2009年4月アーカイブ

「ステレオのすべて '73」は、伊藤アンプに関心のある人にとっては、特別な号であるはず。

私が持っている「ステレオのすべて '73」は伊藤先生からいただいたもの。

伊藤先生の「ステレオアンプ逸品料理論」が載っている。
シーメンスのオイロダイン用に製作されたウェスタン・エレクトリックの300Bのシングルアンプ、
それにコントロールアンプが発表された号だからだ。
(記事の扉には、伊藤先生のサインもいただいている。)

うれしくて、伊藤先生の記事は何度も読み返したのに、
我ながら不思議なのだが、他の記事はほとんど読んでなかった。

他のことで調べものをしたくてひっぱり出してきた「ステレオのすべて '73」に、
瀬川先生のことで確認したかった発言が載っているとは、まったく思っていなかった。

だから本をぱっと開いたところに、引用した言葉を見つけたとき、
何がどこでどうつながっているのか、まったく予測できないと思った次第である。

「ステレオのすべて '73」は、私のところにあるオーディオの雑誌のなかでは、いちばん古い。
まだ、マッキントッシュのC22とMC275が現役なのにも、すこし驚く。
記事によると、アメリカでは数年前に製造中止になっているが、日本からの要望で注文生産しているとある。

参考までに価格を書いておくと、C22が286000円、MC275が349000円。
すでにC28とMC2105も販売されていて、こちらは336000円と434000円となっている。

広告を見ていくと、タンノイの輸入元はシュリロ貿易だし、
クライスラー電気のページには、リビングオーディオの文字があり、
「リビングオーディオ」がクライスラーのブランド名だったこともわかった。
瀬川先生の音の好みについて、どうしても確かめておきたいことがあった。
低音に関して、である。

低音に関しては、それが下品にならなければ、洗練されているのであれば、
ふくらんでも良しとされる、というよりも、どちらかというと、量感豊かでふくらむのも、
もしかしたら好まれているのではないか、と思ってきた。

愛用されてきたEMTの930st、SAEのMark2500だけでなく、
瀬川先生が好まれるオーディオ機器のなかには、スリムという一言では片付けられないモノがいくつもある。

だから、ずっと低音のふくらみについて発言されていないのか、さがしていた。

1972年暮に、音楽之友社から出た「ステレオのすべて '73」で、
瀬川先生と菅野先生、それに長岡鉄男氏の鼎談が載っている。

そこで「ふくらみ方が、低音のうんと低いところでふくらむのはかまわない。
中域でふくらむのはいやなんだ」と語られている。

この発言のすこし前には、さらに
「いい方によってはふくらむというような鳴り方、
あれはむしろぼくにとっては非常に快い」とまで言われている。

やっと見つけた、と思っている。
同時に、灯台下暗しだった、とも思っている。
瀬川先生が、病室で飲まれたホワイト&マッケイの話を、
当時オーデックスに勤められていたYさんから聞いたとき、
そして、そのことを「瀬川冬樹氏のこと(その16)」に書いたとき、
この水こそが、瀬川先生にとってのコントロールアンプなのではないか、と思っていた。

長い間寝ていた酒を起こす水の役割──、
レコードやテープに収められている(寝ている)音楽を、すくっと起こす役割を担っているのが、
コントロールアンプの存在意義のように感じはじめていた。
瀬川先生が、ベストバイのマイベスト3に、マークレビンソンのML2Lを選ばれていないことについては、
「思い出した疑問」にも書いている。

ML2Lの音は、それまでのA級動作のアンプの音が、やわらかく素直で透明な音というイメージを覆してしまった。
それほどスピーカーとの結合が密になった感じで、全体的な音の形は、贅肉をまったく感じさせないスリムさで、
スピーカーに起因するユルさまでもタイトに締め上げているような、強烈な印象を持っている。

線が細く、スリムでタイト。なめからで透明であることを徹底して追求し、
音が下品にふくらむことを拒否したところは、そのまま瀬川先生の音の好みともいえるし、
4350や4343をML2Lを6台用意して、低域をブリッジ接続にしてバイアンプで鳴らした音が、
まさにそうであろう。

なのにML2Lを選ばれていないのは、なぜなのか。

瀬川先生がML2Lを導入される前に使われていたパワーアンプは、SAEのMark2500である。
そのときのアナログプレーヤーは、EMTの930st。

どちらも低域の豊かさは、他の機種からはなかなか得られないよさであり、
ピラミッド型の、安定した音のバランスは、聴き手をくるみ込む。

ステレオサウンド 55号のアナログプレーヤーの試聴記事で、
瀬川先生は、930stの低音を「いくぶんしまり不足」と表現されている。

55号のマイベスト3に挙げられているパイオニア/エクスクルーシヴP3についても、
「ひとつひとつの音にほどよい肉付き感じられ、弾力的で、素晴らしく豊かな気分を与える」と、
930stとともに高く評価されている。

パワーアンプのマイベスト3は、ルボックスのA740、マイケルソン&オースチンのTVA1、
アキュフェーズのP400で、
ML2Lの、タイトで無駄な肉付きのない音は反対の、
エクスクルーシヴP3に通じる、美しい響きをもつモノを選ばれている。
現行製品で、MC型カートリッジを、数kΩ以上の高い入力インピーダンスで受けられるモノのひとつに、
コード(CHORD)のフォノイコライザーアンプ、Symphonicがある。

Symphonicの入力インピーダンスは、アンバランス入力が33、100、270、4.7k、47kΩの5段階、
さらにバランス入力も備えており、こちらはアンバランス時の2倍、66、200、540、9.4k、94kΩとなる。

フォノ入力でバランスということは、MC型カートリッジ用ということであり、
94kΩは、現在市販されているアンプの中では、もっとも高い値だ。

ところでML7LのL3Aカードの入力インピーダンスは、825Ωという、中途半端な数字なのだろうか。
MC型カートリッジをハイインピーダンスで受けることは理に適っている。
ならば切りのいい数字で1kΩでもいいわけだし、さらに高い10kΩ、100kΩでもいいだろうし、
プリント基板上にDIPスイッチを設けて、インピーダンスを切り替えることもできたはず。

にも関わらず825Ωだけである。

マーク・レヴィンソンは、ある特定のカートリッジで、この値を選んだのだろうか......。
つまりMC型カートリッジをヘッドアンプで受ける場合、入力抵抗による減衰量を極力なくすためには、
カートリッジの内部インピーダンスに対し、数100倍から1000倍程度の入力インピーダンスということになる。

実は、このことは目新しいことではなく、かなり以前から指摘されていたことである。

1969年に出版された「レコードプレーヤ」(山本武夫氏、日本放送出版協会)には、
「ムービングコイル形カートリッジ使用上の注意」として、次のように書かれている。
     ※
ヘッドアンプを用いる場合には、カートリッジの電気インピーダンスにくらべてアンプの入力インピーダンスがかなり高く、カートリッジが無負荷状態で動作できるものが必要です。ヘッドアンプを使う場合には、インピーダンス関係より、カートリッジの出力電圧が大きくなった場合のひずみに注意すべきです。
     ※
いまから40年以上前、ML7Lが825Ωを採用する10年以上前に、
すでにMC型カートリッジは、かなり高いインピーダンスで受けるものだと、山本氏は指摘されていた。

