本誌でTオーディオ巡礼Uをはじめることになった。すでに多くの読者から小生の訪問を希望する申込みを受けている。わりあい私は講演旅行や、取材で旅には出るほうなので、そんなおり、ふとその地方の愛好家の音を聴いてみたいと思うことが、これまでにもあった。しかし何日の何時に訪ねるとスケジュールを立てることが、どうにも私には出来ない。およそスケジュールにハマった行動というのが私は苦手で、けっきょく、むなしく其処を離れてしまう。せめて愛好家諸氏の電話連絡先でも編集部へしらせておいてもらえたらと思う。
もう一つ、はじめにこれは言っておきたいが、けっして高級機種の音を聴こうとは思ってはいない(そういうことでなら日本に輸入された最高級のものは各パーツにわたって私は一応知っている)。私が聴きたいのはメーカーが公称する音ではない、その人の部屋で、創り出される音楽だ。同一メーカーの、同じアンプ、同じスピーカーを使っても各人の鳴らしている音はどこか皆ちがう。生活の場が違うように。ボリューム一つにしても、当人にとってはかけがえのない調整の一点というものがある。余人には多少ずれてもどうってことはないように聴こえるのに、当人には、その一点でなければ音楽は色あせてしまう。そういう一点を決定させるのはその人の教養だろう、生き方だろう。そんな、文学的表現のゆるされるならその人の人生の音を、私は聴きたい。
よく、金にあかせてオーディオ誌上などで最高と推称されるパーツを揃え、カッコいい応接間に飾りつけて、ステレオはもうわかったような顔をしている成金趣味がいる。そんなのを見ると、私は横っ面をハリ倒したくなる。貴様に音の何が分るのかとおもう。こんなのは本でいえば、豪奢な全集ものを揃え、いわゆるツン読で、読みもしないたぐいだ。
全集は欠けたっていいのである。中の一冊を読んで何を感じるか、それが君の生き方にどう関わりを持ったか、それを私は聴いてみたい。その人の血のかよった音を、聴きたい。
重ねていうが、部品の良否は問うところではない。どんな装置だってかまわない。君の収入と、君のおかれた環境でえらばれた君の愛好するソリストの音楽を、君の部屋で聴きたいのだ。私はキカイの専門家ではないし、音楽家でもない。私自身、迷える羊だ。その体験で、ある程度、音の改良にサゼッションはできるだろう。しかしアンプの特性がどうの、混変調歪がどうのと専門的な診断は私に出来るわけがない。そういう専門家のもっともらしい見解に従って改良をやり、実は音のよくなったためしは私の場合、あまりなかった。大体、それでよくなるくらいなら、はじめっからメーカーはそのように作っているだろう(およそオーディオにくわしい専門家の頭脳を結集してメーカーは製品を造っている。それらを組み合わせても、意のままに鳴らないのが音というやつである)。
ディスクやテープを再生して音楽を聴く限り、そもそもナマそのままに鳴るわけがない、したがって再生音に、真の意味で良否があるわけがない、あるのは好きな音か、嫌いな音かだけだ。私はそう思っているから、好ましい音色を告げることは出来るが、改良に役立つ専門的知識を期待されて、訪問を望まれるなら、お互いに無駄なことも知っておいてほしいと思う。その上で、あなたの好きな演奏家のレコードを(いい音で鳴るレコードでもいいのだ)一緒に聴きたい。
さて今回は、野口晴哉氏と岡鹿之助さんの装置を巡礼した。これには二つの理由があった。
編集部では、第一回目だから、なるべくオーディオマニアの垂涎のまとであるような最高パーツの組合わせでどんなふうに鳴っているかを、聴いてみてくれという。できればグラビアに豪奢なそのリスニングルームの写真をでんと飾りたいと言う。阿呆な話だ。写真が音を出すわけではないぞ、と私は言ったが、「最高のパーツ」というこれには、弱い。
