黒田恭一の最近のブログ記事

サウンドコニサーの取材でアクースタットのスピーカーを聴かれる2年前のステレオサウンド 54号は、
スピーカーの試聴テストが特集記事で、菅野沖彦、瀬川冬樹、黒田恭一の3氏が参加され、
巻頭座談会として「スピーカーテストを振り返って」が掲載されている。

そこで、次のことを語られている。
     *
結局、時代の感覚への対応のしかただという気がするのです。たとえば、ぼくは♯4343の旧タイプを持っていますが、新旧で、こはちょっと考え直さなければいけないかなというくらい違っていると思うのです。かつての♯4343の音というのはかなり煮詰まった音だとしますと、Bタイプはもう少し開放された音の方向に向かっている。
     *
新タイプの4343、つまり4343BWXの黒田先生の試聴記はこちらをご覧いただくとして、
このスピーカー試聴テストで、黒田先生が惚れ込まれたのは、ソニー/エスプリのAPM8だ。

APM8について、座談会の中で、シカゴ交響楽団に例えられている。
     *
エスプリというのはとてもまじめに音楽を聴く気持にさせる音ですね。
たとえて言いますと、ぼくが指揮者で、メイジャー・オーケストラのどこでも指揮させてくれる、というのと似ていると思うのです。すると、エスプリはシカゴ交響楽団ですね。非常に技量が高くて、しかしウィーン・フィルでもベルリン・フィルでもない、シカゴ交響楽団だと思うのです。
聴いている人をウキウキさせるとか、そういう言葉ではちょっと言いにくいスピーカーなのですが、音場館の広がりとかノイズと楽音の分離などのクォリティ面で、やはり素晴らしいスピーカーだと思いました。
     *
ひじょうに興味深い例えだと思う。
いまにして想えば、黒田先生は、アクースタットの試聴の最中に、ほぼ決心されていたのではないだろうか。

こう語られている。
「静電型のスピーカーということで、ぼくの先入観からパーカッシヴな音は不得意であろうとたかをくくっていたのですが、ほとんど不満のない反応を聴かせてくれたことも意外でした。
たとえば『トスカ』の第一幕の幕切れのところで鐘が鳴ります。これが甘い響きになるかと思ったんですけど、非常に硬質な音がしたでしょう。」

「トスカ」の硬質な鐘の音が鳴らなかったら、
「スーパー・ギター・トリオ」のレコードをリクエストされることはなかったのではないか。

不得意であろうと思われていたパーカッシヴな音が、しっかり響いてきたことで、
最後の駄目押し的な確認の意味をこめての「スーパー・ギター・トリオ」だったような気がする。

その「スーパー・ギター・トリオ」を、アクースタットは期待と予想を上廻る音で提示してきた。
これで、黒田先生は決心されたはずだ。
アクースタットのモデル3で聴く「スーパー・ギター・トリオ」のレコードは、すさまじかった。
黒田先生が、「このレコードを」、と言われた理由が、見事に音になってあらわれていた。

「ギターの音が弾丸のことく」と黒田先生の発言にあるように、飛び交っていた。

なんてすごいスピーカーだろうと思い、なんてすごいレコード、ということ以上に、
なんてすごいギターの名手たちだろう、と思った。

この「一度めりこんでしまうと自閉症になって」しまいそうなスピーカーを、
黒田先生は、JBLの4343の後釜として導入される。

そして一緒に試聴に参加していたステレオサウンドの原田勲編集長(当時)も、
ヴァイタヴォックスのCN191を追いだし、アクースタットを導入されたのだから、
サウンドコニサーの取材・試聴に参加した者に、アクースタットのモデル3は、強烈な印象をのこした。

試聴後、みな、軽い興奮状態にあった。
ステレオサウンド 172号に、傅さんが追悼文を書かれている。

それにしても、なぜ傅さんだけなのか。

時間の余裕はあったのだから、他の人にも依頼してほしかったと、編集部に注文をつけたくなる。

私が編集者だったら、傅さんと黛健司さんに依頼する。

黛さんこそ、黒田先生の文章にたびたび登場する「M君」「M1」で、
編集者として、ふかく黒田先生とのつきあいがあった人なのに......、と思った。

今回載っていないということは、
黛さんが、黒田先生について書かれる文章を読む機会は、もうないかもしれない。

もったいないことだと思う。
「スーパー・ギター・トリオ」は、はじめて聴くレコードだった。

でも、このレコードの鳴りかたは、アクースタットが素晴らしいスピーカーであることを、
シャシュのレコードの時とは、別の角度から確認できた。

黒田先生は、こう発言されている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であほど拍手や会場のイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
大げさでなく、まさに、私もこう感じていた。
「スーパー・ギター・トリオ」のレコードに針を降ろしたとたんに、
ステレオサウンド試聴室の雰囲気がかわった。

