2009年1月アーカイブ

ジョン・カールの設計思想として、それほどゲインを必要としない場合には、
差動回路を使っても初段のみである。
差動2段回路のJC2のフォノアンプは、ジョン・カール設計のアンプとしてはめずらしい。

JC2のフォノイコライザーはNF型イコライザーである。
RIAAカーブをNFBでつくり出している。そのためNFBループにコンデンサーが2つ使われている。

NFBがかけられているアンプはすべてそうだが、
次段のアンプの入力インピーダンスとともにNFBループ内の素子も負荷となる。
つまりNF型イコライザーアンプの負荷は容量性であり、
当然周波数の上昇とともにインピーダンスは低下していく。
それに対し安定した動作を確保するため、
JC2のフォノアンプの出力段はパラレルプッシュプル仕様となっているのだろう。

差動2段増幅になっているのも、このNF型イコライザーと関係している。

RIAAカーブは、1kHzを基準とすると、20Hzは+20dB、20kHzは−20dBのレベル差がある。
20Hzと20kHzのレベル差は40dBである。

20kHzのゲインを0dBとしても、20Hzでは最低でも40dBのゲイン(増幅率)は必要となる。
まして20kHzでゲイン0dBということはあり得ないから、
NFBをかける前のゲイン(オープンループゲイン)は、ある程度の高さが求められる。
ゲインの余裕がなければ、低域に十分なNFBがかけられなくなる。

十分なゲインを稼ぐための、差動2段増幅と考えていいだろう。
マークレビンソンのLNP2のモジュールLD2の回路構成はどうなっているのか。

ジョン・カールにインタビューした時に聞いておけばよかった、と後悔しているが、
取材の目的はヴェンデッタリサーチについてだったので、仕方なかった。

私が持っているジョン・カールが設計したアンプの回路図は、
マークレビンソンのJC2、JC3、ディネッセンのJC80、
あとは自分で実物をみながら回路図をおこしたヴェンデッタリサーチのSCP1だけである。

このなかで、LNP2の回路を推測する上で、重要なのはJC2以外にないだろう。

LNP2はフォノアンプ、インプットアンプ、アウトプットアンプのすべてに
共通のモジュールLD2が使われているのに対し、
JC2は、フォノアンプとラインアンプは、モジュールの大きさも異るし、当然回路構成も大きく違う。

JC2のラインアンプは、初段のみ差動増幅の上下対称回路(2段増幅)、
JC3の電圧増幅部とほぼ同じといってよい。

フォノアンプは、上下対称回路ではなく、2段差同増幅回路になっている。
初段の差動回路の共通ソースには定電流回路が設けられ、
2段目の差動回路はカレントミラー負荷になっている。

出力段はFETによるプッシュプル回路で、しかもパラレル仕様である。

使用トランジスター数は、ラインアンプが6石(内FET4石)、フォノアンプは11石(内FET7石)となっている。
一度、ステレオサウンド試聴室のリファレンススピーカーだったJBLの4344のレベルコントロールを、
自分なりに徹底的に調整してみようと思い、夜、ひとりで試聴室にこもったことがある。

意外にもミッドハイのレベル差が大きく、少しずつ連続可変のレベルコントロールを動かしては音を聴き、
また席を立ち4344のところに行き、ほんの少しいじる。

あるポイントで、ひじょうにいい感じで、ヴォーカルが鳴りはじめた。
センター定位も、かなり気持ちよく、ぴたっと安定している。
もうひと息だな、とその時、思った。

このときの音は、これはこれで満足度の高い音だったが、直感的にもう少し詰められる、と感じたからだ。

さきほどよりも、さらにほんの少しだけレベルコントロールを触った。
椅子に坐り、音を聴く。先ほどの音が良かった。

ひとつ前の状態に戻した。もどしたつもりだったが、
鳴ってきた音は、もどっていない。さっきの音が鳴ってこない。

もう一度4344のところに行き、いじる。
けれども、レベルコントロールに使われている巻き線による連続可変型のためなのか、
同じ位置にしても(したつもりでも)、けっして同じ音にはならない、そんな気がしてくるほど、
不安定要素(不安要素といってもいいだろう)がある。
ステレオサウンドの50号前半の数号にわたって、JBL 4343研究という記事が連載されていた。
詳細は憶えていないが、JBLのスタッフふたりによる4343の鳴らし込みといった内容の回もあった。

