2009年3月アーカイブ

節倹の精神に富んでいるといわれるイギリス人。
いまもそうなのか、それとも薄れつつあるのかはわからないが、
過去のイギリスのオーディオ機器を眺めてみると、確かに、と納得できる例がいくつもある。

節倹とは、悪く言えばケチ、しみったれと言えなくもない。
長く使えるものを買い手は選び、
つくり手は、意を尽くし必要最小限のことしかせず、
そのことが長持ちすることへつながっているようにも感じられる。

303はプラスチック樹脂製のエンクロージュアに、素っ気無い仕上げを隠すように、
グリルで、ほぼ全面を覆っている。
合理的なローコスト化であり、バラツキの少ない材質選び、製品づくりでもあろう。

303は木や紙といった天然素材を、ほぼ全面的に排除している。

バラツキの少なさはローコスト化につながるだけでなく、
そのための工夫は、結果として長持ちすることになっているように、
昨日、ひさしぶりに、303を見て、聴いて、そう思った。

KEFの303は、124000円(ペア、1980年当時)と同社の製品、輸入品としては低価格のスピーカーなのだが、
オーディオに関心のない人からすると、スピーカーだけに10万以上というのは、高価なものだろうし、
日本の大メーカーが、徹底すれば、同じつくりならば、もっと安く作れるはず。

けれど、同じ音がしても、ただ安くつくるだけでは、節倹の精神が息づいていなければ、
新品のころはまだしも、果たして30年──ここまで持たなくてもいいけれど、
10年、20年、古びてボロボロになることなく、303のように、きちんと音を鳴らしてくれるだろうか。

安くても、数年しか持たないスピーカーと、多少高くても長く使えるスピーカー、
どちらが真のローコスト・スピーカーなのかは、はっきりしている。
自宅から徒歩圏内にある(といってもけっこう歩くけど)、昔からある個人経営のレコード店は、
タワーレコードやHMVといった、よく利用する大型店には置かれなくなったCDが、意外に置いてある。

4年前に、菅野先生から頼まれたCDのうちの1枚は、このレコード店で見つけたし、
そのすこし後に友人から、さがしてほしいと依頼のあったCDも、実はここで購入している。

クラシック専門店ではないけれど、大半はクラシックのCDとDVDという品揃えで、
廃盤になって入手困難になっている国内盤に関しては、かなり高い確率で揃っている。

今日も、数年前に限定盤で出ていたCDを、ここで購入した。
やはり置いてあったか! という感じで、そこにあった。
アマゾンでは中古盤が定価の4倍ほどの値段で売られているのが、新品で、もちろん定価で購入できた。

店に入ったとき、マーラーの交響曲が鳴っていた。
けっして小さな音量ではないが、といって大音量でもないけれど、耳障りにならず、
それでいて音楽に注意が向いてしまう。

目的のCDを見つけるのに気をとられていて、最初はスピーカーに関心がいかなかった。
レジでお金を払い、出口のほうを向いたときに目にはいったのは、なつかしい、KEFの303だった。

何度か利用しているにも関わらず、なぜ今日まで気がつかなかったのか、それも我ながら不思議な気もする。

303は、専用スタンドとともに、出入り口の両側に設置されていた。

1980年ごろのスピーカーだから、30年近く、レコード店の営業時間中は音楽を鳴らしてきたのだろう。
それにしても、草臥れている感じはなかった。

エンクロージュアの4面を囲んでいるグリルも、オリジナルのままのようで、
経年変化でボロボロになっている、なんてことはなかった。

ほーっ、と感心していた。なんと長持ちしているスピーカーだろう、と。
ステレオサウンド 42号では、53800円のオンキョーのIntegra A-5から195000円のマランツのModel 1250まで、
35機種のプリメインアンプを取りあげている。

入力ショート時とカートリッジ実装時(シュアーのV15 TypeIIIを使用)のSN比の実測値を見ていくと、
各機種間の差は、入力ショート時の値のほうが大きく、カートリッジ実装時では、差が縮まっている。

つまり実使用時においては、カタログ上の値ほどの差はない、とも言えるわけだ。

入力ショート時とカートリッジ実装時の値がほぼ同じという優秀な機種もいくつかあるが、
多くの機種は後者の値が数dBほど低くなっている。

唯一例外なのが、35機種中1機種だけの管球式のラックスのSQ38FD/IIで、
入力ショート時は78.8dBなのに、カートリッジ実装時は80.8dBと、
トランジスターアンプと、ほぼ同じレベルのSN比となっている。

マランツ#7のSN比は、どのレベルなのだろうか。
フォノイコライザーアンプのSN比は、通常、入力をショートした状態で測定された値が、
メーカーから発表されているが、実際にユーザーが使用する状態でのSN比といえば、
当然だが、入力にカートリッジなりMC型カートリッジの昇圧トランスの2次側か、
ヘッドアンプの出力がつながれているときの値である。

ステレオサウンドが、42号(1977年春号)のプリメインアンプ特集で、
入力ショート時とカートリッジ実装時の、ふたつのSN比を測定し公表している。

話はすこし逸れるが、このころのステレオサウンドの特集は、とにかくボリュームがあった。
42号の特集の最終ページは、392である。編集後記がある奥付が536ページ。

1977年と2009年の今とでは、状況は違う。新製品の数は、いったいどれだけ増えたのか。
取りこぼしがないように新製品を取りあげれば、ページはすぐに不足してくる。

ステレオサウンドは、いつのころからか、弁当に例えるなら、幕の内弁当だけになってしまったのではないだろうか。

あれもこれも、と楽しめる幕の内弁当の方が売上げはいいだろう。安定しているだろう。

以前のステレオサウンドは、とんかつ弁当だったり、焼き魚弁当のときもあれば、
煮物中心だったりと、毎号、主菜は大きく変わっていた。そして食べごたえ(読みごたえ)があった。

42号のようにプリメインアンプの特集ばかりの号は、主菜がひとつに決まっている弁当と同じで、
プリメインアンプに関心のない人には魅力的ではないだろう。
とんかつが食べたくない人は、どんなにおいしくてボリュームがあるとんかつ弁当を差し出されても、
すこしも嬉しくないだろう。幕の内弁当だったら無難なのに、と思うかもしれない。

ステレオサウンドは1年に4冊しか出ない。
しかも年末の号は、ベストバイとステレオサウンド・グランプリが特集で、これこそ幕の内弁当的内容である。

だからこそ、他の号は幕の内弁当ではないほうが、
冬号の幕の内弁当がおいしく魅力的になると思ってしまうのだが......。
無線と実験でのハンダの試聴記事で、傅さんのことを知り、
FM fanの、オーディオ評論家4氏のリスニングルーム訪問記事で、
私の中での存在感は、ぐんと大きくなった。