入力抵抗でのロスを極力なくすだけでも、ヘッドアンプのSN比は向上する。
微小レベルの信号を扱うヘッドアンプで、何も入力のところで信号を減衰させていい道理はひとつもない。

そういえば、日本では、無線と実験の筆者である金田明彦氏が、やはりMC型カートリッジ、
金田氏の場合は、デンオンのDL103を、560kΩで受けられている。
MM型カートリッジでは負荷抵抗を変化させても、全帯域のレベル、
つまり出力電圧は、ほとんど変化しない。

MC型カートリッジでは(DL103S)では、6dB近く出力が増えている。

6dBといえば、電圧比で2倍。つまり推奨負荷インピーダンスの1000倍程度の高い値で受けたとき、
カートリッジ側から見れば、ほぼ無負荷に近い状態では、出力電圧が増す。

正しく言えば、ロスがほぼ無くなり、その分、出力電圧が増したようなことになる。

DL103Sの出力電圧は、0.42mV。オルトフォンのSPU-A/Eは0.2mV、MC30は0.07mV。
いずれも1kHzの値である。

レコードは、RIAA録音カーブで周波数補正がなされているため、
30Hzでは−18.59dB、20Hzでは約20dBほどレベルが低下する。
−20dBは、10分の1だから、それぞれのカートリッジの出力電圧は、1kHzの値の10分の1にまでなってしまう。
MC30では0.007mVになってしまう計算だ。
さらにピアニッシモではさらに低い値となる。

MC型カートリッジの出力は、ひじょうにローレベルの信号にもかかわらず、
ヘッドアンプで、負荷抵抗をカートリッジのインピーダンスと同じ値に設定してしまうと、
さらに2分の1にまで低下してしまうことになる。

カートリッジはかならず内部インピーダンスをもつ。
つまりカートリッジ側からみれば、自身の内部インピーダンスが直列、
それに対しヘッドアンプの入力抵抗が並列に存在していることになり、
このふたつが抵抗減衰回路を形成してしまう。

カートリッジの内部インピーダンスとヘッドアンプの入力抵抗が同じ値だと、ちょうど6dBの減衰となる。
入力抵抗を上げていくと、この減衰量が減っていくことになる。
入力抵抗をなくした状態で、減衰量はほぼ0dBになる。
0dBにならないのは、アンプそのものの入力インピーダンス(FET入力だと数MΩ)が存在するため、
ごくごくわずかな減衰は生じるためである。
MM型カートリッジで負荷抵抗(アンプの入力インピーダンス)を高くしていくと、
高域のピークの周波数が高くなるとともに、ピークの山そのものも高くなることは、以前書いたとおりだ。

MC型カートリッジでも、この点に関しては同じであり、ヘッドアンプで受ける場合は、
入力インピーダンスを高くしていけば、高域にピークが生じる。
ヘッドアンプの入力インピーダンスを実質的に決める、アンプの入力に並行に接続されている抵抗は、
カートリッジの高域共振をダンプするためのものだと考えられているため、
カートリッジのインピーダンスに合わせるとされている。

実際に測定した場合、MC型カートリッジの周波数特性がどのように変化するのか。

手もとにデンオンのDL103Sの測定データが載っている本がある。
無線と実験別冊の「プレーヤー・システムとその活きた使い方」(井上敏也氏・監修)だ。

余談だが、この本は、岩崎先生がお読みになっていたものを、ご家族から譲り受けたもの。
私のところにある、数冊のステレオサウンド──
38、39、41、42号、コンポーネントステレオの世界 '77、世界のオーディオ・サンスイも、
岩崎先生がお読みになっていたそのものである。

DL103Sのデータは、39Ω、33kΩ、100kΩ負荷時の周波数特性だ。
DL103Sの負荷インピーダンスは、40Ωと発表されている。

デンオンから同時期に発売されていたヘッドアンプ、HA500、HA1000の入力インピーダンスは、
どちらも100Ωで固定。ゲインのみ切替え可能。

実測データでは、39Ωでも高域にピークが生じている。
33k、100kという、推奨負荷インピーダンスからすると、ひじょうに高い値で受けた場合も、
やはりピークは発生している。
ピークが、39Ω負荷時よりも大きいかというと、ほとんど変わらない。
多少大きいかな、という程度の違いでしかない。

それよりも注目すべきことは、全帯域のレベルの変化である。
H-Z1の音は、たしかによく出来た音だった。整然と音を出してくれるが、蛇口全開の音ではなかった。
勢いが前面にたつ印象ではなく、むしろひっそりと鳴る面が、
C-Z1、M-Z1と同じラインナップということが頭にあるため、
よけいにつよく感じられた、そんなふうに記憶している。

ヘッドアンプに抱いている、スタティックな印象が拭い去れているのかと、H-Z1には期待していた。

H-Z1も入力インピーダンスの切替えが可能で、10、47、100、470Ωの4段階。
試聴に使ったカートリッジは、オルトフォンのMC20MKIIだった。
ローインピーダンスだから、10Ωでも問題ないが、それでもインピーダンスを高いほうに切り替えていくと、
わずかとはいえ、スタティックに音に活気が加わってくる。
それにともない、音楽の表情のコントラストも、すこしずつ明瞭になっていく。

どんなに微細な音まで鳴らしてくれるアンプでも、表情のコントラストが乏しければ、
暗くスタティックな音になってしまう。

470Ωのときの音が、故紫雲的にはいちばん好ましかったし、
もっとインピーダンスをあげていけばどうなるのか、825Ωにしたら、どうなるのか、と思ってもいた。

マークレビンソンのML7Lは、H-Z1の1年前に登場している。
ML7Lの825Ωをのぞければ、470Ωも高い負荷抵抗といえる。

それにML7L以降、記憶をたどりすこし調べてみると、クレルのPAM3(1984年登場)も、
内部のDIPスイッチの切替えで、5Ωから1kΩまで9段階で設定できる。
825Ωが、設定値の中に含まれているのかは忘れてしまったが、
すくなくともML7Lの825Ωの採用が、ヘッドアンプの入力インピーダンスを、
それまでよりも高くしたといえるだろう。
いま「光を聴く旅」を読み返している。

サブタイトルは、MY CD STORY。傅さんのCDストーリーである。1987年に出ている。

背表紙に、黒田先生の文章が綴られている。
     ※
傅信幸は細い綱を渡った。一方には音楽という渓谷がひろがり、
一方にはオーディオという岩山がせまっていた。
傅信幸の渡った綱の先には、虹色の小さな盤があった。
彼は、コンパクトディスクのきかせてくれる
音楽に耳を傾けつつ、
持って生まれた,まるで子供のような好奇心と実行力で、
西に飛び、東に走った。