いまでは、そういう音は当たり前のものとして、驚きを持って受けとめられることはないだろうけど、
1982年当時は、違っていた。
試聴レコードにない、聴きたいレコードを聴けるわずかな機会に、シャシュのレコードをかけたわけだ。
ノルマの「カスタディーヴァ」を一曲聴く時間は十分にあると思っていたし、
さらに二、三曲聴く余裕は、前日までの感じでは、あるはずだったが、
意外にはやく黒田先生、上杉先生たちが戻ってこられた。
あと20分ぐらいは、戻ってこられないと思っていただけに、いそいでボリュウムを絞り、針を上げようとしたら、
黒田先生が、「そのまま聴かせて」といいながら、椅子に坐られた。
聴き入られていたようすだった。

途中からだったので、もう一度最初からかけ直すことになった。
午後の試聴が、こうしてはじまった。

シャシュのあとに試聴レコードの三枚、そして黒田先生が、「これを鳴らしてほしい」ということで、
アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシアの「スーパー・ギター・トリオ」を聴くことになった。
サライ、7月16日号に、「黒田恭一さんからのメッセージ」が載っている。

葬儀の際、参列者の方々に手渡しされた、14行ほどの手書きのメッセージが、そのまま写真で掲載されている。
Acoustat Xは、おそらく実際に使う場合に、10〜20 cm程度の高さの台が必要となるはずだ。
Model 3は、ステップアップトランスなどが収納された台座にあたる部分があり、
その上にコンデンサーパネルが取り付けられているので、よほどのことでもなければ、台は不必要だ。

信号経路からトランスをなくしたAcoustat Xは製品としてのコンセプトは意欲的だが、
製品ではなく商品としてみたとき、パワーアンプが自由に選択できるおもしろさもある、
設置に関しても台を必要としない、など、完成度はModel 3のほうが上といえよう。

サウンドコニサーの試聴では、最初、輸入元ファンガティの推奨アンプ、
オーディオリサーチのSP8(コントロールアンプ)とD79B(パワーアンプ)の組合せで鳴らした。
いうまでもなく、オーディオリサーチのアンプは管球式である。

管球式といっても、ラックスとは、かなり性格の異るものではあるが......。
Model 3に、アクースタット社が当時、サーボチャージアンプと呼んでいたモノは内蔵されていない。
外観も、Acoustat Xのほうが、まだカッコよかったと思うくらい、単なる板になっていた。
Acoustat Xからの5年間、アクースタットは何をやっていたんたろうと思ってしまうほど、
音が鳴っていないときのModel 3は、そっけない雰囲気のスピーカーだった。

試聴のあと、しばらくしてわかったことだが、Model 3のステップアップトランスは、
QUADや他社製のコンデンサー型スピーカーがひとつなのに対し、
アクースタットでは大小ふたつのトランスを使用している。

大きいほうは低域用、小さい方は高域用で、低域用のトランスと電極の間には抵抗が、
高域用トランスと電極の間にはコンデンサーが設けられ、
それぞれ高域カット、低域カットをしたうえで、合成した電圧を、固定電極へ加えている。

ステップアップトランスの、2ウェイ化である。
アクースタットでは、この方式をマグネ・キネティック・インターフェイスと名づけていた。

フルレンジ型のスピーカーユニットをつくるのと同じような難しさが、トランスにもある。

良好な低域の特性を得ようと、インダクタンスを増やすためにコア・ボリュウムを増すと、高域特性が劣化しやすい。

トランスの巻線にの浮遊容量による高域の劣化を減らすために、小さなコアを使えば、
巻線の長さも短くなり、線間容量も同時に減るが、インダクタンスの確保が難しい。

つねにシーソーのような相関関係にある。

アクースタットは、Acoustat Xで、トランスレスを実現することで、
トランス介在による問題点をはっきりと把握していたのだろう。
Acoustat Xが存在していたからこそ、生れてきた発想であり、
答えがマグネ・キネティック・インターフェイスなのだろう。
Acoustat Xに搭載されている専用アンプは、電圧増幅部がトランジスターで構成され、
出力段のみ真空管というハイブリッド型で、
ステレオサウンド 43号に載っている小さな写真をみるかぎり、トランスはひとつだけである。
電源トランスだけだ。真空管アンプにつきものの出力トランスはない。
コンデンサー型スピーカーに必要なステップアップトランスもない。
信号経路からトランスが取りのぞかれている。

