六月の第二金曜日。十三日。別にキリスト教徒ではないけれど、何となく、何か失敗するんじゃないかというような、イヤな予感がした。しかしこの日は実にいい日だった。というより、実にいい日になった。
 新宿駅の西口の某メーカーのショールーム。ここの試聴室で定期的にいろいろな催しがある。毎月第二金曜日の夜は私の担当で、とくにテーマをきめないで、オーディオに関する雑談をしたりレコードを聴いたりする会になっていて、毎回、三十名ほどの方々が下手な話しにつきあってくださる。この試聴室には、JBL#4350が置いてあるが、いつ聴いてみても、このスピーカー本来の性能から考えてその能力の半分も発揮していないように思える。そういう話をしたところ、そじゃひとつ、お前の気に入るように鳴らしてみたらどうだ、ということになった。それが六月十三日だった。
 気に入るように鳴らせといわれても、そこはメーカーのショールーという条件があるから、私が望むパーツが自由に揃えられるというわけにはゆかない。あくまで与えられた条件の中でベストを尽す、というに止まるが、それでもとにかくやってみよう、という気になった。JBLのファンとして、また、日ごろJBLをいろいろな方に奨めている手前、せめてJBLの本当に近い姿をほんのわずかでも垣間みて頂くことができれば、と考えたからだ。それというのも、このショールームにかぎらず、JBLのスピーカーの置いてある販売店やJBLを愛用しておられるユーザーの家でも、私の知るかぎり、本当に感心するような音で鳴っている例を、あまり多くは知らないからである。さしさわりがあるかもしれないが、このことだけははっきり言っておきたい。
 JBLにかぎらず、優れた可能性を持ったスピーカー、あるいは鋭敏な反応力を持つスピーカーのすべてが、リスニングルームは言うに及ばず、アンプその他の周辺機器や、プログラムソースや、鳴らすときの音量や音質などの細かなコントロール・テクニックの、優劣に敏感に反応する。良いスピーカーを、ほんとうに良い音に鳴らすことはきわめて難しい。高級なスピーカーを買って、定評のある組み合わせを作って、間違いなくセッティングすればそれで良い音が出ると思うのは大間違い。毎度のきまり文句で恐縮だが、メカニズムを入手したというのは、単に、良いカメラ、良い自動車を入手したのと同じこと。良い写真を撮るのも、すばらしいドライブを楽しむのも、メカニズムを操作する人のテクニックと感受性次第なのである。
 音というのは鳴った直後に消えてしまうし、写真のようにでき上がった印画を目の前にしてディスカッションできるわけでもなく、自動車のように下手な運転をすればノッキングしたり人をはねたりするという具体的なトラブルもないために、出てくる音が水準以上なのかそうでないのか、また、その音がそのオーディオ機器から出てくる音として十分にメカニズムの能力を生かしきっているのかそうでないのか、といったようなことが、なかなか判断しにくい。もっとはっきり言ってしまえば、鳴らしている本人は、良い機器を入手したという満足感に酔いしれて、傍目(はた耳?)には多少妙な音でも、それに気づかないということさえある。むろん、本人の問題だから、自分が満足できれば、それでいいわけで、野次馬がとやかく言うすじあいのものではないかもしれないが……。
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 で、話をもとに戻すことにするが、要するにJBLの#4350を、いろいろ制約はあるにしても、その範囲で、私の思うとおりに鳴らしてみることになった。
 与えられた時間は六時から八時までで、ほんとうは開始時間までに調整を済ませておきたかったのだが、その直前まで別のコンサートで試聴室を使っていたものだから、#4350を置く位置を変えたり、大まかな調整もまだ済まないうちに、六時が来てしまった。こうなったからにはひとつハプニングで、三十人ほどのオーディオ・ファンの見ている前で、いっしょに音を聴きながら、音を合わせ混んでゆくプロセスのすべてを、手の内まで公開して見せてしまえ、ということになった。
