瀬川冬樹の最近のブログ記事

仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。

もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。

瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。
瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。

いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。

ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。

早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。

私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。

たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。
ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
 それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。
(中略)そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
瀬川先生が、ステレオサウンド 50号の特集記事
「ステレオサウンド誌50号の歩みからオーディオの世界をふりかえる」のなかで、語られている言葉だ。

50号は、1979年3月に出ている。
オーディオ誌の企画書といえるメモを書かれて、2年後の発言である。
「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。

岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
 JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」

この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。

だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。

それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。

瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、〝インターナショナル〟といってもいい音はあると思う」の、そのだ。
ステレオサウンドの60号が手もとにあるので、
瀬川先生のインターナショナルサウンドについての発言を引用しておく。
     *
これは異論があるかもしれないですけれど、きょうのテーマの〈アメリカン・サウンド〉という枠を、JBLの音には、ぼくの頭のなかでは当てはめにくい。たとえば、パラゴンとオリンパスとか、あの辺はアメリカン・サウンドだという感じがするんだけれども、ぼくの頭の中でJBLというとすぐ、4343以降のスタジオモニターが、どうしてもJBLの代表みたいにおもえちゃうんですが、しかし、これはもう〈アメリカン・サウンド〉じゃないんじゃないのか、言ってみれば〈インターナショナル・サウンド〉じゃないかという感じがするんです。この言い方にはかなり誤解をまねきやすいと思うので、後でまた補足するかもしれないけれども、とにかく、ぼくの頭の中でのアメリカン・サウンドというのは、アルテックに尽きるみたいな気がする。
 アルテックの魅力というのは(中略)、50年代から盛り返しはじめたもう一つのリッチなアメリカ、それを代表するサウンドと言える。もしJBLの4343から4345を、アメリカン・サウンドと言うならば、これは今日の最先端のアメリカン・サウンドですね。
     *
瀬川先生のインターナショナル・サウンドに対しては、
アメリカン・サウンドの試聴に参加された岡、菅野のおふたりは、異論を唱えられている。

岡先生は、4345の音を「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とされている。
試聴リファレンス
Speaker  ○4343──────(メイン)
       ○BC-II/KEF 104AB(イギリスの新しいモニター系のSP)
       ○ARDEN、ALTEC 19、(やや旧タイプのフロアー型)

Amp       ○LNP-2L/SAE 2500(or 510M)

Cartridge   ○MC-20/JC-1AC、VMS-20E、SPU-GT/E、455E、4000D/III、4500Q、V15/III、EPC-100C
没個性な量産品に対するユーザーの反動、に対して
A.キットをふくめて自作、改造の記事をどう扱うか。

B.使いこなしで、いかに自分を表現するか!
 a.リスニングルーム探訪のような形で、個性的なユーザーを探す。
 b.使いこなしのちょっとしたヒントを常設記事にする。
 c.改造や自作というほど大げさでなく、既製品にほんの少し何かを加えて個性化するヒント等......。

読みもの をどう扱うか
A.随筆風の......(わりあいまじめな)
B. 具体的な製品や具体的な風潮などを例示しての論壇風の......
C.リラックスした......(やや冗談ふう、やぶにらみ風、etc.)
D.読者との意見交換、発表。(新人を発掘する場にできれば)
E.オーディオ関係者(メーカー、販売店 等)の意見......

入門記事、解説記事
◎オーディオが一般化するにつれて、ほんとうのちょっとした基礎のところのわからない人が大半を占めるようになっている。
◎見開き完結の読切連載のような形にするか......
◎常設とせず、随時、ページ数もその時に応じて、にするか......
◎オーディオをハード的に扱わず、音楽愛好家の側から、メカや電気に全く弱い人にでも理解できるような解説が必要。

製品以外の話題、ニュース、情報
 催し(メーカーのショールーム)、ディスカウントセール、録音会等......
 地方での催しでも、中央のメーカーの後援又は主催であれば紹介できる(講師、内容、日時、問合せ先)
新製品紹介を2本立てで考える。
その1は、本誌選定の形で十分にスペースをとり、解説/分析/使用感の3部からなる詳細なレポートとする。一製品あたり6〜10ページ又はそれ以上、毎月2ないし3点を扱う。(既刊のあらゆる専門誌が、スペースをせまく考えすぎる。充分な時間をかけた分析、試聴と、その結果の中味の凄い紹介、読み終って嘆能するような)
その2は、記事のニュース的な扱いで、その月の製品(アクセサリーまで含めて)すべてを網羅する。

上の2つのいずれも、その製品の位置づけを明確にするために、ライバル製品との対比(グラフ、一覧表などで整理する)、及びそのメーカーの系列の中での地位、その他の事から、十分にその意味あいを明らかにする。

選定 新製品紹介の方法
①解説、紹介/メーカーの開発意図も(受け売りでなく、スタッフが十分に消化した形で)紹介する。製品そのものを、それをみたことのない人にも十分に想像のつく程度に簡潔に具体的に解説すると共に、その製品の出現した必然性、選定した意味を明確にする。技術的な(例えば回路方式などの)解説は最小限を、細心の注意をもって扱い、電気や音響、物理、科学の基礎のない愛好家にも、よくわかるようにする。

発売時期(全国)を明記する。

②分析、測定/ありきたりの測定でなく、実用にもとづいたデーターをとる。メーカーの盲点をつく測定を常に考える。ただし、例えばアンプの出力等、量的に明確でしかも変?項目については、メーカーの発表値に偏りがないかどうかをえならずチェックする(グラフとして発表しない場合でも)。
測定データーは、その製品が製造中止になるまで保管し、ヒットした製品については、適当な時期に追跡測定をして、初期ロット品との比較を随時掲載する。
シャシー構造、エンクロージュア等、その構造、構成が性能に影響のある部分については十分に分析し、評価を加える。

③使ってみて(又は聴いてみて)/ヒアリングテスト、及びデザインや操作性、ことに実際のユーザーの部屋で、何らかの不つごうを生じないかどうか、をよく検討する。
ヒアリングテストには、組合せをいくつか変える。ライバル機(別項カコミで一覧表)との比較、位置づけ、CPを考慮した場合しない場合、等 多角的な検討を忘れぬこと。
●具体的な使いこなしについて十分にスペースをさく(ユーザー側から熱心な要望がある)
●組合せについてのヒントも加える(ユーザー側から熱心な要望がある)
●音を聴いたことのない人にも、音が聴こえるような表現に心がける

④以上の3点を、できるだけ簡潔に、しかし充分に分析の加えられた表現になるよう意を盡すこと。
○なお、冒頭に、メーカー紹介(簡潔に、メーカーの来歴と体質、オーディオ界での地位等)(カコミでも可)
○また、「(例えば)今月の用語」として、その製品で話題になった技術用語、専門用語を簡明に解説するカコミを設ける。
○文体は簡明、即物的、ベタベタした感情を入れず、客観的であるかのような印象を与えることを心がける。指摘すべき弱点を素直に指摘し、良い点は十分に(しかし表現を抑えて)ほめる。
○アサヒカメラ診断室のように、複数のテスターの意見を編集部がまとめる形(?)
   ↓
ただし、それよりも内容の豊かで簡明な

⑤上記②の測定について
○たとえばアンプの場合、いままで測定されなかったトーンコントロールの各ポジションでのf特を入れたい。
○TC、EQのf特について、その偏差やうねりを見せるだけでなく、添い身について(CP等考慮しながら)十分な解説を加える。

○③の試聴について
 ●リファレンスの製品との比較(価格を無視した評価尺度として)、国による音の傾向を掴む(例JBL、BC-II......)
 ●ライバル製品との比較(CP、その時点時点でのレヴェルを考えて)
 ●平均音量レヴェルを3〜4段階の等級に分けて試聴(パワー、耐入力等の性格を分析する手段)
 ●聴きどころの基準を最初は明確にしておき、必ず同じ基準での評価を書く。

新製品紹介 B欄
ニュース性/網羅すること/製品の性格・位置づけを重視した簡明な解説/情報の早さ、正確さ(A欄からの性格上、製品が市販された後でとりあげることが往々にしてありうるのに対して、B欄はとにかく情報を早く流すことを生命とする)
内容とはべつに
A.目次を見やすく。(表紙2の次に必ず置く)

B.広告に対する考えを新たにして、広告も情報記事のひとつと考え、インフォメーション欄として、一括し(記事中に分散させず)黙示中に作品をとりこむ等。できれば本誌向きの広告のパターン,スタイルをスポンサー側に一考してもらう。あくまでも、広告をまま子扱いするのではなく、逆に、積極的にユーザーの目にふれやすい情報欄として扱うのが本意(たとえばこの欄に独立のトビラをつける等)であると共に、本文記事のレイアウトも含めて簡明な印象を与えるような配慮。(スポンサーの大半がこの点を誤解しているが、多くの読者の意見を聞いてみれば、むしろ広告欄を一括して集めてある方が、積極的に歓迎される)

C.上のことも含め、月刊誌であっても、SS本誌同様、いつまでも保存しておきたくなるような、上品で美しい本にしなくてはならない。

D.音楽、レコード欄をどう扱うか
オーディオ誌であることに徹するなら、レコードは新譜一覧表の形だけ扱う(但し表の作り方に工夫を加え、もっと見やすいものにする。現在各誌の表組みはひどく見にくく、実用的でない)
但し例えば「朝日新聞」の試聴室や「暮しの手帖」のレコード欄のように、毎月のテーマをきめて、新譜であると否とにこだわらず、評論家の選んだレコードを楽しく紹介する欄は欲しい(例「今月はモーツァルトの室内楽を聴いてみよう」、「今月はジャズ・バラードの素敵なムードを味ってみよう」......式に)

E.オーディオ記事の扱い方全般に、かつての熱っぽい雰囲気の凍えらせて、冷たくつき放したような印象が支配していることを、多くの読者が強い不満をもって指摘している。この点はライター、エディターともに猛反省をしなくてはならない最重要点。
活き活きとした澄んだやさしい目で、しかも熱烈に愛情をこめてオーディオに対するという姿勢を、永続させること。少なくとも、そういう感じが、毎号の誌面にヴァイタリティを持って表現されること。その姿勢をバックボーンにしたときに(結果的に、例えば)新製品A欄での、おさえた表現が輝くような。 
◎多くの項目を満載するよりも、最小限の記事の一点一点に、十分のスペースと時間をさいて、総ページは少なくとも重量感(読みごたえ)のある本をつくるべきではないか。

◎すべての点で、既刊の専門誌の裏をかくような料理のしかた。簡明でありながら堪能させる味わいの凄さ。

◎毎月、洪水のように生れる製品、アクセサリー類、レコードのすべてを(ほとんど一覧表に近い形で整理しておいて、その中からある主張をもってセレクトしたものについて、十二分の機材と解説を加えて紹介する、という形。

◎つき放した評価ではなく、オーディオファン、音楽ファンが、その製品、そのレコードにのめり込んだ軌跡を、あとからクールにリポートしたというような形。

◎評価、批評したり紹介したりするライターも、それを扱う雑誌社も、製品やレコードの扱いにあまりにも小利巧になりすぎて、一般ユーザーの本当に期待している対象へののめり込みが全くなくなってしまった点が、こんにちのオーディオ、レコード専門誌の弱み。

◎しかし対象にのめり込んだ姿勢が、そのまま評価に出たのでは、ベタついた、客観的評価を欠くかの印象の、あるいはメーカー等からつけ込まれる記事になりやすい。のめり込むというのはあくまでもライターやエディターのバックボーンであって、その表現は、現代流にあくまでも緻密に、クールに、簡潔かつ直截的に......であることが重要。

◎昨今のオーディオライターが、多忙にかまけて、本当の使命である「書く」ことの重要性を忘れかけている。談話筆記、討論、座談会は、その必然性のある最小限の範囲にとどめること。原則として、「書く」ことを重視する。「読ませ」そして「考えさせる」本にする。ただし、それが四角四面の、固くるしい、もってまわった難解さ、であってはならず、常に簡潔であること。ひとつの主張、姿勢を簡潔に読者に伝え、説得する真のオピニオンリーダーであること。

◎しかしライターもまた、読者、ユーザーと共に喜び、悩み、考えるナマ身の人間であること。小利巧な傍観者に堕落しないこと。冷悧かつ熱烈なアジティターであること。

◎気取りのなさ。本ものの大衆料理の味。
◎目次を必ず表2の次につける。

◎広告ページを「情報ページ(又はインフォメーションセンター など......)」と呼び、分散させず1ヶ所に集中。索引は目次中に載せる。

◎新製品の扱いを2本立てにする。
A.今月活躍の製品(S−J選定に相当するような、本誌スタッフが選定した製品)について十分にページをとる。
 a.解説(解説)──ライバル機種との対比、又、そのメーカーの製品系列の中での位置づけを十分に解説。製品についても、技術的解説よりもその意味合いに重点。メーカーの意図も紹介。
 b.テストリポート(分析)──おもに測定及びコンストラクション、デザイン等からの公正な評価。ライバル製品、及びそのメーカーの中での位置づけ。
 c.音質評価(使ってみて)──CPを考慮した場合、しない場合、ライバル機種との、そのメーカーの中での、使いこなしについて十分に解説。組合せ然り。音楽への向き不向き。

ページ数は最低6、ないしは12。
多角的に、その製品の性格を十分に浮彫りにする。

B.新製品紹介欄
 いわゆるニュース的扱い、ただし、その記述は、簡明、直裁を心がける。
 ライバル機種との比較表など考慮

◎製品以外の情報欄
 催し、メーカー主催又は後援の地方での催し

◎内外の話題

◎論説、随筆、etc. 読みもの

◎読者との交流をどうするか。訪問(個人、グループ)
 読者の夢をきく。

◎販売店──
スケッチ」のところで書いたように、瀬川先生が書かれたメモとスケッチが、いま手もとにある。

そのひとつ、オーディオ誌の企画書の下書きといえるメモを公開していく。

はしり書きであること、瀬川先生の書かれた文字を見るのははじめてなので、
何箇所か読み取れないところもあるが、極力、書かれたとおりのまま入力している。

おそらく1977年に書かれたメモであるが、そのままこの時代にあてはまることが書かれている。
いま手もとにあるアルテックの604-8Gは、早瀬さん所有のものだった。
譲ってもらった、というよりも、いただいたものである。

瀬川先生が620Bの組合せをつくられ、
試聴の最後に「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ......」とぽつりとつぶれかれたとき、46歳。

あと数日で今年も終るが、1月生れの私は今年の大半を46歳で過ごした。

同じ46歳のときに、604-8Gが手もとにあることは、単なる偶然であろう。
それでも、そこになんらかの「意味」を見出したい。
それがこじつけであっても、他人には理解されなくても、「意味」があれば、それでいい。

オーディオから離れていた時期が、かなり長くあった。
いまのシステムは、再開したシステムが基になっている。誰にも聴かせてはいないし、
これから先、システムは変っていくが、私ひとりしか、その音を聴く人はいないということは変らない。

まだ先のことだが604-8Gを鳴らした時、エリカ・ケートのAbendempfindungの一曲だけは、早瀬さんに聴いてもらおう。
これだけが唯一の例外となるはずだ。
エリカ・ケートのドイツ歌曲集のCDにある石井不二雄氏による対訳を書き写そう。
     *
夕暮だ、太陽は沈み、
円が銀の輝きを放っている、
こうして人生の最もすばらしい時が消えてゆく、
輪舞の列のように通り過ぎてゆくのだ。

やがて人生の華やかな情景は消えてゆき、
幕が次第に下りてくる。
僕たちの芝居は終り、友の涙が
もう僕たちの墓の上に流れ落ちる。

おそらくもうすぐに──そよかな西風のように、
ひそかな予感が吹き寄せてくる──
僕はこの人生の巡礼の旅を終え、
安息の国へと飛んでゆくのだ。

そして気味たちが僕の墓で涙を流し、
灰になった僕を見て悲しむ時には、
おお友たちよ、僕は君たちの前に現われ、
天国の風を君たちに送ろう。

君も僕にひと粒の涙を贈り物にし、
すみれを摘んで僕の墓の上に置いておくれ、
そして心のこもった目で
やさしく僕を見下しておくれ。

涙を僕に捧げておくれ、そしてああ! それを
恥ずかしがらずにやっておくれ。
おお、その涙は僕を飾るものの中で
一番美しい真珠になるだろう!
     *
1981年、瀬川先生はアルテックの620Bで、聴かれたのだろうか......。
この年、瀬川先生はスイングジャーナルの記事で、
604EとマッキントッシュC22、MC275の組合せの再現ともいえることをやられている。

604Eが604-8Hに、612の銀箱のエンクロージュアが620型に、MC275がマイケルソン&オースチンのTVA1に、
C22がアキュフェーズのC240に変ってはいるが、
この組合せは、あきらかにエリカ・ケートのモーツァルトの1曲のためだけに、欲しい、と思われた音を、
もういちど聴きたいと欲されたのではないだろうか。

それが無意識的にであったのか、それとも意識的に行なわれたのかは、誰にもわからないが、
無意識のうちに、この組合せをつくられたように感じるのは、私だけではないだろう。

この歌の歌詞も、偶然とは思えないのだ。

K.523 Abendempfindung(夕暮の想い)

Abend ist's,die Sonne ist verschwunden,
Und der Mond strahlt Silberglanz;
So entfliehn des Lebens schönste Stunden,
Fliehn vorüber wie im Tanz.

Bald entflieht des Lebens bunte Szene,
Und der Vorhang rollt herab;
Aus ist unser Spiel,des Freundes Träne
Fließet schon auf unser Grab.

Bald vielleicht -mir weht,wie Westwind leise,
Eine stille Ahnung zu-
Schließ ich dieses Lebens Pilgerreise,
Fliege in das Land der Ruh.

Werdet ihr dann an meinem Grabe weinen,
Trauernd meine Asche sehn,
Dann,o Freunde,will ich euch erscheinen
Und will himmelauf euch wehn.

Schenk auch du ein Tränchen mir
Und pflücke mir ein Veilchen auf mein Grab,
Und mit deinem seelenvollen Bli cke
Sieh dann sanft auf mich herab.

Weih mir eine Träne,und ach! schäme
dich nur nicht,sie mir zu weihn;
Oh,sie wird in meinem Diademe
Dann die schönste Perle sein!
1988年9月号の無線と実験に、伊藤先生製作の7027Aプッシュプルアンプの記事が載っている。
出力トランスはパートリッジのP5201、1次側のインピーダンスが10kΩのもの。

出力段はAB1級のUL接続で、出力はおよそ20W。

RA-1574-Dは五極管接続で、7027Aの規格表をみると、
AB1級で、出力トランスに6.5kΩのものを使えば、76Wの出力となっている。

1次側インピーダンスが6.5kΩのトランスで、70Wを超える出力でも使えるものとなると、まずないと思っていたが、
スウェーデンのトランス専門メーカー、ルンダールのラインナップのなかに、6kΩのものがある。
7027Aは、やはりAB1級で6kΩのトランスを使えば、50Wの出力を取り出せる。

伊藤先生の製作例があること、ウェストレックスのカッターヘッド用のドライブアンプに使われていたこと、
このふたつの理由に、ぴったりのトランスがいまでも入手できることがわかり、
7027Aのプッシュプルアンプをつくるのもよさそうだと、ひとり納得していたところで思い出したことがある。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
瀬川先生が、1981年に書かれた文章だ。

真空管アンプでは、出力が50Wをこえるあたりから(できれば70W以上はほしい)、
トランジスターアンプにくらべれば小さな値ではあっても、
出力の余裕から生れてくるものが感じとれるような気がする。

70Wクラスのパワーアンプといえば、マッキントッシュのMC275が75W+75W、マランツのModel 9が70W。
もう少し新しいところではマイケルソン&オースチンのTVA1が70W+70W、ジャディスのJA80が80W。

マランツだけが出力管はEL34のパラレルプッシュプルで、あとの3機種はKT88のプッシュプル。

個人的には出力管をパラレル使用はしたくない。
となると使える真空管は限られてくる。

ウェストレックスに、RA-1574-Dというアンプがある。
出力管は7027のプッシュプルで、出力は75W。
このアンプは、WESTREX 3D STEREODISK SYSTEM に使われている。
つまりカッターヘッド用のアンプである。

パワーアンプ部を見ると、初段は12AU7で、次段が12AU7のP-K分割、12BH7で増幅したあと、
7027の固定バイアスの出力段となっている。

RA-1574-Dの回路図を見たときから、これでスピーカーを鳴らしてみたら......と妄想していたのである。
アルテックの604-8Gが来てから、あれこれ考えるのが楽しい。
エンクロージュアをどうするか、ネットワークは、あれを試してみたい、
それにユニットの取り付け方でも試してみたいことがあって、
時間が空くと、とにかく妄想をふくらませている。

パワーアンプについても、妄想している。
やはりいちどは真空管アンプで鳴らしてみたい、とも思っている。

604-8Gは、型番が示すように604Eまでの16Ω仕様から、
トランジスターアンプで鳴らすことを前提に8Ω仕様に変更されている。

最新のトランジスターアンプで鳴らすことも考えながら、真空管アンプまで自作しようかな、などと、
いったいいつ実現するのかわからないくらいに、妄想的計画は大きくなっていく。

出力管は何にしよう、と考えると、たしかにウェスターンの300Bに惹かれるものはあるが、
プッシュプルで20W弱。
604-8Gを鳴らすには、これでも十分といえるものの、最新のプログラムソースに対応するためには、
正直もうすこし出力の余裕がほしい、と思ってしまう。

トランジスターアンプも、真空管アンプにしても、
良質の大出力アンプのもつ余裕から生れる特有の魅力は、
オーディオにとって必然の条件ともいいたくなる。
バッファーアンプ用のモジュールLD2を抜きとれば、バッファーアンプなしの音が聴けるのであれば、
すぐにでも試してみるところだが、残念ながらそうはいかない。
バッファーアンプの有無により、どれだけ音が変化するのは、だから想像で語るしかない。

マークレビンソンのLNP2、JC2の音は、あきらかに硬水をイメージさせる。
ここが、ML7と大きく違うところでもある、と私は思っている。

パッファーアンプ仕様にするということは、LNP2を構成するLD2モジュールのもつ硬水的性格を、
より高めていくことになるのではなかろうか。
その意味では、単に音としての純度ではなく、LNP2としての純度、
マークレビンソンのアンプとしての純度を高めていくことでもあるように感じられる。

硬水をさらに硬水にすることで、細部に浸透させるミネラル分を濃くすることで、
音楽の細部の実体感を増し、音像のクリアネスを高めていくことにつながっていくようにも思う。

