2009年2月アーカイブ

ステレオサウンドの44号、45号は、「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」と題し、
61機種のスピーカーシステムをとりあげている。

その中にKEFの105が含まれている(45号に掲載)。

瀬川先生の試聴記を書き写しておく。
     ※
一年以上まえから試作品を耳にしてきたが、さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品だけのことはある。どんなプログラムソースに対しても、実に破綻のない、ほとんど完璧といいたいみごとなバランスを保っていて、全音域に亘って出しゃばったり引っこんだりというような気になる部分はほとんど皆無といっていい。いわゆるリニアフェイズ型なので、設置および聴取位置についてはかなり慎重に調整する必要がある。まずできるかぎり左右に大きくひろげる方がいい。少なくとも3メートル以上。スピーカーエンクロージュアは正面を向けたままでも、中音と高音のユニットをリスナーの耳の方に向けることができるユニークな作り方だが、やはりウーファーごとリスナーの方に向ける方がいいと思う。中〜高域ユニットの垂直方向の角度も慎重に調整したい。調整がうまくゆけば、本当のリスニングポジションはは、ピンポイントの一点に決まる。するとたとえば、バルバラのレコードで、バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する。かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。
     ※
そして45号には、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。
また、すぐに話が始まった。
雑談のようであったけれど、「これは聞き逃せない」とすぐに思い、録音をはじめる。

対談のまとめでは、この部分も使っている。

20分近く話されただろうか、菅野先生の音を聴いていただくことになった。
菅野先生の選曲で、2曲、1曲ずつ、マッキントッシュのシステムとJBLのシステムで鳴らされた後、
「なにかリクエストありますか」と菅野先生が言われた。

すこし間が合った。

だから持ってきたCDを菅野先生にお渡しし「5曲目をお願いします」と言ったものの、
やっぱりこの曲は、すこしまずいかなとも思い、「すみません、1曲目で」と言い直した後に、
それでも、やっぱり、あの曲だと、また「やっぱり5曲目でお願いします」と言ってしまった。

嫌な顔ひとつされず、菅野先生は、5曲目をマッキントッシュのシステムでかけてくださった。

このとき、実は心の中で祈っていた。
「とにかくうまく鳴ってくれ、素晴らしい音で鳴ってくれ」と。
井上先生の試聴は、きまって「あそこをこうしてみろ」「次はこっちをこうしろ」という指示から始まる。

そうやって音が整っていく。まさしく整音(voicing)だ。
たいてい1時間から2時間かけて、それらを行なった上で、新製品の試聴が始まる(しかも夜遅くから)、
さらに個々の製品に対して、あれこれチューニングをなさる。
終るのは午前様になるのは当り前だった。

大変ではあったが、おもしろい。だから、前回の試聴で井上先生がやられたことを、
とにかく見様見真似でやってみる。
わかってやっていたこともあれば、わかったつもりでやっていたこともあるし、
とにかくやってみようということでやっていたこともある。

けれど、そうやって自分でやってみることで、それもステレオサウンドの試聴室だけではなく、
自分のオーディオ機器でもやってみることで、いつのまにか身についていく。

そしてセッティングとチューニングを、それまでごっちゃに捉えていたことに気がついていくことになる。
暑い日にも関わらず、外で話し込まれる菅野先生と川崎先生。
このまま、ここで対談がはじまってしまうかも......、とちょっとだけ心配になるぐらい話が弾んでいた。

川崎先生のスタッフの方々のおかげで、菅野先生宅の階段も無事クリアーでき、
川崎先生に、菅野先生のリスニングルームに入っていただく。

「戻ってこれたぁ、戻ってきました」

菅野先生・川崎先生の対談のまえがきの書き出しは、この言葉で始めた。
しかも、この言葉を、わずか3行のあいだで、くり返し書いた。

そのわけは、川崎先生が、くり返されたからだ。
川崎先生にとって「生還」だったのだ。

心の中で、「おかえりなさい」と私は言っていた。
なぜか言葉にできなかった。
菅野先生のことだから、川崎先生と25年ぶりの再会だけに、
きっと握手をされるだろう、とは思っていた。

しっかりと力強く握手された。次の瞬間、川崎先生を抱きしめられた。

こみ上げてくるものがあった。川崎先生のスタッフの方々も同じ気持ちだったのではなかろうか。
対談の開始時間は午後1時30分からだった。
私と友人のフォトグラファー(浜崎昭匡)は、菅野先生の写真撮影もあって、30分前に、
菅野先生のお宅に到着していた。

14年ぶりの、菅野先生のリスニングルームだった。
ステレオサウンド時代に何度もおじゃました、菅野先生のリスニングルームだ。
感慨にひたっている時間的余裕はなくて、撮影の準備をすすめていく。

友人の浜崎がてきぱき手際よく進めてくれたおかげで、川崎先生到着の10分程前には撮影も終了していた。

時計を見て、そろそろお見えになるだろうから、表で持っていようと、ちょうど玄関を出ようとしたところに、
車の到着する音がきこえてきた。

菅野先生のお宅の玄関は2階なので、すぐに降りていく。すこし緊張していた。
菅野先生も降りてこられた。
私にとっての真空管アンプの手本は、まだある。
audio sharingで、その資料集を公開しているウェスターン・エレクトリック、
それからテレフンケン、ノイマンの、真空管全盛時代のアンプ群、
それから長島達夫先生のこともあげておきたい。

長島先生は、マランツの#7と#2の組合せを使っておられた。
その長島先生が設計・監修をなされたのが、
SMEから1986年に出たフォノイコライザーアンプSPA1HLと
翌87年に登場のラインアンプSPLIIHEの2機種である。

もちろん、どちらも真空管式で、マランツ#7への恩返しでもある。

SMEのアンプは長島先生の設計だ、というウワサを耳にされた方は少なからずおられるようで、
私も数回、訊ねられたことがある。そのときはすっとぼけていたが、
ステレオサウンド別冊「往年の真空管アンプ大研究」のなかで、是枝重治氏が272ページに書かれている。
     ※
本誌創刊(註:「管球王国」のこと)前の『真空管アンプ大研究』の取材時の出来事ですが、
帰路の車中で長島達夫先生が発した
「僕が設計した某ブランドの球プリアンプは、マランツ#7への恩返しだった」とのお言葉は、
今でも耳に残っています。
     ※
「マランツ#7への恩返し」は、私も長島先生から直接聞いている。
井上先生が、ステレオサウンドでの試聴室での試聴に求められていたのは、
再現性であったように思っている。

ここでいう再現性とは、CD、アナログディスクに記録されている音楽の再現性の高さという意味ではなく、
同じ機器をセットしたら、基本的に同じ音を出せるするという意味での再現性である。

試聴室では、リファレンススピーカーのJBLの4344と言えど、他のスピーカーを聴くときには、
当然だが、試聴室の外に移動する。
そして、アンプやCDプレーヤーなどの試聴の時に、またいつもの位置にセットする。
CDプレーヤーもアンプも、リファレンス機器は決っていたが、
試聴室からまったく移動しないのは、アナログプレーヤー(マイクロのSX8000II)だけだった。

他の機種はなんであれ、他の機種の試聴の時には、移動し、また元に戻す。
何度も機器の移動、設置をくり返す。

ここで大事なのは、つねに70点くらいの音を出せるようにすることだ。

時には100点に近い、素晴らしい音を出せるけど、
違う日には、40点とか30点のひどい音でなることもある。
そういう再現性の不安定さは、試聴室では厳禁である。
それこそ、何を聴いているのかが、不明瞭になってしまう。

とにかく70点前後の音を、機器の移動をしようと、つねに維持していなくてはならない。
そういう再現性が必要なのだ。

もちろんつねに100点近い音を維持できるのが最良なのはわかっている。
けれど、試聴室はひとつの組合せを、長期間にわたってじっくり鳴らし込む環境ではない、
ということを理解しておいていただきたい。

ここで大事なのは、セッティング、チューニング、エージングを混同しないことだ。
マーク・レヴィンソンは、1982年に、追悼文を書いたと、サプリームの発行日からも、そう思われる。

サプリームの「瀬川冬樹追悼号」を、私はいま読んでいる。そのことを幸運だと思ってもいる。

82年春に読んでいては、レヴィンソンにとって、1981年がどれだけ大変な1年であったのかが、
その時は伝わってこなかった情報によって、わからなかったからだ。

1981年は、瀬川先生の死だけではなく、彼自身の会社(MLAS=Mark Levinson Audio Systems)が、
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズのマネージメント下におかれることになり、
マーク・グレイジャー、フィリップ・ムジオ、サンフォード・バーリンによって、
すべてのエンジニアリングは管理・指揮されるシステムへと変わっていたのだ。

そして1984年、マーク・レヴィンソンは、MLASを離れる。
社名も、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズ・インクとなり、
マークレビンソンはブランド名となってしまう。

なぜ、この年だったのか......。
契約上、決ってきたことなのか、それとも他に理由があるのか。

私は思う──、1983年秋に、LNP2の製造が打ち切られている。
この決定によって、レヴィンソンは、自らつくった会社を離れる決心をしたのだ、と。
レヴィンソンが、瀬川先生と最後にあったのは、ひな祭りのときだとあるから、
1981年3月ごろのことだろう。

レヴィンソンは、この時、MLASの販売部長のリンダ・マリアーノと、
瀬川先生の新築なったばかりの、世田谷に建てられた、瀬川先生のリスニングルームを訪ねている。

「相当の労力が注ぎ込まれたことは明らかであり、設計や建築にあたって、
細心の行きとどいた配慮がなされていること」が一目瞭然の、
その「簡素で優雅なたたずまい」のリスニングルームに、ふたりは感銘を受けている。

さらに「このような品位の高さは、氏自身の資質をそのまま反映したもの」とも言っている。

このリスニングルームで、瀬川先生の音を聴き、いくつかの新旧のオーディオ機器の比較試聴をすることで、
ふたりとも「同じような聴き方をしているように」感じ、
「また録音や機器の評価の観点が、まったく同じであること」に、気づく。

瀬川先生の所見は「正鵠を得たもの」とし、このとき瀬川先生が語られた言葉は
「音楽の再生という仕事──の本質について、
生涯を賭した深い省察と緻密な研究にうらづけられた、真髄を衝いたもの」だったとしている。
「瀬川さんと私のめぐりあいは、私が1975年、日本を初めて訪問したときのことでありました。」