なんてステキなスピーカーなんだろう──、そう思っていた。

でも聴く機会は訪れなかった。

ステレオサウンドの誌面でも、その後、ほとんど取りあげられなかったと記憶している。

それだけにアクースタットのスピーカーへの秘かな想い入れはつのっていた。

だからModel 3と、ステレオサウンドの試聴室で対面したときは、お気に入りの女性ヴォーカルを、
なんとしてでも聴く、そのことだけを考えていた、といってもいいぐらいの精神状態だった。
サウンドコニサーの取材時のアクースタットの輸入元は、神戸のファンガティだったが、
その前に取り扱っていたのはバブコ(いまのエレクトリ)で、Model 3登場の5年前、
Acoustat Xが、ステレオサウンド 43号の新製品紹介の記事中で取りあげられている。

43号のころ(1977年)は、中学生。クラシックばかり聴いていたわけではなく、
やはり「女性ヴォーカル」に夢中になっていた時期でもある。

となると、43号に岡先生はQUADのESLを「弦とヴォーカルのよさは類のないものである」と紹介されている。

やっぱり、女性ヴォーカルを最良の音で聴くには、コンデンサー型なんだなぁ、
と中学3年だった私は、そう思い込むのが、また楽しかった。

さらに「30〜50WのAクラス・アンプでドライヴしたときはとくに素晴らしい」とも書かれている。

ということはパワーアンプはパイオニアのエクスクルーシヴM4になるのか、と妄想組合せをつくっていた。
でも、30Wぐらいの出力でもよければ、真空管アンプという選択肢もある。

やはり43号に、瀬川先生は、ラックスのSQ38FD/IIについて
「弦やヴォーカルのいかにも息づくような暖かさ、血の通った滑らかさ」と紹介されている。

QUADのESLをSQ38FD/IIで鳴らしたら、いったいどんなに素晴らしい女性ヴォーカルが聴けるんだろう......、
まだ、とちらも音も聴いたことがなかったからこそ、実際に出てくるであろう音を、
少ない経験、少ない知識しか持っていなかった、だから自由に(勝手に)に想像でき、それが楽しかった。
コンデンサー型スピーカーには、ダイアフラムに成極電圧をかけるために、
アンプからの信号は、スピーカー内部に設けられているステップアップトランスを通ることになる。

真空管のパワーアンプも、出力にトランスが必要で、ここではステップダウンされている。

真空管アンプ内でステップダウンされた信号が、コンデンサー型スピーカー内でステップアップされる。
こんな無駄なことはないだろう、と中学3年の知識でもわかる。

コンデンサー型スピーカー専用の真空管式パワーアンプなら、出力トランスもスピーカー内部のトランスも、
ふたつともなくすことが可能であるはずだ。

そんなことを考えていたからこそ、ステレオサウンド 43号で紹介されていたAcoustat Xは、
このときの私にとって、ひとつの理想的なスピーカーといえた。

Acoustat Xは、フルレンジ型パネルを3枚組みこんだもので、
のちのModel 3と、スピーカー部分の構成は同じといっていい。

ただAcoustat Xは専用アンプを内蔵している。
試聴・取材が終了したあとは、次の日の試聴の準備でとりかかる。

まだ編集部で働きはじめて4ヵ月目ぐらいだったころだから、
片付ける前に「これを聴かせてください」とはなかなか言いにくい。

だから午前中の試聴が終り、午後の、アクースタットの試聴を準備をしてすぐに食事に行き、
これまたすぐに試聴室に戻ってきて、
「黒田先生たちが戻ってこられるのは、もう少しかかるだろう......」、
ならば聴きたいレコードを一枚だけなら聴くだけの時間は十分にある......、
そう判断して、アクースタット(というよりもフルレンジユニットのコンデンサー型スピーカー)で、
そのころ、とにかくいちどは聴いてみたかったシルビア・シャシュのレコードをかけたのだった。
一方、バーンスタインのベートーヴェン全集だが、ライヴ録音だから、といって、
1テークのみの録音ということではなく、
すべて曲が2回ないしは3回コンサートで演奏され、録音されているなかで、最終的な編集が行なわれている。
さらにコンサートの直後に、聴衆がまだいる上京での追加録音も行なっているとのことだから、
一発勝負、ぶっつけ本番こそライヴレコーディングだと言われる方からすれば、
バーンスタインのそれは純粋なライヴ録音ではないということになるだろう。

それでも聴衆が同じ空間、同じ時間にいるということで、バーンスタインの演奏がかわってくると、
ドイツ・グラモフォンのA&Rのチーフ(つまり制作部門の最高責任者)のギャンター・ブレーストが、
黒田先生のインタビューに答えている。
     *
(バーンスタインと契約をかわしたときに)──CBSに録音したレコードを聴き直してみたときに、そこには、私が称賛するバーンスタインがいない。これらのレコードを聴くと、そこにはバーンスタインの音楽が持っているあの非常にエキサイティングな要素が失われている。(中略)そういったことがあって、バーンスタインという人の持っている非常にエキサイティングなものを出すためには、どうしても聴衆が必要だ──それにはライヴの方がいいという判断があって、私たちA&Rが彼に、ぜひライヴ・レコーディングするよう頼んだわけです。(中略)
 録音の基本は、実際の演奏会で行なわれたもの、何千人という聴衆の非常に熱いエキサイティングな雰囲気を背景に行なわれた実際の演奏会の録音で、それにいくつかの部分を別録音したもので補う、というやり方をしているのです。こういうやり方をすることよって、バーンスタインの特質、創造の秘密ともいうべき感情の昂揚をテープに記録するごとができたと思います。(ポリドール・季刊GRC 46号)
サウンドコニサーの試聴は、午前中からはじまり、昼食をはさんで夕方遅くまで数日間つづいた。