コンパクトディスクは
オーディオの最新技術がうみだした製品である。
しかし、傅信幸にとって、
それは、新しく登場した単なる道具ではありえず、
彼が愛してやまない音楽を刻んだ盤であった。
コンパクトディスクを物と考え、
その技術的解説に終始するところでとどまることも、
傅信幸にはできただろう。
しかし、傅信幸は、あまりにも音楽が好きだった。
そのために、彼は、
音楽を収納するコンパクトディスクのむこうに、
その誕生にかかわった人たちのドラマをみようとした。
そして、見事、彼は、細い綱を渡りきって、
その過程を、人懐っこさの感じられる、
達意の文章で綴った。
     ※
20年前に読んだときも、この黒田先生の文章にふかく頷いた。
そして、いま、もっとふかく頷いている。

SACD、DVD、Blu-Ray DVD、HD-DVDなど、直径12cmの光学ディスクが、いまある。
これらは、すべてCDから生まれてきた、といえるだろう。
そのCDは、どうやって、1982年10月1日に生まれてきたのか。

「光を聴く旅」は、出版されたのが早すぎたのかもしれない。
というよりも、絶版になっているのが、惜しい本である。

当時、読んだ人も、手もとにあれば、読み返してみてほしい。
面白さが、きっと増しているはずだ。

そして、「光を聴く旅」には、オーディオ・ジャーナリズムが、はっきりとある。

傅さんから、「光を聴く旅」の公開の許諾をいただいている。
audio sharingで、夏までには、公開したいと考えている。
自作トランスの音の、私なりに一言で表せば、「ロスレスの音」。

もちろんロスがまったくないわけではない。そんなことは、十分わかっている。
周波数レンジ的にも、STA6600はどちらかといえばナローなだけに、
それだけですでにロスがあるといえるわけだが、
それでも、そんなふうに感じさせるだけの音の勢いがある。
フォルティシモで、音が頭打ちを感じさせずに、伸びていく。
ネガティヴな意味でのスタティックな印象は、かけらもなかった。

菅野先生が、パイオニアの無帰還アンプC-Z1、M-Z1に使われた「蛇口全開の音」、
この表現もぴったりくる。

C-Z1、M-Z1にも、すこし遅れてH-Z1が登場した。
型番が示すようにヘッドアンプで、もちろん無帰還アンプで、
パイオニア独自のSLC(Super Linear Circuit)を採用していた。

SLCといっても、C-Z1、M-Z1がトランジスターによる構成に対し、H-Z1はFETによる。
H-Z1はひじょうに凝った内容のヘッドアンプで、
シャーシー内部には電波吸収材を採用、電源トランスにも使っていたと記憶している。
さらに電解コンデンサーの、通常は金属製の筒を、渦電流の発生を抑えるためガラス製にしたり、
プリント基板の銅箔も、通常数倍の厚みにした無酸素銅を採用、と
いま同じことをやろうとしたら、いったいどのくらいの価格になるのだろう、と思いたくなるほど、
細部にわたって技術者のこだわりが実現されていた。

それだけのモノだけに、筐体もヘッドアンプとしてはかなり大型で、
価格も、当時のヘッドアンプとしてはもっとも高価だった(たしか20万円越えていた)。

H-Z1の音には、じつは期待していた。
H-Z1の音を聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室で、C-Z1、M-Z1に通じる「蛇口全開の音」、
それを内部のこだわりのように、もっと洗練された音で鳴ってくれるのでは、とそんなふうに期待していた。
お手製のトランスを持ち込んだころ、早瀬さんは、マイクロのSX8000IIに、トーンアームはSMEのSeries V、
カートリッジはオルトフォンの、たしかSPU-Goldだったと記憶している。

昇圧手段は、ヘッドアンプではなくトランスで、あえてブランド、型番は記さないが、
当時、かなり高価なモノで、それに見合うだけの評価も受けていた。
私も、すこし気になっていたトランスだった。

STA6600をベースにしているとはいえ、そこそこ、いい音で鳴ってくれるだろうな、とは予想していた。

自分で作ったモノを正しく評価するには、本音で語り合える友人のところで聴くと言うのもやってみたほうがいい。

重量も価格も、私の自作トランスに較べてずっと重く高い既製品を聴いた後での音出し。

自慢話をしたいわけではない。

STA6600は、早瀬さんも以前使っていたことがあり、その時の環境では鳴らしていないものの、
ある程度は、STA6600の音の輪郭は掴んでられてたから、鳴ってきた音に驚かれた。

私も、正直、すこし驚いていた。ここまで変わるとは !
伊藤先生の言葉を思い出していた。

自作トランスはそのまま早瀬さんのリスニングルームにいることになった。

後日、ステレオサウンドのMさんが来られたときに、何の説明もなしに聴かせたら、
「すごく驚いていましたよ」という話も、
それから井上先生の評価も、早瀬さんから聞いている。

トランスそのものには何の細工もしていない。
何度も書いているが、取りつけ方、配線、アースの処理、インピーダンス整合に気を使って、
組み上げたものだから、トランスの基本に立ち返ってもらえれば、
私がどんなことをやったのかは、すぐにお解りになると思う。特殊なことは何もやっていないから。

私が言いたいのは、トランスは使い方ひとつで、大きく音が変化する。
電源を必要としない、プリミティブな素子だけに、生き物と表現された伊藤先生の気持が、
このトランスをつくったことで、多少なりとも理解できたし、そのことを知っていただきたい。

トランスの、らしさを活かし、臭さをできるだけ抑えることはできたといえる。
夕方に、Kさんから電話があり、瀬川先生もトーンアームの高さ調整には、ずいぶん神経を使われていたことを聞いた。

やはり瀬川先生も、レコードの厚みがかわることで、
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが変ってしまうことを指摘されており、
その都度調整されていたとのこと。

さらにレコードには、実効垂直録音角がある。

意外に思われるかもしれないが、1960年代まで、レコード会社によって、実効垂直録音角はまちまちだったらしい。

実効垂直録音角とは、ラッカー盤にカッティングする際、
カッター針の動きそのままの溝が、最終的に刻まれるわけではない。

もちろんカッター針で刻んだ直後は、針の動きそのままだが、
ラッカー盤の弾性によって、すこし元に戻ってしまう。いわば溝が変形してしまうわけだ。

この現象は、CBSが発見している。

これにより、垂直録音角がずれてしまう。
どの程度のズレが生じるかというと、ウェストレックスのカッターヘッド3Dだと、垂直録音角は約23度。
それが0度から1度程度になってしまう。この値が実効垂直録音角となる。
つまり22度ほど戻ることになる。

ヨーロッパのレコード会社で使われていたノイマンのカッターヘッドの垂直録音角は0度で、
実効垂直録音角は約−10度だと言われていた。

これだけまちまちだと、カッターヘッドの実効垂直録音角と
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが一致せず、
垂直信号に第2次高調波歪、混変調歪が発生、
左右チャンネル間での周波数変調歪、クロストークが発生するといわれ、
正確なピックアップは望みようもないため、
RIAAとIECによって、実効垂直録音角を15度に統一するように勧告が出された。

シュアーのV15の型番は、このヴァーティカルトラッキングアングルが15度であることを謳っているわけだ。

このようにレコードの実効垂直録音角は、ほぼ15度に統一されたわけだが、
レコード会社によって、じつはわずかに異る。
といっても以前のようにバラバラではなく、15度から大きくても20度までにおさまっていると聞いている。

