井上卓也の最近のブログ記事

井上先生の指示で、デジタル信号をアンプへ直接接続したのは、いまから20数年以上前のこと。
タイムロードのイベントよりも、ほぼ20年前のこと。

よくこんなことを試されていたな、と感心するばかりである。

デジタル信号のノイズに埋もれながらも音楽が聴こえてくることに驚きすぎて、
なぜ、こんなことを思いつかれたのかを、残念ながら聞いていなかった。

井上先生はプライヴェートなオーディオを公開されていない。
ステレオサウンド 38号が例外的なことであって、
雑談のなかで、手に入れられてたオーディオ機器について、ぽつぽつと語られることはあっても、
決して全体を詳細に明されることはなかった。

プライヴェートなオーディオの空間で、いったいどういう機器を使われて、どういうことを試されていたのか、
いまとなっては、どうやっても知ることはできない。
タイムロードのイベントでは、PCM信号だけではなく、
DSD信号もアンプのライン入力につないでの音だしもあった。

DSD信号の成り立ちからして、おおよその予測はしていたものの、出てきた音には、また驚いた。
D/Aコンバーターを通していないにもかかわらず、ほとんど問題なく音楽が再生されている。

基本的にはDSD信号は、ハイカットのアナログフィルターを通すだけでもいいわけで、
それではなぜD/Aコンバーターが必要になるかというと、ジッターの問題に対して、である。

デジタル信号といっても、PCM信号とDSD信号においては、ひとくくりできないほどの違いがある。
CDプレーヤーに関することで思い出すのは、セパレート型CDプレーヤーが登場して、半年くらい経ったころだろうか、
試聴中の、井上先生の指示は、耳を疑うもので、思わず、何をするのか聞きかえしたことがある。

CDトランスポートのデジタル信号を、そのままアンプのライン入力に接続してみろ、というものだった。

デジタル信号をアンプにつないで、CDを再生したら、スピーカーをこわすほどの、
ものすごいノイズが出てくるものだと、試しもせずに思っていた。

試された方もおられるだろうし、5年ほど前の、タイムロードの試聴室でのイベントでも行われているから、
どういう結果になるかは、ご存じの方もおられるだろう。

ノイズだけが聴こえるのではなく、レベルは低いものの、意外とはっきりと、
そのCDに収録されている音楽が聴こえてくる。

S/PDIFにはデジタル信号だけが流れているもの、
デジタル信号とアナログ信号はまったくの別ものである、という思い込みがくずれてしまった。
古き佳き時代のスピーカーに対する、井上先生の「ラッパ」という言葉の響きのうらには、
心情的にノスタルジックな意味が、あきらかに含まれている。

「いずれ鳴らすつもり」で、井上先生は、「欲しい」と思ったオーディオ機器やパーツ類を、
理屈抜きに集めておられた。

ステレオサウンドのうしろのほうに掲載されている交換欄、
ユーズド・コンポーネント・マーケットのページも、丹念にみておられたようだ。

私がいちど、ある製品を掲載したところ、すぐに「あれ、手ばなしたのか」と言われたことがある。
また、あるときは、井上先生から電話があって、
「ジェンセンのG610Bを、山中さんが手放すから、
買おうと思っているけど、中古相場はどのくらいするのか」と聞かれたこともあった。
つづけて、「G610Bのトゥイーターは気にくわないところがあるから、
以前の開口部が丸の、PR302に交換するつもりなんだけど、どこかにないかなぁ」と言われたので、
いくつかのオーディオ店に電話をかけまくり、探し出したこともあった。

ウェスターン・エレクトリックのユニットもお持ちだったと聞いているし、
マランツのModel 7にいたっては、何台所有されていたのだろうか。
オリジナルはもちろん、日本マランツが発売したキット版、それから復刻版のModel 7SEまで所有されていたはずだ。

そういう井上先生が、「世界のオーディオ」で、こんなふうにタンノイについて書かれている。
     ※
つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを措いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。
井上先生は、タンノイのウェストミンスターを呼ぶとき、スピーカーではなく、「ラッパ」という言葉を使われていた。

なにも、そのときの気分でスピーカーだったり、ラッパと呼ばれたりするわけではない。
さりげなくではなるが、きちんと使いわけされていた、と私は思っている。

井上先生のタンノイのイメージは、「世界のオーディオ」に書かれている「私のタンノイ観」が参考になる。
     ※
タンノイの音としてイメージアップされた独特のサウンドは、やはり、デュアル・コンセントリック方式というユニット構造から由来しているのだろう。高域のドライバーユニットの磁気回路は、ウーファーの磁気回路の背面を利用して共用し、いわゆるイコライザー部分は、JBLやアルテックが同心円状の構造を採用していることに比べ、多孔型ともいえる、数多くの穴を集合させた構造とし、ウーファーコーンの形状がエクスポネンシャルで高域ホーンとしても動作する設計である。
したがって、38cm型ユニットでは、クロスオーバー周波数をホーンが長いために1kHzと異例に低くとれる長所があるが、反面において、独特なウーファーコーンの形状からくる強度の不足から強力な磁気回路をもつ割合に、低域が柔らかく分解能が不足しがちで、いわゆるブーミーな低域になりやすいといった短所をもつことになるわけだ。
しかし、聴感上での周波数帯域的バランスは、豊かだが軟調の低域と、多孔型イコライザーとダイアフラムの組み合わせからくる独特な硬質の中高域が巧みにバランスして、他のシステムでは得られないアコースティックな大型蓄音器の音をイメージアップさせるディスクならではの魅力の弦楽器音を聴かせることになる。
     ※
井上先生にとって、幼いときに聴かれていた、1−90に始まりクレデンザに至る、
蓄音器の音をイメージさせる音をもつ佳き時代のスピーカーを、「ラッパ」と呼ばれていた。
私は、そう受けとっている。
井上先生は、記事の中で、エンクロージュアの剛性の高さが、リジッドさが、音に、
特に低音に関しては、強く出ていると発言されている。

アメリカ・東海岸のスピーカーメーカー、ボザークやマッキントッシュの特徴でもある、
重厚で緻密な低域が、ごく低い周波数だけにとどまることなく、ウーファーのかなり上の帯域まで、
同じ音色で統一されている、とのことだ。

低域に関しては、アメリカ・東海岸のスピーカーに共通するものをもちながらも、
中高域になると、従来からタンノイトーンと呼ばれる、中高域の独特の輝きを、
他のタンノイのスピーカーよりも、目立たないようにバランスしている点が、
イギリスの伝統的なスピーカーにしか出せない独特の魅力へとつながっている、と指摘されている。

井上先生は、バッキンガムを鳴らすための組合せとして、
コントロールアンプに、バッキンガムのやや控えめな性格をカバーする意味合い、
音像を立体的にする目的から、コンラッド・ジョンソンのデビュー作のPreamplifier(管球式)を、
パワーアンプは、音に積極性を持たせるためにSAEのMark 2600を選ばれている。

これらのことは、バッキンガムが、どちらかといえば控えめであり、おっとりしたところを、
うまく補うためでもある。
エアコンを必要としない、気持のいい、ちょうどいまくらいの季節、
岩崎先生は、よくリスニングルームの窓を全開にして聴かれていた、と井上先生が話されていた。
音量は、だからといって下げられることはなかったそうだ。

