五味康祐の最近のブログ記事

高城重躬氏は、ときおり親しくされていたピアニスト(たしかハンス・カンだったと記憶している)の演奏も、
自宅のリスニングルームのスタインウェイで録音されていたが、多くはご自身の演奏だったはずだ。

自分の部屋で自分の演奏を録音し、同じ部屋で再生する。
このことこそ「音による自画像」ではないかという指摘もあろう。

でも、実際のところどうなのだろうか。

五味先生も、バイロイト音楽祭の録音を思い立ち始められるときから、
すでに「音による自画像」という意識をもっておられたわけではない。
なぜ録音を続けるのか、なぜ演奏に満足できないテープまで保存しておくのか、
と自問されたゆえの「音による自画像」であるから、高城氏にとって、最初はそういう意識はなかったとしても、
録音を続けられるうちに、「音による自画像」ということを意識されたことはあるだろうか。

高城氏もすでに亡くなられている。そのことを確かめることはできない。
だから憶測に過ぎない、それも根拠らしい根拠はなにもない憶測なのは承知のうえで、
高城氏には「音による自画像」という意識はなかったように思う。
それは日々の記憶ではなかったのか、とも思う。

ここで、いちど私なりに「音の自画像」について考えてみる必要がある。
どこかのスタジオ、もしくはホールで録音されたピアノのレコードを自宅で再生するのと、
リスニングルームに置かれたピアノを録音して、そのリスニングルームで再生するのとでは、
「再生」と同じ言葉をつかっているものの、内容的にずいぶん違うものといえるところがある。

ハイ・フィデリティを、原音に高忠実度ということに定義するならば、
録音と再生の場を同一空間とする高城重躬氏のアプローチは、しごくまっとうなことといえるだろう。

その場で録音してその場で再生する。そして、ナマのピアノの音と鳴ってきたピアノの音とを比較して、
スピーカーユニットの改良、その他の調整を行っていく。
これを徹底してくり返し行い実践していくだけの、高い技術力と確かな耳、それに忍耐力があれば、
原音再生──ハイ・フィデリティというお題目のひとつの理想──に、確実に近づいていくことであろう。

ただし、この手法は、あくまでも録音の場と再生の場が同一空間であることが絶対条件であり、
このことが崩れれば、そうやって調整したきたシステムは、
いかなるプログラムソースに対しても、はたしてハイ・フィデリティといえるのだろうか。

そしてもうひとつ。録音という行為にふたりとも積極的に取り組まれている。
けれど高城氏に、「音による自画像」という認識はあったのだろうか。
高城重躬氏も、録音には積極的にとりくまれていた。
たしか、五味先生がつかわれていたティアックのR313は、高城氏のすすめで購入されたものだ。

高城氏は、なにを録音されていたのか。
放送されたものも録音されていたのたろうけど、高城氏がおもに録音対象とされていたのは、
リスニングルームにおかれてあったスタインウェイの音であり、ときには秋の虫のすだく音である。

スタインウェイがある空間、ここに設置されているスピーカーによって、録音されたスタインウェイの音が鳴らされる。
この比較によって、音を判断・調整されていたようだ。

高城氏にとって、市販のレコードはメインのプログラムソースであったのだろうか。
もちろんレコードも、数多く聴かれていたであろう。で、氏の著書「音の遍歴」を読んだ印象では、
やはり自分で録音したテープこそが、最良のソースであったように感じてしまう。

レコード、そしてバイロイト音楽祭の録音に重きをおかれた五味先生と、
自身のリスニングルームでの録音に重きをおかれていた高城氏とでは、なにもかもが違ってきてとうぜんとも思える。

レコードにしろ、バイロイト音楽祭を収録したテープにしろ、
どちらも録音された場は、再生の場と異る。それも空間の広さ、建物の構造など、多くのものが大きく異ってくる。

一方、高城氏の場合は、録音の場と再生の場は、完全に一致している。
「ことば」は人を動かす。
目の前にいるあなたを動かす、活字になれば見知らぬ誰かを動かす。
自分の「ことば」によって、「わたし」が動くこともある。

「音による自画像」という、自身でつぶやかれた「ことば」によって、五味先生は動かれた、思考された。

長くなるが引用しよう。
     *
ブルーノ・ワルターは、『交響曲第一番』をマーラーのウェルテルと呼びたいと言っている。
音楽家は、自分の体験を音で描写しないものだとも言う。ワルターがこれを言った事由はわからないが、体験を描写しないで自画像を描ける道理がない。しかしたとえば『ドン・ジョヴァンニ』を、フロイトが『ハムレット』をそう理解したように、モーツァルトの無意識の自伝とみることはできるだろう。
モーツァルトは幼いころトランペットの音に我慢がならなくて──トランペットに限らず、なんらかの和音によって和らげられない単音を、きつい音で鳴らすのは、すべて彼にとって耐えられぬ苦痛だったとスタンダールは書いているが──そんなトランペットを父親が幼いモーツァルトに示しただけで彼は、ピストルをつきつけられたようなショックをみせたという。そして、そういう責苦を自分に与えないでほしいと父親に頼んだ、父親レオポルドは息子の将来のために、その恐怖心を払拭しようとトランペットを吹いた、最初の一音を耳にしただけで息子は蒼ざめ、床に倒れてしまったという。十歳ごろだそうだが、そんなモーツァルトだから、何か滑稽な意味を表わすときには金管に一発やらせる。『フィガロの結婚』でそういう金管を聴くことができるし、『ドン・ジョヴァンニ』にでも、地獄の門の近いことを表わすのに強迫的意味でトロンボーンを使っている事実は、金管嫌いの少年モーツァルトと無縁ではないように思う。つまりそこに、ナマの人間モーツァルトが出て来はしないか、と考える。
音楽は、言うまでもなくメタフィジカルなジャンルに包括されるべき芸術であって、ときには倫理学書を繙くに似た感銘を与えられねばならない。そういうメタフィジカルなものに作者の肖像を要求するのは、無理にきまっている。でもトランペットの嫌いな作曲家が、どんなところでこの音を吹かせるかを知ることは、地顔を知る手がかりにはなろう。音符が描き分けるそういう自画像を、私はたずねてみようと思う。
     *
ここに引用したことは、「音による自画像」という「ことば」から生れてきた、導き出されてきたものであるはずだ。
「音による自画像」、そういったものがありえるのだろうか、そう思われる人はいて当然だろう。
音は聴くものであり、目に見えるものではない。
たしかにそうであり、そういってしまえば「音による自画像」は、
五味先生の筆力から生れてきたものでしかない......、はたしてそう言い切れるだろうか。

自分でマイクロフォンをセッティングし音を調整しての録音であれば、
それは自画像と呼べなくとも、それに近くはなるかもしれない。
さらにピアノなりヴァイオリンなり、なんらかの楽器を演奏しての録音ということになれば、
もうすこし自画像に近いものになるのだろうか。

反論がきこえてくる。録音されていたのは、放送されたものだろう、という。
録音されていたのは、バイロイト音楽祭の放送であり、第三者が録音したものでしかない。

それをどんなに高価で音の良いチューナーで受信して、市販されているもののなから、
もっとも信頼できるテープデッキを選び出してきたとして、
そこには自分で自分の演奏を録音する行為にみられる、わかりやすい能動性は見えてこない。

だから浅薄な考えで、わかりきった反論をする人はいよう。

「音楽は見るものではないだろうか?」という見出しのあとに、こう続けられている。
     *
画家なら、セザンヌは無論のこと、ゴッホもゴーガンもあのピカソさえ、信じ難いほど写実性で自画像を描いている。どんな名手が撮った写真よりそれはピカソその人であり、ゴッホの顔と私には見える。音楽作品にはしかし、そういう自画像は一人として思い当たらない。
(中略)
いまさら言うまでもないが、音楽は聴くもので見るものではない、肖像画が声を出すか? といった反論はわかりきっているので、音楽に自画像を求めるのが元来無理なら、自画像と呼ぶにふさわしい作品をたずねてみるまでである。
     *
五味先生の自問はつづく。
五味先生がバイロイト音楽祭のエア・チェックに使われていたルボックスのA700は、688,000円している。
テレフンケンのM28AではなくM28Cは1,300,000円という価格がついていた。
スチューダーのC37の価格は不明だが、C37の後継機いってよいA80/VU MKIIが3,300,000円、
これと同格のアンペックスのATR100が4,000,000円(価格はいずれも1977年のもの)、
どちらもソリッドステート仕様であり、C37とは登場時期が異るためはっきりといえないが、
C37もこれらの機種と、ほぼ同等の価格も、もしくはさらに高価だったのかもしれない。

これらのデッキによって録音されたテープは、いったいなんなのか。
     *
答はすぐ返ってきた。たいへん明確な返答だった。間違いなしに私はオーディオ・マニアだが、テープを残すのは、恐らく来年も同じ『指輪』を録音するのは、バイロイト音楽祭だからではない、音楽祭に託してじつは私自身を録音している、こう言っていいなら、オーディオ愛好家たる私の自画像がテープに録音されている、と。我ながら意外なほど、この答は即座に胸内に興った。自画像、うまい言葉だが、音による自画像とは私のいったい何なのか。
     *
「音による自画像」という答を出して、こんどは「音による自画像」について、また自問されている。
バイロイト音楽祭で奏でられるのは、もういうまでもなくワグナーの音楽だけだ。
     *
ワグナーは神々の音楽を創ったのではない。そこから強引にそれ奪い取ったのだ、奪われたものはいずれは神話の中へ還って行くのをワグナーは知っていたろう。してみれば、今、私の聴いているのはワグナーという個性から出て神々のもとへ戻ってゆく音ではないか。他人から出て神に還るものを、どうしてテープに記録できるか。そんなことも考えるのだ。
     *
では、テープにおさまっているのは、いったいなんなのか。
     *
私が一本のテープに心をこめて録音したものは、バイロイト音楽祭の演奏だ。ワグナーの芸術だ。しかし同じ『ニーベルンゲンの指輪』、逐年、録音していればもはや音楽とは言えない。単なる、年度別の《記録》にすぎない。私は記録マニアではないし、バイロイト音楽祭の年度別のライブラリイを作るつもりは毛頭ない。私のほしいのはただ一巻の、市販のレコードやテープでは入手の望めぬ音色と演奏による『指輪』なのである。元来それが目的で録音を思い立った。
     *
だから五味先生は、自問される、なぜ録音するのか、なぜ消さないのか、残すのか、と。
エア・チェックについて、こんなことを書かれている。
     *
だから私の場合、レコードを買わずに録音をすることはまずないが、気に入ったソリストの、海外における音楽祭での演奏はできるかぎり録音し、聴きなおしている。だが、このごろはそれにもすこし倦んできた。
気にとめて放送は聴くし、なかば習慣で録音はしてみるのだが、ライブラリイに加えたく思うほどのものはしだいになくなった。二,三度聴きなおして、たいがい、消してしまう。
理由はかんたんだ。いい演奏がないのである。それに音質が気にくわない。
     *
そんな五味先生が、バイロイト音楽祭のものに関しては、消さずに残しておられる。
バイロイト音楽祭も、「海外における音楽祭」のひとつ、である。
なぜなのか。
     *
レコードを所持しないで録音する人もいるだろう。だが私の場合、すでにそれは録音してある。何年か前はロリン・マゼールの指揮で、マゼールの指揮を好きになれなんだから翌年のホルスト・シュタインに私は期待し、この新進の指揮にたいへん満足した。その同じ指揮者で、四年間、同じワグナーが演奏されたのである。心なしか、はじめのころよりはうまくはなったが清新さと、精彩はなくなったように思え、主役歌手も前のほうがよかった。
     *
このすこしあとに、
「なら、気に食わぬマゼールを残しておく必要があるか、なぜ消さないのか、レコード音楽を鑑賞するにはいい演奏が一つあれば充分のはずで、残すのはお前の未練か?」
とも書かれている。