そして、すこし羨ましくも思った。
菅野先生、瀬川先生のリスニングルームを訪問されているからだ。

この訪問記事はくり返し読んだだけあって、けっこう細部まで記憶していたことが、
昨夜、読み返して確認できたとともに、
長岡鉄男、上杉佳郎、両氏のリスニングルームの記事も読んでいたことを思い出した。

1ヵ月ほど前か、傅さんと電話で話しているとき、この訪問記が話題になった。
でも、そのときは、どうしても長岡・上杉両氏の訪問記のことを思い出せなかった。

「載ってたかなぁ。読んでたら、わずかでも憶えているはずなのに......」、
記憶を辿っても、まったく思い出せなかった。

昨日、傅さんからの郵便物を受けとった。
記事のコピーだ。2回分、記事のすべてだ。

まず瀬川先生のところを、まっさきに読んだ。
それから菅野先生のところを。
「そうだった、そうだった」と、あのころ、この記事を読んだときの、
いくつかのことを思い出しながら読んでいた。

そして最初から、つまり長岡氏の訪問記から読み返しはじめた。
たしかに読んでいた。買わずに(買えずに)立読みで、おそらくすませていたためだったせいだろう。
高校生だったとき、FM誌と呼ばれている雑誌は3つあった。

音楽之友社の週刊FM、小学館のFMレコパル、共同通信社のFM fan。
3誌とも隔週で出ていて、オーディオに関心のない同級生も、
エアチェックのために買っていた者が、割と多かった。

3誌とも買っている同級生はいなかったし、どれを読んでいたかは人それぞれ。

私が、毎号とまではいかないまでも、頻繁に買っていたのはFM fanだった。
理由は、瀬川先生の「オーディオあとらんだむ」を読むため。
それでも高校生のこづかいでは、ステレオサウンドを買った後に出た号は、
200円くらいの定価だったが、買わずにすませてしまうこともあった。

1979年秋のFM fan、No.22は、書店で手にとってパラパラと目を通して、即レジに持っていった。
傅さんの記事を読みたかったからであり、当時、何度も読み返した。

記事のタイトルは「人・オーディオ・リスニングルーム訪問記」、
今夜、30年ぶりに読み返している。
早瀬さんのウェブサイト、SoundFrailの3月24日のMy Audio Lifeに、私の名前が出ている。

井上先生と早瀬さんの試聴には、数多く立ち合ってきた。
たしかに一度だけ、睡魔に勝てなかったことがある。

マッキントッシュのMC275で、アポジーのカリパー・シグネチュアやボーズの901を、
CDプレーヤーをMC275のTWIN INPUTに接いで聴いたときのことだ。

試聴が終ったのは深夜1時をまわっていたと記憶している。
それもMC275の電解コンデンサーがパンクしたためであり、
ちょうどノリに乗っていたときに起こった、この故障がなかったら、
おそらく3時4時まで試聴は続いていただろう。

試聴が強制的に終了となり、井上先生の話を録音した後、雑談になった。
2時はすぎていた。3時近かっただろうか。眠たくなってきた。

このとき井上先生が真ん中、右側に早瀬さん、左側に私。

早瀬さんが書かれているグラフィックイコライザーを使い、
左右チャンネルの音を可能な限り近づけていくという試聴は、私が辞めた後のことだ。
早瀬さんからの話で、いちど聞いたことがある。

だから井上先生、早瀬さんの後ろで爆睡していたのは、私以外の編集者である。

井上先生の試聴はおもしろい、気は抜けない。
どんなに寝不足のときでも、試聴が続いている限りは睡魔は押さえ込める。

音が鳴っているときに寝てしまうとは、なんともったいないことか。
この項の(その1)に書いた井上先生の言葉。

井上先生は何を言われようとされたのか。

傅さんの書かれた最近のもの(CDジャーナル4月号の「素顔のままで」と
ステレオサウンド 170号のジェフ・ロゥランドD.Gの新製品クライテリオンの記事)を読んでいて、
「物語」であると、はっきり確信できた。
いまも言われているようだが、音場重視・音像重視がある。
古くからのオーディオマニアは音像重視のひとが多く、
比較的若い世代は音場重視だったりするようなことも、言われている。

井上先生が、1987年ごろからくり返し言われていたのは、
「音場は、文字通り、音の鳴っている場、音楽が演奏されている空間であって、
その空間・場がきちんが再現されなければ、
その空間に存在する音像がまともに再現できるわけがないだろう。」という主旨のことだ。

私なりに言いかえれば、音場「感」重視、音像「感」重視はあっても、音場重視、音像重視はあり得ない話なのだ。
長島先生は、マランツ#7を、フォノイコライザーのみ使用されていた。
トーンコントロールやフィルターを含むラインアンプはパスされ、
REC OUTから出力を取り出し、DAVENのアッテネーターを外付けにするという構成だった。

SPA1HLの構成も、また、ほぼ同じである。
出力は固定と可変の2系統を備え、回路構成もマランツ#7と同じ3段K-K帰還型のフォノイコライザーである。

3段構成ということは、真空管はECC83/12AX7(双三極管)だから、
左右チャンネル合わせて3本、つまり6ユニットで足りる。

マランツ#7では、初段と2段目で1本のECC83、つまり左右チャンネルで独立しているが、
終段のカソードフォロワーは、1本のECC83を左右チャンネルに振り分けて使っている。

SPA1HLを取りあげた号のステレオサウンドも手もとにないため、
SPA1HLがどのように真空管を使っているのか、はっきりと思い出せないが、
おそらく長島先生は、初段に、ECC83の並列接続を試されたのではないか、というよりも、
間違いなく試され、その音を聴かれていると、ほとんど根拠らしい根拠はないけれど、私は確信している。
SMEではなく、オルトフォン・ブランドのSPA1HLが登場したとき、取材・試聴は長島先生だった。

普段どおり試聴ははじまった。
数枚のレコードを聴いた後で、満足げな顔をされた長島先生が、「どうだい?」と、
私がどう感じたのか、きいてこられた。
その後、「内部を見てみよう」と言って、天板を取り、説明してくださった。

その詳しさと言ったら──
長島先生が設計者本人なんだな、ということがわかるほどだった。

説明は、裏板まで取って、続いた。

さらに「このコンデンサーを見つけ出すのが大変だったんだよ」まで言われた。
国内外の著名なコンデンサーは、ほとんどすべて試聴した上で、選択されたもので、
いわゆるオーディオ用と呼ばれている部品ではないし、私も初めて見るコンデンサーだった。

間接的に、自分が設計者と言われている発言だが、それでも「設計した」とは言われないので、
だから、こちらもあえて問わずに、
誰かに、説明するのが楽しくて嬉しくて、といった長島先生の話を、楽しく、ずっと聞いていた。
サンスイのショールールで4350を鳴らされたのは、6月13日の金曜日。
スイングジャーナルの試聴室で鳴らされたのは、その後で、
Kさんによると蒸し暑い日で、梅雨に入ったかどうかということだから、6月下旬だろうか。

