いまどきメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」のカデンツァの最高音が出ないなんて、信じられないような話だと思うけれど、昭和二十二〜三年ころに古レコード屋で手に入れたビクターの赤盤といわれたSPのレコード(クライスラー盤)では、スクラッチ・ノイズが雨のようにザアザアいって、そのノイズの奥からかすかに――いや、かすかにさえも最高音が聴こえない。スコアにはちゃんとオタマジャクシが書いてあるのに、そいつが鳴らない、というのだから、いやんなっちゃう。そういう、いまなら高音とは言えないような高音を出すのに苦労していた。
低音の方はどうかといえば、これも似たりよったり。コロムビア青盤の、ワルター、ウィーン・フィルの「未完成」の冒頭のチェロと弦バスの低音が、ラーラーララー、ララララーラ……とくるそのあたりで、もう低音が聴こえなくなるというわびしさ。いまから考えてみりゃあ、スピーカーもおソマツならキャビネットもありあわせ。それに自作のアンプの特性だって相当にあやしいものだったが、とにかく、メロディとして少なくとも聴こえてくれなくては困る音が、まったく素朴に、聴こえてこないんだ。出てきた低音の質がどうのこうの、なんていうゼイタクな話以前なんだなァ。良い音だの悪い音だのっていうのは、とにかく音が出てきてからの話だっていうのに、音が出てこないんじゃどうしようもないよ。
それからはもうぜんと奮起した……とはいっても、小遣いの乏しい中学生の身分。良いスピーカーやトランスが買えるわけじゃない。そこで、パーツの改造や自作を始めた。
スピーカーはダイナミック・コーン型だったけれど、日本にまだ良質の磁石や磁気材料の無いころだから、マグネットのかわりにフィールド・エキサイト型と言って、粗悪な鉄のヨークにコイルが巻いてあって、それに電流を流して電磁石にする。磁力を強くしたければ電流を多く流せばいいんだが、鉄心の質が悪い上に銅線がケチって細いから、さわれないくらい熱を持ってくる。電流を流しすぎてフィールド・コイルが火事になって焼け切れたこともあった。
しかしもっと問題なのはコーン紙(振動板)とその周辺だ。振動板の周辺をエッジというが、いまのようなゴムや樹脂系の柔らかい材料でなく、振動板の紙をそのまま波型にプレスしてあるだけだから、支持が固くてコーンが動きにくい。fo(低音共振周波数)が二〇〇ヘルツ(Hz)なんてのがザラにあった時代だ。
こういうのに対して高級品は、フリーエッジといって、鹿皮のなめしたのをエッジに使ってあって、foが八〇ヘルツぐらいと(当時としては)非常に低い。またフリーエッジのスピーカーは、たいてい、コーン紙に白いケント紙の系統の、プレスでなく貼り合わせのを使っていた。いま売り出されたばかりのヤマハのNS―451のウーファーが、珍しく貼り合わせの白いコーンを使っていて、これを眺めていると二十何年か前のスピーカーをたくさん思い出してしまう。あの、カーブしていない白いコーンの周辺に、黄色い皮革のエッジがついていると、眺めただけで高級スピーカーという感じがするんだけれど、当時はとても手が出ない。いつか俺もフリーエッジのスピーカーを買いたいなァというのが夢だった。ハーク、フェランティ、なんていうのが代表的な製品のブランド名だった。
で、手持ちの安もののスピーカーをフリーエッジに改造しちまおう、ということになった。紙のエッジはもう要らないから、バリバリとカミソリを入れて切ってしまう。もう一箇所、コーンとボイスコイルのつけ根のところに、ダンパーというのがある。これはいままで、黄色い布を波紋状に型押ししたのが一般的だが、当時はベークライトを、蝶々が羽をひろげた型に切り抜いた「蝶ダンパー」というのが一般的だった。これは二〜三箇所でネジで止めてあるだけだから、簡単にはずれる。ヴォイスコイルの引出線のハンダづけをとると、コーン・アセンブリーはそのままフレームからはずれてくる。構造が簡単だから、こわすのも楽だった。だから改造にはいたって便利。フレームのエッジのところは接着剤で貼りつけてあったが、たいていセメダイン系を使っていたから、シンナーかアセトンで容易にはがれる。シンナーの匂いがとっても好きで、くんくんと嗅いだものだった。シンナー遊びをしていたんだねえ。
