数え年で、昔ふうにいえばこの正月(一九七五年)私は五十六歳になった。私は観相をするが、多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う。あと二年。その為ちかごろレコードをかけていても死んだ時のことを考える。死後のさきはわからない、息をひきとったあと、通夜から葬式まで、枕もとに坐った家内や娘の光景を想う。それと臨終にかけつけてくれた知人のことを。
 何ひとつ、碌なことをしなかった私の人生であるが、せめて通夜のあいだ、好きなレコードを聴かせてほしい。ボリュームをしぼって。私が大切にしたスピーカーで。私は日本人だから、線香は立ててもらいたいが、お坊さまの読経はどうでもよい。それより、幾つかの曲を、プレヤーをあつかい馴れた知人の手で掛けてほしい。
 バッハの『マタイ受難曲』は、私ごとき人間には過ぎた曲である。でも私はひそかに自分は昭和のイエスではないかと想った時があった。嗤うのはたやすいだろうが、こうした実感なしでどんな受難曲の聴き方があろうか。自分がいちばん惨めなとき私は十字架にかけられたイエスを視てきた。エリ・エリ・ラマ・サバクタニ、そう叫ぶ神の子を。私は日本人で、カール・バルトの弁証法神学を一生懸命勉強したが、私という人間の体質はいささかも変らなかったのを知っている。むろん、勉強の仕方が至らなかったからにきまっているが、どう仕様があろう。むしろ『マタイ受難曲』を聴いて感動するのをそれは妨げないことの方が驚きではないか。
 バッハの『マタイ受難曲』は、単に至高の音楽であるばかりでなく、恐らく、古今を通じ人類が有った最高の傑作だろうから、聴いて感動するのは当り前ながら、でも私のような碌でもない者にイエス・キリストを顕現してくれるのはどうしてだろうと、やはり私は考えるのだ。
 マタイを聴いて、私がもっとも驚き且つ感動するのは囚人バラバにかわってイエスを十字架にかけよ、と叫ぶ群衆の凄まじい迫力を描いたあたりである。不吉な減七和音で、
「バラバ!」
 と叫ぶ群衆の劇的迫力は言語に絶するものがある。のみにかぎらない、全曲を通じて、およそ神の子イエスを罵り、彼は死に当るものだと叫び(四十二曲)イエスの流す血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってもいいと言い(五十九曲)、更にはユダヤの王ばんざいと嘲弄する(六十二曲)愚かでこう言っていいならまことに涜神的な群衆を、驚くべき迫真力でバッハは描破している。こんなことが、だが許されていいのかと日本人の私は怪しむのである。
 もちろん、バッハはTマタイ伝U第二十六章および二十七章をテキストとしてこの受難曲を書いた。イエスをののしる群衆の有様は聖書に記されているのだから、そのまま活写してふしぎはないようなものの、申すなら、そこは神に仕える者には目を蔽いたい涜神のくだりである。凄まじい迫力でそれを作曲できるというのは、つまりはバッハの中に神を冒涜する群衆が棲んでいるからではないのか? これが天皇の尊厳を侵した記事であった場合、戦前の教育をうけた者なら忽ちに巻を抛ち、目を覆うだろう。武士は主君の悪口を舌を齧んでも口外しなかった。ましてや冒涜の作曲などいかに音楽的天分があろうとも為し得ぬことで、師の影さえ三尺さがって踏まぬのが人の道だった。今日では滑稽なようながら、こうした敬虔さが美徳でないわけはなかろう。時代錯誤的なようだが、帝を罵る文章に作曲する者がいたら、いかにまっとうな典拠によるものであれ、戦前、日本国内では生きられなかったろうと思う。
 比喩は拙いが、本質は変らないと私には思えるのである。作曲したこと自体より、作曲された音楽のもつ傑出性に、バッハの中の涜神を私は見るおもいがするのだ。ライプチッヒの聖トーマス教会の合唱長としてバッハはこの『マタイ受難曲』を作曲した。「彼はそのすべての楽譜をS. D. G(神に栄光あれ)で飾ったし、バッハの勤勉な生活を支え維持したのは信仰の力である」(シュヴァイツァー)のを毫も私は否定しない。涜神だけの音楽家に『マタイ』ほど敬虔な感動に溢れる作品がつくれるわけはない。そんなことはわかりきっている。バラバにかわって十字架につけよと群衆の叫んだあと、おおおそろしき罰、僕のために主はその罪をあがないたもう(五十五曲)とロ短調四分の四拍子のコラールがつづくのを聴いて、ここで泣かぬものは人ではないとまで、私は感動し、涙を流す。つづくアリア――愛のゆえにわが主は死にたもう(五十八曲)――のフリュートと二本のオーボエ・ダ・カッチアのトリオを伴奏としたソプラノの抒情も、比類がないし、更に六十一曲のアリア――たとえわが頬に涙の流れざるとも主よ、わが心をくみ給え――に至って私は神の声を聴くおもいがした。こうした崇高な、カザルス的に言えば「あらゆる高貴な感情の深奥にまで到達せずにおかぬ」バッハの倫理的偉大さは『マタイ』の随所に聴きとることができる。それはわかっているが、そうした倫理感と涜神がどうして神に奉仕する人の中で両立し得るのか? 私にはふしぎなのである。
 神の声を聞くといえば、十字架にかけられ終にイエスが息絶えたあとにつづく有名なコラール――この受難曲の主導動機ともなって、繰り返し(第二十一曲、二十三曲、五十三曲、六十三曲に)歌われる息をひそめて聴き入らずにいられぬあの悲壮で感動ふかいコラールが、実はバッハの作曲ではないのを知り、愕いたことがある。皆川達夫氏の解説によれば、あのコラールは十六世紀ドイツの作曲家ハスラー(Hans Leovon Hassler 1564~1612) の作品だそうで、それも恋の歌だという。《わが心はみだれ Mein Gem氈t ist mir verwirret》
『マタイ受難曲』は幾度強調してもしすぎるとはおもえぬほどに劇的で、偉大ですばらしい。まさに「この傑作、あらゆる音楽で至上のもの」(フルトヴェングラー)だ。だがあの群衆の涜神の叫びと、それにつづくふかく感動的なコラールが無かったら「至上のもの」といえるかどうか。少なくとも私に於ては疑念がのこる。私は『マタイ受難曲』をクレンペラーの指揮によるもの、コンツェルトヘボウを振ったオイゲン・ヨッフムのもの、それにカール・リヒター盤と三組もって、折々取出して聴くが、これぐらいの傑作になればもう誰の演奏だろうと曲の有つ感動の深さには大差ない。せいぜいソプラノやアルトの詠唱に好みを見出すくらいである。でも、それも群衆の叫びと主導動機のコラールが聴ければこそだ。そんなコラールが、バッハでない他人の作曲だったとは、どういうことなのか。畢竟、バッハは涜神の声でしか偉大さを創造しなかったのか?
