録音の最近のブログ記事

なにも初期LPに、高価で売買される価値がない、といいたいわけではない。

ただマスターテープの劣化を理由に、再発盤の価値を不当に貶めたり、
初期LPの価値を高めるというよりも、価格を高くするための口実として、
マスターテープの劣化のことをとやかくいうのはおかしいといいたいだけである。

初期LPを高く売りつけることだけを考えている人たちは、
エソテリックがSACDで出すショルティの「指環」についてもおそらく否定的だろう。
録音から50年前後経過している。
彼らの論理でいえば、そうとうにマスターテープの劣化は激しいはずだろうから、
それをどんなにていねいにマスタリングしても無駄だということになるだろう。

エソテリックから10月末に発売されたマゼール指揮のシベリウスのSACDを聴く機会があった。
聴く前は、正直、マゼールのシベリウスなんて興味ない、という気持があったが、
鳴りだしてすぐに、色彩ゆたかな音が融け合った、輝かしいばかりの響きに、
すこし大げさにいえば度肝を抜かれ、これぞオーディオの醍醐味だとも思っていた。

このマゼールのシベリウスも、ショルティの「指環」と同じころの録音だし、プロデューサーはカルショウだ。
これと同程度の仕上りだとすれば、ショルティの「指環」のSACDは、想像するだけでわくわくしてくる。
この期待が裏切られることはないはずだ。
短期間、というよりも保存期間の長さからすると短時間といったほうがいいだろうが、
とにかくアナログ録音のマスターテープの音の劣化は、録音経験のない人には、信じられないほど速い。
そして急激に劣化してから先は、きちんと保管されていれば、かなりゆるやかともいえる。

初期LP、オリジナル盤で商売している人たちは、なぜ、このことについてふれないのだろうか。

それとも、彼らは、初期LPのプレスのために必要なラッカー盤のカッティングは、
録音されて1か月以内に行われていると思っているのだろうか。

レコードの制作過程は、録音が終ればすぐにカッティングに移れるわけではない。
そのことは、LPの発売時期と録音日時をみてみれば、すぐにわかることだ。
以前のレコードでは、録音は前年ということもざらにある。

すくなくともマスターテープの劣化は、ゆるやかな状態の安定期にはいっているといっていいだろう。
ほとんどのレコードのカッティングは、そういう時期に行われているはずだ。
マスターテープの鮮度のいい時期は、過ぎ去っているということでもある。
いつのころからだろうか、初期LP、オリジナル盤といったものが、高値で売買されるようになってきた。

理由は、音がいいから。
再発盤は、マスターテープの劣化により、音がよくない、かんばしくない、ということになっている。

マスターテープの音は、たしかに劣化する。このことを否定する気はない。
けれど、その劣化の具合は、直線ではなくカーブしている。

デジタル録音が主流になりはじめたころ、録音に携わっている人からきいたことがある。
アナログ録音とデジタル録音を同時にやった場合、
録音してすぐの再生時には、アナログ録音のほうが、音がいい。
でも3日後に聴くと、どちらがいいとはいえなくなる。
そして1週間後だと、あきらかにデジタル録音のほうが音がいい、というよりも、
アナログ録音は、ごく短期間に急激に音が劣化する。

それにくらべてデジタル録音の劣化は、かなりゆるやかなため、日が経てば、評価は逆転するということだった。

この3日後と1週間後は、人によって多少違い、1週間後と1ヵ月後だったりすることもあるが、
アナログ録音の劣化は、急激だ、ということは一致している。
ショルティの「ラインの黄金」のCDを聴くまでには、
そういったLPを数多く聴いては、何度か、いままで聴けなかった音の良さに驚いてもいる。

それに以前書いたように、はじめて聴いたCDは、小沢征爾指揮の「ツァラトゥストラ」であり、
そのときも、その凄さに驚いている。

だから、「ラインの黄金」が当時、いかに優秀録音ということで話題になっていたとしても、
その時ですら、20年以上前の録音だから、まぁ、音の良さに驚くこともなかろう、と高を括っていた。

