この春S女子大を出た娘が、近ごろショパンのワルツや夜想曲、フォーレのピアノ曲を練習している。しょせんはアマチュアだが、バッハのインベンションをまあ私の気に入るようには弾いている娘なので、試みにレコードでショパンのワルツ集を聴かせてみた。コルトー、リパッティ、ポリーニ、ジイメルマンを、それぞれ名前は明かさずに聴かせたわけだ。結果、自分でも弾くのが嫌になるくらい抜群に素敵なのはリパッティの演奏ね、という。二十代の小娘にもわかるのである。
コルトーはプロフェッサー(教授)の弾き方だし、ポリーニは評判がいいといったところでリパッティにくらべればまだまだ芸格と香気で劣る。ジイメルマンはしょせんはまだ青い果実だろう。
そういう、真に芸術性の極致を極める演奏は、世界第一級のピアニスト百人が弾いたって唯一人のピカ一があるかないかといったもので、モーツァルトでならクララ・ハスキル、バッハはランドフスカ、シューマンはデムス、フォーレはマルグリット・ロン、ベートーヴェンはシュナーベルといった具合に、だいたい世評は定まっている。これらの演奏を聴けば、ほかのソリストでは聴く必要はないくらいである。
昔、骨董商では「ホンモノ」「ニセモノ」を見分ける修業に、若い店員にはホンモノしか見せなかったそうだ。ホンモノで鑑定眼を養成しておけば、ニセモノは一目で見破れる。演奏でも同じだろうと思う。極め付きの第一級の演奏だけ聴いておけば、まがいもの、一流ぶったニセモノはたちどころに底が割れてしまうものだ。
最近のFMの普及で家庭でクラシックを鑑賞する機会がふえた。それ自体は喜ぶべきことだが、放送時間の都合もあってか、愚にもつかぬニセモノの演奏や曲が家庭に氾濫している状況は考えれば怖ろしい話である。いつもFMで音楽を楽しむ主婦やヤングたちは、そのうちニセモノとホンモノのけじめも見分けのつかぬ人種になってしまうのだ。背筋の寒くなるコワイ話だ。