パブロ・カザルス
 
スペインのチェロ奏者、指揮者、作曲家。1876年にカタロニア地方で生まれ、1973年にプエルトリコのサンファンで亡くなっている。1900年初頭にはすでに、独奏者として、あるいは室内楽演奏者として高い名声をえていた。1936年にスペインで内乱が起こると、共和制を支持し、フランスに亡命した。そして、フランコ政権がつづくかぎりスペインにはもどらないと決意をした。バッハの無伴奏チェロ組曲を20世紀によみがえらせたことでも知られている。

 先日、パコ・デ・ルシア・セクステットの演奏会を、きいてきました。初日のコンサートをきいて、あまり素敵だったので、音楽好きの友だちをさそい、最終日のコンサートもききにいきました。
 パコ・デ・ルシアは、きりっと背筋をのばした、鮮血のほとばしるような、素晴らしい音楽をきかせてくれました。スペインの伝統的な音楽と、彼がひと頃積極的にかかわっていたジャズとが、パコ・デ・ルシアのきかせてくれた音楽のなかで見事にとけあっていました。
 音楽で自己を語る、などということは、ことばでいうのは容易ですが、これはもう、現実にはなかなかなしえないことのはずです。それが証拠には、音楽風ではあっても、音楽になりきれていない音楽擬(もどき)があちこちの演奏会場で虚しくひびきつづけています。ぼくがパコ・デ・ルシアの演奏をきいて身ぶるいするほど感動したのは、彼が彼の音楽で、彼自身を、いささかの装飾もくわえずストレートに語りえていたからでした。そのようなパコ・デ・ルシアの演奏をききながら、このひとには、あのカザルスの孫のようなところがあるな、と思いました。
 当然のことに、パコ・デ・ルシアとあなたとでは、生きている時代もちがいますし、音楽の畑もちがいます。ぼくらの存知あげているあなたは、かなりの年配になられてからのあなたです。パコ・デ・ルシアはまだ四十代前半ですから、音楽家としてあたえる印象ということでも、ずいぶんちがいます。あなたの、ぐいぐいと押しだしてくる音楽に較べれば、この時代に生きるパコ・デ・ルシアの音楽のほうがはるかにスマートである、ともいえなくはないようです。そのように、相違点が多々あるにもかかわらず、ぼくは、パコ・デ・ルシアの演奏をききながら、あるいは、演奏しているときのパコ・デ・ルシアのただよわす毅然とした気配を目にしながら、このひとの身体にも、あのカザルスと同じ血が流れているにちがいない、と思わずにいられませんでした。
 蛇足ながら、書きそえさせていただきますと、ぼくは、体内をめぐる血の赤さの感じられるような音楽をきかせてくれる演奏家が、大好きです。野放図な情熱の噴出は好むところではありませんが、スペインのすぐれた音楽家のきかせてくれる音楽には、情熱という光を充分におさえこめるだけの抑制という影があるように思われます。
 あらためて申し上げるまでもなく、パコ・デ・ルシアは、あなたと祖国を同じくする音楽家です。あなたの祖国であるスペインは、昔から、尋常のメジャーでは計りかねるほど大きく、太く、重い芸術家を生みだしてきました。しかも、あなたの祖国の生みだした芸術家は、単に、大きく、太く、重いだけではなく、男臭さをも特徴としてきました。失礼をもかえりみず書かせていただきますが、あなたの、あるいは、このひともまたスペイン出身の芸術家ですが、ピカソの、きりっとなにかを見すえている表情をとらえた写真を拝見していますと、ぼくは、いつでも、直立した男根を思い出してしまいます。
 しかし、この時代は、どうやら、雷霆(らいてい)をはこぶペガサスのものではなく、泉の水にうつる自分にみとれたナルキッソスのもののようです。おそらく、ペガサスの大きさと太さ、それに重さを計るのは、ナルキッソスの細くしなやかな手では不可能です。その結果、時代の風潮としては、剛毅が優美に席をゆずり、勇み肌が野暮とそしられる傾向にあります。
 あなたの録音なさったディスクではほとんどかならず、演奏中のあなたによって発せられる呻き声をきくことができます。「わたしの生まれ故郷であるカタロニアの鳥たちは、ピース、ピース、と鳴きます」とおはなしになってから演奏なさったと伝えられているホワイトハウスでの「鳥の歌」でも、あなたの呻き声がきかれます。きっと、あのときのあなたの呻き声は、平和を願うあなたの祈りが、あなたの大きな胸にあふれ、こぼれ落ちるときにもたらしたものにちがいありませんでした。
 ぼくは、あなたがホワイトハウスで演奏なさった「鳥の歌」をきくと、いつでも、万感胸に迫り、なにもいえなくなります。これが音楽だ、と思い、同時に、これはすでに音楽をこえた祈りだ、とも思います。あの「鳥の歌」は、真に剛毅なペガサスだけにうたえた祈りの歌でした。
 ホワイトハウスでの「鳥の歌」をおさめた「ホワイトハウス・コンサート/カザルス」のディスクには、当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディとか、あるいは行儀わるく足をなげだしているジャクリーヌといったひとたちからなる聴衆の拍手にこたえ、チェロを片手に頭をさげているあなたの写真が、掲載されています。一九六一年の十一月十三日、あなたはあの日、特別の事情があってホワイトハウスで演奏をなさったのでしたね。「鳥の歌」はそのコンサートの最後に演奏されました。
 それから半年もたっていない一九六二年の三月二十二日、アメリカに支援された南ベトナム軍はベトコン・ゲリラ掃討の目的でサンライズ作戦を開始しました。それをきっかけに、あなたの平和への祈りも虚しく、あの不幸なベトナム戦争がはじまりました。あなたが平和への祈りをこめて切々とうたった「鳥の歌」も、時のアメリカ大統領にとっては、馬の耳に念仏でしかなかったのです。あなたは、ホワイトハウスで、頭などさげる必要はなかった、と思い、あの写真をみるたびに、ぼくは、柄にもなく義憤を感じてしまいます。
 しかし、さいわいにして、ぼくらは、誰にもまして誠実に音楽で自己を語りつづけられたあなたの剛毅な音楽を、そのホワイトハウスでの「鳥の歌」もふくめ、残されたディスクできくことができます。あなたがあなたの楽器であるチェロでひかれたバッハやベートーヴェンはもとより、指揮をされたモーツァルトやシューベルトをきけば、ぼくは、音楽のむこうに、雷霆をはこんで空を飛ぶペガサスをみて、その勇気に鼓舞され、おのれのうちの軟弱を追放することができそうに思えてきます。
 大切なことを大切だといいきり、しかも、その大切なことをいつまでも大切にしつづける、という、ごくあたりまえの、しかし、現実には実行が容易でないことを、身をもっておこないつづけて一生を終えられたあなたのきかせて下さる音楽に、ぼくは、とてもたくさんのことを学んでまいりました。
 ありがとうございました、パブロ・カザルスさん。これからもなお、ぼくはスペインだけが生みだしえた巨大なペガサスを仰ぎみつづけながら、ぼくの道を探していこうと思います。ありがとうございました。