「演奏そのものはフルトヴェングラーの域をとうてい出ないこと」をよく知っている人が、
バイロイト音楽祭以外の海外の音楽祭のものだと、「二,三度聴きなおして、たいがい、消してしまう」人が、
バイロイト音楽祭だけは特別で、私家版として残されているのは、なぜか。
五味先生が、バイロイト音楽祭を毎年録音されていることについては、さらっとふれるだけの予定だった。
何を録音されていたのかについてふれるだけで、高城重躬氏が録音の対象とされていたものと比較しながら、
ふたりのスタンスの違いについて書くつもりでいたのだが、
なぜか、このバイロイト音楽祭のところが、ことさら重要に思えてきた。

なぜなのか、をさぐるためにも、もうすこし、この部分の引用を続けてみよう。
それでなにかがはっきりしてくるのかもしれないし、予感だけで終ってしまうのかしれない。

なぜ毎年録音されているのか。
     *
ときには自分でも一体なんのためにテープをこうして切ったり継いだりするのかと、省みることはある。どれほどいい音で収録しようと、演奏そのものはフルトヴェングラーの域をとうてい出ないことをよく私は知っている。音だけを楽しむならすでに前年分があるではないか、放送で今それを聴いてしまっているではないか、何を改めて録音するか。そんな声が耳もとで幾度もきこえた。よくわかる、お前の言う通りさと私は自分に言うが、やっぱりテープをつなぎ合わせ、《今年のバイロイトの音》を聴き直して、いろいろなことを考える。
     *
五味先生は、どんなことを考えられていたのか。
それがハイ・フィデリティを、いま再考することにふかく関わっている、そんな予感だけがある。
「ハイ・フィデリティ再考」は、私にとって「五味オーディオ教室再読」でもあること。

この項を書き始めたときは、終りだけを決めていた。
そこに、どうやって辿りつくのかは書くことによって、自然に定まっていくだろう、という予感があったからだ。

最初は、だから「ハイ・ファイ」ということばを知るきっかけでもあり、私のオーディオの始まりでもある
「五味オーディオ教室」から、いくつか引用していた。
そして引用を続けていくうちに、上記のように感じていた。

そして「終り」も微妙に変化していっている。

ハイ・フィデリティとは、最終的には聴き手側について語ることになる、と。
五味先生が使われてたいのは、ルボックスのA700、テレフンケンのM28A、
この二台が、ティアックのR313もお持ちだったけれど、メインとして使われていた。
そして最後には、スチューダーのC37も入手されている。

C37は、A700、M28Aとの比較でいえば、アナログプレーヤーのEMTの927Dstと930stの違いによく似てよう。
C37は927Dstに肩を並べる、そういうプロ用機器である。

五味先生のアナログプレーヤーは930st。927Dstについて語られることはなかった。
C37については、入手以前から、どうしても手に入れたいものとして、何度か、そのことについて書かれている。
927Dstについて、そのような記述はなかったはずだ。

それだけオープンリールデッキには、並々ならぬ情熱をかけられていた。
というより録音に対して、であるのだが。

だが、その録音もいわばエアチェックである。
バイロイト音楽祭の中継、それにときどきNHK-FMが行っていたコンサートの生中継、
録音されていたものは、おそらくこれらが中心だったはずだ。
それも、バイロイト音楽祭の録音のため、といってもいいのではなかろうか。

なぜ、それほどまでに毎年、「業のようなもの」といいながら録音をつづけられていたのだろうか。
     *
たしかに『ワルキューレ』(楽劇『ニーベルンゲンの指輪』の第二部)なら、フルトヴェングラー、ラインスドルフ、ショルティ、カラヤン、ベーム指揮と五組のアルバムがわが家にはある。それよりも同じ『指輪』のなかの『神々の黄昏』の場合でいえば、放送時間が(解説抜きで)約五時間半。収録したものは当然、編集しなければならなぬし、度の程度うまく録れたか聴き直さなければならない。聴けば前年度のとチューナーや、アンプ、テレコを変えているから音色を聴き比べたくなるのがマニアの心情で、さらにソリストの出来映えを比較する。そうなればレコードのそれとも比べたくなる。午後一時に放送が開始されて、こちらがアンプのスイッチを切るのは、真夜中の二時、三時ということになる。くたくたである。
     *
歳末のあわただしいときの話だ。
高城重躬氏がどういう経歴で、どういう人なのかは、
「五味オーディオ教室」にはそれ以上のことは何も書かれていない。

高城氏がどういう人なのかを知るようになったのは、もう少し経ってから。
ラジオ技術を読みはじめてから、である。
そころラジオ技術で連載をもたれていたと記憶しているし、
共同通信社から「音の遍歴」という書籍も、しばらくして出た。

「音の遍歴」を読めば、五味先生と高城氏のスタンスの違いがはっきりとわかる。

五味先生は、宴会料理と家庭料理のたとえをされているが、
すこしニュアンスはちがうが、このふたりの聴いているものの違いも、
宴会料理と家庭料理の違いに通ずるものがある。

この違いを認識せずままに、ふたりの書かれたものを読んでいては、誤解だけが生まれてくるかもしれない。
一時期、五味先生は、高城氏のことを、いわば信奉されていたのが、のちに大きく変わっていく......。

五味先生は、毎年暮のNHK-FMで放送されていたバイロイト音楽祭を録音することを、年来の習慣とされてきた。
すこしでもよりよい音で収録するために、チューナーはマランツの10B、
アンテナは7素子の特製のものをモーターで回転させ、38cmの2トラックのオープンリールデッキを用意されている。

「うまく録れたときの音質は、自賛するわけではないが、市販の4トラ・テープでは望めぬ迫力と、ダイナミックなスケール、奥行きをそなえ、バイロイト祝祭劇場にあたかも臨んだ思いがする。一度この味をしめたらやめられるものではなく、またこの愉悦は音キチにしかわかるまい。」
と夢中になられているのが伝わってくる。
五味先生と高城氏の関係についてなにも知らなかっただけに、ここまで読んで「あれっ?」と思いはじめていた。

オムニ・ディレクショナルの音はどうだったのだろうか。
     *
さて、〝オムニ・ディレクショナル〟から鳴る引きしまった低音の豊満さと、その高域の清澄な美しさに私はびっくりした。とても同じ〝スーパー3〟の音とは思えないし、岡邸で聴かせてもらった高域とも比較しようもないくらい、よい音なのである。
     *
神様のように信奉されていた高城氏設計のコンクリート・ホーンという、ひじょうに大がかりなスピーカーよりも、
ワーフデールのオムニ・ディレクショナルのほうが、美しい音を出している。

この時点では、オムニ・ディレクショナルが、どのような仕様で、どんな規模のスピーカーであるのかは、
ほとんど不明だったが、それでもコンクリート・ホーンにくらべれば、
その規模はずっと家庭にすんなりおさまるものであろうことは、容易に想像できた。

ここまで読み進んで気がついたことがある。
ワーフデールについて書かれているページよりも70ページ前に書いてあることについて、だ。
     *
ヨーロッパの(英国をふくめて)音響技術者は、こんなベテランの板前だろうと思う。腕のいい本当の板前は、料亭の宴会に出す料理と同じ材料を使っても、味を変える。家庭で一家団欒して食べる味に作るのである。それがプロだ。ぼくらが家でレコードを聴くのは、いわば家庭料理を味わうのである。アンプはマルチでなければならぬ、スピーカーは何ウェイで、コンクリート・ホーンに......なぞとしきりにおっしゃる某先生は、言うなら宴会料理を家庭で食えと言われるわけか。
     *
某先生──、高城重躬氏のことだと気がついた。
高城重躬氏の名前を知ったのも、「五味オーディオ教室」である。
こう書かれている。
     *
今から二十年ほど前になるが、当時、ハイ・ファイに関しては何事にもあれ、オーディオ評論家の高城重躬氏を私は神様のように信奉し、高城先生のおっしゃることなら無条件に信じていた。理由はかんたんである。高城邸で鳴っていた、でかいコンクリート・ホーンのそれにまさる音を、私は聴いたことがなかった。経済的に余裕がもてるようになって、私も高城邸のような音で聴きたいと思い、できることなら高城邸以上のをと、欲ばり、同じようなコンクリート・ホーンを造った。設計は高城先生にお願いした(リスニング・ルームの防音装置に関しても)。
     *
ここまで読んだときは、高城重躬氏という比とのことは全く知らないけれど、
五味先生が「高城先生」と呼ばれるくらいだから、どんなにすごい人なのだろう......、と思いながら、
先を読み進めると、すこし様相が変ってくる。

五味先生は、コンクリート・ホーンの3ウェイに、低域はJBL、中音域はタンノイ、
高域のみ、高城氏のすすめられるワーフデールのスーパー3という、混成旅団でまとめられている。
高城氏は、当時、ワーフデールを好まれていて、
画家の岡鹿之介氏のスピーカーも、ワーフデールの3ウェイでまとめられている、とある。
岡氏のトゥイーターも、スーパー3である。

同じスーパー3にもかかわらず、五味先生のお宅では「鳴ってくる音がまったく違う」結果になっている。
そのため、高城氏の推奨される後藤ユニットに、中・高域のユニットを取り替えられるが、
これも「結果は前よりいっそう気にくわぬ音だった。一時、私は絶望的になっていた」ところに、
ある人の好意で、ワーフデールの "Omni directional" を入手されている。
「五味オーディオ教室」の冒頭に書かれてある「肉体の復活」は、強烈なことばだった。

それにこんなことも書かれているから、よけいに「肉体」について想うようになる。
     *
いま、空気が無形のピアノを、ヴァイリンを、フルートを鳴らす。これこそ真にレコード音楽というものであろうと、私は思うのである。
     *
そしてこうも書かれている。
     *
私は断言するが、優秀ならざる再生装置では、出演者の一人ひとりがマイクの前に現われて歌う。つまりスピーカー一杯に、出番になった男や女が現われ出でては消えるのである。彼らの足は舞台についていない。スピーカーという額縁に登場して、譜にあるとおりを歌い、つぎの出番の者と交替するだけだ。どうかすると(再生装置の音量によって)河馬のように大口を開けて歌うひどいのもある。
わがオートグラフでは、絶対さようなことがない。ステージの大きさに比例して、そこに登場した人間の口が歌うのだ。どれほど肺活量の大きい声でも、彼女や彼の足はステージに立っている。広いステージに立つ人の声が歌う。つまらぬ再生装置だと、スピーカーが歌う。
     *
音に目に視えない、手で触れることもできない。いわば「かたち」のないのが音そのものということになる。
けれど、その「かたち」のない音を発する人、楽器には形がある。
声を発する人、楽器を弾く人には、肉体がある。肉体が在るからこそ、音を発することが可能となる。

だから、その「肉体」を錯覚できるようにすること、
それが High Reality である、と、いまから34年前に考えたことだ。
五味先生は、「ナマ追求は邪道にすぎない」とされ、
次のように書かれている。
     *
レコードによる音楽鑑賞は、録音再生技術に驚異的進歩を見た今日でも、なお、ナマとは別個な、独自なジャンル──芸術鑑賞の一分野である。そこで大事なのはナマそのものではなくて、再生される美しさである。この「再生される美しさ」という点が、日本の業者にまだわかっていないようだ。業者に限らない。多くの録音プロデューサー、近ごろ群出しているオーディオ批評家、音響専門技術者のほとんどが、再生される音の美しさはどんなものかを知らずにただ、ナマを追求している。むろん大方のオーディオ・マニアも。戒心すべきことである。
     *
また、こうも書かれている。
     *
オーディオでナマを深追いしてはならない。それはけっして美しい音ではない。美しい音は、聴覚が持っている。機械が出すのではないのである。
     *
「五味オーディオ教室」から引用したいところは、まだまだある。
きりがないのでこのへんにしておくけれど、「五味オーディオ教室」を読めば読むほど、
当時はハイ・ファイ(つまり原音再生)への疑問をもちはじめていた。

五味先生は「ナマ」イコール「原音」とかならずしもされているわけではないが、
少なくとも、安易な原音再生(ハイ・ファイ)の追求は、美しい音をとり逃がすことになる、
そういうふうに中学2年だった私は受けとめていた。

