柳家小三治×瀬川冬樹

小三治 瀬川さんは以前には美術関係のことをおやりになってたとか……。
瀬川 いや、美術って……工業デザインといいまして物のカッコウ、機械のカッコウをつくるやつです。グラフィック・デザインというのはポスターみたいな平面のものでしょ。それに対してカメラとかマイクロフォンとか、立体の物のカッコウをつくるんです。それが、まあ本職で……いまも、まだやることはやってるんですが……。
小三治 いまや、どっちが本職かわかんないくらいでしょう。あたしも好きですから、とにかくオーディオに関する本はみんな買って読んでますけどネ、あれだけ原稿をこなして、いろいろ主張をしてというのは大変なことと同情しております。それでご自分の音楽なんか聴くヒマあるんですか。
瀬川 正直言って昔ほどはありません。

 機械は音を鳴らし終ればご用済み
小三治 大体、どういう範囲が得意な音楽なんですか?
瀬川 ぼくは、ものごころつく前から叔父たちの影響でクラシックが耳に沁み込んじゃってまして、もうクラシック一本できたわけです。若いころは若気の至りでもって、歌謡曲なんて音楽じゃねえと思ってたんですけど、なぜかこのごろは、歌謡曲が大好きになってきちゃって天ん手ずいぶんワクは広がりましたネエ……(笑い)。
小三治 昔っから外盤をお奨めになっていましたね。もう十五年かもっと前のこと、その議事を読んだころあたしは「そんなもの同じだよ」って思ってた。知人に、これが外盤でこれが日本盤だなんて聴かしてもらっても、そのウチの装置が良くなかったせいか大して違いがわからなかったし、音質がどうのというよりゴロが出るの、ハムを取らなくちゃ…という段階でしたから。
 最近では、オランダ盤のアン・バートンがいいとかって、どっかにお書きになってたでしょ。
瀬川 (笑いながら)よく読んでいますね。
小三治 読んでますよ、だから全部読んでるって言ったじゃないですか(笑い)。あれ偶然めっけられたんですって?
瀬川 ええ。ところが気に入っちゃって、アンプやスピーカーのテストにも使い始めたんで、これはスペアがないといかんと思いまして、いま注文して取り寄せようと……。
小三治 あたしはその注文して、というのが何か気に病むっていうか、人と違うことしてるって感じでなかなかできなかったんですが、ベラフォンテのカーネギー・ホールのリサイタル盤が好きで、外盤を捜して七、八年とうとうがまんしきれず、このあいだ注文したら、案外かんたんに取れるんですねネ。
瀬川 ぼくらSP時代から聴いてたもんだから、LPになってレコードが欲しくっても日本では、せいぜい「白鳥の湖」とか「第九」ぐらい。それでカタログ見て注文すると二,三カ月待つと来た。そうしないと聴けなかったから。でも、最近は無精になったのとせっかちになってきたんで、注文するのが面倒くさくて、もういいや、音楽聴くのが目的なんだから、音云々なんてことは二の次、まず日本盤を買ってみようって気に、逆になっているんですよ。
小三治 それで、SPのときから、もう機械にはこってたんですか?
瀬川 そのころはラジオを組み立ててましてね、鉱石ラジオとか……。
小三治 じゃ、ぼくもつくったころかナ、変なクモの巣みたいなやつにエナメル線をくるくる巻いてネ……。
瀬川 あれです、あれです。お金がないから真空管使ったラジオ、つくれないんです。鉱石ラジオをあとからあとから改良しまして、百台くらいつくったかな。それがやがて真空管になって、ある日、進駐軍放送からひょいとクラシックが聴こえてきて……それで何か眠ってたのが呼びさまされた感じで、以来レコードを買い始めた。けれどSPだから、音はメチャクチャ。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なんか、カデンツァの最高音部が針音に埋もれちゃって……。ワルターの「未完成」鳴らしゃ、導入部のあの弦の最低音が聴こえない。とにかく音譜にある音がちゃんと出ないという状態だから……それを聴きたくって、何とか出してみようとやってるうちに、いつの間にかオーディオに深入りしちゃったというのが、真相なんですよ。
小三治 それにくらべると、いまはこういうご時勢ですから、端っからオーディオ評論家になりたいなんていう若者もいるわけですが、ひとつそれにはどうしたら?
