「フルトヴェングラーは矛盾した性格の持ち主だった。彼は名誉心があり嫉妬心も強く、高尚でみえっぱり、卑怯者で英雄、強くて弱くて、子供であり博識の男、また非常にドイツ的であり、一方で世界人でもあった。音楽においてのみ、彼は首尾一貫し、円満で調和がとれ、非凡であった」と冷徹な観察をしているのは、フルトヴェングラーのもとでベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめたことのあるグレゴール・ピアティゴルスキーである(『チェロとわたし』白水社刊)。 フルトヴェングラーは1886年1月25日生まれの水瓶座である。今回、『US』を出したピーター・ガブリエルも1940年2月13日生まれの水瓶座である。
 1986年に発売され、全世界津々浦々で聴かれた『SO』(トータル650万枚、旧ソ連でもヒットしたようだ)から6年、その間に時代は「水瓶座の領域」(アクエリアン・エイジ)の色を濃くしてきている。水瓶座の時代とは、精神的な理想主義であり、幻視的経験を招くように開かれた時代である。また『アクエリアン革命』(マリリン・ファーガソン著 実業之日本社)は、「闇と暴力と渾沌の世界ではなく、透き通った愛と光にあふれた世界が水瓶座の世界である」と定義している。
 魚座の時代からいつ水瓶座の時代にはいったのかについては、占星術者の論議するところであるが、少なくとも文化・芸術面はわりと早い時期から水瓶座の時代にはいっていると言ってもいいだろう。魚座から水瓶座の時代へは急激な変化ではなく、さまざまな分野で徐々に移り変わっていくのだろうし、やはり最初に変化するのは文化・芸術だろうし、最後まで残るのが政治・経済であろう。その文化・芸術面に水瓶座の時代の芽が芽生えはじめてきたのは、ヒッピーが現われ出した1960年代前後からではないかと言われている。西洋人の間で東洋的な思想、特に仏教、禅が認知されるようになってきたのはこのあたりからだし、コリン・ウィルソンが『アウトサイダー』を発表したのは1956年。また特異的な俳優ジェームズ・ディーンの登場もある。音楽面では、ビートルズが登場し、レコード音楽ならではの表現力と可能性を大きく広げたマルチトラック録音が生み出された。そしてグレン・グールドがコンサートからドロップアウトしたのは1964年である。これらのことを「情報の取捨選択によるこじつけ」と受けとってもらっても一向にかまわないが、私には興味深い現象に思える(参考までに水瓶座生まれの著名人といえば、音楽関係ではモーツァルト、シューベルト、ディーリアス、ジャクリーヌ・デュ・プレ、アラウ、ハイフェッツ、クライスラー、戯曲『フィガロの結婚』のボーマルシェ、その他の分野ではアメリカ大統領リンカーン、発明王エジソン、フランシス・ベーコン、進化論のダーウィン、ジェームズ・ディーンらがいる)。
 水瓶座の守護星は、ガイア(地球)と結ばれて、すべてのものを生みだしたウラノスの天王星。ウラノスはギリシャ神話の天界をつかさどる神であり、学問の普遍性を説くとともに、未来を予知した知恵の神でもある。水瓶座に共通する資質は、その天王星に与えられた独創と変革である。また理知的であるとともに、感情面ではもっとも過激派といわれている。斬新な知性を持ち精神の自由を最重視し、博愛的で人道主義でありながら、革命的な社会観をもつ水瓶座は、古めかしい道徳観や保守的な因習・伝統にしばられることを極度に嫌うため、変わり者として周囲から浮き上がりがちであり、同時にひじょうに未成熟なところを併せ持ちながらも、世界の天才の多くを生みだしているらしい(ちなみにピーター・ガブリエルは、学生時代に興味あるものとして、詩、音楽、テニス、スカッシュともに筆跡鑑定、占星術をあげている。さらに獅子座の子供を強く望み、長女のアンナ=マリーの7月26日の誕生を、彼はすごく喜んだらしい)。
 事実、ピーター・ガブリエルは天才である。
 子供の頃、アメリカ国防相の2台のコンピューター(そのうちの1台は核弾道ミサイル制御のもの)に割り込んだコンピューター・ハッカーのはしりであるピーター・シュワルツ(彼の体験を映画化したのが『ウォーゲーム』)は、「ピーターは大変な天才です。天才というのは、あっと驚く洞察力を持っているばかりじゃありません。確かに、ときどきそういう例もありますが、物事がはっきり見えるようしっかり目を見開いているかどうか、とも関係しているんです。ピーターは無理してでも懸命に世の中を見ていると思います。彼はよく訓練された観察力で、他の人間が見ないところを見ます。目が大きく開いているんです。