だから、High Reality であるべき、と考えたわけだ。
「肉体」という単語は、ほかにも出てくる。
略してしまうと誤解を招くとも思うので、引用はすこし長くなる。
     *
そこで鳴っているのはモニターの鋭敏な聴覚がたえず検討しつづける音であって、音楽ではない。音楽の情緒をむしろ拒否した、楽器の明確な響き、バランス、調和といったものだけを微視的に聴き分ける、そういう内帑に適合する音であった。むろん、各楽器が明確な音色で、バランスよく、ハーモニィを醸すなら当然、そこに音楽的情緒とよぶべきものはうまれるはず、と人は言うだろう。
だが理屈そうでも、聴いている私の耳には、各楽器のそのニュアンスだけを鳴らして、音楽を響かせようとはしていない。そんなふうにきこえる。たとえて言えば、ステージがないのである。演奏会へ行ったとき、われわれはステージに並ぶ各楽器の響かせる音を聴くので、その音は当然、会場のムードの中できこえてくる。いい演奏者ほど、音そのもののほかに独特のムードを聴かせる。それが演奏である。
ところがモニターは、楽器が鳴れば当然演奏者のキャラクターはその音ににじんでいるという、まことに理論的に正しい立場で音を捉えるばかりだ。──結果、演奏者の肉体、フィーリングともいうべきものは消え、楽器そのものが勝手に音を出すような面妖な印象をぼくらに与えかねない。つまりメロディはきこえてくるのにステージがない。
電気で音をとらえ、ふたたび電気を音にして鳴らすなら、厳密には肉体の介在する余地はない。ステージが消えて当然である。しかしそういう電気エネルギーを、スピーカーの紙の振動で音にして聴き馴れたわれわれは、音に肉体の復活を錯覚できる。少なくともステージ上の演奏者を虚像としてではなく、実像として想像できる。これがレコードで音楽を聴くという行為だろう。かんたんにいうなら、そして会場の雰囲気を音そのものと同時に再現しやすい装置ほど、それは、いい再生装置ということになる。
     *
この文章が読みはじめすぐに出てくる。
「音」と「音楽」の違いを、ここに書かれている。
当時、中学生の私は、「音楽」に不可欠な要素としての「肉体」の重要性を感じていた。
ハイ・ファイということばを知ったのは、これも「五味オーディオ教室」であった。

「五味オーディオ教室」には簡単な用語解説もあって、そこでは次のように書いてあった。
     *
《ハイ・ファイ》
HiFi = High Fidelity の略で高忠実度の意。何に忠実なのかということだが、いちおう「原音に忠実に」ということにしておこう。
     *
本文では、こう書かれている。
     *
レコード音楽を家庭で聴くとき、音の歪ない再生を追求するあまり、しばしば無機的な音しかきこえないのは、この肉体のフィーリングを忘れるからなので、少なくとも私は、そういうステージを持たぬ音をいいとは思わない。そしておもしろいことに、肉体が消えてゆくほど装置そのものはハイ・ファイ的に、つまりいい装置のように思えてくる。
     *
だから、オーディオに関心をもちはじめたときから、
じつはハイ・ファイということばに関しては懐疑的だったわけだ。

そして中学生の頭で考えついたのが、High Fidelity ではなくHigh Reality だった。
もちろん「五味オーディオ教室」を読んだから、であることはいうまでもない。
「誠実」を和英で引いたら、good faith; sincerity; reliability; 《文》 fidelity とあった。
fidelityもなの? と思った。

fidelityを引くと、①〔人·主義などへの〕忠実, 忠誠 ②原物そっくり, 真に迫っていること, 迫真性、とある。
オーディオでながいあいだ使われてきたHigh-Fidelityは、
②の意味で、いうまでもなく「高忠実」とされてきた。

何に対して「高忠実」であるかも、同時に議論されてきているが、
いちおう「原音」に対してということでおさまっているといえよう。

もっとも「原音」とはなにを指すのか、が、また議論の対象となるけれども、
ハイ・ファイ(ハイ・フィデリティ)ということばのなかに、
原音再生の意味合いも含まれている、といっても特に大きな問題はなかろう。

原音とは、聴き手の元に届けられるアナログディスクやCDなどのパッケージメディアにおさめられたもの、
マスターテープにおさめられたもの、マイクロフォンがとらえたもの、
録音の場で鳴り響いたもの、などであろうが、いずれにしても「音」について問われている。

だが、fidelityに、誠実や忠誠という意味があるわけだから、はたしてそれだけでいいのだろうか。
High-Fidelityを、高い忠実度→原音再生、と捉えるよりも、
より誠実であるもの、より忠誠的であるもの、とするなら、何に対して誠実で忠誠なのかは、
「音」ではなく、やはり「音楽」に、より誠実である、と解釈すべきではなかろうか。

音楽に対する高い誠実度ということになると、
これまでハイ・フィデリティということからは無視されてきたスピーカーシステムやオーディオ機器に、
光が当ってくる。
瀬川先生は五味先生のことを、どう想われていたのか。
ステレオサウンド 39号に載った「天の聲」の書評を読んでおきたい。
     *
 五味康祐氏の「天の聲」が新潮杜から発行された。言うまでもなくこれは「西方の音」の続編にあたる。《西方の音》は、おそらく五味氏のライフワークとして、いまも『芸術新潮』に連載中だから、まだ続編が出ることであろうし、そうあることを期待している。実をいえば私は『芸術新潮』の方は、たまに店頭で立読みするだけで、それだからなおのこと、こうして一冊にまとまった形でじっくり読みたいのである。
 五味康祐氏とお会いしたのは数えるほどに少ない。ずっと以前、本誌11号(69年夏号)のチューナーの取材で、本誌の試聴室で同席させて預いたが、殆んど口を利かず、部屋の隅で憮然とひとりだけ坐っておられた姿が印象的で、次は同じく16号(70年秋号)で六畳住まいの拙宅にお越し頂いたとき、わずかに言素をかわした、その程度である。どこか気難しい、というより怖い人、という印象が強くて、こちらから気楽に話しかけられない雰囲気になってしまう。しかしそれでいて私自身は、個人的には非常な親近感を抱いている。それはおそらく「西方の音」の中のレコードや音楽の話の書かれてある時代(LP初期)に、偶然のことにS氏という音楽評論家を通じて、ここに書かれてあるレコードの中の大半を、私も同じように貧しい暮しをしながら一心に聴いていたという共通の音楽体験を持っているからだと思う。ちなみにこのS氏というのは、「西方の音」にしばしば登場するS氏とは別人だがしかし「西方の音」のS氏や五味氏はよくご存知の筈だ。この人から私は、ティボー、コルトオ、ランドフスカを教えられ、あるいはLP初期のガザドウシュやフランチェスカフティを、マルセル・メイエルやモーリス・エヴィットを、ローラ・ボベスコやジャック・ジャンティを教えられた。これ以外にも「西方の音」に出てくるレコードの大半を私は一応は耳にしているし、その何枚かは持っている。そういう共通の体験が、会えば怖い五味氏に親近感を抱かせる。
 しかし内容についてそういう親近感を抱かせながら「西方の音」は私にとってひどく気の重くなる本であった。ひと言でいえばそれはオーディオに関してこういう書き方があったのかという驚きであると同時に、しかし俺にはとてもこうは書けないという絶望に近い気持であった。オーディオについていくらかは自分の世界を築いてきたというつもりが実は錯覚であって、自分の世界など無きに等しい小さな存在であることを思い知らされたような、まるで打ちのめされた気持であった。ごく最近に至るまで、オーディオについて何か書こうとするたびに、「西方の音」が重くのしかかっていたことを白状しなくてはならない。
 とてもこうは書けないという気持は、ひとつは文章のすごさであり、もうひとつは書かれている内容の深さである。文章については、文学畑の人の文章修業のすさまじさを知れば知るほど、半ばあきらめの心境でこちらはしょせん素人だと、むろん劣等感半分で開き直ってしまえばよいが、オーディオの、ひいては音楽の内容の深さについてはもう頭が上がらない。
 ひとつの観念をできるかぎり正確で簡明なしかも格調の高い言葉に置きかえるという仕事を、近代以降の日本では小林秀雄がなしとげている。その名著「モオツァルト」について、文章のうまいというのは得ですね、と下らないやきもちを焼いた音楽評論家の話はもはや語り草だが、「西方の音」や「天の聲」も、オーディオでものを書く人間には、一種の嫉妬心さえ煽り立てる。それくらい、この行間には美しい音が、ちりばめられ、まさに天の聲のような音楽が絶え間なく鳴ってくる。まさしく五味康祐氏の音が鳴ってくる。
 先に上梓された「西方の音」には、しかしオーディオへの積年のうらみが込められていたように私には思える。それは決して巷間言われるコンクリートホーンを作った技術者へのうらみではなく、筆者をそれほどまで狂おしい気持にさせ、そこまでのめり込ませずにおかないレコードとオーディオへのうらみであった。したがってそこには、オーディオ機器を接ぎかえとりかえ調節しては聴きふける筆者の生々しい体臭があった。
「天の聲」になると、この人のオーディオ観はもはや一種の諦観の調子を帯びてくる。おそらく五味氏は、オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまったに違いない。前半にほぼそのことは述べ尽されているが、さらに後半に読み進むにつれて、オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる。しかもこの音楽は何と思いつめた表情で鳴るのだろう。ずっと昔、まだモノーラルのころ、ヴァンガード/バッハギルドのレコードで、レオンハルトのチェンバロによる「フーガの技法」を聴いたとき、音楽が進むにつれて次第に高くそびえる氷山のすき間を進むような恐ろしいほどの緊迫感を感じたことがあった。むろんこのレコードを今聴いたら違った印象を持つかもしれないが、何か聴き進むのが息苦しくなるような感覚があった。「天の聲」の後半にも、行間のところどころに一瞬息のつまるような表現があって、私は何度も立ちどまり、考え込まされた。
     *
ここに出手くるふたりのS氏──、ひとりは新潮社の齋藤十一氏、
もうひとりの、瀬川先生にとってのS氏、音楽評論家のS氏は西条卓夫氏のことだ。
五味先生はオーディオにおいて何者であったか、といえば、オーディオ研究家ではない。
いい音をつねに求められてはいたから求道者ではあっても、
オーディオ機器を学問として研究対象として捉えられていたわけではない。

評論家でもない、研究家でもない。
私は、オーディオ思想家だと思っている。

五味先生の、そのオーディオの「思想」が、瀬川先生が生み出したオーディオ「評論」へと受け継がれている。
1980年代、日立電線からLC-OFCを線材としたスピーカーケーブルが数種発売されていて、
そのなかに、同軸型の、やや太めのものがあった。

そのスピーカーケーブルを、指定通りに使うと(つまり芯線をプラス側、シールドをマイナス側)、
どんなスピーカーシステムであろうと、低域と高域が聴感上いくぶん持ち上がって聴こえる、
いわゆるドンシャリ傾向の音になる。

井上先生が、なんどかステレオサウンドに書かれたり発言されているが、
このスピーカーケーブルを通常と反対の使い方をする。
芯線をマイナス側に、シールドをプラス側に接続してみる。

すると、ドンシャリ傾向はきれいに影をひそめる。そして音の密度感、勢い、
エネルギー感という言葉で表現される性質のものが、
低域から高域まで、全帯域でぐっと増した印象となる。

音楽が身近に感じられるようになる。聴きごたえのある音へと変る。

もっとも、いいかげんなセッティング、チューニングの段階で、こういう使い方をしても、
その変化量は大きくはない。しっかりと音を詰めていった段階で、この接続にすれば、
ほとんどの方が、驚かれるぐらいに音は変化する。

逆にいえば、通常の使い方とこの使い方の音の差が、あまり明確に出てこないようであれば、
セッティング、チューニングはまだまだだ、ということになる。
「五味氏の『西方の音』は『さいほうのおと』と読むんですか」といったことを、
先日、ある人が訊ねてきた。

なんでも、あるサイトで、「西方の音」の西方は西方浄土(さいほうじょうど)からとられているため、
「せいほう」ではなく「さいほう」と読むのが正しい、と書いてあったそうだ。訊ねてきた。
その人も、別の人からの又聞きなので、どこのサイトなのかはわからない。

