同じFM放送でも、装置によって音が違ってくる
 FMが若い人たちに愛好されるのは、音がいいからにきまっているが、この〈いい音〉を定義づけるのはまことに厄介で、そもそも美音は測定のしようがない。水に似ている。
 茶人は茶をおいしく点てるために水を吟味するが、井戸の水、岩間に湧く泉、滝から落ちる水、いずれも H2O だ。泉から汲んだばかりの水も、それを二日間寝かしておいても H2O に変わりはない。だが、寝かした水と汲み立ての生水では、まるで風味が違うと茶人はいう。寝かした水のほうが味はいいそうである。同じ泉から汲んだ水でそうなので、ましてこれに湯加減――熱度の差が作用する。
 音も似たようなものだ。同じスピーカーやチューナー、アンプでも同質の音が鳴るとはかぎらない。家庭でFMを録音するとき、これにテープヘッド、テープそのものの微妙な差が加わってくる。エア・チェックを楽しんで私は二十年になるが、つくづくTいい音Uは常時わがものとはし難いことをさとった。だからといって、よりよい音への願望をマニアは捨てきれるものではないから、いい音で採ろうとサンタンたる苦労をする。まさにドロ沼である。
 私のばあいはクラシック――それも主として海外における音楽祭での演奏の収録が目的であるが、時にはハイティーンの娘のためにロックやジャズを採らされることもある。ロックといえば、あるエレキ・バンドの練習に立会わされたとき、そのスピーカーから出る音(とくに低音)が歪んでいるのにあきれ返り、なぜもっといいスピーカーにしないのか、こんな音で演奏を練習したことになるのか、ときいたら、「ボクラは耳ではなく、からだで音楽を受けいれる。アンプで増幅されたこういう低音でないと感じない」と言われ、二の句がつげなかった。
 考えれば、だが、ディスコティックのあの騒音にこそヤングはしびれ、没我の境地で踊れるのだろう。そういう騒々しく歪んだ音に、かえって美を感じる新しい感性を目覚めさせているのかもしれず、そうなればFM(その再生音)への取組み方もおのずとクラシック愛好家のわれわれとは違ってゆく道理か、とも思い直した。
 このことはNHKと民放(私の聴く場合はFM東京)の音色にも当てはまるかも知れない。正直言って、FM東京の音を私はきらいである。高域がシャリついて、NHKを真空管アンプの味にたとえるなら、安物のトランジスターの音がする。ただし、パイオニアのレシーバーに英国製KEFの小型スピーカーをつけた娘の装置で聴けば、NHKよりむしろFM東京の音は、いわゆるハイ・ファイ的にきこえるから奇妙である。FM番組の広範な享受層を想えば、だからいちがいにFM東京を下品な音だと非難はできぬわけで、この辺は放送局のポリシーの問題になるだろう。

よいチューナーほど放送の欠点も拡大させてしまう
 ――いずれにせよ、送り手たる放送局の音ひとつをとっても、娘の部屋と私の部屋では音色が違うのだ。まあそれくらい音というのは厄介なしろもので、ホームユースのFMチューナーではまず一級品を私は使用しているが、おかげでかえって、娘の装置では発見できぬステレオ放送のL(左)とR(右)のアンバランスをシビアにとらえるというはなはだ不都合なこともあり、若い人には――二十年の経験から――チューナーにむやみに高値なものを望むのはお止しなさいと、助言したい。高級品はそれなりのよさを持つことは確かだが、メーカー品であれば、今では標準のチューナーで充分、家庭で音楽を鑑賞するに過不足ない音を出してくれる。大事なのは、いい音楽を(できるなら優れたソリストの演奏で)まず聴き込むことだ。
 まえにも言ったが、時間をかけて、音楽的教養を身につけること。音をイジるのはそれから先でもおそくはない。