「こっちのほうが気持いいんだよね」と言って、窓を開けられたそうだ。

この話をしてくれたときもそううだし、岩崎先生の話をされるときの井上先生の表情は、
すこし羨ましそうな感じだった。

ステレオサウンド 43号に、井上先生は書かれている。
     ※
 前日に、本誌の広告ページの写真を見て、フッと不吉な予感があったが、報らせを聞いて、オーディオの巨大な星が突然に闇にかき消されたよをな思いであった。
 本誌面では、パラゴンを買いたいと記し、部屋毎にスピーカーを選んで複数使い分けるのが理想と発言し、それを現実のものとした情熱と行動力は、プロ意識そのものである。
 郡山での、すさまじい野外ロックコンサートが終って、夜行で帰京したことを報らされず、若い編集者を事故でもなければと深夜までホテルで待っていた彼、VIPAでのジョニーハートマンのコンサートのとき、片隅みで、ひどく物静かにタキシード姿で座っていた彼、五日市街道の横を砂煙りを巻上げて、フェアレディZをブッ飛ばしていた彼、その何れもが鮮烈な印象であり、また、新宿あたりの人混みのなかから、スッとあらわれて、あの独特な声で話しかけられそうな気持である。
     ※
岩崎先生が亡くなられたのは、1977年3月24日、午前9時45分。

井上先生が不吉な予感を受けられた広告は、ステレオサウンド 42号のサンスイのQSD2のものだ。
試聴・取材のため国内メーカー、輸入商社からお借りするスピーカーのなかには、
たいていは古い機種の場合だが、鳴らされることなく倉庫で眠っていたモノが届くことがある。

そういうスピーカーも、最低でも1週間、できればもっと時間はかけたいが、
ていねいに鳴らしつづけていれば、本調子に近づいていく。

とはいえ実際にそれほどの時間の余裕は、まずない。

そんなときは、半ば強制的に目覚めさせるしかない。

井上先生に教わった方法がある。
効果はてきめんなのだが、井上先生から、めったに人に教えるな、と釘を刺されているので、
申し訳ないが具体的なことについては書けない。

やりすぎない勘の良さをもっている人にならば、実際に目の前でやってみせることでお伝えできるが、
言葉だけでは、肝心なところが伝わらない危険があり、スピーカーを傷めてしまうことも考えられるからだ。

エッジにはふれる。ただしなでるわけではない。なでるな、とも言われている。
それともうひとつのやり方との組合せで、スピーカーの目覚めを早くする。

長島先生のやり方も、安易にマネをすると、やはりスピーカーを傷める、もしくは飛ばしてしまうので、
これ以上、詳細は書かないが、これらの方法は、取材・試聴という限られた時間内に、
いい音を出すために必要なものであり、個人が家庭内で、瀬川先生が書かれているように、
四季に馴染ませ、じっくりと取り組むうえでは、まったく使うべきことではない。

事実、私も、所有しているスピーカーに、井上先生、長島先生から教わった方法は実践していない。
必要がないからだ。やるべきことではないからだ。

それにしても、いわば、スピーカーを目覚めさせるための方法を、
なぜ「エージング」と言ってしまえるのだろうか。
瀬川先生は書かれている。
     ※
オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ......こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間......そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま----たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに......。
     ※
レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」からの引用だが、
スピーカーのエージングとは、まさにこういうことだと、私は考えているし、信じている。

好きなレコードを、好みの音量で鳴らしていく。
これは、なにも瀬川先生だけが言われていることではない。

井上先生も長島先生も、同じ考えで、以前流行ったFMチューナーの局間ノイズを長時間、
それもかなりの音量で鳴らしつづけるという方法は、どなたも認めておられない。

いま局間ノイズでエージングを早めよう、という人はいないだろうが、
それでも世の中には、エージングのためのCDとか、スピーカーのエッジをなでることを、
エージングを早める方法と称している人もいる。

はっきり言えば、こんなことでエージングを早められはしない。

エッジをなでると、音は変わる。
とくに長期間鳴らしていないスピーカーほど、その変化量は大きい。
でも、これはエージングによって、音が変わったわけではない。

実は井上先生も、エッジをなでることに似た方法を、ときどき用いられた。

しかし、これはスピーカーを目覚めさせるため、である。
井上先生は黙っておられた。

だからというわけではないが、つい反論が口から出ていた。

「逆でしょう。アナログのほうがすべての現象が目や耳で確認できるし、
きちっと使いこなしができればコントロールできる。
CDプレーヤーは、トレイが引っ込んでしまうと、もう中の動作に対してはいっさい手が出さない。
何がどうなっているのかも直接確認することはできない。出てくる音も、つねに同じわけじゃない。」

こんなことを一気に言ってしまった。
真っ向から否定したわけだから、Hさんは、私を、失礼なヤツだな、と思われていただろう。

すると井上先生が、「うん、宮﨑の言う通りだよ。CDプレーヤーはブラックボックスだし、
アナログプレーヤーはコツ、ツボがわかっていれば、きちんとコントロールできるもの」と、
井上先生と会われた方ならわかってくださるだろう、あの口調で言われた。

嬉しかった。
井上先生に認められたようで、嬉しかった。
1982年10月1日に登場したCDとCDプレーヤーを、自分の装置に導入したのは、1984年の後半だったと記憶している。

アナログプレーヤーに、トーレンスの101 Limitedを無理して買って、それほど時間も経っていなかったことで、
正直、金銭的にCDプレーヤーまで手が回らなかった。

一方、ステレオサウンドでの取材では、確実にCDに、使用プログラムソースは移行していた。

私が最初に使ったCDプレーヤーは、京セラのデビュー作のひとつである、DA910。
といっても自分で購入したものではなく、まだCDプレーヤーを導入していない私を見兼ねて、
傅さんが貸してくださったから、なんとかCDを聴くことができるようになった。

自宅で使いはじめて、ステレオサウンドの試聴でもなんとなく感じはじめていたことを確認できた。
意外にも、CDは再現性が低いということで、これは、この項の(その14)で述べている再現性である。

CDをトレイにセットして、プレイ・ボタンを押せば、つねに同じ音がする、そんなイメージがあったと思うし、
事実、井上先生とある筆者の方(Hさん)の取材のとき、
Hさんが「CDになって、試聴が楽になりましたね。再現性が高いから。
アナログプレーヤーと違い、不安定要素がないから」と、
井上先生に同意を求めるように言われたことがあった(Hさんは早瀬さんのことではない。念のため)。

85年ごろのことだ。確かにCDの音に手ごたえを感じられるようになってきていた。
だから余計に、CDの再現性の低さも感じとれるようになってきてもいたと言えよう。

正直、Hさんの発言を聞いて、「えっ?」と思った。
井上先生は、カートリッジに関して、独自の主張をお持ちだった。

そのレコードのレーベルの所在地に、なるべく近いところで作られているカートリッジを選ぶ、
さらに録音が行なわれた現場に近いカートリッジも選ぶというものだ。

となるとクラシックをよく聴く人であれば、ドイツ、イギリス、オーストリア製のカートリッジは、
最低でもひとつずつは持っておきたい。

EMT、デッカもしくはゴールドリング、AKGといったブランドが、すぐに浮かぶ。

ジャズやポップスとなると、アメリカの録音がぐんと増えるので、
イギリス製のカートリッジに、アメリカ製のモノもいくつか加えたくなるだろう。

ピカリング、スタントン、シュアー、エンパイア、グラドなど、候補はいくつもある。
それでも不思議なことに西海岸に、カートリッジのメーカーは存在しない。

スピーカー・メーカーは、JBLをはじめ、いくつか存在するのに、
カートリッジ・メーカーとなると、アナログディスク全盛時代でも存在していたのだろうか。

JBLの4343を思わせるMC型カートリッジが存在していれば......、などと、
つい妄想アクセラレーターを全開にしてしまっている。

それにしても井上先生は、なぜ、このような主張を持たれるようになられたのだろうか。
情報量という言葉を、はやい時期から使われていたのは井上先生だと、3週間ほど前に書いているが、
瀬川先生も、ほぼ同じころに、「情報量」を使われている。