試聴レコードは3枚。
アバド指揮シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第1番の第1楽章。
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第4番、これも第1楽章。
カラヤン指揮ベルリン・フィル、リッチャレルリ、カレーラスらによるプッチーニのトスカから、
「テ・デウム」の合唱にスカルピアが加わり盛り上がる、第1幕の最後。

少ないかと思われるかもしれないが、この3枚を、スピーカーの場合には、アンプを3種類ほど用意して、
アンプの試聴の時には、スピーカーを複数用意して、それぞれの組合せにおいて、
この3枚のレコードをくり返し鳴らされる。

試聴時間は十分にあるように思われるかもしれないが、
実際には、かなりてきぱきと進めていかなければならないほど、時間的余裕はほとんどなかったように記憶している。

だから試聴レコードにないものを聴きたければ、昼休みの時間を利用するしかなかったわけだ。
1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」が出ている。

アクースタットのコンデンサー型スピーカー、Model 3がはじめて登場した記事が載っている。
黒田恭一先生と草野次郎さんの対談によって、Model 3の音が語られている。

黒田先生が、こんなことを語られている。
     ※
弱りましたね。「ステレオサウンド」編集部の素晴らしいところと怖いところは、どこに落とし穴があるかわからないところなんだ(笑)。編集部の方々もどの人が味方でどの人が敵なのかわからない。
というのも、昼食を食べて試聴室に戻ってきたら、あれはシルビア・シャシュだと思うけれど、彼女の歌っているノルマの「カスタディーバ」が聴こえてきた。昼休みを利用して試聴レコードにないシャシュがかかっていたわけなんですが、この選曲が、このアクースタットのモデル3にとっては抜群の出来だったと思うのです。
(中略)
 もし瀬川さんが入らしたら〝空気感〟というふうなことをおそらくおっしゃったと思うのですが、つまり音を出していない楽器にも、ちゃんとプレイヤーがいるという感じがわかるんです。
     ※
シルビア・シャシュのレコードをかけて聴いていたのは、私である。
別に味方でも敵でもないし、記事をおもしろくしようとか、そんな考えは微塵もなくて、
ただ、このアクースタットで、いちばん聴きたいと思ったレコードを、昼休みに鳴らしていただけだった。
カラヤンのベートーヴェン全集の録音は、もしいまカラヤンが生きていたとしても、
同じことはやらせてもらえないだろうと誰もが思うくらいに、綿密な計画性による贅沢なものである。

第六番は1976年10月のたった一日の録音で終了しているが、
のこりの8曲は、2回もしくは3回の録音が行なわれている。

第一番、二番から録音はスタートしたようで、1975年1月に第一回のテークを行ない、
75年中に六番以外の録音を行なっている。
これらは、全集を完成させるための検討用の録音であり、レコードにするための録音ではない。

これらの録音を終えたあとで、約3ヶ月の冷却期間をおき、
リハーサルをやり直すとともに全9曲を見通しながら、細部にわたる検討を重ね、
いわゆるオリジナル版と呼ばれるレコードに仕上げるための録音を開始している。

第一番、二番は、その後、76年10月から翌77年1月にかけてオリジナル版の録音、
77年3月に部分的な録音がさらに行なわれているとのことだ。

一番から九番までを、ひとつの大曲として捉えるための検討用録音なのだろう。

カラヤンは、ドイツの音楽評論家ヨアヒム・カイザーのインタビューで、以下のようなことを語っている。
     ※
今度の交響曲録音に対し、全く新しいやり方を選んだのです。普通の場合、いくつかのセッション(2時間程度の録音)を積み重ねてロるONし、すぐ同時にすべての悪い細部をなおしていきます。今回は全く別の過程がとられました。3ヶ月のうち、この未加工版ともいうべき第1回録音を、細部に注意しながら聴きました。演奏の行なわれている時にはすべての細かいところまで注意することは不可能です。指導者はいつせ先行して考え、感ずる必要があるからです。今、正確に機器直してみると、まだ充分彫琢されていないと思われる箇所が出てきました。この聴取ののち、我々はまずこの録音について原則的なことを討論しました。この新録音について、ここで響いてくるような具合からして、音響空間はこれでいいのかどうか? 何を改良すべきか? 多くの点において、我々はずっと良くすることができたと思うのです。
音楽通信の取材で、ベートーヴェンの交響曲を一番から九番まで順番に聴くということは、
カラヤンによる全集なのかと思っていたら、バーンスタンのものだという。

