2009年7月アーカイブ

CDプレーヤーが登場し、単体のフォノイコライザーアンプが市場に現われはじめたときに、
井上先生と山中先生が指摘されていたことがある。

CD登場以前の日本のコントロールアンプは、フォノイコライザーアンプとラインアンプ、
トータルで音を決めているのに対して、
海外製のコントロールアンプ、とくにアメリカ製のコントロールアンプは、
つねにライン入力の音も試聴を重ねて、音決めされているものが大半だということだった。

つまり国産コントロールアンプは、アナログディスク再生では見事な音を聴かせてくれる機種でも、
ライン入力の音は、ちぐはぐさを感じさせるものが少なからずある、ということだ。

一方、海外のコントロールアンプのなかには、フォノ入力の音は、もうひとつ感心できないもでも、
ライン入力の音となると、俄然魅力を発揮するものがある。

もちろんフォノ入力の音、ライン入力の音、どちらも素晴らしいものが優れたコントロールアンプといえるし、
数は少ないながらも存在していた。

ラインアンプの優秀さがひときわ際立っていたのは、AGIの511(b) だろう。

ブラックパネルの511のライン入力の音は聴いたことがないが、
改良モデルの511bでは、聴く機会があった。ブラックパネルの511で受けた、いい印象がそこにあった。

ということは、日本仕様、日本からの要求ということで、
フォノイコライザーアンプのイコライザーカーヴをいじりすぎていたのかもしれない。
そんな気がしてならない。

SL10も、ライン入力の音を聴く機会があったら......、と、いまは思うしかできない。
スレッショルドの800Aは、マークレビンソンからML2Lが出るまで、LNP2Lと組み合わせるが、憧れだった。

それだけにスレッショルドには、強い関心をもっていたし、そのコントロールアンプにも期待していた。
NS10は聴いたことがないのでなんともいえないが、SL10は、こちらの期待が一方的に大きくなりすぎていただけに、
何を聴いても、もどかしさを感じてしまう音に、正直、がっかりした記憶がある。

スレッショルドは、というよたも、ネルソン・パスはパワーアンプを得意とするエンジニアだと、
このときから思いこんでしまっている。

ただ、いま思うのは、CDプレーヤーで、ラインアンプの音のみを聴いてみたら、
すこし印象が変化するかもしれないということだ。

SL10を聴いたときは、アナログディスクのみで、
つまりフォノイコライザーアンプ、ラインアンプの両方を通った音を聴いている。
スレッショルドは、1976年から80年までの4年間に開発したパワーアンプは、
800A、400A、4000 (Custom)、CAS1、ステイシス1、2、3である。
コントロールアンプは、というと、前述したように、NS10とSL10の2機種のみ。

400Aは、800Aのパワー(200Wから100W)、規模をすこし縮小したモデルであり、シリーズ機種と呼べるし、
800Aにかわるパワーアンプとして登場した4000は、すぐに全段カスコード化されて型番末尾にCustomがつき、
同時にやはりカスコード回路を全面的に採用し、NS10のシャーシーの厚みをすこし増した程度の大きさで、
75W+75Wの出力をもつCAS1を出すなどしている。

ステイシス・シリーズのあとに出たSシリーズ、SAシリーズも、パワーアンプはシリーズ展開しているのに対し、
コントロールアンプは、一時期、2機種出していたことをもあったが、
アンプ開発への力の入れ方に、コントロールアンプとパワーアンプとでは、
温度差、といったものを、どうしても感じてしまう。

ステイシス1とペアとなるコントロールアンプを出していれば、違う見方もできただろうが、
ネルソン・パスの関心は、少なくとも、スレッショルド時代は、コントロールアンプよりも、
パワーアンプのほうにつよく向いていたと言っても差し支えないだろう。

それにスレッショルドを退き、パス・ラボラトリーズから、1992年に出した最初のアンプ、
Aleph 0もまたパワーアンプである。
文章を書いている最中にも、こまかい判断を、いくつもしている。
文章を書こうというときには、もうすこし大きい判断をしている、といえようか。

それらの判断がすべて正しいわけでもないだろうが、判断なくしては書けない。

書き手がつねに心がけておくべきことは、小さなものであれ大きなものであれ、
判断は、つねに読み手に向ってなされるべきであること。

どちらを向いて、その判断を下したのか。

読み手に向っての判断であれば、その人が、私とまるっきり正反対の判断をされたとしても、
それは尊重するし、異は唱えない......。
スレッショルドの話に戻ろう。

ステイシス1のプロトタイプにいっしょに発表されていた、
NS10とSL10の2段重ねのコントロールアンプに相当するものは、ついに現われなかった。

ステイシス・シリーズとペアとなるコントロールアンプは、SL10ということになる。

SL10は、545,000円。ステイシス3が760,000円、ステイシス2は1,138,000円、
そしてステイシス1は、3,580,000円(ペア)だから、
価格の上では、SL10jとバランスがとれるのは、ステイシス3ということになる。

しかし、前述したように、SL10と同じツマミを、
ステイシス1の、メーターの動作切替スイッチに使っている。

ステイシス2と3のフロントパネルにあるスイッチは、電源スイッチのみ。
つまりフロントパネルの印象では、SL10とステイシス1がペアとなるのだが、価格的なちぐはぐさだけでなく、
規模もそうだし、アンプそのもののクォリティにも、ちぐはぐな印象がある。
SUMOのThe Goldのこと、それにこのアンプの設計者、ジェームズ・ボンジョルノについては、
いずれ改めて書くつもりでいるが、実際に、The Goldを自分のモノとして使うと、
井上先生の言葉が正しいことが実感できた。惚れこんで、使っていた。

そうなると、やはり回路図を入手したくなる。
いまもそうだが、興味のあるオーディオ機器、自分で使っている(いた)モノについては、
回路図をできるかぎり入手してきた。

回路図を見たからといって、なにかが変わるわけでもないだろう。
その機械の回路構成を知ったからといって、それだけでいい音が出せるようになるわけではない。

それでも、やはり回路図は、どれだけ時間がかかっても、見ておかないと気が済まないところがある。
しつこい性格なのだろう。

だから、いまも、気が向いたとき、すこし時間の余裕があるときは、
じっくりとあれこれネット検索して、回路図を入手している。

最近入手したもので興味深いと思ったのは、
スチューダーのA101という電圧増幅用モジュールアンプの回路図である。

差動入力で、トランジスターの使用数はわずか4石。抵抗が5本に、コンデンサーがひとつ、という、
これ以上、どこも削りようがないくらいの素子数の少なさである。

素子数の少なさ=シンプルな回路、といえるほど単純なものではないが、
このA101の回路は、よく考え抜かれたものだと感心する。
この回路は、いろいろと使えそうだと、直観した。
プロトタイプのステイシス1に使われた言葉を、井上先生は、SUMOのThe Goldにも使われている。

