| パオロ・コンテ | |
イタリアのシンガー・ソングライター。1937年にピエモンテ地方で生まれている。1960年代から作品を発表しはじめ、1960年代にはカンツォーネの作曲家として知られるようになった。若い頃には弁護士をしていたこともあるが、1970年代の中頃からは歌い手としても活動するようになった。 |
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| 不覚にも、ぼくは、ごく最近まで、あなたのことを存知あげませんでした。 あなたのうたわれる歌をはじめてきいたのは、すこし前にでた「ジミー、踊りながら/パオロ・コンテ」によってでした。そのディスクをきかせていただいて、凄いひとがいるんだな、と驚きました。ぼくは、そのディスクの最初の歌「ミッドナイト・ノックアウト」をきいた途端に、パオロ・コンテ・ファンになりました。 ぼくのような、ヴァノーニやミーナといったイタリアの歌い手のうたう歌が好きで、しかもジャズをきくのも好きな人間は、あなたの歌をきいた瞬間、これだ、と思わずにいられませんでした。 凄いひとを知れば、そのひとのことを誰かに伝えたくなるのが人情です。しかし、そのようなときに、興奮のあまり、相手かまわずはなすのは危険です。自分が好きになったひとのことを不用意にはなし、その結果、無神経に反応されたりしたら、腹がたつからです。あいつになんか、はなすんじゃなかった、と後悔するのは嫌ですから、ぼくは、パオロ・コンテをわかってくれそうな、耳のいい、粋に音楽を楽しんでいる友だちを選んで、パオロ・コンテをきいてごらんよ、と電話をかけたり、手紙を書いたりしました。 嬉しいことに、みんな、異口同音に、いいね、パオロ・コンテは、といってくれました。後で気がついたのですが、ぼくは、なぜか、ジャズ好きの友だちばかり選んで、あなたの歌をきくようにすすめていました。 日本では、残念なことに、ききてがすくないためでしょう、イタリアの歌のきけるディスクは、ごく稀にしか発売されません。それで、ぼくは、イタリアに旅行したときにはかならず、オルネラ・ヴァノーニやミーナのディスクを買ってきて渇きをいやしていました。 さいわい、今年の春も、ミラノにいく機会がありました。ミラノについたぼくは、とるものもとりあえず、レコード店に駆けこみました。しかし、今年は、ヴァノーニやミーナのディスクには目もくれず、あなたのディスクだけをいそいそと買ってきました。レコード店におかれてあったあなたのディスクの種類の多さから、ぼくは、遅ればせながら、あなたが大スターでいらっしゃることを知りました。 その後、しばらくたってから、長いことウィーンに住んでいて、たまたま帰国した友人が訪ねてきました。ぼくは、あなたのディスクをかけ、彼女にきかせました。そのとき、彼女は、オーストリア放送にもパオロ・コンテの熱烈なファンがひとりいるらしくて、頻繁にパオロ・コンテのレコードがかかるし、ときにはイタリアからわざわざパオロ・コンテのコンサートを生中継したりするのよ、といいました。 そのはなしをきいて、なぜか、とても嬉しくなりました。そういうことって、ありそうだな、とも思いました。あなたの渋い声と特徴のあるうたいぶり、それにあなたのつくられる独特の味わいをもった歌には、一度きいてしまうとのがれられないような魅力があります。 それに、「ジミー、踊りながら」だけをきいていたときのぼくにはちょっと感じとりにくかったのですが、ミラノから買ってきたさまざまなディスクをくりかえしきいているうちに、いろいろな要素のいりまじっているあなたの音楽の根幹をなしているのがジャズだということが、わかってきました。そういえば、あなたは、お若い頃、ジャズを好まれ、ヴィブラフォンをひいていらしたそうですね。 一九三七年にお生まれとのことですが、そのことでも、ぼくは、凄いな、いいな、と思い、羨望の念を禁じえません。ぼくらの国には、どのような理由によってかはわかりかねますが、あなたのように堂々と大人でいて、しかも大人の男ならではの色気をただよわすひとが、あまりみあたりません。あいもかわらず、ぼくらの国では、お若いですね、ということばがほめことばとして機能しつづけています。たいていのひとは、お若いですね、といわれれば、ニコニコします。そのような国では、あなたのように堂々と大人の男でいることが難しい、ということなのかどうか、ぼくは、あなたの、大人の男にしかうたえない、渋くて味の濃い、独特の香りのある歌に耳をすませながら、考えないではいられませんでした。 ぼくは、極上の豆でいれたエスプレッソ・コーヒーにまさるコーヒーはない、と考えておりますが、あなたの歌をきかせていただいていると、極上の豆でいれたエスプレッソ・コーヒーを口にふくんだときの、あの、他の飲物からは感じられるはずもない大人っぽい味わいを思い出します。いれ方にあれこれわずらわしい手続きがあるわけでもないのに、コーヒーならではの香りと味わいを強烈に主張するところが、エスプレッソ・コーヒーの粋なところといえなくもないでしょう。 あなたのうたわれる歌やひかれるピアノもまた、ややこしいことをさらりとかいくぐったところで、音楽を楽しみつくしている。表面的には好き勝手なことをしているようにみせながら、どうしてどうして、しっかりご自分の、まさにパオロ・コンテならではの歌の世界にききてをつれていくときにあきらかにされる、あなたの大人の音楽家ならではのしたたかさは、メル・トーメとかトニー・ベネットとか、そのような超一流の歌い手だけがそなえているものです。 嬉しいことに、ぼくの友たちはみんな、いいね、パオロ・コンテは、といってくれました。しかし、エスプレッソ・コーヒーを苦いといって敬遠し、そのあげくチョコレート・パフェに舌鼓をうつひとが大勢をしめるようなところでは、はたしてパオロ・コンテの歌はどのようにうけとられるのであろう、と若干の不安がなくもありません。 声でもうたいぶりでも、さらにはあなたのおつくりになる歌のことばや音楽でも、堂々と、立派におじさんをやっておいでのあなたの素晴らしさを感じとろうとしたら、ぼくらは、若さだけを讃える単純をしりぞけ、エスプレッソ・コーヒーの粋に学ぶべきかもしれません。あなたの歌の、他に類のない濃厚な味わいは、もしかすると、嘴の黄色いヒヨコや厭味に若作りしている無理若丸をいさぎよく拒否したからこそ可能になったのでしょう。 同世代の男のひとりとして、ぼくは、パオロ・コンテに、最大の賛辞を捧げ、大いなる共感と尊敬の念を表明したい、と思います。そして、望みうることであれば、ぼくもこうありたいものである、などと欲張ったことも考えたりします。 |
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