彼らが聴感でレベルコントロールを調整した結果(写真)が載っていたが、
左右でレベルコントロールの位置は、多く違っていた。

部屋の影響ももちろんあっての結果であるし、
4343に搭載されているユニットに、多少の音圧上のバラツキもあるのだろう。
それにレベルコントロールに採用されている巻き線式のアッテネーターの精度も、個人的には疑いたい。
意外にも、ここのバラツキが大きかったのかもしれない。

どこにいちばんの原因があるのかは置いておくとして、
少なくとも完成品としての4343は、一台一台すべての周波数特性が、
ある範囲内にぴったり収まっているわけではない。

4343のミッドバス、ミッドハイ、トゥイーターのレベルコントロールは飾りではない。
積極的に、それぞれのユニットのレベルを揃えるために必要不可欠なものだから、ついている。

彼らの調整が終った後、編集部による、
当時話題になっていたポータブル型のスペクトラムアナライザーのIvieの結果は、
左右の4343のレベルが見事に揃っていることを示していた。

BBCモニターに、4343のような連続可変のレベルコントロールがついている機種はない。
工場出荷時には、左右のペアの特性が揃えられていることも、関係していよう。
井上先生にはじめてお会いしたのは、ステレオサウンド 62号の新製品の試聴である。

たいてい試聴は午後1時からのスタートなので、午前中に試聴器材をセットし、
新製品の電源を入れウォームアップして、あとは井上先生の到着を待つばかりにしておく。

当時の新製品の担当者のSさんが「井上さんが来られるのは、夜だよ」と言う。
それでもいつ来られるかははっきりしないので、試聴室で、待っていた。

夕方ぐらいかなと思っていたら、あっという間に7時になり、お見えになったのは9時か10時くらいだったか。
これがステレオサウンド編集部で働きはじめて、1ヵ月ぐらいの出来事だった。

すでに何人かの方の新製品の試聴に立会っていたので、このくらいの新製品の数だと、
試聴の時間は、このくらいかな、とある程度予想していた。

予想は見事に、多くハズレた。

このとき、JBLの4411が含まれていた。
横置きのブックシェルフ型で、当時は、スピーカースタンドも、ほとんど市販されているものはなく、
このタイプは、意外に設置に一工夫いる。

4411のセッティングだけでも、どのくらいの時間をかけられただろうか。
長かった。まだ長時間の試聴ははじめてだっただけに、疲れもあったけど、
出てくる音の変化に耳をすましていると、楽しい。

ステレオサウンドに書かれたものだけを読んでいてはわからなかった、
井上先生の魅力を感じはじめた日になった。
30cmウーファーを4発使ったスピーカーシステムといえば、
インフィニティが1988年に発表したIRSベータがそうだ。

グラファイトで強化したポリプロピレン採用のコーン型ウーファーを4発、縦一列に搭載したウーファータワーと、
中低域以上はインフィニティ独自のEMI型なので、タワーというよりも、プレーンバッフル形状で、
指向性は前後に音を放射するバイポーラ型。

4発搭載されているウーファーのうちの1基は、MFB方式(サーボコントロール)が採用され、
専用のチャンネルデバイダーに、ウーファーからの信号がフィードバックされている。

このサーボコントロールをオンにした状態で、ウーファーのコーン紙を軽く押してみると、
瞬時に押し戻される感触があり、この機能を実感できる。

サーボコントロールのおかげだろうか、ウーファータワーのサイズは、奥行きがそんなにないのと、
フロントバッフルもウーファーのサイズぎりぎりまで狭められていて、実は意外にコンパクトである。