私も一瞬、信じかけるくらい、もっともらしい説であるが、読みは「せいほう」で正しい。

「西方の音」の奥付にはルビはないが、
「天の聲─西方の音─」の奥付には、「せいほう」とふってある。

新潮社のサイトでも、「セイホウノオト」とある。

オーディオには、こういう、もっともらしいことが、昔からいくつもあり、
本当のこととして信じられ流布しているものもある。
それらのなかには、害のないものもあれば、そうでないものもあるから、やっかいでもある。
余計なお世話だと言われようが、
五味先生が、作品111を「初めてこころで聴いて以来」と書かれていることを、
くれぐれも読み落とさないでほしい。
「日本のベートーヴェン」に、ナットの弾く作品111のことが書いてある。
     ※
私はある事情で妻と別れようと悩んだことがある。繰り返し繰り返し、心に沁みるおもいで作品一一一の第二楽章を聴いた。どうしてか分らない。或る時とつぜんピアノの向うに谷崎潤一郎と佐藤春夫氏の顔があらわれ、谷崎さんは「別れろ」と言う、佐藤先生は「別れるな」と言う。ベートーヴェンは両氏にかかわりなく弾きつづける。結局、私は弱い人間だから到底離別はできないだろうという予感の《自分の》声が、しらべを貫いてきこえてきた。私にはしょせんいい小説は書けまい、とその時ハッキリおもった。イーヴ・ナットの弾く一一一だった。このソナタを初めてこころで聴いて以来、モノーラルのバックハウス、日比谷公会堂のバックハウス、カーネギー・リサイタルのバックハウス、ステレオのバックハウス、四トラ・テープのバックハウス、それにE・フィッシャー、ラタイナー、ミケランジェリ、バーレンボイム、ハイデシェック、ケンプ......入手できる限りのレコードは求めて聴いた。その時どきで妻への懐いは変り、ひとりの女性の面影は次第に去っていったが、ベートーヴェンだけはいつも私のそばにいてくれたとおもう。私的感懐にすぎないのは分りきっているが、どうせ各自手前勝手にしか音楽は鑑賞はすまい。
     ※
そう思われたのは、1956年のことだ。五味先生、35歳。
この年の2月から週刊新潮に連載された「柳生武芸帳」が、柴田錬三郎の「眠狂四郎」ともに、
剣豪ブームとなったときのことだ。

ナットが、作品111を録音したのは1954年。
日本で発売になったのがいつなのか正確にはわからないが、
いまとちがい、録音されてすぐに発売されていたわけではない。
五味先生がナットの作品111を聴かれたときは、発売されて、そう経っていなかったのではないかと思う。

シャルランの手によるナットのベートーヴェンの作品111が、このとき登場したのは、
単なる偶然なんだろう。

それでもこの偶然によって、離別はなくなっている。

朝日新聞社から出た「世界のステレオ No.3」に、
「どうせ各自手前勝手にしか音楽は鑑賞はすまい。」のつづきといえることを書かれている。
     ※
所詮、音楽は手前勝手に聴くものだろう。銘々が、各自の家庭の事情の中で、聴き惚れ、痛哭し、時に自省し、明日への励みにするものだろう。レコードだからそれは可能なんだろう。
     ※
レコードだから、別離はなかったのだろう、きっと。
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番・作品111は、
ベートーヴェンの、孤独との決着をつけた曲なのではなかろうか。

孤独は誰にしもある。
孤独と向き合い、見据え、受け入れてこそ、決着がつけられる。

目を背けたり、拒否してしまえば、それで終わりだ。

もっともらしいことは書いたり奏でたり、つくったりはできるだろうが、
決着をつけなかった者は、しょせん、もっとも「らしい」で終ってしまうような気がする。

もっともなことを書いたり奏でたり、作ったりするには、決着をつけなければ、
とうていたどりつけない極致のことなのかもしれない。

なぜ五味先生が、ポリーニのベートーヴェンを聴かれ、あれほど怒りをあらわにされた文章を書かれたのか、
いま思うのは、こういうことではなかったのか、ということだ。
やはり930stを愛用されていた五味先生は、どちらだったのか。
930stの内蔵アンプなのか、それともマッキントッシュのC22のフォノイコライザーアンプなのか。

「オーディオ愛好家の五条件」で真空管を愛すること、とあげられている。
「倍音の美しさや余韻というものががSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。」とある。

しかし、別項で引用したように、930stの、すべて込みの音を高く評価されている。
ステレオサウンドにいたときに確認したところ、やはり内蔵の155stを通した音を日ごろ聴かれていたそうだ。

五味先生の930stは、オルトフォン製のトーンアーム、RMA229が搭載されている。
ちなみにモノーラル時代の930のそれはRF229である。

930が登場したのが、1956年。モノーラル時代であり、内蔵イコライザーアンプは、管球式の139である。

シリアルナンバーでいえば3589番からステレオ仕様の930stになる。
これにはステレオ仕様の管球式の139stが搭載されている。

そしてシリアルナンバー10750番から、トランジスター式の155stとなり、
14725番電源回路が変更になり、17822番からトーンアームがEMT製929に変更となる。

ただ155stが登場したのが、いつなのかは正確には、まだ知らない。

ただ929が登場したのが1969年で、
155stの兄弟機153stとほぼ同じ回路構成のフォノイコライザーアンプを搭載した928(ベルトドライブ)は、
1968年に登場していることから、おそらく60年代なかばには930stに搭載されていただろう。

155stは、片チャンネルあたりトランジスター8石を使ったディスクリート構成で、
入出力にトランスを備えている。
153stは、LM1303M、μA741C、μA748Cと3種のオペアンプを使い、
出力のみトランジスター4石からなるバッファーをもつ。
もちろん入出力にトランスをもつが、155stと同じかというとそうでもない。
出力トランスは1次側に巻き線を2つもち、そのうちの1つがNFB用に使われている。

電源も155stは+側のみだが、153stは正負2電源という違いもある。

回路図を見る限り、155stと153stの開発年代の隔たりは、2、3年とは思えない。

となると155stは、60年代前半のアンプなのかもしれない。
LNP2よりも、10年か、それ以上前のアンプということになる。
五味先生がはじめて自分のモノとされたタンノイは、「わがタンノイの歴史(西方の音・所収)」にある。
     ※
S氏邸のタンノイを聴かせてもらう度に、タンノイがほしいなあと次第に欲がわいた。当時わたくしたちは家賃千七百円の都営住宅に住んでいたが、週刊の連載がはじまって間もなく、帰国する米人がタンノイを持っており、クリプッシ・ホーンのキャビネットに納めたまま七万円で譲るという話をきいた。天にも昇る心地がした。わたくしたちは夫婦で、くだんの外人宅を訪ね、オート三輪にタンノイを積み込んで、妻は助手席に、わたくしは荷台に突っ立ってキャビネットを揺れぬよう抑えて、目黒から大泉の家まで、寒風の身を刺す冬の東京の夕景の街を帰ったときの、感動とゾクゾクする歓喜を、忘れ得ようか。
 今にして知る、わたくしの泥沼はここにはじまったのである。
     ※
このタンノイで最初にかけられたのが、イーヴ・ナットの弾くベートーヴェンの作品111である。
シャルランの録音だ。

結局、このタンノイのクリプッシュ・ホーンは、
当時売られていた「和製の『タンノイ指定の箱』とずさんさにおいて異ならない」ことがわかる。

あといちどナットによる作品111は出てくる。「日本のベートーヴェン」においてである。
イーヴ・ナットの、EMIから出ているベートーヴェンのピアノ・ソナタを録音したのは、
アンドレ・シャルランのはずだ。

ワンポイント録音で知られるシャルラン・レコードの、シャルラン氏だ。
彼はシャルラン・レコードをつくる前に、
EMIで、あとリリー・クラウスの、モノーラル録音のピアノ・ソナタも行なっていたはず。

ナットのベートーヴェンもおそらくワンポイントかそれに近い録音だろう。

「天の聲」所収の「ステレオ感」に五味先生は、シャルランについて書かれている。
     ※
録音を、音をとるとは奇しくも言ったものだと思うが、確かにステレオ感を出すために多元マイク・セッティングで、あらゆる楽器音を如実に収録する方法は、どれほどそれがステレオ効果をもたらすにせよ、本質的に、"神の声"を聴く方向からは逸脱すること、レコード音楽の本当の鑑賞の仕方ではないことを、たとえばシャルラン・レコードが教えていはしないだろうか。周知の通り、シャルラン氏はワンポイント・マイクセッティングで録音するが、マイクを多く使えば音が活々ととれるぐらいは、今なら子供だって知っている。だがシャルラン氏は頑固にワンポイントを固守する。何かそこに、真に音楽への敬虔な叡知がひそんでいはしないか。
     ※
「神の声を聴く方向から逸脱」しない、
「真に音楽への敬虔な叡知がひそんでいる」であろうシャルラン氏のワンポイント録音によって、
ナットのベートーヴェンの作品111は録られている。

五味先生が、ナットの作品111をどう聴かれていたのか。
「西方の音」のページをくる。
ケンプの演奏によるベートーヴェンのピアノソナタ第32番が、
五味先生が病室にて最期に聴かれたレコードなのは、すでに書いているが、
タンノイ・オートグラフで愛聴されていたのは、バックハウスの演奏である。

それもスタジオ録音のモノーラル盤、ステレオ盤ではなく、
1954年、アメリカへの入国禁止が解かれ、3月30日、カーネギーホールでのライヴ盤を愛聴されていた。

バックハウスは、このあと来日している。
五味先生は聴きに行かれている。日比谷公会堂での演奏だ。

前年、「喪神」で芥川賞を受賞されていたものの、新潮社の社外校正の仕事を続けられていたときで、
2階席しかとれず、「難聴でない人にこの無念の涙はわからないだろう」と、
「ウィルヘルム・バックハウス 最後の演奏会」の解説に書かれている。

日本でも、バックハウスは、作品111を演奏している。

カーネギーホールでの演奏と、五味先生が聴かれたコンサートがいつなのかはわからないが、
そのあいだは約1ヵ月ほどだろう。

1954年のカーネギーホールのライヴ盤を愛聴されていたのは、単なる偶然なのか。

このレコードについて、「ステレオのすべて No.3」(朝日新聞社)に書かれている。
     ※
作品111のピアノ・ソナタ第32番ハ短調もそんな後期の傑作の1つである。バックハウスのカーネギー・ホールにおける演奏盤(米ロンドLL-1108/9)を今に私は秘蔵し愛聴している。作品111はベートーヴェンの全ピアノ曲中の白眉と私は信じ、入手し得るかぎりのレコードを聴いてきた。印象に残る盤だけを挙げても、ラタイナー、イヴ・ナット、ケンプ、ミケランジェリー、グレン・グールド、シュナーベル、モノーラル及びステレオ盤でのバックハウスと数多くあるが、愛聴するのはカーネギー・ホールに於ける演奏である。
(中略)
ベートーヴェンの"あえか"としか表現しようのない諦観、まさに幽玄ともいうべきその心境に綴られる極美の曲趣は、ミケランジェリーの第2楽章が辛うじて私の好ぬ優婉さを聴かせてくれるくらいで、他は、同じバックハウスでも(とりわけモノーラルの演奏は)カーネギーでさり気なく弾いた味わいに及ばない。
     ※
私はCDで愛聴している。

五味先生が書かれていることは、私なりにではあるが、わかる(気がする)。

とはいえ、いま私が聴くのは、作品111よりも、作品110のほうだ。
第30番、31番とつづけて聴くことが多い。作品111の前でとめる。

だからケンプだったり、グールド、内田光子の演奏を聴くことのほうが多くなる。
五味先生がお使いだったヤマハ製のラックは、BLC103シリーズで、
イタリアのデザイナー、マリオ・ベリーニによるもの。

BLC103は、縦型タイプ(下段がレコード収納用、その上にアンプ、チューナー類を収められるように3段)、
スクエア型タイプ(下段はレコード収納用で、その上に小物入れの引出しが2段)、
このふたつを連結する天板をデスクタイプと分類し、かなり自由に組み合わせることが可能だった。

