瀬川冬樹の最近のブログ記事
FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた
瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、
パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。
LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。
しかも2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、
位相干渉による音像の肥大を防ぐために、3kHz以上では、
1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。
そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。
専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、
瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。
いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。
その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。
もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。
おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。
さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。
これがうまくいったのかどうかはわからない。
瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、
このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。
だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。
LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。
良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。
でも怪我をしたり、病気すると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。
だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。
なぜ最低条件かと言うと、
おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。
さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、
その存在を主張するし、存在を意識する。
良い音とは、そういうものだろう、ということだった。
瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、
失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。
昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。
熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。
「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。
一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
なにせ当時高校2年生でしたから、
「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
4343と4345の鳴り方の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。
まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。
※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
(中略)
瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。
疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
ML2Lがないのはなぜ?
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。
2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。
1981年(亡くなられた年)の春、
スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。
当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、
取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、
「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、
アンプはマークレビンソンはもういい、
マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、
プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。
そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、
最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、
「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ......」と
ぽつりとつぶやかれた、ときいた。
そのすこし前に使われていたのは、JBLの4343に、
マークレビンソンのアンプのペア、
そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。
JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、
表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。
洗練という言葉が好きだし、剥き出しの音は嫌いだ、と言われている。
だから「洗練」でもいいのだろうけど、これだけだと足りないものを感じる。
私がイメージする瀬川先生の音を一言で表すなら、これである(いまのところ)。
けれども、ワイドレンジ再生とは、
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。
このことを教わったのは、
岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」
岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の
1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。
その「良い音とは何か?」からの引用。
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。
二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
(中略)
いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
......こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間......そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに......。
(中略)
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも
頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、
あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
まずきちんとセッティングする。
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、
そのあとは、瀬川先生が書かれているように、
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。
そうでないこともある。
たとえば瀬川先生とマーク・レビンソンのLNP2との出会い。
瀬川先生は、LNP2との出会いについて、次のように書かれている。
−−−−−−−−−
彼(註:山中敬三氏のこと)はこのLNP2を「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない......」と酷評していた。
ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。
あとで考えると、大きなチャンスを逸したことになった。
74年夏のことである。
75年になって輸入元が変わり、一度聴いてみないかと連絡があったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ、久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレビンソンとのつきあいが始まった。
−−−−−−−−−
早く聴かなかったことを後悔した、と書かれているけど、
ほんとうにそうだろうか。
瀬川先生自身、気がつかれてなかったのか。
山中先生が「無機的な音さ」と言われたLNP2は、
シュリロ貿易がサンプル輸入したモノで、 岡俊雄先生が購入されたモノ。
つまりバウエン製モジュール搭載のLNP2である。
一方、75年になって、RFエンタープライゼスが輸入したLNP2、
瀬川先生がはじめて聴かれたLNP2は、
ジョン・カールの設計によるマーク・レビンソン製のモジュール搭載になっている。
もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれていたら、
瀬川先生はどういう反応をされただろうか。
岡先生は、LNP2が製造中止になったときに、ステレオサウンド誌に、
LNP2物語を書かれている。
この記事でもそうだし、過去に何度か発言されているが、
バウエン製モジュールのLNP2を高く評価されている。
岡先生と瀬川先生の音の嗜好の違い、捉え方の違い、ひいては再生音楽の聴き方の違いは、
1970年代のステレオサウンド別冊に掲載されている
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の鼎談を
読んだことのある人ならば、ご存知のはず。
勝手な推測だが、
もし瀬川先生がバウエン製LNP2を聴かれていたら、
山中先生と同じような感想を持たれたことだろう。
山中先生の言葉を信用してバウエン製LNP2に興味を持つことにやめにし、
輸入元がかわったLNP2に対しても、全く気乗りしなかった瀬川先生だけに、
もしバウエン製LNP2音を聴かれていたら、
レビンソン製LNP2を聴く機会すら拒否されたかもしれない。
聴く機会が、それこそもっと後になったかもしれない。