ステレオサウンド 55号の新製品紹介の記事で、The Goldの音は、一定の姿形を持っていないため、
あらゆるいい言葉があてはまり、つまり言葉で表現しにくい、とことわられている。

さらに以前紹介したステイシス1とよく似た印象である、とも。

この記事を読んだとき、まだThe Goldの音は、当然だが、聴いていなかった。
それに、800A以来、ずっとスレッショルドのアンプには注目してきていただけに、
この、少しばかりガサツなところが感じられるアンプが、
洗練された印象のスレッショルドのステイシス1と似ている、ということは少なからずショックだった。

それにステイシス1はモノーラル構成で、規模も大きい。
価格もThe Goldの2倍以上なのに......、とも思っていた。

しかも井上先生は、ステイシス1よりも、The Goldのほうが反応が速く、より変化自在である、とも語られている。

つまりステイシス1よりも優れている、ということに、すこしThe Goldが憎く思えてきたものだ。

結局、のちに、そのThe Goldに惚れこんで購入するのだけれど......。
4、5年前だったか、ネルソン・パス主宰のパス・ラボのウェブサイトで、
パスが過去に設計したアンプの回路図のほとんどが公開されていたことがあった。
残念ながら、いまはダウンロードできないようだ。
でも、ここで入手したのものだろう、いくつかの海外の個人サイトでは、
主だったものの回路図が公開されている。

デビュー作の800Aはもちろん、私がいちばん知りたかったステイシス・シリーズの回路図も、そこにはあった。

回路図を実際にみると、あとに公開された概念図どおりの構成だった。
カレントミラー・ブートスラップと名づけられた回路が、出力段のトランジスターに接続され、
ステイシスアンプ(むしろステイシスセクションと呼ぶべきだろう)の要求通りの電流を、
供給するようになっている。

プロトタイプのステイシス1が、2台のアンプを組み合わせることで実現していたことを、
市販されたステイシス・シリーズは、より合理的に1台のアンプとしてまとめあげたわけだ。

とはいうもの、ここまで回路構成が異ると、設計思想は同じでも、とうてい同じ音がするわけはない。

もちろん、設計者のネルソン・パスは、市販した方のステイシス回路を、
より発展性があり(だから、ステイシス2、3が出たのだろう)、
よりスマートなものとして、進化したステイシス回路と考えているのであろう。

それでも、プロトタイプのステイシス1の音は、いちど聴いてみたかった。
見ればみるほど、プロトタイプのステイシス回路は、興味深いからだ。

井上先生は、たしか「変化自在の音」と言われていたように記憶している。
スピーカー用のLCネットワークの減衰特性には、オクターブあたり6dB、12dB、18dBあたりが一般的である。

最近ではもっと高次のものを使われているが、6dBとそれ以外のもの(12dBや18dBなどのこと)とは、
決定的な違いが、ひとつ存在する。

いまではほとんど言われなくなったようだが、6dB/oct.のネットワークのみ、
伝達関数:1を、理論的には実現できるということだ。
少し前に、あるスピーカーについて、ある人と話していたときに、たまたま6dB/oct.のネットワークの話になった。

そのとき、話題にしていたスピーカーも、「6dBのカーブですよ」と、相手が言った。
たしかにそのスピーカーは6dB/oct.のネットワークを採用しているが、
音響負荷をユニットにかけることで、トータルで12dB/oct.の遮断特性を実現している。
そのことを指摘すると、その人は「だから素晴らしいんですよ」と力説する。

おそらく、この人は、6dB/oct.のネットワークの特長は、
回路構成が、これ以上省略できないというシンプルさにあるものだと考えているように感じられた。

だから6dB/oct.の回路のネットワークで、遮断特性はトータルで12dB。だから素晴らしい、ということらしい。
ステイシス・シリーズが出揃ったころ、ステイシス回路の概念図が、なにかに載っていた。

アンプを表わす三角形と電源ラインの間に、円をふたつ重ねたものに三角形を組み合わせた記号が、
プラス側、マイナス側にそれぞれあり、この三角形からも出力が取り出されているというものだった。

あきからにステレオサウンドで見た技術資料に載っていたものとは違う。

このときわかったのは、プロトタイプのステイシス回路と、実際に市販されたステイシス回路は、
設計思想そのものこそ同じだが、手法は異っている、ということだ。

それでも、ステイシス回路が具体的にどういうものなのか、その詳細はずっと知りたくてもわからなかった。
プロトタイプとして登場したステイシス1は、ステイシス回路で特許を取得している。

ステイシス回路とは、当時は、電圧と電流の変動を極力おさえたステイシスアンプと、
それに付随する電流供給源を組み合わせたものと、説明されていた。

ステイシスアンプもスピーカーとつながっているが、大半のパワーは、
ステイシスアンプがコントロールする電流供給源からおこなわれる。

こういう説明がなされていたが、具体的な回路構成にはついてはまったくわからなかった。

ステレオサウンド編集部にあったスレッショルドの技術資料をみると、
たしかにステイシスアンプと呼ばれるもののほかに、スピーカーとアース間にごく小さな値の抵抗が挿入され、
ここで電流検出をして、電流供給源アンプの入力へと接続されていた。
つまり小出力の、リニアリティに優れているステイシスアンプと、
大出力のアンプを組み合わせた回路、つまり2台分のアンプが必要ということになる。

この回路の概念図が、1980年にステイシス2、3を加えて市販されたあとで、じつは変更されている。
DBシステムズの最初の輸入元は、R.F.エンタープライゼスだった。
その後、1970年代にタンノイ、SME、オルトフォン、
それにマークレビンソンのLNP2のサンプルを最初に輸入したシュリロ貿易に勤務されていた
Hさんが独立されて、取り扱われるようになった。

DBシステムズのために会社をつくったような印象を、受けた。
Hさんは、DBシステムズの音、コントロールアンプのモジュール思想に、心底惚れての、行動だったように思う。

