蓄音器の発明はエジソンではなかった?
 ターンテーブルにレコードを乗せて、針を静かにおろすという簡単な操作だけで、自分の好きな音楽、好きな演奏家がたちどころに聴けるというレコードの便利さ。それにしても、たった一本の細い溝の中に、百人のオーケストラの音さえ刻み込むことができるという、あの不思議さ。
 このレコードの発明のきっかけを作ったのは、フランス人の活版工レオン・スコット(Leon Scott)で、円筒に塗った油煙の被膜の上に、鉄の針で音を一条の線に描きました。一八五七年のことです。彼はこれを楽器の音色や人の声の研究と分析のために使うつもりだったそうです。
 スコットの作ったフォノトグラフ(phonautograph)は、後の一八七七年のエジソンのフォノグラフ(phonograph)とほとんど同じメカニズムでしたが、音を記録する材料が油煙の被膜であったため、円筒の上に音が一条の溝で描かれることが確かめられただけで、それを再生して聴くことは不可能でした。エジソンのすぐれているところは、それを錫箔という材料に変えて、いったん録音した音を再び再生することに成功したという点です。
 スコットと同じフランス人のシャルル・クロ(Charles Cros)が、スコットの油煙の溝を写真製版で複写・腐刻して再生の可能な音溝にするというアイデアを、エジソンより早い一八七七年四月三十日に、パリの科学アカデミーに封書で提出しました(エジソンの特許出願は同年十二月十九日)。
 シャルル・クロは、エジソンと違って自分の発明を実現させるための時間もお金もなかったのです。科学アカデミーは、クロの発明を黙殺しました。そして、レコードの発明という名誉は、エジソンの頭上に輝きました。エジソンより十年遅れて、ドイツ人のエミール・ベルリナー(Emil Berliner)は、亜鉛に蝋を塗った直径30センチの円盤に音を刻むことを発明し、これは取り扱いが円筒よりも簡便である上に、複製が容易にできるという最大の特長によって、現在のレコードの原形になったわけです。
 その後いろいろな人たちがレコードを改良し、一九二五年には電気による録音が完成。一九四八年にはそれまでのシェラックに比べて割れない、雑音のないプラスチックが取り入れられ、同時に33 1/3回転のマイクログルーブ(微細音溝)で片面22分以上の長時間演奏が可能ないLP(Long Playing)レコードとなり、一九五七年にはそれがステレオとなって、そしていま、4chが論じられている……。と、まあこんなところが、レコードの大ざっぱな歴史ですが、レオン・スコット以来百年以上を経た今日でも、音楽という複雑きわまりない音を、たった一本の溝に刻み込んで、それを針の先で拾い上げるメカニズムの原理が、一向に変わっていないということは、驚くべきものでしょう。
 余談になりますが、シャルル・クロとエジソンが前後して蓄音機を考案したと同じ一八七七年に、アメリカではカトリスとレディングの二人(C. Cuttriss & J. Reding)が、またドイツではエルンスト・ウエルマー(Ernst Wermer)がシーメンスを通じて、そぞれ、ムービング・コイル・タイプのスピーカーの特許を申請しています。これは、私たちになじみの深いコーン型スピーカーの原形ともいえるもので、シーメンスの特許にあらわれたスピーカーの簡単な構造図は、現在のスピーカーとほとんど同じものといえます。
 一般に、スピーカーの原形は、アメリカのジェネラル・エレクトリック(G.E)社の研究所の技師であったライスとケロッグ(Chester W. Rice & Edward W. Kellogg)のもの(一九二五年)が最初だとされていますが、実はそれよりはるか以前に、前記のような発明があるのです。
 では、なぜライス、ケロッグ以前のスピーカーがあまり知られてないのかというと、カトリス、レディング、ウエルマーらが原形を特許申請した一八七七年には、まだ真空管というものがこの世になくて(もちろんトランジスターなど全然知られていなくて)、増幅器(アンプリファイアー)がなかったため、それを鳴らしてみることができなかった(!)ためです。