 もうひとつ、天才というのは橋をかける能力もあるのではないでしょうか。つまり、他の人間が結び付けられないものを結び付けることができるんです。ピーターがかけるかけ橋の素晴らしいところは、いろんな曲線を交錯させている点です。文化的な、たとえばさまざまな文化のリズムを取り入れることができますし、自分流の西欧ロック・スタイルがまだたくさん残っていますが、それはそのスタイルによく馴染んでいるからです。そこには、一種の政治的、魂の交流的な面もあります。彼は世の中をもっといい場所にしたがっているんです。単純に、いいサウンドをつくりたい、ではなくて、もっと深い目的が人生にある、なんです。そういうのが彼という人間や彼の考え方の両方に影響しています。それが原動力となり、インスピレーションのもとになっている。彼は根っからハードウェアのテクノロジーが好きなのではないかと思います。一手段として、それらを使って何ができるのかを考えるのが好きなんです。使いこなすには修業を積み、精いっぱいがんばらなくてはなりませんし、これだと思うまで納得しません。こういうものを持っているアーティストはごくわずかだと思います」と語っている。カリフォルニア・ヒッピーあがりをもって任じるシュワルツは、NASAでアポロやスペースシャトルの打ち上げの仕事やホワイトハウスのため「将来の危機的問題をはらんだ地域」を突き止める仕事にたずさわったり、ロンドン株式取引所で戦略プランニングの部長代理として一大チームを動かしていたりする、すぐれた経歴をもつ切れ者であり、ピーター・ガブリエルをスペースシャトルで宇宙に送り出そうとした人物でもある。
 ピーター・ガブリエルは1977年のインタビューで、「ぼくは意識の変化や、その変化をもたらす力に興味がある」。また「ぼくは80年代の曲を書こうという気になって、そのとっかかりはリズム用のトラックだなって思ったんだ。リズムは人間の脊髄にあたる。脊髄が変われば、当然、人の体つきも変わるだろう。リズムがなかったら、いつものようにコードやメロディをこむずかしく自分の興味をかきたてるようにしていただろう」と語るようにサードアルバム以降から曲のつくりかたが変わりつつある。そして時代もピーター・ガブリエルを自然に受け入れる方向に変わりつつある。
『SO』と『US』の間に出た映画『最後の誘惑』のサウンドトラック、「ぼくにとって重要な作品で、自分がつくった中でも最高のもののひとつと考えているんだ。他のミュージシャンとの作業を通して自分の頭の中に描いていた事象の精神や魂を捉えることを学んだことでワールドミュージックの主題を吸収できたと感じた。そういう自発的なものを形にすることが、永年の課題だったんだ。真の混合音楽という考えにより近づいた、新しいアプローチだった」『 PASSION』の存在、そして『SO』に続いてともに仕事をしたプロデューサーのダニエル・ラノアがいたからこそ、『US』の完成、素晴らしさがある。
 ともすると頭脳的積極派、いいかえればアイデアは豊富で斬新でも頭でっかちになりがちな水瓶座のエネルギーを空回りさせることなく行動に変換できたのは、ダニエル・ラノアの手腕に負うところ大だろう。だからこそ、アルバムごとにプロデューサーを変えてきたピーター・ガブリエルが、ふたたび彼を迎えたのだろう。
『US』に強く感じられる、音楽を開拓していこうという気構えは、私にベートーヴェンを思わせる。特に1曲目の「カム・トーク・トゥ・ミー」の冒頭からパーカッションが刻むリズムが、ベートーヴェンのハ短調交響曲のように響く。似ているようで違う、違うようでいて似ているそのリズムを聴いていると、ベートーヴェンの音楽を聴いたあとと同じ、言葉本来の意味での「プログレッシブ」を感じるし、また勇気づけられる。
 ベートーヴェンは射手座。水瓶座が自由を愛する、に対して、射手座は自由を必要とすると占星学的には定義されている。『収容所群島』のソルジェーニツインも射手座である。そしてマリア・カラスがいる。アプローチは違っていても、ふたつの星座は理想を視ている。それに向かっている。
 現状にぶつぶつ不平不満を垂れながらも、実際に変化が起きようとすると拒否する人、変化よりも濁ったぬるま湯を選ぶ人に『カム・トーク・トゥ・ミー』や『フォーティーン・ブラック・ペインティングス』はどう響くのだろうか。それとも響くことすらないのか。

