2009年12月アーカイブ

the GULDA MOZART tapes のI集とII集、あわせて5枚をこの二日で聴いていた。

少し大きめの音量で、この時季に聴いていて確信したのは、グルダのモーツァルトが鳴っていると、
部屋が暖かく感じられるようになる、ということ。

エアコンをつけていても部屋は暖かくなるが、それとは種類の違う温かさで、
陽当りのいい部屋にいると、陽射しによって直接からだがあたたまっていくのと、
あきらかに同じ感じのものということ。

そんな聴き方をしているのか、と怒られそうだが、スピーカーに背をむけて、
グルダのモーツァルトを背中に浴びていると、つよく実感できる。
グルダのモーツァルトには「光がある」と。
ヨゼフ・ホフマンが語っている。

Perfect sincerity plus perfect simplicity equals perfect achievement.
完璧な誠実さに完璧な単純さを加えることで、完璧な達成にいたる。

工業製品であるスピーカーに、完璧な誠実さ、完璧な単純さは、いまのところ求められないが、
十分な誠実さに十分な単純さを加えることで、十分な達成にいたることはできる。
欠点はあっても、十分なスピーカーシステムはつくることはできる。

誠実さはあっても十分な単純さがなければ、不十分なスピーカーとなろう。
誠実さもなく、単純さもないスピーカーがある。「欠陥」スピーカーのことだ。
SUMOのThe Gold、The Powerのマニュアルには「ELECTROSTATIC SPEAKERS」の項目がある。

While both amplifiers (The Power and The Gold) are fully capable of driving electrostatic speaker, we feel that the Gold is more suited to this kind of application. Also, please be aware that "The Power" may have far too much output VOLTAGE potential under certain circumstances with most electrostatic devices. Such would be the case for example, in attempting to drive the QUAD electrostatics. Under NO CIRCUMSTANCES would you ever attempt to use either of these amplifiers to drive the QUADs as virtual destruction is assured for the speaker. We feel that due to its restricted output voltage capabilities, the forthcoming "NINE" 70 watt Class A amplifier will be ideally suited for driving the QUAD.

SUMOのラインナップは、The Powerとその半分の出力のThe Half、
The Goldとその半分の出力のThe Nineがあり、
QUADのESLを鳴らすのであれば、70Wの出力のA級アンプのNINEを使え、ということだ。
他の3機種ではESLを壊してしまう、という注意書きだが、
QUADのESLを、The Goldで、私は鳴らしていた。

The Goldだったから、あんなに狭い部屋でもESLが鳴った。
よけいな苦労を背負い込まなくてすんだ。
岩崎先生が書かれている。
     *
高価な高級品ほどよく鳴らすのがむずかしいものである。わが家には昔作られた、昔の価格で1000ドル級の海外製高級システムから、今日3000ドルもする超大型システムまで、いくつもの大型スピーカーシステムがある。こうした大型システムは中々いい音で鳴ってくれない。トーンコントロールをあれこれ動かしたり、スピーカーの位置を変えたり。ところが、不思議なのは本当に優れた良いアンプで鳴らすと、ぴたりと良くなる。この良いアンプの筆頭がパイオニアのM4だ。このアンプをつなぐと本当に生まれかわったように深々とした落ちつきと風格のある音で、どんなスピーカーも鳴ってくれる。その違いは、高級スピーカーほど著しくどうにも鳴らなかったのが俄然すばらしく鳴る。昔の管球式であるものは、こうした良いアンプだが、現代の製品で求めるとしたらM4だ。A級アンプがなぜ良いか判らないが、M4だけは確かにずばぬけて良い。
     *
同じ経験は、私もあるし、他の方もお持ちであろう。
良いパワーアンプで鳴らしてみると、それまではスピーカーのせい、セッティングのせいにしていたことが、
パワーアンプがスピーカーを十全にドライブしていなかったことに起因していたことがはっきりとする。

(その11)で書いているが、基本的に井上先生も同じことを言われている。

QUADのESLが、パワーアンプの進化とともに、その評価を増していったことを思い出してほしい。
欲しいと想い続けてきたスピーカーを手に入れて、すぐに音を出したくなる気持は、私にだってある。

だが、手に入れるまでに、なんらかの苦労があったスピーカーであればあるほど、
できるだけ最初の音出しから、いい環境で、と思う。

少なくとも基本的な素性のいいもの、スピーカーの品格と同等とまでいかなくても、
最低限、このくらいはあってほしいと思えるだけの品格をもっているもので鳴らしたい。

他人が鳴らしたスピーカーは、鳴らしていた人の癖が残っているのと同じように、
優れたスピーカーであれば、粗雑なアンプやプレーヤーで鳴らしていた日が長ければ長いだけ、
悪い癖が残ってしまうようなところが、確実にある。

それに破鍋に綴蓋的な使いこなしの癖が、鳴らしている本人にも滲みついてしまう......。

誰しも、最初から理想的な組合せを用意できるわけではない。
だからこそ、スピーカーが最低限求めているクォリティを有したアンプなりプレーヤーを用意できないのであれば、
しばらくがまんすることも必要ではないのだろうか。

がまんしていた時間は無駄にはならない。
むしろ使いこなしに関しては、正しい選択だと思う。
月曜日の忘年会で話題になったことで知ったのだが、資生堂のCMをおさめたDVDが発売されている。
テレビなしの生活のほうが、「あり」の生活よりも長くなってしまっているから、この手の情報には、疎い。
サントリーのCMものが最初に出て、好評だったこともあり、資生堂版が出たとのこと。

Vol.1とVol.2が出ている。
収録CMのなかに、見たいものはなかった。
INOUI(インウイ)のCMである。「美術館からブラウンが盗まれました」と最後に出てくる。

このCMを制作された方が誰なのかは知らない。
それでも、音楽好きな方であることは伝わってくる。

YouTubeで見ることができる。
ここで流れているのは、カスリーン・フェリアーの歌である。
天秤の計量皿の一方には「偶然」、他方には「必然」も乗っていよう。

川崎先生は、「四季感覚」が日本人のバランス感覚を育んでいる、と書かれている。
井上先生は、季節感を大事にしろ、とことあるごとに言われていた。

日本人として、日本で暮らしていくなかで、オーディオ機器を選ぶということは、
四季を感じとりながらの行為であろう。
昨夜は忘年会だった。
私を含めて10人集まり、7時から4時間、みんな話しっぱなしだった。

参加してくださったのは、イルンゴ・オーディオの楠本さん、「幻聴日記」の町田さん、
任三郎日記」のYさんと友人のDOLONさん、「喫茶茶会記」の福地さんと友人のTさん、
管球+αに魅せられた者ども」の小栗さん、数学を教えられているKさん、
川崎先生と13年、デザインの仕事をされてきたプロダクトデザイナーの坂野さん

ひとりは女性の方で、年齢的には、下は(おそらく)30代なかばから、上は50代後半の幅があっても、
DOLONさん、Tさん、坂野さんは、初参加だったけれど、
話題が途切れるなんてことはなく、オーディオ機器の固有名詞はほとんど出ることもなく、盛り上がっていた。