 真空管は、一九〇六年になって、リ・ド・フォレーが三極管を発明し、それによって、ようやく、音声電流を増幅することが可能になったのです。
 こんな具合に歴史というものをふりかえってみると、史上に名を残した人や製品も、前後の事情や幸運によっていることがわかってきて、調べれば調べるほど興味がつきないものです。
 レコードの録音の方法とか、スピーカーの発音の原理などの発明の基礎が、百年という昔に完成していたことは驚くべきことですが、これらはほんの一例で、あらゆる発明は、その基本的な構造や原理や方式が決定するまでの暗中模索の時期が長く続いて、やがてひとつの合理的な方式や構造ができ上ると、それをもとにして、こんどは能率や性能の追及に長い時間をかけて改良が行われる、というのがひとつのパターンです。オーディオの世界では、音質の向上が昔からの共通の命題です。
 こうした歴史のパターンをながめてゆくと、あれこれと騒がしい4chの規格問題も、現在はレコードやFM放送やテープに四つのチャンネルの音を記録し伝送するための合理的な方式を論じている段階で、将来、おそらくたったひとつのうまい結論に落ち着くべきだし、そうならなくては音質の向上というもっと重要なテーマさえ、十分に研究するわけにゆかないだろうことは明白です。

レコードの吹き込みと再生
 レコードの細い溝を、針先がたどってゆくと、どういう現象が生じるのでしょうか。
 昔の蓄音機は簡単でした。たとえばエジソンの蓄音機。
 図1−1のように回転しながら少しずつ平行移動してゆく円筒(最初は錫箔、のちには蝋を塗ったために《蝋管》の名で親しまれた)に針を圧着させると、細い溝が円筒の周囲に刻まれます。針は振動板に結合され、伝声管に向かって大声で話しかけると、振動板が振動して、円筒に刻まれた溝は、声の大小や音色に応じて微妙に深さの違う複雑な音溝になります。これで録音が完了。
 そこで再び円筒をはじめの位置に戻して、針を溝に乗せ、円筒を回せば、溝に刻まれた深さの変化を針が拾って振動板を振動させ、伝声管の入り口から、かすかにさっきの音が聴こえてくるという仕掛け。
 これではあまりに音が小さいというので、伝声管の能率をよくしようと、ただの管は、ホーン(ラッパ)状に改良され、円筒を回すのも、手では回転が狂うので、ゼンマイとガバナーで定速回転するようになる。エジソン・スタンダードという名で普及したこの型の蓄音機は、いま聴いてみると、意外に大きな音で、音質もけっこう悪くありません。エジソン及びその同類の蓄音機は、このように、録音・再生が一台の機械で可能という点が、今日のテープレコーダーに似ています。
 余談はさておき、録音・再生にいっそう高能率を望んで、やがて録音機と再生機は切り離されるようになって、録音はレコード会社の大きなスタジオで行われるようになりました。スタジオの壁からニュッと突き出した大きなラッパの前で、歌い手がせいいっぱいの大声で歌います。壁のこちら側には、録音盤が周り、ラッパから導かれた振動を針で刻みつける。これが、いまでも残っている「吹き込み」と言う言葉の始まりです。

機械吹き込み時代
 長い大きなホーンで集めた音を振動板のところまで誘導して、録音盤に針で音を刻み込む。これがいわゆる《機械式吹き込み時代》の録音の方法でした。刻み込まれた《音》を再現するには、再び針先で溝をたどって、振動板のわずかな振幅をホーンで増幅して、どうやら聴こえるぐらいの大きな(?)音になったのです。
 昔の蓄音機は、振動板と針のついたサウンドボックスから、末広がりの管がのびて、その先端に朝顔が咲いたようなホーンが開いていました。近ごろのアンチーク・ブームで部屋の飾りものとしても人気が出てきて、骨董品も値上がりしているそうですが、雨降りのような針音の中から、鼻をつまんで歌うようなあの独特の音色が聴こえてくるのは何ともいえない風情があります。こうしたプリミティブな方法でしたから、蓄音機の音をより大きく、音質を良くするには、サウンドボックスとホーンの改良しか、手段がありませんでした。ことにホーン。次第に長く大きくなったホーンは、ターンテーブルの上に露出させておくわけにはゆかないので、やがて蓄音機のキャビネットの中に折り畳まれて収納されます。長さ数メートルにも及ぶホーンを箱の中に収めるためには、幾重にも複雑に折り返し、折り畳みます。こういう形をフォールデッドホーン(Folded horn)といいます。