聴きはじめると、カルショウが積極的に打ち出していた「ソニック・ステージ」が伝わってくる。
そのおもしろさに耳は集中する。それに聴きどころも多い。
いよいよワルハラ入場のところで、ハンマーの強烈な一撃が鳴る。

冷静になれば、このハンマーの音より、凄いだけの音は耳にしている。
それでも、このハンマーの音には、驚く。
それは単に音の良さだけでなく、いかにも音楽として、ワーグナーの音楽として効果的であったからだ。
ショルティの「指環」よりも、好録音と呼ばれるディスクは、数多くある。

音楽的な内容ではなく、音の凄さだけで話題になったもののなかに、「1812年」のテラーク盤がある。
実際に大砲の音を録音し、凄まじいレベルでカッティングしたもので、
ショルティの「ラインの黄金」以上に、カートリッジのトレーシング能力の高さが要求された。

この「1812年」は、全世界で20万枚ほど売れたと聞く。
クラシックのレコードとは信じられない──しかも著名な指揮者でもオーケストラでもないのに──
売上げ枚数の多さであり、それだけ話題になっていた。

たしか大砲の音は16発録音されていたはずだが、オルトフォンのエンジニアによる、
このレコードの音溝の解析で、ミス・トラッキングはカートリッジ側の問題ではなく、
オーバー・カッティングによるものだということだった。

こんな極端な例をのぞいても、1970年代おわりのフィリップスの録音には、
コリン・デイヴィスのストラヴィンスキーの「春の祭典」「火の鳥」、
コンドラシンの「シェエラザード」などがあり、優秀録音して高い評価を得ていた。

あきらかに「ラインの黄金」の時代とは明らかに質の異る、
音の良いレコードが当り前のように現われはじめていた。
(その3)を書いてから思い出したのは、フルトヴェングラーの「指環」は、
昼休みに、食事の時間ももったいないから抜きで、六本木から銀座まで出かけて買ってきたこと。1983年のことだ。

当時は、六本木には輸入盤を扱うレコード店はなかった。
六本木ヒルズの場所には、WAVEがあったが、
開店したのはもうすこしあとで、同年11月18日だ。

WAVEができるまでは、試聴レコードの買い出しには、銀座か秋葉原まで出かけていたのが、
ステレオサウンドから歩いていけるところは、大型のレコード店ができたものだから、よく通った。

銀座の山野楽器から会社にもどり、机の上、目の前にどんと置き、仕事中眺めていた。
こんなことを楽しんでいた。

LPでの「指環」のセットを買って帰ったことのない人にとってはどうでもいい話だろうが、
これを思い出していたら、ネット通販でのCD購入と、ネット配信での音楽データ購入との差は、
どれだけあるのだろうかと思う。
ショルティの「指環」が、発売当時、ものすごく話題になっていたことは、
知識としては知っていたものの、学生のときには、これだけのセットものを買うことは無理だったし、
他に、優先的に欲しいレコードばかりだったこともあり、ショルティの「指環」を聴いたのは、
じつはCDになってからである。

私が最初に買って聴いた「ニーベルングの指環」は、イタリア・チェトラから出た、
フルトヴェングラーが、スカラ座オーケストラを振ったライヴ録音のものだ。
もちろんLPである。

発売の数ヵ月前から、フルトヴェングラー初のステレオ録音という謳い文句で宣伝されていたディスクだ。
結局、モノーラル盤だったが、銀座の山野楽器で、このセットをレジで手渡されたときは、
想像以上に重かったことが、はじめての「指環」であることを実感させてくれたし、
これからこれを聴くのかと思うと、わくわくという期待と、
シンドイだろうなぁ、という気持がないまぜとなって、さらに重さがましたように感じていた。