この取材がおこなわれた1983年9月25日、と記事にはある。

バーンスタインのベートーヴェンの全集が出たのが1980年前半、
カラヤンのは、ベートーヴェンの没後150年にあたる1977年の発売。

バーンスタインのほうが新しいとはいえ、出たばかりの新譜でもない。
黒田先生はカラヤンを好まれて聴かれていたから、てっきりカラヤンだとばかり思っていた次第だ。

カラヤンのベートーヴェンとバーンスタインのベートーヴェン。
どちらも一流のオーケストラを率いての録音だが、
カラヤンは手兵ベリルン・フィル、バーンスタインは自発性に富むウィーン・フィル。
どちらもドイツ・グラモフォンの録音だが、カラヤンは徹底したスタジオ録音、バーンスタインはライヴ録音である。

カラヤンの録音は、1975年1月から始まり77年3月に終っている。
バーンスタインはというと、1978年11月から79年9月までの、1年足らずで終らせている。
モーストリークラシックの連載は、私の知るかぎり、2度休載されている。
二度目の再開の6月号を手にしたとき、「よかった、また始まって」と思い読んだ。

ストレートな書き方だと感じた。
7月号は、よりストレートに感じた(だから、すこし不安をおぼえていた......)。

「情報」について書かれていた。

いま、情報ではなく、情報擬きが蔓延りはじめている。
釣りで云うところの撒餌のような情報擬きについて、きびしいことを書かれている。

情報とはなんなのか、いま価値ある情報は、残念なことにテレビや雑誌からではなく、
知人・友人からの口伝えによる、と書かれ、
情報を発信する側の人間の心がまえとして、より真剣に、より慎重なる態度が必要であり、
そうでなければ信頼は得られない、と。

読んでいて、なにか強いものを感じていた。
背筋をのばして読むべき文章だった。

いまはテレビや出版関係の人間でなくても、ウェブで簡単に情報を発信できる。

「お金は貰っていないから......」、こんないいわけは、情報を発信している以上、
プロだろうがアマチュアだろうが、決して口にしてはならない言葉だ。

親しい、大事な友人に、そんなことをいいながら、何かを伝えるというのか。

本の編集者、筆者、そしてブログやウェブに書いている人、
とにかく情報を不特定多数の人に向って発信している人は、
モーストリークラシックの7月号の黒田先生の文章は、読むべきである。

何も感じない人はいないと思っている。
「今日は20日だ」とわかっていても、土曜日は、仕事の終了が9時過ぎで、
最寄りの駅についたのが10時半ごろだった。
近くの書店は閉店している。
途中下車すれば、まだ開いているところはあったのだが、食事もまだだったため、そういう気も起きなかったが、
この日は、モーストリークラシックの8月号の発売日だった。

モーストリークラシックの巻頭は、黒田先生の「黒恭の感動道場」だった。
今年の分は、6月号と7月号の掲載だけだった。

もしかしたら、と思い、今日書店で手にしたが、やはり載っていなかった。

おそらくモーストリークラシックの7月号掲載分が、黒田先生の最後の文章だろうか。

黒田先生の文章は、おだやかでやさしい口調で語られていることが多い。
だから、文章だけで黒田先生に接してきた人は、モーストリークラシック6月号と7月号の文章に、
それまでの黒田先生のイメージとは違うものを感じとられた人も少なくないかもしれない。

黒田先生の音楽への愛情は真剣だった。
それだけに、愛を感じられない、やっつけ仕事でなされた演奏やレコードに対しては、
ひじょうに辛辣できびしい言葉で語られることもあった。
ステレオサウンド 38号で、黒田先生が、岩崎先生のリスニングルームを訪ねられたあと、
岩崎先生宛の手紙という形で、感想を書かれている。

タイトルは、アレグロ・コン・ブリオ。

そこに書かれている。
「大きな音で、しかも親しい方と一緒にきくことが多いといわれるのをきいて、岩崎さんのさびしがりやとしての横顔を見たように思いました。しかし、さびしがりやというと、どうしてもジメジメしがちですが、そうはならずに、人恋しさをさわやかに表明しているところが、岩崎さんのすてきなところです。きかせていただいた音に、そういう岩崎さんが、感じられました。さあ、ぼくと一緒に音楽をきこうよ──と、岩崎さんがならしてくださった音は、よびかけているように、きこえました。むろんそれは、さびしがりやの音といっただけでは不充分な、さびしさや人恋しさを知らん顔して背負った、大変に男らしい音と、ぼくには思えました。」