[Come Talk To Me]
 お前が呼びかけてくれれば
 ここから抜け出せる
 話しかけてくれるだけでいいんだ
 心は変えられる、そうだろう?
 お前の未来が今、明らかになる
 なのにお前はそうやって
 目や耳を閉ざしている
 さあ来いよ、話をしよう
 話をしよう

[Fourteen Black Paintings]
 苦しみの中に夢が生まれ
 夢の中に展望がひらける
 展望の中に人々が現れ
 そしてその力が
 大いなる変革をもたらす

 呼びかけを促す『カム・トーク・トゥ・ミー』の歌詞はどのようにも捉えられる。これからの時代は単なる受け手にとどまっていてはだめ、音楽に対しても、社会的な事柄に対しても、自分自身の問題に対しても。『カム・トーク・トゥ・ミー』を最初に聴いたとき、ほんとうに驚き感動し、そして引用した歌詞のところで、思わず涙しそうになった。
『US』におさめられている曲の歌詞で目をひくのは、ほぼ同じフレーズが2つの曲に使われていること。『スティーム』のI Know you と『ディギング・イン・ザ・ダート』の I Know what you are である。日本語訳は「俺はお前を知っている」「お前のことなどお見通しさ」となっている。ここで歌われている「お前」とは誰か。
 ピーター・ガブリエルは『SO』からの6年間のうち5年間セラピーを受けている。そのセラピーについて、彼は「自分の魂の中に飛び込んでいかなきゃならない。つまり、僕は自分の中にろくでなしの部分を見つけた、とでも言うのかな。そして僕は、そのろくでなし野郎とつき合うことにし、歌の中に取り入れたんだ」。そのろくでなしは「深く埋めてしまうことでさらに強大化し、威嚇してくる。だが一度存在を認めてしまえば、そもそもどうしてそんなものに悩まされていたのか不思議に思えてくるものだ」。『ディギング・イン・ザ・ダート』は魂の汚れた部分を癒すために、その部分を掘り起こす内容になっているそうだ。
 ピーター・ガブリエルが「お前」と現すろくでなしは誰の中にもある。フルトヴェングラーの中にもあったはず。偉大なところが大きければ大きいほど、ろくでなしの存在も大きいのでは? そのろくでなしの存在がピアティゴルスキーの言葉に現れている。同時に音楽において清濁併せ呑むところにところにフルトヴェングラーの凄さ、大きさがあるように思う。ピーター・ガブリエルも同じではなかろうか。
「ある人びとはお金がないので、一枚の券を手に入れるために陶器を、あるいは油絵を、またある人は一足の靴、それもまだ真新しいのを差し出した。かと思うとまた他の人びとは、もうとっくに売切れの赤札が貼り出されているのに、まだなんとかして券を出させようとして、当時貨幣のように通用していたコーヒーやタバコを差し出した。開演直前まで、切符売り場には人波が押し寄せた」演奏会は、フルトヴェングラーが戦後はじめて(1947年5月25日)、ふたたびベルリン・フィルを率いたときのこと。なぜそこまでしてフルトヴェングラー、ベートーヴェンを聴こうとしたのか。敗戦直後の荒廃のどん底から抜け出し、新しい時代を築くための開拓、改革の精神と力を求めてのものであり、慰謝を求めてではないだろう。
 私が、いま『US』に聴くものも、同じである。

[参考文献] 『ピーター・ガブリエル正伝』(音楽之友社) インタビュー関連・『ロッキング・オン』92年11月号、『ポップ・ギア』72年10月号、12月号、『サウンド&レコーディング・マガジン』72年11月号、『クロスビート』72年11月号、『スタジオ・ボイス』91年9月号

(1992年秋 掲載誌・サウンドステージ)