オーディオには、「聴く」楽しみがある。「いじる」楽しみもある。「選ぶ」楽しみ、そしてそれを「買う」楽しみ、
「待つ」楽しみもあるだろう。

所有するオーディオに関係する楽しみ以外にも、「妄想」する楽しみがあって、「読む」楽しみがあり、
昨夜の「語る」楽しみがある。

一対一で、会って話したり電話で話すことは、今年は、とくに多かったが、
何人もの人と「語る」ことは、昨夜を含めて3回だった。少なかったと感じている。
来年は、もうすこし増やしていこう。
いざマイクロのRX5000+RY5500に取り付けてみると、そんなに悪くないことに気づく。
砲金製のターンテーブルは金色、ベースは黒。武骨で素っ気無い雰囲気が、
3012-R Specialの品格を引き立ててくれる感じもする。

信頼できる、とまでいかなくても信用できる音の入口を確保できたという手ごたえはあった。
これがハタチの時である。無理はしていたが、これでロジャースのPM510を鳴らすスタートに立てた。

この時の組合せは、コントロールアンプはJBLのSG520、パワーアンプはEL34プッシュプルのオルソン型。

惚れ込んでいたスピーカーだから、ハタチの若造だったけれど、ここまでのシステムを揃えることができたし、
ここまで揃えるまではPM510を鳴らそうとは思わなかった。

ずっと手に入れたかったスピーカーを、苦労して自分のものにした時、とにもかくにも音を出してみたい、
早くその音を聴きたい、という強い衝動をあえて抑えて、
少なくともその惚れ込んだスピーカーにふさわしい環境を用意できるまでは鳴らさないということが、
スピーカーと良好な関係を作ってくれることになることもある。

あきらかにそのスピーカーの水準に遠く及ばないアンプやプレーヤーを接いで、
最初の出てきた音に失望するくらいなら、私はがまんする、がまんできる。
人は騙されやすい。
騙されることに、実は無抵抗なのかもしれない。

なのに理屈を並べ立て、騙されていないと思い込もうとしている。
アイクマンがテクニクスのSP10を使っているのを見て、ふっきれたところがある。
3012-R Specialを取り付けたターンテーブルは、マイクロのRX5000+RY5500だった。

ヘッドシェルのことも、じつはあった。
3012-R Specialにっもともよく似合うのは、やはりオリジナルの、あの穴あきのモノ。
オルトフォンのGシェルと基本的に同じ形のこのS2シェルは、音がいいヘッドシェルとはいえない。
ヘッドシェルは、オーディオクラフトのAS4PLを使っていたし、これをそのまま使うつもりでいたけれど、
デザイン的なことでいえば、3012-R Specialにお似合いなわけではない。
だからといって、S2シェルは......。

SPU-Gシリーズを使えば解決なのだが、ユニバーサルトーンアームといえる3012-R Specialでは、
いくつかのカートリッジを交換していきたいと思っていた。

3012-R Specialとのデザイン的な組合せを細部まで追求しようとすることに、
当時は無理を感じてもいた。

だからマイクロでいこう、と決めた。
技術的知識は「有機的に体系化」できなければ、
害をもたらすことが多いということを肝に銘じてほしい。
「音楽性のない音」を別の言葉で言い表すとしたら、「肉体のない音」であろう。
小型スピーカーをメインとしている人で、サブウーファーの導入を検討されている、
もしくはすでに導入されあれこれ試されているのであれば、ぜひサブウーファーの位置を、
メインスピーカーと同軸的な位置関係になるよう、数10cm、思い切って持ち上げた音を聴いてもらいたい。

あえてどのように変化するのかは書かない。
私もまだひとつのケースでしか試していないし、条件が変われば、細かいところの変化は異ってくるから、
音の変化を縷々書いても、参考にならないところも出てくるだろうし、
できれば期待だけふくらませて、その音を聴いてほしいと思っているからだ。

なかなか適当な、そのぐらいの高さの台が見つからないという人もいるだろう。
私も、使っていないエンクロージュアを使っている。
決してサブウーファーの置き台として向いているものではない。
それでも、試してみる価値はあった。
苦労して、というよりも気合いを入れて持ち上げた甲斐があった。

置き台をさらに検討して、よりよいものを用意できれば、どんな台がいいだろうか、と考えている。

この実験で、確信が得られた。

604-8Gのワイドレンジ化をはかる時、やはりサブウーファーは、604-8Gと同じ高さまでもってくるつもりだ。
いま手もとにあるアルテックの604-8Gは、早瀬さん所有のものだった。
譲ってもらった、というよりも、いただいたものである。

瀬川先生が620Bの組合せをつくられ、
試聴の最後に「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ......」とぽつりとつぶれかれたとき、46歳。

あと数日で今年も終るが、1月生れの私は今年の大半を46歳で過ごした。

同じ46歳のときに、604-8Gが手もとにあることは、単なる偶然であろう。
それでも、そこになんらかの「意味」を見出したい。
それがこじつけであっても、他人には理解されなくても、「意味」があれば、それでいい。

オーディオから離れていた時期が、かなり長くあった。
いまのシステムは、再開したシステムが基になっている。誰にも聴かせてはいないし、
これから先、システムは変っていくが、私ひとりしか、その音を聴く人はいないということは変らない。

まだ先のことだが604-8Gを鳴らした時、エリカ・ケートのAbendempfindungの一曲だけは、早瀬さんに聴いてもらおう。
これだけが唯一の例外となるはずだ。
エリカ・ケートのドイツ歌曲集のCDにある石井不二雄氏による対訳を書き写そう。
     *
夕暮だ、太陽は沈み、
円が銀の輝きを放っている、
こうして人生の最もすばらしい時が消えてゆく、
輪舞の列のように通り過ぎてゆくのだ。

やがて人生の華やかな情景は消えてゆき、
幕が次第に下りてくる。
僕たちの芝居は終り、友の涙が
もう僕たちの墓の上に流れ落ちる。

おそらくもうすぐに──そよかな西風のように、
ひそかな予感が吹き寄せてくる──
僕はこの人生の巡礼の旅を終え、
安息の国へと飛んでゆくのだ。

そして君たちが僕の墓で涙を流し、
灰になった僕を見て悲しむ時には、
おお友たちよ、僕は君たちの前に現われ、
天国の風を君たちに送ろう。

君も僕にひと粒の涙を贈り物にし、
すみれを摘んで僕の墓の上に置いておくれ、
そして心のこもった目で
やさしく僕を見下しておくれ。

涙を僕に捧げておくれ、そしてああ! それを
恥ずかしがらずにやっておくれ。
おお、その涙は僕を飾るものの中で
一番美しい真珠になるだろう!
     *
1981年、瀬川先生はアルテックの620Bで、聴かれたのだろうか......。
この年、瀬川先生はスイングジャーナルの記事で、
604EとマッキントッシュC22、MC275の組合せの再現ともいえることをやられている。

604Eが604-8Hに、612の銀箱のエンクロージュアが620型に、MC275がマイケルソン&オースチンのTVA1に、
C22がアキュフェーズのC240に変ってはいるが、
この組合せは、あきらかにエリカ・ケートのモーツァルトの1曲のためだけに、欲しい、と思われた音を、
もういちど聴きたいと欲されたのではないだろうか。

それが無意識的にであったのか、それとも意識的に行なわれたのかは、誰にもわからないが、
無意識のうちに、この組合せをつくられたように感じるのは、私だけではないだろう。

この歌の歌詞も、偶然とは思えないのだ。

K.523 Abendempfindung(夕暮の想い)

Abend ist's,die Sonne ist verschwunden,
Und der Mond strahlt Silberglanz;
So entfliehn des Lebens schönste Stunden,
Fliehn vorüber wie im Tanz.