ステレオサウンド 39号に掲載された「ふりかえってみるとぼくは輸入盤ばかり買ってきた」で、使われている。
     ※
直径30センチの黒いビニールの円盤に、想像以上に多くの情報量が刻み込まれていることは、再生機の性能が向上するにつれて次第に明らかになる。
     ※
情報量を、オーディオで使いはじめた人は、いったい、誰なのだろうか。いつから使われているのだろうか。

タンノイの代名詞となっている「いぶし銀」という表現も、誰が使いはじめたのだろうか。

五味先生の「西方の音」を読んでいると、「トランジスター・アンプ」の章に、いぶし銀そのものの表現ではないが、
ほぼ同じ意味合いの言葉が出てくる。
     ※
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる......そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     ※
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

となると五味先生の著書に登場される新潮社のS氏(齋藤十一氏)かもしれない。

いずれにしろ「英国の教養ある音」に使われていた形容詞が、
いつのまにかタンノイの代名詞へとなっていったわけだ。
早瀬さんのウェブサイト、SoundFrailの3月24日のMy Audio Lifeに、私の名前が出ている。

井上先生と早瀬さんの試聴には、数多く立ち合ってきた。
たしかに一度だけ、睡魔に勝てなかったことがある。

マッキントッシュのMC275で、アポジーのカリパー・シグネチュアやボーズの901を、
CDプレーヤーをMC275のTWIN INPUTに接いで聴いたときのことだ。

試聴が終ったのは深夜1時をまわっていたと記憶している。
それもMC275の電解コンデンサーがパンクしたためであり、
ちょうどノリに乗っていたときに起こった、この故障がなかったら、
おそらく3時4時まで試聴は続いていただろう。

試聴が強制的に終了となり、井上先生の話を録音した後、雑談になった。
2時はすぎていた。3時近かっただろうか。眠たくなってきた。

このとき井上先生が真ん中、右側に早瀬さん、左側に私。

早瀬さんが書かれているグラフィックイコライザーを使い、
左右チャンネルの音を可能な限り近づけていくという試聴は、私が辞めた後のことだ。
早瀬さんからの話で、いちど聞いたことがある。

だから井上先生、早瀬さんの後ろで爆睡していたのは、私以外の編集者である。

井上先生の試聴はおもしろい、気は抜けない。
どんなに寝不足のときでも、試聴が続いている限りは睡魔は押さえ込める。

音が鳴っているときに寝てしまうとは、なんともったいないことか。
この項の(その1)に書いた井上先生の言葉。

井上先生は何を言われようとされたのか。

傅さんの書かれた最近のもの(CDジャーナル4月号の「素顔のままで」と
ステレオサウンド 170号のジェフ・ロゥランドD.Gの新製品クライテリオンの記事)を読んでいて、
「物語」であると、はっきり確信できた。
いまも言われているようだが、音場重視・音像重視がある。
古くからのオーディオマニアは音像重視のひとが多く、
比較的若い世代は音場重視だったりするようなことも、言われている。

井上先生が、1987年ごろからくり返し言われていたのは、
「音場は、文字通り、音の鳴っている場、音楽が演奏されている空間であって、
その空間・場がきちんが再現されなければ、
その空間に存在する音像がまともに再現できるわけがないだろう。」という主旨のことだ。

私なりに言いかえれば、音場「感」重視、音像「感」重視はあっても、音場重視、音像重視はあり得ない話なのだ。
私もよく使う「聴感上のSN比」。

この言葉をもっともよく使われ、おそらく最初に言われたのも井上先生であろう。

頻繁に使われ始められたのは80年代にはいってからだが、
いつごろから使い始められたのかは、はっきりとは知らない。

いまのところ、私が知っているかぎりでは、ステレオサウンド 39号(1976年発行)に出てくる。
     ※
聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、
音に対してどのような影響を与えるかによって変化する。
物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、
音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。
また、高域のレスポンスがよく伸び、音の粒子が細かいタイプのカートリッジのほうが、
聴感上のSN比はよくなる傾向があった。
プログラムソースといえば、LPのことだった1970年代までは、
装置を改良・買い替えなどして、聴こえてくる音が、それ以前よりもぐんと増えたときに、
「同じレコードに、こんなにいろんな音が入っていたのか」
「これほど多彩な音が刻まれていたのか」といった表現がなされていた。

CDが登場し、プログラムソースのデジタル化が進むにつれ、「情報量が増えた」という、
やや即物的で、情緒性を無視したような表現が、いつの間にか定着していた。

情報の量──、
データ量という言葉があるから、
いかにもデジタル時代だからこそ使われるようになってきた言葉のように受けとられている方もいるだろう。
オーディオはコンピューターとは違うぞ、と言いたくなる人もいるだろう。

オーディオの言葉として、誰がいつごろから「情報量」を使いはじめたのか。

古い本をひとつひとつ当たっていけばはっきりすることだが、
私が知る限りでは、井上先生が、かなり早くから使われていた。

まだCDという言葉もなかったころ、アナログディスク全盛時代の1976年、
この年の暮に発売されたステレオサウンド 41号で、井上先生は、すでに使われている。

新製品紹介のページで、山中先生との対談で、ルボックスのパワーアンプA740のところで、
「情報量の伝達は十分なのだけれども感情過多にはならない」というふうに発言されている。
エレクトロボイスのSentry500の素っ気無い仕上げを、家庭での使用を前提に、
木目仕上げのエンクロージュアと、
木製のCD(Constant Directivity=定指向性)ホーンを採用したSentry500SFVが発表されたばかりだったから、
1983年ごろの、ステレオサウンド試聴室でのコトだ。

その日、ステレオサウンド編集部では試聴室を使う予定はなく、
HiViの筆者の方、ふたりで、輸入されたばかりのSentry500SFVの試聴をやられていた。

試聴室隣の倉庫に、工具を取りに降りていったとき、試聴がはじまって1時間くらい経過した頃だったようだ。
試聴室に入らなくても、うまく鳴っているかどうかは、すぐにわかる。
覇気が感じられない音で鳴っているなぁ......、と思いながら、工具を探していたら、
試聴室の中から、「こっちに来て、なんとかしてほしい」という声が掛かった。

ふたりとも、鳴っている音に納得できずに、あれこれ試したものの、たいした変化は得られなかったとのこと。

ざっと見渡すと、いつものセッティングとは違う。
アンプの電源を落とし、スピーカーケーブルやピンケーブルもいったんすべて外し、
ACコードもすべてコンセントから外した。
それから、いつもの試聴のようにセッティングする。

なにもすべて外す必要はないのだが、
やはり一からすべて自分でやったほうが確実だからだ。

スピーカーもアンプもいっさい移動しないので、
またケーブルやその他のモノもいっさい換えないままだったので、時間にして、5分程度だ。

ふたたび電源を入れて、音を出す。

このくらい変わるだろうな、と予測していた音が鳴ってきた。
時間は短いし、何一つ換えなかったとはいえ、ある程度の変化量は予測していた。
井上先生の試聴で、毎回体験していることだからだ。

でも、筆者の方ふたりは、驚かれていた。
そして、チューニングによる音の変化と受けとめられたようだ。

自慢話をしたいわけではない。

ここで、私がやったことはチューニングではなく、あくまでもセッティングであり、
それをやり直しただけだということを理解していただきたい。
試聴の準備は、セッティングである。

その日使う器材を所定の場所に設置し、結線し、音出しが出来る状態にする。
特に新製品の試聴の時には、ほとんどがはじめて音を聴くモノばかりなので、
セッティングは、より重要度が増す。

