コンポーネント・ステレオというものを、私は、レコード音楽を良い音で聴くための道具だと、ごく素朴に考えているのだけれど、近ごろのように、コンポーネントが大手家電メーカーの採算ベースに乗る時代になってくると、生産メーカーや流通機構の中には、コンポーネント本来の良い音の質、ということを忘れて、単にもうかる品物のひとつ、ぐらいに考える人たちが増えてきているように思える。むろんあらゆる商品はメーカーや販売店がもうけるためのものだし、正当な利潤を得ることはあたりまえの話だが、そんなことを言おうとしているのではなく、最近利いた、おそろしいような話から、右のような問題を考え直してみたいのである。
話というのはこうだ。三万円を少し切るあるメーカーのプリメインアンプが、ベストセラーのひとつに数えられているが、私は、いくつかの機会にこのアンプをテストしたり試聴してみて、そのアンプがそんなに良い製品とは思えなくて、それでもよく売れるという原因を不思議に思っていた。ところが先日、あるオーディオ専門店の腕利きの売場主任の話を聞いて、その疑問がすっかり氷解した。
その売場主任はこう言うのである。「ええ、私もそれほど良いアンプと思っていません。ところが、あのアンプを買ったお客さんは、早ければ三カ月、遅くとも半年から一年のあいだに、必ずといっていいくらい、っもと良いアンプが欲しいと買い換えにくるんです。つまりあのアンプは、店にとってもうかる材料なんです。あんまり良くできたアンプを売ってしまうと、お客さんは次の買い換えに来てくれない……」。
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落ちついて考えればあたりまえの話なのかもしれない。販売店は、ものを売ることで利潤を得るのだから、店の立場からは、よく売れて、また次にも買いにきてくれるような商品はT優良商品Uということになる。メーカーもまた、製品が数多く売れることでさらに良い製品を作るための研究もできるのであれば、良く売れる商品を作ることが大きな課題であるにちがいない。これが、いまの流通機構の中での常識なのだろう。
そう考え直してみても、右の店員の話には、どうにもやりきれない何かがある。たとえば日常の消費財で、私たちは同じことをさせられている。消費物資なら腹も立たないが、それがコンポーネント製品でも同じかと思うと、実に淋しい。オーディオの世界だって商売の世界なのだから、そう理想的なことばかり言ってもらっちゃ困るという、メーカーや販売店の陰の声が聞こえてきそうな気がして、ますますやりきれなくなる。
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もうひとつ、これは知人の話だが、その人の弟が、いろいろ研究したあげく、あるメーカーのアンプを買いに行った。するとそこの店員が、別のメーカーのアンプをしつこく奨めるのだそうだ。それだけならよいが、本人が指名で買いに行ったそのアンプのことや、そのアンプを推奨しているオーディオ雑誌の記事やその筆者までを、口汚くののしったり、ともかくあらゆる手を尽して別のメーカーのあるアンプを、押しつけるように買わされてしまったというのである。ここまでなら、そう珍しい話ではない。ところがその人は電車に乗ってからも、どう考え直してもはじめに決めたアンプの方が欲しい。仮に店員の言ったとおりだとしても、自分なりに納得のゆくまで研究して決めたアンプの方が良いように思える。家に帰って鳴らしてみてがっかりしたとしても、自分で選んだのだから、納得できる……。そう思い直して、重いアンプをかかえて店に戻った。
さっきの店員を探して、やっぱりはじめのアンプにしてくれと頼むと、あきれたことにその店員は、そんなアンプを売ったおぼえはないと白をきるのだそうだ。あいにく彼は高価な買い物に少しのぼせていたのか、領収書をどこに入れたのかを忘れてしまった。けんか腰になりかけて、それでもズボンのポケットからしわくちゃの領収書が出てきたので、結局、いやな気分を味わったものの、目的のアンプは手に入ったのだが、ひどい店があるもんですねえ、と知人はあきれている。
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デパートや大型小売店には、メーカーから送り込まれた派遣員、いわゆるヘルパー制度があることは知られている。最近のオーディオ販売店も、少し大きな店になると、たいていヘルパーが入っている。私は、右の話を聞いて、とっさに、あ、ヘルパーですね、と言った。
ヘルパーは、その店の売り上げを助成するためにメーカーが派遣しているのだから、自社の製品を一応は奨めるが、お客の側から指名があれば、無理をしてまで売ってはいけない……。これはいわゆるタテマエで、良心的なヘルパーなら、決して悪質な商売はしない。ましてそれをくりかえせば、永い目で見るとその販売店の信用にかかわる。オーディオ専門店でも老舗の優良店の中には、「当店では販売助成飲を置かない。」と店頭に断り書きのある店があるほどだ。
ヘルパーが、すべて悪質だなどと乱暴なことを言うつもりではないが、しかし右の話は、ことにタチの悪いヘルパーの一例と言える。個人個人の質も問題だが、ヘルパーにそのような戦略を強力に推し進める用教育しているタチの悪いメーカーも無いとは言えない。
もちろん、ヘルパーであろうとその店育ちの店員であろうと、オーディオ専門店には、ほんとうにオーディオが好きでたまらないマニアの店員も大勢いて、自分がある製品に惚れ込むと、好きさのあまり誰にでも奨めるということもある。こんなのはむしろ心温まる楽しい話で、そこがまたオーディオの趣味の良いところでもあるわけで、私の知っているある男など、メーカーからヘルパーとして派遣されたときのことを、「いまだから話せるんだが」と小声で、自社の製品を売るよりも自分の好きな製品を売る方が楽しかった、というような話をしてくれる。ヘルパーとしては不まじめな男だが、私などからみれば、オーディオで物を売るというのは、こういうのがほんとうでありたいと思う。そうしたわる気のない売り方と、さきの悪質なヘルパーとの違いは、こちらがちょっと注意すれば容易に見分けがつくはずだ。
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ヘルパーの便利さに甘える販売店もよくないかもしれないが、こういう習慣にかこつけて汚い商売を平気でやるメーカーの方に、もっと大きな責任がありそうに思える。売れれば何でも作り、作ったものはあらゆる手段を講じて売る。そういう作りかた・売り方は、もともとアメリカから学んだように言われているが、本家のアメリカでさえ、少なくともオーディオ・コンポーネントの分野では日本ほどエコノミック・アニマルむき出しの商売はしていない。広告や流通ルートの調整などの販売テクニックで売り込む商品や、それを買うことによって欲求不満が高まって買い換えの時期を早めるような商品は、いわば一種の商暴力といえる。一方、そういう商品をとりあげておきながらアンプやスピーカーもどんどん使い捨てろ、あきたら買い換えろ式の暴論を、グレードアップなどと一見もっともらしい論議にすりかえるようなオーディオ記事にも大いに責任があると思う。新製品が出ようが自分のセットが古くなろうが、自分の耳が納得しているあいだは買い換えしたり改造したりの必要はまったく無い。自分の感覚が一段と研ぎ澄まされて、より良い音の質を求めるようになったときが、本当のグレードアップである。そういうオーディオの趣味を論じる前に、商道徳を論じなくてはならなくなったというのは残念な話である。