瀬川先生以外に、試聴に立ち合ったのは、Kさんと、当時のJBLの輸入元だったサンスイJBL課の増田氏だけ。

Kさんによると、「精緻で近寄り難い荘厳な響きが、今も耳に残っている」とともに、
ML2L、6台の発熱量はハンパじゃなく凄まじく、試聴室のエアコンでは追いつかず、
3人とも団扇を扇ぎながら聴いていたことも、つよく印象に残っているとのことだ。

この日、Kさんは、瀬川先生からチェンバロの再生に関しての、
大切な要素や注意点などについて教えを受けた、と言っていた。

この日の組合せだ。

カートリッジ オルトフォン MC30 ¥99.000
トーンアーム オーディオクラフト AC-4000MC ¥67.000
ターンテーブル マイクロ RX-5000/RY-5500 ¥430.000
ヘッドアンプ マークレビンソン JC1AC ¥145.000×2
チャンネル・デバイダー マークレビンソン LNC2L ¥630.000
プリアンプ マークレビンソン ML6L ¥980.000
パワーアンプ マークレビンソン ML2L ¥8000.000×6
スピーカー JBL 4350AWX ¥850.000×2
計¥8.996.000
傅さんのことを知ったのは、1978年ごろの無線と実験の記事で、
そこで傅さんはハンダの試聴をされていた。

プリント基板のパターンとパターンをハンダを盛ってつなぐことで、
パターン・ハンダ・パターン・ハンダ・パターン......というワイヤーをつくり、聴きくらべるというものだった。

面白いことをやられているな、と感心するとともに、記事を読むと、傅さん自ら、
このハンダとパターンによるワイヤーを自作されたとある。

やってみるとわかるが、これはかなり面倒な作業である。
しかも、そうやって作ったワイヤーは、ハンダの音を聴くためのものであり、
自分のオーディオ機器・システムのためのモノではない。
あくまでも試聴・取材のためだけのモノである。

そういうことは、たいてい編集者がやることだろうに、なぜ、この傅さんという人は、
自分でやられているのだろうか。

当時10代半ばだった私は、不思議に思った。
そして、無線と実験に執筆されている他の筆者とは、
伊藤喜多男先生とともに、あきらかに違う人だということも感じていた。

インターネットの掲示板を見ていると、ときどき傳さんと書く人がいる。
よく似ている漢字だが、これでは「でん」さんになってしまう。

傳ではなく、傅(ふう)さんが正しい。
「JBL#4350を鳴らした話」では、夕方6時から8時までの2時間の予定ではじまった、
このときの試聴会では、のこり30分となったときに、チェンバロをかけられている。
     ※
与えられた八時まであと三十分あまりというあたりから、どうやらカンどころが掴め始めた。ハルモニアムンディの、少し古い録音だがバッハのチェンバロ協奏曲(ニ短調。レオンハルトとコレギウム・アウレウム。ドイツ原盤)を鳴らすころから、会場がシンとしてきた。スピーカーの鳴らす音に、どことなく血が通うような気がしてきた。アルゲリッチの新しい録音(ショパンのスケルツォ第二番。独グラモフォン原盤)を鳴らし、この日の会の進行役N君の持ってきたカウント・ベイシーの新録音から一曲聴き終ったら、N君が思わず拍手した。素敵なクラブで素敵な一曲を聴き終った、そんな気分がけっこう出てきたのである。
     ※
ひどい状態で鳴っているときのJBLで聴くチェンバロの音は、まさしく「聴くに耐えない」音の代表である。
チェンバロ特有の響きに耳をすましている聴き手を、容赦なく音の棘が引っ掻いていくからだ。

サンスイのショールームでは手応えを感じられてきたときに鳴らされたチェンバロを、
スイングジャーナルの試聴では、最初に、である。

だから、スイングジャーナルでの4350の組合せの取材に立ち合っていた、なんと幸運な友人のKさんの話を聞いていて、
すこし意外に感じながらも、そういうことなのかな、と納得もしていた。
虚構世界の狩人」に所収の、「JBL#4350を鳴らした話」では、
西新宿に当時あったサンスイのショールームでのことを書かれている。

そのしばらく後に、スイングジャーナルの記事でも、4350を、
マークレビンソンのML2L、6台で鳴らされている。

もちろんバイアンプ駆動で、ウーファーはML2Lのブリッジ接続。
4350は、2231Aのダブル構成なのでインピーダンスは4Ω。
このときのML2Lブリッジの出力は200Wに達する。
ウーファーの駆動だけで、左右チャンネルでML2Lが4台必要になり、消費電力は1台あたり400W。

4350の中高域は高能率ということと、ML2Lの、おそろしく滑らかな質の高さ、透明度の高さを損なわないように、
ブリッジ接続ではなしで、1台ずつ。これで6台、消費電力の合計は2400W。

これにML6L、JC1AC(これもモノーラル使い)、LNC2(これは2台用意できなかったようだ)、
アナログプレーヤーのマイクロのRX5000/RY5500の消費電力が加わると、2500Wぐらいになろう。

これだけの電力を確保するために、試聴は夕方からはじめ、
そして試聴に立ち合う編集者以外は、みな早めに帰宅してもらい、
試聴室以外のコンセントからも、電源をとったときいている。

瀬川先生が、この組合せで最初にかけられたのは、チェンバロだったとのこと。
(昨夜、友人のKさんから、この話を聞いていた。残念ながら曲名、演奏者名などの詳細は忘れてしまったらしい)

おそらく、この時期、ステレオサウンドの試聴でも使われていた、
プヤーナのチェンバロによるクープランのクラヴサン曲集だと思う。
サプリーム「瀬川冬樹追悼号」に、長島先生は書かれている──
     ※
僕は、そのとき、不覚にもずいぶん裕福な人だなとうらやましく思ったのだが、その後付き合いが重なるうちに、彼が、どんな想いでこれらの製品を買っていったのかがわかるのである。
彼は、決して裕福などではなかったのである。
彼の家は、年老いた母君と、まだ幼い妹さんとの三人暮しであった。日本画家であった父君とはなにかの理由で早くに別れられていたのだ。一家の生活は、一手に彼が背負っていたのである。そのなかで、これらの製品を購っていくことは、どれほど大変なことだったろう。しかし、彼は、そのことを一度たりとも口にしたことはなかった。以上の事情は、付き合いが深くなるにつれて、自然とわかってきたことなのである。
彼の晩年も、けっして幸福なものではなかった。人一倍苦しく、つらい想いをしている。しかし、昔と同じに、苦しさ、つらさを絶対に口にすることがなかったのである。
     ※
苦労やつらさは、顔や態度、そして言葉に、ややもすると出てきてしまいがちだ。

瀬川先生と何度かお会いしている。けれど、そんな印象はまったく受けなかった。
柔和な表情が、瀬川先生の第一印象として、いまも私の中に残っている。
ステレオサウンド 62、63号の瀬川先生追悼特集記事を読んで、だから驚いた。