ヤマハでは、単なるラックとは呼ばず、コンポーネントファニチャーと名付けていた。

モダンなラックだと、中学生の頃、思っていたし、
そのころは五味先生が使われていたことは知らなかったけど、BLC103が欲しかった、使いたかった。

でも基本セットで、8万円ほどしていたラックは、学生には高すぎた。
だからステレオサウンド 55号の五味先生の追悼記事中の写真に、
このラックを見つけたときは、なんとなく嬉しかった。

練馬区役所で、五味先生のマッキントッシュやEMTが収められているラックは、
盗難防止のため扉と鍵が必要なのは理解できるけど、なんと武骨なだけなんだろうか。

余談だが、1970年代のヤマハは、このラックとカセットデッキのTC800GL、ヘッドフォンのHPシリーズは、
マリオ・ベリーニに、アンプやチューナーなどは、日本のGKデザインに依頼していた。

瀬川先生は、GKデザインのヤマハの製品についてひと言、
「B&Oコンプレックス」と言われていたのを思い出す。

TC800GLは1975年、コントロールアンプのC2は翌76年に、
イタリア・ミラノHiFiショーで、トップフォルム賞を受賞している。
五味先生のオーディオと長島先生のオーディオには、いくつかの共通点がある。

まずお使いのスピーカーユニットは、タンノイもジェンセンのG610B、どちらも同軸型の15インチで、
エンクロージュアもバックロードホーンという点が共通している。

長島先生のスピーカーはコーナー型ではないが(正確に言えば、セミコーナー型といえる形状)、
部屋を横方向に使われ、左右のスピーカーの間隔をできるだけ広げられる意味もあってだろうか、
そして低音に関しての意味合いも含まれているようにも思えるが、ほぼコーナーに設置されている。

オートグラフは、いうまでもなくコーナー型である。

どちらもスピーカーも、指向性は意外に狭く、最良の聴取位置はピンポイントだ。

あとは、おふたりともアンプは真空管アンプである。
五味先生はマッキントッシュのC22とMC275、長島先生はマランツの#7と#2の組合せ。

だから、おふたりの音には共通しているものがある、とは言わない。
これらのことは、たまたまの偶然だろう。

それよりも、大事なことは、どちらもたったひとりのための部屋であり、音である、ということだ。

五味先生の部屋は、ステレオサウンドに掲載された写真でしか知り得ないが、
五味先生ひとりのための部屋という印象が、まずある。
長島先生の部屋に訪れたときも、雑然としているところも含めて、やはりひとりのための部屋という印象を受けた。
1964年7月25日、五味先生のもとに、イギリスからタンノイ・オートグラフが届く。

その時の音を「なんといい音だろう。なんとのびやかな低音だろう。高城氏設計のコンクリートホーンからワーフェデールの砂箱、タンノイの和製キャビネット、テレフンケン、サバと、五指にあまる装置で私は聴いてきた。こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聴いたことがない。しかもなんという低音部のひろがりと、そのバランスの良さ」と書かれている。

3月8日の音は、のびやかな低音でも、ひろがりのある低音でもなく、
高音部も、みずみずしくとはいえなかった。

そういう音が鳴ってくれるとは、ほとんど期待してはいなかった。

部屋の構造上か、オートグラフは後ろの壁からも左右の壁からも数十cm以上離されていたし、
主を喪ったオーディオ機器は、どれも万全のコンディションとはいえないことも重なっていて、仕方のないことだろう。

それでもフルトヴェングラー/ウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲第3番の第2楽章、
バックハウスの最後の演奏会を収録したレコードから、ベートーヴェンのワルトシュタイン、
ヨッフム指揮の「マタイ受難曲」、これら3曲を聴いたわけだ。背筋をのばして聴いていた。

そういう音が鳴っていたからだ。
なぜだか、ふと長島先生の音の印象と重なってきた。
似ている、というよりも、共通しているところのある音。

音楽に真剣に向き合うことを要求する厳しい音、
だらしなく音楽をきく者を拒否するような厳しい音だった。

長島先生の音も、まさしくそうだった。
マッキントッシュのMC275には、RCAジャックが5つついている。
フロント右から、MONO INPUT、TWIN INPUT(L、R)、STEREO INPUT(L、R)となっている。

ステレオサウンド 55号「ザ・スーパーマニア 故・五味康祐氏を偲ぶ」に載っていた写真は、
目に焼き付くまで、じっと何度も見ていた。

だから、3月8日の練馬区役所の会議室に設置されていた五味先生のMC275を見て、
なにか違う......、と感じていた。

そのMC275のTWIN INPUTのところには、三角形に切られた赤と黒のビニールテープで、
左右チャンネルが色分けされていた。

区役所の方の説明では、運び込まれたときから貼られていたもので、
おそらく五味先生が貼られたものであろう、とのことだった。

だが、なぜ五味先生が、こんなところに、初歩的な色分けのシールを貼られるだろうか。
レコードのヒゲを、あれだけ嫌悪されていた五味先生である。
愛機にビニールテープなど、貼られるはずがない。

帰宅して、ステレオサウンドを開いた。
MC275の写真は、それほど大きくはない。どうにもビニールテープは貼られていない。当然だ。

さらに五味先生は、TWIN INPUTではなく、STEREO INPUTを使われている。

ビニールテープは、おそらく五味先生のお嬢様の由玞子さんが貼られたのだろう。
今回の試聴会は、TWIN INPUTが使われた。

五味先生のオーディオ機器の復活には、エソテリック/ティアックだけでなく、
ステレオサウンドの原田勲氏はじめ、編集部の方々も協力があったおかげだときいている。

オーディオ機器の操作は、ステレオサウンド編集部の染谷氏が担当されていた。

感謝しているからこそ、ひとつ言いたい。

なぜ、きちんと検証作業を行なわないのだろうか。

昔のステレオサウンドを見れば、すぐにでもわかることである。
誌面では小さな扱いの写真だが、編集部内には、フィルムがきちんと保管されている。
こちらで確かめれば、もっと細かいことまでわかる。

なぜ一手間を惜しむのだろうか。

オーディオという趣味は、その一手間の積み重ねによって、音を紡いでいき、築いていく行為だというのに......。
今日、練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」に行ってきた。

午前中に1回、午後3回開催されるほどだから、前回(1月)の試聴会の申込みがいかに多かったのかが、わかる。
年輩の女性同士で来られている方も見かけた。

練馬区役所本庁舎の会議室に、五味先生のタンノイ・オートグラフは設置されている。
部屋に入ると、正面にオートグラフ、
その間に木製ラック、それにEMT930st、マッキントッシュのC22、MC275が収められていた。

五味先生がお使いになっていたラックは、ヤマハ製のものだった。

オートグラフが目にはいった次の瞬間、すぐに探したのは「浄」の書だ。

五味先生のリスニングルームでは、オートグラフに向かって左側の壁、天井近くに飾ってあった。

「浄』は右側の壁に、飾ってあった。

写真で何度も見、目に焼き付けていたつもりだったが、
こうやって、その前に立つと、印象は、ずっと深いものとなる。

たくましく、骨太で、ふしぎな味わいがある。
技巧うんぬんなど、どこ吹く風といったらいいのだろうか。

なぜ、この「浄」なのかが、わかる気がした。

区役所の方の話によると、おそらく中国の石碑からの拓本だろう、とのことだった。
1月24、25の両日、練馬区役所で、
五味先生のオーディオ機器によるレコードコンサートが行なわれた。
往復ハガキによる事前申込みで、応募者多数だったための抽選にはずれてしまい、
口惜しい思いをされた方も多いだろう。
私もダメだった。

1月上旬に届いたハガキには、応募者が予想以上に多かったため、
改めて機会を設ける予定だと書いてあった。
正直、まったく期待はしていなかった。

さきほど郵便受けをのぞいたら、届いていた。
3月に、また行なう、とある。今度は行ける。

五味先生が聴いておられた音の片鱗でも、この耳で聴ければ、それでいい。
そして、五味先生が実際に愛用された機器たちを見ておきたい。
それが叶う。

五味先生の本「五味オーディオ教室」でオーディオにどっぷりつかってしまった私にとって、
五味先生の書かれたものが、いわば「核」である。

だからタンノイのオートグラフは、JBLの4343とも、他のどんなスピーカーとも、
私の裡では、別格の存在であり、憧れである。

2000年に、タンノイがオートグラフを復刻した時は、真剣に欲しいと思った。
親になんとか借金してでも、と思いもしたが、
オートグラフを迎え入れる部屋が用意できない。
それに、いくらなんでも500万もの借金は、頼めない。

「なぜ、限定なんだろう」と憾んだものだ。

タンノイには、オートグラフと、ほぼ同じ構成のウェストミンスターがある。
いまのウェストミンスター・ロイヤル/SEは何代目だろうか。
息の長いスピーカーで、確実に改良され、堂々とした風格をもつ。

オートグラフでなくてもいいじゃないか、
ウェストミンスターのほうがずっと使いやすいだろう、という声が、裡にある。

オートグラフとウェストミンスター、どちらがいいか、そんなことを人に聞かれたら、
ためらわずウェストミンスター・ロイヤル/SEをすすめる。

だが自分のモノとするとなると、話は違う。

やはりオートグラフである。

ウェストミンスターは、何度か、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
聴き惚れたこともある。
試聴室で、取材がおわったあと、ひとり鳴らしたブラームスのピアノ協奏曲のロマンティックな甘美さは、
いまも耳に残っている。
これがブラームスだ、そう思って聴いていた。
アバドとブレンデルの演奏だった。

そうなのだ、私にとって、ウェストミンスターはブラームスである。
オートグラフはベートーヴェンである。

この違いは、私にとって、決定的であり、どうやって埋められない違いである。

言葉足らずで、なんのことか、わかってもらえないだろう。

それでも求めるのは、ベートーヴェンであり、オートグラフである。
五味先生は「ステレオ感」(「天の聲」所収)で、EMTの930stのことを、次のように書かれている。
     ※
いわゆるレンジののびている意味では、シュアーV一五のニュータイプやエンパイア一〇〇〇の方がはるかに秀逸で、同じEMTのカートリッジをノイマンにつないだ方が、すぐれていた。内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣下したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、例えばコーラスのレコードを掛けると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。私の家のスピーカー・エンクロージアやアンプのせいもあろうと思うが、とにかくおなじアンプ、同じスピーカーで鳴らして人数が増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉みに再生するのを意味するだろうが、レンジはのびていないのだ。近頃オーディオ批評家の(むしろキカイ屋さんの)揚言する意味でハイ・ファイ的ではないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードを掛けたおもしろさはシュアーに劣る。そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。
     ※
EMTもスチューダーも、最新の音を聴かせてくれるわけでもないし、最高性能に満ちた音でもない。
信頼の技術に裏づけられた音だ。
はったりもあざとさもない、それこそ誠実さで音楽を鳴らしてくれる。
だから信頼できる。

井上先生は、「レコードは神様だ、疑うな」と言われた。
そのために必要なのは、私にとっては、驚嘆すべき誠実さで鳴らしてくれる機器なのだ。

だからこそ、音の入口となるアナログプレーヤー、CDプレーヤーに、EMTとスチューダーを選ぶ。

ときに押しつけがましく感じることのある、思い入れのたっぷりの機器は要らない。

ただし、これがアンプの選択となると、なぜだか、そういう機器に魅力を感じてしまうことも多い......。
「想い出の作家たち」のなかで、五味千鶴子氏が語られている。
     ※
亡くなる前にベッドに寝ていても、毛布をシュッとかけなおして、「折り目正しくなってるか」とたずねるのです。
「ええ、きちんとなってますよ」と言うと安心しました。何かお見舞いの品をいただいても「真心こもってるか」と言います。「とても真心のこもったものをいただきましたよ」と言うと、「そうか、人間は折り目正しく、真心こめていかなきゃいけないよ」と言っていたのをよく覚えております。
     ※
「折り目正しく、真心こめて」が、
五味先生がオーディオ愛好家の五条件のひとつにあげられている、
「ヒゲのこわさを知ること」につながっているのは明らかだろう。