マーク・レヴィンソンは、瀬川先生への追悼文「出合いと啓示」を、こう書き出している。

レヴィンソンは、1949年、カリフォルニア州オークランドで生まれているから、25、26歳だったわけだ。
すでにLNP2を発表していたし、この年、JC2とLNC2を出している。

この時の出合いでは、レヴィンソン自身が若すぎたためと言葉の壁があり、
瀬川先生の本質を十分に理解できなかった、としている。

それでも瀬川先生のことを「優しさと重厚さが稀有な結びつきを示した、おだやかな人柄」と評している。

その後、レヴィンソンは日本を訪れるたびに、瀬川先生と会い、
レヴィンソンにとって、瀬川先生は、
「もっとも鋭敏な感性と豊かな敬虔を兼ね備えたオーディオ界の巨匠の一人として、
当時、この複雑にして精緻な世界に、ほとんど経験もなく、ただ理想に燃えて足を踏み入れた
若輩の私に多くの啓示を与えてくれた」人であった。

瀬川先生が亡くなられる6年の間、「お互いが同じ言葉が話せたら、もっとたくさんのことを、
オーディオ以外の人の世の様々なことを、語り合うことができるのに」という瀬川先生の想いを、
レヴィンソンは、いつも気づいていた。

残念なのは、瀬川先生とレヴィンソンが、オーディオ以外のことで、
お互いが心を触れ合うようになったのは、最後に訪ねたときだった......。
昔からのオーディオマニアは、マランツやマッキントッシュ、QUADを見たり聴いたり、
実際に自分のモノとして使われた方も少なくないだろう。

#7やC22、22などを見慣れた目からすると、「遅れたきたガレージメーカー」の真空管アンプをみると、
私みたいに、ついつい細かいことを言いたくなる人もおられるだろう。

私にとって、真空管アンプの手本、見本は全盛時代の真空管アンプであり、
伊藤喜多男先生のアンプである。

無線と実験に載ったシーメンスEdの固定バイアスのプッシュプルアンプ、
サウンドボーイに、詳細がカラーページで紹介されたEL34のプッシュプルアンプ、
そしてコントロールアンプのRA1501、
これらの記事を穴が開くほどじっくり見て読んできた者からすると、
遅れてきたガレージメーカーのアンプは、詰めが甘いと感じてしまう。

ヒーターに関してもそうだ。

半導体アンプには存在しない、このヒーターの処理をどうするかは、ひじょうに重要なことである。

ヒーター(フィラメント)こそ、真空管の源と言えるのに、安易に処理してしまっている。
最近では、真空管に嵌めるリング状のアクセサリーが出ていることからもわかるように、
真空管に対する振動面での配慮が、実際の音、そして聴感上のSN比に大きく関わってくる。

ボリュームをあげて、真空管を指で軽く弾くと、スピーカーから音が出る。
シールドケースを被せて、同じく指で弾くと、当然のことで、スピーカーからの音も変化する。
シールドケースの違いによっても、音は変化する。

真空管に向かって大きな声で叫んでみるのもいいだろう。
できればフォノイコライザー部の真空管で、試してみてほしい。

ここが真空管と半導体素子との大きな違いであり、
ヒーターの有無も、またそうである。
カウンターポイントのデビュー作SA1の設計者は、エドワード・スマンコフ(彼が創業者でもある)、
SA2とSA1の後継機SA5の設計は、1982年から社長に就任したマイケル・エリオットに手による。

SA5になり、SA1にあった不安定さはなくなった。
SA2と同じ設計者とは思えないくらい、不安は感じることなく安心して使えるようになった。
ただ、それでも、マランツ#7のようにSPUをダイレクトに接続できるかというと、
全段NFBを排した無帰還設計で、当然RIAAイコライザーはCR型となり、
NF型イコライザーと比較すると物理的なSN比の面では不利なのは仕方ないとしても、
エリオットがいうところの「真空管のローレベルのリニアリティのよさ」が、
全面的に音に反映されていたのかというと、どこかしら、まだ抜け切っていないところが感じられた。

SA1とSA5は、シャーシーもパネルフェイスも共通、内部コンストラクションもほぼ同じ。
真空管は水平方向に、細長いプリント基板に取りつけられ、小さなゴムプッシュで、
申し訳なさそうにフローティングされている。

#7も、真空管を水平方向で使っている。
それでも真空管を取りつけているサブシャーシーは、
プリント基板のようなフレキシブルなものではなく、
しっかりしたものに固定した上で、フローティングしている。

外部振動による影響が、トランジスターよりも、音や性能に出やすい真空管を、
フレキシブルなものに取りつけ、それをフローティングしたら、
振動対策としては、逆効果な面も生じてしまう。
ただフローティングすれば終わり、というわけではない。

#7は真空管全てにシールドケースを被せている。
SA1もSA5も熱対策のためシャーシーの天板、底板には大きめの空気穴が開けられていて、
シールドケースも使っていない。

いろんな電波が飛び交っている環境下で使うには、やや不安を感じてしまう。

といっても、ただシールドケースを被せればそれで解決するわけでもなく、
昔から真空管アンプをいじってこられた方ならば、
シールドケースの違いによって、音がときには大きく変化することに気がつかれているはず。

私が個人的に使った範囲でいえば、IERCのシールドケースがもっともよかった。
黒の艶消しの塗装で、内部には魚のウロコ上のフィンが多数ついているタイプである。

中には、絶対真空管には被せたくないと、音の面で、そう思わせるものもあった。
マークレビンソンもカウンターポイントも、創業時は、どちらもガレージメーカーと呼ばれる規模から、だった。

それでもマークレビンソンは、それまでのトランジスターアンプと比較して格段のSN比の高さを誇っていた。
音に関しては、人それぞれ評価は異るだろうから、ここではあえて言わないが、
少なくとも性能面において、素晴らしい面を誇っていた。

カウンターポイントはどうだろう。
それまでの真空管アンプ、つまりマランツ#7やマッキントッシュのC22などの、
真空管アンプ全盛時代の、つまり20数年前のアンプと比較して、性能面で圧倒的に優れていたといえるだろうか。
SN比、安定度の面で、少なくとも、私は不満を感じていた。

この項の最初のほうで述べたように、なにもカウンターポイントに限ったことではない。

なのに、カウンターポイントばかりを取りあげるのは、
前述したように、SA5000(3000)で、それらの不満点を見事に解消しているからだ。
マークレビンソンのコントロールアンプは、型番にLNP(Low-Noise Preamplifier》とつけているだけあって、
SN比の高さは見事だった。

井上先生も、マランツ#7以降、トランジスターアンプの時代になっても、
オルトフォンのSPUをダイレクトに接続できるコントロールアンプは、LNP2が登場するまで、
ほとんど存在していなかった、と言われていた。

LNP2のSN比の高さもさることながら、
真空管式であること、登場は1958年ということを考え合わせると、
#7のSN比の高さ(聴感上のSN比も含めて)は、驚異的といえるだろう。

カウンターポイントのイメージを、勝手にマークレビンソンと重ね合わせ、
ローノイズを期待していたのは私の一方的な思いにしかすぎないのだが、
それでも、マランツが実現できていたSN比を、
20数年あとのカウンターポイントが、なぜできないのかと思うのは、当り前のことだろう。
正確に、どのくらい後だったのかは憶えていないが、井上先生から、
マランツの#7に、トランスもヘッドアンプも通さずに、
オルトフォンのSPUをダイレクトに接続したことがあるという話をきいた。

初期の#7だと、SPUのダイレクト接続では発振してしまうが、
位相補正が変更された後期の#7では発振は起こらなかったそうだ。
ただし、すこし不安要素は残っていたようだとも話された。

肝心のSN比に関しては、驚くことに、問題なく鳴ったとのこと。
真空管アンプで、なんらかの昇圧手段を使わずにSPUが使え、鳴ってしまうというのは、
井上先生にとっても考えられなかったことだったらしい。
それでも実際に試されているところが、井上先生のオーディオの楽しみ方のすごいところだ。

マランツ#7でSPUが実用になるのかぁ。
#7は、電源トランス内蔵だし、コントロールアンプとしての機能もきちんと備えているにも関わらず、
ノイズレベルに関しては、ほぼ問題ないわけだ。

なのにカウンターポイントのSA2はなぜ......、と当然だけど、そう思ってしまう。
High-TechnicシリーズのVol.2をくり返し読んでいた私は、
真空管でヘッドアンプをつくるならば、ノーロイズの真空管の選定のほかに、
2本、3本......と並列接続するんだろうな、と漠然と考えていた。

それに機械的な電極をもつ真空管だから、振動によるマイクロフォニックノイズ対策はしっかりと必要になるし、
ヒーターの電源にも、十分な注意が必要になる。
それにすこしでもノイズレベルを下げるために、誘導ノイズの原因となる電源トランスは外付けにして......、
そんなこと考えているだけで、この頃は楽しかった。

こんなこともあって、ステレオサウンドで働きはじめたばかりのころ、
いきなり聴く機会にめぐまれたカウンターポイントのSA2への期待は、
試聴が始まるまでの、わずか数時間のうちにみるみる高まっていった。

山中先生の試聴だった。

真空管でヘッドアンプは無茶な試みなのか......。
そう感じてしまった。
ご存じの方も多いだろうが、
ジョン・カールのローノイズ化の手法は、増幅素子(トランジスターなりFET)を、
複数並列にして使用するものである。

ひとつひとつの増幅素子から発生するノイズは、時間的にランダムな周波数特性とレベルなため、
2個の増幅素子の並列接続では、それぞれの僧服素子から発生するノイズ同士が打ち消し合い、
1個使用時に比べて約3dB、ノイズレベルが低下する。
さらに3個、4個と並列する数を増やしていけば、少しずつノイズレベルは低下していく。

この方式を最初に採用したヘッドアンプが、マークレビンソンのJC1だと言われている。

瀬川先生は、JC1と同時期のオルトフォンのヘッドアンプMCA76、
このふたつの優秀なヘッドアンプの登場が、
1970年代後半からのMC型カートリッジのブームを支えていた、と言われたことがあった。

