磁石とコイルの働き
レコードの録音・再生に電気が取り入れられて、大幅に進歩したことはすでに述べた通りですが、ここで、マイクロホンやスピーカーや、カッターやピックアップが、どのようにして音を電流に、または電流の強弱を音に変換(トランスデュース)するのか、その仕組みについて、ごく簡単にふれておかなくてはなりません。
図1−4Aのように、棒磁石のまわりに銅線でぐるぐるコイルを巻き、コイルの両端に電流計をつなぎます。そして、コイルまたはマグネットのどちらか一方を固定し、他方を急に素早く動かすと、メーターの針が振れて、コイルに電流が発生することがわかります。電流の強さは、コイルまたはマグネットを動かす速度に比例します。
これが、いま私たちになじみの深いピックアップの、最も素朴な原理です。レコードの溝をたどる針の根元に、コイルまたは磁石をつけておき、溝の振動でそれを動かせば、動きに比例した電流が発生する。これが音声電流です。針の根元でマグネットを動かすタイプをムービング・マグネット(略してMM)型、その反対にコイルを動かすものをムービング・コイル(略してMC)型と呼びますが、このことは、もっと後で詳しく説明します。
ピックアップから発生する電流は、1ボルトの何百分の一、という微少な電流ですが、それでも電気を起こすことには違いない。すると、ピックアップというのは発電機の一種なのか?
その通り。自転車のヘッドライトと同じ、発電機です。自転車の車輪で磁極を回転させて、あの明るいライトを灯すほどの電流を発生するのも発電機――いや、それよりも、私たちが毎日家庭で使い放題使っている電灯線の電力も、超大型の発電機が作り出したものですが、ピックアップだって、発生する電流はミリボルト、というような小さなものであっても、レコードの溝のうねりを針先がたどって動く、それを動力とした立派な発電機なのです。
ピックアップが発電機なら、スピーカーはモーターです。図1−4Bのように、同じ仕掛けのコイルの両端に電池をつなげば、コイルまたはマグネットが、一瞬ピクン! と動きます。電池の+−を逆にすると、こんどは反対の方向にピクン!
+−のつねに入れ替る交流を流せば、コイルまたは磁石は、電流のサイクル(周期)と強弱に比例した動きを見せます。コイルの先に振動板をつけておき、コイルに音声電流を流せば、コイルはその音の通りに動き、振動板もその通りに振動して、空気中に音の波を送り出す。これがスピーカーの素朴な原理。
そうすると、ピックアップという発電機が生じた電流を、スピーカーに直接加えたら、つまりアンプなんか通さないで、じかに接続したら、スピーカーが鳴らないものだろうか……。
残念ながら、ピックアップが発生するのは数ミリボルト(mV = 1/1000V)という微少な電流。他方のスピーカーは数ワットというケタの大きな《電力》を加えないと、人間の耳を楽しませるほどの音量が出ないという大めし食い。そこでアンプが加わって、音声電流を《増幅》してやらなくてはならない、という仕組みになるわけです。そう考えると、アンプの役割というものも非常に明快に理解できるでしょう。
しかし、ピックアップもスピーカーも、音質の良さを犠牲にしてもよいのなら、一般に使われるものよりもはるかに能率を上げることができます。たとえばピックアップから、1ボルトないし5ボルトぐらいの電流を発生させることも不可能ではありません。それには、磁石とコイルで電流を発生する方法ではダメで、圧電型というタイプにします。スピーカーもまた、同じようなタイプにしなくてはなりません。そういうものを作れば、アンプなしでピックアップとスピーカーを直結しても、たぶん真夜中にスピーカーに耳を近づければ何とか聴けるぐらいの音量は出せるはずです。
しかし、それならなぜ、能率を向上すると音質が悪くなるのか……。この話は相当に難しいので、もう少し後に回します。
音の電流を溝に刻む
コイルと磁石を組み合わせていずれか一方を固定して他方を動かすことができるようにしておいて、電流を通じると、電流の強さ及び電流の方向に応じてコイルまたはマグネットが動く。いわばモーターの最も単純な原理で、スピーカーもこの原理を応用したものであること、を前項で述べました。
レコードに音の溝を刻むカッターという機械も、これと同じ原理によっています。
図1−5のように、コイルの先端にナイフ状のカッティング・スタイラス(音溝を刻む針)を固定して磁極の中に置き、コイルに電流を流すと、針は電流の強弱に応じて左右(または上下)に運動します。
これをタテ振動、ヨコ振動の形に模型的に書いたものが、図1−5のAおよびBです。Bのヨコ振動が、現在のモノーラル・レコードです。
45/45レコードの音溝の形
次に図1−6をみてください。Aのように、左右2個のコイルを、互いに45どの角度に組み合わせて磁極の中に置き、その交点にカッティング・スタイラスを取り付けます。