DB1本体は、機能をほとんど省略した構成だが、同サイズのDB5が用意され、
トーンコントロール機能、モード切替も備えている。

DB5のモード切替は、ステレオ/モノーラルだけでなく、L−R信号、−(L+R)信号も取り出せる。

DB5も、DB1同様、ディスクリート構成。ただし上記信号を取り出す回路のみオペアンプを使っている。

型番は忘れてしまったが、やはり同寸法のチャンネルデバイダー、
それにMC型カートリッジ用ヘッドアンプDB4が用意されていたことからわかるように、
シャーシーそのものをモジュールとみなす設計思想だった。

外部電源は、すべてに、DB2が共通で使える。
つまりDB1、DB4、チャンネルデバイダーすべて、±2電源ではなく、−電源のみ、ということだ。
無線と実験が取り上げていたステイシス1のプリント基板は、一枚だったように記憶している。
サイズも天板とほぼ同寸法程度の大きさだったはずだ。

それがステレオサウンド 56号で取り上げられているステイシス1では、2枚構成になり、
合わせた大きさも、以前のものより小さくなっている。

当時、無線と実験、ステレオサウンド、それぞれに掲載された写真を見比べた。
無線と実験のほうはモノクロで、ステレオサウンドのほうはカラーだけど、サイズが小さいため、
細部まで比較することは無理だったけれど、プリント基板上の部品は位置もかなり異っていたはずだ。

無線と実験に、ステイシス1といっしょに紹介されていたコントロールアンプからもわかるように、
以前取り上げられた、最初のステイシス1は、プロトタイプだったことがわかる。

それにしても、基本そのものが、ここまで変わるとは......、と当時思っていた。
6月1日からはじめた "the Review (in the past)" の記事が、1000本になった。
これでなんとかデータベースと呼べるぐらいの規模になったかな、と感じている。

とにかく1000本までは、という気持で、"the Review (in the past)" のほうを優先してきたので、
これからはすこしペースを落としていく。年内に2000本を、目標としている。

そして、こちらの "audio identity (designing)" を優先していく。
56号から、ステレオサウンドの新製品紹介のページは、カラーとモノクロページに二本立てになり、
それまでの井上先生と山中先生の対談中心の形式から、他の筆者の方たちも加わって、
書き原稿へと、大きく変わった。

だからといって、過去に登場した新製品が、もう一度取り上げられる理由にはならない。
弟分にあたるステイシス2、ステイシス3が登場してラインアップが揃ったことも関係していたのだろうが、
それも、ステイシス2と3を新製品として扱えばすむことである。

なぜなのか。

56号にはステイシス1の内部写真が載っている。
無線と実験に載った内部写真と見比べてみるとはっきりするだが、
天板をはずした状態で見える、青色のプリント基板の大きさと数が異ることがわかる。
1979年に、コントロールアンプの二作目、SL10が出て、
800Aからはじまり、400A、4000といったパワーアンプのイメージと、
私の中では、すんなりと一致するパネルの構成、質感になった。

このSL10のツマミは、そのまま1年後に登場するステイシス1にも採用されているので、
ある部分、スレッショルドの次の顔を具現化したものといってもいいかもしれない。

SL10のボリュウムのツマミ──、数少ない、個人的に好きなツマミのひとつでもある。

NS10とSL10、このふたつを2段重ねにしたコントロールアンプが、
1979年か80年の無線と実験誌に載ったことがある。
どちらが上だったのかまでは忘れてしまったが、
ステイシス1にふさわしいコントロールアンプのプロトタイプとして、
とにかく急拵えで用意されたものという感じだった。

このときのステイシス1は、ステレオサウンドの新製品紹介のページでも紹介されている。
まだ新製品紹介のページがモノクロだけで、井上先生と山中先生が担当されていたときの、
52号前後のステレオサウンドだったと思う。

そして56号で、山中先生が、ふたたび新製品の紹介記事を書かれている。
DBシステムズについて書いていたら、同時代の、どのスピーカーと組み合わせたら、
おもしろいだろうか、楽しいだろうか、と考えていたら、KEFの104aBが頭に浮んだ。

小音量で、スピーカーに接近して聴くかぎり、おそろしくデリケートで、細身の音の極致を聴かせてくれそうで、
意外にいい組合せになりそうだと、思えてきた。

そうなるとパワーアンプはなんだろう。

DB1+DB2は、パイオニアのエクスクルーシヴM4の組合せを、
瀬川先生の、熊本での講演のときにリクエストしたことがある。
「なかなか思いつかない面白い組合せだね」と言ってくださった。

M4が、だから真っ先に候補に上がったが、このアンプには冷却ファンがついている。
小音量での再生を前提しているだけに、ファンの音があっては困る。

冷却ファンがなく自然空冷で、ローレベルが美しいアンプで、1970年代後半のパワーアンプとなると、
ラックスのラボラトリーシリーズの5M20があった。

メーター付の5M21もあるが、ほんのわずかでも聴感上のSN比をよくしたいので、
あえてメーターなしの5M20を選ぶ。

ただこのままの組合せだと、艶っぽさに不足するだろうから、
カートリッジには、そこのところをうまく補ってくれるものを選ぶ。

エレクトロ・アクースティック(エラック)のSTS455Eの音の艶は、
人によっては過剰すぎると感じるぐらい濃厚だが、
ここでは、もう少し繊細でデリケートであってほしいから、
455Eの上級機のSTS555Eが、ぴったりのような気がしてくる。

音の艶っぽさを要求せずに、さらに繊細に切れ込む表現を求めるのであれば、
サテンのカートリッジも、おもしろいだろう。
DBシステムズは、パワーアンプDB6を出す。
だが個人的な印象では、DB1+DB2ほどの個性の強烈さは、その内容からは感じられなかった。
その音も、DB1+DB2のほうが、尖っていた。

AGIからは、前述したようにパワーアンプは登場しなかった。

結局、どちらもデビュー作のコントロールアンプのみが、強烈な印象として残っている。

このふたつのブランドと比べると、クレル、パスラボ(スレッショルド)のデビュー作として、
まず浮ぶのは、どちらもパワーアンプである。

スレッショルドは800Aがデビュー作で、コントロールアンプのNS10は、すこし遅れて登場した。
大型のパワーメーターを、上下対称に配置した800Aのパネルフェイスは、
新しい世代のパワーアンプという魅力感じさせるのに、
どちらもルネ・ベズネのデザインにもかかわらず、
NS10のパネルからは、そういう雰囲気が感じられなかった。
DBシステムズのDB1+DB2を聴いたのは、AGI・511(ブラックパネル)同じ日で、
ほかにマッキントッシュのC32、パイオニア/エクスクルーシヴC3も聴いている。