Bald entflieht des Lebens bunte Szene,
Und der Vorhang rollt herab;
Aus ist unser Spiel,des Freundes Träne
Fließet schon auf unser Grab.

Bald vielleicht -mir weht,wie Westwind leise,
Eine stille Ahnung zu-
Schließ ich dieses Lebens Pilgerreise,
Fliege in das Land der Ruh.

Werdet ihr dann an meinem Grabe weinen,
Trauernd meine Asche sehn,
Dann,o Freunde,will ich euch erscheinen
Und will himmelauf euch wehn.

Schenk auch du ein Tränchen mir
Und pflücke mir ein Veilchen auf mein Grab,
Und mit deinem seelenvollen Bli cke
Sieh dann sanft auf mich herab.

Weih mir eine Träne,und ach! schäme
dich nur nicht,sie mir zu weihn;
Oh,sie wird in meinem Diademe
Dann die schönste Perle sein!
1988年9月号の無線と実験に、伊藤先生製作の7027Aプッシュプルアンプの記事が載っている。
出力トランスはパートリッジのP5201、1次側のインピーダンスが10kΩのもの。

出力段はAB1級のUL接続で、出力はおよそ20W。

RA-1574-Dは五極管接続で、7027Aの規格表をみると、
AB1級で、出力トランスに6.5kΩのものを使えば、76Wの出力となっている。

1次側インピーダンスが6.5kΩのトランスで、70Wを超える出力でも使えるものとなると、まずないと思っていたが、
スウェーデンのトランス専門メーカー、ルンダールのラインナップのなかに、6kΩのものがある。
7027Aは、やはりAB1級で6kΩのトランスを使えば、50Wの出力を取り出せる。

伊藤先生の製作例があること、ウェストレックスのカッターヘッド用のドライブアンプに使われていたこと、
このふたつの理由に、ぴったりのトランスがいまでも入手できることがわかり、
7027Aのプッシュプルアンプをつくるのもよさそうだと、ひとり納得していたところで思い出したことがある。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
瀬川先生が、1981年に書かれた文章だ。

真空管アンプでは、出力が50Wをこえるあたりから(できれば70W以上はほしい)、
トランジスターアンプにくらべれば小さな値ではあっても、
出力の余裕から生れてくるものが感じとれるような気がする。

70Wクラスのパワーアンプといえば、マッキントッシュのMC275が75W+75W、マランツのModel 9が70W。
もう少し新しいところではマイケルソン&オースチンのTVA1が70W+70W、ジャディスのJA80が80W。

マランツだけが出力管はEL34のパラレルプッシュプルで、あとの3機種はKT88のプッシュプル。

個人的には出力管をパラレル使用はしたくない。
となると使える真空管は限られてくる。

ウェストレックスに、RA-1574-Dというアンプがある。
出力管は7027のプッシュプルで、出力は75W。
このアンプは、WESTREX 3D STEREODISK SYSTEM に使われている。
つまりカッターヘッド用のアンプである。

パワーアンプ部を見ると、初段は12AU7で、次段が12AU7のP-K分割、12BH7で増幅したあと、
7027の固定バイアスの出力段となっている。

RA-1574-Dの回路図を見たときから、これでスピーカーを鳴らしてみたら......と妄想していたのである。
アルテックの604-8Gが来てから、あれこれ考えるのが楽しい。
エンクロージュアをどうするか、ネットワークは、あれを試してみたい、
それにユニットの取り付け方でも試してみたいことがあって、
時間が空くと、とにかく妄想をふくらませている。

パワーアンプについても、妄想している。
やはりいちどは真空管アンプで鳴らしてみたい、とも思っている。

604-8Gは、型番が示すように604Eまでの16Ω仕様から、
トランジスターアンプで鳴らすことを前提に8Ω仕様に変更されている。

最新のトランジスターアンプで鳴らすことも考えながら、真空管アンプまで自作しようかな、などと、
いったいいつ実現するのかわからないくらいに、妄想的計画は大きくなっていく。

出力管は何にしよう、と考えると、たしかにウェスターンの300Bに惹かれるものはあるが、
プッシュプルで20W弱。
604-8Gを鳴らすには、これでも十分といえるものの、最新のプログラムソースに対応するためには、
正直もうすこし出力の余裕がほしい、と思ってしまう。

トランジスターアンプも、真空管アンプにしても、
良質の大出力アンプのもつ余裕から生れる特有の魅力は、
オーディオにとって必然の条件ともいいたくなる。
「現代スピーカー考」を書いている。
(その1)に、なぜ、この項をはじめたのかについてふれているが、
このときははっきりと書かなかったが、現代スピーカーの代表と巷で云われているいくつかの製品を、
じつのところ、私はまったく認めていない。

それらのいくつかは、ステレオサウンドでも割と高い評価を与えているひとがいるし、
個人のサイトやブログでも、なぜか高い評価を得ている。

他人の好みに口出しするのは僭越な行為だというひともいようが、
それでも「欠陥」スピーカーを、現代スピーカーのひとつとしてあげられることには、
つよい抵抗感がたえずわいてくる。

早瀬さんとは長いつき合いで、お互いに好みは知り尽くしているところもある。
よく長電話している。本音で語れるからだ。

早瀬さんが鳴らしてきたスピーカー、鳴らしたいと思っているスピーカーと、
私が鳴らしてきたスピーカー、鳴らしたいと思っているスピーカーは、意外と重なり合うことはない。
けれど、絶対に認めることのできないスピーカーに関しては、完全に一致している。

それらは音の好みといったこととはまったく無関係で、あきからに「欠陥」スピーカーだからである。

どんなスピーカーにも「欠点」はある。
だが多くの「欠点」を抱えているスピーカーが、「欠陥」スピーカーなわけではない。
底面開放型に関することで、関心するのはもうひとつあって、
それはエンクロージュア下部のカーテンの存在である。

底面開放型もしくは底面にバスレフポートがあるスピーカーでは、
とうぜんここから高域成分がもれてくるわけだが、
ベイシーのスピーカーのようにカーテン状のものがあると、
うまいぐあいに高域成分は吸音されていることだろう。