これらのヘッドアンプと出現のタイミングがぴったりのオルトフォンのMC20は、
いっそう得をした、とも言われていた。

MCA76は、おそらく測定器メーカーB&Kの協力もあっただろうと推測できる。

JC1は、増幅素子の並列接続だけが特徴ではなく、じつは反転アンプとなっている。
自作される方ならば、ピンと来られるだろう。
JC1には入力抵抗が省かれている。
つまりI/V変換アンプであり、カートリッジの内部抵抗が入力抵抗になるため、
カートリッジによってゲインが変化する。
ステレオサウンド別冊として刊行されていたHigh-TechnicシリーズのVol.2は、
長島先生が一冊すべてを書き挙げられたMCカートリッジの本だ。

すこし脱線するが、世界のMC型のいろいろと題して、
当時発売されていたMCカートリッジの内部構造図が、21機種分掲載されている。
ダンパーの形状、マグネットの形状や大きさ、コイルの巻き方、引き出し線がどこから出ているかなど、
個々のカートリッジの詳細がわかる、
ひじょうに充実した内容で、ここだけでも、この本は価値は十二分にあるといえるものだ。

この内部構造図を、実際にカートリッジを分解して、わかりやすいイラストを描かれたのは、
目次のイラストのところに名前がある、神戸明(かんべ・あきら)さんだ。
瀬川先生のデザインのお弟子さんだった方だ。

長島先生による「すぐれたMC型カートリッジの性能をひきだすための七章」、
第一章:MC型カートリッジからみたヘッドシェルについて
第二章:MC型カートリッジとトーンアームの相性
第三章:MC型カートリッジとヘッドアンプおよびステップアップ・トランス
第四章:プレーヤーシステムはMC型カートリッジにどんな影響をおよぼすか
第五章:MC型カートリッジからみた望ましいプリアンプとは
第六章:MC型カートリッジからみた望ましいパワーアンプとは
第七章:すぐれたMC型カートリッジの性能を十全に発揮させるためのスピーカーシステムとは

この記事も、オーディオの勉強に役立った。
オーディオに興味をもちはじめて2年目、15歳の時に、この本を読んだ。
中途半端な技術書を、この時期に読んでいなくてよかった、といまでも思う。
私にとって、この本は、絶妙のタイミングで現われてくれた。幸運だった。

第三章:MC型カートリッジとヘッドアンプおよびステップアップ・トランスで、
ジョン・カールが考案したローノイズの手法を紹介されている。
マークレビンソンのLNP2やJC2に魅力を感じていた私は、
カウンターポイントのデビュー作SA1に期待を寄せていた。

真空管を水平に配置すること、外部電源の採用で、JC2と同じ1Uシャーシー。
ツマミのレイアウトもスマートで好感がもてる。
新鮮な印象をまとまった真空管アンプとして、その音には期待していた。

左右のレベルコントロールのツマミの形状も、マークレビンソンに似ている。
なんとなくではあったが、私の中では、真空管アンプにおけるマークレビンソン的存在だった。

山中先生がステレオサウンドに、新製品紹介で記事を書かれていた。
それを読むと、やはり期待できる感じだ。
ただ動作面に関しては、すこしネガティヴなことも書かれていたように記憶しているが......。

そしてステレオサウンドで働きはじめたばかりの時、
カウンターポイントから真空管でMCカートリッジ用のヘッドアンプを実現したSA2が出てきた。

真空管によるヘッドアンプは、私も、あれこれ妄想したことがある。
「器も味なり」には、聴き方に作法があるということ、
作法が必要であり、その作法が音の美を生み出すのだということを、
瀬川先生は語られたかったのではないかと思えてしまう。

「器も味なり」は、オーディオ機器におけるデザインのことだけを指しておられるのではない。
「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。」

長島先生が、サプリームに書かれている。
ほんとうにそのとおりだ。
オーディオ機器の置き方によって音が変化することを最初に唱えられたのは、井上先生だ。

私のほうが先だ、私が最初だ、という人がいるだろうが、断言する、井上先生が最初だ。

スピーカーは、もちろん置き方によって音が変化するのは、周知のとおり。
アナログプレーヤーはハウリングが起きないように設置するのが第一で、
音のことを配慮していたとは言えなかった。
ましてアンプが、置き方や置き台によって、その音が変化することを、
なんとはなく気づいていた人はいたかもしれないが、
はっきりと、井上先生は感じとられていた。

置き方や置き台によって音が、ときには大きく変化することを、
井上先生はサウンドレコパルの読者訪問記事で気がつかれた、と話されたことがあった。

若い読者(たしか高校生のはず)が使っていたのは、普及クラスのオーディオ機器。
なのにひじょうに気持ちのいい、鳴りっぷりのいい音がしていて、驚かれたそうだ。
なにか特別な使いこなしがされている様子でもないのに、
それにいまのように高価なケーブルやアクセサリーがあった時代でもない。

「これかな?」と見当をつけて、アナログプレーヤーの置き方を変えてみたところ、
いたって平凡な音になってしまう。
また元の置き台に設置すると、さきほどまでの音が鳴ってくる。

この読者の家は、ゴルフ・クラブを製造する会社で、
プレーヤーの置き台になっていたのは、ゴルフ・クラブのヘッドに使われる、
ひじょうに堅い木の切り株だったとのこと。
簡その切り株を叩いてみると、ひじょうに澄んだ乾いた音がする。

さっきまで聴いていた音に共通する、その心地よい響きが、
井上先生のそれまでの経験と結びつき、
置き台(材質、構造を含めて)、置き方によって、
それまで思っていた以上に、音が変化することに気がつかれることになる。
傅さんが貸してくださったサプリームを、今日も読んでいた。

「ナマ以上に美しい音」「器も味なり」、
このふたつの言葉を、「そうだ、そうだった!!」と思い出した。
つよく感化されてきた言葉を、すこし忘れかけていたようだ。

巷でPCオーディオと呼ばれているものについて、傅さんと何度か電話で話している。
しっくりしないものを感じていることもあって、話が長くなる。

サプリームを読んで気がついた。
「器も味なり」、このことが欠けているのだ。

瀬川先生は、なんと仰るだろうか。
若いころの、感性の網(クモの巣)はいびつで、キメがものすごく細かい個所もあれば、粗いところもある。
形がいびつと言うことは、鋭く尖っているところがある。
そこのキメが他よりも細かかったりすると、それを本人は「感性が鋭い」などと勘違いしがちだ。
私はそうだった。

そのころ、そう指摘されたとしても、素直に受け入れられるとは思えない。
結局、己で気づくしかないことを、歳を重ねて、知った。

私のことは措いておこう。

井上先生の網の目にひっかかった、オートグラフから鳴った音の何かが、
以前聴かれたロックウッドのMajor Geminiの音と結びついたのかもしれない。

それが井上先生の「オーディオを楽しまれる心」を刺戟したのだろう。
だからMC2300とLNP2Lを組み合わせて、
誰も想像したことのないモニターサウンドを、オートグラフで鳴らされたと思えてならない。

井上先生の試聴には、ほとんど立ち合っている。
言えるのは、オーディオをつねに楽しまれていることだ。
真剣に楽しまれている。
深刻さは、微塵もない。

そういう井上先生だからこそ、できる組合せ、使いこなしがある。

インフィニティのIRSベータのウーファータワーとBOSEの301も組合せもそうだ。
それから記事にはならなかったが、マッキントッシュの MC275で、
BOSEの901とアポジーのカリパー・シグネチュアを鳴らしたことも、実はある。

BOSEといえば、サブウーファーのAWCSの試聴の時も楽しまれていた。
楽しさに勢いがあったとでも、言ったらいいだろうか。そして、こちらもつられて楽しくなる。
サプリーム3月号 No.144のタイトルは、「ひとつの時代が消えた 瀬川冬樹追悼号」だ。

目次を書き写しておく。

池田 圭:瀬川冬樹の早年と晩年「写真の不思議」
上杉佳郎:瀬川冬樹とオーディオ・アンプ「その影響、その功績」
岡 俊雄:瀬川冬樹との出合い「"虚構世界の狩人"の論理」
岡原 勝:瀬川冬樹との論争「音場の、音の皺」
貝山知弘:瀬川冬樹の批評の精神「その論評は、常に"作品"と呼べるものだった」
金井 稔:瀬川冬樹とラジオ技術の時代「いくたりものひとはさびしき」
菅野沖彦:瀬川冬樹とその仕事「モノは人の表われ
高橋三郎:瀬川冬樹とオーディオの美「音は人なり」
長島達夫:瀬川冬樹と音楽「孤独と安らぎ」
坂東清三:瀬川冬樹と虚構の美「器も味のうち」
前橋 武:瀬川冬樹と熊本大学第二外科「昭和55年12月16日 午前8−午後5時」
皆川達夫:瀬川冬樹とわたくし「瀬川冬樹氏のための"ラクリメ"」
山田定邦:瀬川冬樹とエピソード「三つの印象」
レイモンド・クック:「惜しみて余りあり」
マーク・レヴィンソン:「出合いと啓示」

弔詞:原田 勲/柳沢巧力/中野 雄
サプリームと聞いて、トリオ(現ケンウッド)が、1966年に発表した、
コントロールアンプと6チャンネル分のパワーアンプ、それにチャンネルデバイダーを、
ひとつの筐体に内蔵した、マルチアンプ対応のプリメインアンプ、
Supreme 1を思い出す人のほうが多いかもしれないが、
サプリームは、そのトリオが毎月発行していたオーディオ誌の名前でもある。

サプリームの存在は学生のころから知っていた。

KEFのレイモンド・E・クックとマーク・レヴィンソンが、瀬川先生への追悼文を書いていたことも知っていた。
しかし、当時、書店に並んでいるオーディオ誌はひとつ残らず読んだつもりだったが、
クックとレヴィンソンの追悼文が載っている本は手にしたことがなかった。

サプリームに、どちらも載っていたのである。

「サプリームだったのか......」──、
日曜日の夜、傅さんからの電話で、やっと知ることが出来た。
「あの時と同じ気持ちだ」──
今日、届いた本を読んでいたら、そう想えた。

ちょうど27年前、ステレオサウンドで働きはじめたばかりの私に出来た仕事は、
原稿を取りに行ったり、試聴の手伝いをしたり、
そしていまごろ(2月の半ば過ぎ)は、写植の会社から上がってきた版下をコピーにとり、校正作業だった。