このIRSベータを、井上先生が、ステレオサウンドの試聴室で鳴らされた音を聴いた。

風圧を伴っていると感じるくらいの低音の凄さを聴くと、大半のスピーカーの低音の再生に物足りなさを覚えてしまう。

IRSベータの試聴がおわったあと、井上先生が、試聴室横の倉庫をのぞかれて、
「おい、あれ、持って来いよ」と言われた。
BOSEの301だった。

何を指示されるのかと思っていたら、301とIRSベータのウーファータワーの組合せだった。
おそらく、こんな組合せの音を聴いたのは、その時試聴室にいた者だけだろう。

井上先生の凄さは、こういう組合せでも、パッパッとレベルをいじり、それぞれの位置も的確に決められ、
ほとんど迷うことなく、ごく短時間で調整されるところにある。

この音も驚きであった。低音再生の深みに嵌っていくだろう。
JBLの4343のウーファー2231A(フェライトモデルは2231H)は、マスコントロールリング
を採用している。

コーン紙とボイスコイルボビンとの接合部に金属製のリング(アルミ製)を装着することで、
比較的軽いコーン紙を使いながらも、振動板のトータル質量を増すことで、f0を拡張している。

マスコントロールリングなしで、コーン紙を厚くして同等の質量とすると、中低域のレスポンスが低下する。
質量の増加を、ボイスコイル付近に集中させているのが、この方式の特徴である。

というものの、やはり振動系の質量は100gをゆうにこえていたと記憶している。
38cm口径のコーン型スピーカーとしても、その質量は重量級といえる。

これを強力な磁気回路で駆動すれば、能率はそこそこ高くなる。

ロジャースPM510の軽量級のポリプロピレンのコーン紙とほどほどの磁気回路でも、
2231Aとほぼ同じ能率を実現している。

理屈の上では、能率が同じであれば、初動感度は等しい。
だが感覚的には同じとは認識しないのではないだろうか。

低能率のスピーカーをハイパワーアンプで鳴らせば、高能率とスピーカーと同等の音圧を得られる。
だからといって、高能率なスピーカーに共通する特質を、そこに聴くことはできない。

数値上でつじつまは合っていても、感覚的なつじつまはどうなのだろう。
「想い出の作家たち」のなかで、五味千鶴子氏が語られている。
     ※
亡くなる前にベッドに寝ていても、毛布をシュッとかけなおして、「折り目正しくなってるか」とたずねるのです。
「ええ、きちんとなってますよ」と言うと安心しました。何かお見舞いの品をいただいても「真心こもってるか」と言います。「とても真心のこもったものをいただきましたよ」と言うと、「そうか、人間は折り目正しく、真心こめていかなきゃいけないよ」と言っていたのをよく覚えております。
     ※
「折り目正しく、真心こめて」が、
五味先生がオーディオ愛好家の五条件のひとつにあげられている、
「ヒゲのこわさを知ること」につながっているのは明らかだろう。

漫然とレコードをあてがうことで、センタースピンドルの先端をレコードの穴の周辺で行ったり来たりさせて、
その跡が細く残る。光にあてると、すぐにわかるスジがヒゲだ。

「折り目正しく、真心こめて」レコードを扱うのであれば、
こんなヒゲがつくことはない。

レコードの扱いは、ひいては音楽の扱いである。

それでも、ヒゲがあっても、肝心の盤面にキズがなければ音には無関係とわりきっている人もいるだろう。

あえて言うが、必ずしも無関係とは言えない。

レコードのセンター穴も、アナログプレーヤーのセンタースピンドルも、その寸法に許容範囲がある。

規格によって定められている寸法ぴったりだと、すっという感じで、レコードをターンテーブルの上に乗せられない。

ごくまれにレコードのセンター穴がぎりぎりの寸法のためなのだろう、
レーベル面をぐいっと力を込めて押す必要があったレコードに出合ったこともあるが、
ほとんど全てのレコードがすっとおさまる。