底面開放型であることを隠すためのカーテン状のものを下げられたのかもしれないが、
結果的には、音の面でもうまいやり方だと思う。

底面開放型を採用する場合、カーテンのアイディアもいっしょに使いたい。
もちろん見映えをどう処理するかは考えなくてはならないけれども。

アルテック604-8G用のエンクロージュアで、底面開放型か、底面にスリットをいれてみるかもしれない。
ベイシーの開店当初から底面開放型だったのか、それとも最初は密閉型だったのかははっきりしないが、
エンクロージュアの底が抜けていることを教えてくれた人は、
低音の鳴りに応じて、エンクロージュアの下部にカーテンのように垂れ下がっている布がはためているのに気づき、
スピーカーのところまで行き、布の奥に腕を入れたところ、底板がないことに気がついたそうだ。

底面開放型だということをきいて、いいアイディアだと思った。
エンクロージュアを構成する面の、どれかをなくすので広く知られているのは後面開放型だが、
底面開放型はセッティングの自由度の高さで、より使いやすいのではなかろうか。

後面開放型では、音場感の再現に好適な位置が、低音再生に好適とは限らないし、
低音がうまく鳴ってくれる位置では、音場感の拡がり、奥行の再現が十全でなかったりする。
もちろんうまくいくポイントがあるかもしれないが、たいていはどちらかをすこし犠牲にするか、
ほどほどの妥協点を見つけることになる。

その点、底面開放型では、低音の鳴り方は床との間隔を調整が重要になってくるはず。
腰の負担という視点で椅子をみれば、坐り心地よりも立ち上がるときのことが重要になってくる。

オーディオほど、椅子に坐ったり立ち上がったりする回数が多い趣味はないだろう。
真剣に音を調整する時に、短時間の間になんども、この行為をくり返す。

ぎっくり腰の経験のない人、腰に不安のまったくない人はわからないかもしれないが、
坐り心地が良い椅子でも、立ち上がるときの腰の負担が意外に大きいものがある。
腰を痛めているときは、よけいにそのことに敏感になるし、気を使う。

腰への負担がなくスッと自然に立ち上がれる椅子は、意外に少ない。
サーロジックのSPD-SW1600を導入してほぼ2年。
置き位置もほぼ決まった夏に、高さを3段階試してみた。

高さを上げるほどに、メインスピーカーとの一体感が増していくように鳴る。
そこで思いついたことを試してみた。

メインスピーカーを小型スピーカーにする。
ウーファーの口径は10cm、エンクロージュアの高さは20cm強だから、
SPD-SW1600のウーファーの口径(30cm)よりも小さいから、すっぽりおさまるようなかっこうになる。

これは、疑似的な同軸型スピーカーにできるかもしれないと思い、
SPD-SW1600の置き台に、使っていないスピーカー・エンクロージュアを使う。
ちょうどうまい具合に、SPD-SW1600のウーファーの位置が、小型スピーカーのほぼ真横になる。

サブウーファーを、この高さまで持ち上げて聴いたことはなかった。
かなりの重量があるSPD-SW1600を、ひとりで数10cm持ち上げるのが、じつは億劫だったこともある。

それに実際に試してみるとわかるが、持ち上げるのよりも大変なのは床に降ろすほうである。
ふたりでは降ろす方が楽だろうが、ひとりだと降ろす作業は、腰への負担がかなり増す。
スーパートゥイーターに関して」を書いたときに、
スピーカーのエンクロージュアの天板の鳴りの変化についてふれた。

スーパートゥイーターではなく、自然素材の吸音材(フェルトやウールなど)を乗せた音を聴くと、
天板の鳴りをできるだけ抑えてみたい、とも思うようになる。

石や金属といった、重量のある硬いものを乗せるという手もあるが、
天板の対向面である底板とのあいだで定在波が発生しているわけで、
これをなくせれば、天板の鳴りはずいぶん減るであろう。すっきりした鳴りになるのではなかろうか。

定在波は平行面があるから発生するわけで、
底板がなければ、エンクロージュア内部で垂直方向の定在波は発生しないだろうし、
そこまでしなくとも底板に空気穴、バスレフポートをもうけるのは、どうだろうか。

今年登場したスピーカーでは、リンデマンのSwing、
インターナショナルオーディオショウでA&Mのブースにあったジャン平賀氏設計のスピーカーは、
どちらもエンクロージュア底面にスリットがある。

さらに一関ベイシーのスピーカーも、実は底面開放型エンクロージュアである。
川崎先生は「プレゼンテーションの極意」のなかで、特徴と特長について語られている。
     *
「特徴」とは、物事を決定づけている特色ある徴のこと。
「特長」とは、その物事からこそ特別な長所となっている特徴。
     *
ベッセル型フィルターの「特徴」が、同軸型ユニットと組み合わせることで「特長」となる。
「いま、そしてこれから語るべきこと」のなかで、川崎先生のことば「機能性、性能性、効能性」をかりて、
オーディオの効能性についてすこしばかり書いた。

この「機能性、性能性、効能性」は、オーディオそのものについてもあてはまるし、
個々のオーディオ機器について語る時にも「機能性、性能性、効能性」をどこかで意識していく必要があるだろう。

新製品紹介の記事は、どのオーディオ雑誌にもある。
そこでもっぱら語られるのは、音について、である。

読者がもっとも知りたいことも、新製品のスピーカーなりアンプが、
どういう音を聴かせてくれるのかに興味があることだろうし、
そこに重点がおかれるのも理解できないわけではない。

それでも、「音のよさ」とは、いわゆるそのオーディオ機器の「性能性」の部分でしかないともいえる。

性能性は、物理特性のことのみではない。音のよさも、ここには含まれるとすべきである。
UREIの813のネットワークに使われているのは、ベッセル型フィルターである。
おそらくESL63のディレイ回路も、ベッセル型フィルターのはずだ。

ベッセル型フィルターの、他のフィルターにはない特徴として、
通過帯域の群遅延(Group Delay)がフラットということがあげられる。

つまりベッセル型のハイカットフィルターをウーファーのネットワークに使えば、
フィルターの次数に応じてディレイ時間を設定できる。

604シリーズのウーファーのハイカットを、ベッセル型フィルターで適切に行なえば、
トゥイーターとの時間差を補正できることになり、
これを実際の製品としてまとめ上げたのが、UREIの813や811といったスピーカーシステムと、
604E、604-8G用に用意されたホーンとネットワークである。

ホーンの型番は800H、ネットワークの型番は、604E用が824、604-8G用が828、
さらに813同様サブウーファーを追加して3ウェイで使用するためのネットワークも用意されており、
604E用が834、604-8G用が838であり、TIME ALIGN NETWORKとUREIでは呼んでいる。
ステレオサウンド 61号の記事には、ESL63の回路図が載っている。
たしか長島先生がによるものだったと記憶している。

8個の同心円状の固定電極に対して、直列に複数のコイルが使われている。
同心円状の固定電極は、外周にいくにしたがって、通過するコイルの数がふえていくようになっていた(はず)。

やはり、コイルの直列接続によって、時間軸の遅れをつくり出しているのはわかっても、
動作原理まではわからなかったし、どういうふうに定数を決定するのかも、とうぜんわからなかった。