だから厳密には、レコードのレーベルが違えば、厚みは同じでもトーンアームの高さ調整、
つまりカートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルを調整すべきである。

Kさんの話では、瀬川先生は、お気に入りのレコードでは、最適と思われる角度(高さ)を見つけ出されて、
1枚1枚ごとにメモされていた、とのことだった。

最良のヴァーティカルトラッキングアングルを見つけるにはどうしたらいいかというと、
レコードの最内周での音で決める。

レコード内周ではトラッキングが不安定になり、音像定位も不確かになってくる。
だから最外周と同じような音像定位の明確さと、フォルティシモでのトレースの安定度、
ビリツキのなさ、混濁感の少なさに耳の焦点を合わせれば、
馴れもあるけれど、最良の高さにするのは、それほど難しいことでもない。

そういえば、瀬川先生がデザインに関われていたというオーディオクラフトのAC3000 (4000) シリーズは、
高さ調整を容易にするために、目盛りがふってあったはずだ。
CDジャーナルでの連載「素顔のままで」のなかで、傅さんが瀬川先生のことを書かれている号がある。
2002年1月号である。

夢の話からはじまる、この号のエッセイは、FMfan への想いが綴られている。
     ※
もともとわたしはFMfanの読者だった。瀬川冬樹さんというオーディオ評論家の発言と美しい文章が好きで、今回はどんなことをお書きになっていらっしゃるのか、瀬川冬樹さんの連載ページを毎号楽しみにFMfanをめくっていた。それともうおひとかた、黒田恭一さんの記事。それは「かたかな」が多い独特な文章なのだが、かたかなの数よりも黒田恭一さんが語る音楽への愛情のほうがはるかにたっぷりと溢れていた。
     ※
傅さんも、やはり同じだったんだ、と思う。傅さんも、早瀬さんも私も、瀬川先生の熱心な読者である。

読者であった、と過去形では書かない。
いまも、何度も読み返したことによって得たものは、個々人の中で息づいているからだ。

1979年の訪問記事のことについても触れられている。
     ※
インベーダー・ゲーム流行真っ盛りの時、FMfan誌の企画でオーディオ評論家の先輩4人を訪問してインタビュー記事を作ったことがある。わたしは岡俊雄先生と話したかったが岡先生はFMfanの筆者ではないから願いは却下され、常連筆者の、瀬川冬樹さん、菅野沖彦さん、長岡鉄男さん、それと上杉佳郎さん4人のそれぞれリスニングルームを訪問した。上杉さん宅のある神戸・三宮を東京から日帰りしたのがきつかったのをよく覚えている。菅野さんは色男でやたらめったらお話がおもしろく、自宅にインベーダー・ゲームの機械を買っていて、特殊なプレイを披露してくださった。あこがれの瀬川さんに会えたわたしは緊張と興奮の波にもまれ、なかなか話が引き出せずにいて、瀬川宅を辞したのは明け方の4時だった。インタビューの途中、ステレオサウンド誌の編集者から原稿催促の電話が入ったが、瀬川さんは今夜は何とかかんべんしてくれと頼んでいたのが聞こえた。長岡さんは、オーディオ雑誌の立場と読者の世代を把握して、オーディオ評論家は何を言うべきかというマーケッティングがしっかり出来ている評論家だなあと思った。賢い人だと思った。しかし賢くても嫌みはなくて、気のいい正直なおっさんでもあった。そして長岡宅でまいったのは、音の激しさと音の大きさだった。音楽とはあまりにもかけ離れた音世界。音楽と音とは別物であり、音は音として一人歩き出来るのだ......ということを長岡さんは真摯に追求していたのだと思う。
これら4人をインタビューしたあと、もっとも原稿を書くのに難航したのは瀬川冬樹さんのことで、わたしは瀬川さんのファンだったので書き難かったのだ。うーん、別の理由も思いつく。瀬川さんは話し言葉の何倍も書き言葉のほうが美しかったのではないだろうか。瀬川さんのファンだった、と過去形なのは、瀬川さんは癌で40歳代のうちに逝かれてしまった。瀬川さんが亡くなられたことを知らぬまま、福岡から東京に戻った夜、羽田空港からうちに電話すると、「もういっぱい電話がかかってきています。あなたの好きな瀬川先生が今朝亡くなられたのだそうです」と妻が言った。わたしは福岡の空港で買った生きた海老などお土産の全部を迎えに来てくれた友人にあげた。ギューッと胃が縮んでしまったからだ。
     ※
瀬川先生は、福岡、熊本のオーディオ店に招かれて、定期的に来られていた。
瀬川先生が倒れられた後、傅さんが代わりをやられていた。

福岡から東京に戻った夜、と書かれている。
この福岡行きは、瀬川先生の代わりだった......。
今年は、よく長電話している。長いときは2時間以上、短いときでも1時間は優に話している。
相手は傅さんと早瀬さん。話題は、やはりオーディオのこと。

1週間くらい前も、傅さんと電話で話していた。
瀬川先生の話になった。

傅さんと瀬川先生が会われたのは、FMfanの訪問記を含めて6回。
最初は池袋の西武百貨店のオーディオコーナーで、最後は九段坂病院にお見舞いに訪れたときだと聞いた。
その他の時のことも聞いた。

FMfanの取材のときの話も聞いた。
午後3時からはじまり、終了は10時間以上経っていたとのこと。
撮影の時間も含まれているとは言え、傅さんにとって、濃密で楽しい時間であり、
それこそ、あっという間に時間が経っていったのだろう。

瀬川先生と会われた回数は少ないものの、こういう経験されている傅さんは、幸福だと思う。
そして、もっともっと瀬川先生といっしょに仕事をされていたらなぁ......、とも思う。

話をしていたら、途中で「いまブルッときた」と傅さんが言われた。
瀬川先生を想い出してのことである。

同じことを、スイングジャーナルで、瀬川先生となんども仕事をしたKさんも、
やはり瀬川先生のことを話している最中に、「いまブルッときた」と言われたことがある。
私だったら、どうするか。
すくなくとも、単なる再掲載本なんかはつくらない。

編集者としてつくるのであれば、たとえ、単なる再掲載本と同じ記事を選択しても、
当時の、その記事を書いた筆者に、ふり返って、そしていま読みなおして、どう思うのか......、
少なくともそういったことは、すぐに思いつく。

さらに他の筆者が、どう感じていたのか、どう読んだのか、どう影響されたのか、も載せる。

そして編集者が、当時の時代背景・風景について触れ、いま、なぜ、これを読むのか、についても書くべきである。

これらの、ちょっとした手間をかけるだけで、本の価値は大きく変わってくる。
オルトフォンのSPUシリーズ用として、STA6600という昇圧トランスがあった。

同じデンマークのトランス・メーカー、Jorgen Sou(JS)社のトランスを、ケースに収めたもので、
どちらかといえば安価な製品だったが、いま中古市場では、ときにかなり高価な値付けがされているらしい。

STA6600の、当時の評価は、それほど高いものではなかったし、
その後のMC型カートリッジブーム時に登場してきたトランスに比べると、
あきらかにナローレンジで、トランスらしい、というよりも、トランス臭さといった、
ネガティヴな印象のほうを強く感じさせてしまう。