瀬川 うーん。ぼくの場合、アマチュアがいつの間にかこうなっちゃったのと、本業はデザインだみたいなことで、こんなもので食えちゃうのはどっか間違ってんじゃないか――という意識が抜け切れずどこかぼくの発言には逃げ道みたいのがあってね。それではいかんのじゃないかと最近、思い始めたんだけど……ただ、ぼくTオーディオ評論家Uって言葉、世の中総評論家時代みたいでイヤなんですよねえ……。ちょっとハウ・トゥー式にはお答えできませんが、とにかくやたら聴くということと、自分でアンプつくったりして聴いてると音がこう悪いのは、それはここんところがダメだからって中身がわかるから……。中身がわからないと本当はいかんのじゃないか、とぼくらの世代は思うわけです。といって、いいもの欲しければ買ったほうが早いご時勢に、真空管ラジオから組み立てろなんて言ったら時代錯誤だし、中身をわかるための今様の勉強の仕方って……真剣に考えたことはないし、わからないですね。
小三治 ぼくなんか、最初何も知らないときは、いい音はいい音、ひどいのはひどいって言ってたのが、だんだんアンプひとつにも大勢の人が骨折って、やっとこさえるのに、無下にひどいなんて言っちゃあ……と思ったりする。でも、それはよくないことなんだよね。
瀬川 ぼくもデザインという仕事で、物のでき上がるプロセスをみんな知ってるわけで、その結果をたった一言できめつけていいのかしら、と矛先が鈍りそうになったこともありました。けど、ちょっとおこがましい言い方かもしれませんが、ぼくらがオーディオ製品について評価する以上は、読者に僕らの言うことを信じてもらえなかったら、これは書く意味が何もないんですからね。
小三治 メーカーにとっても、そのほうがいい結果になるのではないですか。いうなれば評論家イコール消費者というよな目で見ているんだし、で、消費者も評論家の言葉はみんな本当だという感じで見てるでしょ。いろんな評があって、一人がいいといっても一人はぼろくそいう――と、それで「あ、そうか」って読むほうも安心するんです。
 ところで瀬川さんにとって、いい音ってどういう……?
瀬川 すごく、むずかしい質問ですね。
小三治 むずかしい、むずかしい。わかってて、わざと質問してんの。
瀬川 一言じゃムリだけど、思いつくまま言いますと、音っていったって音は素材にすぎなくて、要するに音楽でしょ。スピーカーから聴こえてくる音楽が……音楽にすうっと引きずり込まれる前に音が、この音どっか割れてんじゃないかとか甲高いんじゃ……と気になってるうちはいい音とはいえない。本当のいい音っていうのは、スピーカーだろうと生演奏だろうと、気がつくと音楽に感激させられたって状態にしてくれるものなんじゃないですか。
小三治 いい装置でいい音聴いてるってお宅へ伺うと、何でもないような鳴り方をしますネ。いうなれば自然な音がするっていうか。ところが誰しも最初は、ぶんぶん低音が出るものに、まずは驚くのよね(笑い)。でも、スピーカーをにらんで、あそこっから音が出てるゾと思って見てても、それを意識させない装置がやっぱりいいもんなんでしょうね。
 それにしてもあたしは、こんな聴くことばっかりしてて、これは男のやることじゃねえな……ってジレンマみたいな感じになるんです。つまり、人がつくったものを、人がつくった装置でサ……。
瀬川 そうでしょうか。機械は音を鳴らし終えればそれでご用済みであって、要するに聴きたいのは音楽なんですから。で、音楽を聴く行為ってのは何も受け身だけじゃなくて、こっちが聴こうとしなきゃ聞こえてこないんですよね。どんないい音楽だって聴こうとしなきゃ涙だって流さしてくんないし、それはクリエートしてることでしょう結局。機械にしてもそういうことを邪魔しないでくれるのがいい機械と言えるのであって、ぼくはむなしくはならないですね。
小三治 ぼくなんか、もうしょっちゅうむなしい。ただ、向こうから受け入れるだけじゃないかって……。

Tじゃじゃ馬馴らしUを楽しまなきゃ
瀬川 ということは、音楽を聴くこと自体がそうなりますか?