漫然とレコードをあてがうことで、センタースピンドルの先端をレコードの穴の周辺で行ったり来たりさせて、
その跡が細く残る。光にあてると、すぐにわかるスジがヒゲだ。

「折り目正しく、真心こめて」レコードを扱うのであれば、
こんなヒゲがつくことはない。

レコードの扱いは、ひいては音楽の扱いである。

それでも、ヒゲがあっても、肝心の盤面にキズがなければ音には無関係とわりきっている人もいるだろう。

あえて言うが、必ずしも無関係とは言えない。

レコードのセンター穴も、アナログプレーヤーのセンタースピンドルも、その寸法に許容範囲がある。

規格によって定められている寸法ぴったりだと、すっという感じで、レコードをターンテーブルの上に乗せられない。

ごくまれにレコードのセンター穴がぎりぎりの寸法のためなのだろう、
レーベル面をぐいっと力を込めて押す必要があったレコードに出合ったこともあるが、
ほとんど全てのレコードがすっとおさまる。

つまりセンタースピンドルとセンター穴の間には、わずかだけど、すき間が生じている。
そのためレコードがかならずしもセンターにきている保証はどこにもない。

ほぼ確実にどの方向かにオフセットしているわけだ。

以前、ナカミチから、このレコードの偏心をプレーヤー側で自動調整する製品TX1000が出ていた。
TX1000で調整前と後の音を聴き較べると、レコードの偏心による──偏心といっても、ほんのわずかなブレなのに──
音の影響の大きさに驚かれる方も少なくないだろう。

TX1000のように自動調整機構がついてないプレーヤーでも、偏心の影響はすぐにでも確かめられる。
同じレコードをセットして音を聴く。そしていったんレコードを取り外して、またセットして音を聴く。
けっこう音の違いがあるのに気づかれるはずだ。

端的にわかるのが、カートリッジを盤面に降ろした時の音である。
通常、ボリュームを絞ってカートリッジを降ろし、ボリュームをあげるが、
レコードの偏心を確かめたい時は、あえてボリュームには触れず、いつも聴く位置にしておく。

偏心が少なく、ほぼ中心にレコードがセットされている時の、カートリッジが盤面に降りた時の音は、
スパッとしていて、尾をひかず気持ちのいいものだ。
偏心が多いと、「あれっ?」と思うほど、この時の音が違う。

使い手の手に馴染んだプレーヤーで、「折り目正しく、真心込めて」レコードをセットしていると、
たいていは、いい感じの位置にレコードが収まってくれる。

これは、私の体験から断言できる。
ステレオサウンドの試聴室で、それこそ、多い日は、何度も何度もレコードを取りかえ、ターンテーブルに乗せている。
その回数は、半端ではない。

だから言える。ヒゲをつけるようなレコードのセットでは、偏心も大きかろう、音も冴えないだろう、と。
ステレオサウンドの姉妹誌HiViに伊藤先生が、五味先生のことを書かれたことが、一度だけある。

五味康祐大人、と、そこには書かれていた。

五味先生は大正10年、伊藤先生は明治45年の生まれ。
だから、「五味康祐大人」の言葉のもつ重み、意味合いを想うにつれ、目頭が熱くなった。

伊藤先生も五味先生も、それぞれのモノに、心酔し惚れ抜いた人である、男である。

伊藤先生はシーメンスのスピーカーに、真空管(とくにウェスターン・エレクトリックの300Bに)。
五味先生はタンノイのオートグラフに。

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。惚れ抜くことができた。

実現せずに終ってしまった、残念なことがあった、ときいている。

五味先生のお宅に、伊藤先生製作のアンプ(コントロールアンプのRA1501と300Bシングルアンプの組合せ)を
持ち込み、聴いていただこうというものであった。

実現していれば、ステレオサウンドに載っていたであろう。
どういうふうに載っていただろうか。

もしかすると、オーディオ巡礼のなかで実現していたのかもしれない。
それまでのとは逆に、伊藤先生が五味先生のリスニングルームを訪ねられる、
という形でのオーディオ巡礼だったのではないか、と思ってしまう。

五味先生がなんと語られたのか、
伊藤先生と五味先生の語らい、それを五味先生は、どう言葉にされたのか......。

実現には、時間が足りなかった。
五味先生の書かれたものを、いくつか読み進めていくうちに感じていたのは、その洞察力の凄さだった。

もちろん文章のうまさ、潔癖さは見事だし、多くのひとがそう感じておられることだろうし、
そのことで隠れがちなのだろうが、歳を重ねて、何度も読み返すごとに、
その凄さは犇々と感じられるようになってきた。

「天の聲」に収められている「三島由紀夫の死」を、ぜひお読みいただきたい。
わかっていただけると思っている。

マネなどできようもない、この洞察力の鋭さが、オーディオに関しても、
こういう書き方、こういう切り口があったのか、という驚きと同時に、
オーディオについて多少なりとも、なにがしか書いている者に、
絶望に近い気持ちすら抱かせるくらいの内容の深さに結びついている。

ステレオサウンドが以前出していたHiFi Stereo Guide、途中からAudio Guide Year Bookに変わった、
この本の編集を担当されていたのは、私がステレオサウンドにいたころはTさん、ひとりだった。

締め切り間際になると、別の部署の女の子が手伝っていたけれど、
ほとんどの作業をひとりで黙々とこなされていた。

Tさんは、五味先生の「西方の音」所収の「タンノイについて」で、
「私の友人でレーダーの製作にたずさわる技術者──かつはHi・Fi仲間である」と語られている、その人である。

以前はアンプの自作も手がけられていたときいたことがあるが、
それらはいっさいやめて、その時はQUADのシステムで
──スピーカーはESLの、それもブラック仕様の方、アンプは44と405のペアで、
アナログプレーヤーはリンのLP12(トーンアームはSMEだったか)を、
昔の電蓄を思わせる特注のラックに収められていた。

Tさんに訊いたことがある。五味先生の補聴器のことについて、確認したかったからだ。

音楽を聴かれる時は、補聴器は使われていなかった、と書かれたものを読んで、そう思っていた。
けれども一部では、補聴器をつけたままレコードを聴かれていた、という者がいた。
どう見ても、五味先生とつき合いのあった人とは思えない者が、そういうことを言う。

だからTさんに確認したかった。
ただ確認だけをしたかったのだ。

そのときTさんが、五味先生とレストランで食事をされていた時のエピソードを話してくれた。

補聴器は、こういうところでは用をなさないことが多い。
ナイフやフォークの振れ合う音、椅子を動かす音といった、周囲の雑音が取捨選択なしに耳に飛び込んでくるからだ。

だから耳元で、「五味さぁーん」とそこそこ大きな声で話す必要があったにもかかわらず、
バックグラウンドミュージックでベートーヴェンの曲が鳴っていると、
同席した誰もが気がつかないのに、五味先生だけが「ベートーヴェンの作品○○だ」と口にされたそうだ。
言われて耳をすますと、確かに鳴っているのに気がつく。
そういう音量だったのに、五味先生ひとりだけベートーヴェンに耳をすまされていた。

「不思議だったなぁ、五味さんのそういうところは」と懐かしそうに話してくださった。
やはりケンプだった。

五味先生が病室で最期に聴かれたのは、ケンプ弾くベートーヴェンの作品111。
おそらくバックハウスの作品111は通夜で、最期にかけられたのだろう。

お嬢様の五味由玞子さんが、「小説新潮スペシャル」に収められている
「父・康祐の遺したレコード」(1981年1月)に、こう書かれている。
     ※
最後に、わが家から父のもとに届けたレコードは、オイゲン・ヨッフム指揮の「マタイ受難曲」とウィルヘルム・ケンプの弾いたベートーヴェンのピアノソナタ、作品一〇六、一〇九と一一一である。父は一一一を聴きながら泣いていた。父の涙を、私はそのとき、はじめて見た。
「想い出の作家たち」という本のことを知った。
1993年に文藝春秋から出ており、今は亡き作家の素顔を、身近にいた家族が語った本とのこと。

その第1集に、五味先生の奥様、千鶴子氏の文章が収められている。

絶版だが、amazonで古本が購入できる。価格も、送料のほうが高いくらいだ。
注文したばかりなので、手もとに届くのは数日後である。
もう10年ほど前になるか、週刊文春で剣豪小説を取りあげた企画があった。
座談会形式だった。五味先生についても語られていた。

五味先生は、「喪神」により1953年(昭和28年)2月に、第28回芥川賞を受賞されている。
松本清張氏の「或る『小倉日記』伝」との同時受賞。

この時の芥川賞の選考委員は、川端康成、丹波文雄、舟橋聖一、石川達三、瀧井孝作、佐藤春夫、宇野浩二、
坂口安吾の8氏。

週刊文春によると、坂口安吾氏が、もっとも強く推されたとある。
記憶がかなり曖昧だが、坂口氏がもし選考委員でなかったら、五味先生の芥川賞受賞はなかった、
そういう印象だった。
坂口氏は「この男は、大化けする。」、そう言って推されたそうだ。

「文藝春秋」1953年3月号に選評の概要が載っている。

坂口安吾氏は語っている。
「剣士や豪傑については日本古来の伝承的話術があり、この作品はそれに即している如くであるが、
実はそれに似ているだけで、極めて独創的な造形力によって構成された作品である。
かかる発明はとうてい凡手のなしうべからざるところで、非凡の才能というべきである。」

丹波、舟橋、宇野3氏の、そっけなく冷たい評とは、まったく異る。
「人間の死にざま」(新潮社)に所収されている「音と悪妻」で、

このところ実は今迄のマッキントッシュMC275の他に、関西のカンノ製作所の特製になる300B-M管一本を使ったメイン・アンプを併用している。これは出力わずか8ワットという代物である。さすがに低域はマッキンの豊饒さに及ばぬが、だが、何という高音の美しさ、音像の鮮明さ、ハーモニイの味の良さ......昔の愛好家がこの真空管に随喜したのもことわり哉と、私は感懐を新たにし、マッキンよりも近頃は8ワットのカンノ・アンプで聴く機会が多い。

と書かれ、組み合わされているコントロールアンプについて、「ベートーヴェンと雷」のなかで、
マークレビンソンのJC2だとされている。

念のため、関西の、と書かれているが、正しくは、小倉の、である。

カンノ・アンプをお使いだったことは、以前から知っていた。
コントロールアンプはマッキントッシュのC22かマランツの#7のどちらかで、おそらく#7かな、と思っていただけに、
JC2の文字を見た時は、驚きよりもうれしさのほうが大きかった。

実は、私もJC2を使っていたからだ。

1987年だったか、とある輸入商社の方にお願いして、アメリカから取り寄せてもらった。
しかもジョン・カールによってアップグレードされたJC2だった。
しかもJC1が搭載されているものだった(「人間の死にざま」を手に入れたのは2000年ごろ)。

ツマミは、初期の、細くて長いタイプ。
見た目のバランスは、途中から変更になった、径が太くなり、短くなったツマミの方がいいのはわかっているけど、
JC2の、あの時代のアンプの中で、ひときわとんがっていた音にぴったりなのは、やっぱり細いツマミだからだ。

五味先生のJC2がどちらなのかは、写真で見たわけではないのでわからない。
けれど、きっと初期のモノだと、確信している。
文藝春秋 2月号を読んだ。

五味先生が最期に聴かれたレコードは、バックハウスのベートーヴェンの作品111、とある。

五味先生の追悼記事が載ったステレオサウンド 55号の編集後記に、原田氏は、
「最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの111番だった」と書かれている。

新潮社から出た「音楽巡礼」に、五味先生と親しくお付き合いされていた南口氏も、
ケンプのベートーヴェンがお好きだった、と書かれていたので、
今日までずっとケンプのベートーヴェンを最期に聴かれたものだと思ってきた。

ケンプは病室で最期に聴かれたのかもしれない、バックハウスは通夜でかけられたものかもしれない。

まぁ、でも、どちらでもいいような気持ちも、正直にいえば、ある。
ケンプのベートーヴェンも、バックハウスのベートーヴェンも、代わりなんて思い浮かばない。
音楽とは、本来そういうものだということを想い起こさせてくれる。