さびしさや人恋しさを知らん顔して背負った、大変に男らしい音──、
ここにも孤独があり、孤独を、岩崎先生は、ある意味、楽しまれていたのでは、と思えてくる。

そう思うのは、私のひとりよがりなのかもしれないが、
それでも、私の中では、一条の光とアレグロ・コン・ブリオ(輝きをもって速く)が、結びつく。
ひとつ訂正しておく。

音楽通信の奥付には、1984年1月20日発行とある。つまり創刊号の発売は、1983年12月のことだ。

黒田先生は1938年1月1日生まれだから、このとき、ぎりぎり45歳。私はというと、ぎりぎり20(ハタチ)だった。

表紙には「主題 三十五歳も音楽をきいている」とある。
黒田先生は10年前にそこを通りすぎておられ、私にはまだ15年先のことだった。

26年経ち、音楽通信を創刊された頃の黒田先生と、ほぼ同じ歳になったいま、
創刊号を読むと、黒田先生が創刊号に込められたものが、
26年前よりもはっきりと感じとれるようになっている(そうでなくは困るのだが)。

そして、なぜベートーヴェン全集は、カラヤンではなくバーンスタインだったのかも、
はっきりと言葉にすることはまだできないけれど、そういうことだったのかな、とぼんやりと感じてはいる。
一度だけ、音楽通信編集部に、そのとき、サウンドボーイの編集者だったNさんにつれられて、
夜うかがったことがある。

もう寒くなりはじめた季節だったように思う。

黒田先生をはじめ、編集部のスタッフの方々は、大きなテーブルを囲み、アルコールを飲みながら、
熱っぽく語られていた。音楽を、本のあり方を、真摯に語られていた。

わかるところもあれば、まだすんなりとは、私の未熟さゆえに、のみ込めないこともあった。

それでも、新しい雑誌を創刊することの熱さは、きちんと感じとってきた。
大変なことだろうけど、羨ましくもあった、その熱さであった。

音楽通信・創刊号の目次には、こんなことがさりげなく書かれている。

私たちは
音楽を芸術だ芸術だとはいわない。
音楽を「わからないと言う人をばかにしない
(「わかる」人がエライと思わない)。
結局悪口を言わなければならない人や
物は取り上げない。
ただし敬愛もできず応援もしたくない人や
物の提灯持ちはしない。
公平、正義、不偏不党をうたわない、
着実な私見だけのべる。
音楽のたのしみを、
自分たちの生活と人生から考える。

きっと、音楽通信・編集部の人たちは、このことにもとづくことを話し合われていたのだろう。
一度だけ、音楽通信編集部に、そのとき、サウンドボーイの編集者だったNさんにつれられて、
夜うかがったことがある。

もう寒くなりはじめた季節だったように思う。

黒田先生をはじめ、編集部のスタッフの片が派、大きなテーブルを囲み、アルコールを飲みながら、
熱っぽく語られていた。音楽を、本のあり方を、真摯に語られていた。

わかるところもあれば、まだすんなりとは、私の未熟さゆえに、のみ込めないこともあった。

それでも、新しい雑誌を創刊することの熱さは、きちんと感じとってきた。
大変なことだろうけど、羨ましくもあった、その熱さであった。

音楽通信・創刊号の目次には、こんなことがさりげなく書かれている。

私たちは
音楽を芸術だ芸術だとはいわない。
音楽を「わからないと言う人をばかにしない
(「わかる」人がエライと思わない)。
結局悪口を言わなければならない人や
物は取り上げない。
ただし敬愛もできず応援もしたくない人や
物の提灯持ちはしない。
公平、正義、不偏不党をうたわない、
着実な私見だけのべる。
音楽のたのしみを、
自分たちの生活と人生から考える。

きっと、音楽通信・編集部の人たちは、このことにもとづくことを話し合われていたのだろう。
音楽通信の創刊号は、記憶違いでなければ、1984年1月だったはず。

編集部は、ステレオサウンドがはいっていたビルではなく、外苑東通りを東京タワー方面に歩いて10分ほどのところ、
ソ連大使館(当時)近くのマンションにあった。

かなり広いワンルームマンションに、これまた大きなテーブルが置いてあり、
そこに編集長の黒田恭一先生をはじめ、音楽通信・編集部の人たちが集まり、
創刊号の準備を、とても地道な作業のくり返しを、それはたいへんなことだけど、
なにか独得の活気に満ちていた空気のなかでやられていた。