なぜ、ここまでそういったことを表に、いっさい出されなかったのだろうか。
瀬川先生の美学ゆえだったのだろうか......。

瀬川冬樹の凄さである。
私もよく使う「聴感上のSN比」。

この言葉をもっともよく使われ、おそらく最初に言われたのも井上先生であろう。

頻繁に使われ始められたのは80年代にはいってからだが、
いつごろから使い始められたのかは、はっきりとは知らない。

いまのところ、私が知っているかぎりでは、ステレオサウンド 39号(1976年発行)に出てくる。
     ※
聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、
音に対してどのような影響を与えるかによって変化する。
物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、
音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。
また、高域のレスポンスがよく伸び、音の粒子が細かいタイプのカートリッジのほうが、
聴感上のSN比はよくなる傾向があった。
マーク・レヴィンソンは、書いている。

「日本文化のひとつの側面は、禅の教えです。瀬川さんのおっしゃる言葉には、禅の教えのように、心を打つものがありました。もちろん、おっしゃったことが正しかったからですが、それよりも私が非常に重要だと思うことは、氏のおっしゃり方、言われた人に伝わるそのお気持」にあるとしている。

レヴィンソンは、瀬川先生の一言で、「もっと内なる真実」を見つめることになる。
1982年には、さらにローコスト化を図ったML11LとML12Lが出てきた。
コントロールアンプのML12Lは、電源部を持たず、ML11Lから供給を受けるようになっていて、
それぞれ72万円という価格がつけられ、個別に売られているものの、基本的には組合せで使うものとなっていた。
これが、MLナンバーのついた、最後のアンプというのは、さびしいし、かなしい。

瀬川先生は、ML11LとML12Lはもちろん、ML9LとML10Lの存在もご存じないだろう。

1981年8月6日、ステレオサウンド創刊20周年記念号の取材中に倒れられ、翌7日に再入院されている。
亡くなられたのは、ちょうど3ヶ月後の11月7日の、午前8時34分。

レヴィンソンは、瀬川先生に、これらのアンプの存在を知られたくなかったのではないのか。
私は勝手にそう思っている。間違いないと思っている。

そしてこのころ、LNP2Lにも変化があった。
インプットアンプのゲイン切替えが、初期のモデルと同じ、0、+10、+20dBの3段階に戻されている。
別項の「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていたが、
使い難さを指摘されながらも、+30、+40dBの5段階にしていたのは、
レヴィンソンにとっての、求める音のためであったのだろうし、
それを使いやすさのためだけに(私はそう思う)、音の冴えが損なわれるポジションのみとなったこと──、
すでにマークレビンソンというブランドは、レヴィンソンの手を確実に離れつつあった。
1981年の秋には、マークレビンソンから、ML9LとML10Lが発売された。
当時の価格は、どちらも85万円。普及価格帯の製品ではないが、
マークレビンソンとしては、初の価格を意識したアンプである。

このペアが、ステレオサウンドの誌面に登場したときは、まだ読者だった。
正直、落胆した記憶がある。マークレビンソンらしくないアンプだと感じたからだ。

ML9LとML10Lは、マドリガル体制になってからの、初のアンプでもある。
ただ、このことを知ったのは、数年後だった。

アンプの開発には、それなりの時間が必要だから、ML9LとML10Lを企画したのは、
事業経営に忙殺されていたレヴィンソンだったのか、マドリガルの首脳陣だったのかは、はっきりしない。

私にとって、マークレビンソンのアンプは、こちら側から近づいていく存在であり、
価格を抑えることで、向こうからこちらにすり寄ってきてほしくはない。

ステレオサウンドに入ったころは、傅さんが、ML7Lの購入を決意されていた頃でもある。
傅さんが、どれほどML7Lに惚れ込まれていたのかを、みて知っている。

頭金をつくるために、愛着のある、手もとに置いておきたいオーディオ機器の処分を決意され、
どれを手放さなければならないのか、リストアップされていたのを知っている。
支払いの計算も、用意できる頭金の額によって、いくつも計算されていた。

お金のなる木をもっている人ならば、ポーンと即金で買えるだろう。

だが、そんなものは、世の中にはない。傅さんも持っていなかったし、私も持っていない。

だから、MLナンバーがつく、マークレビンソンのアンプを購入するということは、苦労が伴う。

そうしてでも手に入れる価値あるアンプだと、私は思っていたから、
言葉にしなかったが、傅さんには共感していた。心強く思ってもいた。

念願のML7Lを手に入れられた傅さんは、輸入元による付属のウッドケースが気にいらず、
オリジナルの、白木のウッドケースを取り寄せられている。

だから、ML9L、ML10Lが登場したとき、瀬川先生はなんとおっしゃるのか、それがとにかくも知りたかった......。
マーク・レヴィンソンは、このとき、瀬川先生のお宅の「壁ぎわに、古い小さなピアノがあるのに気がつき」、
10分間ほど、仕上げたばかりの自作の曲を弾いている。

弾き終ったレヴィンソンに、
「演奏中は、お顔の表情がまったく違っていましたよ。大変おくつろぎのご様子で、本当に幸せそうでした」と
瀬川先生はおっしゃったそうだ。

この瀬川先生の言葉を、レヴィンソンは「忘れることができないであろう一言」と、表している。

この瞬間(とき)、レヴィンソンは、「私の人生には音楽しかなく、会社経営とか技術という分野は元来、
自分の領域ではない、という私にとって動かしがたい真実」を、悟ったと書いている。
「真に幸せであるためには、いかなる変化が要求されようとも、私が生きていくためには、
音楽のためにより多くの時間と、空間を創り出すことが絶対に必要であること」も思い出している。

LNP2やJC2、ML2が高い評価を受けるとともに、会社も急激に大きくなり、
レヴィンソンの「心は事業経営に忙殺され」、音楽に費やす時間が、反比例して減っていく。

成功とともに失ったものに気づき、「音楽に再び帰るべきこと」を、
レヴィンソンは、瀬川先生の「思いやりのある言い方」で決心したのだろう。

瀬川先生は、「茶目っ気たっぷりの目をクリクリさせながら」言われたそうだ。
ステレオサウンド別冊のHIGH TECHNICシリーズのVol.2で、長島先生は、
ジョン・カールのローノイズ化の手法を高く評価されている。

私がステレオサウンドで働きはじめたころも、長島先生は、
「ジョン・カールの、あの手法は巧妙で、見事だよ」と言われていたのを思い出す。

それがいつの日からか、トランジスターや真空管などの能動素子を並列接続して、
ノイズを打ち消すことによってSN比を高めるジョン・カールの手法に対して、
「ノイズを打ち消すとともに、ローレベル領域の信号も打ち消している」と、はっきり言われるようになった。

たしか1984年ごろからだっただろう。

どんなにリニアリティの揃っているものを選別しても、ローレベルのリニアリティがぴたっと揃っているわけでなく、
だからこそノイズを打ち消すこともできる反面、信号も失われていく、
そんなふうに説明してくださった。