どちらにも、自恃がはっきりとある。
いま書店に並んでいる「文藝春秋」2月号に、
ステレオサウンドの原田 勲会長が、
「五味康祐先生のオーディオ」というタイトルで、コラムを書かれている。

実は、いましがた、傅さんからいただいメールで知ったばかりなので、未読。
こんな時間に開いている書店が近所にあれば、すぐに買いに走るところなのに......。

「オーディオ巡礼」復刻版の巻末には、原田氏の「五味先生を偲んで」が所収されている。
五味先生の「オーディオ巡礼」が復刻される。
1月24日、ステレオサウンドから発売になる。

実は「オーディオ巡礼が」が復刻されることは、1年前に、ステレオサウンドの原田会長から聞いていた。

2月2日、瀬川先生の墓参に行く車の中で、五味先生の話になったとき、
「五味さんの命日の4月1日に、オーディオ巡礼を復刻したいんだ」と話された。

五味先生の文章に心打たれ、ときに涙して、音楽とオーディオにのめり込んでいった者は、
どんなに時が経とうと、忘れることは絶対にない。

字面だけを読んできた者には、理解できないことだろう。
五味先生は、オーディオ愛好家の五条件として、次のことをあげられている。

①メーカー・ブランドを信用しないこと。
②ヒゲのこわさを知ること。
③ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、
 いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。
④真空管を愛すること。
⑤金のない口惜しさを痛感していること。

それぞれについては、ステレオサウンドから刊行されていた「オーディオ巡礼」を読んでいただくとして、
ここでは、④の「真空管を愛すること」から、もう一度引用する。
     ※
分解能や、音の細部の鮮明度ではあきらかに520がまさるにしても、音が無機物のようにきこえ、こう言っていいなら倍音が人工的である。したがって、倍音の美しさや余韻というものがSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ男だから、石のアンプは結局は、使いものにならないのを痛感したわけだ。これにはむろん、拙宅のスピーカー・エンクロージァが石には不向きなことも原因していよう(私は私の佳とするスピーカーを、つねにより良く鳴らすことしか念頭にない人間だ)。ブックシェルフ・タイプは、きわめて能率のわるいものだから、しばしばアンプに大出力を要し、大きな出力Wを得るにはトランジスターが適しているのも否定はしない。しかしブックシェルフ・タイプのスピーカーで"アルテックA7"や"ヴァイタボックス"にまさる音の鳴ったためしを私は知らない。どんな大出力のアンプを使った場合でもである。
     ※
五味先生は、倍音の美しさを真空管アンプに認めておられる。

ステレオサウンドの筆者の中で、真空管アンプのよさを積極的に認めておられた長島先生は、
「真空管アンプの方が、トランジスターアンプよりも音の色数が多い」とよく言われていた。

五味先生も長島先生も、表現は違うが、同じことを言われている。

カウンターポイントの主宰者、マイケル・エリオットも、同じ趣旨のことを言っていた。
真空管を使いつづける理由は?、という問いに、
「ローレベルのリニアリティが優れていること、
それと真空管でなくては得られない音色があるから」と答えていた。

真空管だからこそ得られる音色とは、五味先生、長島先生が感じられていたことと同じだろう。

カウンターポイントの初期の製品、SA5、SA4を聴くと、納得できる。
けれど、少なくともSA5を聴いて、私はローレベルのリニアリティが優れているとは感じられなかった。

マイケル・エリオットの言葉どおりのアンプは、SA5000になって、はじめて実現できたと思っている。
五味先生の遺稿集「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)を読んでいると、
いくつもの、印象ぶかい言葉にぶつかる。

「私の好きな演奏家たち」に出てくる言葉がある。
     ※
 近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎
としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの
才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる
連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられ
ぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の
多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばな
らない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
     ※

「長生きしたくないなぁ、50くらいでぽっくり死にたいな。病気で苦しみたくないし」という者が、
私のまわりに何人かいる。おそらく、そう思っている人は少なくないのかもしれない。
先の見えないこういう時代だと猶更なのか。

私も、20代前半のころは、そんなふうに思っていたことがある。
30過ぎたころから「長生きもいいかも」と思いはじめ、
そして5年くらい前から「しぶとく長生きしよう」と決めた。

長生きする才能が備わっているかどうかはわからないので、思うだけ、なのだが、
長生きしなければ出しえない音がある以上は、思うことからはじめる。
そう決めた。
フルトヴェングラーは、マタイ受難曲について、

空間としての教会が今日では拘束となっている。
マタイ受難曲が演奏されるすべての場所に教会が存在するのだ。

と1934年に書いている。

五味先生が、フルトヴェングラーの、この言葉を読まれていたのかどうかはわからないが、
五味先生の「神を視ている」は、フルトヴェングラーと同じことを語っている。そう思える。
五味先生の著書「五味オーディオ教室」でオーディオの世界に入った私にとって、
冒頭でいきなり出てきた「肉体のない音」という表現は、まさしく衝撃的だった。

演奏家の音をマイクロフォンで拾って、それを録音する。
そしていくつかの工程を経てレコードになり、聴き手がそれを再生する過程において、
肉体が介在する余地はない、と五味先生も書かれている。

けれど、鳴ってきた音に肉体を感じることもある、とも書かれている。

「肉体のある音」とはどういう音なのか。

ほとんど経験というもののない中学生は、リアリティのある音、
ハイ・フィデリティという言葉があるのなら、ハイ・リアリティという言葉があっていいだろう。
そんなふうに考えた。

いま思えば、なんと簡単に出した答えだろう、と。
けれど、それからずっと考えてきたことである。
LS3/5Aを情緒的なスピーカーと表現したが、
すこし補足すると、歌の情景を思い浮ばせてくれるスピーカーといいたい。

クラシックを聴くことが圧倒的に多いとはいえ、やはり日本語の歌が無性に聴きたくなる。
だからといって、J-Popは聴かない。歌(言葉)が主役とは思えない曲が多いようにも感じるし、
すべてとは言わないが、歌詞に情緒がない、情景が感じられないからである。

いいとか悪いとかではなく、中学・高校のときに聴いてきた日本語の歌が、
もっぱらグラシェラ・スサーナによる、いわゆる歌謡曲で、それに馴染みすぎたせいもあろう。

「いいじゃないの幸せならば」「風立ちぬ」(松田聖子が歌っていたのとはまったく違う曲)
「夜霧よ今夜も有難う」「別に...」「粋な別れ」など、まだまだ挙げたい曲はあるが、
スサーナによるこれらの歌を聴いていると、なにがしかの情景が浮かぶ。

だがどんなスピーカーで聴いても浮かぶわけではない。
目を閉じて聴くと、間近にスサーナのいる気配を感じさせる素晴らしい音を聴いたからといって、
必ずしも情景が浮かぶわけではない。
すごく曖昧な言い方だが、結局、聴き手の琴線にふれるかどうかなのだろう。
まだ他の要素もあるとは思っている。

だから私にとって、情景型スピーカーであるLS3/5A(ロジャースの15Ω)が、
他の人にとっては、なんてことのないスピーカーと感じられるかもしれない。

そして五味先生の文章にも情景を感じられる。
そして、この「情景」こそが、
五味先生が言われる「肉体のある音」「肉体のない音」につながっていくように思えてならない。

まだまだ言葉足らずなのはわかっている。
追々語っていくつもりだ。
小うるさいことを書いている。

そんな些細なこととオーディオの音は何の関係もないだろう、
いい部屋にいいオーディオ機器、それを使いこなせばいいのであって、
モーツァルトのレクィエム、と略せず書いたからといって、音が良くなるはずなどなかろう。

そう少しでも思っている人は五味先生の「オーディオ巡礼」に所収されている
「芥川賞の時計」を読んで、何を感じるのだろうか。
     ※
沢庵とつくだ煮だけの貧しい食膳に妻とふたり、小説は書けず、交通費節約のため出社には池袋から新宿矢来町までいつも歩いた......そんな二年間で、やっとこれだけのレコードを私は持つことが出来た。
 白状すると、マージャンでレコード代を浮かそうと迷ったことがある。牌さえいじらせれば、私にはレコード代を稼ぐくらいは困難ではなかったし、ある三国人がしきりに私に挑戦した。毛布を質に入れる状態で、マージャンの元手があるわけはないが、三国人は当時の金で十万円を先ず、黙って私に渡す。その上でゲームを挑む。ギャンブルならこんな馬鹿な話はない。つまり彼は私とマージャンが打ちたかったのだろう。いちど、とうとうお金ほしさに徹夜マージャンをした。数万円が私の儲けになった。これでカートリッジとレコードが買える、そう思ったとき、こんな金でレコードを買うくらいなら、今までぼくは何を耐えてきたのか......男泣きしたいほど自分が哀れで、居堪れなくなった。音楽は私の場合何らかの倫理感と結びつく芸術である。私は自分のいやらしいところを随分知っている。それを音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に坐り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた。──三国人の邸からの帰途、こんな金はドブへ捨てろと思った。その日一日、映画を観、夜になると新宿を飲み歩いて泥酔して、ボロ布のような元の無一文になって私は家に帰った。編集者の要求する原稿を書こうという気になったのは、この晩である。
     ※
都営住宅の家賃が2700円で、芥川賞の賞金が30000円のころの数万円の儲けは、
当時の五味先生にとっては、そうとうな大金だったはず。

まだ18歳だった、この文章を1読んだとき涙がこぼれた。
いま書き写していても、熱いものがこみ上げてくる。

オーディオを通して、音楽を聴くということは、そういうものである。
分解能や、音の細部の鮮明度ではあきらかに520がまさるにしても、音が無機物のようにきこえ、こう言っていいなら倍音が人工的である。したがって、倍音の美しさや余韻というものがSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ男だから、石のアンプは結局は、使いものにならないのを痛感したわけだ。これにはむろん、拙宅のスピーカー・エンクロージァが石には不向きなことも原因していよう(私は私の佳とするスピーカーを、つねにより良く鳴らすことしか念頭にない人間だ)。ブックシェルフ・タイプは、きわめて能率のわるいものだから、しばしばアンプに大出力を要し、大きな出力Wを得るにはトランジスターが適しているのも否定はしない。しかしブックシェルフ・タイプのスピーカーで"アルテックA7"や"ヴァイタボックス"にまさる音の鳴ったためしを私は知らない。どんな大出力のアンプを使った場合でもである。
     ※
五味先生の、「オーディオ愛好家の五条件」のひとつ「真空管を愛すること」からの引用である。

これを書かれたのは1974年。
マークレビンソンのLNP2の輸入をRFエンタープライゼスがはじめたころで、
LNP2の登場以降、著しく進歩するトランジスターアンプ前夜の話とはいえ、
真空管アンプでなければ出ない音が確実にある、ということはしっかりと、
当時中学生の私の心には刻まれていった。

私が、この文章を読んだのは76年。LNP2だけでなく、SAEのMark 2500、スチューダーのA68、
スレッショルドの800A、AGIの511などが登場しており、
明らかに新しいトランジスターアンプの音を実現していたように、
ステレオサウンドを読んでも、感じられた。

76年は、ラックスからCL32が登場している。薄型のシャーシを採用することで、
ことさら真空管かトランジスターかを意識させないよう、
そういうコンセプトでつくられていたのかもしれないが、
76年ごろ、現行製品の真空管アンプの数はいまよりもずっと少なく、
ラックスの他にはダイナコとオーディオリサーチぐらいで、
しばらくしてコンラッド・ジョンソンが登場している状況だっただけに、
強烈に聴きたかったアンプのひとつであった。

実際に聴いた真空管アンプは、同じラックスのプリメインアンプのLX38だった。
もっとも私が生れたころ、家にあったテレビは真空管式だったので、
LX38がはじめて聴いた真空管アンプの音ではないわけだが、
五味先生の文章を読んだ後ではじめて聴いたのは、LX38である。
1981年か82年ごろか、あるオーディオ誌に連載をお持ちのあるオーディオ評論家が、
「ACに極性があるのを見つけたのは私が最初だ」と何度か書いているのを見たことがある。
なぜ、こうもくり返し主張するのか、声高に叫ぶ理由はなんなのか......。