世田谷のリスニングルームに移られるまでは、音量を絞って聴くことの多かった瀬川先生にとって、
これらの音の変化は、大切なことであったのかもしれない。
LNP2を構成するモジュールは、信号系に使われているLD2が、片チャンネルあたり3つ、
その他にVUメーター駆動用のモジュールの、両チャンネルで8つである。

モジュールが取付けられているプリント基板には、あと2つスペースがあり、
ここにコンデンサーマイクロフォン用のファントム電源用モジュールか、
LD2を、バッファーアンプとして、もう1組追加することができる。

瀬川先生は、何度か書かれたり語られているように、バッファーアンプつきのLNP2Lを愛用されていた。
理由は、音がいい、からである。

バッファーアンプを加えた場合、カートリッジからの信号は、計4つのLD2を通って出力されるわけだ。
信号経路を単純化して、音の純度を追求する方向とはいわば正反対の使い方にも関わらず、
瀬川先生は、このほうが、音楽の表現力の幅と深さが増してくる、と言われている。

ステレオサウンドに常備してあったLNP2Lも、このバッファーアンプ搭載仕様だった。

単なる偶然

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1981年の11月7日は、土曜日だった。
今日、11月7日も、土曜日。

別に珍しいことではないことはわかっている。

今日、六本木の国際文化会館で行なわれた「新渡戸塾 公開シンポジウム」をきいてきた。
ここで、私のとなりに座っていた女性の方の名前が、瀬川さんだった。

「瀬川冬樹」はペンネームだから、瀬川先生とはまったく縁のない人とはわかっていても、
不思議な偶然があるものだ、と思った次第だ。

スケッチ

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今日から、Detour展が開催されている。
会場となるMoMA Design Storeには、建築家、映画監督、デザイナー、イラストレーター、
文筆家、音楽家らのノートブックが展示されている。

川崎先生のノートブックも展示されており、スケッチに間近で触れることができる(らしい)。

つまり、まだ行っていない。
夕方から人と会う約束があったからで、かわりというわけでもないのだが、
瀬川先生のスケッチとメモをいだたいてきた。

スケッチは、プリメインアンプを描かれていて、けっこうな枚数ある。
トレーシングペーパーに描かれているものもあり、昭和49年のものである。

メモは、ひとつは昭和39年に書かれたもので、はしり書きなので、正直かなり読みにくい。
スケッチや回路図も含まれている。

これを、瀬川先生は取って置かれたわけだ。だから、いま私に元にある。
読んでいくと、なぜなのかが感じられる。

そしてもうひとつのメモは、日付はどこにも書かれていないが、内容から判断するに、
1977年(昭和52年)ごろのものと思われる。

ステレオサウンドの原稿用紙に、横書き、はしり書き、箇条書きで、
メモというより、オーディオ誌はどうあるべきか、といった内容である。

私にとって、これらは宝である。
「オーディオABC」に載っているオーディオ周波数の図は、
各音域の呼び方以外に、音の感じ方とその効果について、もふれられている。

重低音域は「鈍い 身体ぜんたいに圧迫感」、
重低音域と低音域の重なるところ、おおよそ40、50Hzのところはは「音というより風圧または振動に近い」、
低音域は「ブンブン、ウンウン唸る音、重い感じ」、
中低音域と重なるところ(160Hz前後)は「ボンボン、ドンドン腹にこたえるいわゆる低音」、
その上の音域、中低音域と中音域のところには「楽器や人の声の最も重要な基本音を含む」と
「カンカン、コンコン頭をたたかれる感じ」、
中音域と中高音域の重なるところ(2.5kHz近辺)は「キンキンと耳を刺す 最も耳につきやすい」、
高音域は「シンシン、シャンシャン浮き上るような軽い感じ」、
10数kHz以上の超高音域は「楽器のデリケートな性格を浮き彫りにする 音の感じにならない」とされている。

そして30Hz以下の音については「市販のオーディオ機器やふつうの放送、レコードでは再生されない」、
30Hzから160Hzぐらいは「ふくらみ、ゆたかさなどに影響」、
100Hzあたりから2.5kHzのわりとひろい帯域を「再生音全体の感じを支配する再生音の土台」とされ、
さらにこの音域の下の帯域は「力強さ、量感、暖かさなどに影響」、
上の方の帯域は「音が張り出す、またはひっこむなどの効果に影響」、
2.5kHzから10数kHzあたりの音域の、下の方の帯域は「はなやか、きらびやか、鋭い音」、
上の方の帯域は「繊細感、冷たさ」、
10数kHz以上の超高音域は「音がふわりとただようような雰囲気感」とされていて、
本文のなかで、各音域の呼び方よりも、各音域の音の効果の法を重してほしい、と書かれている。
月を見ていた。

8日もすれば満月になる月が、新宿駅のビルの上に浮んでいたのを、信号待ちをしていたとき、
ぼんやり眺めていた。まわりに星は見えず、月だけがあった。
そして想った。

昨年2月2日、瀬川先生の墓参のとき、位牌をみせていただいた。
戒名に「紫音」とはいっていた。

最初は「弧月」とはいっていた、ときいた。

だからというわけでもないが、ふと、あの月は、瀬川冬樹だと想った。

東京の夜は明るい。夜の闇は、表面的にはなくなってしまったかのようだ。

「闇」「暗」という文字には、「音」が含まれている。

だからというわけではないが、オーディオで音楽を聴くという行為、音と向き合う行為には、
どこか、暗闇に何かを求め、何かをさがし旅立つ感覚に通じるものがあるように思う。

どこかしら夜の闇にひとりで踏み出すようなところがあるといえないだろうか。
闇の中に、気配を感じとる行為にも似ているかもしれない。

完全な闇では、一歩を踏み出せない。

月明かりがあれば、踏み出せる。足をとめず歩いていける。
月が、往く道を、ほのかとはいえ照らしてくれれば、歩いていける。

夜の闇を歩いていく者には、昼間の太陽ではなく、月こそ頼りである。
夜の闇を歩かない者には、月は関係ない。

だから、あの月を、瀬川冬樹だと想った。
量感というものは、あらためて考えてみると、ふしぎな面がある。

スピーカーならば、多少周波数特性のカーブと関係しているところがあるが、
それでも出しゃばった帯域において、量感が豊かというわけではない。

アンプやCDプレーヤーとなると、周波数特性的には、ほとんど差はない。
可聴帯域内は、いまやどんなローコストのアンプもフラットである。

低域の量感に富むアンプの周波数特性が、低域で盛り上がっていることはないし、
その逆の、量感に乏しいからといって、周波数特性のカーブに落ち込みがあるわけでもない。

にもかかわらず、量感の違いは、はっきりと聴きとれる。

スピーカーならば、エンクロージュアの響き(鳴り)が関係している、
アンプ関係ならば、電源の規模に関係している、という理由も、すべてではない。

電源部が充実しているアンプでも、マークレビンソンのML2Lのように、
引き締まった低域は、量感に富むという表現とは違う。
エネルギー感ともまた、量感は違うのだから。
いままで読んできたオーディオ評論のなかで、デザインに関して強烈に記憶に残っているのは、
ステレオサウンド 43号の、瀬川先生のトリオのコントロールアンプ、L07Cに対する記事だ。

43号では、L07Cについて、上杉先生、菅野先生も書かれているが、
デザインについてはひとことも触れられていない。

ひとり瀬川先生だけが、L07Cのデザインについて、「試作品かと思った」と書かれ、
「評価以前の論外」であり、さらに「目の前に置くだけで不愉快」とつづけられ、
あきらかに、ここからは瀬川先生の怒りが感じられる。

たしかに、中学2年だった私の目から見ても、試作品のような仕上りのように感じられたが、
なぜ、瀬川先生の怒りが、そこまでなのかについては、理解できなかった。

低音の量感ということでは、ヨーロッパのほうが、アメリカよりも、
瀬川先生の求められていた、いい意味でのふくらみ、そして包みこまれるような量感は豊かであったし、
このことが、アナログプレーヤーにおいて、
フローティング型が、ヨーロッパから多くが登場したことにつながる気がする。

アナログディスク再生においてハウリングが発生していたら、
低音の量感を求めることはできない。
量感うんぬんは、ハウリングマージンが十分確保されていてこそ、の話だ。

ただトーレンスやリンのようなフローティング型プレーヤーは、日本家屋で、和室で使用する場合には、
床があまりしっかりしていたいことと関係して、針飛びという問題が発生する。

あくまでフローティング型プレーヤーは、しっかりした床が条件として求められる。

そのせいか、1970年代、まだまだ和室で聴く人が多かったと思われる時代に、
フローティング型プレーヤーはなかなか受け入れなかったのだろう、と考えている。
人の声が中音域だとすれば、その上限は意外と低い値となる。

声楽の音域(基音=ファンダメンタル)は、バスがE〜c1(82.4〜261.6Hz)、バリトンがG〜f1(97.9〜349.2Hz)、
テノールはc〜g1(130.8〜391.9Hz)、アルトはg〜d2(196.0〜587.3Hz)、
メゾ・ソプラノはc'〜g2(261.6〜783.9Hz)、ソプラノはg'〜c2(329.6〜1046.5Hz)と、
約80Hzから1kHzちょっとまでの、ほぼ4オクターブ弱の範囲であり、
2ウェイ構成のスピーカーであれば、ウーファーの領域の音ということになる。

タンノイ、アルテックの同軸型ユニットのクロスオーバー周波数は、1kHzよりすこし上だから、
トゥイーター(ホーン型ユニット)が受け持つのは、人の声に関しては倍音(ハーモニクス)ということになり、
オーディオにおける高音域は、倍音領域ともいえるわけだ。

瀬川先生の区分けだと、人の声は、中低音域と中音域ということになり、
中高音域、高音域、超高音域と、「高」音域は、ほぼ倍音領域である。

瀬川先生の区分けは、音の感じ方を重視して、のものでもある。
瀬川先生は、ヴァイタヴォックスCN191について、
「二台のスピーカーの置かれる壁面は少なくとも4・5メートル、できれば5メートル以上あって、左右の広がりが十分とれること」と、
「続コンポーネントのステレオのすすめ」のなか、22項で書かれている。

残念ながら、紙面の都合だろうが、その理由については書かれていないが、おそらくコーナーホーン型であること、
壁をホーンの延長として使うこと、そして実際に音を聴かれた経験から、そう書かれただろう。

「残念乍ら」は、1980年、81年の瀬川先生の文章に、なんども登場する。
与えられた枚数が、瀬川先生が書きたいと思われているもに対して少なすぎて、
十分な説明がかけないままのとき、「残念乍ら」を使われている。

当時、この「残念乍ら」の部分を、いつか読めるものだと思って、
毎号ステレオサウンドの発売日を楽しみに待っていた。

けれど、「残念乍ら」の部分を書かれることなく、亡くなられた。

どれだけの「残念乍ら」があったのだろうか。
もし、あの時代にインターネットが、いまの時代のように存在していたら、
ページ数という物理的な制約のせいで書けなかったことを、
ブログやウェブサイトで公開されていたかもしれない、そう思うのだが......。
ステレオサウンドの60号の1年半前にも、スピーカーの試聴テストを行なっている。
54号(1980年3月発行)の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
菅野沖彦、黒田恭一、瀬川冬樹の3氏が試聴、長島先生が測定を担当されている。
この特集記事の巻頭で、試聴テスター3氏による「スピーカーテストを振り返って」と題した座談会が行なわれている。

ここで、瀬川先生は、インターナショナルサウンドにつながる発言をされている。
     ※
海外のスピーカーはある時期までは、特性をとってもあまりよくない、ただ、音の聴き方のベテランが体験で仕上げた音の魅力で、海外のスピーカーをとる理由があるとされてきました。しかし現状は決してそうとばかかりは言えないでしょう。
私はこの正月にアメリカを回ってきまして、あるスピーカー設計のベテランから「アメリカでも数年前までは、スピーカーづくりは錬金術と同じだと言われていた。しかし今日では、アメリカにおいてもスピーカーはサイエンティフィックに、非常に細かな分析と計算と設計で、ある水準以上のスピーカーがつくれるようになってきた」と、彼ははっきり断言していました。
これはそのスピーカー設計者の発言にとどまらず、アメリカやヨーロッパの本当に力のあるメーカーは、ここ数年来、音はもちろんのこと物理特性も充分にコントロールする技術を本当の意味で身につけてきたという背景があると思う。そういう点からすると、いまや物理特性においてすらも、日本のスピーカーを上まわる海外製品が少なからず出てきているのではないかと思います。
かつては物理特性と聴感とはあまり関連がないと言われてきましたが、最近の新しい解析の方法によれば、かなりの部分まで物理特性で聴感のよしあしをコントロールできるところまできていると思うのです。
     ※
アメリカのベテランエンジニアがいうところの「数年前」とは、
どの程度、前のことなのかはっきりとはわからないが、10年前ということはまずないだろう、
長くて見積もって5年前、せいぜい2、3年前のことなのかもしれない。
ステレオサウンド創刊15周年記念の60号の特集は、アメリカン・サウンドだった。

この号の取材の途中で瀬川先生は倒れられ、ふたたび入院された。

この号も手もとにないので、記憶に頼るしかないが、JBLの4345を評して、
「インターナショナルサウンド」という言葉を使われた。

残念なのは、この言葉の定義づけをする時間が瀬川先生には残されていなかったため、
このインターナショナルサウンドが、その後、使われたことはなかった(はずだ)。

インターナショナルサウンドという言葉は、すこし誤解をまねいたようで、
菅野先生も、瀬川先生の意図とは、すこし違うように受けとめられていたようで、
それに対して、病室でのインタビューで、瀬川先生は補足されていた。

「主観的要素がはいらず、物理特性の優秀なスピーカーシステムの、すぐれた音」──、
たしか、こう定義されていたと記憶している。

インターナショナルサウンド・イコール・現代スピーカー、と定義したい。
the Review (in the past) のための、この記事の入力をしながら思っていたのは、
この4343の組合せは、瀬川先生が目黒のマンションで、4345を鳴らされていた組合せと基本的に同じだということ。

その1に書いたように、4345を、アンプはアキュフェーズのC240とM100のペア、
アナログプレーヤーは、エクスクルーシヴP3。

4343にエレガントな雰囲気をもたせるための組合せが、そのままスケールアップして、
スピーカーもアンプも、それぞれのブランドの最新のモノになっている。

ステレオサウンドの50号台の後半あたから、瀬川先生の文章の中に、
「聴き惚れていた」ということばが、それまでよりも頻繁に出てくるような感じをもっている。

たとえばステレオサウンド 56号のトーレンス・リファレンスロジャースのPM510の記事。
それぞれに「ただぼかんと聴き惚れていた」「ぼんやり聴きふけってしまった」とるある。

手もとにはないからはっきりとは書けないが、アキュフェーズのM100の記事のなかにも、
同じことを書かれていたはずだ。
誰からか聞いたのか、それともなにかで読んだのかもさだかではないが、
瀬川先生はKEFのLS5/1Aを2組(つまり4台)所有されていたことを、ずいぶん前に知っていた。

ただ、瀬川先生が亡くなられたあと、ステレオサウンドで一時的に保管されていたLS5/1Aは1組だった。
そのとき、「あれっ?」と思っていたが、もう1組のことを誰かにきくこともしなかった。

このLS5/1Aがその後、どうなったのかはわかっている。
もう1組はどうなっているのか、そもそもほんとうに2組所有されていたのかも、
はっきりと確認しようもないと思っていた。

ステレオサウンド 38号の、瀬川先生のリスニングルームの写真にも、
写っているのはJBLの4341とLS5/1Aが、1組ずつだ。

けれども世田谷・砧に建てられたリスニングルームの写真を見ると、やはりLS5/1Aは2組写っている。

同じカットでないだけにすこしわかりにくいが、傅さんが1979年にFM fanの企画で、
瀬川先生のリスニングルームを訪ねられたときの記事に、リスニングルームのイラストが載っている。
これと、1979年秋にステレオサウンドから出た「続コンポーネントステレオのすすめ」に掲載されている
瀬川先生のリスニングルームの写真を照らし合わせると、たしかにあることがわかる。

部屋の長辺側に、4343WXが置かれ、その内側にセレッションのDitton66がある。

リスニングポイントの左側の壁に、外側からLS5/1A、もう一台LS5/1A、内側にスペンドールのBCII、
そのうえにLS3/5Aが置かれていてる。
外側のLS5/1Aの上には、パイオニアのリボントゥイーター、PT-R7がある。

この写真だけだと1組のLS5/1Aをまとめて置かれているようにとれるが、
別カットの写真、4343の対面、つまりリスニングポイントの後ろ側の壁の写真、
ここにもLS5/1Aが2台あり、
そのすぐそばにマークレビンソンのML2L、その前にSAEのMark 2500、
ML2Lの隣に、アキュフェーズC240、その上にLNP2L、
その横にアキュフェーズのFMチューナーやヤマハのカセットデッキがあり、
EMTの927Dstが、ほぼリスニングポイントの後ろに存在感たっぷりにいる。

スチューダーのA68、EMTの930stは、BCIIの間に置いてある。

ちなみに930stの専用インシュレーター930-900の上にガラス板を2枚置いたものが、
部屋の中央に、テーブルとして使われている。
見ようによっては、なかなかモダーンなテーブルである。

LS5/1Aが2組あったことは、やはり事実だった。
となると、もう1組は、目黒のマンションへの引越し時に、どなたかに譲られたのか、手放されたのか。
そういえば瀬川先生が、ステレオサウンド 56号に書かれていたことを思い出す。

JBLのパラゴンのトゥイーター(075)・レベルについて
「最適ポイントは決して1箇所だけではない。指定の(12時の)位置より、少し上げたあたり、少なくとも2箇所に、それぞれ、いずれともきめかねるポイントがある。そして、その位置はおそろしくデリケート、かつクリティカルだ。つまみを指で静かに廻してみると、巻線抵抗の線の一本一本を、スライダーが摺動してゆくのが、手ごたえでわかる。最適ポイント近くでは、その一本を越えたのではもうやりすぎで、巻線と巻線の中間にスライダーが跨った形のところが良かったりする。まあ、体験してみなくては信じられない話かもしれないが。」
という記述だ。

パラゴンと4344というシステムの違いはあるが、巻線抵抗のレベルコントロールは共通している。
その微妙さ(ときには不安定さ)も共通しているといえよう。

さきほどまでの、いい感じで鳴ってくれた音と、もう少しと欲張り、先に戻せなかった音の、
レベルコントロールの位置の差は、
まさに「巻線と巻線の中間にスライダーが跨った」かどうかの違いだったのかもしれない。

そうやって微妙な調整を経て、音はピントが合ってくるもの。
だから、巻線抵抗のレベルコントロールに文句を言っているように感じられるだろうが、
否定しているわけではない。

BBC モニター系列のスピーカーにレベルコントロールがついている機種は、あまりない。
ついていても連続可変ではなく、タップ切替による段階的なものである。
(その5)に書いた4343の組合せのトーンアームに、フィデリティ・リサーチのFR64がある。
これはFR64Sのほうではなく、アルミニウム製のFR64を選ばれている。
こちらを瀬川先生は高く評価されていた。

一般に評価の高いステンレス製のFR64Sについては、「私の試聴したものは多少カン高い傾向の音だった。
その後改良されて音のニュアンスが変っているという話を聞いたが、現時点(1977年)では64のほうを推す次第。」
とステレオサウンド 43号に書かれている。

もう1本のほう、オルトフォンのRMG309については、こう書かれている。
「SPU(GおよびA)タイプのカートリッジを、最もオルトフォンらしく鳴らしたければ、
やはりRMG309を第一に奨めたい。個人的には不必要に長いアームは嫌いなのだが、
プレーヤーボードをできるだけ堅固に、共振をおさえて組み上げれば、しっかりと根を張ったようなに安定な、
重量感と厚みのある渋い音質が満喫できる。こういう充実感のある音を、
国産のアームで聴くことができないのは何ともすしぎなことだ。」

この時期、オルトフォンのRMG212が再発売されている。
かなり以前に製造中止になっていたのだが、
瀬川先生が、1975年に来日したオルトフォンの担当者に要請したのが、再生産のきっかけである。

こうやって読んでいくと、瀬川先生がアナログプレーヤーに求められていたものが、
すこしずつはっきりしてくるような気がする。
知りたかったことが、もうひとつ「コンポーネントステレオの世界 '78」にあった。

瀬川先生がヨーロッパのコンサートホールでの低音について、どう感じておられたか、があった。
     ※
パワーアンプにSAEのMARK2600をもってきたことの理由の一つは、LNP2Lを通すと音がやや細い、
シャープな感じになるんですが、このパワーアンプは音を少しふくらまして出すという性格をもっているからです。
それを嫌う方がいらっしゃることは知っています。しかし私の貧しい経験でいえば、
欧米のコンサートホールでクラシック音楽を聴いて、日本でいわれてきた、
また信じてきたクラシック音楽の音のバランスよりも、低域がもっと豊かで、柔らかくて、
厚みがある音がするということに気がつきました。
そこでこのMARK2600というパワーアンプの音は、一般にいわれるような、低域がゆるんでいるとか
ふくらみすぎているのではなく、少なくともこれくらい豊かに低域が鳴るべきなんだと思うんですね。
     ※
やっぱりと思い、うれしかった。

この発言から30年が経っているいまも、日本では、低音を出すことに、臆病のままではないだろうか。
LNP2Lは、フォノ入力から出力まで計3つのモジュールを、信号は通っていく。
だから、フォノアンプを使わないでも、3分の2は使っていることになるし、
瀬川先生のLNP2Lはバッファー搭載だったはずだから、4分の3の使用となる。

とはいえ瀬川先生はまったくLNP2Lのフォノアンプを使われなかったかというと、そうでもないだろう。

ステレオサウンド 38号の瀬川先生のリスニングルームには、
930stの他にラックスのPD121にオーディオクラフトのAC300MCの組合せがあり、
写真をよく見ると、EMTのXSD15が取りつけてある。930stにはTSD15の旧型がついている。

「コンポーネントステレオの世界 '78」でも、
「自分自身では、そういいながら、トランスと組合せて単体でよく使いますけど、
これはEMTの癖を十分に知っているんでやっていることで、ふつうの方にはあまりおすすめできません」と。

これはLNP2Lのフォノアンプに接がっていたのだろう。

ところでLNP2にはなかった入力端子が、JC2にはついていた。
REMOTE PHONOという端子で、これはAUXと同じライン入力。
つまり、イコライザーアンプ内蔵のプレーヤーを接続するための端子なのだろう。