そして、その打ち消されてしまう信号領域こそ、音楽の表情を、
活き活きと豊かなものにしてくれるかどうかを、大きく左右する、とつけ加えられた。

そのころは、なぜ、突然、能動素子の並列接続に対する評価を変えられたのか、理由はわからなかった。

しばらく経ち、オルトフォン・ブランドで最初は登場したSMEのフォノイコライザーアンプ、
SPA1HLが、その答えとなった。
プログラムソースといえば、LPのことだった1970年代までは、
装置を改良・買い替えなどして、聴こえてくる音が、それ以前よりもぐんと増えたときに、
「同じレコードに、こんなにいろんな音が入っていたのか」
「これほど多彩な音が刻まれていたのか」といった表現がなされていた。

CDが登場し、プログラムソースのデジタル化が進むにつれ、「情報量が増えた」という、
やや即物的で、情緒性を無視したような表現が、いつの間にか定着していた。

情報の量──、
データ量という言葉があるから、
いかにもデジタル時代だからこそ使われるようになってきた言葉のように受けとられている方もいるだろう。
オーディオはコンピューターとは違うぞ、と言いたくなる人もいるだろう。

オーディオの言葉として、誰がいつごろから「情報量」を使いはじめたのか。

古い本をひとつひとつ当たっていけばはっきりすることだが、
私が知る限りでは、井上先生が、かなり早くから使われていた。

まだCDという言葉もなかったころ、アナログディスク全盛時代の1976年、
この年の暮に発売されたステレオサウンド 41号で、井上先生は、すでに使われている。

新製品紹介のページで、山中先生との対談で、ルボックスのパワーアンプA740のところで、
「情報量の伝達は十分なのだけれども感情過多にはならない」というふうに発言されている。
五味先生のオーディオと長島先生のオーディオには、いくつかの共通点がある。

まずお使いのスピーカーユニットは、タンノイもジェンセンのG610B、どちらも同軸型の15インチで、
エンクロージュアもバックロードホーンという点が共通している。

長島先生のスピーカーはコーナー型ではないが(正確に言えば、セミコーナー型といえる形状)、
部屋を横方向に使われ、左右のスピーカーの間隔をできるだけ広げられる意味もあってだろうか、
そして低音に関しての意味合いも含まれているようにも思えるが、ほぼコーナーに設置されている。

オートグラフは、いうまでもなくコーナー型である。

どちらもスピーカーも、指向性は意外に狭く、最良の聴取位置はピンポイントだ。

あとは、おふたりともアンプは真空管アンプである。
五味先生はマッキントッシュのC22とMC275、長島先生はマランツの#7と#2の組合せ。

だから、おふたりの音には共通しているものがある、とは言わない。
これらのことは、たまたまの偶然だろう。

それよりも、大事なことは、どちらもたったひとりのための部屋であり、音である、ということだ。

五味先生の部屋は、ステレオサウンドに掲載された写真でしか知り得ないが、
五味先生ひとりのための部屋という印象が、まずある。
長島先生の部屋に訪れたときも、雑然としているところも含めて、やはりひとりのための部屋という印象を受けた。
1964年7月25日、五味先生のもとに、イギリスからタンノイ・オートグラフが届く。

その時の音を「なんといい音だろう。なんとのびやかな低音だろう。高城氏設計のコンクリートホーンからワーフェデールの砂箱、タンノイの和製キャビネット、テレフンケン、サバと、五指にあまる装置で私は聴いてきた。こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聴いたことがない。しかもなんという低音部のひろがりと、そのバランスの良さ」と書かれている。

3月8日の音は、のびやかな低音でも、ひろがりのある低音でもなく、
高音部も、みずみずしくとはいえなかった。

そういう音が鳴ってくれるとは、ほとんど期待してはいなかった。

部屋の構造上か、オートグラフは後ろの壁からも左右の壁からも数十cm以上離されていたし、
主を喪ったオーディオ機器は、どれも万全のコンディションとはいえないことも重なっていて、仕方のないことだろう。

それでもフルトヴェングラー/ウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲第3番の第2楽章、
バックハウスの最後の演奏会を収録したレコードから、ベートーヴェンのワルトシュタイン、
ヨッフム指揮の「マタイ受難曲」、これら3曲を聴いたわけだ。背筋をのばして聴いていた。

そういう音が鳴っていたからだ。
なぜだか、ふと長島先生の音の印象と重なってきた。
似ている、というよりも、共通しているところのある音。

音楽に真剣に向き合うことを要求する厳しい音、
だらしなく音楽をきく者を拒否するような厳しい音だった。

長島先生の音も、まさしくそうだった。
エレクトロボイスのSentry500の素っ気無い仕上げを、家庭での使用を前提に、
木目仕上げのエンクロージュアと、
木製のCD(Constant Directivity=定指向性)ホーンを採用したSentry500SFVが発表されたばかりだったから、
1983年ごろの、ステレオサウンド試聴室でのコトだ。

その日、ステレオサウンド編集部では試聴室を使う予定はなく、
HiViの筆者の方、ふたりで、輸入されたばかりのSentry500SFVの試聴をやられていた。

試聴室隣の倉庫に、工具を取りに降りていったとき、試聴がはじまって1時間くらい経過した頃だったようだ。
試聴室に入らなくても、うまく鳴っているかどうかは、すぐにわかる。
覇気が感じられない音で鳴っているなぁ......、と思いながら、工具を探していたら、
試聴室の中から、「こっちに来て、なんとかしてほしい」という声が掛かった。

ふたりとも、鳴っている音に納得できずに、あれこれ試したものの、たいした変化は得られなかったとのこと。

ざっと見渡すと、いつものセッティングとは違う。
アンプの電源を落とし、スピーカーケーブルやピンケーブルもいったんすべて外し、
ACコードもすべてコンセントから外した。
それから、いつもの試聴のようにセッティングする。

なにもすべて外す必要はないのだが、
やはり一からすべて自分でやったほうが確実だからだ。

スピーカーもアンプもいっさい移動しないので、
またケーブルやその他のモノもいっさい換えないままだったので、時間にして、5分程度だ。

ふたたび電源を入れて、音を出す。

このくらい変わるだろうな、と予測していた音が鳴ってきた。
時間は短いし、何一つ換えなかったとはいえ、ある程度の変化量は予測していた。
井上先生の試聴で、毎回体験していることだからだ。

でも、筆者の方ふたりは、驚かれていた。
そして、チューニングによる音の変化と受けとめられたようだ。

自慢話をしたいわけではない。

ここで、私がやったことはチューニングではなく、あくまでもセッティングであり、
それをやり直しただけだということを理解していただきたい。
試聴の準備は、セッティングである。

その日使う器材を所定の場所に設置し、結線し、音出しが出来る状態にする。
特に新製品の試聴の時には、ほとんどがはじめて音を聴くモノばかりなので、
セッティングは、より重要度が増す。

