クラシックの名曲を、それと意識して聴いたのはベートーヴェンの「運命」が初めてだったけれど、音楽的な環境、という点では、当時の日本人の平均的な環境からみると、ぼくは恵まれていた方だった、と思う。
 話が少しさかのぼるが、父の実家が田舎にあったせいもあって、父方の家にはめったに行かなかったかわりに、東京の深川にあった母の実家には、物ごころつく以前から入りびたりに遊びに行っていた。母の弟達が大勢居て、みな音楽好きだったので、深川のその家の二階には『電蓄』があって、叔父たちの誰かが必ずレコードをかけていた。その、レコードが鳴っていたという記憶だけはあっても、カタコトがやっとしゃべれるころの子供には音楽の名前もわかるはずがない。しかし幼いころの記憶の中で、深川の家、というものを思い起こしてみると、祖父母と叔父・叔母たちと、犬と金魚とうぐいすと、それにレコードの音楽とが、同じ比重で浮かんでくる。こういうところから身体に沁み込んだ音楽というものに、不思議な作用があることを、あとになって思い知らされた。そのことはもう少し先で話そう。
 ここで話がもとに戻るが、『運命』で目を開かれて以来、ラジオ作りの目標が、短波の受信から一転して、良い音質のラジオを作ろう、という方向に転換したのである。とうせん、ラジオの放送だけでは満足できなくなり、好きな曲を好きな時に聴けるレコードに興味が向かい始める。
 レコード、と言っても、昭和二十三年ころの話だから、まだLPが無くて(LP=長時間レコードは、アメリカでは昭和二十三年に発売されているが、日本に入ってきたのはそれより二〜三年あとだった)、七十八回転のシェラック盤。落とせば割れるし、片面三分から五分足らずしか入っていない。シンフォニー一曲が少なくとも二〜三枚から、多いものでは五〜六枚。第一楽章の途中でレコードを裏返して聴くという、あのSPレコードばかり。それも、新譜はまだあまり発売されていないし盤質も悪かったので、セコハンのレコードを漁ることになる。ラジオのパーツを買いに神田通いをするうちに、須田町のかど近くにあったレコード屋が目について、もっぱらその店を中心に古レコード漁りをした。
 小遣いも少ないし、古レコードだから欲しいものが必ずあるとは限らないし、やっと見つけてもキズだらけで買う気を起こさせなかったり、いや、それよりも、クラシックの曲をまだそうたくさんは知っていなかったから、細かいことは全然忘れてしまったけれど、一カ月に二枚平均ぐらいのペースで買ったように思う。二枚と言ったってSPのこと。いまのLPの分量で換算すれば、一年で二〜三枚というところ。
 生まれて初めて自分の小遣いで買ったレコードは、セルゲイ・クーゼヴィツキー指揮のチャイコフスキーの第四交響曲。最初に感激したのがベートーヴェンの「運命」なのになぜそのレコードを買わなかったのか。しかも「運命」を実際に買ったのは、もっとはるかに後だったのだから、なおさら不思議だが、その辺の心理はもう思い出せない。
 ともかく、そんなきっかけでプレイヤーを組み立てて、レコードを鳴らすようになった。「レコード音楽」だの「音楽の友」なんていう本を買って音楽のことも少しずつ知るようになった。はじめのうちは、当時のクラシック入門者が誰でも通るコースで、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(クライスラー)だの、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジク(ワルター=当時はモーツァルトの「小夜曲」という方が通りがよかったが)や、「未完成」(ワルター)など買ってきては鳴らしてみる。
 すると、どういうわけか、そういう曲を初めて聴いたような気がしないんだなァ。いや、しょっちゅう聴いていたような、不思議に懐かしいような、妙な気分になるんだ。断っておくけれど、そのての曲をいまのようにラジオでいつも聴けるわけがない。
 けれどそのナゾはすぐにとけた。レコードを聴いていると、横から母が、あら、なつかしいわね、それ、ほら、むかし、深川で四郎オジチャンがいつもかけていたレコードじゃないの、おぼえてないの……?