実は、STA6600を持っていた。使っていたというよりも、格安で売られていたのを見つけたので、
とりあえず買っておいていた、という感じだった。

STA6600のつくり、内部配線を見ると、これでは、トランスがもったいない、と思う。
それで、たまたま引抜き材の、手頃な大きさのアルミのシャーシーが入手できたのをきっかけに、
STA6600のトランスを取り出し、こうすればいいのに、と思っていたことを実行してみたことがある。

このトランスの製作にかかった費用は、STA6600を別にすると、1万円もかかっていない。
加工や配線も、ほぼ1日で仕上げられた。

たやすく作ったように思われるだろうが、トランスの取りつけ方、アースの配線、配線の引き回し、
インピーダンス整合など、市販の製品がこうやっているから、という常識にとらわれることなく、
自分で納得のいくやり方を通した。

そして、このトランスを、早瀬さんのところに持ち込んでた。1989年だった。
解答 (=Solution)の「解」は、
MACPOWER vol.3(2008年)に掲載されている、川崎先生の「ラディカリズム 喜怒哀楽」を読んで、
解体・解剖・分解だと思ってきた。

もうひとつあることに、気がついた。解放があった。

オーディオは、複雑な幼稚性から解放されなければならない。
この項の(その34)で、すこし触れているマーク・レヴィンソンが録音・制作し、
MLAシリーズとして発売されていたアナログディスク。

レヴィンソン自身が言う、「音楽のイベントを正確に捉える」こととは、いったいどうものなのかを知る上で、
これらが録音されて30年以上経っているが、それでも、いま一度聴いておきたい。

そう思っていても、1枚7000円していたMLAのレコードを、いったいどれだけの方が購入されただろうか。
ごくごくわずかだろう。
それらが中古レコードとして出回ることは少ないだろうし、ばったり出会すことも稀なのはわかっているが、
そう思うと、よけいに聴きたくなるものである。

ふと、もしかして、と思い立って、Red Rose Musicのサイトを見たところ、
MLAシリーズのレコードすべてではないが、いくつかは、SACDで、いまでも入手できる。

当時、45回転LPで4枚組、つまり7000円×4で、28000円した、
チャールズ・クリグハウムのオルガンによるバッハのフーガの技法が、いまでは10ドルで購入できる。

レヴィンソンは、ステレオサウンド 45号のインタビューで、ソース・マテリアルという言葉を使っている。

日本では、プログラムソースという表現は使われるが、
原料・材料、資料・データの意味の material を使うことは、まずない。

この言葉に、レヴィンソンの考えがはっきりとあらわれている、と言えるだろう。
それとも、アメリカでは、ソース・マテリアルは一般的なのだろうか。

スチューダーのA80をベースにしたマスターレコーダーを20台用意して、
マスターテープを20本、同時に製作し販売することを考えていたレヴィンソンだから、
アナログディスクへの思い入れよりも、よりよい状態での提供を第一としていたのだろうから、
聴き手であるわれわれも、ソース・マテリアルとして、MLAのSACDを捉えたほうがいいのかもしれない。
井上先生は、カートリッジに関して、独自の主張をお持ちだった。

そのレコードのレーベルの所在地に、なるべく近いところで作られているカートリッジを選ぶ、
さらに録音が行なわれた現場に近いカートリッジも選ぶというものだ。

となるとクラシックをよく聴く人であれば、ドイツ、イギリス、オーストリア製のカートリッジは、
最低でもひとつずつは持っておきたい。

EMT、デッカもしくはゴールドリング、AKGといったブランドが、すぐに浮かぶ。

ジャズやポップスとなると、アメリカの録音がぐんと増えるので、
イギリス製のカートリッジに、アメリカ製のモノもいくつか加えたくなるだろう。

ピカリング、スタントン、シュアー、エンパイア、グラドなど、候補はいくつもある。
それでも不思議なことに西海岸に、カートリッジのメーカーは存在しない。

スピーカー・メーカーは、JBLをはじめ、いくつか存在するのに、
カートリッジ・メーカーとなると、アナログディスク全盛時代でも存在していたのだろうか。

JBLの4343を思わせるMC型カートリッジが存在していれば......、などと、
つい妄想アクセラレーターを全開にしてしまっている。

それにしても井上先生は、なぜ、このような主張を持たれるようになられたのだろうか。
伊藤喜多男先生は「トランスは生き物だ」と言われていた。

同じトランスが、ケーシングの違い、アースの取り方をふくめた配線の仕方、
インピーダンス整合をどうとるか、取りつけ方などによって、驚くほど音は変化していく。

電源を必要とせず、インピーダンス変換を行なったり、アンバランス/バランスの変換、
昇圧などをこなしてくれる。

MC型カートリッジの昇圧手段として、ヘッドアンプか昇圧トランスか、は度々語られてきた。
どちらを採るかは、人それぞれだろうし、同じ人でも、使うカートリッジや、
聴きたいレコードによって、使いわけもされているだろう。

どちらが優れているかは、実際に市販されている製品を比較するわけだから、
方式の優劣よりも、製品の完成度を比較しているにすぎない。

断言こそできないが、それでもオルトフォンのようなローインピーダンスのモノには、
トランスに分があるように感じている。
MC型カートリッジをヘッドアンプで使うとき、必ずしも、
カートリッジのインピーダンスとヘッドアンプの入力インピーダンスを一致させる必要はどこにもないし、
すこし極端なことを言えば、ハイインピーダンスのMC型カートリッジをローインピーダンスで受けても、
カートリッジ本来の特性は活かしきれないものの、ヘッドアンプやカートリッジがこわれたりはしない。

ヘッドアンプの入力インピーダンスを切り替えてみると、わりとハイインピーダンスで受けたほうが、
伸びやかさが増す傾向にある、と言えるだろう。

特にローインピーダンスのカートリッジを、そのままローインピーダンスで受けると、
ヘッドアンプの場合、どこか頭を押さえつけられているかのような印象がつきまといがちだ。

良質のトランスと組み合わせた時の、フォルティシモでの音の伸びの気持ちよさが、
すっと伸び切らずに、スタティックな表情にやや傾く。

そういうところを、レヴィンソンは嫌ったのだろうか。

最初は3Ωあたりから聴きはじめ、10Ω、20Ω、100Ω......と聴き続けていき、825Ωという値にたどりついたのか。

1kΩでも良さそうなものなのに、とも思う。
けれど825Ωに、レヴィンソンがこだわるのは、ある特定のカートリッジで、
音を追い込んでいき、決めた値なのだろうか......。

しかし、この825Ωという値は、マーク・レヴィンソンがいなくなった後のアンプ、
No.26L、No.28Lにも受け継がれている。
そしてスレッショルドのXP15も採用しているということは、
汎用性、普遍性のある値なのかもしれない、とも思ってしまう。
三週間前の3月23日、ある用事で訪ねた事務所の、打合せ用のテーブルの上に、
小口径のフルレンジを収めた、一辺が10cnほどのスピーカーと、
一目でデジタル関係のモノだとわかるプリント基板がむき出して置いてった。