つまりセンタースピンドルとセンター穴の間には、わずかだけど、すき間が生じている。
そのためレコードがかならずしもセンターにきている保証はどこにもない。

ほぼ確実にどの方向かにオフセットしているわけだ。

以前、ナカミチから、このレコードの偏心をプレーヤー側で自動調整する製品TX1000が出ていた。
TX1000で調整前と後の音を聴き較べると、レコードの偏心による──偏心といっても、ほんのわずかなブレなのに──
音の影響の大きさに驚かれる方も少なくないだろう。

TX1000のように自動調整機構がついてないプレーヤーでも、偏心の影響はすぐにでも確かめられる。
同じレコードをセットして音を聴く。そしていったんレコードを取り外して、またセットして音を聴く。
けっこう音の違いがあるのに気づかれるはずだ。

端的にわかるのが、カートリッジを盤面に降ろした時の音である。
通常、ボリュームを絞ってカートリッジを降ろし、ボリュームをあげるが、
レコードの偏心を確かめたい時は、あえてボリュームには触れず、いつも聴く位置にしておく。

偏心が少なく、ほぼ中心にレコードがセットされている時の、カートリッジが盤面に降りた時の音は、
スパッとしていて、尾をひかず気持ちのいいものだ。
偏心が多いと、「あれっ?」と思うほど、この時の音が違う。

使い手の手に馴染んだプレーヤーで、「折り目正しく、真心込めて」レコードをセットしていると、
たいていは、いい感じの位置にレコードが収まってくれる。

これは、私の体験から断言できる。
ステレオサウンドの試聴室で、それこそ、多い日は、何度も何度もレコードを取りかえ、ターンテーブルに乗せている。
その回数は、半端ではない。

だから言える。ヒゲをつけるようなレコードのセットでは、偏心も大きかろう、音も冴えないだろう、と。
ステレオサウンドの姉妹誌HiViに伊藤先生が、五味先生のことを書かれたことが、一度だけある。

五味康祐大人、と、そこには書かれていた。

五味先生は大正10年、伊藤先生は明治45年の生まれ。
だから、「五味康祐大人」の言葉のもつ重み、意味合いを想うにつれ、目頭が熱くなった。

伊藤先生も五味先生も、それぞれのモノに、心酔し惚れ抜いた人である、男である。

伊藤先生はシーメンスのスピーカーに、真空管(とくにウェスターン・エレクトリックの300Bに)。
五味先生はタンノイのオートグラフに。

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。惚れ抜くことができた。

実現せずに終ってしまった、残念なことがあった、ときいている。

五味先生のお宅に、伊藤先生製作のアンプ(コントロールアンプのRA1501と300Bシングルアンプの組合せ)を
持ち込み、聴いていただこうというものであった。

実現していれば、ステレオサウンドに載っていたであろう。
どういうふうに載っていただろうか。

もしかすると、オーディオ巡礼のなかで実現していたのかもしれない。
それまでのとは逆に、伊藤先生が五味先生のリスニングルームを訪ねられる、
という形でのオーディオ巡礼だったのではないか、と思ってしまう。

五味先生がなんと語られたのか、
伊藤先生と五味先生の語らい、それを五味先生は、どう言葉にされたのか......。

実現には、時間が足りなかった。
SX1000 Laboratoryのインディペンデントベースを、4343に使ってみたらどうなるだろうか。

4343の底板のサイズは63.5×43.5cm、SX1000 Laboratoryはすこし小さめで、55×37cmだから、
おそらく低域がタイトに締まった感じになる可能性がある。

4343にぴったりのインディペンデントベースがあったとしたら、どうなるだろうか。
4343の良さも悪さも露呈し、そのコントラストがはっきりするような気がする。

インディペンデントベースは、材質の固有音を積極的に音づくりに活かすモノとは正反対だけに、
それまでベースやスタンドの固有音に、うまく覆いかぶされていた欠点は、
よりはっきりと耳につくようになるだろう。
もちろん反対にそういった固有に音にマスキングされていた、良い面もはっきりと浮かび上がってくる。