3ヵ月毎に特集の試聴、新製品の試聴があるわけだから、そのたびにセッティングしているわけだ。

このセッティングを毎回同じに出来るかどうか。
同じようなセッティングでは、井上先生から合格点はいただけない。同じでなければならない。

そんなの簡単じゃないか、と思われる人も多いだろう。

セッティングした器材を、結線を外し、他の部屋の移動し、また元の部屋に持ってくる。
そしてもう一度セッティングする。
これを何度も、わずかな時間でやってみるといいだろう。
できれば、その音を第三者に聴いてもらえれば、さらにいい。

たいてい、いくつかの見落としがあって、同じようなセッティングどまりだったり、
逆にうまくいき、元よりもいい音になることもあるだろう。

私の場合、3ヵ月に一度ではあったが、井上先生にそうやって鍛えられたことになる。
オーディオにおいて、使いこなしは重要だと、ずっと以前から言われつづけているにも関わらず、
読者側から見て、系統立てて説明し、あらゆる状況に対して応用がきくヒントを与えてくれる記事を、
音の出ない、写真と文字だけの誌面で伝えることは、頭で想像している以上に難しさがある。

私がステレオサウンドで担当した使いこなしの記事のひとつは、ふたりの読者が参加された井上先生によるものだ。
あのときは、まだ22歳だったから、1985年。この取材で、舘さん(早瀬さん)と出会い、
私がステレオサウンドを辞めたあとも、変らぬ態度で接してくれて、
今年の夏で、まる24年のつきあいになる。

去年だったか、インターネットでのオーディオの掲示板で、ステレオサウンドの記事のなかで、
印象に残っているのはどれか、という内容のもので、
この井上先生の使いこなしの記事をあげておられる方がいた。
さらにmixiでも、この記事を、いまも読み返し参考にしているという文章に出合った。

担当編集者としては嬉しい限りではあるが、1985年の記事である......、という思いもある。

いま読み返しても、おもしろいだろう(手もとにその号がないので読み返せないが)。

けれど、こんなことを言ってもどうにもならないが、
いまならば、同じ取材からでも、違う誌面展開で記事をつくる自信はある。

あのころは、使いこなしという言葉の中に、セッティング、チューニング、エージングが含まれ、
それぞれは違い、しかし、その境界は曖昧であることに気がついていなかったからだ。

このことをきっちりと私が認識していたならば......、と思うのだが、いまさら、である。
ごくまれなのだが、試聴室にスピーカーの新製品、それもそのメーカーのフラッグシップモデルのとき、
エンジニアや広報の方が来られ、スピーカーのセッティングをおこなわれることがあった。

井上先生に、強い口調で言われたことがある。
「メーカーの人による調整は、しっかり見て聴いておけ。お金を出しても見られるものではないんだから」

たしかにその通りで、しかも井上先生は、後日、どんなふうに調整していたのか、と私に訊いてこられた。

あれだけオーディオのことを知悉され、使いこなしに関しても、いくつも引出しをお持ちなのに、
けっして慢心されることはなかった。
私が恵まれていたと感じていたことは、井上先生がやられたことを、自分のオーディオ機器に対してだけでなく、
井上先生が実際に試聴された同じ環境、同じ装置で、同じことをひとりで試せたことだ。

2つの環境で試せた上に、同じ環境でも試せる。
つまり環境が、装置が、条件が違うという言い訳は、もちろん、できない。

井上先生との力量の差、経験の差、そういったもろもろのことを、
ステレオサウンドの試聴室で、ひとりで鳴らしたときの音で思い知らされるわけだ。

それでも、やっていくうちに、井上先生の試聴の時と何が異るのかに、すこしずつ気がついていくようになる。
そして身についていく。

すると、いつごろからだろうか、
井上先生が試聴にあたっての整音の時間が短くなっていくことにも気がついていた。
井上先生の試聴は、きまって「あそこをこうしてみろ」「次はこっちをこうしろ」という指示から始まる。

そうやって音が整っていく。まさしく整音(voicing)だ。
たいてい1時間から2時間かけて、それらを行なった上で、新製品の試聴が始まる(しかも夜遅くから)、
さらに個々の製品に対して、あれこれチューニングをなさる。
終るのは午前様になるのは当り前だった。

大変ではあったが、おもしろい。だから、前回の試聴で井上先生がやられたことを、
とにかく見様見真似でやってみる。
わかってやっていたこともあれば、わかったつもりでやっていたこともあるし、
とにかくやってみようということでやっていたこともある。

けれど、そうやって自分でやってみることで、それもステレオサウンドの試聴室だけではなく、
自分のオーディオ機器でもやってみることで、いつのまにか身についていく。

そしてセッティングとチューニングを、それまでごっちゃに捉えていたことに気がついていくことになる。
井上先生が、ステレオサウンドでの試聴室での試聴に求められていたのは、
再現性であったように思っている。

ここでいう再現性とは、CD、アナログディスクに記録されている音楽の再現性の高さという意味ではなく、
同じ機器をセットしたら、基本的に同じ音を出せるするという意味での再現性である。

試聴室では、リファレンススピーカーのJBLの4344と言えど、他のスピーカーを聴くときには、
当然だが、試聴室の外に移動する。
そして、アンプやCDプレーヤーなどの試聴の時に、またいつもの位置にセットする。
CDプレーヤーもアンプも、リファレンス機器は決っていたが、
試聴室からまったく移動しないのは、アナログプレーヤー(マイクロのSX8000II)だけだった。

他の機種はなんであれ、他の機種の試聴の時には、移動し、また元に戻す。
何度も機器の移動、設置をくり返す。

ここで大事なのは、つねに70点くらいの音を出せるようにすることだ。

時には100点に近い、素晴らしい音を出せるけど、
違う日には、40点とか30点のひどい音でなることもある。
そういう再現性の不安定さは、試聴室では厳禁である。
それこそ、何を聴いているのかが、不明瞭になってしまう。

とにかく70点前後の音を、機器の移動をしようと、つねに維持していなくてはならない。
そういう再現性が必要なのだ。

もちろんつねに100点近い音を維持できるのが最良なのはわかっている。
けれど、試聴室はひとつの組合せを、長期間にわたってじっくり鳴らし込む環境ではない、
ということを理解しておいていただきたい。

ここで大事なのは、セッティング、チューニング、エージングを混同しないことだ。
オーディオ機器の置き方によって音が変化することを最初に唱えられたのは、井上先生だ。

私のほうが先だ、私が最初だ、という人がいるだろうが、断言する、井上先生が最初だ。

スピーカーは、もちろん置き方によって音が変化するのは、周知のとおり。
アナログプレーヤーはハウリングが起きないように設置するのが第一で、
音のことを配慮していたとは言えなかった。
ましてアンプが、置き方や置き台によって、その音が変化することを、
なんとはなく気づいていた人はいたかもしれないが、
はっきりと、井上先生は感じとられていた。

置き方や置き台によって音が、ときには大きく変化することを、
井上先生はサウンドレコパルの読者訪問記事で気がつかれた、と話されたことがあった。

若い読者(たしか高校生のはず)が使っていたのは、普及クラスのオーディオ機器。
なのにひじょうに気持ちのいい、鳴りっぷりのいい音がしていて、驚かれたそうだ。
なにか特別な使いこなしがされている様子でもないのに、
それにいまのように高価なケーブルやアクセサリーがあった時代でもない。

「これかな?」と見当をつけて、アナログプレーヤーの置き方を変えてみたところ、
いたって平凡な音になってしまう。
また元の置き台に設置すると、さきほどまでの音が鳴ってくる。