3ヵ月毎に特集の試聴、新製品の試聴があるわけだから、そのたびにセッティングしているわけだ。

このセッティングを毎回同じに出来るかどうか。
同じようなセッティングでは、井上先生から合格点はいただけない。同じでなければならない。

そんなの簡単じゃないか、と思われる人も多いだろう。

セッティングした器材を、結線を外し、他の部屋の移動し、また元の部屋に持ってくる。
そしてもう一度セッティングする。
これを何度も、わずかな時間でやってみるといいだろう。
できれば、その音を第三者に聴いてもらえれば、さらにいい。

たいてい、いくつかの見落としがあって、同じようなセッティングどまりだったり、
逆にうまくいき、元よりもいい音になることもあるだろう。

私の場合、3ヵ月に一度ではあったが、井上先生にそうやって鍛えられたことになる。
マッキントッシュのMC275には、RCAジャックが5つついている。
フロント右から、MONO INPUT、TWIN INPUT(L、R)、STEREO INPUT(L、R)となっている。

ステレオサウンド 55号「ザ・スーパーマニア 故・五味康祐氏を偲ぶ」に載っていた写真は、
目に焼き付くまで、じっと何度も見ていた。

だから、3月8日の練馬区役所の会議室に設置されていた五味先生のMC275を見て、
なにか違う......、と感じていた。

そのMC275のTWIN INPUTのところには、三角形に切られた赤と黒のビニールテープで、
左右チャンネルが色分けされていた。

区役所の方の説明では、運び込まれたときから貼られていたもので、
おそらく五味先生が貼られたものであろう、とのことだった。

だが、なぜ五味先生が、こんなところに、初歩的な色分けのシールを貼られるだろうか。
レコードのヒゲを、あれだけ嫌悪されていた五味先生である。
愛機にビニールテープなど、貼られるはずがない。

帰宅して、ステレオサウンドを開いた。
MC275の写真は、それほど大きくはない。どうにもビニールテープは貼られていない。当然だ。

さらに五味先生は、TWIN INPUTではなく、STEREO INPUTを使われている。

ビニールテープは、おそらく五味先生のお嬢様の由玞子さんが貼られたのだろう。
今回の試聴会は、TWIN INPUTが使われた。

五味先生のオーディオ機器の復活には、エソテリック/ティアックだけでなく、
ステレオサウンドの原田勲氏はじめ、編集部の方々も協力があったおかげだときいている。

オーディオ機器の操作は、ステレオサウンド編集部の染谷氏が担当されていた。

感謝しているからこそ、ひとつ言いたい。

なぜ、きちんと検証作業を行なわないのだろうか。

昔のステレオサウンドを見れば、すぐにでもわかることである。
誌面では小さな扱いの写真だが、編集部内には、フィルムがきちんと保管されている。
こちらで確かめれば、もっと細かいことまでわかる。

なぜ一手間を惜しむのだろうか。

オーディオという趣味は、その一手間の積み重ねによって、音を紡いでいき、築いていく行為だというのに......。
今日、練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」に行ってきた。

午前中に1回、午後3回開催されるほどだから、前回(1月)の試聴会の申込みがいかに多かったのかが、わかる。
年輩の女性同士で来られている方も見かけた。

練馬区役所本庁舎の会議室に、五味先生のタンノイ・オートグラフは設置されている。
部屋に入ると、正面にオートグラフ、
その間に木製ラック、それにEMT930st、マッキントッシュのC22、MC275が収められていた。

五味先生がお使いになっていたラックは、ヤマハ製のものだった。

オートグラフが目にはいった次の瞬間、すぐに探したのは「浄」の書だ。

五味先生のリスニングルームでは、オートグラフに向かって左側の壁、天井近くに飾ってあった。

「浄』は右側の壁に、飾ってあった。

写真で何度も見、目に焼き付けていたつもりだったが、
こうやって、その前に立つと、印象は、ずっと深いものとなる。

たくましく、骨太で、ふしぎな味わいがある。
技巧うんぬんなど、どこ吹く風といったらいいのだろうか。

なぜ、この「浄」なのかが、わかる気がした。

区役所の方の話によると、おそらく中国の石碑からの拓本だろう、とのことだった。
暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンブを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80の、ほんとうの音だと、わたしは信じている。
 誤解しないで項きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたま良い音で鳴ったというだけの話である。しかしわたくし自身はこの体験を通じて、アンプというもののありかたを自分なりに理解できたつもりであり、また同時に、無責任な「技術の進歩」などという言葉をたやすくは信じなくなった。
     ※
ステレオサウンドの7号(1968年)に、瀬川先生が書かれた文章である。

瀬川先生が理解された「アンプのありかた」、AXIOM80が啓示した「アンプのありかた」──、
これらのことが、瀬川先生とLNP2との出合いにつながっていく。
オーディオにおいて、使いこなしは重要だと、ずっと以前から言われつづけているにも関わらず、
読者側から見て、系統立てて説明し、あらゆる状況に対して応用がきくヒントを与えてくれる記事を、
音の出ない、写真と文字だけの誌面で伝えることは、頭で想像している以上に難しさがある。

私がステレオサウンドで担当した使いこなしの記事のひとつは、ふたりの読者が参加された井上先生によるものだ。
あのときは、まだ22歳だったから、1985年。この取材で、舘さん(早瀬さん)と出会い、
私がステレオサウンドを辞めたあとも、変らぬ態度で接してくれて、
今年の夏で、まる24年のつきあいになる。

去年だったか、インターネットでのオーディオの掲示板で、ステレオサウンドの記事のなかで、
印象に残っているのはどれか、という内容のもので、
この井上先生の使いこなしの記事をあげておられる方がいた。
さらにmixiでも、この記事を、いまも読み返し参考にしているという文章に出合った。

担当編集者としては嬉しい限りではあるが、1985年の記事である......、という思いもある。

いま読み返しても、おもしろいだろう(手もとにその号がないので読み返せないが)。

けれど、こんなことを言ってもどうにもならないが、
いまならば、同じ取材からでも、違う誌面展開で記事をつくる自信はある。

あのころは、使いこなしという言葉の中に、セッティング、チューニング、エージングが含まれ、
それぞれは違い、しかし、その境界は曖昧であることに気がついていなかったからだ。

このことをきっちりと私が認識していたならば......、と思うのだが、いまさら、である。
ステレオサウンドで働きはじめたばかりのころ、先輩編集者のSさんが、あるレコードを聴かせてくれた。

ポール・ブレイの「バラッズ」だ。
マーク・レヴィンソンがベーシストとして、2曲参加している。

録音は1967年だから、レヴィンソンは17か18歳だ。

レヴィンソンがミュージシャンとして、短い期間だが活動していたことは知っていたが、
こんなに若いときとは思いもしなかった。

Sさんは「レヴィンソンのアンプっぽい演奏だよ」と言っていた。
「ハメをはずすことのない、どこか神経質な感じを漂わせる演奏」というSさんの言葉が、
先にあったためか、たしかにジャズに詳しくない私の耳にも、そんなふうに聴こえていた。