少なくとも、このオーディオ評論家が書く以前から、
ACの極性によって音が変化することは知られていた。
私でも、1976年には知っていた。
この年に出た五味先生の「五味オーディオ教室」に、次のように書いてあったからだ。
     ※
 音が変わるのは、いうまでもなく物理的な現象で、そんな気がするといったメンタルな事柄ではない。
 ふつう、電源ソケットは、任意の場所に差し込みさえすればアンプに灯がつき、アンプを機能させるから、スイッチをONにするだけでこと足りると一般に考えられているようだが、実際には、ソケットを差し換えると音色──少なくとも音像の焦点は変わるもので、これの実験にはノイズをしらべるのがわかりやすい。
 たとえばプリアンプの切替えスイッチをAUXか、PHONOにし、音は鳴らさずにボリュームをいっぱいあげる。どんな優秀な装置だってこうすれば、ジー......というアンプ固有の雑音がきこえてくる。
 さてボリュームを元にもどし、電源ソケットを差し換えてふたたびボリュームをあげてみれば、はじめのノイズと音色は違っているはずだ。少なくとも、どちらかのほうがノイズは高くなっている。
 よりノイズの低いソケットの差し方が正しいので、セパレーツ・タイプの高級品──つまりチューナー、プリアンプ、メインアンプを別個に接続して機能させる──機種ほど、各部品のこのソケットの差し換えは、音像を鮮明にする上でぜひ試しておく必要があることを、老練なオーディオ愛好家なら知っている。
     ※
これを読んだとき、もちろん即試してみた。お金もかからず、誰でも試せることだから。
たしかにノイズの量、出方が変化する。

もっともノイズでチェックする方法は、
現在の高SN比のオーディオ機器ではすこし無理があるだろう。
音を聴いて判断するのがイチバンだが、テスターでも確認できる。
AC電圧のポジションにして、アース電位を測ってみるといい。
もちろん測定時は、他の機器との接続はすべて外しておく。

ここで考えてみてほしいのは、
なぜ五味先生はACの極性によって音が変化することに気づかれたかだ。

マッキントッシュのMC275に電源スイッチがなかったためだと思う。
五味先生が惚れ込んでおられたMC275だけでなく、マッキントッシュの他のパワーアンプ、
MC240も、MC30などもないし、
マランツのパワーアンプの#2、#5、#8(B)にも電源スイッチはない。
マッキントッシュの真空管アンプで電源スイッチがあるのは、超弩級のMC3500、
マランツは#9だけである。

MC275の電源の入れ切れは、
コントロールアンプのC22のスイッチドのACアウトレットからとって連動させるか、
壁のコンセントから取り、抜き挿すするか、である。

あれだけ音にこだわっておられた五味先生だから、おそらく壁のコンセントに直に挿され、
その都度、抜き差しされていたから、ACの極性による音の変化に気付かれたのだろう。

なにも五味先生に限らない。
当時マランツの#2や#8を使っていた人、マッキントッシュの他のアンプを使っていた人たちも、
使っているうちに気づかれていたはずだ。
だから五味先生は「老練なオーディオ愛好家なら知っている」と書かれている。

そして、誰も「オレが見つけたんだ」、などと言ったりしていない。
「異相の木」は、黒田(恭一)先生が、
ステレオサウンドに以前連載されていた「さらに聴きとるもののとの対話を」のなかで、 
ヴァンゲリスを取りあげられたときにつけられたタイトルである。 

おのれのレコードコレクションを庭に例えて、
そのなかに、他のコレクションとは毛色の違うレコードが存在する。
それを異相の木と表現されていたように記憶している。

この号の編集後記で、KEN氏は、
自分にとっての異相の木は八代亜紀の雨の慕情だ、と書いている。

異相の木は、人それぞれだろう。自分にとっての異相の木があるのかないのか。 
異相の木はなんなのか。 
その異相の木は、ずっと異相の木のままなのかどうか。 

そして異相の木は、レコードコレクションだけではない。
オーディオ機器にもあてはまるだろう。
五味先生にとって、JBLのメトロゴンは異相の木だったのだろうか。
そんなことを考えてみると、おもしろい。
五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 
昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

五味先生のJBL嫌いは有名である。

ステレオサウンド刊の「オーディオ巡礼」に収められている「マタイ受難曲」の中では、こう書かれている。 
     ※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。 
 まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。 
     ※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
五味先生はパラゴンの姉妹機メトロゴンを所有されていた。しかも手放されることなく、である。 

五味先生がメトロゴンについて書かれていたのは見たことがない。
けれど、数カ月前、ステレオサウンドから出た
「往年の真空管アンプ大研究」の272ページの写真をみてほしい。
「浄」の書の下にメトロゴンが置いてあるのに気がつかれるはずだ。

ことあるごとにJBLを毛嫌いされていた。
けれど、新潮社刊「人間の死にざま」に、ステレオサウンドの試聴室で、
4343を聴かれたときのことが載っている。

     ※
原価で総額二百五十万円程度の装置ということになるが、現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せと社長(注:ステレオサウンドの、当時の原田社長、現会長)がいうので、聴いてみたわけである。なるほど、まことにうまい具合に鳴ってくれる。白状するが、拙宅の〝オーグラフ〟では到底、こう鮮明に響かない。私は感服した。 
(中略)
〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。(中略)楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。 
     ※
おそらく、このころであろう、ステレオサウンドの記事「オーディオ巡礼」で、奈良在住の南口氏のところで、4350の音を聴かれ、驚かれている。
さらに前になると、瀬川先生のところで、375と蜂の巣を中心とした3ウェイ・システムを聴かれ、
「瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
 ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。」
とステレオサウンド16号に書かれている。

「神を視ている。」──、これは「天の聲」に収録されている
「マタイ受難曲」のなかに出てくる五味康祐氏の言葉である。 
「神を」のあとに、どの言葉を続けるか......。五味先生は「視ている」である。 

五味先生の文章を読んでいて、こちらの心につき刺さってきた言葉はいくつか、というよりもいくつもある。
そのなかで、もっともつよく深く刺さってきたのが、「神を視ている。」 

五味先生について語るとき、「神を視ている。」は、重要な言葉のひとつだといまも思っている。
同時に、素晴らしい言葉だとも思っている。
     ※
われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる──神を異にする──民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い──それこそ至高の──音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。 
     ※
五味先生の内にあった神とは......。

五味先生の最後の入院のとき、病室に持ち込まれたのは、
クレンペラーとヨッフムのマタイ受難曲。
「自分のお通夜に掛けてほしい」と書かれていた盤である、どちらも。
最後に聴かれたのは、ケンプの弾くベートーヴェンの作品111。

五味先生は、「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」で次のように書かれている。 


「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない、あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを、画家は視ておればいい。もともと、画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない、他のものとは、即ち色だ──「そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した」と、ルノアールも言っている。セザンヌの言うところも同じだろう。──この筆法でゆけば、ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない、そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが、ナマの音は存在しない、そう言いかえてもいいだろう。 

絵画に関しては素人だが、フェルメールの絵がすごい、のは、 
光が存在しない画布に絵具を重ねただけなのに、 
光を感じさせてくれるところにあるのはわかる。 
この一点においてもフェルメールは天才だと思うし、 
素人の私は、ゴッホやピカソよりも天才だと思える。 

再生音にないのは、いったいなんなのか。 
五味先生は上のように書かれている。 
納得できるけれど、なにかすこし違うようにも、これを読んだとき、 
もう20年以上前になるが、その時からそういう思いが続いている。 

再生音にないものをはっきりといえるようになったとき、 
大きく一歩前進する、といってもよいだろう。

家族の犠牲の上で成り立っていた──、そういうふうに五味先生のオーディオを捉えている人がいる。 
そんなことはない。 

亡くなられた後に読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に収められている

五味由玞子氏の「父と音楽」を読んでほしい。 
いくつか書き写しておく。 

     ※ 
夢中になると、父は一晩中でも音楽を鳴らしている。母と私は、真夜中、どんなに大きな音で鳴っていようと、目を覚ますことはない。時折り今でも、父の部屋で音楽をかけるのだが、不思議と私はよく、絨毯の上にころりと横になりねむってしまう。たとえようのない安らぎがそこにはある。そこには父がいる。 
 母は音楽を聴いているときの父がいちばん好きだという。 
     ※ 
 父が音いじりをするとき、また、テープを編集するときは、たいがい、だぼだぼのパジャマに母お手製の毛糸で編んだ足袋。冬には、駱駝色のカーディガンを羽織り、腰紐を締め、木樵のおじさんのような恰好で、蓬髪おかまいなく、胡坐をかいて一心に、テープを切ってつないだり、コードを差し換えたりしている。短気のせいか、無器用なのか、うまくいかないとよくヒステリーをおこし、ウォーッとか、エーイといった奇声が居間に聞こえてくる。すると、私と母は、またやっている、と目を見合わせほほえむ。試行錯誤の結果、気に入った音がでたときは、それはもう大喜びで、音楽にのって、親愛なるタンノイの前で踊っている。たまらなく幸福そうな表情で、そんな顔が私はいちばん好きであった。 
     ※ 
 父は、ひとくちに言ってしまえば、純真な音キチである。いい音を求め、音楽を愛した一人の青年である。私はこの父の娘として生まれて本当に幸福であった。心からの感謝を献げたい。そして、これからも、すばらしい音楽を心をこめて聴いてゆきたい。音楽は、なにものにもかえがたい父の遺産なのだから。

オーディオに関心をもつきっかけは、 
五味康祐氏の「五味オーディオ教室」で、
多くのマニアの方のように、
どこが素晴らしい音楽(音)に触れたのがきっかけというのではなく、
一冊の本との出会いが、私のオーディオの出発点になっている。 

「五味オーディオ教室」が、私にとって最初のオーディオの本であり、 
この本と最初に出合ったこと、原点となったことは、 
とても幸運だったと、いまでも思っている。 

買ってきたその日から、毎日読んだ。 
学校に持っていては休み時間に読み、 
帰宅してからも、ずーっと読む。 
何回も何回も頭から最後まで読み返して、 
また興味深いところだけを、これまた何回も読み直して、 
何度読んだかは、もうわからないくらい読み返した。 

何度も読みながら、
「オーディオという趣味はなんと奥深いものなんだろう......、 
音楽を聴くという行為の難しさ、素晴らしさ──、これは一生続けられる趣味だ」と思うとともに、 
当時ステレオを持っていなかった私は、この本を読むことで、 
オーディオの本当の音は、こういうものなんだ、 と勝手に想像(妄想)したものである。 

いくつも強烈に印象にのこっている言葉がある。 
そのなかのひとつが、 
「いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。 
これこそは真にレコード音楽というものであろう」のフレーズ。 

空気が無形のピアノを目の前に形作って、 
そのピアノから音(音楽)が響いてくる──、 
中学二年の私は、それがオーディオの在りかただと思い込む。 

しかし、五味先生は、 
「実際に、空気全体が(キャビネットや、 
ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを 
私はいまだかつて聴いたことがない」とも書かれている。 
     ※
2005年5月19日、菅野先生のリスニングルーム。 

菅野先生が「第三世代」と呼ばれている 
ジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムで、 
プレトニョフのピアノ(シューマンの交響的練習曲)で、 
「五味オーディオ教室」を初めて読んだときから29年、 
「空気が無形のピアノを鳴らす」のを、 はじめて耳にした。 

掲示板やmixiで、五味康祐先生、瀬川冬樹先生について書かれていることがある。 
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。 
書いている内容が古い、と書く。 
でも、そういう人たちが言っているのは、おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。私にいわせれば、内容が古いわけではない。 
それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。 
そして、功罪がある、とも書く。 
その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。 
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。 
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。 
読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。 
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。 
それでいいと思う。 
だからこそ、繰り返し読むのである。 
これも言っておきたい。 
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。 
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。 
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。 
間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。 
そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、 
ステレオサウンドは存在していない。 
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。

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