JC2が登場した1974年、イコライザーアンプ内蔵のプレーヤーシステムは、EMT以外に何があったのだろうか。
私が知る限り、少なくとも日本に輸入されていたモノには、ない。

マーク・レヴィンソンは、自宅ではLNP2よりもJC2を常用している、とインタビューで答えている。
ということは、レヴィンソンはEMTのプレーヤーを、この時期、使っていたのだろうか。
1977年には、国産のプレーヤーシステムは、ほぼすべてダイレクトドライブになっていた。
ワウ・フラッターは、930st、401よりも一桁以上少ない優秀さで、
401のように、ある程度の重量のあるそしてがっしりしたキャビネットに、取付け方法も工夫しないと、
ゴロが出るようなモノは皆無だった。

使いやすく性能も優れているにも関わらず、大事な音を再現してくれる良さから、瀬川先生は、
あえて旧式の930stや401を選択されるとともに、
「このところ少しDD(ダイレクトドライブ)不信」みたいなところに陥っているとも発言されている。

401を中心としたプレーヤーは、EMTではなくオルトフォンとエラックのカートリッジの組合せで構成されている。
これは、EMTのTSD15を単体で使ってほしくないという、気持の現われからだろう。

さらに「コンポーネントステレオの世界 '78」では次のように語られている。

「このプレーヤー(930st)にはイコライザーアンプが内蔵されていますから、
LNP2Lというコントロールアンプをなぜ使うのかと、疑問をもたれるかもしれません。
事実その点について、他の場所でもいろいろな方から訪ねられます。
念のためにいえば、930stのいわゆるライン出力をアッテネーターを通してパワーアンプに入れれば、
スピーカーから音が出てくるわけですね。それなのになぜ、コントロールアンプを使うのか。
 これは自分の装置で長時間かけて確かめたことですが、プレーヤーのライン出力を
アッテネーターだけを通して直接パワーアンプにいれるよりも、このマークレビンソンのコントロールアンプで、
しかもイコライザーを使わないで、AUXからプリアウトまでの回路を通した音のほうが、いいんです。
つまりLNP2Lの半分しか使わないことになるんだけれど、そうやってスピーカーを鳴らしたほうが、
音楽の表権力や空間的なひろがりや音楽のニュアンスなどが、ひときわ鮮やかに出てくるんですね。
このことは、技術的にいえばおかしいのかもしれません。しかし現実問題としては、
私の耳にはそういう形にした場合のほうが音がよく聴こえるわけです。」
「コンポーネントステレオの世界 '78」に、芳津翻人(よしづ はると)氏という方が、
「やぶにらみ組み合わせ論(IV)」を書かれている。

IVとあるくらいだから、ステレオサウンド 4号(67年秋号)からはじまり、13号(70年冬号)、
17号(71年冬号)に亘って書いている、と前書きにある。

私が読んだ4回目の記事は、小型スピーカーの組合せの記事。
スピーカー選びから始まって、ロジャースのLS3/5A、スペンドールSA1、
JR(ジム・ロジャース)JR149の組合せを、他の筆者とは違う視点からあれこれ悩みながらつくられていて、
「素人の勝手なたわごと」とことわっておられるが、どうして、なかなかおもしろい。
文章も書き慣れているという印象を受ける。

だから5回目を期待していたのだが、結局、(IV)でおしまい。

ステレオサウンドにはいってから、先輩のIさんにたずねた。
「どうして、芳津翻人さんを使わないんですか」と。

まったく想像してなかった答えだった。

「芳津翻人さんは、瀬川先生のペンネームだから」。
さらに「芳津翻人を違う読み方をしてごらん。ハーツフィールドと読めるでしょ」。

JBLのハーツフィールドは、瀬川先生にとって憧れのスピーカーだったことは、どこかに書いておられる。
ただ山中先生のところで聴かれたとき、憧れのスピーカーではあっても、
自分の求める世界を出してくれるスピーカーではないことを悟った、ということも。

それでも憧れのスピーカーは、いつまでも憧れであり、芳津翻人という名前をつくられたのだろうか。

瀬川先生だということをわかった上で読みなおすと、たしかに「瀬川氏」とよく出てくるし、
音の評価も、瀬川先生とよく似ている。

オーラトーンのスピーカーは好みと違うとあるし、ドイツのヴィソニックの評価はなかなか高い。
このへんは、まさに瀬川先生とそっくりだ。

瀬川先生がいなくなり、芳津翻人さんもいなくなった。
DBシステムズのアンプは、マッキントッシュの製品と比較すると、およそ製品とは呼べない面をもつ、
ある種、尖鋭的なところが、音にもつくりにも感じられる。

コントロールアンプのDB1は、ガラスエポキシのプリント基板に入出力のRCA端子、
電源端子を取りつけたものを、そのままリアパネルとしている。
いちおう絶縁のためラッカーで覆ってあるものの、いわば剥き出しに近い状態である。

マッキントッシュでは絶対にやらないことを、デビュー作で堂々とやっている。

フロントパネルもそっけない仕上げで、ツマミもおそらく市販されているものをそのまま流用している感じ。
とにかく、設計者が余計と判断したところには、まったくお金や手間をかけない。
設計者の信じるところの、実質本位なつくりを徹底している。

回路構成も、1970年代のアンプとは思えないもので、差動回路も上下対称のコンプリメンタリー回路も使っていない。

他がやっているから、といったことはまったく気にしていない。

そんなアンプなのだが、とにかく切れ込みの鋭い、繊細で尖った音を聴かせてくれた。
とっつきにくい音と受けとめられる人も少ないないかもしれないが、
それでも存在価値(いい意味でも悪い意味でも)充分なところを気にいる人も、また少なからずいたであろう。

朝沼予史宏さんが、一時期、使われていた。
まだステレオサウンドに書き始められる前、朝沼という名前を使われる前、
フリーのライターとして編集に携わられていたころだから、
私には、朝沼さんではなく、本名の「沼田さん」だった。

沼田さんがまだ独身で、西新宿のマンション住まいだったころ、
スピーカーはQUADのESLにそっくりのダルキストのDQ1と
B&Oのスピーカーを使われていた時期、アンプはDBシステムズだった。

沼田さんがいちばん尖っていたころの話だ。

DB1の尖りぐあいは、ある種のエネルギッシュな印象にもなっていた。

そんなアンプを、瀬川先生は選びながら、プレーヤーはガラードの401を選ばれたのは、
930stと同じ理由から、である。
前年までと違い、「コンポーネントステレオの世界 '78」では、それぞれ2組の組合せをつくられている。

瀬川先生の4343の、もうひとつの組合せは次のとおり。

スピーカーシステム:JBL 4343(¥680,000×2)
コントロールアンプ:DBシステムズ DB1 + DB2(電源部)(¥212,500)
パワーアンプ:ラックス 5M21(¥240,000)
トーンコントロールユニット:ラックス 5F70(¥86,000)
プリメインアンプ:トリオ KA7300D(¥78,000)
フォノモーター:ガラード 401(¥49,000)
トーンアーム:オルトフォン RMG309(¥43,000)
       フィデリティ・リサーチ FR64(¥50,000)
プレーヤーキャビネット:レッドコンソール LAB-II(¥67,000)
カートリッジ:オルトフォン SPU-G/E(¥34,000)
              MC20(¥33,000)
       エレクトロ・アクースティック STS455E(¥29,900)
昇圧トランス:オルトフォン STA384(¥27,000)

組合せ合計:¥2,226,400(DBシステムズ + ラックスの場合)
      ¥1,765,900(トリオの場合)

ここでもプレーヤーには、930stと同じアイドラードライブの401を使われている。
アンプには新しいモノを使われているにも関わらず、である。

ちなみにエレクトロ・アクースティックとはエラック(ELAC)のこと。

これは瀬川先生からきいた話によると、エラックの輸入元(もしくは輸入しようとしていた会社)が、
なぜかエラックを自分の商標として登録してしまったばかりか、
エラックの輸入元が他の会社になってもそのままで、
さらに商標登録の期間がきれたら更新して、という嫌がらせとしか思えないことを続けていたため、
やむなくエレクトロ・アクースティックを使っていたとのこと。

「こんなことは許されないことだ」と、怒りのこもった口調だった。
昨日、偶然にも入手出来た「コンポーネントステレオの世界 '78」で、瀬川先生は、
4343に惚れ込まれた読者のために、最高に鳴らすための組合せとして、
EMT 930stとマークレビンソンLNP2Lを使われている。

組合せのラインナップの次のとおり。

スピーカーシステム:JBL 4343(¥680,000×2)
コントロールアンプ:マークレビンソン LNP2L(¥1,180,000)
パワーアンプ:SAE Mark 2600(¥755,000)
プレーヤーシステム:EMT 930st(¥1,150,000)
インシュレーター:EMT 930-900(¥280,000)

組合せ合計:¥4,725,000

4341と4343の違い、Mark 2500とMark 2600の違いはあるが、
瀬川先生が、当時常用されていたシステムそのままといえる組合せである。

4343について「JBLというメーカーは、時代感覚をひじょうに敏感に受け取って、
その時代時代の半歩前ぐらいの音を見事に製品化した」もので、
「ベストに鳴らすためには、プレーヤーからアンプまで、
やはり現代の最先端にある製品をもってくる必要がある」と言いながら、930st、である。
「幻のEMT管球式イコライザーアンプを現代につくる」、
この長いタイトルを考えたのも記事の担当者も私で、
初回のカラーページで紹介したEMT純正の139、139stはどちらも完動品で、
155stとの比較試聴もやっている。

使ったプレーヤーは私が直前に購入したトーレンスの101 Limitedで、155stは内蔵した状態で、
139と139stは外付けで外部電源と接続し、いわゆる単体イコライザーアンプとして使った。
モノーラルの139は2台用意していたので、試聴はもちろんステレオで行なっている。

電源の違いも考慮にいれなくてはならないし、もう25年ほど前のことだから、かなり曖昧だが、
意外と管球式の2機種は古さを感じさせなかった。
むしろトランジスター式の155stに、どちらもいえば古さを感じた。
とはいえまとまりのよさは見事で、いわばアクの強いTSD15をうまく補正し活かしている感じは、
155stに分が合ったように記憶している。

瀬川先生は、ステレオサウンド別冊の「コンポーネントステレオの世界」の80年度版か81年版だったかで、
928を組合せで使われたときに、内蔵イコライザーアンプについて、
928内蔵のモノの方が設計が新しいので、155stよりも現代的な音になっている、といったことを発言されている。

ということは、アンプ単体として見てたときは、瀬川先生も、155stには、やや古さを感じられていたのだろう。

それでも自宅では、155stを通して使われていたはずだ。
やはり930stを愛用されていた五味先生は、どちらだったのか。
930stの内蔵アンプなのか、それともマッキントッシュのC22のフォノイコライザーアンプなのか。

「オーディオ愛好家の五条件」で真空管を愛すること、とあげられている。
「倍音の美しさや余韻というものががSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。」とある。

しかし、別項で引用したように、930stの、すべて込みの音を高く評価されている。
ステレオサウンドにいたときに確認したところ、やはり内蔵の155stを通した音を日ごろ聴かれていたそうだ。

五味先生の930stは、オルトフォン製のトーンアーム、RMA229が搭載されている。
ちなみにモノーラル時代の930のそれはRF229である。

930が登場したのが、1956年。モノーラル時代であり、内蔵イコライザーアンプは、管球式の139である。

シリアルナンバーでいえば3589番からステレオ仕様の930stになる。
これにはステレオ仕様の管球式の139stが搭載されている。

そしてシリアルナンバー10750番から、トランジスター式の155stとなり、
14725番電源回路が変更になり、17822番からトーンアームがEMT製929に変更となる。

ただ155stが登場したのが、いつなのかは正確には、まだ知らない。

ただ929が登場したのが1969年で、
155stの兄弟機153stとほぼ同じ回路構成のフォノイコライザーアンプを搭載した928(ベルトドライブ)は、
1968年に登場していることから、おそらく60年代なかばには930stに搭載されていただろう。

155stは、片チャンネルあたりトランジスター8石を使ったディスクリート構成で、
入出力にトランスを備えている。
153stは、LM1303M、μA741C、μA748Cと3種のオペアンプを使い、
出力のみトランジスター4石からなるバッファーをもつ。
もちろん入出力にトランスをもつが、155stと同じかというとそうでもない。
出力トランスは1次側に巻き線を2つもち、そのうちの1つがNFB用に使われている。

電源も155stは+側のみだが、153stは正負2電源という違いもある。

回路図を見る限り、155stと153stの開発年代の隔たりは、2、3年とは思えない。

となると155stは、60年代前半のアンプなのかもしれない。
LNP2よりも、10年か、それ以上前のアンプということになる。
中野区白鷺のマンションに住まわれていたとき、瀬川先生は、EMTの930StとマークレビンソンのLNP2を使われていた。

説明は不要だろうが、どちらにもフォノイコライザーアンプがある。

瀬川先生は、どちらのフォノイコライザーアンプを使われていたのか。

ステレオサウンド 43号では、
「ずいぶん誤解されているらしいので愛用者のひとりとしてぜひとも弁護したいが、
だいたいTSD15というのは、EMYのスタジオプレーヤー930または928stのパーツの一部、みたいな存在で、
本当は、プレーヤー内蔵のヘッドアンプを通したライン送りの音になったものを評価すべきものなのだ。」、
「TSDでさえ、勝手なアダプターを作って適当なアームやトランスと組み合わせて
かえって誤解をまき散らしているというのに、SMEと互換性を持たせたXSDなど作るものだから、
心ない人の非難をいっそう浴びる結果になってしまった。EMTに惚れ込んだ一人として、
こうした見当外れの誤解はとても残念だ。」と、
TSD15、XSD15のコメントに、それぞれ書かれている。

55号でのプレーヤーの試聴記でも、内蔵イコライザーアンプの155stを通さない使い方を、
「異例の使い方」「特殊な試聴」とも書かれている。

これらの記事を読むと、おそらく930stの内蔵イコライザーアンプを使われているんだろうと思える。

その一方で、LNP2のイコライザーアンプを使わないというのも、なんとももったいない、と思う。

それに155stの設計は古い。1970年代においてすら、最新のアンプとはいえない。
LNP2のほうが新しい。そう考えると、どっちだったのかと迷う。
トーレンスの101 Limited (930st)、スチューダーのA727を使ってきた経験、
ドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカ等のレコードを、輸入盤と国内盤との聴き較べ、
国内のコンサートホールで聴いてきた、とくにオーケストラの響き、
そんな私の経験から思うに、ヨーロッパのコンサートホールにおけるクラシックの演奏の音のバランスは、
日本でピラミッドバランスといわれているよりも、ずっと厚みのある低音が、豊かでやわらかく、
聴き手をくるみこむのではないだろうか。

瀬川先生は、そのことに気づいておられたのだろう。
アメリカ、ヨーロッパに行かれているから、おそらく、何度かは向こうのホールで聴かれているはず。

930stやSAE Mark 2500のように、豊かに低音が鳴り響くべきと、
少なくともクラシックに関しては、そうだと思われていたのだろう。

だから930stやMark 2500が低音の量感豊かというよりも、
他の機種の大半を、量感不足と受けとめられていたかもしれない。
SAEのMark 2500は、1978年に、最大出力が300W(8Ω、片チャンネル)から400Wと、
約3割アップしたMark 2600へとモデルチェンジしている。

外観、内部コンストラクションはMark 2500とまったく同一なので、
電源電圧と電圧増幅段のゲインを高く変更することで実現していると思われる。

Mark 2500の上級機というよりも、パワーアップ版、改良モデルといえよう。

そういうわけなので、Mark 2500と2600、両者の音はほぼ同じ、と言われていた。

山中先生は厳密に比較試聴すると、Mark 2600のほうが、わずかではあるが音が甘い、
特に低域に関してはっきりと感じられた、と、ステレオサウンド 45号に書かれている。

瀬川先生はどう感じられていたかというと、熊本のオーディオ店でのイベントで、
Mark 2600の話題になったときに、
「中〜高域に、少しカリカリする性格の音が感じられるようになって、2500の、
独特の色っぽさ、艶がいくぶん後退した」、
だから「個人的には2500ほどには、2600を高く評価したくない」と話された。

Mark 2500と2600の差は、わずかなものだろう。
それでも惚れ込んでいたアンプだけに、そのわずかな差が、瀬川先生にとっては無視できないものとなったのだろう。
SAEのMark 2500について、瀬川先生は、ステレオサウンド 43号に、
「音のダイナミックな表現力の深さ、低音の豊かさ、独特の色っぽい艶と滑らかさなど、
いまだこれに勝るアンプはないと思う」と書かれている。
まだマークレビンソンのML2Lが出る前のことだ。

その2号の前の41号には、マークレビンソンのLNP2と組み合わせ、鳴らしはじめて2〜3時間すると、
「音の艶と滑らかさを一段と増して、トロリと豊潤に仕上がってくる」とも書かれている。

ML2Lとはずいぶん音の性格の違うMark 2500に、瀬川先生は惚れ込まれていたし、
「スピーカーならJBLの4350A、アンプならマークレビンソンのLNP2LやSAE2500、
あるいはスレッショールド800A、そしてプレーヤーはEMT950等々、
現代の最先端をゆく最高クラスの製品には、どこか狂気をはらんだ物凄さが感じられる」とも、
43号に書かれている。

Mark 2500について語られる言葉も、930stについて語られる言葉同様、見落とすことはできない。

ところで、このMark 2500の設計者を、瀬川先生はバリー・ソントンだと思われていたようだが、
彼がSAEのアンプの設計を担当したのは、1980年のXシリーズからである。

それまでバリー・ソントンは、オーディオニックスにいた。

オーディオニックスといっても、日本での、当時のオルトフォンの輸入元ではなく、
アメリカのオーディオ・ブランドで、日本には商標の関係で、
オーディオ・オブ・オレゴンの名前で、R.F.エンタープライゼスが輸入していた。

ソントンは、トランジスター・コントロールアンプながら真空管アンプを思わせる、
柔らかい表情の音が特徴のBT2を設計、
その前は、クインテセンスの主要メンバーの一人だった。

Mark 2500の設計者は誰なのか。

ジェームズ・ボンジョルノだろう。
彼がSAEに在籍していたことは知られているし、Ampzilla 2000のウェブサイトを見ると、
SAE(Scientific Audio Electronics)
The following products continued to use my circuit topology:
2200, 2300, 2400,2500,2600
とある。

SAEの社長であるモーリス・ケスラー自身もエンジニアだけに、
おそらくボンジョルノの設計した回路を基に、シリーズ展開していったのだろう。

SAEの一連のアンプは、Mark 2400、2500も、
シリーズアウトプットと名付けられた回路を出力段に採用している。

この回路の設計者がボンジョルノであり、
彼は、自身の最初のブランドである GASのAmpzillaにも、このシリーズアウトプット回路を使っている。
ただAmpzilla II以降は、なぜか採用していない。
ピラミッド型のバランスとは、世の中は広いもので、
高域がなだらかに落ちていく周波数特性の音だとは思い込んでいる人が、ごくごく稀におられるが、
もちろんそんなことはない。

SAEのMark 2500もEMTの930stも、豊かな低域の量感に支えられたピラミッド型の帯域バランスをもつが、
だからといって、どちらも周波数特性で、低域が上昇しているわけではない。

いまどきオーディオ機器で、低域を意図的に上昇させているモノはないだろう。
なのに聴感上では、低音の量感が、機種によって大きく左右されるのは、なぜだろう。

アンプならば、電源部の容量が関係してくる......。
必ずしも、そうとは言えない。

結局、低音の量感の豊かさは、低音のゆるさ、ふくらみと密接な関係にある。

ゆるさは、ぬるさではない。
ふくらみは、鈍さではない。
「全く上質の肉の味がする」EMT・930stは、
「バスドラムの重低音の量感」と「皮のたるんでブルンと空気の振動する感じの低音」を聴かせてくれる、
「他に思いつかない」鳴り方を提示する930stは、「まさにピラミッド型の」のオーケストラのバランスで、
「低音の量感というものを確かに聴かせて」くれる。

ピラミッド型の音のバランスときくと、多くの人は正三角形を思い浮かべるのではないだろうか。

瀬川先生にとってのピラミッド型のバランスは、頂上から途中までは正三角形なのが、
ふもとにいくにしたがい、富士山の姿のように裾野が広がっていく、そういう感じのように思える。

こういう音のバランスを、低音過多だと表現される方もおられるだろう。
だが、ほんとうに低音過多なのだろうか。
むしろ、このくらいの豊かさがあってこそ、美しいピラミッド型のバランスなのではないのか。

サーロジックのサブウーファー、SPD-SW1600を導入して、
1年と数ヵ月、あれこれいじってきて、このことを実感している。
瀬川先生の文章を読みはじめたのは、ステレオサウンドの41号から。
それからは、他のオーディオ誌に書かれているものも、できるだけすべて読むようにしてきた。

ステレオサウンドの52号、セパレートアンプ特集の巻頭エッセイ、
このあたりから瀬川先生の文章が変わりはじめたような気がする。

それまで以上に的確に、音をイメージしやすくなってきた。

52号での、マークレビンソンのML6Lの音についてのこと、
マッキントッシュとQUADをまとめて語られていたこと、など、
読みごたえが増していて、何度となく読み返した。

読み返すたびに、発見があった。

55号の「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の個々の機種の試聴記、「テストを終えて」もそうだ。

以下に書き写しておく。
いちど読んでいただきたい。
     ※
 良くできた製品とそうでない製品の聴かせる音質は、果物や魚の鮮度とうまさに似ているだろうか。例えばケンウッドL07Dは、限りなく新鮮という印象でズバ抜けているが、果物でいえばもうひと息熟成度が足りない。また魚でいえばもうひとつ脂の乗りが足りない、とでもいいたい音がした。
 その点、鮮度の良さではL07Dに及ばないが、よく熟した十分のうま味で堪能させてくれたのがエクスクルーシヴP3だ。だが、鮮度が生命の魚や果物と違って、適度に寝かせたほうが味わいの良くなる肉のように、そう、全くの上質の肉の味のするのがEMTだ。トーレンスをベストに調整したときの味もこれに一脈通じるが、肉の質は一〜二ランク落ちる。それにしてもトーレンスも十分においしい。リン・ソンデックは、熟成よりも鮮度で売る味、というところか。
 マイクロの二機種は、ドリップコーヒーの豆と器具を与えられた感じで、本当に注意深くいれたコーヒーは、まるで夢のような味わいの深さと香りの良さがあるものだが、そういう味を出すには、使い手のほうにそれにトライしてみようという積極的な意志が要求される。プレーヤーシステム自体のチューニングも大切だが、各社のトーンアームを試してみて、オーディオクラフトのMCタイプのアームでなくては、マイクロの糸ドライブの味わいは生かされにくいと思う。SAECやFRやスタックスやデンオンその他、アーム単体としては優れていても、マイクロとは必ずしも合わないと、私は思う。そして今回は、マイクロの新開発のアームコード(MLC128)に交換すると一層良いことがわかった。
 