野口氏は、私の知る限り日本で最もぜいたくな聴き方をしてこられた人である。昭和二十八年の初夏だったとおもうが、英国製のTアコースティカル・コーナーリボン・スピーカーUというのが、当時米オーディオ・フェアーに出品され、アルテック・ランシング820A(TA7Uの前身)とともに最もすぐれた音質と評価されていた。私はそれにあこがれていたが、米ドルで七百ドル。当時は今とちがってオーディオ部品の輸入価格はドル千円の割合いになったから、つまり七十万円――無名作家には気のとおくなる値段だ。それが野口氏のところに購入されたと聞いて矢も楯もたまらず、訪問したことがある。
野口さんには無論それが初対面だったが、以前から、クレデンザでずいぶんSPを聴かれたという噂はきいていたし、昨日や今日のレコード愛好家でないことはわかっていたが、さて訪ねてみて驚いたことには、ステファン社のトルーソニック、アルテック・ランシング、タンノイ、ゼンセン、ワーフデェル、当時めずらしかったジーメンスのスピーカーなどごろごろしている。たいがいの欧米製アンプもある。これはだいぶ私よりお熱いぞと思ったが、さてそんな数多のスピーカーとは別に、ひときは燦然たるコーナー・リボンが二階大広間の隅に――金屏風のかどに据えられてあった。たしかリークのアンプ(ポイント・ワン)でバイナム指揮によるハイドンの交響曲九七番を聴かせてもらった。オーケストラを聴くには繊細すぎる音色の感じがしたが、デッドな和室のためだろうとおもい、適度に残響のある天井の高い応接室で、しみじみ聴けたらなあと思ったのを忘れない。
それはまぎれもなく正統派の、英国の伝統をひびかせる音だった。T正統派Uという言い方はあいまいだが、リボン・トゥイーターの金粉をまき散らすような、それでいて粒子の一つ一つが輝きをもつその高音域の繊細な美しさは、ちょっと類がない。大体カートリッジやアンプは、ずいぶん改良され、機能に著しい進歩をみているが、スピーカーだけはコーンを(あるいはジュラルミン板を)振動させて音を出す方式は昔のままで、かわっていない。かけ出しのメーカーには、だからどうしても出せぬ音色というものがあるわけだ。かんたんにそれを私は伝統をもつひびきと呼ぶのだが、何にせよTコーナーリボンUのかがやきは今も耳にのこっている。
岡画伯の場合は、装置は高城重躬氏の構成になるものだから、いっそ高城邸を訪ねればという意見が編集部であった。私は言った。高城氏のは、車でいえばプロトタイプのレース用マシンである。なるほどスピードは出るかも知れないが市販はされていない。
トゥイーター一つにしても後藤ユニットとやらの特別製、ウーファーも特製で(高城氏はこのT特別製Uというのがお好きである)つまり一般ユーザーには手に入らない。そんなものでどれほどいい音が鳴ろうと、高城氏のエリート意識は満足させられるだろうが余人に聴けないものなら、T巡礼Uの対象にはなるまい、と。私の知りたいのは、ツーリング・カーの乗心地――もしくはそれを運転している人の、技術である。だれでも入手できてこそ、その音は論評の対象になる。
その点、岡さんのは、ふつうに手に入るパーツで構成されており、私の印象に間違いなければ、それは高城氏の傑作のひとつだった。モノーラル時代だが、すでにマルチアンプシステムが採用され、高、中、低音ともスピーカーはワーフデェル、ウーファーは底辺から天井へ向けてホーン型にまとめられたエンクロージァで、高城氏の創作である。その出す音のふくらみと、調和のとれたこころよい響きは、高城氏がどれほど音響学に造詣の深い人かを教えてくれた。私はこの岡邸の音をきいて、高城さんに心服し、以来ハイ・ファイを志向する若い編集者が相談にくると、「高城先生に作ってもらいなさいよ」とすすめた。何人かはそうして多忙な高城先生の厄介になった。むろん私もその一人だが、そういう意味で高城邸は当時、オーディオのメッカだったとおもう。
――以来十余年、いまでは欧米メーカーのパーツは容易に手にはいり、ことにスピーカー・エンクロージァはオリジナルで聴くことができる。そんな時代になっても岡画伯は、むかしのままで聴いていらっしゃるとつたえられていた。岡画伯のもとへ行けば、つまり音のふるさとがあるわけだ。さまざまな機種を購入し聴いてきた私のオーディオ遍歴で、もう一度、ふるさとの音へ帰れるのである。そう思うと、このT巡礼Uをはじめる前に岡さん宅を訪ねておきたかった。何年ぶりかでお電話したら、「どうぞどうぞ」昔と変らぬ、人柄そのままな優しい声でうべなって下さった。日を約して私は訪ねていったわけだ。ちょうど、野口さんを訪問した翌日である――