ステレオサウンド62号と63号には、瀬川先生の追悼特集が載っている。

版下のコピーで、読む。
校正作業なので、「読んで」いてはいけないのだが、読者となって読んでいた。

その時の気持ちだった。

読み耽っていた。
気がついたら正座して読んでいた。

44ページしかない、薄い、中とじの本は、「サプリーム」3月号 No.144。
瀬川冬樹追悼号だ。
音の聴き方について、以前、語られたことがある。

「前のめりになって、聴いてやるぞ、と構えてしまうと、意外とだまされやすいし、
そういう人を音でだますのは、そう難しいことではない。
構えてしまってダメ。
むしろゆったりして、網を広げるようにするんだ。
で、その網にひっかかってきたものに反応すればいいんだよ」

例えは網でもクモの巣でもいい。
感性の網なりクモの巣をひろげる。

網(クモの巣)の形も、若いころは、ある部分が突出してとんがってたり、
違う所はひっこんでいたり、また網の目(クモの巣の目)も、ところどころやぶれてたりする。
それらのいびつなところは、音楽を聴き込むことで、いくつもの経験を経ていくことで、
細かくなっていくし、きれいな円に限りなく近づいていき、
また網(クモの巣)そのものも大きくなっていくものだろう。

井上先生の感性の網(クモの巣)は、とびきり大きく、そして円く、キメの細かさも、
これ以上はありえないというほどだった。
だから、その網(クモの巣)にひっかかかる音の数も、ひときわ多く多彩だ。

黒田先生が、「鬼の耳」と言われたのも、当然だ。
ロックウッドのMajor Geminiが存在していなかったら、
井上先生のオートグラフの組合せも、もしかしたら違う方向でまとめられたかもしれないと思ってしまう。

井上先生は、オートグラフの組合せの試聴の、約2年ほど前にMajor Geminiを、
ステレオサウンドの新製品の試聴で聴かれている。

このときの音、それだけではなく過去に聴かれてきた音が、井上先生のなかでデータベースを構築していき、
直感ではなく直感を裏打ちしていく。
何も井上先生だけに限らない。オーディオマニアならば、皆、それまで聴いてきた、いくつもの音は、
いま鳴らしている音と無縁なはずはないだろう。

ただ音の判断において、なにがしかの先入観が働く。

HPD385Aを搭載していようと、国産エンクロージュアであろうと、
オートグラフは、やはり「オートグラフ」である。

プレジションフィデリティのC4、マークレビンソンのML2Lとの組合せでも、
オートグラフからは、音量のことさえ、それほど多くを求めなければ、ひじょうに満足の行く音が鳴っていた。
それでも、井上先生は、先に進まれた。

それはMajor Geminiの音を聴かれた経験から、タンノイのユニットの可能性、変貌ぶりを、
感じとっておられたからではなかろうか。
筆者と編集者のコミュニケーションとは、
筆者が書きたいことではなく、書くべきことを原稿にさせることも尽きると思う。

筆者の裡にそれを見いだし、提示し、ときに説得して書かせて「かたち」にすること。
そうやって筆者と編集者の間に信頼が構築されていく。

書くべきことを自身で見つけ出している筆者は少ないように感じている。
つまり編集者の存在理由の大半は、ここにあるのではないか。

さくら餅

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サウンドボーイ編集長だったOさんには、いくつもの、とっておきの店を教えてもらった。
そのひとつが、人形町にあった和菓子屋の「三はし堂」だ。

とにかく、だまされたと思って、いまの季節、店頭に並んでいるさくら餅を、ぜひ味わってほしいと思う。
ピンクの半透明の皮のほうがこしあん、白で、やはり半透明のほうがつぶあん。
餡の好みもあろうが、ぜひふたつとも食べてもらいたい。

さくらの葉がついたまま食べるのも好き好きだろうが、
私は葉の香りがのっこているうちにいただく。

三はし堂は、実はいちどなくなっている。店じまいした。
理由はいくつかあったようだ。
料亭に和菓子を卸していたのが、バブル経済の破綻で、料亭の店じまいが相次いだためとも聞いているし、
地上げのせいだとも聞いてる。
元の場所には、巨大なオフィスビルが聳え立っている。

1997年ごろになくなった。
ちょうど、このころ人形町に出向き、三はし堂に向かったのに、
ラーメン店(それもチェーン店)に変わっていた。

「もう、あのさくら餅が食べられないのか......」と、喪失感が襲ってきた。
さくら餅ごときで、大袈裟な、と大半のひとは思われるだろうが、
一度でも、三はし堂のさくら餅を口にしたことのある人ならば、
このときの私の気持ちを、きっと理解してくるはずだ。

その年の暮れ、あれだけの店がなくなるのは、和菓子の世界だけでなく、
日本文化の損失であり、きっと同じように思っている人がいるはず。
その人たちの中には、三はし堂を支援してくれる人がきっといるはず。
復活するんじゃないか、と、なぜだか確信して、電話を掛けてみた。

つながらないはずの電話がつながった。
「ありがとうございます、三はし堂です」という声が聞こえてきた。
復活していたのだ。

新しい店の場所を聞き、すぐに向かった。

元の場所からすこし離れた、現在の、清洲橋の袂に移動していた。
製餡所の一角に間借りする形での営業再開だった。

つい最近再開したばかり、とのことだった。

話を聞いてわかったのは、三はし堂の餡は、自家製ではなく、
ここの製餡所のもので、いくつかの有名和菓子屋にも同じ餡を卸しているが、
不思議なことに、和菓子になったとき、三はし堂のがいちばん美味しい。
餡の味が美味しくなる。だから、この店をつぶしたままにしておくわけにはいかない。
自分のところの餡の宣伝にもなるということもあり、支援を決めたと言うことだった。

伊藤先生も、ここのさくら餅をたいへん気にいられていた、ときいている。
「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」
松尾芭蕉の言葉だ。

この精神が、いま忘れかけられているように思えてならない。

井上先生は、こうも語られている。
     ※
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、
パワフルでエネルギッシュな見事な音がしました。
オートグラフの音が、モニタースピーカー的に変わり、
エネルギー感、とくに、低域の素晴らしくソリッドでダンピングの効いた表現は、
JBLのプロフェッショナルモニター4343に優るとも劣らないものがあります。
     ※
この部分だけを読んでいると、
ステレオサウンド 42号に載っているロックウッドのMajor Gemini のイメージそのものと思えてくる。

ステレオサウンドの新製品紹介のページが現在のようなかたちになったのは、56号からで、
それ以前は、山中先生と井上先生による対談形式だった。

井上先生は、ここで、「異常なほどの音圧感にびっくりするのではないかと思う。
ある種の空気的な圧迫感、迫力がある」
さらに「低域がよくなったせいか、中域から高域にかけてホーンユニットの受けもっている帯域が、
かちっと引きしまっているような印象」と語られ、
山中先生は、タンノイのオリジナルなシステムにくらべてエネルギッシュな音になって」
タンノイ・アーデンと比較して「ソフトな音というイメージージとは大きく違って、
音が引きしまっていて、業務用のシステムだという感じ」だとされている。

くり返すが、Major Geminiも、搭載ユニットは、井上先生が組合せに使われ、
最終的に出てきた音に驚かれたたオートグラフと同じHPD385Aだ。
冗長性について、すこしだけ触れたことがある。

使い手が関与できない所でつけ加わるもの、
聴き手が、己の音を求める過程で、意図してか無意識かによってつけ足される音、
アンプなりスピーカーを開発する者によって、やはり意図してか無意識かでつけ足される音、
これらを冗長性と捉えていいのではないかと、最近考えるようになった。

これらの冗長性が、組合せや使いこなしによって相乗的に作用することもあれば、
互いにそっぽを向いてしまうこともあるだろう。

そして、ひとそれぞれ、どの程度冗長性を必要とするのか、
そしてどのような冗長性を求めているのかは違っていよう。

技術が不完全なままで、そこに人が介在する以上、なにかしらの冗長性は必ず発生しよう。

LNP2L、JC2、ML2Lに共通する、過剰、過激、過敏は冗長性ではないだろうか。
マスターテープにも、そしてわれわれリスナーの手に渡るレコードにも、
演奏者が発した音があます所なくすべて含まれていることは、ない。

まずマイクロフォンがすべての音を拾える位置に置かれるわけではない(そういう位置が存在するのかも疑問だが)。
さらにマイクロフォンがすべて空気振動を捉えて電気信号に変換できているわけでもないし、
マイクロフォンからミキサーまでの伝送経路でも音のロスは若干とは言え生じているし......、
こんなふうにひとつひとつを見ていくと、われわれの手もとにあるレコードになるまで、
いったいどれだけの音が失われ、また色づけや雑音と呼ばれる附加される音もある。

世の中に十全なレコードは存在しない。
しかし、その不完全な記録にも関わらず、そこにおさめられている音楽に感応し、
ワクワクドキドキすることもあれば、感動で涙することもある。

録音のプロセスで失われる音、つけ加えられる音があるということは、そのまま再生のプロセスにもあてはまる。
なにかがなくなり、なにかがつけ足される。

しかも録音の空間と再生の空間は、まったくの別空間であり、時間差もある。
最新録音でも数ヵ月から1年ほどだろうか、古い録音となると、生まれる前の時代の音を聴いている。

それでも、そこで奏でられている音楽を身近に感じたことは、
だれしも、オーディオを真剣にやっていれば、必ずあるはずだ。

同じ場で同じ音を聴いて、ある人は身近に感じ、別のひとは遠くに感じる。
なぜ、そんなことが起きるのか。
1月24、25の両日、練馬区役所で、
五味先生のオーディオ機器によるレコードコンサートが行なわれた。
往復ハガキによる事前申込みで、応募者多数だったための抽選にはずれてしまい、
口惜しい思いをされた方も多いだろう。
私もダメだった。

1月上旬に届いたハガキには、応募者が予想以上に多かったため、
改めて機会を設ける予定だと書いてあった。
正直、まったく期待はしていなかった。

さきほど郵便受けをのぞいたら、届いていた。
3月に、また行なう、とある。今度は行ける。

五味先生が聴いておられた音の片鱗でも、この耳で聴ければ、それでいい。
そして、五味先生が実際に愛用された機器たちを見ておきたい。
それが叶う。

マークレビンソンのアンプ、LNP2LにしろML2Lにしろ、共通しているのは、
全体に贅肉を感じさせることのない、硬質に磨き上げられた美が、
過敏なまでに音楽の微妙な表情までも、くっきりと浮き立たせることだ。