だから固有音を活かしたベースなりスタンドは、スピーカーとの相性が、ことさら重要になる。
インディペンデントベースは、そんなことはまったくないとはいえないまでも、
ほぼ無視できるくらいに、固有音の少ない材質と構造となっている。

それだけに、スピーカーの使いこなしが、ますます重要になってくるのは、容易に想像できよう。
4343の場合、雑共振、不要輻射などの2次放射を適度に抑えることで、
聴感上のSN比を積極的に向上させていくのも、ひとつの正攻法な手だと言えるだろう。

だからといって、抑え過ぎてしまうくらいなら、いっそ4343ではなく、
他のスピーカーにしてしまったほうがいい、と私は思う。

4343とインディペンデントベースの組合せで使うようになったら、
4343に手を加えることになるだろう。

ここ10年以上、ベースやスタンドといえば、スパイクとの併用が当り前のようになっているだけに、
インディペンデントベースの設計方針、構造こそ、もう一度見直される価値がひじょうに高い。
LNP2とJC2を聴けばわかるが、同じ匂いがするといってもいいし、同じ血が流れている印象がある。
ことわるまでもないが、LNP2は自社製モジュールの搭載の方だ。

ML2LとML3Lはどうだろう。似ているところは、たしかにある。でも、どこか血がすこし異る、
異母兄弟、異父兄弟といったところか、もしくはいとこ同士か。
血縁関係にはあるが、少なくとも同じ父母をもつ兄弟という感じはない。

ML2LもML3Lも、登場した時は、どちらもマーク・レヴィンソンの設計と発表されていた。
正式に発表されたわけではないが、ML3Lはトム・コランジェロの設計だと思う。

ML7Lがコランジェロが、マークレビンソン・ブランドではじめて設計したアンプと、当時は言われていたが、
ML2L、ML3Lをレヴィンソンの設計と発表したぐらいだから、鵜呑みにはできない。

ML2Lは、ジョン・カール設計のJC3をベースに、おそらくコランジェロが改良を施したもの、
ML3Lは、コランジェロがすべてを手がけた、最初のアンプであろう。

2台並べて音を聴いてみると、とても同じ設計者の手によるアンプの音とは思えないことに、
すぐに気がつかれるはずだ。そのくらい、このふたつのパワーアンプの音は、性格が異る。
五味先生の書かれたものを、いくつか読み進めていくうちに感じていたのは、その洞察力の凄さだった。

もちろん文章のうまさ、潔癖さは見事だし、多くのひとがそう感じておられることだろうし、
そのことで隠れがちなのだろうが、歳を重ねて、何度も読み返すごとに、
その凄さは犇々と感じられるようになってきた。

「天の聲」に収められている「三島由紀夫の死」を、ぜひお読みいただきたい。
わかっていただけると思っている。

マネなどできようもない、この洞察力の鋭さが、オーディオに関しても、
こういう書き方、こういう切り口があったのか、という驚きと同時に、
オーディオについて多少なりとも、なにがしか書いている者に、
絶望に近い気持ちすら抱かせるくらいの内容の深さに結びついている。

ML2Lの2年後に、ML3Lが登場する。
200W+200WのAB級のパワーアンプである、このモデルは、ML2L同様、
マーク・レヴィンソンの設計によるものと、当初は発表されていた。

とは言うものの、ML2Lとはずいぶん違う仕上がりだった。
ステレオ構成ということを差し引いても、ML2Lとは違い過ぎる。

LNP2とJC2、コントロールアンプの、この2機種も、構成はずいぶん違うのだが、
イメージには共通するものが流れている。ディテールに対するこだわりは徹底して同じ。

