今回は悪口を書く。さる十八日(一九七九年七月)夜、NHKのライブ・ハウスで若杉弘指揮の「ワルキューレの騎行」「ジークフリートの葬送行進曲」を聴いて悲しくなった。若杉という人はもともと、神経の細い、女性タイプの指揮者なのはわかっているが、それにしても女々しいワグナーだった。日本人にとうていゲルマン民族の英雄や神々は描ききれないことぐらい初めからわかっているのだが、もう少し、線の太い、タートのにおいのする音楽をつくり出せていいだろうと思う。
だいたい、日本人ソリストの演奏のまずさは、指揮者にかぎらん。テレビのコーヒーCMに出てくるヴァイオリニストなど、まるでシャベルを棍棒でこすっているようだ。こんな男に音楽が弾けてたまるかと、テレビを見るたびに思うし、ソプラノの某女史のアリアの場合は、聴いていると音程が狂っている。とくに高域のところでは、日本人の声量には無理な声を出そうとするためか、音痴のような歌い方である。音程が狂うといえば、女流ヴァイオリニストの佐藤陽子、塩川悠子両女史のメンデルスゾーンの協奏曲を聴いたことがあるが、どうも弦を押える指の位置が百分の何ミリか狂っているとしか思えない。さらにピアニストの宮沢明子さんのショパンを聴いたら、譜の難しいところは手前勝手に、それも田舎のイモ姉ちゃんがおしゃれしたみたいに我流にいきがって弾いているので二の句がつげなかった。
こういうまずい演奏は当節ゴマンとある。しかも皆、世界の楽壇に進出した一流のアーティストだと世間は認めているようだし、本人もその気らしい。バカみたいだ。もっとも、こうした感じはあくまでも私見である。
たとえばヴァイオリンの巨匠とかいわれるアイザック・スターンを私はTくつみがきUとしか思えぬのだから、日本人ソリストの演奏だけがまずいというわけではない。でも、ちょっとひどいのが多過ぎゃしないかと思うのだが、どうだろう。