 名品として名高い「クレデンザー」という蓄音機は、機械時代の最高峰の作品で、いまでも愛好家の間で大切に扱われていますが、保存のよいものでSP盤を再生してみると、なまじのステレオなど及ばない深々とした美しい音色にびっくりします。音量だってそうとうに大きい。世の中がいまと違って静かだったころは、よほど大きな音と感じられたに違いありません。クレデンザーは小型のタンスほどもある大きな機械ですが、もっと小型の、卓上型の蓄音機で、何百人もの人を集めてレコード・コンサートを開いた、なんていう記録がいくつも残っているのですから、昔の人の耳はいまよりもずっと小さな音を、デリケートに聴きとることができたのでしょう。
 ハイドンのTびっくりU交響曲を、いまの室内オーケストラほどの編成で演奏しても、当時の優雅な人たちは大きな音にびっくりして飛び上がったというのですから、現代人の耳はいかに鈍感になってしまったのやら。世の中がうるさくなるのも道理です。

機械吹き込みから電気吹き込みへ
 レコードや蓄音機の音を、少しでも大きくしたい。そして音質をよりよくしたい。そうした欲求から、録音も再生もやがて電気で行われるようになります。
 電気録音のレコードと電気蓄音機が登場するのはだいたい一九二五年ごろからですが、それは、一九一四年から一八年まで続いた第一次世界大戦で電気通信の技術が開発され、戦後になって平和産業に導入されてその成果のひとつとしてレコードの録音・再生に電気が取り入れられた、というのが真相です。
 戦争は多くの人々を不幸にする反面、つねにこういう進歩をもたらす。皮肉なものです。
 録音を電気で行うようになったからといっても、円盤に針で音を刻み込むという、そこの仕掛けが変わったわけではなく、音――つまり空気の振動という小さなエネルギーで、振動板をふるわせて針に音溝を刻む力を与えるというそのプリミティブな方法の代わりに、空気振動を電流の強弱に変換して、その力で針先を動かそうというのが発想です。電流の強弱は、真空管増幅器(アンプリファイヤー)によってエネルギーを自在に拡大できるので、針が溝を刻む力は実に強大になりました。
 電気録音は、それまでのホーン→振動板→針先、というプロセスに代わって、マイクロホン→増幅器→カッター→針先というプロセスを通ります。再生の時はこの逆で、針→ピックアップ→増幅器→スピーカーとなります。

タテ振動とヨコ振動
 再び古い話に戻ります。エジソンの蝋管とベルリナーの平円盤のことはすでに書きましたが、この両者のレコードには、円筒と円盤という形の違いのほかに、実はもうひとつの大きな違いがありました。それは録音された音溝の形です。
 音という空気振動を細い一本の溝に刻み込む。その形に、タテ振動とヨコ振動とがあります。図1−2をみてください。Aがエジソン式のタテ振動、Bはベルリナーのヨコ振動です。言い換えれば、エジソンの蝋管は、音の振幅を溝の深さで刻んだのに対して、ベルリナーは溝のうねりで刻んだわけです。両者の音溝の形の違いを図1−3に示します。
 タテ振動とヨコ振動とは、理屈の上で決定的な優劣があったわけではありませんが、録音、再生のメカニズムやレコードの製造上のいろいろな点からヨコ振動の方が、音質や雑音の点でやや優れていました。そして、ステレオ・レコードの出現する一九三一年(ミスプリントではありません)までの間、平円盤・ヨコ振動方式のレコードがモノーラルの標準となりました。

ステレオの音溝
 ステレオのレコードが本格的に市販されたのは、一九五八年になってからの話ですが、その原形は、いまも書いた一九三一年という昔に、すでにでき上がっていました。イギリスEMIの技師、ブルームライン(A. D. Blumlein)が、ステレオ・レコードの録音・再生に関する広範囲の特許を申請しているのです。一本の音溝に、右と左の別々の音を独立して刻むことの可能性を考えたブルームラインのアイデアは画期的もなのでした。彼はふたつの種類の音溝を考案しています。