いまならMacの画面上で、使用するフォントの属性、行間の設定をあれこれ変えて、
その結果を印刷して見比べるという、それほどたいへんでもない作業を、
当時、MacでDTPなんて、まだ影も形も存在していない時代
──マッキントッシュの128Kが登場したのが1984年、その前年の話だ──、
音楽通信の編集部の人たちは、本文の書体、サイズ、行間、一行あたりの文字数を決定する作業を、
実際に、いろいろな本のページをコピーしては、それらを切り貼りして見本を作っては、
検討、手直しをしたり、という根気が求められる作業を、決しておろそかにすることなくこなされていた。
マーラーの交響曲全集を、第一番から第九番まで、最初から一日のうちに聴き終えるというのは、
いちどやってみたいと思っていても、時間がなかなか許してくれない。

ベートーヴェンとなると、6時間ていどの時間がとれれば、
ひとりの指揮者による演奏で、一気に聴きとおせる。

バーンスタインが、1980年に出した、ウィーンフィルとのベートーヴェンの交響曲全集。
CDだと5枚に収まっている。

1枚目に第一番と三番、2枚目に第二と第四、あとは順番どおりに収められているので、
1枚目と2枚目は交互にかけかえることになるけれど、アナログディスク時代にくらべると、
その手間もあってないようなものに感じる程度。

たまたま今日は休みだったこともあり、やってみた。

なぜ、こんなことをやったかというと、ふと「音楽通信」という音楽誌のことを思い出したためだ。

音楽通信・創刊号の特集は、バーンスタインのベートーヴェンを第一番から第九番まで、
一気に聴きとおすというものだった。
1988年5月、黒田先生のお宅に伺ったときのことだ。

「オーディオは趣味ではない。ぼくは命を賭けている」と、
力強い口調で、真剣な顔つきで、そう明言された。

心強かった、なんだか、無性に嬉しかった......。

「黒田恭一」の名前を知ったのは、
1976年暮に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 '77」の巻頭に載っていた
風見鶏の示す道を」を読んだときだ。

ちょうどオーディオに興味をもちはじめて、そう間もないときのことで、強い衝撃でもあった。

音楽を聴く、ということ、それもレコードによってオーディオを通して聴くということは、
どういうことなのか。
その難しさと面白さが伝わってきたように感じていた。

正直、まだ13歳、しかも音楽の聴き手としてもまだ初心者、オーディオのことも知識も経験も少なすぎた私には、
書かれていることをすべて理解できなかった。

読んでいて難しい、と思った。ちょうど冬休みだったこともあり、何度も何度も読み返した。
読み返すたびに、すごいと思い、この人の書くものは、すべて読みたい、とまで思っていた。

音楽の聴き手として大切なものが、はっきりと書かれていたわけではないが、
「風見鶏の示す道を」には、ある。

それを感じとっていたから、13歳の私は、「難しい」と感じていたのだろう。

とにかく、黒田先生の文章に、早い時期に出会っていてよかった、とはっきりと言える。
出会えてなかったら、音楽の聴き手として心がまえを持ち得なかったかもしれない。

黒田先生の、新しい文章を読むことは、もう、できなくなってしまった......。
「4343のお姉さん」とは、黒田先生が、4344に対して語られた言葉だ。

ステレオサウンドの62号に、こう書かれている。

     ※
4344の音は、4343のそれに較べて、しっとりしたひびきへの対応がより一層しなやかで、はるかにエレガントであった。したがってその音の感じは、4343の、お兄さんではなく、お姉さんというべきであった。念のために書きそえておけば、エレガント、つまり上品で優雅なさまは、充分な力の支えがあってはじめて可能になるものである。そういう意味で4344の音はすこぶるエレガントであった。
     ※
「4343のお姉さん」は、4344の特質を一言で的確に表現されている。
ただ、JBLのラインナップ、技術的な内容から言えば、4345の妹、といったほうが、よりぴったりくる。
黒田先生の表現は、あくまでも4343と4344の比較の上でなされたものだから、
4345に対してどうのということはなくて当然である。

4344は、外形寸法は4343はまったく同じである。
しかし、「4343と103」で述べたようにエンクロージュアのつくりは異る。
フロントバッフルのこともそうだが、補強棧の数、入れ方も大きく違う。

4344では、底板と天板の横方向に補強桟が入っているし、
側板の補強桟も鳴きを抑えるよりも、うまく利用するような方向に変わっている。

補強桟の断面は正方形ではなく長方形で、通常なら、補強桟を横向き、
つまり断面の長辺を補強したい板に接着する。4343もそうだった。

4344からは短辺のほうを接着している。これは現行製品の4348も同じである。

それからミッドバスのユニットは、4345と同じ2122Hに変更されるとともに、
バックキャビティも奥行きが増している。

あまり知られていないようだが、4345と4344のネットワークの回路図を見ると、
まったく同じである。コンデンサーやコイルの定数も同じだ。

ユニット・レイアウトやバスレフポートの位置もそうだし、
4345と4344の開発エンジニアは、グレッグ・ティンバースで、
4341、4343、4350は、パット・エヴァリッジであることから、
4344は4345から派生したもの、4345の妹機と見たほうがいいだろう。
1978年ごろに、テクニクスからコンサイスコンポが登場したとき、
黒田先生がステレオサウンドに、LS3/5Aを組み合わせて楽しまれている記事を書かれている。