 はじめの一時間ほどは、どうも美味い音が鳴ってくれなかった。大まかなバランスはとれているのだが、トゥイーターやスコーカーを、一デシベル刻みの細かなバランスまで追い込まなくてはどうにもならない。ほんとうにそこまで合わせ込むには、自分の家でやったって、ひと月やふた月は容易に過ぎてしまう。それを、たかだか一〜二時間でやろうというのだから、はじめから無理は承知なのだが、こういうときは、一枚のレコードをかけた瞬間に、迅速に、しかも正確に音を判断して、マルチアンプのフィルターや、メインアンプや、スピーカー・キャビネットについているトゥイーターのアッテネーターなどを、ごくわずかずつ、細かに、正しく、微調整しなくてはならない。トゥイーターの前に、細かく切った厚手の布のリボンをぶら下げる、などの応急処置まで、一挙手一投足を、おおぜいの人が注視している中でやるというのは、半分テレ臭くて、しかもテレ臭さの裏返しでいささかヤケッぱちのところもあるというぐあいで、なんとも妙な気分のものだ。その間、まだ十分にこなれない音でもレコードを一緒に聴き、言い分け半分の話をし、また調整してはレコードを鳴らす……。なにしろ十三日の金曜日だ。
 与えられた八時まであと三十分あまりというあたりから、どうやらカンどころが掴め始めた。ハルモニアムンディの、少し古い録音だがバッハのチェンバロ協奏曲(ニ短調。レオンハルトとコレギウム・アウレウム。ドイツ原盤)を鳴らすころから、会場がシンとしてきた。スピーカーの鳴らす音に、どことなく血が通うような気がしてきた。アルゲリッチの新しい録音(ショパンのスケルツォ第二番。独グラモフォン原盤)を鳴らし、この日の会の進行役N君の持ってきたカウント・ベイシーの新録音から一曲聴き終ったら、N君が思わず拍手した。素敵なクラブで素敵な一曲を聴き終った、そんな気分がけっこう出てきたのである。
 こうなると誰も席を立たなくなってしまう。ビルの守衛さんが門限のさいそくにくるまで時間は延びてしまった次第だが、最後の一時間ほどは、調整した私としても、#4350の可能性の、まあ八十五点以上までは鳴らせたように思う。いつもこの試聴室に遊びに来ては、#4350のいつもの音を聴いているというある若い人は、「このスピーカーが、こんな鳴り方をするのを初めて体験してびっくりした」と感想を述べた。進行役のN君などはすっかり興奮してしまって、むろん私も悪い気持はしなかったから、この日はずいぶん遅くまで、彼と祝杯を重ねることになった。
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 と、ここまでは単純な成功談に終ってしまう。自慢話をしたくてこんなことを書いたのじゃない。むしろ逆だ。私としては八十五点ぐらいの音だったわけだが、それでも、JBL#4350の音を“よく知っているつもり”の人たちが、こんな音で鳴るのか! とびっくりする、その事実こそ大問題ではないか、と言いたいのだ。スピーカーは鳴らし方によって大幅に音が変わる、といろいろな人が書き、誰もが理屈としては知っている。
 しかし実際には、ほどほどに鳴っている状態を、まあこの程度のものだろう、と思ってしまう。あるいは、ショールームや試聴室や店頭や知人の家で鳴っているスピーカーの音を聴いて、何某社製の何型のスピーカーを、すっかり聴き知った気持になってしまう。これが私には怖ろしい。
 スピーカーは鳴らし方によって、これほどまでに違ってくるものだということは、結局、おおぜいの人の前で、鳴らして聴いてもらわないかぎり、説明のつかないものなのかもしれない。誰が言ったのか、T百見は一聴にしかずUの名言があるように。
 この晩の希望にこたえて、七月の第二金曜日に、もう一度#4350にトライしようということになっている。二度目だからうまくゆくとはかぎらない。一度鳴った音は二度と同じにならないものだ。あるいは逆に、もっとうまくゆくかもしれない。どちらにしても、広いショールームで、いろいろな席で、いろいろな音で聴かれるわけだ。良いスピーカーが、一人の個人の家で、たったひとつの席で、最上に鳴る瞬間の、極上の音を、本もののオーディオの真髄を、もっと多くの人に体験してもらいたいと切実に思う。そういう極上の音の鳴る機会がいかに少ないかを、もどかしいほどの気持で思っている。経った一度でも、良い音――音という表現を越えて一枚のレコードから本ものの音楽を体験することは、理屈で説明できない強さだと思う。スピーカーの鳴らす音に、ここまで人を感動させる力のあることを信じているからこそ、私はオーディオをやめない。