この読者の家は、ゴルフ・クラブを製造する会社で、
プレーヤーの置き台になっていたのは、ゴルフ・クラブのヘッドに使われる、
ひじょうに堅い木の切り株だったとのこと。
簡その切り株を叩いてみると、ひじょうに澄んだ乾いた音がする。

さっきまで聴いていた音に共通する、その心地よい響きが、
井上先生のそれまでの経験と結びつき、
置き台(材質、構造を含めて)、置き方によって、
それまで思っていた以上に、音が変化することに気がつかれることになる。
若いころの、感性の網(クモの巣)はいびつで、キメがものすごく細かい個所もあれば、粗いところもある。
形がいびつと言うことは、鋭く尖っているところがある。
そこのキメが他よりも細かかったりすると、それを本人は「感性が鋭い」などと勘違いしがちだ。
私はそうだった。

そのころ、そう指摘されたとしても、素直に受け入れられるとは思えない。
結局、己で気づくしかないことを、歳を重ねて、知った。

私のことは措いておこう。

井上先生の網の目にひっかかった、オートグラフから鳴った音の何かが、
以前聴かれたロックウッドのMajor Geminiの音と結びついたのかもしれない。

それが井上先生の「オーディオを楽しまれる心」を刺戟したのだろう。
だからMC2300とLNP2Lを組み合わせて、
誰も想像したことのないモニターサウンドを、オートグラフで鳴らされたと思えてならない。

井上先生の試聴には、ほとんど立ち合っている。
言えるのは、オーディオをつねに楽しまれていることだ。
真剣に楽しまれている。
深刻さは、微塵もない。

そういう井上先生だからこそ、できる組合せ、使いこなしがある。

インフィニティのIRSベータのウーファータワーとBOSEの301も組合せもそうだ。
それから記事にはならなかったが、マッキントッシュの MC275で、
BOSEの901とアポジーのカリパー・シグネチュアを鳴らしたことも、実はある。

BOSEといえば、サブウーファーのAWCSの試聴の時も楽しまれていた。
楽しさに勢いがあったとでも、言ったらいいだろうか。そして、こちらもつられて楽しくなる。
音の聴き方について、以前、語られたことがある。

「前のめりになって、聴いてやるぞ、と構えてしまうと、意外とだまされやすいし、
そういう人を音でだますのは、そう難しいことではない。
構えてしまってダメ。
むしろゆったりして、網を広げるようにするんだ。
で、その網にひっかかってきたものに反応すればいいんだよ」

例えは網でもクモの巣でもいい。
感性の網なりクモの巣をひろげる。

網(クモの巣)の形も、若いころは、ある部分が突出してとんがってたり、
違う所はひっこんでいたり、また網の目(クモの巣の目)も、ところどころやぶれてたりする。
それらのいびつなところは、音楽を聴き込むことで、いくつもの経験を経ていくことで、
細かくなっていくし、きれいな円に限りなく近づいていき、
また網(クモの巣)そのものも大きくなっていくものだろう。

井上先生の感性の網(クモの巣)は、とびきり大きく、そして円く、キメの細かさも、
これ以上はありえないというほどだった。
だから、その網(クモの巣)にひっかかかる音の数も、ひときわ多く多彩だ。

黒田先生が、「鬼の耳」と言われたのも、当然だ。
ロックウッドのMajor Geminiが存在していなかったら、
井上先生のオートグラフの組合せも、もしかしたら違う方向でまとめられたかもしれないと思ってしまう。

井上先生は、オートグラフの組合せの試聴の、約2年ほど前にMajor Geminiを、
ステレオサウンドの新製品の試聴で聴かれている。

このときの音、それだけではなく過去に聴かれてきた音が、井上先生のなかでデータベースを構築していき、
直感ではなく直感を裏打ちしていく。
何も井上先生だけに限らない。オーディオマニアならば、皆、それまで聴いてきた、いくつもの音は、
いま鳴らしている音と無縁なはずはないだろう。

ただ音の判断において、なにがしかの先入観が働く。

HPD385Aを搭載していようと、国産エンクロージュアであろうと、
オートグラフは、やはり「オートグラフ」である。

プレジションフィデリティのC4、マークレビンソンのML2Lとの組合せでも、
オートグラフからは、音量のことさえ、それほど多くを求めなければ、ひじょうに満足の行く音が鳴っていた。
それでも、井上先生は、先に進まれた。

それはMajor Geminiの音を聴かれた経験から、タンノイのユニットの可能性、変貌ぶりを、
感じとっておられたからではなかろうか。
井上先生は、こうも語られている。
     ※
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、
パワフルでエネルギッシュな見事な音がしました。
オートグラフの音が、モニタースピーカー的に変わり、
エネルギー感、とくに、低域の素晴らしくソリッドでダンピングの効いた表現は、
JBLのプロフェッショナルモニター4343に優るとも劣らないものがあります。
     ※
この部分だけを読んでいると、
ステレオサウンド 42号に載っているロックウッドのMajor Gemini のイメージそのものと思えてくる。

ステレオサウンドの新製品紹介のページが現在のようなかたちになったのは、56号からで、
それ以前は、山中先生と井上先生による対談形式だった。

井上先生は、ここで、「異常なほどの音圧感にびっくりするのではないかと思う。
ある種の空気的な圧迫感、迫力がある」
さらに「低域がよくなったせいか、中域から高域にかけてホーンユニットの受けもっている帯域が、
かちっと引きしまっているような印象」と語られ、
山中先生は、タンノイのオリジナルなシステムにくらべてエネルギッシュな音になって」
タンノイ・アーデンと比較して「ソフトな音というイメージージとは大きく違って、
音が引きしまっていて、業務用のシステムだという感じ」だとされている。

くり返すが、Major Geminiも、搭載ユニットは、井上先生が組合せに使われ、
最終的に出てきた音に驚かれたたオートグラフと同じHPD385Aだ。
井上先生は、ML2Lのかわりに選ばれたのはマッキントッシュのMC2205。
MC2205は200W+200Wの出力をもつが、井上先生はオートグラフの能力からして、
まだまだいけると感じられて、300W+300WのMC2300を持ってこられる。

コントロールアンプも、プレシジョンフィデリティのC4からコンラッド・ジョンソンのプリアンプを試され、
これらとは180度の方向転換をはかり、最終的にはマークレビンソンの LNP2Lを選択されている。

これはなかなか他の人にはマネのできない組合せだと感じた。

井上先生は、スピーカーがどう鳴りたがっているかを瞬時に察する能力に長けておられる。

自宅にスピーカーを持ち込んで長期間にわたって使いこなすのであれば、
どう鳴らしていくかがもちろん最重要なことだが、
ステレオサウンドの試聴室で、数時間の間に、組合せをまとめるには、
目の前にあるスピーカーを、どう鳴らせるか──、
擬人的な言い方になるが、スピーカーの鳴りたいように鳴らすことが、ときには求められる。

そのためには出てきた音に、先入観なしに素直に反応し、
経験に裏打ちされた直観でもって、アンプやプレーヤーを選択していく。

こうやって書いていると、そう難しいことのようには思えない方もいるだろう。
だがやってみると痛感されるはずだ。
生半可な経験と知識では、
井上先生の、このオートグラフの組合せは、まず思いつかない。

大胆な組合せのように見えて、実はひじょうに繊細な感覚があってこそできるのだ。

LNP2LとMC2300が鳴らすオートグラフの音は、
引き締り、そして腰の強い低域は、堅さと柔らかさ、重さと軽さを確実に聴かせると語られている。

具体的な例として、爆発的なエレキベースの切れ味や、くっきりしたベースの音、
「サイド・バイ・サイド」のアコースティックなベースの独特の魅力をソフトにしすぎることなく
クリアーに聴かせるだけのパフォーマンスをもっていることを挙げられている。