野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた。門をはいると、玄関わきのギャレージに愛車のロールス・ロイス。野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる。しばらく当時の想い出ばなしをした。
リスニング・ルームは四十畳に余る広さ。じつに天井が高い。これだけの広さに音を響かせるには当然、ふつうの家屋では考えられぬ高い天井を必要とする。そのため別棟で防音と遮音と室内残響を考慮した大屋根の御殿みたいなホールが建てられ、まだそれが工築中で写真に撮れないのが残念である。
装置は、ジョボのプレヤーにマランツ#7に接続し、ビクターのCF200のチャンネルフィルターを経てマッキントッシュMC275二台で、ホーンにおさめられたウェスターン・エレクトリックのスピーカー群を駆動するようになっている。EMT(930st)のプレヤーをイコライザーからマランツ8Bに直結してウェストレックスを鳴らすものもある。ほかに、もう一つ、ウェスターン・エレクトリック594Aでモノーラルを聴けるようにもなっていた。このウェスターン594Aは今では古い映画館でトーキー用に使用していたのを、見つけ出す以外に入手の方法はない。この入手にどれほど腐心したかを野口さんは語られた。またEMTのプレヤーはこの三月渡欧のおりに、私も一台購めてみたが、すでに各オーディオ誌で紹介済みのそのカートリッジの優秀性は、プレヤーに内蔵されたイコライザーとの併用によりNAB、RIAAカーブへの偏差、ともにゼロという驚嘆すべきものである。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。私ははじめにペーター・リバーのヴァイオリンでヴィオッティの協奏曲を、ついでルビンシュタインのショパンを、ブリッテンのカルュー・リバー(?)を聴いた。
ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。高域がどうの、低音がどうのと言うのは些細なことだ。鳴っているのは野口晴哉というひとりの人の、強烈な個性が選択し抽き出している音である。つまり野口さんの個性が音楽に鳴っている。この十七年、われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と、尨大な出費をついやしてけっきょく、ただ一つの音色しか鳴らされないというこれは、考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。画家は、どんな絵具を使っても自分の色でしか絵は描くまい。同じピアノを弾きながらピアニストがかわれば別の音がひびく。演奏とはそういうものである。わかりきったことを、一番うとんじているのがオーディオ界ではなかろうか。アンプをかえて音が変ると騒ぎすぎはしないか。
安っぽいヴァイオリンが、グワルネリやストラディヴァリの音を出しっこはないが、下手なヴァイオリニストはグワルネリを弾いたって安っぽい音しかきかせてくれやしない。逆にどんなヴァイオリンでも、それなりに妙音をひびかせたクライスラーの例もある。ツーリング・カーの運転技術と私が言うのはここなのだが、要するにその人がどんな機種を聴いているかではなく、どんな響かせ方を好むかで、極言すれば音楽的教養にとどまらずその人の性格、人生がわかるように思う。演奏でそれがわかるように。