DB1+DB2の音は、511とは、また違う面をもつ強烈さだった。音が尖っていた、そんなふうに受けとった。
C32、C3を聴いたあとでは、511もDB1+DB2も、作っているのは、
きっと若いエンジニアなんだろうなぁ、と思わせるところがあった。

どちらも青年という感じで、511が短距離走のアスリートだとすれば、DB1+DB2は、文学青年か。
アメリカの新しい世代の音であるのだろうが、対照的な音のようにも感じていた。

511は、シャーシの作りも精度がきちんと出ていて、パネルフェイスも精悍な印象がある。
一方、DB1+DB2の作りは、むき出し、作りっぱなしという感じが残っている、というふうに、やはり対照的。

内部も、実はそうで、511が信号系すべてにオペアンプを採用し整然としているのに対して、
DB1+DB2は、意外にも、と言おうか、すべてディスクリート構成で、
しかも当時、他のアンプがほとんど採用していた差動回路は使わず、
電源もマイナス電源(33V)のみ、という、外観とともに、個性的な内容といえる。

聴いていて爽快だったのは511だったが、では、自分で使うとなったら、DBシステムズを選ぶかもしれない。
井上先生だけでなく、瀬川先生も長島先生も、タンノイの一連のスピーカーシステムを、
蓄音器の音に通じる共通の響きをもつものとして捉えられていた。

長島先生は、ステレオサウンド 41号に書かれている。
     ※
タンノイのスピーカーユニットの場合、他のスピーカーユニット少し異なっていて、最初から、エンクロージュアの効果が計算の中に入れられてユニットがつくられているように思われる。しかも最初に計算したエンクロージュアの効果が普通のスピーカー用エンクロージュアの考え方と少し異なったアコースティック蓄音器を原点とする考え方の中にあったように思われるのである。
     ※
瀬川先生は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ タンノイ」に書かれている。
     ※
そう思い返してみて、たしかに私のレコード体験はタンノイから本当の意味ではじまった、と言えそうだ。とはいうものの、S氏のタンノイの充実した響きの美しさには及ばないにしても、あのピラミッド型のバランスの良い音を、私はどうもまだ物心つく以前に、いつも耳にしていたような気がしてならない。そのことは、S邸で音を聴いている最中にも、もやもやとはっきりした形をとらなかったものの何か漠然と心の隅で感じていて、どこか懐かしさの混った気持にとらわれていたように思う。そしていまとなって考えてみると、やはりあれは、まだ幼い頃、母の実家であった深川・木場のあの大きな陽当りの良い二階の部屋で、叔父たちが鳴らしていた電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない。だとすると、結局のところタンノイは、私の記憶の底に眠っていた幼い日の感覚を呼び覚したということになるのか。
     ※
この文章は、瀬川先生が追い求められていた「音」について語るうえで、
絶対に見逃せないものだと思う。
これについては、別項の「瀬川冬樹氏のこと」のところで、あらためて書く。
QUADのESLのほかに、遮断特性(減衰特性)6dB/oct.のカーブのネットワークを採用したスピーカーとして、
井上先生が愛用されたボザークが、まずあげられるし、
菅野先生愛用のマッキントッシュのXRT20も、そうだときいている。

これら以外にもちろんあり、ダイヤトーンの2S305も、トゥイーターのローカットをコンデンサーのみで行なっていて、
ウーファーにはコイルをつかわず、パワーアンプの信号はそのまま入力される構成で、
やはり6dB/oct.である。

このタイプとしては、JBLの4311がすぐに浮ぶし、
1990年ごろ発売されたモダンショートのスピーカーもそうだったと記憶している。

比較的新しい製品では、2000年ごろに発売されていたB&WのNSCM1がある。
NSCM1ときいて、すぐに、どんなスピーカーだったのか、思い浮かべられる方は少ないかもしれない。

Nautilus 805によく似た、このスピーカーのプロポーションは、
Nautilus 805よりも横幅をひろげたため、ややずんぐりした印象をあたえていたこと、
それにホームシアター用に開発されたものということも関係していたのか、
多くの人の目はNautilus 805に向き、
NSCM1に注目する人はほとんどいなかったのだろう、いつのまにか消えてしまったようだが、
井上先生だけは「良く鳴り、良く響きあう音は時間を忘れる思い」(ステレオサウンド137号)と、
Nautilus 805よりも高く評価されていた。
アルテックのA5、A7で使われていたネットワークは、N500、N800で、
12dB/oct.のオーソドックスな回路構成で、とくに凝ったことは何ひとつ行なっていない。

QUADのESLのネットワークは、というと──かなり以前に回路図を見たことがあるだけで、
多少あやふやなところな記憶であるが──通常のスピーカーと異り、
ボイスコイル(つまりインダクタンス)ではなく、コンデンサーということもあって、
通常のネットワークが、LCネットワークと呼ばれることからもわかるように、
おもなパーツはコイルとコンデンサーから構成されているに対し、
ESLのネットワークは、LCネットワークではなく、RCネットワークと呼ぶべきものである。

低域をカットするためには、LCネットワーク同様、コンデンサーを使っているが、
高域カットはコイルではなく、R、つまり抵抗を使っている。
アンプのハイカットフィルターと同じ構成になっている。

このRCネットワークの遮断特性は、6dB/oct.である。
フェイズリニアが論文として発表されたのは、1936年で、
ベル研究所の研究員だったと思われるジョン・ヘリアーによって、であると、クックはインタビューで答えている。

ウーファーとトゥイーターの音源の位置合わせを行なっていた(行なえる)スピーカーシステムは、
QUADのESL以前にも、だからあった。

有名なところでは、アルテックのA5だ。
1945年10月に、"The Voice of The Theater"のAシリーズ全10機種のひとつとして登場したA5は、
低音部は515とフロントロードホーン・エンクロージュアのH100と15インチ・ウーファーの515の組合せで、
この上に、288ドライバーにH1505(もしくはH1002かH805)ホーンが乗り、
前後位置を調整すれば、音源の位置合わせは、できる。