これは誇張でも何でもない。

井上先生も、こういうオートグラフの音は初めて聴いた、とされている。

ここで使われたオートグラフは、輸入元のティアック製作の国産エンクロージュアに、
ウーファーのコーン紙の裏に補強リブのついたHPD385Aがはいったものだ。

五味先生がお使いだったモニターレッドをおさめたオリジナル・オートグラフと違う面を持つとはいえ、
エンクロージュアの構造は、オリジナルモデルそのままである。
タンノイの承認を受けた、歴としたオートグラフである。
井上先生のタンノイ・オートグラフの組合せは、最初、伝統的なタンノイのいぶし銀と言われる音の魅力を、
スピーカーが高能率だけに小出力だが良質のパワーアンプで引き出そうという意図から始まっている。

だからまず組み合わされたのは、プレシジョンフィデリティのC4とマークレビンソンのML2Lである。
この組合せの音は、予想通りの精緻で美しい音がしたと語られている。

思い出していただきたいのは、ML2Lについて前に書いたことだ。

井上先生は、ML2Lのパワーの少なさを指摘されていた。
普通の音量ではなまじ素晴らしい音がするだけに、そのパワーの少なさを残念がられていた。

井上先生がそう感じられたのは、この組合せの試聴においてであることがわかる。
井上先生は、こう語られている。
     ※
鮮明に広がるステレオフォニックな音場感のよさと音像定位の美しさが魅力的ですね。
これはこれで普通の音量で聴く場合には、一つのまとまった組合せになります。
ただ、大音量再生時のアンプ側のクリップ感から考えてみると、
これはオートグラフのほうにはまだ十分に大音量をこなせる能力があるということになります。
     ※
記事に掲載されているところだけ読んだのでは、井上先生が感じておられた微妙なところは、
残念ながら伝わってこない。
致し方ないだろう。書き原稿ではないし、あくまで井上先生が話されたものを編集部がまとめているものだけに。

それでも、アンプ側のクリップ感、普通の音量、といったところに、
それとなくML2Lの出力の少なさに対する不満が表れている。
ロックウッドのMajorのエンクロージュアは、ダブルチェンバーをもった、やや特殊なバスレフ型だ。
アカデミー・シリーズは、フロントバッフルとリアバッフルを4本のボルトナットで、
強固に締めつけるとともに、リアバッフルを留めているネジもかなりの本数使っている。

Majorもアカデミーも、どちらも、同時期のタンノイの純正のシステム、
アーデンやバークレイのエンクロージュアとは相当に異るつくりとなっていた。

写真ではMajorの仕上げはなかなかのように思えるが、
実物を見ると、意外にラフなところも見受けられて、ちょっとがっかりしたものだが、
出てきた音には、素直に驚いた。

タンノイとスピーカーといえばアーデンしか聴いたことはなかったが、
同じスピーカーユニット(HPD385A)が、こんなふうに変身するのか、と、
アーデンとMajorを聴いて、驚かれない人は少ないだろう。
エンクロージュアが違うと音がどう変化するのかの、好例といえる。

もっともアーデンは23万9千円、Majorは48万8千円と倍以上するのだが(ともに1本の価格)。

井上先生は、ステレオサウンド 42号の新製品紹介で、Major Geminiについて、山中先生と語られている。
同じスピーカーユニットを使っても、エンクロージュアが違えば、音は大きく変ってくる。
スピーカーユニットの性能、可能性が高いほど、エンクロージュアの役割の重要さは比例して高くなる。

スピーカーユニットとエンクロージュアの関係を語るのは、どれだけ言葉を尽くしても語り尽くせぬほど、
切っても切れぬ強固な関係といえよう。

特にタンノイにおいては、かなり以前から、
エンクロージュアの存在が大事であるとマニアの間で言われつづけてきた。

長島達夫先生は、タンノイのユニットは、エンクロージュアとの関係において、
サウンドボックスのダイアフラムの役割を果たすものと捉えられていた。
一般的なスピーカーとは異るアプローチによるエンクロージュアの考え方から、
タンノイのスピーカーシステムはつくりあげられている、ということだった。

いわばかなりやっかいで、扱い難いユニットといえるだろう。

このタンノイのスピーカーユニットを使って、システムとして成功した数少ない例が、
タンノイと同じイギリスのロックウッド社だ。

ロックウッドの製品には、38cm口径ユニットを2本縦に並べて搭載したMajor Geminiと、
1本だけのMajorという大型スピーカーと、
ブックシェルフサイズのアカデミー・シリーズがあった。
タンノイ・オートグラフでジャズなんて無理、というのは、私の思い込みでしかなかったわけだ。

まぁ無理もないと思う。16歳だった。オーディオの経験も、いまの私と較べてもないに等しいし、
まして井上先生と較べるなんて......、くらべようとすること自体無理というもの。

当時は、わずかな経験と、本から得た知識だけで、オートグラフでジャズは無理、とそう思い込んでしまっていた。

タンノイ、オートグラフという固有名詞をはずして考えてみたら、どうだろうか。

38cm口径の同軸型ユニットで、フロントショートホーンとバックロードホーンの複合型エンクロージュア。
イギリス製とか、タンノイとか、そういったことを無視してみると、
決してジャズに不向きの構成ではないことに気がつく。

岩崎先生は、JBLのハークネスをお使いだった。
ステレオサウンドの記事でもバックロードホーンを何度か取りあげられているし、
「オーディオ彷徨」のなかでもバックロードホーンについて熱っぽく語られている。

ジャズとバックロードホーンは、切り離しては語れない時期が、たしかにあった。

JBLのバックロードホーン・エンクロージュアとオートグラフとではホーン長も違うし、構造はまた異る。
だから一緒くたに語れない面もあるにはあるが、ジャズが鳴らない理由は特に見あたらない。

ユニットにしてもそうだ。
タンノイのユニットがクラシック向きだというイメージが浸透し過ぎているが、
ロックウッドのスピーカーシステムを一度でも聴いたことがある人ならば、
タンノイの同軸型ユニットのもつ、別の可能性を感じとられていることだろう。
LNP2とMC2300で鳴らされるオートグラフは、
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、パワフルで引き締った音がした、
と井上先生は語られている。

さらにモニタースピーカー的な音に変り、エネルギー感、とくに低域の素晴らしくソリッドで
ダンピングの効いた表現は、4343にまさるとも劣らない、とある。

たしかに、ここで語られるとおりの音が鳴っていたら、まさしくオートグラフのイメージからは想像できない。

この組合せの音について、井上先生に直にきいてみたい、
ステレオサウンドで働くようになってから、そう思っていた。
井上卓也の名前を強烈に感じたのは、1979年にステレオサウンドの別冊として刊行されていた
「世界のオーディオ」シリーズのタンノイ号である。

タンノイを生かす組合せは何か、という記事だ。

ここで井上先生は、タンノイのバークレイ、アーデン、ウィンザー、バッキンガムの他に、
GRFとAutograph(オートグラフ)の組合せをつくられている。
驚くのは、オートグラフの組合せで、高能率の、このスピーカーにあえて
ハイパワーアンプのマッキントッシュのMC2300を組み合わせて鳴らされている。

しかもコントロールアンプは、マッキントッシュと対極にあると、当時思っていたマークレビンソンのLNP2である。

79年といえば、まだ16歳だった私のオーディオの思い込み、常識を、軽く破壊してくれた組合せである。

本文を読んでいただくとわかるが、MC2300のパワーメーターが、ときどき0dBまで振れていた、とある。
つまり300Wのパワーが、オートグラフに送りこまれていたわけだ。