デジタルスピーカーだ、と説明してくれた。

ビクターが約30年前に発表したデジタルスピーカーとは規模が違う。
スピーカーもアンプを含めた信号処理の回路も、手のひらに載るサイズにまでなっている。

すぐさま訊ねたのは、ボイスコイルの数。
答えは「6つ」とのことだった。

6つで足りるのか、と疑問に思っていたら、
Δ−Σ変換して、ミスマッチシェーピングという技術を使っているため、
おそらく、当時、ビクターが解決できなかったであろうノイズも、問題にならないとのこと。

基板が1枚で、スピーカーもひとつのみということで、
モノーラルでの、簡単な音出しとはいえ、はじめて耳にするフルデジタルの音であり、
30年前に、夢の技術だと思ったモノが、目の前で鳴っていた。

このデジタルスピーカーの技術的内容は、いま発売されているラジオ技術 5月号で紹介されている。
54ページに掲載されている基板、私が聴いたのも、これとまったく同じモノである。
長く続いている雑誌ならば、過去の記事から、評判の良かったものを選びまとめなおすことで、
一冊の本が、わりと手軽に出来上がる。

この手法による本づくりを批判したいわけではない。
これは、長く続いてきた雑誌だからできる企画であり、一種のベスト盤みたいなものに近いだろう。

この手の本を手にして、かならず思うことは、ただ選び再掲載しているだけで、
そこに何らかの、選者による解説、解釈を求めたくなる。

ただ以前の記事を、当時のレイアウトそのままで再掲載しても、
当時のオーディオ雑誌を手にしたことのない人には、時代背景がつかめない。

広告なんて必要ないという読者の方もいよう。
けれど、広告も時代とともに変化していき、当時のオーディオの雰囲気を掴むうえで、
すぐれた参考資料になる。

それに筆者の顔ぶれも、いまと昔とでは、ずいぶん違う。
そういういくつもの変化を体験し知っている読者にとっては、
単なる再掲載の本でもそれなりに楽しめよう。

この手の本は昔を懐かしがらせるための企画なのだろうか。
それとも、比較的新しい読者に、彼らが興味・関心をもつ以前のオーディオについて、
そして、その雑誌が築いてきたものについても知ってもらいたいがために出しているだとしたら、
明らかに片手落ちとしか言いようがない。
1980年あたりのオーディオフェアで、ビクターはデジタルスピーカーを参考出品していた。
当時の電波科学に、ビクターの技儒者による解説記事が載っていて、
高校生で田舎暮らしの私は、実物を見ることはできないわけで、そのぶん、記事はじっくり読んだ記憶がある。

といっても高校生の知識では、デジタルスピーカーの動作原理を完全に理解はできなくて、
内容の大半は忘れてしまったが、
それでも、ひとつのスピーカーユニットに複数のボイスコイルを搭載することだけは記憶に残っていた。

デジタルスピーカーとは、デジタル信号をダイレクトに入力できるスピーカーのことで、
スピーカーユニットそのものがD/Aコンバーター的な役割を担っている、と言ってもいいだろう。

夢の技術だ、と感じていた。

このデジタルスピーカーと前後して、同じビクターからは、
スイッチング電源を搭載したパワーアンプM7070が、すこし前に登場していた。
M7070の技術資料を読むと、理想の電源に近づけるための採用だった。

ソニーからは、オーディオ用アンプとして初のD級パワーアンプTA-N88が出ていたし、
デンオン・レーベルからはPCM録音のアナログディスクが、次々にリリースされていた。

そんな時代に、参考出品とはいえ、出てきたデジタルスピーカーだった。
 音楽を感じるのは心(heart)なのは、art(芸術)が含まれているから。

モーツァルト(Mozart)にも、artが含まれている。

始まり(start)は、artから。

地球(earth)の中心には、artがある。
eとhのあいだにartがある。
eとhのあいだは、アルファベット順だと、fg(FG) 。
fg = art。

FGといえば、Fridrich Gulda(フリードリヒ・グルダ)。

だからグルダの音楽は素晴らしい、とは言わないけれども、
ここ数年、グルダのCDを、頻繁に聴くようになった。

バッハの平均率クラヴィーア曲集も、以前は、グールドを聴く機会がもっとも多かったのが、
いまではグルダのディスクに手が伸びることが多くなってきた。

1993年のモンペリエのライヴ録音も、大好きなCDだし、
the GULDA MOZART tapes もひどい録音状態だけど、もう何度聴いたことだろうか。

グルダの音楽は、いい。

あるのか。

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オーディオに、最先端の現場はあるのだろうか。

しばらく、ぼんやりと考えている。

医療の最先端の現場、科学の最先端の現場......、
そういった現場は、本やテレビ、映画などから得た情報、知識で、門外漢のものでも、
ボンヤリとではあるにしても、まあ想像できる(どの程度当たっているかは別としても)。

なのにオーディオの最先端の現場はというと、少なくともパッとは浮かんでこない。

最先端の現場にいる人──
最新の情報を伝える人は、最先端にいる人ではない。わかりきったことだ。

インターネット上に最先端の「場」はつくれるかもしれない。
でも、そこは最先端の「現場」にはならない。
定期刊行物の編集者ならば、つねに心掛けている(はず)のは、
創刊号から最新号まで愛読してくれている読者もいれば、
途中からの人もいるし、最新号をはじめて手にするという読者がいるということだ。

最新号がはじめてという読者でも、若い人もいれば年輩の方もおられよう。
年齢の違いは、キャリア、レベルの違いにもつながっている(ただし必ずしも、ではない)。

ある特定の趣味を専門とする雑誌で、ある程度の歴史をもつとなると、この兼合いが難しい。

はじめての読者のレベルに合わせてしまっては、読みつづけてくれている読者には物足りなくなるし、
反対のことも言え、このことは私がステレオサウンドにいるときから(それ以前から)の、
他の雑誌編集部にとっても、大きな課題である。

読者の多くがバックナンバーに興味をもってくれるわけではない。
持ってくれた読者のすべてかバックナンバーを実際に手にされるわけではない。
それは非常に少ない割合だ。
それにバックナンバーも、そんなに古いものまでは、簡単には手に入らない。

読者の関心は、つねに新しいものに向きがちだ。

解決策のひとつとして、弟分に当たる雑誌創刊がある。

とはいえ、ひとつの編集部が、兄貴分にあたる雑誌と弟分の雑誌の両方を手がければ、
課題は解決されるが、なかなかそうはいかない。
やはり独立した、ふたつの編集部になってしまう。それぞれのカラーが生じて、
雑誌が抱えてきている課題を解消することとは、そう容易くなり得るものではない。

それに弟分の雑誌にも、同じ課題が生じてくる。

だがそれも、いまでは過去の課題でしかない。
インターネットのこれほどの普及と機能の充実、扱いやすさの向上によって、
本来ならば、とっくに解決していたはずなのに、実際にはまだ課題は生きのびている。
マークレビンソン・ブランドのカートリッジ MLC1以前に、
マーク・レヴィンソンが使っていたカートリッジが何だったのかというと、
いくつかのブランドのMC型カートリッジを使っていたなかで、
スペックスのカートリッジを常用している、ということを聞いたことがある。