いまなら、インターネットで注文して、宅急便で届くのを待つだけであろうが、
当時は、これを両手で抱えるようにして、夕方の満員電車に乗って帰宅するのも、
とにかく気を使い、大変だったことを思い出す。
岡俊雄先生は、「マイクログルーヴからデジタルへ」(ラジオ技術社刊)のなかで、
ショルティ/カルショウによる「指環」の「ラインの黄金」について、こう書かれている。
     *
《ラインの黄金》は一九五九年のというより、レコード史上でもっとも大きな話題を集めたレコードのひとつであったことはたしかである。(中略)
このレコードの数多い聴きどころのなかでも最大のものは、第六面の神々のワルハラ入場のための雷神ドンナーが虹の橋をかけるところだ。低域の上昇音型がクレシェンドして、その頂点がハンマーの強烈な一撃が入る。ここの部分は当時のステレオ・レコードとしては信じがたいほどのハイ・レベルでカッティングされていて、うまくトレースするカートリッジが少なかった。
     *
「ラインの黄金」が衝撃だったことは、ステレオサウンドにいたころ、Tさんからも聞いている。
Tさんは、五味先生の友人で、もとレーダー技術者という人だ。

根っからの技術者らしいTさんは、どちらかといえば淡々と話される方だったが、
「ラインの黄金」については、すこし興奮された口調で、当時の衝撃を思い出しながら語られた。
午後、ずいぶんひさしぶりにショルティの「ワルキューレ」を聴いていた。
カルショウ・プロデュースの、この「指環」を聴くたびに、ここ数年思ってきたことは、
SACDで、なぜ出してくれないのか、だった。

今日も聴き終わって、「いつ出るんだろう......」、そんなあてのないことを思っていたら、
なんとエソテリックが、年末に、全曲盤をSACDで出してくれるとのこと。

11月には、フィストゥラーリのチャイコフスキーの「白鳥の湖」も出る。
これは、また渋い選曲である。
フィストゥラーリをご存じない方は、だまされたと思って、ぜひ聴いてほしい一枚である。

「指環」だが、いくらなのかはどうでもいい。
当時、この「指環」を聴いた人たちが味わった昂奮を、いま、新鮮なかたちで味わえるかもしれない。

「ラインの黄金」が録音されたのが、1958年、もう50年以上前のこと。
最後の録音の「ワルキューレ」からでも、45年経っている。

こう書くと、一部のマニアの人たちは、「マスターテープの劣化が......」とネガティヴなことを口にするだろう。

50年(その3)

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数年前の、ちょうどこの時期、ある大型レコード店で、
フルトヴェングラーのバイロイトの第九がちょうどかかっているところだった。

店内をふらふらしていたら、あるポイントに来たとたん、急にフルトヴェングラーの第九が、
広がりと奥行きを持って聴こえた。
かかっていたCDは、モノーラル盤で疑似ステレオのブライトクランク盤ではない。

もちろんほんもののステレオ録音のように、明確な音像定位は感じられない。
そこには幾何学的正確さはないが、心地よく音が広がっていた。

そのポイントから外れると、モノーラル的な鳴り方に戻る。

レコード店の天井には複数のスピーカーが吊り下げられている。
それが干渉しあって、たまたまステレオ的な広がりを聴かせるポイントが生れていただけなのだろう。

まったく偶然の産物だった鳴り方だが、
フルトヴェングラーの雄大さ──大きくて堂々としたところ──が、はっきりと感じられた。

50年(その2)

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ブラムラインがいたコロムビアは、1931年にHMV(イギリス・グラモフォン)を買収して、
EMI(Electric and Musical Industries Ltd.》となる。

ドイツでは、第二次大戦中にステレオ録音ヘッドの開発に成功し、
1944年秋、ギーゼキングとローター指揮ベルリン放送管弦楽団による
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のステレオ録音を行なっている。

不思議に思うのは、なぜフルトヴェングラーのステレオ録音が存在しないのか、である。

1981年だったか、イタリアのチェトラ・レーベルからフルトヴェングラー/スカラ座オーケストラによる
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の全曲LPが出ると話題になったとき、
当初ステレオ録音だと発表されていた。
結局、発売されたLPはモノーラルだった。