キャスター付きのサイドテーブルの上に、LS3/5Aとコンサイスコンポ一式と、
たしか同時期に出ていたLPジャケットサイズのアナログプレーヤーSL10もふくめて
置かれていた写真を、こんなふうに音楽が楽しめたらいいなぁ、と思いながら眺めていた。

コンサイスコンポは、A4サイズのコントロールアンプ、パワーアンプとチューナーがあり、
どれも厚みは5cmくらいだったはず。
パワーアンプはスイッチング電源を採用することで薄さを可能にしていた。

手元にその号がないのでうろ覚えの記憶で書くしかないが、
黒田先生は、気分や音楽のジャンルに応じて、サイドテーブルを近づけたり遠ざけたり、と
メインシステムでは絶対にできない音楽の聴き方をされていた。

コンサイスコンポ・シリーズのスピーカーも発売されていたが、
黒田先生はLS3/5Aと組み合わされていたのが、この、音楽を聴くスタイルにまたフィットしているし、
省スペース・小型スピーカーだからこそ、活きるスタイルだと思う。

セレッションのSL6の登場以降、小型スピーカーの在りかたは大きく変化していったいま、
LS3/5Aに代わるスピーカーがあるだろうか。

「異相の木」

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「異相の木」は、黒田(恭一)先生が、
ステレオサウンドに以前連載されていた「さらに聴きとるもののとの対話を」のなかで、 
ヴァンゲリスを取りあげられたときにつけられたタイトルである。 

おのれのレコードコレクションを庭に例えて、
そのなかに、他のコレクションとは毛色の違うレコードが存在する。
それを異相の木と表現されていたように記憶している。

この号の編集後記で、KEN氏は、
自分にとっての異相の木は八代亜紀の雨の慕情だ、と書いている。

異相の木は、人それぞれだろう。自分にとっての異相の木があるのかないのか。 
異相の木はなんなのか。 
その異相の木は、ずっと異相の木のままなのかどうか。 

そして異相の木は、レコードコレクションだけではない。
オーディオ機器にもあてはまるだろう。
五味先生にとって、JBLのメトロゴンは異相の木だったのだろうか。
そんなことを考えてみると、おもしろい。
ホセ・カレーラスがいったい何枚のディスクを出しているのか、知らない。 
ネットで調べれば、すぐにわかることだろうが、数にはあまり興味がないため、
だから、すべて聴いたわけではもちろんない。 
そういう聴き手である私にとって、
ホセ・カレーラスの数あるディスクの中で、 大切なのは、二枚だ。 

一枚はラミレスの「ミサ・クリオージャ」。 
はじめて、このディスク(というかこの曲)を聴いた時、 
ヨーロッパのクラシックとは違う、こういう美しさもあったのかと驚き、
敬虔な気持ちになったものだ。
いまも、ときおり聴く。 

もう一枚は「AROUND THE WORLD」。 
タイトルどおり、各国の代表的な歌をカレーラスが、その国の言葉で歌っている。 
国内盤のタスキで、黒田先生の文章が読める。 
これが、また素晴らしくいい。 
     ※
汗まみれの、力まかせの熱唱なら、未熟な歌い手にだってできる。 
しかし、声をふりしぼっての熱唱では、ききての胸にしみじみとしみる歌はきかせられない。充分に経験をつんだ歌い手が表現の贅肉をそぎおとして、静かに、淡々とうたったときにはじめて、耳をすますききての心の深いところで共鳴する歌がある。このアルバムで、ホセ・カレーラスのきかせてくれているのが、そういう、味わい深い歌である。今のカレーラスだけに咲かせられた、いろどり深く、香り幽き秋の花にでもたとえるべきか。 
     ※
この黒田先生のすてきな文章を読みたくて、 
輸入盤のほかに国内盤も買ったほどである(国内盤は友人にプレゼント)。

「目的地」

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ステレオサウンド38号からもうひとつ。 

黒田恭一氏の文章から。 

「したがってぼくは、目的地変動説をとる。 
さらにいえば、目的地は、あるのではなく、つくられるもの。 
刻一刻とかわるその変化の中でつくられつづけられるものと思う。 
昨日の憧れを今日の憧れと思いこむのは、 
一種の横着のあらわれといえるだろうし、 
そう思いこめるのは、仕合せというべきだが、 
今日の音楽、ないし今日の音と、 
正面切ってむかいあっていないからではないか。」 


いま読んでも、するどくふかいと感じる。

この文章と、アバド、ポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲は同時代である。

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