今日も朝から雨。
いつから降り始めたか、いつまで降り続くのか、いつになったら終りになるのか、ただ、しとしとと雨が降る。夜の真黒な空から細く白い一すじ一すじが絶え間なく窓をかすめて、暗闇に消える。遠くの路面が、うす明るく光ってどこまでも続く。その向こうの遠くから車のライトが近ずくと、路面の濡れた光がゆれて長く尾を引いて、輝きを増しながら、白から次第に黄色っぽく、さらにだいだい色に、大きく広がっていく。窓のガラスのしたたりおちるしずくで、そのだいだい色の、二つの光は、ゆれながら、ゆらめき、ふるえ、くずれる。なんだか、涙を通して、ぬれたまつげの間から通してみたのも悲しい風景だなあ。そう、こんな風に濡れただいだい色の光をみたのは、いつだったっけ。
あのときもやっぱり悲しかった。もっともっと、つらく、悲しかった。
あれもやっぱり暗くてじめじめして、そうではないのに、まるで梅雨のようなしめった日陰の、年中陽のあたらない部屋だったなあ。ちっぽけな窓を開けたって、隣の家の板べいが、眼のとどくかぎり続いていた。小さくて暗い部屋だけど、古くて湿っぽい部屋だけど、東京にやってきたばかりの僕にとってこの部屋は、やっぱり気がねなく手足を伸ばせる唯一の場所だ。だから、カセットでなく、音楽のためのすこしばかしの装置が並べてあったオーディオ・システムなんて呼べたものではないかもしれない。ジャンク屋を漁って、みつけてきたロクハン(六インチ半)のスピーカーを板にとりつけて、天井から吊りさげただけの見栄えのしない物だけど、とても千円とは思えないいい音を出していた。そばで聴いている限り、エラの堂々たる声量だって、クリス・コナーのしゃれた歌いまわしだって、まるでステージの歌手の位置までわかる程に、デリケートな音の動きもくっきり出ていた。無名のちっぽけなこのスピーカーがこんなにいい音で鳴るなんて、掘り出してきたときには、夢にも思わなかった。だから「こんなラッパ、早く換えなけりゃ、いい音が出るわけないよ」なんて、たまにきた友達にけなされると、そうでなくとも滅いりがちなこの部屋の僕を、ひどくがっかりさせて、それこそ、雨の日のような気分で『レフト・アローン』を聴いていた。ピアノの音のなんとなくか細いのが、そうでなくてもうすら寒い空気をたたえた貧弱な部屋の、すりきれた畳のせいだろうと思い、いつも不足がちな小遣いのため腹のへっているせいだと思いこんでいた。当時としては、たぶん、けっして少なくないはずの30W+30Wの出力を持ったトランジスター・アンプのパワーなら十分に力強い音が得られないわけはないと信じていたし、それ以上に、信じこみたかったのだ。
ピアノの音だけが不満足というのなら、歌の好きな僕は我慢ができた。あのころ、よく聴いていたナット・コールの「アフター・ミッドナイト』の彼の声は、少しハスキーがかった落着いた節まわしなのに、サ・シ・ス・セ・ソがばかに強められて気になった。憂うつな部屋で聴くとレコードの中のナット・コールもブルーになるのかしら。軽やかでしゃれた本来の彼はやけに湿っぽくなってとげとげしたものだ。
それでも、僕は装置への投資の少ないせいだとあきらめ、もっと高いブックシェルフであれば、きっといい音がすると思いながらも、半分あきらめ、半分買ったばかりのアンプを信じていた。
それから半年も、聴いていたろうか、その部屋のちっぼけなスピーカーは、ある日突然のように、変わった。それは、ジャズを通して知り合った、同じようにトニー・ベネットが大好きな「あいつ」が、始めてこの部屋にやってきた時だった。たのまれて、運ぶのを手伝ったアンプを、ひとまずこの部屋でならしてみようと、床をきしませながら、重たい真空管アンプを古机の上に置いて、今までのアンプにつながっていた線を真空管の並ぶシャーシーの下につなぎ換えた。たまたま、手元にあったカウント・ベイシーをバックにしたトニー・ベネットが、信じられないようなスケールと迫真力とで、小さなスピーカーの間にステージを拡げた。今までのような、痩せたギスギスが嘘のようになくなって、どっしりした深みがトニーの声に加わり、安定した豊かな厚い力がべーシーのバンド・サウンドをささえた。まったく、信じられない程の変化が、たった千円の小さなスピーカーにもたらされた。いや、スピーカーだけじゃなかった、聞いている僕たち二人の内側も、汚れて湿ったこの部屋全体も……。
聞いているうち、なぜか涙が溢れてその涙に、真空管の中のだいだい色の輝きがゆれて、ふるえた。(一九七六年)