フルトヴェングラーのステレオ録音は、ほんとうにないのか。
モノーラル録音と同時にステレオ録音も試していたとしても不思議ではない。

フルトヴェングラーのステレオ録音は、どこかにあって、それを誰かが独り占めしている......、
あくまでも妄想にしかすぎないけど、そんな気がしてならない。

50年(その1)

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あまりというか、ほとんど話題になっていないようだが、今年はステレオLPが誕生して50年目である。

ステレオ録音のはじまりはずっと以前に遡る。
バイノーラルサウンドの発見は、1881年、フランスのクレマン・アデルによってなされている。
ステレオ録音、ステレオディスクの歴史に関しては、
岡先生の「マイクログルーヴからデジタルへ」の下巻をお読みいただきたい。
一時期絶版だったこの本も、オンデマンド出版で購入できる。

1988年、ステレオサウンドからいちばん近いレコード店は、WAVE六本木店で、
週に3度は通っていた。
まだオリジナルLPが騒がれる前ということと、CD全盛の時代ということもあって、
グレン・グールドの初期LPが格安で大量に入荷して、まとめ買いしたことがある。

これだけ通っていると、めずらしいレコードを見つけることもある。
ステレオサウンドの記事で紹介したことのあるブラムラインのステレオディスクも、
WAVEで見つけた一枚である。

アラン・ドゥアー・ブラムラインは、1924年からインターナショナル・ウェスタン・エレクトリックで、
国際電話網の建設に従事した後、29年にイギリスのコロムビアに入社している。

コロムビアの研究所にはいったブラムラインは、
ベル研究所の録音用カッターヘッドがバランスドアーマチュア型なのに気がつき、
ムービングコイル型のカッターヘッドの開発・試作を行なっている。
しかもMFBによる改良も実現している。
カッターヘッドだけでなく、
ムービングコイル式(MC型)カートリッジやマイクロフォンの試作も行なっていたらしい。

MC型カッターヘッドの最初の特許は1931年12月14日に申請され、1933年6月14日、
イギリス特許第394325号として登録されている。
この特許には、バイノーラルという言葉で、
現在の45/45方式のステレオ録音と再生に関する原理特許も含まれている。

ブラムラインは、2つのコンデンサー型マイクロフォンを組み合せたMS方式のステレオマイクも開発、
1933−4年ごろ、ステレオディスクの録音・再生のテストを行なっている。
だが当時はまだSP時代だったため、商品化にはいたらなかった。

ブラムラインのステレオディスクは、そんななかの一枚と思われるもので、
ビーチャムの指揮による録音が収められていた。

レーベルはSymposium。LPではなく78回転のSPのステレオディスクである。
とうぜん再生にはSPのステレオカートリッジが必要になる。

海老沢徹氏に、「こういうレコードをみつけました」と連絡したところ、
ひじょうに興味をもっていただき、
ラウンデールリサーチのカートリッジ2118を改造した専用カートリッジをお持ちくださった。

このレコードの詳細は、1988年当時のステレオサウンドに載っている。

出てきた音は、なぜ1958年までステレオディスクが登場しなかったのか──、
解決すべき問題が、いかに多く、20年以上の年月を必要としたことがが、直ちに理解できた。
アナログ録音、アナログディスクで奏でられるヴァイオリンの音──、
それも真空管採用の録音機で録られたもの、
さらにいえばステレオよりもモノーラル録音のヴァイオリンの音は、
ヴァイオリンという弦楽器が鳴っているというよりも、
たとえば、人が歌っているような感じが印象として加わったような、
もしくは木管楽器の響きに通じるような、情感ただよう感じが増幅されて出てくる面があると思う。

そういう良さを拒否した、ある意味ドライなのかもしれないが、
かといって決して無機質になることのない、別の良さ、魅力が、
優れたデジタル録音のヴァイオリンの音にある。
純粋器楽的な音と言っていいのかもしれない。