ESL63やUREIの813に使われている回路技術はおそらくおなじものだろうと推測はできても、
具体的なことまで推測できるようになるには、もうすこし時間が必要だった。

ESL63の翌年にCDプレーヤーが登場する。
そしてD/Aコンバーターのあとに設けられているアナログフィルターについての技術的なことを、
少しずつではあるが、知ることとなる。

フィルターには、いくつかの種類がある。
チェビシェフ型、バターワース型、ベッセル型などである。
レイモンド・クックもエド・メイも具体的な方法については何も語っていない。

ふたりのインタビューが載っているのは、
1977年発行のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界'78」で、
当時出版されていたいくつかの技術書を読んでも、
ネットワークでの時間軸の補正については、まったく記述されてなかった。

だから、どうやるのかは皆目検討がつかなかった。
ただそれでも、ぼんやりとではあるが、コイルを多用するであろうことは想像できた。

同時期、アルテックの604-8Gをベースに、マルチセルラホーンを独自の、水色のホーンに換え、
604-8Gのウーファーとトゥイーターの時間差を補正する特殊なネットワークを採用したUREIの813が登場した。

813についても、ステレオサウンドに詳しい技術解説はなかった。

可能だとわかっていても、そのやり方がわからない。

少し具体的なことがわかったのは、ステレオサウンドの61号のQUAD・ESL63の記事においてである。
長島先生が書かれていた。
ゆくゆくは604-8Gをマルチアンプ駆動で、チャンネルデバイダーはデジタル信号処理のものにして、
時間軸の整合をとった同軸型ユニットの音を鳴らしてみたい、とは思っている。

それでも最初はネットワークで、どこまでやれるかに挑んでみたい。

ネットワークの場合、時間軸の整合はとれないと考えているひとが少ないようだ。
コイルとコンデンサーといった受動素子で構成されているネットワークで、
604-8Gの場合、ウーファーへの信号を遅らせることは不可能のように捉えられがちだが、
けっしてそんなことはない。

たとえばQUADのESL63は、同心円状に配置した8つの固定電極のそれぞれに遅延回路を通すことにより、
時間差をかけることを実現している。

KEFのレイモンド・クックも、ネットワークでの補正は、高価になってしまうが可能だといっている。
またJBLに在籍した後、マランツにうつりスピーカーの設計を担当したエド・メイは、
マルチウェイスピーカーの場合、個々のユニットの前後位置をずらして位相をあわせるよりも、
ネットワークの補正で行なった方が、より正しいという考えを述べている。

ユニットをずらした場合、バッフル板に段がつくことで無用な反射が発生したり、
音響的なエアポケットができたりするため、であるとしている。
604EとN1500Aの組合せにおける、こまかな工夫にくらべると、
604-8Gと、そのネットワークの組合せは、ウーファーもトゥイーターも正相接続で、
スピーカーの教科書に載っているそのままで、おもしろみといった要素はない。

それだけN1500Aと604-8G用ネットワークの仕様は違うわけだ。
だから、管球王国 Vol.25にあるように、604-8GにN1500Aを組み合わせれば、
純正の組合せの音は、同じアルテックの604というスピーカーの中での範疇ではあるものの、
かなり傾向は異ってきて当然であろう。

優れたユニットであればあるほど、活かすも殺すもネットワークの次第のところがある。

604-8Gでシステムを構築するにあたって、ネットワークをどうするか。
604-8Gについているネットワークをそのまま使うつもりはない。

ひとつのリファレンスとして、純正ネットワークの音はいつでも聴けるようにはしておくが、
ネットワークに関しては、新たに作る予定でいる。

N1500Aと同じ回路のものを試しにつくってもいいが、私が参考にするのは UREIの813である。
ループ的に独立した2系統の出力を得るのに、いまのところ最適なのはトランス出力だろう。
2次側の巻線が2つ以上あるトランスを使えば、ループの問題はほとんど解決する。

そうなるとトランスを積極的に利用したくなる。
つまりサーロジックのサブウーファーの導入が、
トランスの負性インピーダンス駆動のことを思い出すきっかけとなった。

トランスの負性インピーダンス駆動の実験の前に、トランスの2次側の巻線の接続を変えて、
2系統の出力が得られるようにしてみる予定だ。

トランスによって、サーロジックのサブウーファーの信号系と、
メインスピーカーのパワーアンプまでの信号系が、ループ的には独立する。

実際にストレーキャパシティの存在によって、トランスの、ふたつの2次側巻線は、
高周波においてはループが形成されてしまい、完全な独立とはいえない。
けれど、トランスなしの状態で、コントロールアンプの出力を並列に取り出すよりも、
ずっとすっきりし、ループのサイズも小さくなる。
オーディオの「現場」として、意見を率直に語り合う討論の場が、なぜ設けられないのか。

オーディオ雑誌の企画として、
オーディオ評論家(なかには、そう呼ばれているだけのひともいるが)が集まっての座談会ではなく、
メーカーの開発者、営業の人たち、輸入代理店の人たち、オーディオ販売店の人たち、
そしてユーザーの人たち、をも含めての討論の場の必要性を感じはじめている人はいるはずだ。
「のだめカンタービレ」の音楽の表現のほうが、直感的に伝わってくるものがあり、
それはある種普遍的な要素が多いようにも思う。
それに「のだめカンタービレ」での音楽のコマは、ほとんどが演奏シーンでもある。

「ルードウィヒ・B」での音楽の表現は、音楽そのものを直接表現することと関係していて、
手塚治虫の主観によって画となる。
だから、その主観を読み解く難しさと面白さが、「ルードウィヒ・B」にはあるともいえる。

「のだめカンタービレ」では、1コマで表現されることはない。
いくつかのコマ、数ページにわたって、表現は構成されている。

「ルードウィヒ・B」ではときに1コマで、音楽という連続している作品、
時間軸とともにある作品を表現しているのは、
手塚作品におけるモブシーンと通底しているものが感じられるとともに、
手塚治虫の、マンガという手法の限界に挑んでいた迫力が、あるといってもいいだろう。

手塚治虫が健康で長生きされていれば、1コマのもつ迫力は増し、磨かれていったはずだ。

「のだめカンタービレ」は最終回を迎え、単行本も23巻が出ている。
8年間続いた連載が終ったわけだが、すでに番外「オペラ篇」がはじまっている。
「ルードウィヒ・B」の続きを読むことはできないが、「のだめカンタービレ」は、まだまだつづいていく。

こんどは、言葉という具象的なものが、その音楽シーンに加わる。
それを二ノ宮知子がどう処理・表現していくのかも、ストーリーとともに大きな楽しみになっている。
「のだめカンタービレ」では、音楽そのものを直接画で表現しようとはしていない、といってもいいだろう。
手塚治虫の「ルードウィヒ・B」での表現手法とは大きく異るのは、
作者の二ノ宮知子が女性であることと関係しているのかもしれないし、
性差は関係なく、世代の違いもあろうし、音楽の聴き方、というよりも捉え方の違いから生じたのかもしれない。