ほぼ同じ構成のA7は1954年に登場している。

クックは、A5、A7の存在は、1936年のアメリカの論文の存在を知っていたくらいだから、
とうぜん知っていたであろう。

なのに、クックは、ESLを、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーだと言っている。
KEFのレイモンド・E・クックは、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーシステムは、
「1954年、QUADのエレクトロスタティック・スピーカー」だと、
1977年のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」のインタビューで、そう答えている。

ただ当時は、位相の測定法が確立されていなかったため、まだモノーラル時代ということもあって、
ESLがフェイズリニアであることに気がついていた人は、ほんのひとにぎりだったといっている。
そして、QUADのピーター・J・ウォーカーに、そのことを最初に伝えたのはクックである、と。

このインタビューで残念なのは、そのとき、ウォーカーがどう答えたのかにまったくふれられていないこと。
KEF社長のクックへのインタビューであるから、しかたのないことだとわかっているけれども、
ウォーカーが、フェイズリニアを、ESLの開発時から意識していたのかどうかだけでも知りたいところではある。
黒田先生が、岩崎先生のリスニングルームを、ステレオサウンド 38号の取材で訪ねられたときに、
最初に鳴ったのは、リー・ワイリーの「バック・ホーム・アゲイン」だったと書いてある。

黒田先生がやや不審げな表情をされたぐらい、かなり小さな音量だったともある。

2曲目は、デイヴ・マッケンナ・クワルテットのレコードで、これは、そうとうな大音量で鳴らされたとある。

音楽の内容によって、ボリュウム設定は、かなり大きく変えられているということだ。

「演奏ができるだけ眼前にあるような感じがほしい」のと「小さい音もよく聴きたいという意識」から、
音量があがってきししまうと発言されているが、それでもヴォーカルのレコードは、
大音量で聴くとおかしなことになるという理由で、むしろ一般的な音量よりも小さめで聴くことが多い、とある。

ヴォーカルのレコードに含まれている「小さな音」も十分に聴きとりたいと思われていたであろう。
それでも、控えめな音量で聴かれている。
ステレオサウンド 43号に、「とてもセンシティブで心優しい感じだった」と、
岩崎先生のことを、岡先生は書かれている。

岩崎先生は、 QUADのESLを所有されていた。いつからなのかははっきりしないが、
ステレオサウンド 38号で、「かなりライヴな部屋で、しかも固い壁を背にして置くというイメージが強い」ESLを、
「6畳の和室で鳴らしてみる。そういう実験というか冒険をやってみたい」と語られているから、
1976年以前に購入されたのだろう。

QUADのESLと岩崎千明が、なかなか結びつかない人もいるだろう。
岩崎先生の愛用された、数多くのオーディオ機器のなかで、ESLは、
どちらかといえば、ちょっと浮いた存在として写るかもしれないが、
岩崎先生が大音量で聴かれる理由のひとつは、ローレベルのリニアリティに対して、
きびしく追い求められていたことを思い起こせば、納得のいく選択である。

岩崎千明=大音量再生というイメージが語られすぎているようにも思う。
たしかに大音量で、よく聴かれていた、ときいている。

だが、いつでも、どんな曲でも、大音量で聴かれていたわけでは、決してない。
古き佳き時代のスピーカーに対する、井上先生の「ラッパ」という言葉の響きのうらには、
心情的にノスタルジックな意味が、あきらかに含まれている。

「いずれ鳴らすつもり」で、井上先生は、「欲しい」と思ったオーディオ機器やパーツ類を、
理屈抜きに集めておられた。

ステレオサウンドのうしろのほうに掲載されている交換欄、
ユーズド・コンポーネント・マーケットのページも、丹念にみておられたようだ。

私がいちど、ある製品を掲載したところ、すぐに「あれ、手ばなしたのか」と言われたことがある。
また、あるときは、井上先生から電話があって、
「ジェンセンのG610Bを、山中さんが手放すから、
買おうと思っているけど、中古相場はどのくらいするのか」と聞かれたこともあった。
つづけて、「G610Bのトゥイーターは気にくわないところがあるから、
以前の開口部が丸の、PR302に交換するつもりなんだけど、どこかにないかなぁ」と言われたので、
いくつかのオーディオ店に電話をかけまくり、探し出したこともあった。

ウェスターン・エレクトリックのユニットもお持ちだったと聞いているし、
マランツのModel 7にいたっては、何台所有されていたのだろうか。
オリジナルはもちろん、日本マランツが発売したキット版、それから復刻版のModel 7SEまで所有されていたはずだ。

そういう井上先生が、「世界のオーディオ」で、こんなふうにタンノイについて書かれている。
     ※
つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを措いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。
井上先生は、タンノイのウェストミンスターを呼ぶとき、スピーカーではなく、「ラッパ」という言葉を使われていた。

なにも、そのときの気分でスピーカーだったり、ラッパと呼ばれたりするわけではない。
さりげなくではなるが、きちんと使いわけされていた、と私は思っている。

井上先生のタンノイのイメージは、「世界のオーディオ」に書かれている「私のタンノイ観」が参考になる。
     ※
タンノイの音としてイメージアップされた独特のサウンドは、やはり、デュアル・コンセントリック方式というユニット構造から由来しているのだろう。高域のドライバーユニットの磁気回路は、ウーファーの磁気回路の背面を利用して共用し、いわゆるイコライザー部分は、JBLやアルテックが同心円状の構造を採用していることに比べ、多孔型ともいえる、数多くの穴を集合させた構造とし、ウーファーコーンの形状がエクスポネンシャルで高域ホーンとしても動作する設計である。
したがって、38cm型ユニットでは、クロスオーバー周波数をホーンが長いために1kHzと異例に低くとれる長所があるが、反面において、独特なウーファーコーンの形状からくる強度の不足から強力な磁気回路をもつ割合に、低域が柔らかく分解能が不足しがちで、いわゆるブーミーな低域になりやすいといった短所をもつことになるわけだ。
しかし、聴感上での周波数帯域的バランスは、豊かだが軟調の低域と、多孔型イコライザーとダイアフラムの組み合わせからくる独特な硬質の中高域が巧みにバランスして、他のシステムでは得られないアコースティックな大型蓄音器の音をイメージアップさせるディスクならではの魅力の弦楽器音を聴かせることになる。
     ※
井上先生にとって、幼いときに聴かれていた、1−90に始まりクレデンザに至る、
蓄音器の音をイメージさせる音をもつ佳き時代のスピーカーを、「ラッパ」と呼ばれていた。
私は、そう受けとっている。
井上先生は、記事の中で、エンクロージュアの剛性の高さが、リジッドさが、音に、
特に低音に関しては、強く出ていると発言されている。