当時スペックスといえば、「日産21個」という広告が印象に残っているが、
ステレオサウンドで取りあげられる機会もそれほど多くはなく、
地味なブランドのように受けとめている人も少ないだろうが、
アメリカでの人気は非常に高かったときいている。

1970年代後半から、アメリカでMC型カートリッジがもてはやされるようになったのは、
スペックスのSD909が、先鞭をつけたからである、とも言われている。

レヴィンソンが使っていたとしても、不思議ではないし、MLC1もスペックスのOEMだという話も聞いている。

スペックスは、一貫してオルトフォン・タイプのMC型カートリッジをつくってきていて、
SD909のコイルの巻枠にはパーマロイ系の材質を使用し、形状は四角形で、
井桁状に左右チャンネルのコイルが巻かれている。
コイルの巻数はオルトフォンのSPUよりも多いようで、SPUが負荷インピーダンス2Ωに対し3.5Ω、
出力電圧もSPUの0.2mV (5cm/sec)よりもすこし増え、0.28mVとなっている。

MLC1は写真でしか見たことがなく、スペックも知らない。
出力電圧、インピーダンス、針圧などがどれだけなのかはわからないが、
もしスペックスのOEMが本当の話だとしたら、SD909をベースにしたものであるだろうし、
基本特性はほぼ同じであろう。

つまりSPUタイプのローインピーダンスのMC型カートリッジの負荷インピーダンスとして、
レヴィンソンは825Ωを選択した、と考えても、そう間違ってはいないと思う。
1980年に登場したML7Lは、パネルフェイスはML1L、JC2と同じでも、
内部はまるっきり一新されていた。

JC2やLNP2で採用された、マッチ箱大のモジュールユニットは、メイン基板の上に、
それぞれのアンプ部が構成された、いわゆるドーターカード式に変更されるとともに、
回路を構成する部品点数も大幅に増え、カードの大きさも、かなり大きくなっている。

フォノカードがL3、ラインアンプのカードがL2で、さらにフォノカードは、
MC型カートリッジが直接接続できるL3Aカードも用意されていた。

このL3Aカードの入力インピーダンスが、825Ωだったのだ。

それまでMCが多カートリッジ用ヘッドアンプの入力インピーダンスといえば、
低いもので10Ω、高いもので100Ω程度で、カートリッジのインピーダンスによって切り替えるようになっていた。

そういう時代に、825Ωという値を採用したマークレビンソンのML7L。
その利用は、聴感を重視した結果ということを、ステレオサウンドのインタビューで、
マーク・レヴィンソンが答えていたはずだ。

技術的な理由は、一切語っていなかった、と記憶している。

当時、マークレビンソンからは、MC型カートリッジ、MLC1も登場していた。
プレーヤーのキャビネットの上に、指で弾くと、ガチャガチャと安っぽい雑共振の音がするもの、
たとえばカセットテープのケースやCDのプラスチックケースなどを置いてみる。

きちんと調整がなされているアナログプレーヤーであれば、
置いた途端に、音の品位が損なわれるのが、はっきりとわかる。

プレーヤーのキャビネット、ベース上に、便利だからといって、針先のクリーナーや針圧計、
その他、アクセサリー類を置きっぱなしにしているのであれば、まずそれを片付けてみる。
つまり別のところに移動する。

これだけで、すっきりと、細部まで、ローレベルまで、見通しのいい音になる。

トーンアームは共振物である。

すこし以前のモノだが、ラックスのPD444、トーレスンのTD226やリファレンスなどは、
トーンアームを複数取りつけが可能だ。

これらのプレーヤーで試してみると、トーンアームが1本余分についていることが、
どれだけ音を濁しているのか、はっきりとわかる。

気にいっているカートリッジを、すこしでもよい状態で鳴らすために、
専用のトーンアームを、それぞれに用意したことが、結果として影響を与えてしまう。

それでもトーンアームを2本使いたいとき、つまりカートリッジを交換しながらも、
できるかぎり調整して追い込んだ音で聴きたいときには、どうすればいいのか。

プレーヤーを2台用意できれば、それに越したことはないが、
そう簡単にできることでもない。

あとはオーディオクラフトのAC3000 (4000) MCのように、アームパイプが複数用意され、
カートリッジのコンプライアンスによって交換できるモノを使う手もある。

もうひとつ、トーンアーム1本の時の音を聴かないことだ。

一度でも聴いてしまうと、耳が憶えてしまい、求めてしまう。
だから、あえて聴かない。

聴かないことも、時には、重要となることがある。
4350は「この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬」であり、
「いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。
250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。
また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする」スピーカーであると、
瀬川先生は書かれている。

けれどマークレビンソンのML2Lのブリッジ接続で鳴らす4350の低音は、一変する。

「低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。
ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、
4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、
しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、
緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。」

このころ、ステレオサウンドの記事でも、4343を、ほぼ同じ構成で鳴らされている。
場所は、瀬川先生の、新居のリスニングルーム。

スピーカーが4350から、瀬川先生が愛用されていた4343に変わった以外は、
チャンネルデバイダーのLNC2Lが、JC1ACと同じく、2台用意して、
片チャンネルを遊ばせてのモノーラルでの使用である。

プレーヤーもマイクロの糸ドライブと同じだが、
記憶では、ステレオサウンドの記事では、
トリオから発売されていた、セラミック製のターンテーブルシートを併用されていたはずだ。

4350、4343をML2L、6台で鳴らされた経験のあとに、ベストバイ特集のステレオサウンド 55号が出ている。
瀬川先生は、パワーアンプのマイベスト3に、ML2Lを選ばれていない。
情報量という言葉を、はやい時期から使われていたのは井上先生だと、3週間ほど前に書いているが、
瀬川先生も、ほぼ同じころに、「情報量」を使われている。

ステレオサウンド 39号に掲載された「ふりかえってみるとぼくは輸入盤ばかり買ってきた」で、使われている。
     ※
直径30センチの黒いビニールの円盤に、想像以上に多くの情報量が刻み込まれていることは、再生機の性能が向上するにつれて次第に明らかになる。
     ※
情報量を、オーディオで使いはじめた人は、いったい、誰なのだろうか。いつから使われているのだろうか。

タンノイの代名詞となっている「いぶし銀」という表現も、誰が使いはじめたのだろうか。

五味先生の「西方の音」を読んでいると、「トランジスター・アンプ」の章に、いぶし銀そのものの表現ではないが、
ほぼ同じ意味合いの言葉が出てくる。
     ※
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる......そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     ※
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

となると五味先生の著書に登場される新潮社のS氏(齋藤十一氏)かもしれない。

いずれにしろ「英国の教養ある音」に使われていた形容詞が、
いつのまにかタンノイの代名詞へとなっていったわけだ。
当時、オーディオクラフト、サエクからは、
MM型カートリッジ用は低容量のシールド線、MC型カートリッジ用は低抵抗のシールド線という具合に、
トーンアームの出力ケーブルがそれぞれ用意されていた。

シールド線の構造上、低抵抗を実現するために芯線を太くすると、シールド線との間隔が狭まり、
結果として線間容量は増す。
線間容量を減らすには、芯線とシールド線との間隔を広げることで、こんどは芯線が細くなり、抵抗値が増す。