「のだめカンタービレ」での音楽シーンでは、必ずといってよいほど聴衆がそこにいて、
彼らの表情によって、そこに響いている音楽がどのように聴き手を捉えているのかが表現される。

「ルードウィヒ・B」に登場した平均率クラヴィーアのコマ(画)は、「のだめカンタービレ」には登場しない。

手塚治虫の作品には、ときどき、それまで見たことのない画が突如として現れる。
「ルードウィヒ・B」にも、現れている。
「のだめカンタービレ」には、現れない。

だが、どちらが音楽を、音のない画から伝えるか、という点では、二ノ宮知子の手法のほうが、
作品が長く続き、手法が洗練されてきたこともあって、完成度は高い。

音楽が、じーんと伝わってくる。
まず考えたのは、ラインアンプを2組設けることである。そうすれば出力端子は、
それぞれ独立して互いに影響し合うことを極力抑えられる。

とはいうものの、JC2やテァドラからフォノアンプのモジュールやカードを外した時の音を聴いた経験からすると、
アンプの数を安易に増やしたくはない。

フォノイコライザーアンプは、ラインアンプに対して直列に存在する。
もう1組のラインアンプは並列の関係にある。
だからフォノイコライザーアンプの存在がライン入力の音に及ぼす影響と、
ラインアンプがもう1組増えることによる音の影響は、必ずしも同じ変化で、同程度の変化ではないだろうが、
電源を完全に分離できない以上は、電源を介してのループの問題は依然残るし、
ノイズの干渉などについて考えると、2組のラインアンプを用意することは、賢明な手法とは思えない。

次に考えたのはラインアンプの出力段を複数設けることである。
この場合、ラインアンプは1組で、
トランジスターならば、エミッターフォロワーなりコレクターフォロワーの出力段を、
2組の出力が必要であればラインアンプの終段に2組設ける。
NFBはそれぞれの出力からかける。

2組のラインアンプを用意するよりは多少スマートではあるが、
アンプに電源が必要である以上、やはりループの問題を確実に解決できるわけではない。
つまり、604Eは、N1500Aを接いで鳴らすと、ウーファーは逆相接続になる。
プラスの信号が入力されると、コーン紙は前にではなく、後に動く。

もちろんウーファーを正相接続にして、トゥイーターの極性を反転させるという手もあるだろうし、
ウーファーもトゥイーターも正相接続もあるなかで、
アルテックは、ウーファーを逆相にするという手を選択している。

それに直列型のネットワークを採用する例では、ウーファーのプラス端子が、
そのまま入力端子のプラスとなることが多いはずだが、
この点でも、604EとN1500Aの組合せは異る。

スピーカーユニットを逆相にすると、音の表情は大きく変化する。
フルレンジユニットで試してみると、よくわかる。

これらのことをふまえてN1500Aの回路図を見ていると、アルテックの音づくりの一端がうかがえる。
604Eのネットワーク、N1500Aは、クロスオーバー周波数は1.5kHzで、
減衰特性はウーファーは6dB/oct.、トゥイーターは12dB/oct.。
604-8Gのネットワークとはスペックの上では減衰特性が異るわけだが、
もっとも大きな違いはスペックに、ではなく、回路構成にある。

いま市販されている大半のスピーカーのネットワークは、並列型であろう。
604-8Gのネットワークも並列型である。

パワーアンプから見た場合、ウーファーとトゥイーターに、それぞれネットワークの回路がはいったうえで、
並列接続されたかっこうになっている。だからこそ、バイワイアリングという接続方法も可能になる。

直列型は、文字通り、ユニットを直列接続した回路構成となっており、
ウーファーのマイナス端子とトゥイーターのプラス端子が接続される。
12dB/oct.の場合は、並列型と同じようにトゥイーターの極性を反転させることもある。

604Eと直列型のネットワークN1500Aの組合せもその例にもれず、
ウーファーとトゥイーターのマイナス端子同士が接続される。
一見、トゥイーターの極性を反転しているかのように思えるが、
N1500Aの入力端子のプラス側は、トゥイーターのプラス側に接がっている。
黒田先生がアクースタットからアポジーに替えられた理由について、や、「同軸型ユニットの選択」の項を、
これから書いていくにあたってはっきりしておかなくてはならないと思っていることとして、
「ひたる」と「こもる」がある。

たとえば、異常に高価なアクセサリーのはびこりは、「こもり」から生れてきたといえるのではないか......。
音楽性を歪める大きな要因のひとつとなっていくのではないか......。

「こもり」は、オーディオが本来的にもつ性質でもあるからこそ、
聴き手がそこに嵌ってしまうことは、オーディオの罠に知らぬうちに嵌ってしまうことでもあろう。
しかも、「こもり」「こもる」は、ネットワークと結びついてひろがり、
それを本人には気づかせない面ももちはじめているようでもある。
なにも、349Aのアンプが、はじめて聴いた真空管アンプではない。
それ以前にも、それほど数は多くないものの、主だったもののいくつかは聴いている。

管球式であることを、どちらかといえば悪い意味で意識するアンプはあった。
よい意味で、つよく意識したのは、349Aのアンプがはじめてだった。

最初は、349Aという、この小さな出力管のよさだと思った。
次に、これがウェスターンなのか、とも思った。

だから、349Aのアンプを自作しよう、と思った。
もっとも自作するしか、他に手はないのだが。

最初は、ウェスターンの資料を見ながら、どの回路構成にするか、迷っていた。
ウェストレックスのA10の回路を元にした伊藤アンプのデッドコピーをつくるという考えは、
なぜだかなくて、すこしでも、もっといい349Aのアンプをつくろうという欲があって、
他の回路に目移りしていた。

けれど、そんなとき、思い出したことが、あった。
整流管を274Bに交換した時の音、であった。
音がんでいく様の美しさに関係することでいえば、低音の透明感の違いも大きい。
ウーファーが鳴りやんでいなければならないときでも、
どこかしらざわざわして、落着きのない子供のように、じっとしていることができなかったのが、
349Aのアンプでは、息をひそめたかのように鳴りやむ。

こういう低音の鳴り方、質感は、それまで聴いたことがなかった。
MC2300の低音とも違うし、このとき比較したわけではないが、
別の場所、別の機会で聴くことができた、他のパワーアンプとも違う。
マークレビンソンのML2Lとも、SUMOのTHE GOLDとも違う。
トランジスター式のパワーアンプで、こういう低音の鳴り方に近い音を出してくれたのは、
スレッショルドの800Aだったように思う。

その800Aでも、記憶のなかでの比較になってしまうが、こうまで、歇んだ静寂の美しさはなかったように思うし、
349Aのアンプによる静寂さには冷たさはなく、ぬくもりのようなものを感じられる。

だから、349Aのアンプにころっとまいってしまった。
伊藤先生製作の349Aプッシュプルアンプと、マッキントッシュのMC2300の違いで、
そのときの私にとって、いちばん大きな違いであり、決定的な違いだったのは、
気配の静けさだったように、いまふりかえってみると、思えてくる。