 単に見た目の印象としての「デザイン」なら、好き嫌いの問題でしかないが、もっと本質的に、人間工学に立脚した真の操作性の向上、という点に目を向けると、これはほとんどの機種に及第点をつけかねる。ひとことでいえば、メカニズムおよび意匠の設計担当者のひとりよがりが多すぎる。どんなに複雑な、あるいはユニークな、操作機能でも、使い馴れれば使いやすく思われる、というのは詭弁で、たとえばEMTのレバーは、一見ひどく個性的だが、馴れれば目をつむっていても扱えるほど、人間の生理機能をよく考えて作られている。人間には、機械の扱いにひとりひとり手くせがあり、個人差が大きい。そういういろいろな手くせのすべてに、対応できるのが良い設計というもので、特性の約束ごとやきまった手くせを扱い手に強いる設計は、欠陥設計といえる。その意味で、及第点をつけられないと私は思う。適当にピカピカ光らせてみたり、ボタンをもっともらしく並べてみたりというのがデザインだと思っているのではないか。まさか当事者はそうは思っていないだろうが、本当によく消化された設計なら、こちらにそういうことを思わせたりしない。
 そういうわけで、音質も含めた完成度の高さではP3。今回のように特注ヘッドシェルをつけたり、内蔵ヘッドアンプを使わないために引出コードも特製したりという異例の使い方で参考にしたという点で同列の比較は無理としてもEMT。この二機種の音質が一頭地を抜いていた。しかし一方で、操作性やデザインの具合悪さを無理してもいいと思わせるほど、隔絶した音を聴かせたマイクロ5000の二重ドライブを調整し込んだときの音質の凄さは、いまのところ比較の対象がない。とはいってもやはり、この組合せ(マイクロ5000二重ドライブ+AC4000または3000MC)は、よほどのマニアにしかおすすめしない。
 これほどの価格でないグループの中では、リン・ソンデックの、もうひと息味わいは不足しているが骨組のしっかりした音。それと対照的にソフトムードだがトーレンス+AC3000MCの音もよかった。またケンウッドの恐ろしく鮮明な音も印象に深く残る。
(その23)での冒頭で引用した、瀬川先生によるEMT 930stの試聴記。
この文章こそ、瀬川先生の音の好みを知る上で好適と言えよう。
     ※
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。ことに優れているのが、例えばオーケストラのバランスと響きの良さ。まさにピラミッド型の、低音から高音にかけて安定に音が積み上げられた見事さ。そしてヴァイオリン。試聴に使ったフォーレのソナタの、まさにフォーレ的世界。あるいはクラヴサンの胴鳴りが弦の鋭い響きをやわらかく豊かにくるみ込んで鳴る美しさ。反面、ポップスのもっと鋭いタッチを要求する曲では、ときとしてL07Dのあの鮮鋭さにあこがれるが、しかし一見ソフトにくるみ込まれていて気づきにくいが、打音も意外にフレッシュだし、何よりもバスドラムの重低音の量感と、皮のたるんでブルンと空気の振動する感じの低音は、こんな鳴り方をするプレーヤーが他に思いつかない。
なお、試聴には本機専用のインシュレーター930−900を使用したが、もし930stをインシュレーターなしで聴いておられるなら、だまされたと思って(決して安いとはいえない)この専用台を併用してごらんになるよう、おすすめする。というより、これなしでは930stの音の良さは全く生かされないと断言してもよい。内蔵アンプをパスするという今回の特殊な試聴だが、オリジナルの形のままでもこのことだけは言える。
     ※
「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の記事の冒頭、「テストを終えて」という文章が掲載されている。

ここで「良くできた製品とそうでない製品」の音を、「果物や魚の鮮度とうまさ」に例えられている。
ステレオサウンド 55号の「ハイクォリティプレーヤーの実力診断」の記事中で、
トーレンスのTD126MKIIICのところで、こんなことを、瀬川先生は書かれている。
     ※
今回の試聴盤の中でもなかなか本来の味わいの出にくいフォーレのVnソナタなどが、
とても優雅に、音楽の流れの中にスッと溶け込んでゆけるような自然さで鳴る。
反面、ポップス系では、同席していた編集の若いS君、M君らは、
何となく物足りないと言う。その言い方もわからないではない。
     ※
SさんとMさんは、ステレオサウンド 56号での、
トーレンスのリファレンスの新製品紹介記事(これも瀬川先生が書かれている)でも登場する。

リファレンスは、TD126同様、フローティングプレーヤーではあるが、その機構はまったくの別物。

TD126がコイル状のバネで、比較的十慮の軽いフローティングボードを支えているのに対し、
リファレンスでは、ベースの四隅に支柱を建て、板バネと金属ワイヤーによる吊下げ式となり、
プレーヤー本体の重量も、TD126が14kg、リファレンスは90kgと、
構造、素材の使い方、まとめ方など、異る代物といえる。

リファレンスは、ワイヤーの共振点を変えられるようになっていた。
瀬川先生は、試聴記のなかで、いちばん低い周波数に設定したときが好ましかったが、
ここでも編集部のSさんとMさんは、その音だと、ポップスでは低音がゆるむから、と、
高い周波数にしたときの音の方がいい、と言っていた、と書かれていた(はず)。

ここでも、瀬川先生は、やわらかく、くるみ込むような低音を好まれていることが、はっきりとわかる。
フェログラフはイギリスのオーディオメーカーで、日本に紹介されたのは、スピーカーシステムのS1と、
オープンリールデッキのStudio 8(本格的なコンソール型で、価格は1980000円)ぐらいだけだろうか。

S1は、価格的にはスペンドールのBCIIと同クラスのスピーカーシステムで、
ユニット構成は、ウーファーにKEFの楕円型ユニットB139、スコーカーは12cm口径のプラスチックコーン型、
トゥイーターはドーム型で、クロスオーバー周波数は、400Hzと3.5kHz。
縦にラインのはいったサランネットと、白く塗装された一本脚のスタンドが外観上の特徴となっている。

S1の音について、瀬川先生は、「ステレオのすべて '73」では、
低音のうんと低いところがふくらみ、そのため、他のスピーカーと並べて聴くと、
S1だけ低音が別に出てくる。だぶついているという受け取り方もあるくらい、と述べられている。

さらに中域については、うまく押えられている、と言われ、
それに対し菅野先生は、押えられているというよりも足りない、と指摘され、
具体例として、ソニー・ロリンズのテナーサックスが、アルトになるという感じがある、
図太い音楽があきらかに痩せてしまう、と。

その点は瀬川先生も認められている。
高いほうもややしゃくれ上った、いわゆるドンシャリの高級なやつというふうに、
S1の全体のイメージを表現されている。

そんなS1の、中域の薄さを補う意味で、ダイナコとオルトフォンを選択されている。

つまりS1の組合せにおいて、低音のふくらみに関して、どうにかしようとは考えておられないことがわかる。

おそらく傅さんだけでなく、クラシック好きのひとでも、
S1とダイナコの組合せの低音を「ゆるい」と感じられる方がいても不思議ではない。
この項の(その35)を読まれた傅さんから、すぐにメールをいただいている。

傅さんが、マークレビンソンのML7Lの購入のために手放されたオーディオ機器がリストアップされていた。

そのなかにフェログラフのS1があった。
「例のスピーカーですね」というコメントがついていた。
その下には、ダイナコの管球式のモノーラルパワーアンプのMark IIIがあり、
「これはS1との組合せを瀬川先生が推薦されていましたが、
ポップスでは低音が緩かったです」と書き加えられていた。

フェログラフのS1にダイナコのMark IIIとは、意外な感じがして、
何に掲載されていたんだろうか......、と思っていたら、
実は、この組合せも、「ステレオのすべて '73」で紹介されていたものだった。

コントロールアンプには、やはり管球式のラックスのCL35/IIを使われている。
プレーヤーは、トーレンスにオルトフォンの組合せだ。

参考までに書いておく。

フェログラフ S1(135000円×2)
ラックス CL35/II(98000円)
ダイナコ Mark III(56000円×2)
トーレンス TD125(88000円)
オルトフォン SPU-GT/E(27500円)
オルトフォン RS212(26000円)

傅さんも、これに近い組合せで、鳴らされていたわけだ。

「ステレオのすべて '73」は、25年ほど前にいただいた本、それをいまになって、きちんと読み、
知りたいと思っていたことが、そこに書いてある。
まさに「灯台下暗し」だし、当時は、いただいた本が、いまこんなにも役立つことになろうとは、
当然だけど、まったく想像できなかった。
伊藤先生からいただいた本だから、ずっととっておいていたわけだ。
自分で購入したものだったら、かなり以前に処分していただろう。

そう思うと、本一冊のことではあるが、縁の不思議さを感じている。
「ステレオのすべて '73」は、伊藤アンプに関心のある人にとっては、特別な号であるはず。

私が持っている「ステレオのすべて '73」は伊藤先生からいただいたもの。

伊藤先生の「ステレオアンプ逸品料理論」が載っている。
シーメンスのオイロダイン用に製作されたウェスタン・エレクトリックの300Bのシングルアンプ、
それにコントロールアンプが発表された号だからだ。
(記事の扉には、伊藤先生のサインもいただいている。)

うれしくて、伊藤先生の記事は何度も読み返したのに、
我ながら不思議なのだが、他の記事はほとんど読んでなかった。

他のことで調べものをしたくてひっぱり出してきた「ステレオのすべて '73」に、
瀬川先生のことで確認したかった発言が載っているとは、まったく思っていなかった。

だから本をぱっと開いたところに、引用した言葉を見つけたとき、
何がどこでどうつながっているのか、まったく予測できないと思った次第である。

「ステレオのすべて '73」は、私のところにあるオーディオの雑誌のなかでは、いちばん古い。
まだ、マッキントッシュのC22とMC275が現役なのにも、すこし驚く。
記事によると、アメリカでは数年前に製造中止になっているが、日本からの要望で注文生産しているとある。

参考までに価格を書いておくと、C22が286000円、MC275が349000円。
すでにC28とMC2105も販売されていて、こちらは336000円と434000円となっている。

広告を見ていくと、タンノイの輸入元はシュリロ貿易だし、
クライスラー電気のページには、リビングオーディオの文字があり、
「リビングオーディオ」がクライスラーのブランド名だったこともわかった。
瀬川先生の音の好みについて、どうしても確かめておきたいことがあった。
低音に関して、である。

低音に関しては、それが下品にならなければ、洗練されているのであれば、
ふくらんでも良しとされる、というよりも、どちらかというと、量感豊かでふくらむのも、
もしかしたら好まれているのではないか、と思ってきた。

愛用されてきたEMTの930st、SAEのMark2500だけでなく、
瀬川先生が好まれるオーディオ機器のなかには、スリムという一言では片付けられないモノがいくつもある。

だから、ずっと低音のふくらみについて発言されていないのか、さがしていた。

1972年暮に、音楽之友社から出た「ステレオのすべて '73」で、
瀬川先生と菅野先生、それに長岡鉄男氏の鼎談が載っている。

そこで「ふくらみ方が、低音のうんと低いところでふくらむのはかまわない。
中域でふくらむのはいやなんだ」と語られている。

この発言のすこし前には、さらに
「いい方によってはふくらむというような鳴り方、
あれはむしろぼくにとっては非常に快い」とまで言われている。

やっと見つけた、と思っている。
同時に、灯台下暗しだった、とも思っている。
瀬川先生が、病室で飲まれたホワイト&マッケイの話を、
当時オーデックスに勤められていたYさんから聞いたとき、
そして、そのことを「瀬川冬樹氏のこと(その16)」に書いたとき、
この水こそが、瀬川先生にとってのコントロールアンプなのではないか、と思っていた。

長い間寝ていた酒を起こす水の役割──、
レコードやテープに収められている(寝ている)音楽を、すくっと起こす役割を担っているのが、
コントロールアンプの存在意義のように感じはじめていた。
瀬川先生が、ベストバイのマイベスト3に、マークレビンソンのML2Lを選ばれていないことについては、
「思い出した疑問」にも書いている。

ML2Lの音は、それまでのA級動作のアンプの音が、やわらかく素直で透明な音というイメージを覆してしまった。
それほどスピーカーとの結合が密になった感じで、全体的な音の形は、贅肉をまったく感じさせないスリムさで、
スピーカーに起因するユルさまでもタイトに締め上げているような、強烈な印象を持っている。

線が細く、スリムでタイト。なめからで透明であることを徹底して追求し、
音が下品にふくらむことを拒否したところは、そのまま瀬川先生の音の好みともいえるし、
4350や4343をML2Lを6台用意して、低域をブリッジ接続にしてバイアンプで鳴らした音が、
まさにそうであろう。

なのにML2Lを選ばれていないのは、なぜなのか。

瀬川先生がML2Lを導入される前に使われていたパワーアンプは、SAEのMark2500である。
そのときのアナログプレーヤーは、EMTの930st。

どちらも低域の豊かさは、他の機種からはなかなか得られないよさであり、
ピラミッド型の、安定した音のバランスは、聴き手をくるみ込む。

ステレオサウンド 55号のアナログプレーヤーの試聴記事で、
瀬川先生は、930stの低音を「いくぶんしまり不足」と表現されている。

55号のマイベスト3に挙げられているパイオニア/エクスクルーシヴP3についても、
「ひとつひとつの音にほどよい肉付き感じられ、弾力的で、素晴らしく豊かな気分を与える」と、
930stとともに高く評価されている。

パワーアンプのマイベスト3は、ルボックスのA740、マイケルソン&オースチンのTVA1、
アキュフェーズのP400で、
ML2Lの、タイトで無駄な肉付きのない音は反対の、
エクスクルーシヴP3に通じる、美しい響きをもつモノを選ばれている。
夕方に、Kさんから電話があり、瀬川先生もトーンアームの高さ調整には、ずいぶん神経を使われていたことを聞いた。

やはり瀬川先生も、レコードの厚みがかわることで、
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが変ってしまうことを指摘されており、
その都度調整されていたとのこと。

さらにレコードには、実効垂直録音角がある。

意外に思われるかもしれないが、1960年代まで、レコード会社によって、実効垂直録音角はまちまちだったらしい。

実効垂直録音角とは、ラッカー盤にカッティングする際、
カッター針の動きそのままの溝が、最終的に刻まれるわけではない。

もちろんカッター針で刻んだ直後は、針の動きそのままだが、
ラッカー盤の弾性によって、すこし元に戻ってしまう。いわば溝が変形してしまうわけだ。

この現象は、CBSが発見している。

これにより、垂直録音角がずれてしまう。
どの程度のズレが生じるかというと、ウェストレックスのカッターヘッド3Dだと、垂直録音角は約23度。
それが0度から1度程度になってしまう。この値が実効垂直録音角となる。
つまり22度ほど戻ることになる。

ヨーロッパのレコード会社で使われていたノイマンのカッターヘッドの垂直録音角は0度で、
実効垂直録音角は約−10度だと言われていた。

これだけまちまちだと、カッターヘッドの実効垂直録音角と
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが一致せず、
垂直信号に第2次高調波歪、混変調歪が発生、
左右チャンネル間での周波数変調歪、クロストークが発生するといわれ、
正確なピックアップは望みようもないため、
RIAAとIECによって、実効垂直録音角を15度に統一するように勧告が出された。

シュアーのV15の型番は、このヴァーティカルトラッキングアングルが15度であることを謳っているわけだ。

このようにレコードの実効垂直録音角は、ほぼ15度に統一されたわけだが、
レコード会社によって、じつはわずかに異る。
といっても以前のようにバラバラではなく、15度から大きくても20度までにおさまっていると聞いている。

だから厳密には、レコードのレーベルが違えば、厚みは同じでもトーンアームの高さ調整、
つまりカートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルを調整すべきである。

Kさんの話では、瀬川先生は、お気に入りのレコードでは、最適と思われる角度(高さ)を見つけ出されて、
1枚1枚ごとにメモされていた、とのことだった。

最良のヴァーティカルトラッキングアングルを見つけるにはどうしたらいいかというと、
レコードの最内周での音で決める。

レコード内周ではトラッキングが不安定になり、音像定位も不確かになってくる。
だから最外周と同じような音像定位の明確さと、フォルティシモでのトレースの安定度、
ビリツキのなさ、混濁感の少なさに耳の焦点を合わせれば、
馴れもあるけれど、最良の高さにするのは、それほど難しいことでもない。

そういえば、瀬川先生がデザインに関われていたというオーディオクラフトのAC3000 (4000) シリーズは、
高さ調整を容易にするために、目盛りがふってあったはずだ。
CDジャーナルでの連載「素顔のままで」のなかで、傅さんが瀬川先生のことを書かれている号がある。
2002年1月号である。

夢の話からはじまる、この号のエッセイは、FMfan への想いが綴られている。
     ※
もともとわたしはFMfanの読者だった。瀬川冬樹さんというオーディオ評論家の発言と美しい文章が好きで、今回はどんなことをお書きになっていらっしゃるのか、瀬川冬樹さんの連載ページを毎号楽しみにFMfanをめくっていた。それともうおひとかた、黒田恭一さんの記事。それは「かたかな」が多い独特な文章なのだが、かたかなの数よりも黒田恭一さんが語る音楽への愛情のほうがはるかにたっぷりと溢れていた。
     ※
傅さんも、やはり同じだったんだ、と思う。傅さんも、早瀬さんも私も、瀬川先生の熱心な読者である。

読者であった、と過去形では書かない。
いまも、何度も読み返したことによって得たものは、個々人の中で息づいているからだ。

1979年の訪問記事のことについても触れられている。
     ※
インベーダー・ゲーム流行真っ盛りの時、FMfan誌の企画でオーディオ評論家の先輩4人を訪問してインタビュー記事を作ったことがある。わたしは岡俊雄先生と話したかったが岡先生はFMfanの筆者ではないから願いは却下され、常連筆者の、瀬川冬樹さん、菅野沖彦さん、長岡鉄男さん、それと上杉佳郎さん4人のそれぞれリスニングルームを訪問した。上杉さん宅のある神戸・三宮を東京から日帰りしたのがきつかったのをよく覚えている。菅野さんは色男でやたらめったらお話がおもしろく、自宅にインベーダー・ゲームの機械を買っていて、特殊なプレイを披露してくださった。あこがれの瀬川さんに会えたわたしは緊張と興奮の波にもまれ、なかなか話が引き出せずにいて、瀬川宅を辞したのは明け方の4時だった。インタビューの途中、ステレオサウンド誌の編集者から原稿催促の電話が入ったが、瀬川さんは今夜は何とかかんべんしてくれと頼んでいたのが聞こえた。長岡さんは、オーディオ雑誌の立場と読者の世代を把握して、オーディオ評論家は何を言うべきかというマーケッティングがしっかり出来ている評論家だなあと思った。賢い人だと思った。しかし賢くても嫌みはなくて、気のいい正直なおっさんでもあった。そして長岡宅でまいったのは、音の激しさと音の大きさだった。音楽とはあまりにもかけ離れた音世界。音楽と音とは別物であり、音は音として一人歩き出来るのだ......ということを長岡さんは真摯に追求していたのだと思う。
これら4人をインタビューしたあと、もっとも原稿を書くのに難航したのは瀬川冬樹さんのことで、わたしは瀬川さんのファンだったので書き難かったのだ。うーん、別の理由も思いつく。瀬川さんは話し言葉の何倍も書き言葉のほうが美しかったのではないだろうか。瀬川さんのファンだった、と過去形なのは、瀬川さんは癌で40歳代のうちに逝かれてしまった。瀬川さんが亡くなられたことを知らぬまま、福岡から東京に戻った夜、羽田空港からうちに電話すると、「もういっぱい電話がかかってきています。あなたの好きな瀬川先生が今朝亡くなられたのだそうです」と妻が言った。わたしは福岡の空港で買った生きた海老などお土産の全部を迎えに来てくれた友人にあげた。ギューッと胃が縮んでしまったからだ。
     ※
瀬川先生は、福岡、熊本のオーディオ店に招かれて、定期的に来られていた。
瀬川先生が倒れられた後、傅さんが代わりをやられていた。

福岡から東京に戻った夜、と書かれている。
この福岡行きは、瀬川先生の代わりだった......。
今年は、よく長電話している。長いときは2時間以上、短いときでも1時間は優に話している。
相手は傅さんと早瀬さん。話題は、やはりオーディオのこと。

1週間くらい前も、傅さんと電話で話していた。
瀬川先生の話になった。

傅さんと瀬川先生が会われたのは、FMfanの訪問記を含めて6回。
最初は池袋の西武百貨店のオーディオコーナーで、最後は九段坂病院にお見舞いに訪れたときだと聞いた。
その他の時のことも聞いた。

FMfanの取材のときの話も聞いた。
午後3時からはじまり、終了は10時間以上経っていたとのこと。
撮影の時間も含まれているとは言え、傅さんにとって、濃密で楽しい時間であり、
それこそ、あっという間に時間が経っていったのだろう。

瀬川先生と会われた回数は少ないものの、こういう経験されている傅さんは、幸福だと思う。
そして、もっともっと瀬川先生といっしょに仕事をされていたらなぁ......、とも思う。

話をしていたら、途中で「いまブルッときた」と傅さんが言われた。
瀬川先生を想い出してのことである。

同じことを、スイングジャーナルで、瀬川先生となんども仕事をしたKさんも、
やはり瀬川先生のことを話している最中に、「いまブルッときた」と言われたことがある。
4350は「この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬」であり、
「いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。
250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。
また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする」スピーカーであると、
瀬川先生は書かれている。

けれどマークレビンソンのML2Lのブリッジ接続で鳴らす4350の低音は、一変する。

「低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。
ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、
4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、
しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、
緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。」

このころ、ステレオサウンドの記事でも、4343を、ほぼ同じ構成で鳴らされている。
場所は、瀬川先生の、新居のリスニングルーム。

スピーカーが4350から、瀬川先生が愛用されていた4343に変わった以外は、
チャンネルデバイダーのLNC2Lが、JC1ACと同じく、2台用意して、
片チャンネルを遊ばせてのモノーラルでの使用である。