音とはそれほどコワイものだということを、野口さんの装置を聴きながら私はあらためて痛感し、感動した。すばらしい音楽だった。年下でこんなことを言うのは潜越だが、その老体を抱きしめてあげたいほど、一すじ、かなしいものが音のうしろで鳴っていたようにおもう。いい音楽をきくために、野口氏がこめられてきた第三者にうかがいようのない、ふかい情熱の放つ倍音とでも、言ったらいいか。うつくしい音だった。四十畳にひびいているのはつまりは野口晴哉という人の、全人生だ。そんなふうに私は聴いた。――あとで、別室で、何年ぶりにかクレデンザでエネスコの弾くショーソンのTポエームUを聴かせてもらったが、野口氏が多分これを聴かれた過去当時に重複して私は私の過去を、その中で聴いていたとおもう。音楽を聴くとはそういうものだろうと思う。
岡画伯の場合は、高城さんと岡さんが響きの中で重複して私にはきこえた。岡画伯の部屋はアトリエだから、これ又うらやましいほど天井が高く、遮音も完全で、窓外を疾る車の騒音は入ってこない。
十数年前の、そのアトリエのたたずまいをうろおぼえに私は憶えていた。高城氏の創られた音に初めて耳をかたむけたソファの位置も、おぼえていた。それにあの忘れようのないスピーカーエンクロージァ。
しかし、鳴り出した音は、ちがった。ふるさとの音はなかった。当時はモノで今はステレオだからという違いではない。むかしはワーフデェルで統一されていたが、今はスコーカーに三菱のダイヤトーン、トゥイターは後藤ユニットに変っている。おそろしい変化である。後藤ユニットは、高域の性能でワーフデェルを凌駕すると高城さんは判断されたに違いない、聴いた耳には、ティアックA6010のテープ・ヒスを強調するための性能としかきこえない。三菱のダイヤトーンは中音域のクォリティに定評がある。しかしワーフデェルと後藤ユニットのあいだで鳴るその音は、周波数特性に於てではなくハーモニィで、歪んでいた。ラベルのピアノ協奏曲が、三人の指揮者の棒による演奏にきこえた。ピアノもばらばらにきこえた。どうしてこんなことになったんだろう、あの高城さんがことさら親しい岡画伯の愛器を、どうしてこうも調和のない音に変えられたのだろう。むかしとそれは変らぬすばらしい美音をきかせてくれる部分はある、しかし全体のハーモニィが、乱れている。少なくとも優雅で気品ある岡画伯のアトリエにふさわしくない、残滓が、終尾のあとにのこる、そんな感じだ。
むかしはそうではなかった。もっと透明で、馥郁たる香気と音に張りがあり、しかもあざやかだった。あの時聴いたバルトークのヴィオラ協奏曲のティンパニィの凄まじい迫真力、ミクロコスモスのピアノの美しさを、私は忘れない。どこへいったんだろう? こちらの耳が、悪いのか。
――おそらく私の耳のせいだろうとおもう。テープ・ヒスさえ消せば、以前とは又ことなった美しさを響かせるに違いないとおもう。高城さんほどの人が、さもなくてわざわざワーフデェルを三菱や後藤ユニットに変えられるわけがない。かならず別な美点があるからに違いない。こちらはそういう方面にはシロウトだ。音はどうですかと岡さんにたずねられたら、私は、ヒスのことを言ったろう。しかし岡さんは、さほどヒスは気にせず聴いていらっしゃる、ご本人が満足されている限り、第三者が音の良否など断じてあげつらうべきでない、これは私の主義だ。相手がメーカーや専門家ならズケズケ私は文句を言う。だがそれが家庭に購入された限り、もう、人それぞれの聴き方がある、生き方に人が口をはさめぬと同様、それを悪いとは断じて誰にも言えぬはずだ。第三者が口にできるのは、前にも言ったがその音を好きか嫌いかだけだろう。
岡さんは満足していらっしゃる。音をはなれれば、それはもう頬笑ましい姿とさえ私には見えた。何のことはないのだ、私だってヒスは気にするが、少々のハムは気にならないそういう聴き方をしている。ハムが妨げる低音より音楽そのものに心を奪われる幸わせな聴き方が、私には出来る。同じことだろう。野口さんのところでエネスコを聴いていて、あの七十八回転の針音がちっとも気にならない、ヒスは気になってもクレデンザの針音は気にならない。人間とは勝手なものだ。だからあの、ふるさとの音をもとめる下心がなければ、岡画伯のアトリエでひびいている音を、私は別な聴き方で聴いたかも知れないとおもう。それを証拠に、同行した編集者は「いい音でした」と感心しているのだ。もっとも公平な、第三者のこれは評価だろう。私の耳がやっぱり、悪かったのだろう。(一九七〇年)