そう考えると、瀬川先生とLNP2との出会いは、幸運だった、
出会うべくして、出会うべきときに出会った、と私は思っている。
不思議なのは、シュリロ時代のLNP2が
バウエン製モジュールだということに、
なぜ瀬川先生は気がつかれなかったのこということ。
気がつかれなかったからこそ、LNP2との出会いについて書かれるとき、
山中先生を引き合いに出されるわけなので。
実は、バウエン製モジュールのLNP2と、
マーク・レビンソン製モジュールのLNP2を
じっくり聴き較べてみたことがある。
瀬川先生にとってのLNP2は、
やはりマーク・レビンソン製モジュールのモノだということである。
「瀬川冬樹」という名前が目にとまったから、とのこと。
アナログ全盛時代を体験された方ならば、おそらくひとつ以上はお持ちであろう
FR社のカートリッジ・キーパー・ケース。
5つのカートリッジを収めることができて、
カートリッジの持ち運びにも便利なこのケースの内部は、硬めのスポンジ。
瀬川先生は、このスポンジ部分で、
カートリッジの針先の汚れを落とされていた。
カートリッジを指で持って、針先で、
このスポンジを、まっすぐにひっかく。
だから、瀬川先生のケース内のスポンジは、
ひっかきキズだらけ。
もちろん、慣れていないと針先がとれてしまったり、
カンチレバーをいためたり曲げたりするため、
だれにでも勧められる方法ではないけど、
これがいちばんだ、と話されていた。
「ぼくがときどき、ある意味で絶望的な気持ちになるのは、たとえばオーディオ・メーカーのショールームなどで、ぼくの考えている装置を持ちこんで、その場で可能なかぎりの条件を整えて、いつも自分が聴いている音にできるだけ近づけて鳴らしたときに、それを聴きにくださった方のなかに必ず何人か、瀬川さんがいつも書かれていることがこの音を聴いてやっと理解できました、とおっしゃる方がいることです。一生懸命ことばを考えて書きつらねても、ほんの小一時間鳴らした音には及ばないのか、そう思うと、いささか絶望的な気分になっしまう。いったいどうしたらいいんだろうと、ときどき考えこんでしまいます。」
晩年、瀬川先生は「辻説法をしたい」とまで思いつめられていた、ときいている。
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写された、ともきいたことがある。
62号と63号の二号にわたって、第二特集として、 瀬川先生の記事が掲載されている。
私がステレオサウンド編集部にバイトで入ったのが、
1982年1月下旬。19歳の誕生日の約1週間前のこと。
初めて試聴室に入ったときに、ハッとして、
(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、
カートリッジの聴き比べのときもあったし、
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、
すごくためになったし、レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、
ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。
1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。
正直「今日はカセットかぁ......」とがっかりしたものの、
実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。
でも、どうしても目は、
すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。
イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」
と言われた。
「明日なのかぁ......」とがっくり。
この時期(高校3年の秋)、
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、
「今回は行ってはだめ」と言われたのを、
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、
「明日はどうやっても無理だな......」とあきらめながら会場を後にする。
でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
イベントがはじまったころは、
いつもと変らない感じの瀬川先生が、
(その1)にも書いたように、
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。
そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。
リファレンスの音を聴けたことで、
そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。
このときは、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。
「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終了。
そして約一年後の、1981年12月19日。
当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ
秋葉原の石丸電気本店の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。
目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、
瀬川先生の追悼記事。
元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
その記事を読み終わって、嘘だろう......、と思って、書棚に戻して、
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。
冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、
熊本でステレオサウンドを購入。
追悼記事が載っていた。
このときは母に感謝した。
もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは......。
いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、
あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、
熊本で手術を受けられたということ。
なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。
オーディオに関心も理解もあまりない母が、
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか......。
あの日のリファレンスの音、
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、
私にとって、どういう意味を持つのか、
それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。
ひとつ確実に言えるのは、
大きな感動があったということ。
感動という言葉、よく使うけれども、
感動とはどういうことだろうか。
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、
でもこれだけではない。
なぜ「動く」という字が使われているのか。
やはりなにかが動くんだろうな、と
あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。
感動とは、心の中になにかが生れたり、
沸きあがってくることであり、
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。
いまは残っていないけど、
リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。
誰かに読んでもらうわけではないけれども、
どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。
そういう感動を与えてくれたリファレンス、
瀬川先生の思い出とも繋がっていて、
あらゆるオーディオ機器の中で、
私の中で、いちばん印象深い存在になっている。
トーレンスのアナログ・プレーヤー "リファレンス"の実物をはじめて見て、 その音を聴いたのは、もうずいぶん前のこと。 まだ熊本にいたころ、高校3年生の時だから、27年前になる。 熊本市内のオーディオ店(寿屋本庄店)で、 (たしか)三カ月に1度、土日の二日連続で開催されていた 瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」というイベントにおいて、である。 そのときのラインナップは、 トーレンスのリファレンス、 マークレビンソンのLNP2L とSUMOのTHE GOLDの組合せで、 スピーカーは、もちろんJBLの4343。 この時、正直にいえば、パワーアンプはTHE GOLDではなく、 LNP2LとペアになるML2L で聴きたいのに......と思っていた。 いろんなレコードの後、 最後に、当時、優秀録音と言われていて、 瀬川先生もステレオサウンドの試聴テストでよく使われていた コリン・デイヴィス指揮の ストラヴィンスキーの「火の鳥」をかけられた。 もうイベントの終了時間はとっくに過ぎていたにもかかわらず、 なぜか、レコードの片面を、最後まで鳴らされた。 そのときの音は、いま聴くと、 いわゆる「整った」音ではなかっただろう。 けれど、その凄まじさは、いまでもはっきりと憶えているほど、 つよく刻まれている。 レコードによる音楽鑑賞、ではなくて、音楽体験、 それも強烈な体験として、残っている。 聴き終わって、瀬川先生の方を見ると、 ものすごくぐったりされていて、顔色もひどく悪い。 いつもなら、イベント終了後、しばらく会場におられて、 質問やリクエストを受けつけられるのに、 その日は、すぐに引っ込まれた。 「体の調子が悪いんだ。 なのに『火の鳥』、なぜ最後まで鳴らされたのかなぁ 途中で針をあげられればよかったのに......」と、 そんなことを考えながら、店の外に出ると、 駐車場から出てきた車のうしろで、さらにぐったりされている瀬川先生の姿が見えた。
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。
書いている内容が古い、と書く。
でも、そういう人たちが言っているのは、おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。私にいわせれば、内容が古いわけではない。
それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。
そして、功罪がある、とも書く。
その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。
読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。
それでいいと思う。
だからこそ、繰り返し読むのである。
これも言っておきたい。
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。
間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。
そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、
ステレオサウンドは存在していない。
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。