プレーヤーもマイクロの糸ドライブと同じだが、
記憶では、ステレオサウンドの記事では、
トリオから発売されていた、セラミック製のターンテーブルシートを併用されていたはずだ。

4350、4343をML2L、6台で鳴らされた経験のあとに、ベストバイ特集のステレオサウンド 55号が出ている。
瀬川先生は、パワーアンプのマイベスト3に、ML2Lを選ばれていない。
情報量という言葉を、はやい時期から使われていたのは井上先生だと、3週間ほど前に書いているが、
瀬川先生も、ほぼ同じころに、「情報量」を使われている。

ステレオサウンド 39号に掲載された「ふりかえってみるとぼくは輸入盤ばかり買ってきた」で、使われている。
     ※
直径30センチの黒いビニールの円盤に、想像以上に多くの情報量が刻み込まれていることは、再生機の性能が向上するにつれて次第に明らかになる。
     ※
情報量を、オーディオで使いはじめた人は、いったい、誰なのだろうか。いつから使われているのだろうか。

タンノイの代名詞となっている「いぶし銀」という表現も、誰が使いはじめたのだろうか。

五味先生の「西方の音」を読んでいると、「トランジスター・アンプ」の章に、いぶし銀そのものの表現ではないが、
ほぼ同じ意味合いの言葉が出てくる。
     ※
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる......そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     ※
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

となると五味先生の著書に登場される新潮社のS氏(齋藤十一氏)かもしれない。

いずれにしろ「英国の教養ある音」に使われていた形容詞が、
いつのまにかタンノイの代名詞へとなっていったわけだ。
まっさらの新品の4350から、いきなり、まともなチェンバロの再生ができるわけがない、
そう思われる方もおられるだろう。
     ※
JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
     ※
スイングジャーナルの記事には、こう書かれている。
最新の4350AWXだからと、いうこともあろう。

けれど、これほどうまく鳴ったのは、まっさらの新品だから、であろう。

レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」(残念ながら一回だけで終ってしまった)の結びは,次のとおりだ。
     ※
あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(ソープランド)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた......とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     ※
おそらくサンスイのショールームで鳴らされた4350は、いろんな人が鳴らされたのであろう。

愛情を込めて鳴らされた人もいれば、即物的に鳴らされたこともあるはず。
特定の人が、無理なく自然に鳴らしてきた4350ではない。

幾人もの手垢のついた4350が、スレてきていたとしても不思議ではない。
そういう4350だったら、瀬川先生も、ずいぶんと苦労されたであろう。

封を切ったばかりの4350だったからこそ、誰の手垢もついてないからこそ、
瀬川先生の鳴らしかたに、素直に反応してくれたのだろう、といったら、すこし擬人化しすぎだろうか。
瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。

だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。
スイングジャーナルの試聴室にて、鳴り響いた音を、瀬川先生はこう書かれている。
     ※
本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう......劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
     ※
この日、鳴らされたレコードは、記事には、2枚だけ表記してある。

「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52)

試聴が終ったのが、深夜1時ごろだったと、Kさんから聞いている。
だから、最初にかけられたチェンバロのレコード、それに上記のレコード以外にも、
かなりの枚数のレコードをかけられたはすだ。

そのなかの1枚がアース・ウィンド&ファイヤーの「太陽神」である。

瀬川先生が、Kさんに「最近、どんなレコードを聴いているんだ?」とたずねられたとき、
彼が取り出してきたのが「太陽神」であり、かなり気にいられた、とのことだ

「太陽神」のエピソードは、ステレオサウンドに書かれている。

世田谷・砧の新居のリスニングルームで、
4343をマイケルソン&オースチンのモノーラルのパワーアンプM200を鳴らされたときのことだ。

ステレオサウンドの52号のセパレートアンプの特集号の巻頭エッセーをお読みいただきたいが、
あるオーディオ関係者が瀬川先生のお宅を訪ねられたとき、
ちょうど「太陽神」をものすごい音量で鳴られていたときで、
遮音には十分な配慮が施されたリスニングルームにも関わらず、外までかなり大きい音が洩れていた、
そして、その人はなんど玄関の呼出しのベルを鳴らしても、瀬川先生が気づいてくれなくて、
「太陽神」が鳴り終るまで、玄関で待っておられた、こんなことを書かれていた。

M200はEL34を8本使用した、かなり大規模な構成で、
出力は型番が示すように200W(Aクラス動作にすることも可能で、その時は60W)。

このとき瀬川先生のリスニングルームで鳴っていた音も、「劇的なひとつの体験」だったのだろう。
サンスイのショールールで4350を鳴らされたのは、6月13日の金曜日。
スイングジャーナルの試聴室で鳴らされたのは、その後で、
Kさんによると蒸し暑い日で、梅雨に入ったかどうかということだから、6月下旬だろうか。

瀬川先生以外に、試聴に立ち合ったのは、Kさんと、当時のJBLの輸入元だったサンスイJBL課の増田氏だけ。

Kさんによると、「精緻で近寄り難い荘厳な響きが、今も耳に残っている」とともに、
ML2L、6台の発熱量はハンパじゃなく凄まじく、試聴室のエアコンでは追いつかず、
3人とも団扇を扇ぎながら聴いていたことも、つよく印象に残っているとのことだ。

この日、Kさんは、瀬川先生からチェンバロの再生に関しての、
大切な要素や注意点などについて教えを受けた、と言っていた。

この日の組合せだ。

カートリッジ オルトフォン MC30 ¥99.000
トーンアーム オーディオクラフト AC-4000MC ¥67.000
ターンテーブル マイクロ RX-5000/RY-5500 ¥430.000
ヘッドアンプ マークレビンソン JC1AC ¥145.000×2
チャンネル・デバイダー マークレビンソン LNC2L ¥630.000
プリアンプ マークレビンソン ML6L ¥980.000
パワーアンプ マークレビンソン ML2L ¥8000.000×6
スピーカー JBL 4350AWX ¥850.000×2
計¥8.996.000
「JBL#4350を鳴らした話」では、夕方6時から8時までの2時間の予定ではじまった、
このときの試聴会では、のこり30分となったときに、チェンバロをかけられている。
     ※
与えられた八時まであと三十分あまりというあたりから、どうやらカンどころが掴め始めた。ハルモニアムンディの、少し古い録音だがバッハのチェンバロ協奏曲(ニ短調。レオンハルトとコレギウム・アウレウム。ドイツ原盤)を鳴らすころから、会場がシンとしてきた。スピーカーの鳴らす音に、どことなく血が通うような気がしてきた。アルゲリッチの新しい録音(ショパンのスケルツォ第二番。独グラモフォン原盤)を鳴らし、この日の会の進行役N君の持ってきたカウント・ベイシーの新録音から一曲聴き終ったら、N君が思わず拍手した。素敵なクラブで素敵な一曲を聴き終った、そんな気分がけっこう出てきたのである。
     ※
ひどい状態で鳴っているときのJBLで聴くチェンバロの音は、まさしく「聴くに耐えない」音の代表である。
チェンバロ特有の響きに耳をすましている聴き手を、容赦なく音の棘が引っ掻いていくからだ。

サンスイのショールームでは手応えを感じられてきたときに鳴らされたチェンバロを、
スイングジャーナルの試聴では、最初に、である。

だから、スイングジャーナルでの4350の組合せの取材に立ち合っていた、なんと幸運な友人のKさんの話を聞いていて、
すこし意外に感じながらも、そういうことなのかな、と納得もしていた。
虚構世界の狩人」に所収の、「JBL#4350を鳴らした話」では、
西新宿に当時あったサンスイのショールームでのことを書かれている。

そのしばらく後に、スイングジャーナルの記事でも、4350を、
マークレビンソンのML2L、6台で鳴らされている。

もちろんバイアンプ駆動で、ウーファーはML2Lのブリッジ接続。
4350は、2231Aのダブル構成なのでインピーダンスは4Ω。
このときのML2Lブリッジの出力は200Wに達する。
ウーファーの駆動だけで、左右チャンネルでML2Lが4台必要になり、消費電力は1台あたり400W。

4350の中高域は高能率ということと、ML2Lの、おそろしく滑らかな質の高さ、透明度の高さを損なわないように、
ブリッジ接続ではなしで、1台ずつ。これで6台、消費電力の合計は2400W。

これにML6L、JC1AC(これもモノーラル使い)、LNC2(これは2台用意できなかったようだ)、
アナログプレーヤーのマイクロのRX5000/RY5500の消費電力が加わると、2500Wぐらいになろう。

これだけの電力を確保するために、試聴は夕方からはじめ、
そして試聴に立ち合う編集者以外は、みな早めに帰宅してもらい、
試聴室以外のコンセントからも、電源をとったときいている。

瀬川先生が、この組合せで最初にかけられたのは、チェンバロだったとのこと。
(昨夜、友人のKさんから、この話を聞いていた。残念ながら曲名、演奏者名などの詳細は忘れてしまったらしい)

おそらく、この時期、ステレオサウンドの試聴でも使われていた、
プヤーナのチェンバロによるクープランのクラヴサン曲集だと思う。
サプリーム「瀬川冬樹追悼号」に、長島先生は書かれている──
     ※
僕は、そのとき、不覚にもずいぶん裕福な人だなとうらやましく思ったのだが、その後付き合いが重なるうちに、彼が、どんな想いでこれらの製品を買っていったのかがわかるのである。
彼は、決して裕福などではなかったのである。
彼の家は、年老いた母君と、まだ幼い妹さんとの三人暮しであった。日本画家であった父君とはなにかの理由で早くに別れられていたのだ。一家の生活は、一手に彼が背負っていたのである。そのなかで、これらの製品を購っていくことは、どれほど大変なことだったろう。しかし、彼は、そのことを一度たりとも口にしたことはなかった。以上の事情は、付き合いが深くなるにつれて、自然とわかってきたことなのである。
彼の晩年も、けっして幸福なものではなかった。人一倍苦しく、つらい想いをしている。しかし、昔と同じに、苦しさ、つらさを絶対に口にすることがなかったのである。
     ※
苦労やつらさは、顔や態度、そして言葉に、ややもすると出てきてしまいがちだ。

瀬川先生と何度かお会いしている。けれど、そんな印象はまったく受けなかった。
柔和な表情が、瀬川先生の第一印象として、いまも私の中に残っている。
ステレオサウンド 62、63号の瀬川先生追悼特集記事を読んで、だから驚いた。

なぜ、ここまでそういったことを表に、いっさい出されなかったのだろうか。
瀬川先生の美学ゆえだったのだろうか......。

瀬川冬樹の凄さである。
マーク・レヴィンソンは、書いている。

「日本文化のひとつの側面は、禅の教えです。瀬川さんのおっしゃる言葉には、禅の教えのように、心を打つものがありました。もちろん、おっしゃったことが正しかったからですが、それよりも私が非常に重要だと思うことは、氏のおっしゃり方、言われた人に伝わるそのお気持」にあるとしている。

レヴィンソンは、瀬川先生の一言で、「もっと内なる真実」を見つめることになる。
1982年には、さらにローコスト化を図ったML11LとML12Lが出てきた。
コントロールアンプのML12Lは、電源部を持たず、ML11Lから供給を受けるようになっていて、
それぞれ72万円という価格がつけられ、個別に売られているものの、基本的には組合せで使うものとなっていた。
これが、MLナンバーのついた、最後のアンプというのは、さびしいし、かなしい。

瀬川先生は、ML11LとML12Lはもちろん、ML9LとML10Lの存在もご存じないだろう。

1981年8月6日、ステレオサウンド創刊20周年記念号の取材中に倒れられ、翌7日に再入院されている。
亡くなられたのは、ちょうど3ヶ月後の11月7日の、午前8時34分。

レヴィンソンは、瀬川先生に、これらのアンプの存在を知られたくなかったのではないのか。
私は勝手にそう思っている。間違いないと思っている。

そしてこのころ、LNP2Lにも変化があった。
インプットアンプのゲイン切替えが、初期のモデルと同じ、0、+10、+20dBの3段階に戻されている。
別項の「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていたが、
使い難さを指摘されながらも、+30、+40dBの5段階にしていたのは、
レヴィンソンにとっての、求める音のためであったのだろうし、
それを使いやすさのためだけに(私はそう思う)、音の冴えが損なわれるポジションのみとなったこと──、
すでにマークレビンソンというブランドは、レヴィンソンの手を確実に離れつつあった。
1981年の秋には、マークレビンソンから、ML9LとML10Lが発売された。
当時の価格は、どちらも85万円。普及価格帯の製品ではないが、
マークレビンソンとしては、初の価格を意識したアンプである。

このペアが、ステレオサウンドの誌面に登場したときは、まだ読者だった。
正直、落胆した記憶がある。マークレビンソンらしくないアンプだと感じたからだ。

ML9LとML10Lは、マドリガル体制になってからの、初のアンプでもある。
ただ、このことを知ったのは、数年後だった。

アンプの開発には、それなりの時間が必要だから、ML9LとML10Lを企画したのは、
事業経営に忙殺されていたレヴィンソンだったのか、マドリガルの首脳陣だったのかは、はっきりしない。

私にとって、マークレビンソンのアンプは、こちら側から近づいていく存在であり、
価格を抑えることで、向こうからこちらにすり寄ってきてほしくはない。

ステレオサウンドに入ったころは、傅さんが、ML7Lの購入を決意されていた頃でもある。
傅さんが、どれほどML7Lに惚れ込まれていたのかを、みて知っている。

頭金をつくるために、愛着のある、手もとに置いておきたいオーディオ機器の処分を決意され、
どれを手放さなければならないのか、リストアップされていたのを知っている。
支払いの計算も、用意できる頭金の額によって、いくつも計算されていた。

お金のなる木をもっている人ならば、ポーンと即金で買えるだろう。

だが、そんなものは、世の中にはない。傅さんも持っていなかったし、私も持っていない。

だから、MLナンバーがつく、マークレビンソンのアンプを購入するということは、苦労が伴う。

そうしてでも手に入れる価値あるアンプだと、私は思っていたから、
言葉にしなかったが、傅さんには共感していた。心強く思ってもいた。

念願のML7Lを手に入れられた傅さんは、輸入元による付属のウッドケースが気にいらず、
オリジナルの、白木のウッドケースを取り寄せられている。

だから、ML9L、ML10Lが登場したとき、瀬川先生はなんとおっしゃるのか、それがとにかくも知りたかった......。
マーク・レヴィンソンは、このとき、瀬川先生のお宅の「壁ぎわに、古い小さなピアノがあるのに気がつき」、
10分間ほど、仕上げたばかりの自作の曲を弾いている。

弾き終ったレヴィンソンに、
「演奏中は、お顔の表情がまったく違っていましたよ。大変おくつろぎのご様子で、本当に幸せそうでした」と
瀬川先生はおっしゃったそうだ。

この瀬川先生の言葉を、レヴィンソンは「忘れることができないであろう一言」と、表している。

この瞬間(とき)、レヴィンソンは、「私の人生には音楽しかなく、会社経営とか技術という分野は元来、
自分の領域ではない、という私にとって動かしがたい真実」を、悟ったと書いている。
「真に幸せであるためには、いかなる変化が要求されようとも、私が生きていくためには、
音楽のためにより多くの時間と、空間を創り出すことが絶対に必要であること」も思い出している。

LNP2やJC2、ML2が高い評価を受けるとともに、会社も急激に大きくなり、
レヴィンソンの「心は事業経営に忙殺され」、音楽に費やす時間が、反比例して減っていく。

成功とともに失ったものに気づき、「音楽に再び帰るべきこと」を、
レヴィンソンは、瀬川先生の「思いやりのある言い方」で決心したのだろう。

瀬川先生は、「茶目っ気たっぷりの目をクリクリさせながら」言われたそうだ。
暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンブを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80の、ほんとうの音だと、わたしは信じている。
 誤解しないで項きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたま良い音で鳴ったというだけの話である。しかしわたくし自身はこの体験を通じて、アンプというもののありかたを自分なりに理解できたつもりであり、また同時に、無責任な「技術の進歩」などという言葉をたやすくは信じなくなった。
     ※
ステレオサウンドの7号(1968年)に、瀬川先生が書かれた文章である。

瀬川先生が理解された「アンプのありかた」、AXIOM80が啓示した「アンプのありかた」──、
これらのことが、瀬川先生とLNP2との出合いにつながっていく。

サプリーム

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サプリームの奥付には、昭和48年12月28日 第三種郵便認可とある。
ということは図書館にもあるのかな、と思っていたら、
さきほど若い友人のKOさんが、神奈川県立川崎図書館にあることを知らせてくれた。

瀬川冬樹追悼号の144号も、もちろんあったとのこと。

おそらく国会図書館にもあることだろう。

すべての図書館にあるわけではないだろうが、
いちどお近くの図書館で検索されてみてはいかがだろうか。
ステレオサウンドの44号、45号は、「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」と題し、
61機種のスピーカーシステムをとりあげている。

その中にKEFの105が含まれている(45号に掲載)。

瀬川先生の試聴記を書き写しておく。
     ※
一年以上まえから試作品を耳にしてきたが、さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品だけのことはある。どんなプログラムソースに対しても、実に破綻のない、ほとんど完璧といいたいみごとなバランスを保っていて、全音域に亘って出しゃばったり引っこんだりというような気になる部分はほとんど皆無といっていい。いわゆるリニアフェイズ型なので、設置および聴取位置についてはかなり慎重に調整する必要がある。まずできるかぎり左右に大きくひろげる方がいい。少なくとも3メートル以上。スピーカーエンクロージュアは正面を向けたままでも、中音と高音のユニットをリスナーの耳の方に向けることができるユニークな作り方だが、やはりウーファーごとリスナーの方に向ける方がいいと思う。中〜高域ユニットの垂直方向の角度も慎重に調整したい。調整がうまくゆけば、本当のリスニングポジションはは、ピンポイントの一点に決まる。するとたとえば、バルバラのレコードで、バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する。かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。
     ※
そして45号には、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。
マーク・レヴィンソンは、1982年に、追悼文を書いたと、サプリームの発行日からも、そう思われる。

サプリームの「瀬川冬樹追悼号」を、私はいま読んでいる。そのことを幸運だと思ってもいる。

82年春に読んでいては、レヴィンソンにとって、1981年がどれだけ大変な1年であったのかが、
その時は伝わってこなかった情報によって、わからなかったからだ。

1981年は、瀬川先生の死だけではなく、彼自身の会社(MLAS=Mark Levinson Audio Systems)が、
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズのマネージメント下におかれることになり、
マーク・グレイジャー、フィリップ・ムジオ、サンフォード・バーリンによって、
すべてのエンジニアリングは管理・指揮されるシステムへと変わっていたのだ。

そして1984年、マーク・レヴィンソンは、MLASを離れる。
社名も、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズ・インクとなり、
マークレビンソンはブランド名となってしまう。

なぜ、この年だったのか......。
契約上、決ってきたことなのか、それとも他に理由があるのか。

私は思う──、1983年秋に、LNP2の製造が打ち切られている。
この決定によって、レヴィンソンは、自らつくった会社を離れる決心をしたのだ、と。
レヴィンソンが、瀬川先生と最後にあったのは、ひな祭りのときだとあるから、
1981年3月ごろのことだろう。

レヴィンソンは、この時、MLASの販売部長のリンダ・マリアーノと、
瀬川先生の新築なったばかりの、世田谷に建てられた、瀬川先生のリスニングルームを訪ねている。

「相当の労力が注ぎ込まれたことは明らかであり、設計や建築にあたって、
細心の行きとどいた配慮がなされていること」が一目瞭然の、
その「簡素で優雅なたたずまい」のリスニングルームに、ふたりは感銘を受けている。

さらに「このような品位の高さは、氏自身の資質をそのまま反映したもの」とも言っている。

このリスニングルームで、瀬川先生の音を聴き、いくつかの新旧のオーディオ機器の比較試聴をすることで、
ふたりとも「同じような聴き方をしているように」感じ、
「また録音や機器の評価の観点が、まったく同じであること」に、気づく。

瀬川先生の所見は「正鵠を得たもの」とし、このとき瀬川先生が語られた言葉は
「音楽の再生という仕事──の本質について、
生涯を賭した深い省察と緻密な研究にうらづけられた、真髄を衝いたもの」だったとしている。
「瀬川さんと私のめぐりあいは、私が1975年、日本を初めて訪問したときのことでありました。」

マーク・レヴィンソンは、瀬川先生への追悼文「出合いと啓示」を、こう書き出している。

レヴィンソンは、1949年、カリフォルニア州オークランドで生まれているから、25、26歳だったわけだ。
すでにLNP2を発表していたし、この年、JC2とLNC2を出している。

この時の出合いでは、レヴィンソン自身が若すぎたためと言葉の壁があり、
瀬川先生の本質を十分に理解できなかった、としている。

それでも瀬川先生のことを「優しさと重厚さが稀有な結びつきを示した、おだやかな人柄」と評している。

その後、レヴィンソンは日本を訪れるたびに、瀬川先生と会い、
レヴィンソンにとって、瀬川先生は、
「もっとも鋭敏な感性と豊かな敬虔を兼ね備えたオーディオ界の巨匠の一人として、
当時、この複雑にして精緻な世界に、ほとんど経験もなく、ただ理想に燃えて足を踏み入れた
若輩の私に多くの啓示を与えてくれた」人であった。

瀬川先生が亡くなられる6年の間、「お互いが同じ言葉が話せたら、もっとたくさんのことを、
オーディオ以外の人の世の様々なことを、語り合うことができるのに」という瀬川先生の想いを、
レヴィンソンは、いつも気づいていた。

残念なのは、瀬川先生とレヴィンソンが、オーディオ以外のことで、
お互いが心を触れ合うようになったのは、最後に訪ねたときだった......。
「器も味なり」には、聴き方に作法があるということ、
作法が必要であり、その作法が音の美を生み出すのだということを、
瀬川先生は語られたかったのではないかと思えてしまう。

「器も味なり」は、オーディオ機器におけるデザインのことだけを指しておられるのではない。
「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。」