それでジャズだ。
菅野先生録音の「サイド・バイ・ステップ」を鳴らされている。
山崎ハコの「綱渡り」も聴かれている。

この人は、何かが違う、この記事を読みながら、そう感じていた。
井上先生にはじめてお会いしたのは、ステレオサウンド 62号の新製品の試聴である。

たいてい試聴は午後1時からのスタートなので、午前中に試聴器材をセットし、
新製品の電源を入れウォームアップして、あとは井上先生の到着を待つばかりにしておく。

当時の新製品の担当者のSさんが「井上さんが来られるのは、夜だよ」と言う。
それでもいつ来られるかははっきりしないので、試聴室で、待っていた。

夕方ぐらいかなと思っていたら、あっという間に7時になり、お見えになったのは9時か10時くらいだったか。
これがステレオサウンド編集部で働きはじめて、1ヵ月ぐらいの出来事だった。

すでに何人かの方の新製品の試聴に立会っていたので、このくらいの新製品の数だと、
試聴の時間は、このくらいかな、とある程度予想していた。

予想は見事に、多くハズレた。

このとき、JBLの4411が含まれていた。
横置きのブックシェルフ型で、当時は、スピーカースタンドも、ほとんど市販されているものはなく、
このタイプは、意外に設置に一工夫いる。

4411のセッティングだけでも、どのくらいの時間をかけられただろうか。
長かった。まだ長時間の試聴ははじめてだっただけに、疲れもあったけど、
出てくる音の変化に耳をすましていると、楽しい。

ステレオサウンドに書かれたものだけを読んでいてはわからなかった、
井上先生の魅力を感じはじめた日になった。
30cmウーファーを4発使ったスピーカーシステムといえば、
インフィニティが1988年に発表したIRSベータがそうだ。

グラファイトで強化したポリプロピレン採用のコーン型ウーファーを4発、縦一列に搭載したウーファータワーと、
中低域以上はインフィニティ独自のEMI型なので、タワーというよりも、プレーンバッフル形状で、
指向性は前後に音を放射するバイポーラ型。

4発搭載されているウーファーのうちの1基は、MFB方式(サーボコントロール)が採用され、
専用のチャンネルデバイダーに、ウーファーからの信号がフィードバックされている。

このサーボコントロールをオンにした状態で、ウーファーのコーン紙を軽く押してみると、
瞬時に押し戻される感触があり、この機能を実感できる。

サーボコントロールのおかげだろうか、ウーファータワーのサイズは、奥行きがそんなにないのと、
フロントバッフルもウーファーのサイズぎりぎりまで狭められていて、実は意外にコンパクトである。

このIRSベータを、井上先生が、ステレオサウンドの試聴室で鳴らされた音を聴いた。

風圧を伴っていると感じるくらいの低音の凄さを聴くと、大半のスピーカーの低音の再生に物足りなさを覚えてしまう。

IRSベータの試聴がおわったあと、井上先生が、試聴室横の倉庫をのぞかれて、
「おい、あれ、持って来いよ」と言われた。
BOSEの301だった。

何を指示されるのかと思っていたら、301とIRSベータのウーファータワーの組合せだった。
おそらく、こんな組合せの音を聴いたのは、その時試聴室にいた者だけだろう。

井上先生の凄さは、こういう組合せでも、パッパッとレベルをいじり、それぞれの位置も的確に決められ、
ほとんど迷うことなく、ごく短時間で調整されるところにある。

この音も驚きであった。低音再生の深みに嵌っていくだろう。
オーディオ評論について考える時、思い出すのが、井上先生が言われたことだ。

──タンノイの社名は、当時、主力製品だったタンタロム (tantalum) と
鉛合金 (alloy of lead) のふたつを組み合わせた造語である──

たとえば、この一文だけを編集者から渡されて、資料は何もなし、そういう時でも、
きちんと面白いものを書けたのが、岩崎さんだ。
もちろん途中から、タンノイとはまったく関係ない話になっていくだろうけど、
それでも読みごたえのあるものを書くからなぁ、岩崎さんは。

井上先生の、この言葉はよく憶えている。
試聴が終った後の雑談の時に、井上先生の口から出た言葉だった。

井上先生は、つけ加えられた。
「それがオーディオ評論なんだよなぁ」と、ぼそっと言われた。

それから、ずっと心にひっかかっている。

岩崎先生は、「オーディオ評論とはなにか」を、以前ステレオサウンドに書かれている。
そのなかで、柳宗悦氏の言葉を引用されている。

「心は物の裏付けがあってますます確かな心となり、物も心の裏付けがあってますます物たるのであって、
これを厳しく二個に分けて考えるのは、自然だといえぬ。
物の中に心を見ぬのは物を見る眼の衰えを物語るに過ぎない」

ふたつの言葉が浮かぶ。

釈迦の「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」と
川崎先生の言葉の「いのち、きもち、かたち」である。
ステレオサウンド 63号の記事で井上先生がやられていることは、
4343の聴感上のSN比を高めることである。

そのために音響レンズ2308のフィンの間に消しゴムを小さく刻んだものをはめていく、
2405の取付け穴のメクラ板の鳴きを抑えるためにブチルゴムを、ほんのすこし貼る、などである。

大事なのは、雑共振を適度に抑えられていること。

たとえばメクラ板全面にベタッとたっぷりのブチルゴムを貼れば、ほとんど鳴きを抑えることは出来るが、
音が必ずしも良くなるものではないことは、言うまでもないことだろう。

しかも重要なのは、井上先生がやられていることは、気に喰わなければすぐに原状復帰できる点である。

だからハンダ付けを必要とするパーツの交換については、いっさい語られていない。

ネットワークのコンデンサーを、違う銘柄のモノに交換する場合、
まず既存のパーツを取り外すためにハンダゴテを当てる。
当然熱が加わる。取り外すパーツにも、それ以外のパーツにも、である。
この熱が、少なからずパーツに影響をあたえる。しかもその影響を取り除くことはできない。

井上先生が言われていたのは、アンプでもスピーカーでもいい、
パーツに熱を加えたら、それだけ音は変化(劣化)する。決して元には戻せない、ということだ。

交換したコンデンサーをまた外して元のコンデンサーを取りつけても、
以前のまったく同じ音にはならないことは肝に銘じておきたい。

このことは修理にも言える。
音をよく理解しているメーカーは、アンプの修理の場合、片チャンネルのあるパーツを交換した際、
異常がなくても、反対チャンネルの同じパーツを交換する。
片チャンネルだけのパーツの交換では、熱による影響によって、微妙とはいえ、
左右チャンネルの音に無視できない音の差が生じるためである。

ブチルゴムは、貼った音が気に喰わなければ剥がせばいい。
全面的に気にいらなくても、すこしでもいい点を感じとることが出来たら、
ブチルゴムの大きさや貼り方を工夫してみる。
さらにはメクラ板を、いろんな材質で、厚みを変えて作ってみるという手もある。

そうやって経験を、ひとつひとつ積み重ねていくことは、いずれ宝となる。
井上先生がよく言われていたことがある。
海外製品を買うときの心得だ。
「買うと決めたモノは、目の前にあるそれを買うこと。強引に奪ってでも買え!」
何度この言葉を聞き、何度この言葉を実感したことか。

国産オーディオ機器、とくに大メーカーのモノは型番が変わらない限り、
初期のロットの製品も中期のモノも後期のモノも、パーツが変わっていたり、
コンストラクションが微妙に変化してたりすることは、まずない。

ところが海外製品は、型番は同じでもロットが違えば中身も異る、そう思っていたほうがよかった。
少なくとも1980年代までは、そうだった。

有名なマランツ#7だって、ボリュームの銘柄が変っているし、コンデンサーも大半はスプラーグ製だが、
ごく一部にグッドオール製が使われているものもあると聞く。
しかもマランツ#7はラグ板を使ったワイヤー配線だから、作り手の僅かな技倆の差も、
バラツキとなって出てきても不思議ではない。