6畳ほどの、特に広くない部屋で、能率の高いJBLの2220Bと2440+2397の組合せ、
それも長辺方向に置いてあったので、スピーカーとの距離はかなり近い。

そういう条件下で聴いていると、MC2300の音の気配には、どこかざわざわしたものがついてまわる。
だから音が消えゆくときにも、ざわざわした気配が感じられ、物理的な音圧は減衰していっても、
聴感上、心理的な音圧はそれほどさがったようには感じられない。

349Aのパワーアンプのほうはというと、静かな気配がある。
だから物理的な音圧の減衰以上に、音が消えゆくように感じられたのではなかろうか。
おそらく杉井氏は、604-8Gと604-8Hのネットワークを混同されていたのだろう。
勘違いの発言だったのだろう。

604-8Hはマンタレーホーンを採用している関係上、ある帯域での周波数補正が必要となる。
それに2ウェイにも関わらず、3ウェイ同様に中域のレベルコントロールも可能としたネットワークであるため、
構成は複雑になり、使用部品も増えている。

だから、杉井氏の発言は、604-8Hのネットワークのことだろう。
勘違いを批判したいわけではない。

この記事の問題は、その勘違いに誰も気がつかず、活字となって、事実であるかのように語られていることである。

この試聴記事に参加されている篠田氏は、エレクトリでアルテックの担当だった人だ。
アルテックについて、詳しいひとのはずだ。
604-8Gと604-8Hのネットワークについて、何も知らないというのはないはずだ。

本来なら、篠田氏は、杉井氏の勘違いを指摘する立場にあるべきだろうに、
むしろ「アルテックの〝あがき〟みたいなものがこの音に出ている」と、肯定ぎみの発言をされている。

首を傾げたくなる。

そして編集部は何をしていたんだろう。
誰も気がつかないというのは、専門誌の編集者としては失格ではないだろうか。
手もとに604-8Gがあるから、ネットワークの内部を見ることができる。
シャーシー内部には、鉄芯入りのコイルが2個、コンデンサーが3個、
あとはレベルコントロール用の巻線型のアッテネーターだけである。

12dB/oct.のハイカットフィルターには、コイルとコンデンサーがひとつずつ、
18dB/oct.のローカットには、コイルはひとつ、コンデンサーはふたついる。
ハイカット、ローカットあわせて2個のコイルと3個のコンデンサーは、最低でも必要である。

インピーダンス補正や周波数特性をいじるのであれば、さらにコンデンサーやコイルが必要になる。

604-8Gの専用ネットワークには、必要最小限の部品しか収められていない。
インピーダンス補正も周波数のイコライジングを行なう部品は、何ひとつない。

アルテックのサイトから、604-8Gのネットワークの回路図がダウンロードできる。
見れば一目瞭然である。どこにも杉井氏が指摘されるようなところは、ない。

杉井氏の「解析」とはどういうことなのだろうか。
604-8Gに関して、こんな記事が出ていたことがある。
管球王国 Vol.25において、604シリーズ6機種の試聴記事が載っている。

そこで、篠田寛一氏が、604-8Gに604EのネットワークN1500Aを使うと、
「604Eに限りなく近い音で鳴る」と発言されている。

これを受けて、杉井真人氏(どういう方なのかは知らない)が、
「8Gのネットワークを解析するとわかるのですが、かなりイコライジングしているんです。
音質補正回路みたいなものが入っていて、
ある帯域にピークやディップを持たせたりして独特の音作りをしています」と補足されている。

604-8Gのネットワークには型番はない。
クロスオーバー周波数は1.5kHzで、ウーファーのハイカットは12dB/oct.、
トゥイーターのローカットは18dB/oct. となっていて、レベルコントロールは連続可変で、ツマミはひとつ。

この専用ネットワークは、ほんとうに杉井氏の指摘のとおり、独特の音作りを行っているのだろうか。
同軸型ユニットを中心としたワイドレンジのスピーカーシステム構築を考えれば、
タンノイとアルテックの同軸型ユニットを、私と同世代、上の世代の方は、最初に思い浮かべるだろう。

タンノイにするかアルテックにするか......。
別に迷ってはいなかった。最初に手にしたほうを使おう、そういうつもりでいたからだ。

主体性のない、やや受け身のスピーカー選びだが、それでも、モノとも巡り合いがあるだろうから、
ひとつくらい、こんなふうにスピーカーを選ぶのもいいかもしれない。

タンノイには、五味先生の本でオーディオと出合っただけに、その想いは簡単には語れない。
アルテックは、ここに書いたことをきいて知っていただけに、
一度は、自分の手で鳴らしてみたいと、ここ数年想い続けてきた。

タンノイとアルテック、ふたつとも手に入れてシステムを組むというのは、いまは無理だ。

だから、最初に私のところに来てくれたほうを使おうと決めた。そしてアルテックが到着した。
なにも初期LPに、高価で売買される価値がない、といいたいわけではない。

ただマスターテープの劣化を理由に、再発盤の価値を不当に貶めたり、
初期LPの価値を高めるというよりも、価格を高くするための口実として、
マスターテープの劣化のことをとやかくいうのはおかしいといいたいだけである。

初期LPを高く売りつけることだけを考えている人たちは、
エソテリックがSACDで出すショルティの「指環」についてもおそらく否定的だろう。
録音から50年前後経過している。
彼らの論理でいえば、そうとうにマスターテープの劣化は激しいはずだろうから、
それをどんなにていねいにマスタリングしても無駄だということになるだろう。

エソテリックから10月末に発売されたマゼール指揮のシベリウスのSACDを聴く機会があった。
聴く前は、正直、マゼールのシベリウスなんて興味ない、という気持があったが、
鳴りだしてすぐに、色彩ゆたかな音が融け合った、輝かしいばかりの響きに、
すこし大げさにいえば度肝を抜かれ、これぞオーディオの醍醐味だとも思っていた。

このマゼールのシベリウスも、ショルティの「指環」と同じころの録音だし、プロデューサーはカルショウだ。
これと同程度の仕上りだとすれば、ショルティの「指環」のSACDは、想像するだけでわくわくしてくる。
この期待が裏切られることはないはずだ。
短期間、というよりも保存期間の長さからすると短時間といったほうがいいだろうが、
とにかくアナログ録音のマスターテープの音の劣化は、録音経験のない人には、信じられないほど速い。
そして急激に劣化してから先は、きちんと保管されていれば、かなりゆるやかともいえる。

初期LP、オリジナル盤で商売している人たちは、なぜ、このことについてふれないのだろうか。

それとも、彼らは、初期LPのプレスのために必要なラッカー盤のカッティングは、
録音されて1か月以内に行われていると思っているのだろうか。

レコードの制作過程は、録音が終ればすぐにカッティングに移れるわけではない。
そのことは、LPの発売時期と録音日時をみてみれば、すぐにわかることだ。
以前のレコードでは、録音は前年ということもざらにある。