長島先生が、サプリームに書かれている。
ほんとうにそのとおりだ。
傅さんが貸してくださったサプリームを、今日も読んでいた。

「ナマ以上に美しい音」「器も味なり」、
このふたつの言葉を、「そうだ、そうだった!!」と思い出した。
つよく感化されてきた言葉を、すこし忘れかけていたようだ。

巷でPCオーディオと呼ばれているものについて、傅さんと何度か電話で話している。
しっくりしないものを感じていることもあって、話が長くなる。

サプリームを読んで気がついた。
「器も味なり」、このことが欠けているのだ。

瀬川先生は、なんと仰るだろうか。
サプリーム3月号 No.144のタイトルは、「ひとつの時代が消えた 瀬川冬樹追悼号」だ。

目次を書き写しておく。

池田 圭:瀬川冬樹の早年と晩年「写真の不思議」
上杉佳郎:瀬川冬樹とオーディオ・アンプ「その影響、その功績」
岡 俊雄:瀬川冬樹との出合い「"虚構世界の狩人"の論理」
岡原 勝:瀬川冬樹との論争「音場の、音の皺」
貝山知弘:瀬川冬樹の批評の精神「その論評は、常に"作品"と呼べるものだった」
金井 稔:瀬川冬樹とラジオ技術の時代「いくたりものひとはさびしき」
菅野沖彦:瀬川冬樹とその仕事「モノは人の表われ
高橋三郎:瀬川冬樹とオーディオの美「音は人なり」
長島達夫:瀬川冬樹と音楽「孤独と安らぎ」
坂東清三:瀬川冬樹と虚構の美「器も味のうち」
前橋 武:瀬川冬樹と熊本大学第二外科「昭和55年12月16日 午前8−午後5時」
皆川達夫:瀬川冬樹とわたくし「瀬川冬樹氏のための"ラクリメ"」
山田定邦:瀬川冬樹とエピソード「三つの印象」
レイモンド・クック:「惜しみて余りあり」
マーク・レヴィンソン:「出合いと啓示」

弔詞:原田 勲/柳沢巧力/中野 雄
サプリームと聞いて、トリオ(現ケンウッド)が、1966年に発表した、
コントロールアンプと6チャンネル分のパワーアンプ、それにチャンネルデバイダーを、
ひとつの筐体に内蔵した、マルチアンプ対応のプリメインアンプ、
Supreme 1を思い出す人のほうが多いかもしれないが、
サプリームは、そのトリオが毎月発行していたオーディオ誌の名前でもある。

サプリームの存在は学生のころから知っていた。

KEFのレイモンド・E・クックとマーク・レヴィンソンが、瀬川先生への追悼文を書いていたことも知っていた。
しかし、当時、書店に並んでいるオーディオ誌はひとつ残らず読んだつもりだったが、
クックとレヴィンソンの追悼文が載っている本は手にしたことがなかった。

サプリームに、どちらも載っていたのである。

「サプリームだったのか......」──、
日曜日の夜、傅さんからの電話で、やっと知ることが出来た。
「あの時と同じ気持ちだ」──
今日、届いた本を読んでいたら、そう想えた。

ちょうど27年前、ステレオサウンドで働きはじめたばかりの私に出来た仕事は、
原稿を取りに行ったり、試聴の手伝いをしたり、
そしていまごろ(2月の半ば過ぎ)は、写植の会社から上がってきた版下をコピーにとり、校正作業だった。

ステレオサウンド62号と63号には、瀬川先生の追悼特集が載っている。

版下のコピーで、読む。
校正作業なので、「読んで」いてはいけないのだが、読者となって読んでいた。

その時の気持ちだった。

読み耽っていた。
気がついたら正座して読んでいた。

44ページしかない、薄い、中とじの本は、「サプリーム」3月号 No.144。
瀬川冬樹追悼号だ。
石清水を入力したのに、出てきたのは濁水だった......。
そこまでひどいアンプは、当り前だが存在しない。

でも石清水の味わいが失われて、蒸留水に近くなったり、
蒸留水に、ほんのわずかだが何かが加わって出てくる。
そういう精妙な味わいの変化は、アンプの中で起こっている。

完全な理想のアンプが存在しない以上、
アンプの開発者は、なにかを優先する。

ある開発者は、できるだけアンプ内で失われるものをなくそうとするだろう、
また別の開発者は、不要な色づけをなくそうとするだろう。

もちろん、その両方がひじょうに高いレベルで両立できれば、それで済む。
現実には、特にマーク・レヴィンソンがLNP2に取り組んでいたころは、
失われるものを減らすのか、それとも色づけをなくしていくのか、
どちらを優先するかで、つねに揺れ動いていても不思議ではない。

ふたつのLNP2を聴いて、私が感じていたのは、そのことだった。

バウエン製モジュールのLNP2は、失われるものが増えても、色づけを抑えたい、
マークレビンソン製のモジュールのLNP2Lは、できるだけ失われるものを減らしていく、
そういう方向の違いがあるように感じたのだった。

LNP2Lは失われるものが10あれば、足されるものも10ある。
LNP2は足されるものは5くらいだが、失われるものは15ぐらい、
少し乱暴な例えではあるが、わかりやすく言えば、こうなる。

水の話をしてきたから、ミネラルウォーターに例えると、
LNP2Lは硬水、LNP2はやや軟水か。水の温度も、LNP2Lのほうがやや低い。

これは、どちらのLNP2が、アンプとして優れているかではなく、
オーディオ機器を通して、音楽を聴く、聴き手の姿勢の違いである。

音楽と聴き手の間に、オーディオ機器が存在(介在)する。
その存在を積極的に認めるか、できるだけ音楽の後ろに回ってほしいと願うのか、
そういう違いではないだろうか、どちらのLNP2を採るか、というのは。

そして、LNP2Lを通して足されるものに、黒田先生は、
マーク・レヴィンソンの過剰な自意識を感じとられたのではないのか。

足されるものは、聴き手によって、演出になることもあるし、邪魔なものになる。

瀬川先生は、LNP2Lによって足されるものを、積極的に評価されていたのだろう。
だからこそ、アンプをひとつ余計に通るにも関わらず、バッファーアンプを搭載することに、
積極的な美(魅力)を感じとられた、と思っている。

だからML7Lが登場したとき、
黒田先生は、積極的に認められ導入されている。
瀬川先生は、ML7Lの良さは十分認めながらも、音楽を聴いて感じるワクワクドキドキが薄れている、
そんなことを書かれていたのを思い出す。

JBLの2405とピラミッドのT1Hの試聴記も思い出してほしい。
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、
今回これを除いてほかに一機種もなかった。していえばその低音はいくぶんしまり不足。
その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、
しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     ※
ステレオサウンド 55号のプレーヤーの比較試聴記事で、
瀬川先生のEMT 930stについて、上のように書かれている。

SAEのパワーアンプMark 2500についても、低音の豊かさの良さを指摘されていた。

瀬川先生がお好きだった女性ヴォーカルの、アン・バートンとバルバラ。
ふたりとも細身で透明で、ちょっと神経質だけど、どこかしっとりと語りかけるような歌い方をする。
体形の話をすれば、ふたりともグラマラスではなく、ほっそりと柳腰という印象。

ほっそりのアン・バートンとバルバラ、低音の量感豊かな930stとMark 2500。

どちらも、瀬川先生は好まれていた。
EMTについては、たびたび「惚れ込んでいる」、と書かれていた。

瀬川先生の出されていた音、求められていた音を考える上で、見逃せないことのように思う。
瀬川先生が愛用されていたJBLの4341を譲り受けられたMさん曰く
「新品のスピーカーだと、最初の音出しをスタート点として、多少良くなったり悪くなったりするけど、
全体的に見れば手間暇かけて愛情込めて鳴らしていけば、音がよくなってくる。
けれど瀬川先生の4341は、譲り受けて鳴らした最初の日の音がいちばん良くて、
徐々に音が悪くなる、というか、ふつうの音に鳴っていく」。

そんなバカなことがあるものか、気のせいだろうと思われる方もいて不思議ではない。

でも、瀬川先生の遺品となったJBLの4345も、そうなのだ。

瀬川先生が亡くなられて1年弱経ったころ、サンスイのNさんが編集部に来られたときに話された。
「瀬川さんの4345を引き取られたIさん(女性)から、すこし前に連絡があってね。
ある日、4345の音が急に悪くなった、と言うんだ。故障とかじゃなくて、
どこも悪くないようなんだけど、
いままで鳴っていた音が、もう出なくなったらしい」。

これも、やはり瀬川先生が亡くなられて半年後のことだったらしい。

半年で、瀬川先生が愛用されていたスピーカーに込められていた神通力、
それがなくなったかのように、どちらもふつうの4341、4345に戻ってしまったようだ。

西新宿にあったサンスイのショールームで行なわれていた瀬川先生の試聴会、
それもJBLの4350を鳴らされたときに行った人の話を聞いたことがある。
「がさつなJBLのスピーカーが、瀬川さんが鳴らすと、なんともセンシティヴに鳴るんだよね」。

「音は人なり」と言われはじめて、ずいぶん、長い月日が経っている。
けれど、何がどう作用しているのかは、誰もほんとうのところはよくわからない。

真に愛して鳴らしたモノには、少なくとも何かが宿っているのかもしれない。
瀬川先生の4ウェイ・スピーカー構想は、フルレンジから始めるか、
2ウェイから、なのかによって、ユニットの選択肢が変わってくる。

2ウェイからはじめるのであれば、タンノイやアルテックの同軸型ユニットも候補となる。
タンノイだと25cm口径のモノ、当時だとHPD295Aだ。
アルテックだと......、残念ながら30cm口径の605Bもラインナップから消えていたし、
25cm口径の同軸型は最初から存在しない。

もっとも6041の例があるから、システム全体は大型化するものの、604-8G (8H)からのスタートもあり、だろう。

もっとも、この場合、タンノイにしてもアルテックにしても、
同軸型のトゥイーターは最終的には、ミッドハイとなる。

こんなふうに、当時はHiFi Setero Guide を眺めながら、いろんなプランを、私なりに考えていた、
というよりも妄想していた。

スピーカー・システムというように、ひとつのパーツから成り立っているわけでなく、
いくつかのユニットとエンクロージュア、ネットワークなどの、「組合せ」である。

アナログ、CDのプレーヤー、アンプ、スピーカー・システムの組合せからオーディオが成り立っているのと同じように、
スピーカー・システムもアンプそれぞれも、すべて組合せである。

アンプは、増幅素子(真空管やトランジスター、ICなど)、コンデンサー、抵抗などの組合せから成り立っているし、
回路構成にしても、ひとつの組合せである。

さらに言うならば、スピーカー・ユニットにしても、振動板、エッジやダンパー、
マグネットを含む磁気回路、フレームなどからの組合せである。

オーディオに求められるセンスのひとつは、この「組合せ」に対するものではないだろうか。
瀬川先生の4ウェイ・スピーカーの構想で、ウーファーを加えた時点でマルチアンプ駆動にするのは、
ウーファーに直列に入るコイルの悪影響を嫌ってのことである。

同時に、同じブランドのユニットでシステムを構成するのではなく、
ブランドもインピーダンスも能率も大きく異る点も含まれる混成システムでは、
マルチアンプにしたほうが、ネットワークの設計・組立てよりも、ある面、労力が少なくてすむ。
もちろん多少出費は、どうしても増えてしまうけれども。

出発点だったフルレンジ用にミッドバス用のキャビネットを用意すれば、エンクロージュアの無駄も出ない。

最後に、ミッドハイを加えて、4ウェイ・システムが組み上がる。

もちろんステップを踏まずに一気に4ウェイに取り組んでもいいし、
最初は2ウェイで始めてもいいだろう。

とはいえ、最初にフルレンジだけの、つまりネットワークを通さない音を聴いておくことが、
この瀬川先生の4ウェイ構想の大事なところだと、記事を読んで10年後くらいに気がついた。
昨年11月7日の瀬川先生の27回忌に集まってくださった方みんなが知りたかったこと、
けれども誰ひとり知らなかったこと──、瀬川先生のお墓のことだった。

それから1カ月半、12月も終ろうとしていたある日、わかった。
なんとか年内のうちに墓参に行きたかったが、暮ということもあり、
どうしても都合がつかない人のほうが多く、年明けに行くことになった。

みなさんの都合から、今年の2月2日になった。
瀬川先生の妹・櫻井さんも来てくださった。

櫻井さんは、瀬川先生の著書「オーディオABC(共同通信社刊)」のイラストを描かれている方だ。

ステレオサウンドの原田勲会長も来られた。私も含めて7人。
寒い日だったが、晴天だった。東京は、翌日、朝から雪が降りはじめ、積もっていった。

ひとりひとり墓前で手を合わせ、心のなかで瀬川先生に語りかけられている。
みなさんのうしろ姿を見ていた。

私は、他の方たちとは違い、瀬川先生と仕事をしたわけでもないし、長いつきあいがあるわけでもなし、
熊本のオーディオ店で、何度かお会いしただけ(顔は憶えてくださっていた)だから、
語りかけることがあろうはずがない。

だから、瀬川先生の墓前で、私はあることをひとつ誓ってきた。
ラックスのアームレスプレーヤーのPD121をデザインされたのは瀬川先生だと、
一時期(4、5年ぐらい)、そう勘違いしていたことがある。

なにかの時に、「PD121は瀬川先生のデザインだ」という話が出て、それを信じていた。
瀬川先生のデザインと言われて、何の疑いも持たなかった。素直にそう思えた。
いまでも、そう信じてられる方もおられるが、
PD121のデザイナーは、47研究所の主宰者の木村準二さんである。

木村さんは、瀬川先生といっしょにユニクリエイツというデザイン事務所を興されている。
このときおふたりのもとで働いておられたのが、瀬川先生のデザインのお弟子さんのKさんだ。

木村さんから直接、Kさんからも、PD121は木村さんのデザインだと聞いている。

PD121のモーターは、テクニクスのSP10(最初のモデルの方)と同等品である。
同じモーターを使いながら、SP10の素っ気無く、暖かみを欠いている外観と較べると、
PD121の簡潔で大胆なデザインは、手もとに置いておきたくなる、愛着のわく雰囲気と仕上がりだ。

ステレオサウンド 38号を見ると、EMIの930stの他に、
瀬川先生は、PD121とオーディオクラフトのAC-300の組合せを使われていたのがわかる。
写真には、EMTのXSD15がついているのが写っている。

930stには、当然、TSD15がついてる。
なにも同じカートリッジを使われることはないのに、と思うとともに、
EMTに、そこまで惚れ込んでおられたのか、とEMTに惚れ込んだ一人として嬉しくなる。

エクスクルーシヴのP3とオーディオクラフトのAC-3000MCにつけられていたカートリッジは、
オルトフォンのMC30だったのかもしれないし、MC20MKIIだったのだろうか。
それとも、やはりEMTだったのか。
瀬川先生が、終の住み処となった中目黒のマンションで使われていたアナログプレーヤーは、
パイオニア/エクスクルーシヴのP3だ。

ステレオサウンド 55号のアナログプレーヤーの試聴記事において、P3について、
ひとつひとつの音にほどよい肉づきが感じられる、と書かれていたのを思い出す。
同時に試聴されたマイクロの糸ドライブ(RX5000+RY5500)とEMTの930stと同じくらい高い評価をされていた。

だから瀬川先生にとっての最後のアナログプレーヤーがP3であることは、自然と納得できる。
ひとつ知りたいのは、トーンアームについてだ。

P3オリジナルのダイナミックバランス型で、オイルダンプ方式を採用している。
アームパイプは、ストレートとS字の2種類が付属している。
パイプの根元で締め付け固定するようになっている。
同様の機構をもったトーンアームが、オーディオクラフトのAC-3000MCだ。
アームパイプは5種類用意されていた。

4端子のヘッドシェルが使えるS字型パイプの他に、ストレートパイプのMC-S、テーパードストレートパイプのMC-S/T、
オルトフォンのSPU-Aシリーズ専用のS字パイプのMC-A、EMTのTSD15専用のS字パイプのMC-Eだ。
アームパイプはいずれも真鍮製だ。

この他にも、あらゆるカートリッジにきめ細かく対応するために、軽量カートリッジ用のウェイトAW-6、
リンやトーレンスのフローティングプレーヤーだと、
標準のロックナットスタビライザーではフローティングベースが傾くため、軽量のAL-6も用意されていた。

出力ケーブルも、標準はMCカートリッジ用に低抵抗のARR-T/Gで、
MM/MI型カートリッジ用に低容量のARC-T/Gがあった。

AC-3000MC専用というわけではないが、
SPUシリーズをストレートアームや通常のヘッドシェルにとりつけるための真鍮製スペーサーOF-1、
やはりオルトフォンのカートリッジMC20、30のプラスチックボディの弱さを補強するための
真鍮製の鉢巻きOF-2などもあり、実に心憎いラインナップだった。

AC-3000MCの前身AC-300Cについて、
「調整が正しく行なわれれば、レコードの音溝に針先が吸いつくようなトレーシングで、
スクラッチノイズさえ減少し、共振のよくおさえられた滑らかな音質を楽しめる(中略)
私自身が最も信頼し愛用している主力アームの一本である」と、
ステレオサウンド 43号に、瀬川先生は書かれている。

AC-3000MCになり、完成度はぐっと高まり、見た目も洗練された。
レコード愛好家のためのトーンアームといえる仕上がりだ。

お気づきだろう、AC-3000MCのデサインは、瀬川先生が手がけられている。

オーディオクラフトからは、P3にAC-3000MCを取りつけるためのベースが出ていた。
おそらく瀬川先生はP3にAC-3000MCを組み合わされていたのだろう。
トゥイーターを追加した次のステップは、ウーファーの選択、追加、そしてマルチアンプ化である。

3ウェイにスーパートゥイーターを追加した4ウェイと、
ミッドバス専用ユニット搭載の4ウェイの大きな違いは、ウーファーのカットオフ周波数にある。

4343の、ウーファーとミッドバスのクロスオーバー周波数は300Hz、
3ウェイ・プラス・スーパートゥイーターの4ウェイだと、
ウーファーとスコーカーのクロスオーバー周波数は低くても500Hzより上、600だったり800Hzだったりする。

4333A(3ウェイ)の、ウーファーのカットオフ周波数は800Hzだ。
4350Aは、250Hzに設定されている。

どれも同じウーファー(2231A)なのに、3ウェイか4ウェイかで違うし、
4ウェイでもネットワークなのかバイアンプ駆動なのか、で異ってくる。

ウーファーのカットオフ周波数を低くしたとき、
ネットワークのコイルの値が大きくなることが問題となってくる。

4343では5.4mHのコイルが、ウーファーに対して直列にはいる。

空心コイルの場合、5.4mHのコイルに使用する線材の長さは、
コイルの内径、厚みによって多少変動するが、60m前後必要となり、
直流抵抗値は、線径が16AWG(1.02mm)だと、おおよそ1Ω、
すこし太い16AWG(1.29mm)で0.7Ω、14AWG(1.63mm)で0.5Ω弱となる。

鉄芯入りだともうすこしワイヤー長が短くできるが、今度は磁気歪みの問題がかわりに出てくる。
瀬川先生の4ウェイ自作スピーカー計画は、次にトゥイーターを足して2ウェイにする。
トゥイーターもいくつか候補を挙げられていた。
JBLの2405、075、KEFのT27、フィリップスのソフトドームなど、いろいろだ。

フルレンジユニットで、LE8Tにした人ならば、2405を選ぶだろう。
2405とLE8Tの能率の違いは、意外に大きい。
通常なら、2405にアッテネーターをかましてLE8Tとの音圧を調整するわけだが、
2405にコンデンサー(もちろん良質のものに限る)を1個だけ直列に接ぎ、
いちばん簡単なローカットフィルターをつくる。レベルコントロールは挿入しない。
2405の推奨クロスオーバー周波数は7kHz以上だから、8kHzから10kHzあたりでローカットするのが通常だが、
コンデンサー1個で、しかも能率差が大きいときは、あえて20kHz以上に設定する。
コンデンサーの容量は、けっこう小さいな値になる。

-6db/oct.というゆるやかなカーブでも、カットオフ周波数が高いおかげで、2405でも問題なく使える。

このテクニックについては、「HIGH TECHNIC SERIES」のvol.1に、瀬川先生が書かれている。
瀬川先生の、4ウェイの自作スピーカー計画の記事のオリジナルは、かなり以前に発表されたもので、
私が読んだのは、「HIGH TECHNIC SERIES」のvol.1のマルチアンプ特集のなかで、再度触れられていたものである。

フルレンジユニットを鳴らすことから始まるこの計画は、ステップを踏んで、
2ウェイ、3ウェイとすすみ、最後にマルチアンプ化とともに4ウェイとなるものだ。

フルレンジは、ヴォーカルの再現性に優れるものが多い、20cm口径前後のものを選択する。JBLのLE8T、
アルテックの755E、フィリップスのユニット、ダイヤトーンのP610、
2発使用を前提にジョーダンワッツのモジュールユニットなどをあげられている。

これらのユニットを、最終段階でウーファーを収める、要するに大型のエンクロージュアに取りつけるわけだ。

このフルレンジユニットは、最終的に、4ウェイに発展時にはミッドバスユニットにあたるわけだ。
だからといって、ミッドバスのバックキャビティの内容積(4343だと約14ℓ)だと、
最初の音が貧弱になることもある。
中途半端な大きさのエンクロージュアをつくると、無駄になることもある。
それらのことをふまえて、
横置きの、フロントバッフルが傾斜しているエンクロージュアをすすめられている。
バスレフ型である。

フルレンジからスタートすることは、ネットワークを通していない音に馴染む意味でも、
いちど経験しておきたいことである。
先に書いているが、Model 19と604-8Hから、アルテックは、システムは2ウェイ構成ながら、
多素子のネットワークによって3ウェイ的レベルコントロールを実現している。

BBCモニターのようにレベルコントロールはないものもあるが、この多素子のネットワークで、
スピーカーシステムのトータルの周波数特性をコントロールする(ヴォイシング)手法は、
イギリスのスピーカーが、以前から得意としているところである。
BBCモニターもそうだし、タンノイのスピーカーもかなり以前からそうである。

Model 19の、レベルコントロールをいじったときの周波数特性が発表されている。
中域のツマミを反時計回りにいっぱいにまわし、高域のツマミを時計回りにいっぱいにまわす、
この時の周波数特性は2kHzが約10dB近く下がる。その上の帯域は徐々にレベルが上がる。

瀬川先生が、6041、620Bのレベルコントロールをどのように調整されたかはわからないが、
かなり大胆にいじっておられたことは書かれていた。
上の周波数特性からもわかるように、おそらく中域をかなり絞り、高域はある程度あげることで、
瀬川先生が苦手だった中域の張りの抑えられるとともに、
BBCモニター的なヴォイシングに、自然とそういう音にもっていかれたのだろうか。