マーク・レヴィンソンについて書いていたら、ふとこのレコードのことを思い出し、
検索してみたら、2000年にユニバーサルミュージックからCDが発売されていた。
CDのディスク番号は、UCCE3003。

すでに廃盤のようだが、Amazonで新品が入手できた。
それほど入手は難しくないようだ。
ただAmazonでは、新品が定価で買えるのに、中古盤が、ほぼ4倍の価格で出品されてたりもする。

今日届いたCDの帯には、「世界初CD化」とある。
おそらく日本盤しかないのだろう。

「これだ、これ。あの時聴いたレコードだ」と、27年前のことを、聴いていたら、けっこう鮮明に思い出せた。
ステレオサウンドで働いてなかったら、聴く機会はなかったであろうディスクだ。

レヴィンソンが参加しているレコードは、他にもあるらしい。
このころから、レヴィンソン自身が目指している音のベクトルと、
瀬川先生が求められている音の性格が、すこしずつ離れてはじめてきたようにも感じられる。

瀬川先生がLNP2をはじめて聴かれたときからML2L登場までの数年間は、それはぴったり重なっていたように、
読者だった私は、そんなふうに受けとっていた。

それがHQDシステムについて書かれた記事、ML3Lについての文章、
そして1981年6月にステレオサウンド別冊として出たセパレートアンプ特集号の巻頭の文章と読んでいくうちに、
すこしずつ確信を深めていくようになった。

あきらかにレヴィンソンと瀬川先生の求めている世界が変わりはじめていることを。
(レヴィンソン自身だけでなくブランドも含めて)Mark Levinsonにとって、
1977年は、パワーアンプのML2LによりHQDシステムを完成させただけでなく、
前述したようにレコード制作にも、いままで以上に積極的に取り組むなど、ひとつのピークを言えるだろう。

MLAのレコードが日本に正式に輸入されるようになったのは77年からだが、その約2年前に、
ピアノ・ソロのMLA2は録音され、レコードになっていたらしい。

このレコードにつかわれているピアノは、マーク・アレン・コンサートグランドという、
はじめて聞くものだ。
70年代半ばごろに、アメリカでつくられはじめたカスタムメイドのピアノということで、
ベヒシュタインのメカニズムの流れを汲んでいるとか。

話を戻そう。

ステレオサウンド45号のインタビューによると、77年までに1ダース以上のHQDシステムを組み上げたとある。
最低でもML2Lを6台必要とし、コントロールアンプもLNP2LかML1L、それにLNC2も必要となる。
当時ML2Lの日本での価格は、1台80万円だった。これが6台......。
計算すると、1000万円では、まったく足りない。

ウーファーのハートレーをML2Lのブリッジ接続で駆動して、
QUADのESL1台に1台のML2Lをあてがっていくと、10台のML2Lが必要となる。

ここまでやって人がいるのかわからないが、HQDシステムにはそういう余地も残されている。

HQDシステムが、どういう音で鳴るのか──、
レヴィンソンは「HQDシステムが適切にセットアップされると実に面白い事が起こるのです。
誰もがオーディオについてもう語るのを止め、音楽にじっと耳を傾け出すのです」とインタヒューで答えている。

ステレオサウンドには、瀬川先生が書かれている。
ホテルの広間を借りて、レヴィンソン自身の調整によるHQDシステムに音について書かれている。
手もとに、その号がないため正確に引用できないが、これだけのシステムとなると、
聴き手の調整次第でどうにでも変化する。
そうことわられたうえで、その時鳴っていたHQDシステムの音には、
自分だったら、こうするのに、といったことを書かれていたように記憶している。
井上先生には、ずっとききたいことがあった。
そう、タンノイのオートグラフの組合せのことだ。

オートグラフで、山崎ハコの「綱渡り」や菅野先生録音の「サイド・バイ・サイド」でのベースが、
「世界のオーディオ」タンノイ号に書かれているとおりに鳴ったのか、きいてみたことがある。

「こまかいことを言うと、そりゃ、ベースの音は、バックロードホーンだから、
(最初の「ウ」のところにアクセントを置きながら)ウッ、ウーンと鳴る。
でも腰の強い低域で、表情のコントラストも豊かだし、聴いて気持いいから、いいんだよ」
(「ウーン」は、バックロードホーンを通って出てくる、遅れをともなう音を表されている)

楽しそうに話してくださった。

「あれは、ほんとうにいい音だった」とも言われたことも、思い出す。
ごくまれなのだが、試聴室にスピーカーの新製品、それもそのメーカーのフラッグシップモデルのとき、
エンジニアや広報の方が来られ、スピーカーのセッティングをおこなわれることがあった。

井上先生に、強い口調で言われたことがある。
「メーカーの人による調整は、しっかり見て聴いておけ。お金を出しても見られるものではないんだから」

たしかにその通りで、しかも井上先生は、後日、どんなふうに調整していたのか、と私に訊いてこられた。

あれだけオーディオのことを知悉され、使いこなしに関しても、いくつも引出しをお持ちなのに、
けっして慢心されることはなかった。
MLAのレコードは、ビクターが開発したUHQR(Ultra High-Quality Record)となる。

MLAのレコードに限らず、キングのスーパーアナログディスクなどの高音質を謳ったものは、
重量盤が大半で、厚みも通常のレコードの平均値と比して、けっこうな厚みである。

そのことに価値を見いだす人が多いからなのだろうが、個人的には重量盤、
正確に言えば厚みのあるレコードは、それほど好きとは言えない。

理由は、レコードの厚みが変われば、カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが変わってしまうからだ。

アナログプレーヤーの調整の基本として、レコード盤面にカートリッジの針を降ろした状態で、
トーンアームのパイプが水平にするようになっている。
実際に音を聴きながらトーンアームの高さを調整していくと、水平状態よりも、
ほんの気持分、トーンアームの支点(軸受け)側のほうが持ち上がっているほうが、
トレースも安定するようだし、音を聴いても納得できる。
長島先生も、すこし高めにしたほうがいい、としきりに言われていた。

完全な水平がいいのか、すこし高めにしたほうがいいのか、
どちらがいいのかは措いとくとしても、トーンアームの高さ調整が、
トレース能力、音に関係していることを否定される方はいないはず。

だから真剣にアナログディスク再生に取り組むのであれば、トーンアームの高さ調整は、
調整が進めば進むほど、ほんのわずかな差でもはっきりと聴き取れる差となってくる。

そうやって位置決めをしても、厚みのあるレコードをかけるならば、
その度にレコードの厚みによって調整をしなければならない。
そして、また平均的な厚みのレコードのときには、元に戻さなければならない。