すくなくともマスターテープの劣化は、ゆるやかな状態の安定期にはいっているといっていいだろう。
ほとんどのレコードのカッティングは、そういう時期に行われているはずだ。
マスターテープの鮮度のいい時期は、過ぎ去っているということでもある。
いつのころからだろうか、初期LP、オリジナル盤といったものが、高値で売買されるようになってきた。

理由は、音がいいから。
再発盤は、マスターテープの劣化により、音がよくない、かんばしくない、ということになっている。

マスターテープの音は、たしかに劣化する。このことを否定する気はない。
けれど、その劣化の具合は、直線ではなくカーブしている。

デジタル録音が主流になりはじめたころ、録音に携わっている人からきいたことがある。
アナログ録音とデジタル録音を同時にやった場合、
録音してすぐの再生時には、アナログ録音のほうが、音がいい。
でも3日後に聴くと、どちらがいいとはいえなくなる。
そして1週間後だと、あきらかにデジタル録音のほうが音がいい、というよりも、
アナログ録音は、ごく短期間に急激に音が劣化する。

それにくらべてデジタル録音の劣化は、かなりゆるやかなため、日が経てば、評価は逆転するということだった。

この3日後と1週間後は、人によって多少違い、1週間後と1ヵ月後だったりすることもあるが、
アナログ録音の劣化は、急激だ、ということは一致している。
ずっと以前、伊藤先生がつくられた、ウェスターンの349Aを使ったプッシュプルアンプを聴く機会があった。
無線と実験に発表された、そのものだ。

出力は8W。増幅部の回路構成は、ウェストレックスのA10と同じ。
電源部はチョークは使っていないが、直列に1kΩの抵抗が入っている点は同じだ。

このアンプの音は、静かだった。音が鳴り止むときに、このアンプの特長が発揮される。
がさついたり、よけいな付帯音がつきまとうことなく、すーっと消えていく。
その消え際の美しさに、はっとする。
こういう音の消えかたのするアンプは、それまで聴いたことがなかった。

それに低音の透明度の高さも、印象に残っている。

スピーカーは、JBLの2220Bに、2440+2397の組合せ。
マッキントッシュのMC2300で鳴らしたときの音は、なんども聴いていたから、驚きが増した。

MC2300は300W+300Wの出力をもつ。349Aプッシュプルアンプのほぼ40倍。
349Aのアンプは、持とうとすれば、2台まとめて片手でもてる。
MC2300は両手で持ち上げるのもたいへんな大きさと重量なのに、
どちらが、この高能率のJBLのスピーカーを巧みにドライブしたかというと、わずか8Wのアンプの方だった。
チョーク・インプット方式のパワーアンプには、ウェストレックスのA10がある。
このA10の電源部も、アンコール・パワーとはすこし違う意味で、また興味深い。

目を引くのは、直列にはいっている抵抗の、その値である。1kΩとなっている。

通常、電源部はレギュレーションをよくするために、そして音質向上の意味もあって、
できるかぎりインピーダンスを低くしようとする。
電源部の配線にプリント基板ではなく銅版を使うのも、そのためである。

なのにA10では、大胆にも1kΩという、
パワーアンプの電源にとっては──真空管式とはいっても──、大きなロスが発生する値にしている。

A10の出力段は350Bのプッシュプルで、A級動作。電流の変動は少ない。
だから1kΩの抵抗によって生ずる電圧降下は、出力に関係なくほぼ一定。
だからアンプの動作には問題ない、とはいえるものの、なぜこれだけ高い値の抵抗を直列に挿入するのか。

電圧のロスだけでなく、この抵抗が発する熱量もけっこうなものがあるというのに。
パフォーマンスで、パワーアンプではめったにやらない別電源という形態を採用しながらも、
アンコール・パワーでは同一筐体内に、電源部とアンプ部をおさめている。

なぜなのかを考えていくと、アンコール・パワーはチョークは採用していても、
コンデンサー・インプット方式なのかもしれないし、
チョーク・インプット方式でも、前に述べたように臨界電流をこえるまでは、
つまりある出力以下ではチョーク・インプットとして動作しないため、
チョークが発生する振動も小出力においては少ない、つまり影響も少ないものと思われる。

だからあえて一体化という手法をとり、
電源部を含めたアンプ全体のサイズのコンパクト化を目指したのかもしれない。

マークレビンソン、チェロのパワーアンプのなかで、アンコール・パワーは、
入力から出力までの配線の長さが、もっとも短いアンプであろう。
電源部まで含めて眺めても、もっともコンパクトなパワーアンプである。

アンコール・パワーはB級動作、チョーク・インプット方式の電源の組合せという、
頭の中でだけアンプを設計する者には考えつかない、ある意味、大胆さがある。
いまや、オーディオ評論よりもオーディオ概論ばかりになりつつある。
しかも、こんな当て字をしたくなる──、オーディオ骸論......。
JBLの4343について、これまで書いてきた。ワイドレンジについては、いまも書いている。
これらを書きながら考えていたのは、放射パターンを考慮したときの同軸型ユニットの優位性について、であり、
同軸型ユニットを中核としたスピーカーシステムの構想について、である。

アルテックの604シリーズ、タンノイのデュアルコンセントリック・シリーズ──、
両社の伝統的ユニットを使い、最低域と最高域を、ぞれぞれ別のユニットで補う。

すでに、実際の製品として、アルテックには6041があり、タンノイにはキングダム・シリーズがある。
にもかかわらず、自分で確認したいこと、試してみたいことが、いまもくすぶっている。
そのくすぶりが、書くことで次の段階へとうつろうとしている。

今日、604-8Gが届いた。
トーレンスの101limited(930st)には、TSD15以外のカートリッジもとりつけては、
しばらく聴いていたことがある。
ノイマンのDST、DST62がそうだし、トーレンスのMCHIも付属していたので使っていた。

その他にもフィデリティ・リサーチのFR7のEMT仕様モデルを一時期試したこともある。

それに当時オーディオテクニカから発売されていたEMT用のヘッドシェルに、
気になるいくつかのカートリッジをとりつけては試聴していた。
このときイケダのIkeda9も試している(ただしヘッドシェルを加工する必要がある)。

内蔵のイコライザーアンプ155stを通したり、
トーンアームから出力をとりだし別途コントロールアンプを用意して聴いたり、けっこうあれこれやっている。

部分的には、TSD15以上の音を出すカートリッジは少なくない。
それでも、レコードプレーヤーシステムとして、信頼できるかどうかとなると、話は違ってくる。

やってみればわかるのだが、930stで聴くかぎり、TSD15のとき、いちばん信頼できる音が出てくる。
だからTSD15、それも丸針ではなく、新しいディスクを聴くことが多かったこともあり、
SFL針のTSD15が常用カートリッジの座にあった。

一流のプロ用機器であれば、信用はできるだろう。
けれど、優れたプロ用機器のすべてが信頼できるかというと、かならずしもそうではないだろう。

結局、誠実であるからこそ信頼できる。信頼して使える。信頼して心をあずけられる。

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