マークレビンソンのLNP2やJC2も、ずいぶんロットによってパーツが違う。

初期ロットがいいと言う人もいるだろう、後期のほうがいいと言う人がいてもいい。
大事なのは、音を聴いて、猛烈に欲しい、買いたい、買う! と決めたならば、
聴いた現物を買ったほうがいい。
キズがあっても、多少くたびれた感じであっても、それを買うべきだ。

新品の方がもっといい、と思いたがる。私だって、そうだ。
でも、新品の入荷を待って購入したとしよう。それが、聴いて惚れたモノと、
まったく同じだという保証は、当時の海外製品にはなかった。

もちろんもっと気にいるモノである可能性もある。

どちらを採るかは、その人次第だ。
4343にはアルニコ仕様とフェライト仕様の4343Bがある。
ときどきアルニコ仕様の4343のことを4343Aと書く人がいるが、4343Aというモデルは存在しない。

4350、4331、4333には改良モデルのAが存在する。
型番末尾の「A」はアルニコの頭文字ではなく、改良モデルを表している。

ついでに書いておくと、4345BWXと書く人もいる。
4345が正しい表記で、4345にはフェライト仕様しかないので、
アルニコ仕様と区別するための「B」はつかない。
またWXも仕上げの違いを表すもので、4345以降はウォールナット仕上げのみとなったため、型番にはつかない。

4343と4343Bの違いは、ウーファーの2231Aとミッドバスの2121が、
フェライト仕様の2231H、2121Hに変更されているだけだ。
ミッドハイの2420、トゥイーターの2405はどちらもアルニコ仕様である。

4343の後継機4344となると、すこし事情が違ってくる。
最初の頃は、4343Bと同じようにウーファーとミッドバスがフェライトで、
ミッドハイとトゥイーターはアルニコだったが、
どうも途中からミッドハイの2421Bがフェライトに変わっている。

2405は最後までアルニコだったと思っていたが、
どうもこれも後期のロットにはフェライト仕様の2405Hが搭載されているものがあるときく。

世の中にはアルニコ神話に近いものがある。
自分の使っているスピーカーに、アルニコ仕様とフェライト仕様があるならば、
やはりどちらが良いのか、とうぜん気になってくる。

たまたま井上先生の取材の時に、そういう話になったとき、
「JBLに関しては、アルニコとフェライトは良し悪しじゃなくて、好みで選んでいいよ」
と言われたことがあった。

どうもスタジオモニターのユニットをひとつひとつ、
アルニコとフェライトに入れ換えて試聴されたうえでの、結論のようだった。

でも、つづけて「2405だけはアルニコだね。これだけはアルニコの方が良いよ」と言われた。
スピーカーのワイドレンジ実現のための有効な手段のひとつが、マルチウェイ化だ。
フルレンジよりも2ウェイ、2ウェイよりも3ウェイ、そして現実的には4ウェイが限界だろう。

周波数レンジの拡大だけでなく、それぞれのユニットを良好な帯域のみで使用することで、
低歪化も狙えるし、最大出力音圧レベルの点でも有利になる。

井上先生──ことわるまでもないが、私にとって井上先生は、井上卓也氏のこと──が、
「2ウェイは二次方程式、3ウェイは三次方程式、4ウェイは四次方程式みたいなもので、
解くのがだんだんと難しくなってくる」とよく言われていたのを思い出す。

4ウェイとなると、同軸ユニットを使わない限り、最低でも4つのユニットが必要になり、
ユニットの口径も、4343を例にあげれば、ウーファーは38cm、
トゥイーターの2405のダイヤフラムの口径は1-3/4インチとかなりの開きがある。

これだけ大きさの異るものをどう配置するか。
定位の再現性を考慮すれば、できるだけ個々のユニットは近づけたいが、
それぞれのユニットの音響面を少しでも理想的にするには、
そしてユニット同士の干渉──音響面だけでなく磁気的な面も含め──を減らすには、
ユニット間の距離は逆に広げたい。

問題になるのは、指向性である。水平方向の指向性は確保できても、
垂直方向の指向性をほぼ均等に保つことは、かなり難しい。
4331Aについて井上先生は、ステレオサウンド 62号に
「システムとしては、バランス上で高域が少し不足気味となり、
3ウェイ構成が、新しいJBLのスタジオモニターの標準となったことがうかがえる」し、
4333Aについて「本格的な3ウェイ構成らしい周波数レスポンスとエネルギーバランスを持つシステムは、
4333Aが最初であろう」と書かれている。

瀬川先生は、41号に、「家庭用の高級スピーカーとしては大きさも手頃だし、
見た目もしゃれていて、音質はいかにも現代のスピーカーらしく、
繊細な解像力と緻密でパワフルな底力を聴かせる」L300の登場によって、
「4333の問題点、ことにエンクロージュアの弱体がかえっていっそう目立ちはじめた」と書かれている。

4331/4333から4331A/4333Aの変更点は、主にエンクロージュアにある。
使用ユニットにいっさい変更はない。
板厚が、43331/4333はすべて19mm厚だったが、フロントバッフル以外を25mm厚にしている。
バスレフポートが、4331/4333で、ウーファーの上部横だったのが、
ウーファーの斜下、エンクロージュアのかなり低いところに移動し、
ポートの径も多少小さくなっている。
2405の取付け位置もまた変更され、4320と同じ位置になっている。
こういった細かな改良を施したことによって「4333よりもL300が格段に良かったのに、
そのL300とくらべても4333Aはむしろ優れている」と瀬川先生は高く評価されている。

C50SMからスタートしたスタジオモニターは、4333Aとなり、
質の高いワイドレンジを実現したことになる。
以前から言われていたことだが、安易にワイドレンジ化すると、
中域が薄く(弱く)なるということがある。

この場合のワイドレンジ化はトゥイーターによる高域を伸ばすことだが、
トゥイーターを追加してもレベルを他のユニットときちんと合わせて鳴らせば、
中域が薄くなるということは理屈に合わないように思える。
そう思って聴いても、中域が薄く感じられる例がある。

井上先生もステレオサウンド62号に、具体例を書かれている。
     ※
 余談ではあるが、当時、4320のハイエンドが不足気味であることを改善するために、2405スーパートゥイーターを追加する試みが、相当数おこなわれた。あらかじめ、バッフルボードに設けられている、スーパートゥイーター用のマウント孔と、バックボードのネットワーク取付用孔を利用して、2405ユニットと3105ネットワークを簡単に追加することができたからだ。しかし、結果としてハイエンドはたしかに伸びるが、バランス的に中域が弱まり、総合的には改悪となるという結果が多かったことからも、4320の帯域バランスの絶妙さがうかがえる。
 ちなみに、筆者の知るかぎり、2405を追加して成功した方法は例外なく、小容量のコンデンサーをユニットに直列につなぎ、わずかに2405を効かせる使い方だった。
     ※
なぜこういう現象が起こるのか。
40万の法則が、ここでも当てはまる、と私は思っている。
井上先生がよく言われていたのは
「レコードは神様だ、だから疑ってはいけない」。

なかには録音を疑いたくなるようなひどいディスクもあるけれど、
少なくとも愛聴盤、自分が大事にしているディスクに関して、
疑うようなことはしてはいけない、と私も思う。

「このレコードにこんなに音が入っていたのか」ではなく、
「このレコードって、こんなにいい録音だったのか」と思ったことが何度かあるだろう。

己の未熟さを、少なくともレコードのせいにはしたくない。

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