そういう共通するものが、ML2LとML3Lには、ほとんど、というかまったく感じられなかった。

見た目のプロポーションからして、そうだ。
モノーラル構成とステレオ構成という違いがあるのを考慮しても、ML3Lはずんぐりむっくりした感じがつきまとう。

全体に黒を基調として、シャーシー左右にヒートシンク、フロントパネルは電源スイッチのみで、
ハンドルが付けられている。
こう書いていくと、ML2Lと同じことになるのだが、それだけである。ここで止まってしまう。

内部を見ると、さらにML2Lとの印象の違いは濃くなる。
整然と緻密なコンストラクションではなく、各パーツを接ぐ内部配線が雑然とした印象を与える。
平滑用コンデンサーとの位置の絡みがあるとは言え、2つの電源トランスが斜めに配置されているのも、
コンストラクションの詰めが甘い。十分な検討がなされていない、そんな感じをどうしても受けてしまう。
ステレオサウンドが以前出していたHiFi Stereo Guide、途中からAudio Guide Year Bookに変わった、
この本の編集を担当されていたのは、私がステレオサウンドにいたころはTさん、ひとりだった。

締め切り間際になると、別の部署の女の子が手伝っていたけれど、
ほとんどの作業をひとりで黙々とこなされていた。

Tさんは、五味先生の「西方の音」所収の「タンノイについて」で、
「私の友人でレーダーの製作にたずさわる技術者──かつはHi・Fi仲間である」と語られている、その人である。

以前はアンプの自作も手がけられていたときいたことがあるが、
それらはいっさいやめて、その時はQUADのシステムで
──スピーカーはESLの、それもブラック仕様の方、アンプは44と405のペアで、
アナログプレーヤーはリンのLP12(トーンアームはSMEだったか)を、
昔の電蓄を思わせる特注のラックに収められていた。

Tさんに訊いたことがある。五味先生の補聴器のことについて、確認したかったからだ。

音楽を聴かれる時は、補聴器は使われていなかった、と書かれたものを読んで、そう思っていた。
けれども一部では、補聴器をつけたままレコードを聴かれていた、という者がいた。
どう見ても、五味先生とつき合いのあった人とは思えない者が、そういうことを言う。

だからTさんに確認したかった。
ただ確認だけをしたかったのだ。

そのときTさんが、五味先生とレストランで食事をされていた時のエピソードを話してくれた。

補聴器は、こういうところでは用をなさないことが多い。
ナイフやフォークの振れ合う音、椅子を動かす音といった、周囲の雑音が取捨選択なしに耳に飛び込んでくるからだ。

だから耳元で、「五味さぁーん」とそこそこ大きな声で話す必要があったにもかかわらず、
バックグラウンドミュージックでベートーヴェンの曲が鳴っていると、
同席した誰もが気がつかないのに、五味先生だけが「ベートーヴェンの作品○○だ」と口にされたそうだ。
言われて耳をすますと、確かに鳴っているのに気がつく。
そういう音量だったのに、五味先生ひとりだけベートーヴェンに耳をすまされていた。

「不思議だったなぁ、五味さんのそういうところは」と懐かしそうに話してくださった。
ML2Lには、製造時期によって細部が異るのは、マークレビンソンの製品としては当然のこととして、
ユーザーの多くは受けとめていることなのだろうか。

私の知る限り、電源トランスが2度変更されている。
最初はEIコア型、そのすぐ後にトランスのうなりを抑えるためにエポキシ樹脂で固めたものがあり、
おそらく中期以降、ケース付きのトロイダルコア型になっている。

出力段のパワートランジスターも、最初はモトローラ製の2N5686と2N5684のペアだったが、
後期のロットには、このトランジスターが製造中止になったあおりで、NEC製のペアに変更されている。

つまりトロイダルコアの電源トランスのML2Lには、トランジスターがモトローラ製とNEC製があることになる。

スピーカー端子も変更されているし、天板も、写真で見ただけだが、まったくスリットのないタイプもある。

おそらく内部パーツも、LNP2LやJC2(ML1L)がそうだったように、頻繁に変更されていても不思議ではない。
むしろ、初期のロットから何一つ変更されていないほうが、マークレビンソンだけに不思議であろう。