実は、604-8KS(604-8Hのフェライトモデル)がはいった612Cを、一本だけ所有している。
モノーラル専用なわけで、同じようにレベルコントロールをいじっている。

瀬川冬樹氏のこと(その9)」に書いたように、
瀬川先生は620Bに、アキュフェーズC240とマイケルソン&オースチンのTVA1を組み合わされている。
架空の話になってしまうが、瀬川先生がクレルのPAM2とKSA100のペアを聴かれていたら、
絶対アルテックの620Bか6041と組み合わされていたはずだ。
このブログで、たびたび瀬川先生のことを書いている。
オーディオ好きの友人と話をするときも、瀬川先生の話題になることが、やはりある。

書いていて、話をしていて思うのは、まだまだ「瀬川冬樹」を語り尽くしていない、ということだ。
語り尽くすまで、語り尽くすために、人と会い、聞く、話す。そして書いていこう。

瀬川先生への追悼文の中で、菅野先生は
「僕が高校生、彼は僕より三歳下だから中学生であったはずの頃、
われわれは互いの友人を介して知り会った。いわば幼友達である。」と書かれている。

菅野先生は1932年9月、瀬川先生は1935年1月生まれだから、学年は2つ違う。
ということは、菅野先生が高校2年か1年のときとなる。

けれど、去年の27回忌の集まりの時、菅野先生が、
「瀬川さんと出会ったのは、ぼくが中学生、彼が小学生のときだった」と話された。
みんな驚いていた。私も驚いた。

27回忌の集まりは、二次会、三次会......五次会まで、朝5時まで6人が残っていたが、
「さっき菅野先生の話、びっくりしたけど、そうだったの?」という言葉が、やっぱり出てきた。

それからしばらくして菅野先生とお会いしたときに、自然とそのことが話題になった。

やはり最初の出会いは、菅野先生が中学生、瀬川先生が小学生のときである。
共通の友人とは、佐藤信夫氏である。
「レトリックの記号論」「レトリック感覚」「レトリック事典」などの著者で、佐藤氏だ。

佐藤氏の家に菅野先生が遊びに行くと、部屋の片隅に、いつも小学生がちょこんと正座していた。
大村一郎少年だ。いつもだまって、菅野先生と佐藤氏の話をきいていたとのこと。

何度かそういうことがあって、菅野先生が佐藤氏にたずねると、紹介してくれて、
音楽の話をされたそうだ。いきおい表情が活き活きとしてきた大村少年。

けれど3人で集まることはなくなり、菅野先生は高校生に。
ある日、電車に乗っていると、「菅野さんですよね?」と声をかけてきた中学生がいた。
中学生になった大村少年だ。

「ひさしぶり」と挨拶を交わした後、
「今日、時間ありますか。もしよかったら、うちの音、聴きに来られませんか。」と
菅野先生をさそわれた。

当時はモノーラル。アンプもスピーカーも自作が当然の時代だ。
お手製の紙ホーンから鳴ってきた音は、
「あのときからすでに、オームの音だったよ、瀬川冬樹の音だった」。

瀬川冬樹のペンネームを使われる前からつきあいのある方たち、
菅野先生、長島先生、山中先生、井上先生たちは、大村にひっかけて、
オームと、瀬川先生のことを呼ばれる。
瀬川先生自身、ラジオ技術誌の編集者時代、オームのペンネームを使われていた。

菅野先生と瀬川先生の出会い──、
人は出会うべくして出逢う、そういう不思議な縁があきらかに存在する。ほんとうにそう思えてならない。
今日で、瀬川先生が亡くなられて27年経つ。1年前は、27回忌だった。

26年という歳月は、
人が生れ、育ち、結婚し、子どもが生れ、家庭を築くにも十分な、そういう時間であ
る。
当時、瀬川先生より若かった人も、いまでは瀬川先生の年齢をこえている。

熊本のオーディオ店での瀬川先生のイベントに毎回かかすことなく通っていただけでなく、
毎回一番乗りだったし、最初のころは学生服で行っていたこともあり、顔を覚えてくださっていた。

私がステレオサウンドに入ったとき、すでに亡くなられていた。瀬川先生と仕事をしたかった、
と、思っても仕方のないことを、いまでも思う。

そんな私が、27回忌の集まりの幹事をやっていいものだろうか、
私がやって、何人の方が集まってくださるのか、そんなことも思っていた。

おひとりおひとりにメールを出していく。
メールを受けとられた方が、他の方に声をかけてくださった。

オーディオ関係の仕事をされている方にとって、この時期はたいへん忙しい。
にもかかわらず、菅野先生、傅さん、早瀬さんをはじめ、
瀬川先生と親しかった輸入商社、国内メーカーの方たち、
ステレオサウンドで編集部で、瀬川先生と仕事をされた方たち、
サンスイのショールームの常連だった方たち、
みなさんに連絡するまでは、数人くらいの集まりかな......、と思っていたのに
多くの方が集まってくださった。

幹事の私でも、初対面の方がふたり、
約20年ぶりにお会いする方がふたり、数年ぶりという方がふたり。

「おっ、ひさしぶり」「ご無沙汰しております」という声、
「はじめまして」という声と名刺交換が行なわれてはじまった集まりが、
26年の歳月を感じさせず、盛り上がったのは、みんなが瀬川冬樹の熱心な読者だからであろ
う。

集まりの最後、菅野先生が仰った、
「みんなの中に瀬川冬樹は生きている」

みんなが、この言葉を実感していたはず。
2年前の11月6日、そのころはmixiに登録していたので、そこそこ利用していた。
mixi内に瀬川先生のコミュニティがあるのは知っていたが、参加者も少なく、
発言もほとんどないので登録することはなかったが、
この日は、ふと、もしかして、と思いがあって、のぞいてみた。

参加者がひとり増えていることに気がついた。
そして、その人のハンドルネームと写真(加工してあったが)を見て、
すぐに「あっ、Kさんだ」と気がついた。

ステレオサウンドにも、スピーカーの自作記事を書かれていたし、
資料的価値の高いイラストも描かれていた人で、
瀬川先生のデザインのお弟子さんだ。

ステレオサウンドを辞めて以来だから、ほぼ20年ぶり。
さっそくmixiを通じてメッセージを送った。
Kさんの連絡先はわからなくても、mixiに登録しているだけで連絡がとれる、ありがたい。
返事がとどいた。憶えていてくださった。

それから、Kさんを通じて、サンスイに勤務されていて、
西新宿にあったショールームで、
瀬川先生、菅野先生のイベントを企画されていたNさんの連絡先もわかった。

それから2ヶ月後には、やはりmixiを通じて、
オーデックスに勤められていたYさんとも連絡がとれた。

みなさん、瀬川番と呼ばれていた方たちだ。

インターネットの普及と、その力のおかげだが、不思議なものである。

明日、11月7日は立冬。
瀬川冬樹先生の命日だ。
27年前のいまごろ、瀬川先生が最期に口にされたお酒は、
ホワイト&マッケイの21年もの、だと、
当時、ロジャースの輸入元だったオーデックスに勤められていたYさんから聞いたことがある。

医師の許可をとられて、病室で口にされている。
これがどういうことか、瀬川先生ご本人がよくわかっておられたであろう。

ホワイト&マッケイの21年ものは、瀬川先生の希望だ。
しかも、21年ものは、お酒が寝ているから、それを起こすための水も必要だ、と言われ、
水(ミネラルウォーター)の指定も出されたそうだ。

ホワイト&マッケイはスコッチ・ウィスキー。スコットランドであり、
スコットランドにはLINNがある。
当時オーデックスはLINNも輸入していた。

Yさんは、LINNのアイバー・ティーフェンブルン氏に連絡したところ、
ホワイト&マッケイの21年ものと指定のミネラルウォーターを、送ってくれたのではなく、
持ってきてくれたと聞いている。

病室でのお酒──、
瀬川先生がどんなことを考えておられたのか、
どういう想いだったのか、は、わからない。
左右のスピーカーと自分の関係が正三角形を形造る、いわゆるステレオのスピーカーセッティングを正しく守らないと、このスピーカーの鳴らす世界の価値は半減するかもしれない。そうして聴くと、眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する。いくらか線は細いが、音の響きの美しさは格別だ。耐入力はそれほど強い方ではない。なるべく良いアンプで鳴らしたい。
     ※
ステレオサウンド 43号に、瀬川先生はLS3/5Aについて、こう書かれていた。

一辺が1m未満の正三角形のセッティングで聴くLS3/5Aの音は、まさにこのままで、
ミニチュアの音像が見えるかのように定位する箱庭的世界は、他のスピーカーでは味わえない。

ただしウーファーのフラつきは絶対に避けるべきで、その意味ではCDになり、
より安定した音が容易に得られるだろう。

井上先生はQUADのパワーアンプ405との組合せを推奨されていた。
405は、あまり知られていないが巧みな低域のコントロールを行なっている。
小出力時はそのままだが、ある程度の出力になると、低域を適度にカットオフしている。
だからこそ、当時の技術で、あのサイズで、100W+100Wの出力を安定して実現できていた面もある。

この性能こそ、LS3/5A向きと言えよう。

私が聴いたなかで、強烈だったのが、GASのThaedra(ティアドラ)で鳴らした音だ。
ティアドラはコントロールアンプだが、ラインアンプの出力は、
8Ω負荷で約数W(うろ覚えだが3Wだったはず)をもつ。しかもA級動作で、だ。
スピーカー端子はないから、RCAプラグにスピーカーケーブルをハンダ付けして聴くことになる。

そこそこの音で鳴るかな、という期待は持っていたが、それを大きく上回る、
新鮮で、楽器固有の艶やかな音色を、過不足なく描写する。
LS3/5Aの線の細さが薄れるのは、人によって魅力がなくなったと感じるかもしれないが、
それ以上の瑞々しさに聴き惚れてしまう。気になるボケが感じられない。

ティアドラのラインアンプの出力は、トランジスターのエミッターからではなく、
コレクターからとり出している。このことも効いているのかもしれない。
周波数帯域以上にワイドレンジ化していると感じられるのが、昨今のオーディオの機器の価格の幅。

熊本のオーディオ店でのイベントで瀬川先生が、
オーディオ機器の価格帯についても、40万の法則と同じようなことが当てはまると、
と言われたのを思い出した。

当時はカタログ誌のハイファイ・ステレオガイドが出ていた。
これに掲載されているオーディオ機器の最低価格と最高価格の積の平方根が、
そのジャンルのオーディオ機器の中心価格であり、
その価格の前後の価格帯が、価格と音質向上の度合いが比例関係にある、という内容だった。

横軸を価格、縦軸を音質向上の度合いに設定したグラフを描くと、
中心価格帯のところは、45度以上の急な直線だが、
その価格帯を外れると、上も下もゆるやかなカーブに移行する。

中心価格帯からはずれた、より高額な価格帯は、カーブが寝てきて、
価格をかけた割にはそれほど音質は向上しない、つまり飽和状態に近くなるし、
また反対に下の価格帯にも同じことが言える、とも。

最近では、極端に高価格のモノが存在するが、
いちおう同価格帯でいくつもの候補が存在するまでを最高価格として、
最低価格は、オーディオマニアが使えるギリギリのモノとしてする。
今はカタログ誌がないから、価格の参考になるのは、冬に出るステレオサウンドのベストバイの号か。

ベストバイに選ばれた機種の最低価格と最高価格の積の平方根を、
それぞれのジャンルで出してみたあとで、どういうモノが選ばれているか、
製品分布はどうなっているかをチェックしてみるのもおもしろいだろう。


音楽之友社から1982年に出版された中野英男氏の「音楽 オーディオ 人びと」の
扉の写真は、瀬川先生が撮られたものだ。

巻末の『「あとがき」のあとに』を読むと、81年春の撮影で、
瀬川先生の愛機ライカSLIIで撮られたことがわかる。
瀬川先生は81年11月7日に亡くなられている。

中野氏がLPを両手で持たれている、その斜め後ろにEMTの927Dstが写っている。
いままでかけられていたLPをとりあげ、ジャケットにしまわれようとされているのだろう。
モノクロの、たった1枚の写真だが、瀬川先生が求められていた音を、
そこから感じとれる、と言ったらいいすぎだろうか。
4331Aについて井上先生は、ステレオサウンド 62号に
「システムとしては、バランス上で高域が少し不足気味となり、
3ウェイ構成が、新しいJBLのスタジオモニターの標準となったことがうかがえる」し、
4333Aについて「本格的な3ウェイ構成らしい周波数レスポンスとエネルギーバランスを持つシステムは、
4333Aが最初であろう」と書かれている。

瀬川先生は、41号に、「家庭用の高級スピーカーとしては大きさも手頃だし、
見た目もしゃれていて、音質はいかにも現代のスピーカーらしく、
繊細な解像力と緻密でパワフルな底力を聴かせる」L300の登場によって、
「4333の問題点、ことにエンクロージュアの弱体がかえっていっそう目立ちはじめた」と書かれている。

4331/4333から4331A/4333Aの変更点は、主にエンクロージュアにある。
使用ユニットにいっさい変更はない。
板厚が、43331/4333はすべて19mm厚だったが、フロントバッフル以外を25mm厚にしている。
バスレフポートが、4331/4333で、ウーファーの上部横だったのが、
ウーファーの斜下、エンクロージュアのかなり低いところに移動し、
ポートの径も多少小さくなっている。
2405の取付け位置もまた変更され、4320と同じ位置になっている。
こういった細かな改良を施したことによって「4333よりもL300が格段に良かったのに、
そのL300とくらべても4333Aはむしろ優れている」と瀬川先生は高く評価されている。

C50SMからスタートしたスタジオモニターは、4333Aとなり、
質の高いワイドレンジを実現したことになる。
瀬川先生は、定規やコンパスを使わずに、手書きでキレイな円を書かれていた、と
瀬川先生のデザインのお弟子さんだったKさんから聞いた。

訓練の賜物なのだろうが、そればかりでもないと思う。

紙に薄く下書きの線が引いてあったら、それをなぞっていけばいい。
そんな線がなくても、紙を見つめていると、円が浮んで見えてくるということはないのだろうか。

ナショナルジオグラフィックのカメラマンは、携帯電話についているカメラ機能でも、
驚くほど素晴らしい写真を撮ると聞く。
素晴らしいカメラマンは、ふつうのひとには見えない光を捉えているとも聞く。

卑近な例だが、友人の漫画家は、「うまいこと絵を描くなぁ」と私が感心していると、
「だって線が見えているから」と当り前のように言う。
イメージがあると、白い紙の上に線が見えてくるものらしい。

音も全く同じであろう。
聴きとれない音は出せない。

同じ音を聴いていても、経験や集中力、センス、音楽への愛情、理解などが関係して、
人によって聴きとれる音は同じではない。

そして見えない線が見えてくるように、いまはまだ出せない音、鳴っていない音を、
捉えることができなくては、まだまだである。
出てきた音に、ただ反応して一喜一憂しているだけでは、つまらない。
3年前くらいに思いついたが、まだ試していないイコライザーについて書いてみる。

帯域のバランスを簡単に変化させるのは、スピーカーについているレベルコントロールだろう。
最近のモデルは省いているものが多いが、3ウェイ、4ウェイとなるほど、
レベルコントロールは重宝するといえる。

レベルコントロールの調整といえば、瀬川先生のことが浮ぶが、
ステレオサウンド 38号に井上先生が次のように書かれている。
     ※
システムの使いこなしについては最先端をもって任ずる瀬川氏が、例外的にこのシステムの場合には、
各ユニットのレベルコントロールは追い込んでなく,
メーカー指定のノーマル位置であるのには驚かされた。
     ※
このシステムとは、JBLの4ウェイ・スピーカー、4341である。
その後に使われていた4343も、レベルコントロールはほとんどいじっていない、と
どこかに瀬川先生が書かれていたと記憶する。

そういえばKEFのLS5/1Aはレベルコントロールがない。そのことが不満だとは書かれていないはず。

LS5/1Aにしても、4341(4343)も購入されている。それは気にいっておられたわけだし、
長い時間をかけて鳴らしこめるわけだ。

瀬川先生がスピーカーのレベルコントロールを積極的に使われるのは、
試聴などで、短時間で、瀬川先生が求められる音を出すための手段だったようにも思える。

レコード芸術の連載で、スピーカーは最低でも1年間、できれば2年間は、
特別なことをせずに、自分の好きなレコードを、
ふだん聴いている音量で鳴らしつづけることが大切だと書かれている。

惚れ込んで購入するスピーカーなら、帯域バランスに関しても、
大きな不満を感じられることはなかっただろう。
だからこそ、レベルコントロールをいじらずに、大切に鳴らし込まれていたのだろう。

38号の写真を見ると、4341の下には板が敷かれているが、
板と板の間に緩衝材のようなものを見える。
このあたりの使いこなしは積極的に行なわれていたようだ。
明日からインターナショナルオーディオショウがはじまる。
晴海でオーディオフェアが開催されていたときの状況と比較すると、
試聴条件ははるかによくなっている。

けれども入りきれないほどの人が集まったブースでは、
なかなかいい音で鳴ってくれないし、ほかの理由で本領発揮できないスピーカーもあろう。

「オーディオ機器は自宅試聴しないとほんとうのところはわからない。
特にスピーカーはその傾向が強い」という人もいる。
なじみのオーディオ店(というよりも人だろう)があり、
関心のあるオーディオ機器を自宅で聴けるのなら、それに越したことはない。

あえて言おう。どんなにひどい音で鳴っていたとしても、
自分にとって運命のスピーカーというものと出合ったときは、すぐにわかるはずだ。

瀬川先生が以前言われていた。
「運命の女性(ひと)と出逢ったならば、そのひとがたとえ化粧していなくても、
多少疲れていて冴えない表情をしていたとしても、ピンとくるものがあるはずだ。
スピーカーもまったく同じで、
ひとめぼれするスピーカーなら、ひどい環境で鳴っていても惹かれるものがある」

瀬川先生の、この言葉は自戒も含まれているように思う。

1968年に山中敬三氏から、「お前さんの好きそうな音だよ」と声を掛けられて、
山中氏のリスニングルームでKEFのLS5/1Aを聴かれたが、
「この種の音にはどちらかといえば冷淡な彼の鳴らし方そのもの」だったし、
しかも山中氏のメインスピーカーアルテックA5の間に置かれ、
左右の距離がほとんどとれない状態での音出しも影響してか、
LS5/1Aの真価を聴きとれなかったことへの......。

とにかくショウの3日間、直感を大事にして音を聴いてほしい。

瀬川先生の鳴らされていた音を聴くことは、もうできない。
けれど、瀬川先生の愛聴盤を聴くことは、その音をイメージするきっかけになるだろう。

廃盤になっていたものも、CDで復刻されている。
ヨッフムのレクイエムも出ている。
     ※
そのせいだろうか、もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
     ※
はじまりの鐘の音が収録されていないCDも出ているが、
ここはやはり鐘の音が収録されているほうで聴きたい。
グラモフォンから発売されている。

エリカ・ケートの歌曲集も昨年、CDになった。
     ※
 エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
     ※
瀬川先生が書かれたものを読み返したり、
当時のステレオサウンドの試聴レコードのリストを参考にされれば、
どんなレコードを好んで聴かれていたかが、すこしだけだろうが、伝わってくる。

まだ手もとに届いていないが、バルバラのSACDも購入した。
バルバラの声が、SACDではどう響くのか、瀬川先生が聴かれたらなんと言われるか、
そんなことを想像して届くのを待つのも、じつに楽しい。

空想鼎談

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audio sharing で公開しているEMTの930stに関するユーザー鼎談は、
サウンドステージ誌の1992年秋号に掲載されたものである。

登場人物は、清滝錬一郎、久和亮平、吉田秋生の3氏。
この記事を audio sharing で公開しているため、
私がこの中の一人だと思われた方もいるかもしれない。

もう16年経ったから言ってもいいだろう。
3人とも私である。誰一人として実在しない。
私の中にある、いくつかのものを脹らませて、930stについて語った次第だ。

瀬川イズムの吉田氏、SUMOのThe Powerを愛用する久和氏、シーメンスのスピーカーの清滝氏──。

私自身も930stを使っていた。
正確にはトーレンス・ヴァージョンの101 Limited、シリアルナンバー102で、
最初に入ってきた2台のうちの1台。
シリアルナンバー101がいい、と言ったけど、「これは売らない」と言われ、102になった。
101 Limitedのシリアルナンバーは101から始まっている。
シリアルナンバー101と102は、トーンアーム929のパイプが黒色塗装。
その後、927Dstに買い替えのため手放した。

シーメンスのスピーカーも使っていた。
清滝氏と同じオイロフォンと言いたいところだが、コアキシャル・ユニットだ。
これを、ステレオサウンドの弟誌サウンドボーイが取材用に製作した平面バッフル、
ウェスタンの平面バッフルを模したもので、米松の1.8m×0.9mの大きさ。
これを6畳間にいれていたこともある。
エッグミラーのアッテネーターも使っていた。

SUMOのアンプは、The Powerではなく、The Goldを愛用していた。
瀬川先生が、熊本のイベントで、トーレンスのリファレンスのときに使用されていたのが、
The Goldだったことも、このアンプを選択したことにつながっているのかもしれない。

これらの断片から生れたのが、930stのユーザー鼎談で、
第二弾、第三弾として、4343篇、300B篇も考えていたが、諸般の都合で1回だけで終了となった。

瀬川先生は、レコードをターンテーブルに置かれた後、
必ず人さし指と中指で、レーベルのところをちょんと、軽く押えられる。
ターンテーブルに密着させるためではなく、
レコードに「今日もいい音(音楽)を聴かせてくれよ」という呼びかけのような印象を、
その行為を見ていて、私はそう感じた。

これを見た、その日からさっそくマネしはじめた。
その他にも、カートリッジをレコードに降ろすとき、
右手の小指はプレーヤーのキャビネットに置き右手の動きを安定させる。
カートリッジの針がレコードの盤面に近づいたら、
ヘッドシェルの指掛けから、指を素早く離す。
針がレコードに触れるまで持っていると、レコードを逆に傷つけてしまうからだ。

しかも、瀬川先生はレコードのかけ替えの時、ターンテーブルはつねにまわっているままだ。
すっとレコードを乗せて、すっと取られる。ためらっていると、レコードは傷つく。

これももちろんマネした。
ずっとマネしていると、サマになる。

ステレオサウンドにいたとき、取材の試聴の時、つねにターンテーブルはまわしっぱなし。
一度もレコードを、そのせいで傷つけたことはない。
仕事で長距離の移動をされるとき、瀬川先生の旅の供は、
ステレオサウンドから、当時は年二回出ていたハイファイ・ステレオガイドと電卓だと、
ご本人からきいたことがある。

