えるだろう。
 この点で音楽上の問題とオーディオの技術とを切り離して論じることは不可能だ。少なくとも第一から第八までの交響曲に関しては、カラヤンは、このレコードがごく新しい高度な再生装置で、しかも実演に近い音量濫で再生されることを期待しているように思われる。
 だが、第九の第四楽章になると、私には多少の疑問が残る。八番までのすべての曲の、フォルティシモに対する弱音の、あるいは特定の旋律を浮き上らせる各楽器の、強弱のバランスのとりかたは、何度もくりかえすように十分に幅広いダイナミック・レインジに支えられていかにも自然だが、第九の第四楽章での四人の独唱者の声は、オーケストラおよび合唱のパートの音量とくらべてまだ少し大きすぎると、私には思える。むろんこの部分は、カラヤン以前のどの「第九」でも、実演のバランスにくらべるとソロイストの声をかなり大きめに録音している。協奏曲のレコードでも、概して独奏楽器を実演よりもクローズアップするのは、これまでのレコードのごく常套的な作り方だ。しかし今回のカラヤンの全集の、第八までに聴かせた自然な音量バランスから、私はこの第九に少し大きな期待をかけすぎたのかもしれない。この全集の録音技術をもってすれば、独唱の声をもう少しおさえても、それがオーケストラのフォルティシモの中に混濁して埋もれてしまうことはなかった筈だ。カラヤンが、あるいはDGGのスタッフが、そんなことを知らない筈はない。ではなぜか。
 おそらくそれは、このレコードの聴かれるであろう音量レベルの問題と切り離して考えることはできない。第九のこの部分で、独唱の声の大きさを不自然に感じないためには、平均的な音量をいくらかおさえて再生する必要がある。第八までの各曲が、前述のように実演を聴くような音量近くまで上げて聴いても不自然さの少ないのにくらべて、この第九に限っては、それより少しおさえた音量で聴かなくては不自然なバランスに聴こえがちだという点だけが、私の感じたほんの少しの矛盾であった。
 けれどそれは、まだほんの一世紀しか経ていないレコードの録音技術の変遷の中で、ことにニキシュの一九一三年の、あるいはフルトヴェングラーの一九二六年の「運命」交響曲と比較してみたとき、何という贅沢な要求かとも思えてくる。その反面、この録音を、あと何十年かして聴き直したとき、私たちはどういう感想を述べるだろうか。当時の録音は、こんなに不自然で不完全だった、と思うのだろうか。