さらにML2Lが特に顕著といえるが、低域はソリッドに引き締り、音の緻密さにおいて、
当時マークレビンソンのアンプに匹敵するアンプは、まず見あたらなかった。

マーク・レヴィンソンの繊細な神経によって、過剰なまでに磨き上げられた音を聴いた後では、
他のアンプだと、それがいいことは悪いことは別として、なにかものたりなさを感じてしまう。

だからこそ、マークレビンソンのアンプに対する好き嫌いは、はっきりしていた。
瀬川先生のように惚れ込まれる人もいれば、
黒田先生はナルシシズムを、そこに感じておられたようだし、
神経質過ぎると敬遠する人も少なくない。

LNP2L、ML2L、JC2は、やはり過激なアンプだ。
だから、惚れ込む者は、どこかしら青臭いところが残っているのかもしれない。
井上先生は、ML2Lのかわりに選ばれたのはマッキントッシュのMC2205。
MC2205は200W+200Wの出力をもつが、井上先生はオートグラフの能力からして、
まだまだいけると感じられて、300W+300WのMC2300を持ってこられる。

コントロールアンプも、プレシジョンフィデリティのC4からコンラッド・ジョンソンのプリアンプを試され、
これらとは180度の方向転換をはかり、最終的にはマークレビンソンの LNP2Lを選択されている。

これはなかなか他の人にはマネのできない組合せだと感じた。

井上先生は、スピーカーがどう鳴りたがっているかを瞬時に察する能力に長けておられる。

自宅にスピーカーを持ち込んで長期間にわたって使いこなすのであれば、
どう鳴らしていくかがもちろん最重要なことだが、
ステレオサウンドの試聴室で、数時間の間に、組合せをまとめるには、
目の前にあるスピーカーを、どう鳴らせるか──、
擬人的な言い方になるが、スピーカーの鳴りたいように鳴らすことが、ときには求められる。

そのためには出てきた音に、先入観なしに素直に反応し、
経験に裏打ちされた直観でもって、アンプやプレーヤーを選択していく。

こうやって書いていると、そう難しいことのようには思えない方もいるだろう。
だがやってみると痛感されるはずだ。
生半可な経験と知識では、
井上先生の、このオートグラフの組合せは、まず思いつかない。

大胆な組合せのように見えて、実はひじょうに繊細な感覚があってこそできるのだ。

LNP2LとMC2300が鳴らすオートグラフの音は、
引き締り、そして腰の強い低域は、堅さと柔らかさ、重さと軽さを確実に聴かせると語られている。

具体的な例として、爆発的なエレキベースの切れ味や、くっきりしたベースの音、
「サイド・バイ・サイド」のアコースティックなベースの独特の魅力をソフトにしすぎることなく
クリアーに聴かせるだけのパフォーマンスをもっていることを挙げられている。

これは誇張でも何でもない。

井上先生も、こういうオートグラフの音は初めて聴いた、とされている。

ここで使われたオートグラフは、輸入元のティアック製作の国産エンクロージュアに、
ウーファーのコーン紙の裏に補強リブのついたHPD385Aがはいったものだ。

五味先生がお使いだったモニターレッドをおさめたオリジナル・オートグラフと違う面を持つとはいえ、
エンクロージュアの構造は、オリジナルモデルそのままである。
タンノイの承認を受けた、歴としたオートグラフである。
井上先生のタンノイ・オートグラフの組合せは、最初、伝統的なタンノイのいぶし銀と言われる音の魅力を、
スピーカーが高能率だけに小出力だが良質のパワーアンプで引き出そうという意図から始まっている。

だからまず組み合わされたのは、プレシジョンフィデリティのC4とマークレビンソンのML2Lである。
この組合せの音は、予想通りの精緻で美しい音がしたと語られている。

思い出していただきたいのは、ML2Lについて前に書いたことだ。

井上先生は、ML2Lのパワーの少なさを指摘されていた。
普通の音量ではなまじ素晴らしい音がするだけに、そのパワーの少なさを残念がられていた。

井上先生がそう感じられたのは、この組合せの試聴においてであることがわかる。
井上先生は、こう語られている。
     ※
鮮明に広がるステレオフォニックな音場感のよさと音像定位の美しさが魅力的ですね。
これはこれで普通の音量で聴く場合には、一つのまとまった組合せになります。
ただ、大音量再生時のアンプ側のクリップ感から考えてみると、
これはオートグラフのほうにはまだ十分に大音量をこなせる能力があるということになります。
     ※
記事に掲載されているところだけ読んだのでは、井上先生が感じておられた微妙なところは、
残念ながら伝わってこない。
致し方ないだろう。書き原稿ではないし、あくまで井上先生が話されたものを編集部がまとめているものだけに。

それでも、アンプ側のクリップ感、普通の音量、といったところに、
それとなくML2Lの出力の少なさに対する不満が表れている。
ロックウッドのMajorのエンクロージュアは、ダブルチェンバーをもった、やや特殊なバスレフ型だ。
アカデミー・シリーズは、フロントバッフルとリアバッフルを4本のボルトナットで、
強固に締めつけるとともに、リアバッフルを留めているネジもかなりの本数使っている。

Majorもアカデミーも、どちらも、同時期のタンノイの純正のシステム、
アーデンやバークレイのエンクロージュアとは相当に異るつくりとなっていた。

写真ではMajorの仕上げはなかなかのように思えるが、
実物を見ると、意外にラフなところも見受けられて、ちょっとがっかりしたものだが、
出てきた音には、素直に驚いた。

タンノイとスピーカーといえばアーデンしか聴いたことはなかったが、
同じスピーカーユニット(HPD385A)が、こんなふうに変身するのか、と、
アーデンとMajorを聴いて、驚かれない人は少ないだろう。
エンクロージュアが違うと音がどう変化するのかの、好例といえる。

もっともアーデンは23万9千円、Majorは48万8千円と倍以上するのだが(ともに1本の価格)。

井上先生は、ステレオサウンド 42号の新製品紹介で、Major Geminiについて、山中先生と語られている。
同じスピーカーユニットを使っても、エンクロージュアが違えば、音は大きく変ってくる。
スピーカーユニットの性能、可能性が高いほど、エンクロージュアの役割の重要さは比例して高くなる。

スピーカーユニットとエンクロージュアの関係を語るのは、どれだけ言葉を尽くしても語り尽くせぬほど、
切っても切れぬ強固な関係といえよう。

特にタンノイにおいては、かなり以前から、
エンクロージュアの存在が大事であるとマニアの間で言われつづけてきた。

長島達夫先生は、タンノイのユニットは、エンクロージュアとの関係において、
サウンドボックスのダイアフラムの役割を果たすものと捉えられていた。
一般的なスピーカーとは異るアプローチによるエンクロージュアの考え方から、
タンノイのスピーカーシステムはつくりあげられている、ということだった。

いわばかなりやっかいで、扱い難いユニットといえるだろう。

このタンノイのスピーカーユニットを使って、システムとして成功した数少ない例が、
タンノイと同じイギリスのロックウッド社だ。

ロックウッドの製品には、38cm口径ユニットを2本縦に並べて搭載したMajor Geminiと、
1本だけのMajorという大型スピーカーと、
ブックシェルフサイズのアカデミー・シリーズがあった。
タンノイ・オートグラフでジャズなんて無理、というのは、私の思い込みでしかなかったわけだ。

まぁ無理もないと思う。16歳だった。オーディオの経験も、いまの私と較べてもないに等しいし、
まして井上先生と較べるなんて......、くらべようとすること自体無理というもの。

当時は、わずかな経験と、本から得た知識だけで、オートグラフでジャズは無理、とそう思い込んでしまっていた。

タンノイ、オートグラフという固有名詞をはずして考えてみたら、どうだろうか。

38cm口径の同軸型ユニットで、フロントショートホーンとバックロードホーンの複合型エンクロージュア。
イギリス製とか、タンノイとか、そういったことを無視してみると、
決してジャズに不向きの構成ではないことに気がつく。

岩崎先生は、JBLのハークネスをお使いだった。
ステレオサウンドの記事でもバックロードホーンを何度か取りあげられているし、
「オーディオ彷徨」のなかでもバックロードホーンについて熱っぽく語られている。

ジャズとバックロードホーンは、切り離しては語れない時期が、たしかにあった。

JBLのバックロードホーン・エンクロージュアとオートグラフとではホーン長も違うし、構造はまた異る。
だから一緒くたに語れない面もあるにはあるが、ジャズが鳴らない理由は特に見あたらない。

ユニットにしてもそうだ。
タンノイのユニットがクラシック向きだというイメージが浸透し過ぎているが、
ロックウッドのスピーカーシステムを一度でも聴いたことがある人ならば、
タンノイの同軸型ユニットのもつ、別の可能性を感じとられていることだろう。
別項でマークレビンソンのアンプについて書いているうちに、
ふとシーメンスのスピーカーと、LNP2LとML2Lを組み合わせたら、どんなに音になるんだろう、と思った。

シーメンスのスピーカーは、オイロダインもコアキシャルも、硬質に磨き上げられた音。
周波数レンジこそ広くはないが、帯域内の密度は高く浸透力がある。
聴いていると、音楽がはっきりと記憶に残る。

シーメンスのスピーカーを聴く機会があったら、聴き終った後に、ぜひふり返ってほしい。
はじめて聴いた音楽がもしあれば、他のスピーカーで聴くよりも、つよく記憶に残っていることに気づかれるはずだ。

聴いている時は「なんだかいい音だなぁ」と思っていても、いざ聴き終ってみると、
さきほどまで聴いていた音楽のことが、ほとんど心に残っていない。
そんな音が、最近増えてきてないだろうか。

どういう聴き方をしようと、どういう音を好もうと、それは個人個人の自由だ。
それでも、あえて言いたい。
折角聴くのであれば、やはり心に音楽が刻まれる音で聴きたいではないか。
それがオーディオの醍醐味であり、大袈裟な、と受けとられるだろうが、真髄のような気もする。