小三治 うーん、そうね、これは大きな問題だな。ぼくは若いのかナ、下手でも何でもいいから自分でそこに参加するっていうか、アクティヴに……。
瀬川 だけど、もう少し理屈っぽいことをいえば、自分が二年でも三年でも使いこなすに至る機械を真剣に選ぶという行為を突き詰めていくと、それは創造行為になるということでしょう。音楽だって、おたまじゃくしの数は決まっててそれを選んで組み合わせていくのがクリエートだし、文章家だって、やっぱり言葉を選んできて組み合わせて独自の文体ができるみたいにね……。
小三治 そりゃネ、昔の電蓄にくらべればコンポーネントの普及は、全然知らないものにとっちゃコードつなぐのさえむずかしいわけで……確かに働きかける部分がないとはいわないんだけど、オレ、性分なのかなァ。
瀬川 ぼくは、車に走る、止まるペダル以外にもう一個ある理由がつい数年前までわからなかった。ぼくはそいつを盾にとって、車は素人でいようと思うんです。つまり自分が機械において素人の部分をどっかで持ってないと、オーディオやるときにひとりよがりになりがちだと思うんですけどね。
 くりかえすようだけど、ぼくは機械というのは音聴いたらご用済みの道具だと思ってんですけどね、いま、機械偏重主義みたいなのがとってもオーディオを害している。たとえばオーディオの機械を手に入れたって、カメラ一台買ったと同じで、プロが使っているカメラだって買おうと思えばわれわれにも買えるけど、それじゃ同じ写真が撮れるかったらね、それは、その先の問題でしょ。同じことで、機械買ったら、どんなレコードを自分が選んでくるのか、それをどんなふうに聴きたいのか、音量ひとつとったって同じレコードが違ったふうに鳴りますからね。そこにオーディオのクリエーティブなおもしろさがあるんじゃないんでしょうか。
小三治 そスっとぼくなんか、本ばかり読みあさって育ってきた弊害人間なのかナ。だって本なんかじゃ、ある機械を選んで買ってしまえばサ、もういい音がするって感じが……。そうだ、ぼくは知らぬ間にやっぱり、やっぱり……。
瀬川 そこなんですよ。ぼくがT使いこなしUってことをうるさく言うのは。
小三治 だってオーディオ雑誌の質問欄、あれ全部それじゃない。音が良くないんだ、組み合わせはこうだっていうと、そいじゃアンプをこれに替えなさい、カートリッジをあれに。私はペンタックス持っています、いい写真が撮れません――じゃニコンに替えなさいっていうみてエなもんだ。
瀬川 その人がそれをどう使ってどんな音が出てるかっていうのがわからないとね、無責任に、こっちのパーツに替えなさい、なんてこと、言えない筈なんです。
小三治 ぼく信じてましたよ。いまだって信じてるけど、最初はそのとおりをね。いまではぼくにも、自分なりのノウハウみたいなものを持つようになったりしてますので、想像で人にきかれて答えを出すこともできますけど、だけどその人は現実にお金を払って買うんですからね。いや、あくまでヒントとして書いているって言うかもしれませんけど、読者というか、買うほうにとっては目がつりあがっちゃってますからね、必ずその組み合わせで買い替えてしまったりするんですよ。ぼくは、あれは全廃すべきだと思うんですね。

 いざ、出でめやも! ロック世代の評論家
瀬川 そうね、むずかしい問題だなあ。
 ぼくはショー・ルームで毎月一回、三時間ほど会をやっていますが、そこで自分の好きなJBLを使ってクラシックを聴く。だけど一般的にJBLはクラシックの弦なんかが鳴らないスピーカーだというのが定説ですね。ぼくも反面、そのとおりだと思ってるんですけどね。「それじゃぼくがJBLでどんな音を鳴らすか」を聴いてもらったんですよ。それが常連たちにも評判がよくってね、何遍もやるんですが、やるたびに同じ組み合わせの機械がこっちの身体のコンディションで、だめな日が出てくるんです。すると常連から「きょうは鳴らし方が悪かったよ」って。そのぐらいデリケートなものなんですよね。こっちがね、腰が入らないで気を緩めると確かに鳴ってないの、じゃじゃ馬みたいなんのですよ。しかし、本当に注意深くやって鳴らすと、相当音にうるさい人が「ああ、弦の音ちゃんと出るんですね」って納得してくれる。だから、ぼくはよけい、使いこなしということを重視したい。そこがあって、ぼくはオーディオの機械は道具だと言うんですよ。
小三治 だけど、ぼくはよく言うんだけど、馬のしっぽでヴァイオリンをこするとどうして金属の音がするんですか。ぼく、あれがいやですね。
瀬川 どんなに技術が進んで、歪を減らしたといっても……お茶だってちょっとカルキ臭い水で入れたらどうしようもないでしょう。カルキ臭なんてのは分析してみれば、多分アンプの歪率ぐらいのパーセンテージじゃないかと思うんですけどね。だからスピーカーだって、振動板が金物のやつはやっぱり金物の音が出ちゃうんですよ。だからって振動板を馬のしっぽでつくるわけにはいかないから(笑い)。
小三治 ソウですね。
瀬川 紙と金物で、どうやってらゆる音を出すか苦労している。だから、へ理屈でいったら、スピーカーってのは本物の音、出るわけない。錯覚をぼくらは楽しんでるのよ。だからぼくは、T錯覚Uを邪魔するような音は嫌い、チラッとでも嫌な音が出ると一瞬にして陶酔が覚めちゃう。何とかその錯覚による陶酔を持続させようというのが、ぼくの姿勢なのかなあ。
小三治 でも、おもしろいでしょう、オーディオ評論って。
瀬川 そう、おもしろいですよ。いまヤングの大半がフォークとかロックを中心に、新しい音楽の流れ聴いているわけでしょう。そういう音楽を中心にしたオーディオ評論家っていないんですよ。われわれがムリして、本当にわかってないのに、どうやらこなせそうなロックなんかを選んできて、これならみたいなことでやってんだけれども、やっぱりそれはニセモノだと思いますね。
小三治 そうか! 若い人のフィーリングにはもう、ぼくらなれませんから、ぜひともガンバッテほしいね。じゃ、若いオーディオ評論家の出現を期待して、と……。