もちろん芯線を太くして低抵抗を実現しながら、シールド線との間隔を広げれば、低容量も両立できる。
ただし線径はかなり太くなってしまい、ケーブルの取り回しが面倒になる。
それにコネクター部の処理もたいへんなことになる。

それからフローティングプレーヤーを使用していると、フローティング機能そのものの妨げにもなる。

ケーブルの太さにも限度がある以上、低抵抗と低容量を実現するのは、なかなか難しい。

このことは、つまり一本のトーンアームで、カートリッジをMC型、MM型と頻繁に交換するうえでの問題点とも言える。

どんなに針圧、トーンアームの高さやその他の調整を、カートリッジ交換のたびにまめに調整したとしても、
トーンアームの出力ケーブルが、どちらかのタイプがついたままならば、
すべての苦労が無駄になる、とは言わないまでも、詰めの甘さが残ることとなる。

もっともカートリッジのコンプライアンスを考慮すると、トーンアームの実効質量とのマッチングも必要となるため、
事実上は、一本のトーンアームでMC型、MM型のカートリッジを混用するのは避けるべきだ。

となると1台のプレーヤーに2本以上のトーンアームを取りつけて、
それぞれMC型、MM型用にするという手も、もちろんあるけれど、これはこれで別の問題が生じてくる。
「825Ωの復活か」──
エレクトリのサイトで公開されている
パス・ラボラトリーのフォノ・イコライザーアンプXP15の入力端子の拡大写真を見ていて、そんなことを思った。

1970年代、プログラムソースといえばアナログディスク(LP)だった時代、
コントロールアンプだけでなくプリメインアンプにも、フォノ入力の負荷抵抗を切替え機能が装備されていた。

MM型カートリッジの、メーカー推奨負荷抵抗値は、47kか50kΩ。
アンプ側も、標準の入力抵抗は47kか50kΩだが、この他に68k、75k、100kΩのポジションも用意されていた。
たいていは値が大きくなるだけだが、一部、25k、10kΩのポジションを持つアンプもあった。

標準の50k(47k)Ωよりも負荷抵抗値を上げていくと、カートリッジの高域特性のピークがより持ち上がる。
負荷抵抗を下げていくと、なだらかに高域が減衰していく。

また負荷容量を変えていくと、やはり高域特性に変化が見られる。
負荷抵抗を50kΩに固定して、負荷容量を増やしていくと、やはり高域のピークが大きくなるとともに、
ピークの中心周波数がわずかに低くなる。

トーンコントロール的な変化に近いが、たとえ同じような周波数特性になったとしても、
トーンコントロールで高域を上昇させた音と、
負荷抵抗を標準値よりも高くした音は、表面的な効果は似ていても、
カートリッジのピークは振動系のものだけに、音楽の細かな表情は,ずいぶんと違いが生じる。

だから負荷抵抗をあげて負荷容量も増すという使い方もあれば、
負荷抵抗だけを下げて、ということも試しながら、トーンコントロールとも併用してみる。

70年代のアンプでは、そういう使い方ができた。

さらに負荷容量に関しては、トーンアームの出力ケーブルがもつ線間容量も、負荷容量にプラスされる。
この部分のケーブルが長くなると、それだけ負荷容量は増していく。
1mのケーブルと2mのケーブルでは、同じ品種ならば、後者の線間容量は2倍の値になる。
まっさらの新品の4350から、いきなり、まともなチェンバロの再生ができるわけがない、
そう思われる方もおられるだろう。
     ※
JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
     ※
スイングジャーナルの記事には、こう書かれている。
最新の4350AWXだからと、いうこともあろう。

けれど、これほどうまく鳴ったのは、まっさらの新品だから、であろう。

レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」(残念ながら一回だけで終ってしまった)の結びは,次のとおりだ。
     ※
あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(ソープランド)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた......とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     ※
おそらくサンスイのショールームで鳴らされた4350は、いろんな人が鳴らされたのであろう。

愛情を込めて鳴らされた人もいれば、即物的に鳴らされたこともあるはず。
特定の人が、無理なく自然に鳴らしてきた4350ではない。

幾人もの手垢のついた4350が、スレてきていたとしても不思議ではない。
そういう4350だったら、瀬川先生も、ずいぶんと苦労されたであろう。

封を切ったばかりの4350だったからこそ、誰の手垢もついてないからこそ、
瀬川先生の鳴らしかたに、素直に反応してくれたのだろう、といったら、すこし擬人化しすぎだろうか。
瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。

だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。
わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。

最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。

一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。

わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。

わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。

わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。
パラメトリックイコライザーやトーンコントロール、
QUADのティルトコントロールやラックスのリニアイコライザーなどの単独使用はあっても、
グラフィックイコライザーは、必ず上記のイコライザーと併用するものだと、
私は、グラフィックイコライザーの原理・仕組み・特性からいって、そう捉えている。

つまりグラフィックイコライザーは、周波数特性をいじるものではない。
周波数特性をいじるのであれば、パラメトリックイコライザーなりトーンコントロールを使えばいい。

グラフィックイコライザーにスライド式ボリュームがいつから採用され、
現在のスタイルになったのかは不明だが、
この、一見、周波数特性を連想させるアピアランスが、
グラフィックイコライザーの本質を隠してしまったように思えてならない。

まだ回転式ポテンショメーターを採用したほうが、いい。

グラフィックイコライザーは、そのデザインが見直されるべきモノである。
スイングジャーナルの試聴室にて、鳴り響いた音を、瀬川先生はこう書かれている。
     ※
本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう......劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
     ※
この日、鳴らされたレコードは、記事には、2枚だけ表記してある。

「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52)

試聴が終ったのが、深夜1時ごろだったと、Kさんから聞いている。
だから、最初にかけられたチェンバロのレコード、それに上記のレコード以外にも、
かなりの枚数のレコードをかけられたはすだ。

そのなかの1枚がアース・ウィンド&ファイヤーの「太陽神」である。

瀬川先生が、Kさんに「最近、どんなレコードを聴いているんだ?」とたずねられたとき、
彼が取り出してきたのが「太陽神」であり、かなり気にいられた、とのことだ

「太陽神」のエピソードは、ステレオサウンドに書かれている。

世田谷・砧の新居のリスニングルームで、
4343をマイケルソン&オースチンのモノーラルのパワーアンプM200を鳴らされたときのことだ。

ステレオサウンドの52号のセパレートアンプの特集号の巻頭エッセーをお読みいただきたいが、
あるオーディオ関係者が瀬川先生のお宅を訪ねられたとき、
ちょうど「太陽神」をものすごい音量で鳴られていたときで、
遮音には十分な配慮が施されたリスニングルームにも関わらず、外までかなり大きい音が洩れていた、
そして、その人はなんど玄関の呼出しのベルを鳴らしても、瀬川先生が気づいてくれなくて、
「太陽神」が鳴り終るまで、玄関で待っておられた、こんなことを書かれていた。

M200はEL34を8本使用した、かなり大規模な構成で、
出力は型番が示すように200W(Aクラス動作にすることも可能で、その時は60W)。

このとき瀬川先生のリスニングルームで鳴っていた音も、「劇的なひとつの体験」だったのだろう。

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