 憶えているわけがない。けれど不思議なことに、そういう形で耳にしたというか身のまわりを囲んでいたというか、音楽の鳴っている環境に置かれて育つと、人毛、知らず知らずにメロディを憶えてしまうらしい。つまりぼくはそういう形で、親も意図しない早期教育を受けてしまったわけだ。このことばかりは、いまになってつくづく、めぐまれていたなァ、と実感する。
  *
 さて、電蓄を作った話をしよう。なにしろ、レコード・プレイヤー組み立てなくはならない。モーターとピックアップが必要だ。モーターはガバナー式といって、メカニカルに速度制御するタイプ。むろん七十八回転用である。赤鳥羽(神鋼電機)というブランドが良いと言われていたが、これは高価で買えなくて、名もない安ものを、神田・小川町のエコー商会という店で買った。このとき対応してくれたチョビひげのおじさんが、いま《テープレコーダー研究会》を主催している三文字誠さんだった。古い話だなァ。
 ピックアップも、メーカー名なんか忘れてしまったが、マグネチック型で、アームは深紅色のアルマイト仕上げ。あとになってニートがこの色で売ったが、ぼくの買ったのはそれてはない。鋼鉄針か竹針をネジ止めする、針圧が一〇〇グラムぐらいのヤツ。一〇〇グラム、なんてミス・プリントじゃないの? といわれるくらい、やっぱり古い話だなァ。けれど、SP用のピックアップは、針圧が六〇ないし一二〇グラム、というのがふつうで、重いのは二〇〇グラム以上。これは針を指の上に乗せれば、指に針が刺さってしまう。もう少しあとになってサファイア針のついた新型が出始めるが、それでも二〇から三〇グラム。これがおそろしく軽い針圧に感じられたんだから、SPっていうのは丈夫なレコードなんだね。
 というわけでレコード・プレイヤーが組み上がる。はじめのうちは、ラジオをちょいと改造しただけの、つまり音が出るだけのアンプでも、嬉しくって満足しているが、そのうちに、あのザアザアいう針音をもう少しおさえたくなる。
 どうすればいいのか、とラジオ雑誌の解説を読むと、針音は高音域に分布しているから、フィルター回路を通して高音をカットすればノイズが除ける、と書いてある。真空管の増幅回路のグリッドから、コンデンサーでアースしてみると、なるほど、シャーッと鳴っていたスクラッチ・ノイズが、ザーッという感じでやや耳につきにくくなる。コンデンサーの容量を増してゆくとそれが、ゴーッという低音だけになって、耳ざわりでなくなる。けれど、あんまりコンデンサーの容量を増やすと音楽の高音まで無くなるから、その辺のかねあいが難しい。
 しかしこんなプリミティブなハイカット・フィルターでは、どうしても不満が生じる。たとえばメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」をかける。第一楽章の「カデンツァ」で、だんだんハイ・ポジションに移ってゆき、最高音が鳴る……はずだが、その高音は、ほおっておけばスクラッチ・ノイズにじゃまされて聴きとりにくい。かといってハイ・カットすれば、スクラッチ・ノイズと一緒にヴァイオリンの音までカットされてしまう。
 こうなってくると、どうやら単純なフィルターではいけないらしい、と気がつき始める。ヴァイオリンの高音をそのままにして、高音のノイズだけ取除くことができないものだろうか……?
 ラジオ雑誌で基礎の勉強をし直してみる。フィルターの回路にも、六デシベル・オクターブ、一二デシベル・オクターブ、一八デシベル・オクターブなど、いろいろあることがわかる。ダイナミック・ノイズ・サプレッサーというのも実験してみる。どれも半分はうまく働くが、一長一短あり、理想的にはゆかない。
 こういうふうに、どうしたら音が良くなるか、なんていうことよりも先に、どうしたらレコードのノイズを効果的に減らせるのか、というような素朴なところから、ぼくの時代のオーディオは始まっている。