アメリカ・東海岸のスピーカーメーカー、ボザークやマッキントッシュの特徴でもある、
重厚で緻密な低域が、ごく低い周波数だけにとどまることなく、ウーファーのかなり上の帯域まで、
同じ音色で統一されている、とのことだ。

低域に関しては、アメリカ・東海岸のスピーカーに共通するものをもちながらも、
中高域になると、従来からタンノイトーンと呼ばれる、中高域の独特の輝きを、
他のタンノイのスピーカーよりも、目立たないようにバランスしている点が、
イギリスの伝統的なスピーカーにしか出せない独特の魅力へとつながっている、と指摘されている。

井上先生は、バッキンガムを鳴らすための組合せとして、
コントロールアンプに、バッキンガムのやや控えめな性格をカバーする意味合い、
音像を立体的にする目的から、コンラッド・ジョンソンのデビュー作のPreamplifier(管球式)を、
パワーアンプは、音に積極性を持たせるためにSAEのMark 2600を選ばれている。

これらのことは、バッキンガムが、どちらかといえば控えめであり、おっとりしたところを、
うまく補うためでもある。
では、いま現在、無色透明な音は存在し得ないのか。

そんなことはないと思う。

スピーカーひとつひとつに固有音がある。アンプやその他のオーディオ機器に固有音がある。
もちろんレコード(録音)にもあるし、アンプやスピーカーを構成するパーツや素材にも、固有音は存在する。

固有音が存在しないものは、いまのところ世の中にはない。

そう、聴き手であるわれわれにも、固有音があるのではなかろうか。
だから、同じ部屋で同じ音を、同時に聴いて、音の評価が大きく異なることがすくなくないのも、
そのことが関係しているのかもしれない。

個々人の耳に、それぞれ固有音があるとしたら、あるとき、ある瞬間だけ、
固有音すべてが相互に関係し合い、打ち消し、補整することで、無色透明の音は存在し得ないとはいえない。

すべて人にとっての無色透明は音は、いまのところない。
あるひとにとって、未来永劫、無色透明な音もない。

けれど、すべての条件が、たまたまうまく絡み合ったときに、起き得ないと、だれが言えるのだろうか。
ずっと以前は、モニタースピーカー・イコール・アラ探しのためのスピーカーと捉えられていたようだ。

いま、そういう捉え方をする人は、ほとんどいないだろうし、そういうスタジオモニターも、
ほとんどないといってもいいだろう。

ならば、モニタースピーカーの定義とは、何なのだろうか。
はっきりした定義は、いまだないように思う。

なんとなく、これはモニタースピーカー、あれは家庭用スピーカーだな、と個々人が、
勝手に、そこに境界線を引いているという、あいまいさが残ったままなのか。

どんなスピーカーにも、かならず、そのスピーカーならではの固有音がある。
固有音、つまり個性・癖がまったく存在しないスピーカーこそ、無色透明のスピーカーとなるわけだが、
いまのところも、これからもさきも、少なくともあと10年、20年ぐらいで、
「スピーカーの音」というものがなくなるとは思えない。

いまのスピーカーの原理であるかぎり、パワーアンプから送られてくる電気信号の、
ほんのわずか数%しか音に変換できない。のこりは熱となって消費されているわけだ。

これが70%以上、そんなにいかなくてもいいかもしれない。
50%程度でも音に変換できるようになれば、スピーカーの音というものは、ずいぶん大きく変容することだろう。

さらに80から90%ほど音に変換できるようになれば、ほとんど変換ロスがなくなってくれば、
スピーカーの音は、かぎりなく無色透明になっていくのであろうか。
1990年前後から日本の録音スタジオにモニタースピーカーとして導入され、
知名度を急激に上げていったスピーカーがある。

絶賛する声も、現場では多かった反面、
「このスピーカーでは仕事(モニタリング)ができない」という声もあったときいている。

このスピーカーと、たとえば誰も絶賛しないけれど、誰も「使えない」と全面否定もしない、
いわば可も不可もなく、といったモニタースピーカーがあったとして、
さて、どちらがモニタースピーカーとして、優れているのか、あえて点数をつけるとすれば、どちらが高い点数を獲得するのか。
そんなことを考えてみたくなる。

前者のスピーカーには、ひじょうに高い点をつける人もいれば、
まったく点を与えない人もいるだろう。そうすると平均点はそれほど高くならない。

後者のスピーカーはどうか。高い点は得られないだろう。でも極端に低い点をつける人もいないだろう。
となると平均点は、前者のスピーカーと対して変わらない、ということになるかもしれない。

つまりこのふたつのモニタースピーカーは、ほぼ互角かというと、決してそんなことはなく、
ここがスピーカーの選択・評価の、微妙なところであり、面白さであろう。
JBLの4343もモニタースピーカーだし、ロジャースのLS3/5AもLS5/8も、やはりモニタースピーカーである。

モニタースピーカーとはいったいどういう性格の、性能のスピーカーのことをいうのだろうか。

コンシューマー用スピーカーとの本質的な違いは、あきらかなものとして存在するのであろうか。

たとえばヤマハのNS1000Mの型番末尾の「M」はMonitorの頭文字である。
だからといって、NS1000Mが、モニタースピーカーとして企画され、開発製造されていたとは思わない。
あきらかにコンシューマー用スピーカーなのだが、1970年代、スウェーデンの国営放送局が、
このスピーカーをモニタースピーカーとして正式に採用している。

そうなると、単なる型番の名称ではなく、「モニタースピーカー」と堂々と名乗れる。

QUADのESLも、純然たる家庭用スピーカーの代表機種にもかかわらず、
レコーディングのスタジオモニターとして採用されていたこともある。

スタジオモニターといえば、大きな音での再生がまず絶対条件のように思われている方もおられるかもしれないが、
モニタリング時の音量は、アメリカ、日本にくらべるとイギリス、ドイツなどは、かなり低めの音量で、
一般家庭で聴かれているような音量とほとんど変らないという。