マークレビンソンで鳴らすシーメンスの音は、ある種強烈な音だろう。
最初は、聴くに耐えない音になるかもしれない。
それでも神経細やかに調整を施せば、絶対にピントが合うと確信している。

オイロダインとはいわない、コアキシャル1本で十分だ。
和室で正座して聴く。できうることなら茶室で聴きたい。

音楽と真剣に向かう合うことがどういうことなのかを想い起こさせてくれるはずだ。
LNP2とMC2300で鳴らされるオートグラフは、
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、パワフルで引き締った音がした、
と井上先生は語られている。

さらにモニタースピーカー的な音に変り、エネルギー感、とくに低域の素晴らしくソリッドで
ダンピングの効いた表現は、4343にまさるとも劣らない、とある。

たしかに、ここで語られるとおりの音が鳴っていたら、まさしくオートグラフのイメージからは想像できない。

この組合せの音について、井上先生に直にきいてみたい、
ステレオサウンドで働くようになってから、そう思っていた。

金声堂

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岩崎先生の「オーディオ彷徨」におさめられている「オーディオ歴の根底をなす......」のなかに出てくる、
レコード店の金声堂。

神保町の九段寄りのところにあったとある。
ここに昭和26年から、ウェスターン東洋支社に入社される昭和28年まで働いておられたのが、伊藤先生だ。

「もみくちゃ人生」(ステレオサウンド刊)の「電蓄屋時代」の冒頭に書かれている。
     ※
神田神保町二ノ四、当時の都電の停留場名でいえば専修大学前、
いまはない銀映座という映画館の隣り角にあったレコード店、
そこへ私が転がり込んだのが昭和二十六年の四十歳のときでした。
     ※
このレコード店が、金声堂のはず。

当時レコードだけでなく、アルテックのユニットや、ウェスターンの728Bを取り扱っている店が、
そういくつもあるわけがないから、伊藤先生は店の名前を書かれていないが、まず間違いないだろう。

岩崎先生は、ちょうど、このころ金声堂に行かれている。
     ※
神保町の九段よりのたしか金声堂というちっぽけだが、
おそろしく高価なレコードをちょびちょびと並べてあった店で、
正面レコード・ケースの上にデンと604がのせてあった。
学生時代をやっと通り抜けた分際で、恐いもの知らずも手伝って、
その値段を聴いたら「10万円」とひとこといってぐっと背の低いその老人ににらまれた。
     ※
背の低い老人は、金声堂の主人であり、伊藤先生ではないだろう。

伊藤先生と岩崎先生、もしかしたら金声堂で出会われていたかもしれない。
言葉を交わされていた可能性もあるだろう。

井上卓也の名前を強烈に感じたのは、1979年にステレオサウンドの別冊として刊行されていた
「世界のオーディオ」シリーズのタンノイ号である。

タンノイを生かす組合せは何か、という記事だ。

ここで井上先生は、タンノイのバークレイ、アーデン、ウィンザー、バッキンガムの他に、
GRFとAutograph(オートグラフ)の組合せをつくられている。
驚くのは、オートグラフの組合せで、高能率の、このスピーカーにあえて
ハイパワーアンプのマッキントッシュのMC2300を組み合わせて鳴らされている。

しかもコントロールアンプは、マッキントッシュと対極にあると、当時思っていたマークレビンソンのLNP2である。

79年といえば、まだ16歳だった私のオーディオの思い込み、常識を、軽く破壊してくれた組合せである。

本文を読んでいただくとわかるが、MC2300のパワーメーターが、ときどき0dBまで振れていた、とある。
つまり300Wのパワーが、オートグラフに送りこまれていたわけだ。

それでジャズだ。
菅野先生録音の「サイド・バイ・ステップ」を鳴らされている。
山崎ハコの「綱渡り」も聴かれている。

この人は、何かが違う、この記事を読みながら、そう感じていた。
五味先生の本「五味オーディオ教室」でオーディオにどっぷりつかってしまった私にとって、
五味先生の書かれたものが、いわば「核」である。

だからタンノイのオートグラフは、JBLの4343とも、他のどんなスピーカーとも、
私の裡では、別格の存在であり、憧れである。

2000年に、タンノイがオートグラフを復刻した時は、真剣に欲しいと思った。
親になんとか借金してでも、と思いもしたが、
オートグラフを迎え入れる部屋が用意できない。
それに、いくらなんでも500万もの借金は、頼めない。

「なぜ、限定なんだろう」と憾んだものだ。

タンノイには、オートグラフと、ほぼ同じ構成のウェストミンスターがある。
いまのウェストミンスター・ロイヤル/SEは何代目だろうか。
息の長いスピーカーで、確実に改良され、堂々とした風格をもつ。

オートグラフでなくてもいいじゃないか、
ウェストミンスターのほうがずっと使いやすいだろう、という声が、裡にある。

オートグラフとウェストミンスター、どちらがいいか、そんなことを人に聞かれたら、
ためらわずウェストミンスター・ロイヤル/SEをすすめる。

だが自分のモノとするとなると、話は違う。

やはりオートグラフである。

ウェストミンスターは、何度か、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
聴き惚れたこともある。
試聴室で、取材がおわったあと、ひとり鳴らしたブラームスのピアノ協奏曲のロマンティックな甘美さは、
いまも耳に残っている。
これがブラームスだ、そう思って聴いていた。
アバドとブレンデルの演奏だった。

そうなのだ、私にとって、ウェストミンスターはブラームスである。
オートグラフはベートーヴェンである。

この違いは、私にとって、決定的であり、どうやって埋められない違いである。

言葉足らずで、なんのことか、わかってもらえないだろう。

それでも求めるのは、ベートーヴェンであり、オートグラフである。
私がステレオサウンドを読みはじめたのは、1976年12月に出た41号と、
別冊の「コンポーネントの世界 '77」だ。

どちらを読んでも、LNP2の評価は、特に瀬川先生の評価は高かった。
41号では、JC2と比較して、
「音楽の表現力の幅と深さでLNPはやはり価格が倍だけのことはあると思う」と書かれている。

「コンポーネントの世界 '77」でも、瀬川先生の組合せにLNP2は登場しているが、JC2の出番はなし。

くり返し、この2冊に読み耽っていた中学2年の私は、
マーク・レヴィンソンが自家用として使っているのは、LNP2だと思い込んでいた。

ところが数号後のステレオサウンドには、JC2(ML1L)をメインとして使っている、と出ていた。
頭が混乱したのを憶えている。

「えっ、なぜ? レヴィンソンは社長だから、いちばんいいモノを使っているはず。
だからLNP2でしょ? なぜJC2なのだろう......」

このときは、まだLNP2もJC2も、まだ聴いていなかった。
だからステレオサウンドの記事だけが頼りだった。

JC2はML1Lになり、純度を高めてML6L(シルバーパネル)へと到る。
たしかに、レヴィンソンが使っていたのはJC2(ML1L)だったのだろう。

だとすれば、レヴィンソン自身にとって、LNP2の存在はなんだったのか、と考え込む......。
過剰さということならば、チャンネルデバイダーのLNC2も忘れてはならない。

1976年当時、 LNP2は108万円、JC2は58万円、LNC2も58万円していた。

しかもLNC2は2ウェイ専用モデルであり、3ウェイ化にはもう1台、4ウェイだとさらにもう1台追加である。

3ウェイの場合、1台で、いちおう使えるようになっていたと記憶しているが、
あくまでも本気で取り組むのであれば、追加が必要になる。

このころの感覚では、同じメーカーのコントロールアンプとチャンネルデバイダーが同じ価格ということは、
ほとんど例がなかった。

しかもLNC2のレベルコントロールは、
10回転タイプで、0.1dB刻みの目盛りがついているだけでなく、ストップレパーまである。

マーク・レヴィンソンは、マルチアンプで聴いている、と瀬川先生が書かれていた。
レヴィンソンは、マルチアンプのレベルコントロールを、0.1dBまで追い込んでいたのだろうか。
彼がどういう音楽の聴き方をしていたのかが、LNC2の構成から、一面だけとはいえ伺えるよう。
五味先生は「ステレオ感」(「天の聲」所収)で、EMTの930stのことを、次のように書かれている。
     ※
いわゆるレンジののびている意味では、シュアーV一五のニュータイプやエンパイア一〇〇〇の方がはるかに秀逸で、同じEMTのカートリッジをノイマンにつないだ方が、すぐれていた。内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣下したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、例えばコーラスのレコードを掛けると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。私の家のスピーカー・エンクロージアやアンプのせいもあろうと思うが、とにかくおなじアンプ、同じスピーカーで鳴らして人数が増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉みに再生するのを意味するだろうが、レンジはのびていないのだ。近頃オーディオ批評家の(むしろキカイ屋さんの)揚言する意味でハイ・ファイ的ではないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードを掛けたおもしろさはシュアーに劣る。そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。
     ※
EMTもスチューダーも、最新の音を聴かせてくれるわけでもないし、最高性能に満ちた音でもない。
信頼の技術に裏づけられた音だ。
はったりもあざとさもない、それこそ誠実さで音楽を鳴らしてくれる。
だから信頼できる。

井上先生は、「レコードは神様だ、疑うな」と言われた。
そのために必要なのは、私にとっては、驚嘆すべき誠実さで鳴らしてくれる機器なのだ。

だからこそ、音の入口となるアナログプレーヤー、CDプレーヤーに、EMTとスチューダーを選ぶ。

ときに押しつけがましく感じることのある、思い入れのたっぷりの機器は要らない。

ただし、これがアンプの選択となると、なぜだか、そういう機器に魅力を感じてしまうことも多い......。
ビクターのSX1000 Laboratoryを、たとえばゴールドムンドのMIMESIS22 SignatureとTELOS2500のペアだったら、
どんなふうに鳴るのかは、やはり、多少ならずとも興味がある。

とは言え、このペア、2000万円でも足りない。
別格の音がして当り前だろうから、組合せとしては面白さを感じない。

SX1000 Laboratoryを鳴らしてみたいアンプの第一候補は、オラクルのSi3000だ。

Si3000も手頃な価格のアンプではない。それでもゴールドムンドのペアの10分の1だ。
このアンプの面構えと存在感の圧倒的なところが、SX1000 Laboratoryにぴったりのような気がしてならない。