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さあて、いよいよスピーカーの大改造だ。まずベークライトのダンパーを、鉄の平ヤスリで少しずつ削って厚みを薄くする。コーンの支持を柔らかくして動きやすく、foを低くして、低音をよく出そうというしかけだ。あわてるといけない。布入りの薄いベークライトは、ちょっと変な力をかけると、バリッと割れてしまうからだ。
少しずつ、少しずつ、根気よく、厚みを薄くしてゆく。ヤスリのマサツ熱で、ベークライトが独特のこげ臭い匂いを発散してくる。粉が指にいっぱいついてくる。それを拭って、少しずつ、少しずつ……。
そうするとやがて、紙のように薄くなるんだなァ。指でそおっと曲げてみると、はじめの固さはどこへやら。うん、これなら低音がいかにもよくなりそうだと、ニヤニヤ口もとがほころびてくる。
こんどはエッジだ。薄いなめし皮革を、はて、どこで手に入れたのか忘れてしまったけれど、コーンとフレームの直径を測って、作図した型紙をあてて鋏でうまく切りとる。一枚でドーナツ状にはとれないし、工作の都合もあるから、円周を四等分から八等分ぐらいにして、小さな切れはしを作る。それをまず、コーンの周辺に、セメダインで貼りつける。のりしろをできるだけ少なく、接着剤を少なめに、そう……。そしてノリが乾くまでの待ち時間の長いこと。
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いよいよフレームに戻す作業だ。最初にダンパーのネジ止めだ。前と比べて極度に薄くなっているから、ナットで締める手つきもよほど緊張する。うまくやらないと、ナットの面でダンパーを引きずって捻ってしまうことがある――あ、割れちゃった!
せっかく時間をかけて薄くしたダンパーが、割れてしまってはおしまいだ。割れ目を、なんとかセメダインでくっつかないかと、惜しくてつないでみるが、ちょっと鳴らしただけでパリンとはじけちゃうのさ。
このころは、神田のラジオ街で、ダンパーの材料なんかも結構売っていた。しかしダンパーの交換となると容易じゃない。コーン紙とヴォイスコイルの接ぎ目をはずさなくちゃならない。すると元のように垂直に偏心させずに取りつけるのが容易なことではなくなってしまう……いじっているうちにヴォイスコイルを傷つけてしまって、ボビンから作って巻き直し……そんなことも何度かあった。何のことはない。フレームとコーン紙を残して、全部自作したのと同じことになっちゃった。もっとずっとあとの話になるが、やがてコーンも自作、ダンパーも糸を使ってさらに柔らかく――なんてことを始める。
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悪戦苦闘も、皮革のエッジをフレームに貼りつけて終了になる。この作業は簡単で、エッジをピンと張るでなく、たるませすぎるでもなく、適度のたるみを保たせてエッジを貼りつけていく。ときどきコーンを軽く押して、ヴォイスコイルが磁極に接触してないことをたしかめる。ヴォイスコイルの引出線をもとのターミナルにハンダづけして、あとは接着剤が完全に乾くのを――もう待ちきれずに、小さいな音量で鳴らしてみるのだ。うん! 低音がすごくよく出るよ。中音や高音までおとなしくなったみたいだ。成功! バンザイ!
これもあとになって考えてみると、フィールド・コイルにあんまり電流を流せなかったということは、磁石がそんなに強くなかったということで、それだから、かえって出にくい低音の共振の山が高くなって、聴感上はかえってうまくいったというフシもあるようだ。こうして、自作、改造熱が高くなる一方になった。