もっともデジタル技術の進歩だけでなく、
マイクロフォンが、以前よりも指向性の広いものが使われていることも大きな要素だと思っている。
アナログフィルターの一致に関しては、CDプレーヤーの登場によってくずれてしまったが、
特にそのことを批判する気は全くない。
この基本原則にとらわれていては、録音側も再生側も、いまのような進歩は望めなかっただろうから。

1980年ごろから、クラシックに関してはデジタル録音が増えてきた。
それにともない、録音テクニックも変わってきた。

82年10月にCDが登場して、しばらくは「ヴァイオリンの音はひどい、聴くに堪えない」、
と書かれたり言われたりしてきた。
ほんとうにそうだったのだろうか。

録音、再生ともに、デジタル技術の進歩、使いこなしがこなれてくるとともに、
実はデジタルになって良くなったのは、ヴァイオリンの音だと、すこしずつ確信できるようになった。

直接聴くヴァイオリンの音に近い再生が可能なのは、デジタルの方である。

たしかにアナログ録音のLPをうまく再生したときの音は、味わいぶかいものがあるし、
ときに妖しい響きを奏でてくれる。
そういう音が出たときの喜びは大きいものだし、苦労が多ければ、
当人にとってはかけがえのない大切な響きなことはわかる。

けれど、どちらがヴァイオリンの再生として優れているかではなく、
どちらがよりヴァイオリンそのものの音に近いかといえば、
優れたデジタル録音だと、私は言う。
1977年になると、アメリカのサウンドストリーム社がデータレコーダーを利用して、
PCM録音機の試作品を、AESで発表している。
翌78年には、3M社が、32トラックのデジタル録音機と編集機を発表、
国内メーカーも、この時期、さまざまな試作機を発表して、盛観を呈していた。

意外に思われるだろうが、五味先生も、PCM録音の音の良さは認められていたようだ。
読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に所収の「ルクセンブルクで聴いたフォーレ」で、こう書かれている。
     ※
いうまでもなくPCMはNHKの要請で日本コロムビアが開発した世界に誇る最新録音方式である。そのSN比、ダイナミック・レンジは従来の録音システムでは到底のぞめぬ高い数値を出し、音の素晴らしいのに音キチは驚嘆したものだ。ただ惜しむらくは、せっかくの新方式も発売されるレコードに(とくにクラシックに)いい演奏家の盤を見いだせない。わずかにジャン・ジャック・カントロフのヴァイオリンに私など注目し、その名演を楽しむ程度だった。
     ※
デジタル(PCM)録音といっても、
CDやSACDで、聴き手の手もとに届けられる現在とは異り、
とうぜん聴き手はアナログディスクで聴くわけだから、
カッティングを含めて録音・再生のアナログ系の一部にデジタル機器がまぎれこんだようなもので、
デジタル録音に対する印象も、CDで聴くのとでは異る面も多々あるだろうが、
その可能性は聴きとっておられたと思う。

デジタル録音を、アナログディスクで聴くことの技術的なメリットは、
録音と再生に使われるデジタル機器が同じだということ。
デジタル録音の理屈からいって、
A/Dコンバーターの前にあるアナログフィルターとD/Aコンバーターの後にあるアナログフィルターは、
同じものであることが、ひとつの基本であるはずだ。
この基本が、このころは、あたりまえだが守られていた(はずだ)。

これがCDの登場によって、くずれてしまった。
岡俊雄氏の著書「マイクログルーヴからデジタルへ」(刊行:ラジオ技術社、現・アイエー出版)によると、
デジタル録音による最初のLPは、
1971年4月25日に発売された「打!──ツトム・ヤマシタの世界」(NC8004) とある。
日本コロムビアから発売された。

このPCM録音(当時はデジタルではなくPCMという言葉が使われていた)は、
NHK技研による実験試作機で、コロムビアが自社開発したPCM録音機は、72年に登場している。
いまのデジタルの基準からすると、その機械の大きさは、想像できない人もいるかもしれない。
当時の写真には、傍らに女性が写っているが、機械の高さは、その女性の身長とほぼ同じ、
横幅は身長よりもはるかに大きい。
ビデオテープ・レコーダーを使用したもので、メカ部の他に、信号処理部、
ディスプレイ付きのコントロール部の3つの大きな筐体から構成されている。
おそらく3つの機械の総重量は、400kgを越えているだろう。
スペックは、サンプリング周波数が47.25kHz、13ビットである。