だから、ESLでも、多少の制約は、おそらくあっただろうが、十分モニターとしての役割を果していたであろう。
リビングストンによれば、バッキンガム、ウィンザーに関しては、世界市場も含めて、
月12台くらいという予測を立てていたのに対して、
カナダ放送局でのスタジオモニターとしての使用をはじめ、予想の3倍以上の40台のペースで注文が来ていたとのこと。

両機種とも手作りなこともあり、生産が追いつかない状況だったらしい。

そのためテストサンプルが用意できなくて、オーディオ誌に、あまり試聴記事が掲載されなかったのだろうか。

「世界のオーディオ」シリーズのタンノイ号には、
井上先生の組合せ記事(オートグラフをマッキントッシュMC2300で鳴らされた組合せも、ここでのものだ)のなかに、
ウィンザーもバッキンガムも登場する。

そこで、両機種の概要について、2ウェイの宿命として、周波数レスポンスとしては問題ないが、
エネルギーレスポンスでは、どうしても中域のエネルギーが不足しがちだあり、
その問題をタンノイが、マルチウェイ化によって解決を図ったのは妥当なことであると、と語られている。
インタビュー記事を読んでいて、意外だったのは、取材の時点(1978年か)で、瀬川先生も、
バッキンガム、ウィンザーを試聴されたことがなかったということだ。

瀬川先生は「実はウィンザーとバッキンガムについては、申しわけないのですが、
われわれ少し認識不足だったようです。というのは、1年前に発表されたにもかかわらず、
品物がほとんどなくて、テスト用サンプルを借り出すことも不可能だったものですから、
われわれとしても勉強不足の点が多々あります」と、リビングストンにことわられている。

リビングストンは、バッキンガムを、車に例えればロールスロイスで、
ウィンザーはジャガーだとしたうえで、
両機種とも、「オートグラフとGRFと同じ考えで、一点一点、全部手作りで、
タンノイの最高の技術とパフォーマンスを利用して作っている」と語っている。

オートグラフと技術的な指向(それは時代の違いからも来ているといってもいいだろう)は異なるものの、
手間を惜しまず、持てる技術を駆使している点で共通しているのは、
どちらもその時代のタンノイを代表するシンボル的な存在であるからだろう。

バッキンガムは、どんな音を響かせていたのだろうか。
バッキンガム、ウィンザーでの試みが、実際にどのように音に反映されていたのかは、
どちらも残念なことに、聴く機会がなかったため、なんともいえない。

少なくとも商業的には日本ではうまくいかなかったと思われる。
アーデンはどこのオーディオ店でも見かけたが、バッキンガムとウィンザーは、いちども見かけたことがない。

バッキンガム、ウィンザーが登場した1970年代後半は、
日本では、オートグラフ、GRFやレクタンギュラーヨークといった機種の印象がまだまだつよかったこともあり、
現代的、いいかえれば合理的な設計思想のバッキンガムに対しては、拒否反応が、多少なりともあったのだろうか。

安易な音響レンズはともかくとして、話題になるだけの内容はそなえていたと思っているだけに、残念である。

1979年にステレオサウンドから出版された「世界のオーディオ」のタンノイ号に、
タンノイの生き字引といわれていたリビングストンに、瀬川先生がインタビューしている。
バッキンガムとウィンザーの違いは、サブウーファーの数とそれにともなうエンクロージュアのプロポーションにある。

核となる25cm口径の、音響レンズ付の同軸型ユニットは共通、サブウーファーは30cm口径のものが、
バッキンガムは2本、ウィンザーは1本で、クロスオーバー周波数は、どちらも350Hzと3.5kHz。

厳密にいえば、バッキンガムはウーファーを並列接続しているため、ユニットのインピーダンスは16Ωで、
ウィンザーのウーファーは8Ωという違いはある。
最近、ほとんど注目されなくなったが、BL積は、とうぜんだが16Ωのユニットの方が高い。

見ためは、バッキンガムとくらべるとウィンザーは、ややずんぐりむっくりしたプロポーション。

価格はウィンザーが35万円(1本)なのに、ウーファー1本増え、エンクロージュアの高さが、
ほぼウーファー1本分だけ増したことからすると、65万円(1本)と、
30万円の価格差(ほぼ2倍の価格)は大きいように感じられる方もおられるだろう。

バッキンガムの価格におけるエンクロージュアのしめる割合はそうとうにあるということだろうし、
また、それは、しっかりとつくっているということを示しているといっていいだろう。
サライ、7月16日号に、「黒田恭一さんからのメッセージ」が載っている。

葬儀の際、参列者の方々に手渡しされた、14行ほどの手書きのメッセージが、そのまま写真で掲載されている。
バッキンガム、ウィンザーは、中心となる同軸型ユニットが、他のタンノイのシステムのものとは違うだけでなく、
エンクロージュアのつくりも、アーデンが、エンクロージュアの剛性を、あえてそれほど高くしないことで、
適度なブーミングを意図的にねらっているとしか思えない、やや緩めといえるつくりに対して、
バッキンガム、ウィンザーのつくりは、同じメーカーの、同じ時期の製品とは思えないほど、
ロックウッドのMajorシリーズのエンクロージュアを意識したかのような、
ひじょうにしっかりとしたものに仕上っている。

パーティクルボードを主として使っているが、積層構造で、外装から、
VENEER(ツキ板)、PARTICLE BOARD(パーティクルボード)、VENEER、BITUMEN LAYERS(アスファルト層)、
PARTICLE BOARD、BITUMEN LAYERS、ABSORBTION FORMとなっている。

外形寸法は、アーデンが幅60×高さ95×奥行き37cm、
バッキンガムは幅60×高さ117.5×奥行き45.4cmと、大きな差はないのに、
バッキンガムは95kgと、アーデン(43kg)の2倍以上の重量だ。
バッキンガムは、25cm口径の同軸型ユニットに、30cm口径のウーファーが2本、
アーデンは38cm口径の同軸型ユニットが1本と、ユニット総重量の違いはあるものの、
バッキンガムのエンクロージュアは、重くしっかりとつくられている。

おそらくタンノイの歴史の中で、バッキンガム以前で、これほど高剛性のエンクロージュアは存在しない。

タンノイは、ワイドレンジ化にあたって、単にウーファーを追加しただけでなく、
まったく新規に、細部を再検討していることが、うかがえる。
タンノイがハーマングループだったころ、1977年に、バッキンガムとウィンザーが出た。