カッター針が溝を刻む刃の部分の角度は90度になっています。したがって、音のないときの細い溝(無音溝)は、図のようにきれいに90度の角度で刻まれています。
Bのように、左ch用のコイル(図面では向かって右)にだけ電流を流した場合、コイルLは45度の軸方向に運動を始め、したがって針先も45度の方向に運動し、図のように、向かって左側の溝(左ch)にだけ、45度方向の深さの変化で音が刻まれます。
言い換えれば、向かって右側の溝(右ch)の壁面には何の変化も与えずに、左chだけに音が録音できるのです。
Cはその逆を表しています。右ch用のコイルにだけ電流を流してやると、左chの音溝には何の変化も与えないで、右chの音だけを刻みこむことができる、というわけです。
これが45/45ステレオ録音の第一の基本です。
大切な点を繰り返しますが、一方のチャンネルにだけ、音を刻みたい――言い換えれば片方のチャンネルだけ鳴らして、他方のチャンネルからは音を出したくない――という目的のためには、前記のように、針先の角度及び音溝の角度が正しく90度であって、それが垂線(または水平線)に対して正しく45度ずつに向き合っている、という条件が絶対に必要なので、この条件が欠けたのでは、鳴らしたくない他方のチャンネルにも音が刻まれてしまうわけで、それでは具合が悪いのです。
45/45方式の最大の利点は右の点にあるわけで、左右のチャンネルのクロストーク(混線)がない(原理的に無限大)ということが、この方式の特長です。溝の形が直角でなかったら、この条件は成立しません。こうして、2chステレオ・レコードは、互いのチャンネルが、原理上はディスクリート(完全に独立して分離するという意味)になるわけです(あくまでも原理上であって、実際には、録音・再生上のいろいろな問題から、多少のクロストークが生じることはご承知の通りです)。
なぜクロストークがいけないのか
しかし現実のレコードでは、右側だけ、左側だけ、というように音が鳴るのでなく、二つのスピーカーの中央から、あるいは左寄りに、または右寄りに、そして二つのスピーカーのあらゆる中間を音が埋めて聴こえてきます。
言い換えれば、左右の音が独立も分離もせずに、互いに混じり合った形になるわけです。左だけ、右だけが単独に鳴って、他方が全然聴こえない、などというステレオは、現実にはあまりありません。
それなのに、なぜ、左右のクロストークをきらうのでしょうか。左右の音がいくらか混じり合ったって、たいして差し支えがないのじゃないだろうか……。
しかし違うのです。なぜかといえば、ソロイストが二つのスピーカーの中央から聴こえて、そのバックに伴奏のオーケストラがいっぱいに広がる、というよなステレオの効果を作るためには、その前提として、左の音は左に、右の音は右に、正確に録音でき、再生できなくてはダメなのです。音をやや右寄りに聴かせたいと思えば、たとえば右の音を7、左の音を3という具合に混ぜるのですが、その混合率が狂えば、音の定位が悪くなります。左右のクロストークが多くては、正確な定位が作れないのです。あらゆる効果を自在に作りだし、それを正しく再生するために不必要なクロストークは絶対に避けなくてはならないのです。
そこで話は図1−6に戻ります。右だけの音、左だけの音がそれぞれB、Cのように刻まれるのなら、左右の混じり合った実際の音は、D、E、Fのような形で溝に刻まれるのです。そのことをもっとよく理解するには、ステレオの音が、どういう仕組みで耳に聴こえるのか、を知っておく必要があります。
ステレオの聴こえ方
ステレオの聴こえ方にも、大別すると、左右のスピーカーの間に広がる音――たとえばオーケストラやバックグラウンド・ノイズ(ライブ・レコーディングの拍手や聴衆のざわめきなど)――と、その逆に左右のスピーカーの間にぴたりと位置がきまる音(定位する音、という。ソロイストの音など)があります。
いま、目の前を右から左へ走り過ぎる音源(たとえば自動車)があっとします(図1−7)。たとえ目をつむっていても私たちにはそれがわかる。というのは、人間の耳が左右一対あるおかげです。
音源がSの位置にあるとき、その音はまず右の耳に到達し、ほんの少しおくれて左の耳に到達します。言い換えれば、右と左の耳に到達する音に「時間の差」があることになります。時間、といってもこの差はおよそ1秒の2/10000(0.2ms
= ミリセコンド)から4/10000(0.4ミリセコンド)というわずかの差ですが、こんなにわずかの時間の差によって、人間の耳は音源の位置を知ることができるのです。
さて、音源が正面(S')に来たときは、右に書いたような時間差がゼロになり、さらに左に走ってゆくと(S")、右とは逆に左の耳に早く、右の耳に遅く、到達します。
自動車の走り去る瞬間瞬間に人間の耳はこういう違いを鋭敏にキャッチして、音源の位置を知るのです。自分の耳に、こんなに精妙な働きがあるのかと、驚かずにはいられません。