 フルトヴェングラーは、コラールは訓練された合唱団が歌うような合唱であってはならない、何故ならそれは群衆の歌なのだから、と言ったそうで、そもそもコラールなるものが「ドイツ・プロテスタント教会会衆たちが教会でも、家庭でも聞き馴れ、うたい親しんできた共有財産であり、これを受難曲に使用することでバッハの作品は教会ないしは全会衆のための礼拝音楽たる形をととのえることになるし、これによって、キリストの受難に対する一人一人の会衆の主観的な感情も全キリスト者とともにあるという、共同意識のうちに客観的なものに高められることになった」(皆川達夫氏)という説明はわかる。ハスラーの原曲は、そんなドイツ・プロテスタント教会コラールの中でも有名だった。してみれば殊更な剽窃ではないのだし、ヘンデルの『メサイア』にも感動的な余人の作になるコラールは挿入されているらしい。バッハの所為でないことは、だから理屈としてはわかる。つまり、こういうことだろう、シュヴァイツァーも指摘したようにバッハには劇的な天分も音楽的それと同じくらいそなわっていて、ハスラーのコラールを劇的観点からかくも見事に採用したその着想こそ『マタイ』はバッハの創作になるものと看做すべきである、と。けっこうだ。たしかに第二十一曲でホ長調だったものが第二十三曲では半音下げて変ホ長調になり、第五十三曲ではニ長調に、六十三曲ではニ短調として変曲されその悲劇感をつよめて後、最後のイエスの死ぬ第七十二曲ではイ短調の劇性で旋律は歌われる。もう大バッハの音楽である。そしてこの辺にくれば、ハスラーだろうとバッハだろうと其処にはまぎれもなくTあがない人Uイエスのわれわれの罪を背負って磔された悲壮な姿が現出され、私などはその姿を仰いで滂沱と涙にくれる。熱烈なプロテスタントであったはずのバッハに涜神の群衆が棲んでいたことにこそ、私はこの時、そして救われる。通夜に集うてくれた少数の知人と一緒に、死の床で静かにこの曲をきかせてほしいと念うゆえんである。
 ずいぶん人の道に私は背いて生きた。ろくなことはしなかった。妻を幾度も裏切った。その度に、おのれの才能をも裏切ることしか私はしなかったようにおもう。仕方があるまい。女に惚れたから妻を男は裏切るものでもない。決断がにぶったから結果的にそうなることだってある。むろんこんな愚行は涜神にもなるまいし、あくまで愚行だが、そのために女が自殺したら、これはもう神との問題にならないか。自分と神との。「神は死んだ」と言われだして何年たつか知らないが、もともと、キリスト教的神観念などわれわれは持たないのだから、死にようもない。だが神はいる。「神話に見放されたおかしな神々」を本気で楽劇に登場させた音楽家だっているのだ。夏の盛りに、わざわざバイロイトまでその神を観に往く人がいるあいだは、神は存在する。シュヴァイツァー博士の弾くバッハをむかし、レコードで聴いたとき僭越ながらこいつは偽善者の演奏だと私は思い、以来、シュヴァイツァーを私は信用しないが、でも、神はいるのである。
 この正月、NHKのFMで『マタイ受難曲』の放送があった。それを機に、カール・リヒターのアルヒーヴ盤と、クレンペラーのを聴きなおし、丸二日かかった。ことしのお正月は何もせず『マタイ受難曲』と対合って過ごしたようなしだいになるが、聴いていて、今の日本のソリストたちで果して『マタイ』が演奏できるのだろうか、と考えた。出来やしない。これほどの曲を碌に演奏もできず、アップライトのピアノばかりが家庭に売りこまれてゆくとは、何と奇妙な国にぼくらはいるんだろう。指揮者だってそうだ、洟たれ小僧がアメリカで常任指揮者になったといってピアノを買う手合いは、大騒ぎしているらしいが『マタイ受難曲』は彼には振れまい。心ある人は欧米にだっているに違いないので、そういう人に受難曲やミサ曲を振れようのない指揮者は何とうつるだろう。悲しいことだ。でも背伸びしてどうなるものでもない。さいわい、われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる――神を異にする――民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い――それこそ至高の――音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。