形式上はインテグレーテッドアンプだが、
どう見ても、これは、ボリューム、セレクター付きのパワーアンプだろう。

だから最初はSi3000だけで鳴らしてみて、
しばらくして、ぴったりのコントロールアンプが見つかったら......、そんなことも考えている。
プロ用機器とコンシューマー用機器の違いは、音づくりの違いとも言える。

プロ用機器は、その器材がどういう用途でどういう状況で使われるのか、
そして求められる性能と信頼性の実現が、最優先されていることだろう。

そこには──あえて言うが──アマチュアの、思い入れは存在していない。

別項で書いているマークレビンソンの初期のアンプとは、
正反対の考え方からつくりこまれているともいえるだろう。

EMTもスチューダーも、もちろん試聴テストをくり返し行なっていることだろう。
だが、試聴よりも、まず研究・開発の比重の方がずっと大きいように感じられるのだ。

パーツの選択にしても、マーク・レヴィンソンは、おそらく入手できるかぎりのパーツを集めて、
ひとつひとつをひとりで聴き選んでいった──そう勝手に想像しても、間違っていないだろう。

EMTやスチューダーのパーツの選択は、まず信頼できるものを、というふうに感じられる。
求めている性能を満たしていて、なおかつ長期間に渡り安定していること。
この安定していることは、設計面に関しても言えることだ。

ひとつの機器をつくりあげるまでの試聴の回数も、マーク・レヴィンソンの方がずっと多いかもしれない。

だからプロ用機器の音を素っ気無く感じてしまう人がいても不思議ではない。
逆に言えば、それは堅実で信頼できる音づくりでもあり、
これこそEMT、スチューダーに共通する良さ、誠実さだ。
2002年の7月4日は、よく晴れた、暑い日だった。

出掛ける前に、すこし迷ったことがある。
どのCDを持っていこうか、出掛ける寸前で、どうしても迷ってしまった。

1月に聴いて「これだ」と決めたCDを手にしながらも、
ほんとうにこれを持ってきて、これを聴いてもらうのは......、と思いはじめると、
いくつかのことが気になってくる。

これも持っていくけど、もう1枚別のCDも持っていこう、とも思ったが、
やはり、1月、このCDを聴いた時の直観を信じよう、と決め、1枚のみ持って出掛けた。
ML3Lの音は、穏やかである。

LNP2のところで書いているが、JC2、 LNP2L、ML2Lに共通する過剰さが感じられない。
LNP2だけでなく、JC2にもML2Lにも、ある種の過剰さがある。

その過剰さが過激さにつながっている、と書いた。

JC2のように、音質向上のため、トーンコントロールを省き、モードスイッチの簡略化などを行い、
多少の使い難さも、音のために我慢して当然というスタイルは、
いまでこそあたりまえのことになり、抵抗もなく受けとめられているが、
JC2が登場した1974年当時では、過激ですらあった。

マーク・レヴィンソンは、アメリカのオーディオ関係の人間から、
JC2の使い難さを指摘されて、すこし不機嫌になりながら、
「これ(JC2)は、車に例えるならフェラーリだから」と答えたという。

しかも外部電源にすることで、1Uサイズという薄型を実現したことも、
その後に続くアンプへの影響は、そうとうに大きかった。

ML2Lもそうだ。
片チャンネルあたり400Wの消費電力ながら、出力はわずか25W。
しかも
それまでどのアンプも実現できなかった、2Ωまでの計算通りに倍々で増えていくパワーを可能にしている。
しかも2台ブリッジ接続にすることで、A級動作では大出力といえる100Wも可能としている。

これらのアンプに見られるマーク・レヴィンソンの徹底的なこだわりは過剰であり、過激であり、
そのことが、神経質なまでの、音の過敏さを生み出している。

この過敏さが、ML3Lにない。少なくとも、私は感じとれなかった。
通常のボリュームは、絞れば絞るほど、回路に直列に入る抵抗値が高くなる。
このこともあってか、ボリュームは絞って使うと、音が悪くなると言われることがあるが、
果たしてそのとおりなのだろうか、とも思う。

以前は、確かにそう思っていた。
でも現実には、良質のボリュームであれば、絞って使ったほうがいいと感じることもある。

そのことに対する理屈は、人によってはどうでも良いことなんだろうが、
私はやっぱり気になる。何か、少なくとも納得のいく理由がひとつくらいはあってもいいはずだ。

LNP2でいえば、インプットアンプの入力端子から見れば、信号源の出力インピーダンスは、
直前に設けられているインプットレベルコントロールも含めてのものである。

ラインレベルの信号受け渡しは、ローインピーダンス出しの、ハイインピーダンス受けのため、
それほどインピーダンスについて語られることはないが、
内蔵のフォノイコライザーアンプにしろ、
ライン入力に接続されるチューナーやCDプレーヤーの出力インピーダンスの、周波数特性はどうなっているだろうか。

NFBがかけられている半導体アンプで考えてみる。

NFBを、ある一定量、掛けるアンプのオープンループ(NFBをかける前の裸特性)の周波数特性は、
それほど広いものではない。可聴帯域のかなり低い周波数からゲインは落ちていく。
つまり周波数によって、NFB量は同じではない、ということだ。

低域ほどNFB量は多く、20kHzでは少なくなっているため、
出力インピーダンスも、NFB量によって改善度が異り、低域ではかなり低い値でも、
1kHz、20kHzと周波数があがれば、少なからず出力インピーダンスも上昇していると見ていい。

それにインプットアンプにたどりつくあいだにケーブルの存在があり、
そのインダクタンスによっても、高域のインピーダンスは、また上昇する。

仮に信号源の出力インピーダンスを、20Hzでは100Ω、20kHzで300Ω、
ボリュームの値が10kΩとして、インプットアンプから見た出力インピーダンスの計算してみてほしい。

ボリュームをそれほど絞らない状態で、直列に入る値が1kΩ、並列に入る値が9kΩ、
絞った状態としての値が、9kΩ、1kΩとしよう。
実際にボリュームをかなり絞った状態では、直列の値はもっと高くなるが、
ここではボリュームの角度による出力インピーダンスの傾向を知ってもらうためなので、
計算しやすい値にしている。

抵抗を並列にした時の合成値は、それぞれの抵抗値を掛け合わせた値を、抵抗値を加算した値で割る。

信号源の出力インピーダンスも直列にはいるわけなので、
(信号源のインピーダンス+直列に入るボリューム値)×並列に入るボリューム値を、
(信号源のインピーダンス+直列に入るボリューム値+並列に入るボリューム値)で割る。

20Hzで、ボリュームをそれほど絞らない場合は、
(100+1000)×9000を100+1000+9000で割るわけだ。

こうやって、4つの場合の値を出してみてほしい。
そして、20Hzと20kHzの値を較べてほしい。

ボリュームを絞った場合とそうでない場合、20Hzと20kHzの値がほぼ同じになるのは、
どちらなのかが、はっきりする。

ボリュームを絞ることにも、メリットがあるといえよう。
SN比に関して言えば、LNP2の場合、インプットアンプのゲインを0dB(増幅率:1)にすれば、
インプット、アウトプットレベルコントロールともに、それほど絞ることなく使えるだけでなく、
インプットアンプそのもののSN比も、ゲインを低くすれば、その分NFB量を増すことになり、
+40dB時のSN比よりも、物理的に改善されるだけに、優位となる。

なのに音を聴くと、インプットアンプのゲインは高めに設定したくなる。

ぜひ、これだけは言っておきたいが、それほど音量を大きめにできない時こそ、
インプットアンプのゲインを高めにして、レベルコントロールを絞りぎみにする。

小音量になるほど、ゲインを高めにしたほうが、音が生きてくるし、冴えてくる。
そのかわり、レベルコントロールの設定は、すこしシビアになってくるけれども。

小音量時に必要とされるゲインからすると、インプットアンプのゲインを+40dBにすることは、
余剰ゲインを増やしていることになる。ますますオーバーゲイン(ゲイン過剰)のアンプになるわけだ。

この過剰さこそ、この時代のマークレビンソンのアンプに共通した特質でもあり、
それは過激さへとつながっている。
これこそ、個人的に、マークレビンソンのアンプ(JC2、LNP2L、ML2L)の、
もっとも魅力的なところだと、私には感じられる。
JC2 (ML1L) の左右独立のレベルコントロール(バランスコントロール)も、
ラインアンプのNFB量を、1dBステップで変化させている。
±5dBの変化幅だから、NFB量は最大で10dB違うわけだ。

だから、どのポジション、つまりNFB量を減らすか増やすかによって、音の出方が変化する。
どのポジションで使うかは、その人次第だが、いずれにしても、
0dBのポジション以外で使うとなると、ツマミが斜めになる。

これが嫌で、JC2を使っていた時、実は+5dBにしていたが、ツマミは垂直になるようにしていた。
他の人からすれば、どうでもいいこだわりなのだが、
中央ふたつのツマミは、垂直になっていたほうが、キチッとした感じがして、見ていて気持ちいい。
最初、0、+10、+20dBだったゲイン切換えに、なぜ+30、+40dBの2ポジションを足したのか。

+30、+40dBのポジションにすれば、使い難さが生じることは、
マーク・レヴィンソン自身、よくわかっていたはずだ。
なのに、あえてつけ加えているのは、+30、+40dBのポジションの音に、
彼自身、良さを感じとっていたからだろう。

インプットアンプのゲイン切換えはNFB量を変えて行なっている。
+20dBと+40dBのポジションでは、NFB量が20dB異る。かなりの違いだ。

つねに細かい改良が加えられているLNP2だから、完全な同一条件での比較は無理だが、
おそらく初期のLNP2の+20dBの音と、+40dBまで増えたLNP2の+20dBの音は、基本的には同じだろう。

モジュールのLD2も外部電源も同じなら、多少外付けパーツに変化があっても、
基本的な素性は同じはずだ。

LNP2の良さ──というよりもJC2を含めた、このころのマークレビンソンの音──は、
倒叙の他のアンプとくらべてみると、
どんな微細な音をあますところなく緻密でクリアーに表現するところにある。
音の冴えが研ぎ澄まされている。