予算やテーマ(鳴らしたいレコードや、どんな音を出したいか)などを自分で設定して、
ページをめくり、このスピーカーに、あのアンプ、カートリッジはこれかな、と楽しくて、
いい時間つぶしになる、とのこと。

私も中学・高校生のとき、同じことをやっていた。
高価なオーディオ機器を、すぐに買えるわけではないけれど、
予算無制限だったら......、とか、現実的な価格での組合せや
自分ではあまり好んで聴かない音楽のための組合せだったら......、こんな感じで。

ただ当時のハイファイ・ステレオガイドは、
アルバイトのできない中学生には、かなり高価な本だった。

FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた

瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、

パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。 


LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。

しかも2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、

位相干渉による音像の肥大を防ぐために、3kHz以上では、

1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。

そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。 


専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、

瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。

いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。

その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。 


もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。

おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。 

さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。

これがうまくいったのかどうかはわからない。 


瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、

このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。


だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。


LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。

「なぜ、これだけなの?」と思ったのも、ほんとうのところである。 
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
瀬川先生の愛機のLS5/1A、LNP2L、A68を見た時に、
そう思い、なんともさびしい思いにとらわれた。 

それからしばらくして、4345がどこに行ったのかをきいた。
それでも、なぜ、これだけなのか、と当時はずっと思っていた。 
けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生にとっての愛機だったのだということである。

瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。


良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。

でも怪我をしたり、病気すると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。

だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。


なぜ最低条件かと言うと、

おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。

さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、

その存在を主張するし、存在を意識する。

良い音とは、そういうものだろう、ということだった。


瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、

失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。

S氏

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五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 
昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

ある組合せ

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スペンドールのBCII、ラックスのLX38、ピカリングのXUV/4500Q、 
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。 

熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。 
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
瀬川先生が「今日ここにあるオーディオ機器で、聴いてみたい組合せや機種はありますか」
と言われたので、真っ先に手を上げてお願いしたのが、上記の組合せである。 

このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
アンプもマークレビンソンのLNP2やSAEの2500、
カートリッジもピカリングの他に10機種ほど用意されていた。 

BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。 
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。 
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
当日も用意されていただけで鳴らされなかった。 

けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。
もっと高価な組合せもお願いできたけれども、
どうしても聴きたかったのは、この組合せで、
BCIIの音に惹かれていただけに、もっともっといい音でBCIIを聴きたい、と思って、である。 

「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
瀬川先生「これはひじょうにおもしろい組合せだ。ぼくも聴いてみたい組合せ」と言われ、
わくわくされている感じを受けた。 

そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。 

一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
ちょうど最前列の真ん中の席が空いていたので、そこに座られ、
瀬川先生のお好きなレコードを、もう1枚かけられて、
そのときの楽しそうに聴かれていた表情と、「玄人の組合せ」という褒め言葉が、
二重にうれしかった。 

なにせ当時高校2年生でしたから、
特に「玄人」という言葉が、うれしくてうれしくて、
ひそかに「才能あるんだな、オレ」と自惚れていました。 

「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
見事な組合せだ。BCIIとLX38がこんなに合うとは思わなかった」とも言われました。 

その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
カートリッジは異っていたけど、菅野先生も、BCIIとLX38を組み合わされている。

私にとって、いわゆる黄金の組合せ、もしくは三位一体の組合せ、である。
インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。 

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。 
この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、
カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。 

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。 
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」
と高く評価されている。 

インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
75年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、#104aBにモデルチェンジしている。
瀬川先生の終の住み処となった中目黒のマンションでのメインスピーカーは、JBLの4345。 
アナログプレーヤーは、パイオニア・エクスクルーシヴP3を使われていた。
アンプは、マーク・レビンソンのペアだと思っていた。
ML7Lのことも高く評価されていた(ただし、これだけでは満足できないとも書かれていたけど)し、
パワーアンプは、やはりレビンソンのML2Lだと、そう思いこんでいた。 

けれど、昨年11月の瀬川先生の27回忌の集まりの時に、
当時サンスイのAさんの話では、アキュフェーズのC240とM100の組合せだった、とのこと。 
たしかにステレオサウンドに掲載されたM100の新製品のページは瀬川先生が書かれていたし、
そうとう高い評価以上に、
その文章からは音楽に浸りきっておられる感じが伝わってきた、と記憶している。 
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
ステレオサウンドの記事で、世田谷のリスニングルームで行なわれた、
オール・マークレビンソン(ML2L、6台)で鳴っていた4343とは、もう別世界だろう。 

4343と4345の鳴り方の違い、
マークレビンソンのアンプとアキュフェーズのアンプの音の違い、
それから世田谷で使われていたEMT927Dstとマイクロの糸ドライブ、
それらとエクスクルーシヴP3の性格の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
SMEの3012R、JBLの4345、アキュフェーズのM100を記憶の中から呼び起こす。
そこに共通するものを感じるのは私だけだろうか。

五味先生とJBL

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五味先生のJBL嫌いは有名である。

ステレオサウンド刊の「オーディオ巡礼」に収められている「マタイ受難曲」の中では、こう書かれている。 
     ※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。 
 まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。 
     ※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
五味先生はパラゴンの姉妹機メトロゴンを所有されていた。しかも手放されることなく、である。 

五味先生がメトロゴンについて書かれていたのは見たことがない。
けれど、数カ月前、ステレオサウンドから出た
「往年の真空管アンプ大研究」の272ページの写真をみてほしい。
「浄」の書の下にメトロゴンが置いてあるのに気がつかれるはずだ。

ことあるごとにJBLを毛嫌いされていた。
けれど、新潮社刊「人間の死にざま」に、ステレオサウンドの試聴室で、
4343を聴かれたときのことが載っている。

     ※
原価で総額二百五十万円程度の装置ということになるが、現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せと社長(注:ステレオサウンドの、当時の原田社長、現会長)がいうので、聴いてみたわけである。なるほど、まことにうまい具合に鳴ってくれる。白状するが、拙宅の〝オーグラフ〟では到底、こう鮮明に響かない。私は感服した。 
(中略)
〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。(中略)楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。 
     ※
おそらく、このころであろう、ステレオサウンドの記事「オーディオ巡礼」で、奈良在住の南口氏のところで、4350の音を聴かれ、驚かれている。
さらに前になると、瀬川先生のところで、375と蜂の巣を中心とした3ウェイ・システムを聴かれ、
「瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
 ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。」
とステレオサウンド16号に書かれている。

1980年のことだから、ずいぶん昔のことだが、そのとき、感じていた、ある疑問を思い出した。
ステレオサウンドの夏号(55号)のベストバイの特集(このころベストバイは夏号だった)で、
各筆者がそれぞれのマイベスト3をあげられている。 
瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
コントロールアンプは、マークレビンソンのLNP2LとML6L、それにアキュフェーズのC240。
パワーアンプは、たしかアキュフェーズのP400に、マイケルソン&オースチンTVA1、
それにルボックスのA740だった(と記憶している)。 

プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。 

疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
なぜマークレビンソンのML2Lをあげられていないかだった。 
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
価格的に高価なものを除外されているわけでもないにも関わらず、ML2Lがない。 

このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
新シリーズに移行していたので、Mark2500がないのはわかる。 

ML2Lがないのはなぜ? 
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。

2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。


1981年(亡くなられた年)の春、 

スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。 


当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、 

取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、 

「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、 

アンプはマークレビンソンはもういい、 

マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、 

プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。 


そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、

最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、 

「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ......」と 

ぽつりとつぶやかれた、ときいた。 


そのすこし前に使われていたのは、JBLの4343に、 

マークレビンソンのアンプのペア、 

そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。 


JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、

表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。

たおやか

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瀬川先生の求められていた音を簡潔な言葉ひとことで表すと、
なんだろうと、ぼんやり考えていた。
 
洗練という言葉が好きだし、剥き出しの音は嫌いだ、と言われている。 
だから「洗練」でもいいのだろうけど、これだけだと足りないものを感じる。
もっと適確で簡潔な言葉はないだろうかとずっと思っていた。

「たおやか」である。 
私がイメージする瀬川先生の音を一言で表すなら、これである(いまのところ)。
ワイドレンジの話になると、周波数レンジのことばかり語られることが多い。 
けれども、ワイドレンジ再生とは、
周波数レンジとダイナミックレンジの両方をバランスよく広げることだと考える。 
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。 

このことを教わったのは、
ステレオサウンド43号の「故岩崎千明氏を偲んで」のなかの瀬川先生の文章。
そのところを引用する。 


岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」 
 岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の 
セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 
1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 


ただひとつ、時間、が必要なのだ。 
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。 
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) 
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。 
 ......こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間......そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに......。 
(中略) 
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 


使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも 
頻繁に語られているけども、 
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 
あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
ケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか......。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、
理解されていないように感じる)ことがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 

そして1年、できれば2年経ったあたりから、 
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。
オーディオ機器との出会いには、幸運なときもあれば、 
そうでないこともある。 

たとえば瀬川先生とマーク・レビンソンのLNP2との出会い。 
瀬川先生は、LNP2との出会いについて、次のように書かれている。 

−−−−−−−−− 
彼(註:山中敬三氏のこと)はこのLNP2を「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない......」と酷評していた。 
 ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。 
 あとで考えると、大きなチャンスを逸したことになった。 
 74年夏のことである。 
 75年になって輸入元が変わり、一度聴いてみないかと連絡があったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ、久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレビンソンとのつきあいが始まった。 
−−−−−−−−− 

早く聴かなかったことを後悔した、と書かれているけど、 
ほんとうにそうだろうか。 
瀬川先生自身、気がつかれてなかったのか。 

山中先生が「無機的な音さ」と言われたLNP2は、 
シュリロ貿易がサンプル輸入したモノで、 岡俊雄先生が購入されたモノ。 
つまりバウエン製モジュール搭載のLNP2である。 
一方、75年になって、RFエンタープライゼスが輸入したLNP2、 
瀬川先生がはじめて聴かれたLNP2は、 
ジョン・カールの設計によるマーク・レビンソン製のモジュール搭載になっている。 

もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれていたら、 
瀬川先生はどういう反応をされただろうか。 

岡先生は、LNP2が製造中止になったときに、ステレオサウンド誌に、 
LNP2物語を書かれている。 
この記事でもそうだし、過去に何度か発言されているが、
岡氏は、マーク・レビンソン製モジュールのLNP2よりも、 
バウエン製モジュールのLNP2を高く評価されている。 

岡先生と瀬川先生の音の嗜好の違い、捉え方の違い、ひいては再生音楽の聴き方の違いは、 
1970年代のステレオサウンド別冊に掲載されている 
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の鼎談を 
読んだことのある人ならば、ご存知のはず。 

勝手な推測だが、 
もし瀬川先生がバウエン製LNP2を聴かれていたら、 
山中先生と同じような感想を持たれたことだろう。 

山中先生の言葉を信用してバウエン製LNP2に興味を持つことにやめにし、 
輸入元がかわったLNP2に対しても、全く気乗りしなかった瀬川先生だけに、 
もしバウエン製LNP2音を聴かれていたら、 
レビンソン製LNP2を聴く機会すら拒否されたかもしれない。 
聴く機会が、それこそもっと後になったかもしれない。 

そう考えると、瀬川先生とLNP2との出会いは、幸運だった、 
出会うべくして、出会うべきときに出会った、と私は思っている。 

不思議なのは、シュリロ時代のLNP2が 
バウエン製モジュールだということに、 
なぜ瀬川先生は気がつかれなかったのこということ。
気がつかれなかったからこそ、LNP2との出会いについて書かれるとき、 
山中先生を引き合いに出されるわけなので。 

実は、バウエン製モジュールのLNP2と、 
マーク・レビンソン製モジュールのLNP2を 
じっくり聴き較べてみたことがある。

岡先生がLNP2の記事を書かれたとき、
写真撮影に岡先生所有のLNP2をお借りしていたときに、
ステレオサウンド試聴室常備のLNP2Lと聴き比べてみた。

ステレオサウンドのLNP2Lは、もちろんマーク・レビンソン製モジュール搭載で、
しかも瀬川先生が、こちらのほうがさらに音が良いと書かれている、
追加モジュール搭載仕様で、その意味ではよりLNP2Lらしさは強い。

そのときの印象からいえば、 
瀬川先生にとってのLNP2は、 
やはりマーク・レビンソン製モジュールのモノだということである。
瀬川先生の本名は大村一郎。ラジオ技術の編集者時代から、
大村とΩをひっかけて、親しい人からはオームと呼ばれていたとのこと。

ある日、ペンネームを考えながら電話帳をめくっていたら、 
「瀬川冬樹」という名前が目にとまったから、とのこと。
瀬川先生のカートリッジのクリーニング方法。 

アナログ全盛時代を体験された方ならば、おそらくひとつ以上はお持ちであろう 
FR社のカートリッジ・キーパー・ケース。 
5つのカートリッジを収めることができて、 
カートリッジの持ち運びにも便利なこのケースの内部は、硬めのスポンジ。

瀬川先生は、このスポンジ部分で、 
カートリッジの針先の汚れを落とされていた。 
カートリッジを指で持って、針先で、 
このスポンジを、まっすぐにひっかく。 
だから、瀬川先生のケース内のスポンジは、 
ひっかきキズだらけ。 

もちろん、慣れていないと針先がとれてしまったり、 
カンチレバーをいためたり曲げたりするため、 
だれにでも勧められる方法ではないけど、 
これがいちばんだ、と話されていた。

液体のスタイラスクリーナーは、よほどしつこいゴミが付着したとき以外は、
まったく使わない、とも話された。
アルコールが主成分だが、すぐにすべてが蒸発するわけでなく、
カンチレバーの表面を、蒸発せずに残ったクリーナー液が毛細管現象でダンパーに届き、
変質もしくは傷めてしまうから、ときいている。

レコード(アナログディスク)のクリーニングも液体はいっさい使わず、
もっぱらビロードを円筒状にしたワッツのクリーナーを愛用している、とのこと。
そして、大事なのは、聴き終ってレコードを内袋に収める前にクリーニングすること、と言われた。

スクラッチノイズは、ディスクに付着したゴミよりもキズが原因であり、
意外にキズがつきやすいのが、ゴミを付着したディスクをそのまま保管しているときだそうだ。
瀬川先生が、ステレオサウンド38号で語られている言葉。 

「ぼくがときどき、ある意味で絶望的な気持ちになるのは、たとえばオーディオ・メーカーのショールームなどで、ぼくの考えている装置を持ちこんで、その場で可能なかぎりの条件を整えて、いつも自分が聴いている音にできるだけ近づけて鳴らしたときに、それを聴きにくださった方のなかに必ず何人か、瀬川さんがいつも書かれていることがこの音を聴いてやっと理解できました、とおっしゃる方がいることです。一生懸命ことばを考えて書きつらねても、ほんの小一時間鳴らした音には及ばないのか、そう思うと、いささか絶望的な気分になっしまう。いったいどうしたらいいんだろうと、ときどき考えこんでしまいます。」 

晩年、瀬川先生は「辻説法をしたい」とまで思いつめられていた、ときいている。

そして、瀬川先生は、オーディオ評論をはじめるにあたって、 
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写された、ともきいたことがある。
瀬川先生の追悼記事がステレオサウンドに載ったのは、61号。 
62号と63号の二号にわたって、第二特集として、 瀬川先生の記事が掲載されている。

私がステレオサウンド編集部にバイトで入ったのが、 
1982年1月下旬。19歳の誕生日の約1週間前のこと。
(ぎりぎり18歳だったので、ずっと「少年」と呼ばれていました) 

初めて試聴室に入ったときに、ハッとして、
目が奪われたが、試聴室隣にある器材倉庫の一角。
そこにはKEFのLS5/1Aとマーク・レビンソンのLNP2L、 スチューダーのA68が、
なんとも表現しがたい雰囲気をただよわせていた。
編集部の方に訊ねるまでもなく、瀬川先生の遺品であることは、すぐにわかった。
まったく予想していなかったこと、だからうれしくもあり、かなしくもあり、
綯交ぜの気持ちにとまどう。

だから「瀬川先生のモノですよね......」という言葉しか言えなかった。

数ヶ月間、LS5/1AもLNP2LもA68も、そこに置かれていた。
「お金があれば......」と思った。すべてを自分のモノにしたかった。
どれかひとつだけ、と思っていても、学生バイトにそんなお金はなく、
「欲しい」と言葉にすることすら憚られた。
トーレンスのリファレンスがステレオサウンドに登場したのは、
記事としては56号だが、前号(55号)の輸入元ノアの広告にモノクロ写真が載っている。
それほど大きくない写真で、価格は3580000円と書いてあった。
とうぜん、このプレーヤーはいったい何なんだろう......、次のステレオサウンドで紹介されるんだろうな、きっと、と思いながら発売の待っていた56号の表紙は、リファレンスだった。
安齊吉三郎氏によるリファレンスの写真は、前号のモノクロ写真とは違い、「おおっ」と思わせるとともに、記事をすこしでも早く見つけたい、読みたいという気持ちをさせてくれた。

いそいでページをめくって、瀬川先生の新製品の記事を見つけて、 読む。
しばらくして、また読む、何度も読んでは、どんな音なのか妄想をふくらまして、
聴きたい、とにかく聴いてみたい、でもここ(熊本)では、おそらく聴く機会は訪れないだろう......。

(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、 
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、 
カートリッジの聴き比べのときもあったし、 
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、 
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、 
すごくためになったし、レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、 
ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。

1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。 
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。 
正直「今日はカセットかぁ......」とがっかりしたものの、
実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。 
瀬川先生の話が面白い。

でも、どうしても目は、 
すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。 

イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」 
と言われた。 

「明日なのかぁ......」とがっくり。 

この時期(高校3年の秋)、 
オーディオに熱を入れすぎて、学校の成績ががくっと落ちて、 
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、 
「今回は行ってはだめ」と言われたのを、 
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、 
「明日はどうやっても無理だな......」とあきらめながら会場を後にする。

当日の朝も「行きたい」とは口にしなかったというかできなかった。 

でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
待っていた言葉が出てきた。 

イベントがはじまったころは、 
いつもと変らない感じの瀬川先生が、 
(その1)にも書いたように、 
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。 

そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。 

リファレンスの音を聴けたことで、 
そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、 
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、 
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。 

このときは、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。 

「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終了。 

そして約一年後の、1981年12月19日。 

当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、 
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。 
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ 
秋葉原の石丸電気本店の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
このときに手にとったのは、レコード芸術。 
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、 
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。 
目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、 
瀬川先生の追悼記事。 

元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、 
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
後にも先にも、頭の中が真っ白になったことは、このときだけである。
 
その記事を読み終わって、嘘だろう......、と思って、書棚に戻して、 
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、 
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。 

冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、 
熊本でステレオサウンドを購入。 
追悼記事が載っていた。 

このときは母に感謝した。 
もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは......。

いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、 
あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、 
熊本で手術を受けられたということ。 

なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。 
オーディオに関心も理解もあまりない母が、 
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、 
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか......。 

あの日のリファレンスの音、 
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、 
私にとって、どういう意味を持つのか、 
それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。 

ひとつ確実に言えるのは、 
大きな感動があったということ。 

感動という言葉、よく使うけれども、 
感動とはどういうことだろうか。 
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、
心を奪われること、とある。 

でもこれだけではない。 

なぜ「動く」という字が使われているのか。 

やはりなにかが動くんだろうな、と 
あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。 

感動とは、心の中になにかが生れたり、 
沸きあがってくることであり、 
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。 

いまは残っていないけど、 
リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。 
誰かに読んでもらうわけではないけれども、 
どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。 

そういう感動を与えてくれたリファレンス、 
瀬川先生の思い出とも繋がっていて、 
あらゆるオーディオ機器の中で、 
私の中で、いちばん印象深い存在になっている。

トーレンスのアナログ・プレーヤー "リファレンス"の実物をはじめて見て、 

その音を聴いたのは、もうずいぶん前のこと。 

まだ熊本にいたころ、高校3年生の時だから、27年前になる。 

熊本市内のオーディオ店(寿屋本庄店)で、 

(たしか)三カ月に1度、土日の二日連続で開催されていた 

瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」というイベントにおいて、である。 


そのときのラインナップは、 

トーレンスのリファレンス、 

マークレビンソンのLNP2L とSUMOのTHE GOLDの組合せで、 

スピーカーは、もちろんJBLの4343。

この時、正直にいえば、パワーアンプはTHE GOLDではなく、

LNP2LとペアになるML2L で聴きたいのに......と思っていた。


いろんなレコードの後、 

最後に、当時、優秀録音と言われていて、 

瀬川先生もステレオサウンドの試聴テストでよく使われていた 

コリン・デイヴィス指揮の 

ストラヴィンスキーの「火の鳥」をかけられた。 


もうイベントの終了時間はとっくに過ぎていたにもかかわらず、 

なぜか、レコードの片面を、最後まで鳴らされた。 


そのときの音は、いま聴くと、 

いわゆる「整った」音ではなかっただろう。

けれど、その凄まじさは、いまでもはっきりと憶えているほど、

つよく刻まれている。


レコードによる音楽鑑賞、ではなくて、音楽体験、 

それも強烈な体験として、残っている。


聴き終わって、瀬川先生の方を見ると、 

ものすごくぐったりされていて、顔色もひどく悪い。 


いつもなら、イベント終了後、しばらく会場におられて、 

質問やリクエストを受けつけられるのに、 

その日は、すぐに引っ込まれた。 


「体の調子が悪いんだ。 

なのに『火の鳥』、なぜ最後まで鳴らされたのかなぁ

途中で針をあげられればよかったのに......」と、 

そんなことを考えながら、店の外に出ると、 

駐車場から出てきた車のうしろで、さらにぐったりされている瀬川先生の姿が見えた。

言いたいこと

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掲示板やmixiで、五味康祐先生、瀬川冬樹先生について書かれていることがある。 
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。 
書いている内容が古い、と書く。 
でも、そういう人たちが言っているのは、おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。私にいわせれば、内容が古いわけではない。 
それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。 
そして、功罪がある、とも書く。 
その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。 
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。 
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。 
読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。 
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。 
それでいいと思う。 
だからこそ、繰り返し読むのである。 
これも言っておきたい。 
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。 
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。 
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。 
間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。 
そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、 
ステレオサウンドは存在していない。 
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。

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