 その第一は、いまも説明したタテ溝(Vertical)とヨコ溝(Lateral)を組み合わせたV−L方式(Vertical and Lateral System)、第二は、現在のステレオ・レコードの標準方式に採用されている45−45方式です。この45−45方式は、現在私たちが耳にしているステレオ・レコードの基本ですが、これがすでに一九三一年にでき上がっていた。もう少し正確に言えば、ブルームラインによって一九三一年にイギリス特許が申請され、一九三三年には、V−L方式および45−45方式の録音・再生装置をブルームライン自身が作り上げ、実験をした、と記録に残っています。
 そんな昔に完成したステレオ・レコードが、なぜ、一九五〇年代まで問題にされなかったのか。それは第一に、一九三〇年当時のレコードの材料が、ご承知のSPレコードと同じシェラックというあらい材質で、針音がひどく、ことにステレオではそれが耳ざわりになったため。第二に、カッターの針が太く、録音特性も十分に良くはなかったために、ステレオの音質の良さが生かされなかった。第三にモノーラルの全盛時代で、ステレオの録音が十分に研究されていなかった、などの理由によるとされています。

LPからステレオへ
 話が前後しますが、いまも書いたように、一九三〇年代というのは、SPレコードの全盛時代。回転数は78(または80)回転で、レコードの材料は割れやすくキメのあらいシェラック。音溝の幅は現在の約三倍という太いもので、したがって30センチ・レコードの片面の演奏時間は5分が精いっぱい。シンフォニー一曲が、三枚から五枚のアルバムに入っていたという時代です。
 第二次世界大戦で合成樹脂産業が栄え、レコードの材料にビニールが採用され、直径30センチ、回転数が33 1/3回転、溝の細い、長時間・微細音溝(Long Playing Micro-groove)レコードが、CBS(アメリカ・コロムビア)のピーター・ゴールドマーク(Peter Goldmark)博士によって作られ、市販されたのが一九四八年。すぐあとを追ってRCAビクターからは、7インチ(17センチ)、45回転で中心の孔の大きい――そのためにTドーナツ盤Uの愛称を生んだ――かわいいレコードが発表されました。針音のない、音質の良い、LP時代が訪れたわけです。いまでこそ、パチパチという針音を気にする人が多いのですが、SPのあのザーッというものすごい針音を聴きなれた耳には、LPの針音は全然聴こえないも同然だったのです。
 それから約十年のちの一九五六年になって、イギリス・デッカのサグデン(A. R. Sugden)が、そのむかしブルームラインの発明したままになっていたV−L方式のステレオ・レコードを、こんどはLPで完成させ、発表して話題を呼びました。
 翌一九五七年には、アメリカでウェストレックスが、同じくブルームラインのもうひとつの方式、45−45によってステレオ・レコードを完成させたのです。
 しばらくの間、混乱が続くかにみえました。V−L方式と45−45方式という、全然違ったステレオ・レコードが発表され、しかも左右のチャンネルや位相がバラバラに入り乱れたレコードがいろいろ試作されました。今日の4chさわぎにそっくりですね。
 混乱を避けるため、レコード関係者がたびたび討議を重ねた結果、一九五七年十一月、チューリッヒ(スイス)で会議を開き、従来のモノーラル・レコードとの互換性や左右チャンネルを対等に扱うことのできる利点から、45−45方式に統一すべきであるとの結論に至りました。翌一九五八年の二月には、アメリカでRIAA(アメリカ・レコード工業会。現在でもレコードの規格決定に大きな発言権を持つ)が、同じ結論に到達し、今日のステレオ・レコードの標準方式が国際的な視野で決定されたのです。
 機会あるごとにふれていますが、4chの規格問題も、いずれこうした方向に整理されてゆくことが望ましいのです。三方式の連立などという不自然な状態がいつまでも続くべきではありません。