しかし音源の位置を知るのは、時間の差だけではありません。このほかに、左右の耳に到達する音の強さの差、位相の差、さらに、影響はわずかですが音色の差があります。
たとえば、前方左右にスピーカーを置いて(図1−8)、まず右のスピーカーから音を出し、その音を少しずつ左のスピーカーからも出しながら、音の強さの割合だけを変えてゆけば、いまと同じように音が右から中央→左……と動いてゆくような錯覚を与えることができます。つまり音の強さの差だけでも、音源の位置がわかるのです。
もうひとつの位相差というのは、ちょっと難しい説明が要ります。
音は空気の振動だと、すでに言いました。いま、仮にタイコをドン! と叩いたとすると、タイコの皮が振動する。と、それが空気を振動させて、私たちの耳元まで伝わってくるのですが、その状態は図1−9のように、空気の密度の濃い薄いの波状になります。Aのように密度の同じ部分が耳に到達した場合に比べて、Bの場合は左右の耳に達する音の波の疎と密の部分が反対になることがある。これを「位相が逆」だ、というのです。位相差というのはこのように、時間差と同じ現象のひとつですが、人間の耳の性質上、仮に左右の耳に達する音時間差がゼロでも、位相の差をつけただけでも、音源が移動するように感じることがあります。厳密にはこの性質は、せいぜい200Hzから2KHzぐらいの周波数の範囲でだけ問題になり、それ以外の周波数では音の強さの差や時間差の影響の方が強いと言われます。
再びステレオの音源について
さて、回りくどい話になりましたが、これまでのところで、聴き手の前方正面(中央)に定位する音は、左右の耳に到達する音の@時間差A強さの差B位相差C音色の差――がゼロである、ことがわかります。
実際には、ステレオの再生は、前方左右に置かれたスピーカーによって行われるのですから、中央に音源があるわけではありません。そこで、この状態で私たちの耳に、あたかも中央から音が出るように聴こえさせるためには、左右のスピーカーから出る音の、強さ、時間、位相、音色、の差をゼロにする。言い換えれば、左右のチャンネルの音を正確にそろえる。また別の言い方をすれば、左右の音の完全な「和」が、スピーカーの中央に定位する音、になります。
もしも、右側のチャンネルの音がわずかに強ければ、音は右寄りに定位するし、その逆であれば左寄りに定位することはすでに想像がつくでしょう。こうして、ステレオの音の「定位」が作られます。このことから、ステレオを正しく聴くには、前方左右のスピーカーから等距離のところに正しく座る必要のあることがわかります。いくらスピーカーのところで左右等しい音が鳴っていても、聴き手が右側のスピーカーに近づいて聴けば、音は右に寄ってしまうからです。
それでは、左右のスピーカーいっぱいに広がる音は、どうなのでしょう。
厳密には二つの形をとります。第一は、いま説明した定位する音が、右から左までの間、いたるところを埋めつくしている場合、たとえばオーケストラがそれで、楽器群が、あるパートは左寄り、あるパートは左よりわずか中央寄り、別のパートはそこよりやや右寄り……というふうに、二つのスピーカーいっぱいに音が埋めつくされている状態がそれです。正しいステレオの再生をすれば、左右いっぱいに広がるオーケストラの音の中から、パートごとの大まかな位置が聴きとれるはずです。
しかし、広がる音のもうひとつは、いま述べたような音の位相差や時間差や強さがほとんどめちゃくちゃで、定位なしか全然わからないという状態があります。これは楽器の音というよりは、演奏されているホールの響き(残響音)や、ライブ・レコーディングでの聴衆の拍手やざわめき、などです。位相がめちゃくちゃ、と書きましたが、もう少し積極的に位相を逆にすると、左右のスピーカーの間よりもむしろその外側にまで広がってゆく感じさえ出せます。ステレオのスピーカーの、左右の接続の+−を逆にすると、音が中央に定位しないのは同じ理由です。この効果を意識的に活用したものが、マトリクス4chレコードで、位相差を細かくコントロールして、その成分を取り出して分解し四つのチャンネルにふり分けてやると、
前後左右の四カ所のスピーカーから、音を定位させたり広げたり動かしたりする効果が出せるわけです。
ずいぶん回り道をしましたが、ここで再びレコードの音溝の話に戻ります。いままでの話から、中央に定位する音は、左右チャンネルの音の合成ですから、図1−6Dのように両chのコイルが同時に、同方向に動き、その結果カッター針は垂直方向に振動して、中央に定位する音が垂直振動で録音されるはずです。逆に広がる音は位相的に差信号で送られるのですからR・L両コイルは交互に運動して、その結果、針は水平方向に振動する(図1−6E)。理屈の上ではこうなりますが、現実には、モノーラル・レコードとの互換性を考えて、わざとその逆に作られているのです。これは世界各国とも共通の約束ですから、レコードの国籍によって出てくる音が逆の効果になるようなことはありません。