正直、これはめんどうな作業でしかない。

いい音で鳴らすための調整ならば、いいポジションが決まるまで根気よく音を聴き、調整し、
という行為を飽きることなくくり返せるが、すくなくとも一度決めてしまったものを、
レコードをかけ替えるたびに、またいじるのは、ごめん蒙りたい。

トーンアームの高さ、つまりカートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルに無頓着で、
「このレコード、重量盤だから音がいいんだよ」という言葉に、説得力はない。

同じことはターンテーブルシートにもいえる。
ターンテーブルシートの聴き比べを行なうのなら、トーンアームの高さを、
シートの厚みに合わせて一枚一枚調整していくのが基本である。
マーク・レヴィンソンは、アンプづくりだけでなく、レコードづくりのほうにも積極的に関わっていく。

MLAシリーズのレコードの発売後、MLA(Mark Levinson Acoustic Recording)社として、
録音部門を独立させている。

ステレオサウンドの45号のインタビューでは、スチューダーのA80のトランスポートを20台入手すると語っている。
これに自社製のエレクトロニクスをのせ、20台のマスターレコーダーをつくり、
録音時に同時に使い、いちどに20本のマスターテープを作るというものだ。

もちろん、20本のマスターテープは、特別価格で販売される(実際に発売されたのかはわからない)。
もし売り出していたとしたら、1本いくらしたのだろうか。

レコード制作に関しても、ハーフスピード・カッティングに優れた面を見いだしていたようで、
そのための器材の開発も行なっている、と語っている。
ただしインタビュー時点では、まだハーフスピード・カッティングは行なっていない。

レヴィンソンがハーフスピード・カッティングに目をつけた理由は、
カッティングヘッドそのもののスルーレートにあり、
これがカッティングに関して根本的な制約になっている考えからである。
1977年、当時のマークレビンソンの輸入元であった
R.F.エンタープライゼスが輸入していたMLAシリーズのレコードは,次のとおり。

MAL1 :バッハ/6つのシュブラー・コラールほか
    マートル・リジョー(オルガン)

MAL2 :ラヴェル/高雅にして感傷的な円舞曲
    ハイドン/ピアノ・ソナタ第49番
    ロイス・シャピロ(ピアノ)

MAL3 :ヴィヴァルディ=バッハ、ウェーリング、ヒンデミット、ドビュッシー、アイヴスほか
    ニュー・ヘヴン金管五重奏団(2枚組)

MAL5 :バッハ/フーガの技法(4枚組、45回転盤)
    チャールズ・クリグハイム(オルガン)

価格は1枚7000円、4枚組のフーガの技法は28000円だった。

レコーダーにはスチューダーA80とのこと。
おそらくA80のトランスポートのみ使用し、エレクトロニクス部をつくり換えた、後のML5だと思われる。

マイクロフォンは、マークレビンソン・ブランドの製品のほかに、
一時期、ショップスのマイクロフォン用ヘッドアンプをつくっていたこともあるので、
ショップスか、B&Kの測定用のものだろう。
たぶんワンポイント録音だと思われる。
ノイズリダクション、リミッター、イコライザーの類はいっさい使っていない。

凝り性のレヴィンソンは、当時のアメリカの整盤技術に不満を持っていたため、
フィリップスやグラモフォンのレコードのプレスを行なっていたフランスのCD-S社に依頼している。

しかもそのためにフランスまで、録音したA80そのものをマスターテープとともに運んで、
カッティングとプレスを行なっている。

CD-SにもA80はあったと思われる。それでもA80をわざわざ運んでいるということは、
やはりエレクトロニクスを自社製のものに置き換えたA80なのだろう。
菅野先生と川崎先生の対談をお読みになった方ならば、私が持っていったCDは、
ホセ・カレーラスのAROUND THE WORLDであり、
このCDの5曲目は「川の流れのように」であることはご存じだろう。

1曲目は「愛の讃歌」で、こちらも素晴らしい。

それでもホセ・カレーラスによる「川の流れのように」を、川崎先生に聴いていただきたかった。

なぜかという、はっきりとした理由はなかったようにも、いまは思える。
なのに、これしかないと思い込んでもいたわけだ。

前奏が流れてきた。
「いい感じだ、もっともっとよく鳴ってほしい」と、カレーラスの歌が始まるまで祈っていた。

歌が始まった。安堵した。素晴らしい音で鳴っていた。
カレーラスの歌声が、心に沁み込んできた。

川崎先生が、どんな感想を持たれたのかは、わからない。
訊ねもしなかった。

「川の流れのように」が終ったとき、川崎先生夫妻が、
斜め後ろに立っていた、こちらを同時に振り向かれた。
私が恵まれていたと感じていたことは、井上先生がやられたことを、自分のオーディオ機器に対してだけでなく、
井上先生が実際に試聴された同じ環境、同じ装置で、同じことをひとりで試せたことだ。

2つの環境で試せた上に、同じ環境でも試せる。
つまり環境が、装置が、条件が違うという言い訳は、もちろん、できない。

井上先生との力量の差、経験の差、そういったもろもろのことを、
ステレオサウンドの試聴室で、ひとりで鳴らしたときの音で思い知らされるわけだ。

それでも、やっていくうちに、井上先生の試聴の時と何が異るのかに、すこしずつ気がついていくようになる。
そして身についていく。

すると、いつごろからだろうか、
井上先生が試聴にあたっての整音の時間が短くなっていくことにも気がついていた。
マーク・レヴィンソンは、次のように語っている。
     ※
私がいつも思うのは、いわゆるサウンドシステムというものはオーディオの全体の半分にしかすぎぬものということです。他の半分とは、われわれがそのシステムによって再生しようとするソース・マテリアルです。
今日において、われわれの有するステレオ・コンポーネントの数々は、その再生能力において普通手に入るソース・マテリアルの持つフィデリティーをはるかに凌駕するものがあると思います。実際に、私達の製品の持っている本当の能力を正しく評価するためには、音の差について判断を下すことを可能にするような、特製のレコードやテープを用いることなしには不可能です。
私の目標とするところは、音楽のイベントを再現することで、これは終始変わりません。ステレオ・コンポーネントの性能をどんどん高めてゆくと、非常に多くのレコードが音楽のイベントを正確に捉えていないという事実の認識に至らざるを得ません。そういった今までの多くのレコードをよい音で鳴らそうとすれば、再生機側に歪みや色付けを付け加えなければならないことすらあるのです。
     ※
1977年春に、マーク・レヴィンソンは8枚のレコード、
MLA (Mark Levinson Acoustic Recording Series) を世に出している。

サプリーム

| コメント(0)
サプリームの奥付には、昭和48年12月28日 第三種郵便認可とある。
ということは図書館にもあるのかな、と思っていたら、
さきほど若い友人のKOさんが、神奈川県立川崎図書館にあることを知らせてくれた。

瀬川冬樹追悼号の144号も、もちろんあったとのこと。

おそらく国会図書館にもあることだろう。

すべての図書館にあるわけではないだろうが、
いちどお近くの図書館で検索されてみてはいかがだろうか。

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