2年後には、テープ幅が約1/2の2号機が完成し、ヨーロッパでの録音を実現している。
3号機では1/4になり、4号機でUマチック・ビデオを使うようになり、
可搬性の向上とともに、ビット数も増えていく。

デジタル録音の歴史も、40年近くになろうとしている。
ティボー/コルトーのCD復刻を、
メタル原盤から行なったのはキース・ハードウィック(Keith Hardwick) で、
当時のレコード芸術誌に関連記事が載っていた。

使用器材で目を引くのは、EMTの927だ。DstではなくAstのようで、
カートリッジはEMT製ではなく、スタントンなどのMM型を
メタル原盤にあわせて使いわけていたと記憶している。
MM型カートリッジの採用は、針先の交換が容易に行なえることがメリットとして、である。

ステレオサウンドの姉妹誌HiViが、DAT登場の時、面白い企画ができないかと、
927Dstの音をDATで録音して再生して比較するという記事をやっている。
927Dstの出力をA/D変換してDATに収録して、それをさらにD/A変換して再生しても、
927Dstの音ははっきりと聴きとれる。
もちろん個々のDATによって、多少の差はあるが、
927Dstの音を聴いたことのある人ならば、驚かれるだろう。

当然、ティボー/コルトーの復刻CDから聴ける音にも同じことは言えるだろう。
小学校に上がるまで暮らした家は、
ひんやりしているところも、薄暗いところもあった古い木造家屋だ。 
だから、怖いテレビや本をみたり読んだ夜は、ひとりでトイレに行くのを避けたかった。
いまの、隅々まで光が行き届いた、マンションに住む子供は、そんな思いはしないような気もする。

アコースティック録音から電気による録音、SPからLP、
モノーラルからステレオ、アナログからデジタル、と変化するごとに情報量は増え、
それは隅々まで光が行きとどいた、薄暗さをなくした部屋のようになってしまうのか。

細部までよく見える(聴こえる)。かわりに陰影は薄れていく。 
そんな(陰影なんて)のは、音がマスキングされた結果、
もしくは音をマスキングするものだから、要らない、という人もいて当然だと思うが、
ティボー/コルトーのフランクのヴァイオリン・ソナタを聴いていると、そうじゃないとも思う。 

プログラムソースの情報量は増えている。シュワルツベルグ/アルゲリッチのフランクの、
音の漂う感じ、質感の素晴らしさ、そして実体感の見事さは、
最新の、最良の録音だからこそ捉えたものだろう。 

私たちは、聴こうと思えば、どちらも聴ける世界に住んでいる。 
だから、いまの時代の陰影を求めてみたい。
フランクのヴァイオリン・ソナタの、有名なのは、ティボー/コルトーの演奏だろう。1929年の録音だ。 
アルゲリッチの、アバンティ・クラシックへのフランクの録音は、2005年、
ティボー/コルトーの演奏から約80年の隔たりがある。 

1925年にウェスタンが電気によるディスク録音を開発したばかり、
それ以前は、アコースティックによるディスク録音、
ティボー/コルトーの録音はそういう時代に行なわれている。 

2005年のアルゲリッチになると、デジタル録音、それもDSD方式で、5.1チャンネルでの収録。
言葉で書く以上に、その差は大きい。 

ティボー/コルトー盤は、いまでもよく聴く。
フランクのヴァイオリン・ソナタが聴きたいときはもちろん、
音が良くなったときにも必ずかける。 

古い古い録音だが、音が良くなると、コルトーのピアノの音に驚く。
素晴らしいピアニストだと思っていたが、こんなに素敵なピアニストだったのか、と、
その音の美しさに聴き惚れる。

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