同軸型ユニットを中心としながらも、ウーファーを追加しワイドレンジ化を図ったシリーズである。
これらに使われた同軸型ユニットの口径は25cmだが、イートンに採用されていたHPD295Aではなく、
新たに開発されたユニットで、従来のタンノイの同軸型ユニットが、
ウーファーとトゥイーターのマグネットを兼用していたのとは異なり、
フェライトマグネットを、ウーファー用、トゥイーター用とそれぞれ独立させている。

さらにトゥイーター・ホーンの開口部には、JBLのスタジオモニターの影響からなのだろう、
音響レンズがとりつけられている。

そのこともあって、ウーファーのコーン紙はストレートになっている。
これまではカーブドコーンがトゥイーターのホーンの延長の役割を果していたが、
音響レンズの存在によって、この、いかにもイギリス的な発想による合理的な構造は変更を受けてしまってた。

クロスオーバー周波数は、従来の同軸型ユニットが1kHzなのに対し、
バッキンガム、ウィンザー搭載の新型ユニットは、3.5kHzとかなり高くなっているのは、
ウーファーをホーンの延長として使っていないためである。
AGIの511と同じころに現われたのが、DBシステムズのDB1+DB2だった。

DB1がアンプ本体で、DB2が外部電源の、それぞれの型番で、
DBシステムズは、DB1と同時に、MC型カートリッジ用ヘッドアンプ、チャンネルデバイダーも出していて、
DB2はすべてに共通のものだった。

1977年当時、511が260,000円、DB1+DB2が212,500円 (DB1が171,500円、DB2が41,000円)と価格が近いこと、
それにDB1+DB2も、511同様、媚を売るようなところはいっさいなく、
一本筋がぴしっと通ったつくりも共通していたためか、比較されることも少なくなかったように記憶している。

マークレビンソンのJC2の登場以降、日本では、薄型のコントロールアンプが流行していたが、
511もDB1+DB2も、そんなことには目もくれていない。

おそらくAGIもDBシステムズ、マークレビンソンの成功に刺激を受けていただろうが、
影響まで受けていたわけではない、ということだろうか。
ステレオサウンド 43号に、瀬川先生のAGI・511の評価が載っている。

熊本のオーディオ店で聴いた511のブラックパネルの音は、書かれているとおりの音だった。
ダイレクトな音とは、なるほど、こういうものかと思いながらも、
情緒的なたたずまいを拒否というよりも、最初から無視したような性格も含めて、
迷いのない徹底さと斬新さは、強烈な印象をあたえた。

正規輸入品の511を聴いたのはもっとあとのことで、記憶の中での比較にはなるが、
たしかにブラックパネルの511に感じた魅力はずいぶん失われていて、かわりに繊細なところは出てきたようにも思えたが、
511でなくては聴けないという魅力は、もう感じなかった。

ステレオサウンドにはいってすぐくらいのときに、511Bが出てきた。
もしかすると、初期の511、ブラックパネルの511の音がリファインされて聴けるのでは、と期待したのだが、
正規輸入品の511の延長線上にある音で、だから、なおさらブラックパネルの511の音が魅力的に思えてくる。
岩崎先生といえば、「大音量」という言葉が、つねにいっしょに語られるが、
むしろ大事なのは、重要なのは「対決」のほうである。
このとき、瀬川先生がAGiの511の音を鳴らされたのは、それがブラックパネル(並行輸入品)だったからだ。

音出しが終ったあとにつけ加えられた。

「残念なことに正規輸入品はの511は、日本仕様になってしまい、
初期の511がもっていた良さ、個性がひじょうに稀薄になってしまった。
でも、並行輸入品のブラックパネルの511だと、初期の製品がもっていた良さそのまま」であると、
だから「大きな声では言えないけれど、こっち(ブラックパネル)をすすめる」とも。

当時、511とぺになるパワーアンプが出ていなかったことと、
QUADの405も、やはりペアとなる新型コントロールアンプ(44)がまだ登場していなかったこともあって、
511と405のペアは、黄金のペアとまではいかなくても、相性のいいペアとして、
ステレオサウンドの誌面にも登場していた。

このことにも瀬川先生はふれられた。
「511と405の初期の製品同士のペアはたしかにそうだったけれども、
511が日本仕様に変ってしまった。405も入力感度切替えがついたりするなどして、変更されていて、
必ずしも、このふたつを組み合わせて、いい結果が得られるとは保証できない」と。
たとえばAGI(Audio General, Inc.)は、そのデビュー作、511で高い評価を得ている。

これは音質面ばかりでなく、コントロールアンプにおけるハイスピード設計の概念を確立したことも、
大きく関係しているだろう。

AGIの511のスペックには、ライズタイム、スルーレイト、タイムディレイという、
他のアンプでは見かけたことのない項目、それも時間、速度に関係するものが並んでいた。

とうぜん511とペアになるパワーアンプの登場がまたれたが、開発中という話は伝わってきたものの、
具体的にどんな構成なのか、どの程度の規模のものなのか、といった情報はなく、
ついに登場することもなかった(バイアス回路の特許はアメリカで取得していたらしい)。

511がBタイプに改良されたのが最後で、同社はオーディオ機器の開発から手を引く。

余談だが、511にはブラックパネルがあった。
いわゆる並行輸入品だ。

私が最初に耳にした511は、じつは、このブラックパネルであり、
瀬川先生が熊本のオーディオ店にこられた時に、である。

なぜ、あえて並行輸入品の音を鳴らされたのか。
並行輸入品だ、とことわられたうえでの、音出しだった。
ハーツフィールドをどう鳴らされていたのか、ほんとうのところはもうはっきりとしないことだろう。
それにしても、なんと岩崎先生のエネルギッシュなことだろう。

カートリッジの試聴テスト(ステレオサウンド 39号)は、1976年。
ハーツフィールドやパトリシアンIVを購入された年でもある。

この情熱と行動力は、そのまま見倣いたい、と思っているが、とおく及ばない。

井上先生が、岩崎先生への追悼文に、「プロ意識そのもの」と表現されている。
まさしくその通りなのだが、なぜ、ここまでも、とも思う。

このことは、大音量で聴かれていたことと、なんとなくではあるが、結びついているのではないか、
そう思えるようになってきた。

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