この音の特質を追求した結果、ややオーバーゲインといえるポジションが追加されたと考えていいだろう。

+30、+40dBのポジションを使うと、インプットレベルコントロールをかなり絞ることになる。

従来、ボリュームをあまり絞り過ぎた位置で使うと、音が極端に悪くなるので、
できるだけ減衰量の少ないところを使ったほうがいいとも言われていた。

たしかに質の悪いボリュームだと、絞り気味にすると、
左右の減衰量に差が生じるギャングエラーを起こすものがあった。

こういうボリュームは論外だが、少なくともLNP2が採用しているボリュームでは、
絞ったからといって、音が痩せたり、悪くなったりする印象は感じられなかった。

むしろ、私の個人的な印象だが、インプットアンプのゲインを+40dBまであげて、
インプットレベルコントロールを絞りぎみにしたときの音は、
むしろLNP2の良さが映えてくるとさえ思っている。

さすがにあまり絞り過ぎると、左右独立だけにレベル合わせが面倒になるので、
アウトプットレベルコントロールのほうも、かなり絞りぎみにするというよりも、
どちらのレベルコントロールも、基本的には絞りぎみで使う。

こういう設定でのLNP2 (L) の音を、機会があれば、聴いてみてほしい。
五味先生の文章を読む、ということは、私にとって、それは行間からわき上がってくるもの、
香りたってくるものを、あますところなく受けとめる行為とも言える。

そのすべてを受けとめられれば、苦労はない、くり返し読みはしない。
できるかぎり素直に受けとめたいからこそ、くり返し読みつづけることで、
五味先生の鳴らされていた音が、行間にちりばめられたかのように感じられもする。

決して行間を読むという意識は持っていない。深読みもしない。
それは往々にして、己の未熟さゆえに恣意的な読み方になりはしまいか。

もちろん意図的に、そんな読み方をして、ひとりごちるのは個人の自由だ。
国産4ウェイ・スピーカーの多くが、ピストニックモーションの追求を徹底していた。

振動板への新素材の積極的な採用、フレームやエンクロージュアの構造を見直し、
不要輻射、雑共振の2次放射を徹底的に抑える。

このふたつは、前に述べたように、聴感上のSN比を高めていくことである。

いまや海外のスピーカーの多くも、4ウェイ構成でなくとも、同じところを目指しているように感じられる。

完全なピストニックモーションの実現は、たしかに理想追求の果てにあるといえるだろう。
けれども、はたしてピストニックモーションの完全な実現だけが、
スピーカーの理想の姿とは思えないし、考えられない。

1930年以前に、シーメンスが、リッフェル型のスピーカーをつくりあげている。
0.05mm厚の、555×120mmのジュラルミン振動板は平面だけに、一見リボン型スピーカーのように勘違いされるが、
このスピーカーこそ、ジャーマンフィジックスのDDDユニットの、もうひとつのルーツである。

ピストニックモーションではなく、ベンディングウェーブのスピーカーユニットが、
ジャーマンフィジックスだけでなく、やはり同じドイツのマンガーからも登場したことは、
約80年前に、すでにこの方式のスピーカーをつくっていた国ということと無関係とは思えない。

シーメンスのリッフェル型スピーカーも、DDDユニットに採用されているチタン箔を使い、
現在のコンピューター解析と技術があれば、スピーカーの新しい可能性を示してくれそうな予感がする。

ピストニックモーションの追求を否定する気は、さらさらない。
だが、ピストニックモーションだけがスピーカーの原理ではないことは、
もう一度、思い返さなければならないことだ。

昨年、パイオニアが、リッフェル型のトゥイーターを採用したスピーカーをつくっている。
最近、ヴァリエーションが増えつつあるハイルドライバーも、ベンディングウェーブの一種といえるだろう。

スピーカーの、これからの展開がどうなっていくのか──、
そこに新しい動きが現われていることは確かである。
1970年代の後半、4連ボリュームが、国産アンプのいくつかに採用されたことがあった。
通常は2連ボリュームで、ラインアンプの前に置かれるが、
4連ボリュームだと、ラインアンプの前後両方にくる。

20dBの減衰量がほしいとき、2連ボリュームだと、ラインアンプに入る信号を、その分減衰させる。
4連ボリュームだと、ラインアンプの入力で10dB、出力で10dBの減衰量となる。

ラインアンプに入力させる信号レベルが10dB高くなり、その分SN比が向上する。
SN比はいうまでもなく、信号(Signal)と雑音(Noise)の比率だけに、
アンプの雑音が同じなら、信号レベルを高くすればSN比は向上する。

LNP2のインプットレベルコントロールとアウトプットレベルコントロールは、
連動こそしていないが、4連ボリューム的なところもある。

それぞれの減衰量をうまく調整することで、SN比は多少悪くもなるし、良くもなる。
SN比ということだけでみれば、パワーアンプの直前で減衰させるのがいいことになる。

LNP2のインプットアウトプット、ふたつのレベルコントロールを設けた理由のひとつは、
SN比の向上のためだったのだろう。
ならば、なぜLタイプになり、インプットアンプのゲインを40dBにまであげたのだろうか。
「思いやり」とはなんだろうと考える。

「考える」には、まず「考えつく」がある。
でも、これでは、まだまだ十分ではない。

「考え込む」だけでは、足が止まり、前に進めなくなる。

「考え抜く」ことで、目の前にある、高く厚い壁も越えられるだろう。

「思いやり」とは、「思いつく」から「思い込む」、そして「思い抜く」ことなのだろう。

オーディオ誌の記事がすべてが考え抜かれたものであるのが、もちろん理想だし、
実現できたら、ほんとうに素晴らしいことだ。

とは言っても現実は違う。
けれど、掲載されている記事の1本でいい、考え抜かれたものが読めれば、人は本を手にする。

「おまえはどうなんだ」という声が聞こえてくる。

毎日、なにがしかを書くことは、考え抜くために必要な行為なのかもしれない。
CDが登場以前、ラインアンプのゲインは、たいてい20dB前後だった。

LNP2のインプットアンプの最大ゲインは
──このあとにアウトプットアンプがさらにあるのに──40dBというのは、かなり高い。

オーバーゲインかどうかは、組み合わせるパワーアンプのゲイン、スピーカーの能率と関係することなので、
安易に決めつけるわけにはいかないのだが、トータルゲインは過剰気味といえる。

とくにラインレベルの高いCDプレーヤーだと、LNP2のゲイン設定は、使い難い。

ゲイン切換えを絞り気味に使うと、音が、どうも冴えなくなる。
音の冴えを失ったLNP2では、これにこだわる理由が薄れてしまう。

だからオーバーゲインにして、インプットレベルコントロールをかなり絞って使うことになる。

そのためだろう、CDプレーヤーを、AUXなどのライン入力に接続せずに、
テープ入力に接ぎ、テープモニター・スイッチを使えば、
インプットアンプを介さずに、アウトプットレベルコントロールとアウトプットアンプのみを経由する。

LNP2のブロックダイアグラムを見ると、レコードアウト(Record Out)が、
いわゆる一般的なコントロールアンプの出力に近い。

インプットアンプの出力は2つに分岐され、ひとつはアウトプットアンプへ、
もうひとつはレコードアウトになる。

つまりボリュームコントロールを、
左右独立したインプットレベルコントロールで調整するのが苦にならない人、
そしてトーンコントロールは不要だという人は、
レコードアウトをパワーアンプに接げるという手もある。

どちらにしろ、アンプをひとつ通らずにすむので、音の鮮度も高い──
そう考えるのは安易すぎはしないか。

なぜマーク・レヴィンソンは、インプットアンプのゲインを、
Lタイプになったときから、20dBから40dBにアップしたのか。

オーバーゲインで使い難いという声があがるのは、わかっていたはずだ。
なのにあえて、この変更を行なっている。

その理由を考えるべきではないのか。
1年前は、瀬川先生の墓参に行ってきた日である。

墓前に、手を合わせたとき、ただ立っていただけだった。
こうしていれば、なにか言葉が出てくるだろうと、ただ手を合わせた。
次の瞬間、わき上がってきた言葉は、正直、後になってみれば、自分でも不思議に思っている。

なぜ、あの言葉が出てきたのだろうか......。

「瀬川先生、あなたの跡を受け継ぎます」と、あの時、誓っていた。

「バカなことを言っている」「身の程を知れ」という声もあるだろうが、
あの時、私は、そう誓っていた。

誓ったからには、何かを始めなければならない、やり続けなければならない。
だから、このブログを始めた。

気が向いた時に書きたいことだけを書くのが、長く続けるコツだ、などというヌルいことは、だから言わない。

瀬川先生の墓前で誓ったのだから、半端は許されないと、ひとりでそう思っている。
LNP2のブロックダイアグラムを見ると、
フォノアンプだけでなく、インプットアンプもアウトプットアンプも、
ある程度のゲインの高さが求められていることがわかる。

インプットアンプは、NFB量を変化させることでゲイン切り換えが可能になっており、
Lタイプになってからは、+20dBだったのが+40dBに変更されている。
NFBをある程度かけた状態での40dBのゲインは、中間アンプとしては、かなり高い設定である。

アウトプットアンプは、3バンドのトーンコントロールを備えているため、
トーンコントロールの増減分だけのゲインの余裕は最低でも必要となる。
ここも、ゲインは、それほど低くはない。

つまりLNP2は、かなりの余剰ゲインを持つ(オーバーゲインな)アンプなのだ。
出力段は、JC2と同じFETのソースフォロワーかもしれない。

JC2は2パラレルプッシュプル構成だが、ジョン・カールがインタビューで答えているように、
LNP2のモジュールLD2には消費電力の制限があり、そのためA級動作にはなっていない。
つまり消費電力が増えるパラレルプッシュプルはありえない。
しかもAB級動作のはずだ。

JC2のフォノアンプと、LD2の回路構成は基本的に同じ可能性はあるだろう。
1974年に、そういくつもの回路のヴァリエーションを、ひとりの技術者が生み出すとは思えないからだ。

差動2段構成に、AB級動作のFETのソースフォロワー(もしくはトランジスターのエミッターフォロワー)つき、
これが私が推測するLD2の回路構成である。

LD2の大きさがJC2のフォノアンプモジュールに近いことも、理由のひとつである。

ジョン・カールが消費電力の点で苦労したというのも、うなずける。
差動回路を2段にすることで、使用トランジスターの数は、JC2のラインアンプよりも多くなっている。
それだけ消費電力は増えているわけだ。各段のアイドリング電流を極力抑える必要がある。

ただ、これがローノイズにうまく作用している面もあるだろう。

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