どのML2Lが、音がいいのかは、どうしても関心のある人の間では話題にのぼる。
私のまわりにいるひとの間では、
圧倒的にエポキシ樹脂で固めたEIコアの電源トランス搭載のもので、一致している。

山中先生は、このタイプのML2Lを、シリアルナンバー続きで6台所有されていた。
天秤の左右の計量皿の上に何が乗っているのか。

一方は「知」、他方には「情」か。
いつの時代も、つねにバランスがとれているわけじゃない。
10代、20代前半のときは、どちらに大きく傾くことも多いような気もする。
齢を重ねることで、「知」も「情」もともに大きくなり、
徐々にではあるが、左右どちからに大きく傾くことは少なくなり、
ブレもなくなることが、人としての成長なのだろうか。

はたまた片方には「憧れ」が、他方には「必要」が乗っているのかもしれない。
「憧れ」が必ずしも、心が真に求めるものではないことは多い。
心に惑わされるのか、心が惑わされるのか、は、わからない。

別の棒に吊り下げられている皿には、「正統」と「異端」が、というように、
その人の内にある天秤には、ひとつの棒と左右ふたつの皿だけではなく、
いくつもの棒が乗っており、それぞれの皿には、なにがしかが乗っている。

齢とともに棒が増えていくのか、それとも外していけるのか。

人間関係やその人の周りを取り囲む、いくつもの情勢によっても天秤は、
時に大きく揺れることもあるだろう。

そんな揺れを完全に無視して、オーディオ機器を選択できる人がいようか。
仮に、そんな人がいたとして、その人と、オーディオの何を、どう語れるというのだろうか。

天秤の揺れのなかで、
心底、惚れ込めるオーディオ機器(これは、もうスピーカーと言い換えてもいいだろう)と出合えるまで、
経済状況が許すなら、そう場合によってはそれすらも無視して買い替えていくことを、
まわりの誰も、とやかく言うことはできない。そうではないのか。

肝心なのは支点がブレないことだ。

オーディオ機器を頻繁に買い替える人に対し、眉を顰める人、批判的な口調の人がいる。
否定的でなくとも、「変わるのが、あの人の個性だ」と捉えるかもしれない。

実は変わっていない。支点がしっかりしているから、ただ揺れているだけなのを見て、
人は「変わっていく」と捉えるだけではないのか。
こういう設定そのものが妄想だということは言われなくてもわかっている。
それでも、もし歴代の国産スピーカーの中から、メインスピーカーを選ぶとしたら、
私は、ためらうことなく、ビクターのSX1000 Laboratoryを選ぶ。

ダイヤトーンの2S305こそ、日本的なスピーカーだと言われる人もいるだろう、
いや、ダイヤトーンでも、私はDS10000を選ぶという人、
海外ではじめて認められた国産スピーカーはヤマハのNS1000Mだから、
これを選ぶという人もいてもいい。

価値観も、オーディオへの取り組み方も、人の数だけ違う。

それでも、メインスピーカーとして、これからしばらく、そのスピーカーだけを使うことが前提なら、
スピーカーシステムとしての完成度の高さだけでなく、可能性の大きさも考慮した選択の結果が、
私にとってはSX1000 Laboratoryであり、程度のいい出物があれば、いまも欲しいとさえ思っている。

そのSX1000 Laboratoryを、いま鳴らすとしたら、どういう組合せだろうかと、あれこれ想いをめぐらしている。
SX1000 Laboratoryの前作SX1000専用スタンドLS1000だと、スピーカーの底面と床との間に空間ができる。
しかもX字型に組まれているため、この空間が三角形のようになり、
不要輻射に一種のメガホンがついたかたちとなっている。
そのためであろう、吸音材を入れた時の音の変化は、やや大きい。

響きの良い木でつくってあるにも関わらず、個性的な面も、すこし持っていると言えるかもしれない。

SX1000 Laboratoryのインディペンデントベースは、LS1000から、一歩も二歩も、
スピーカーとスタンド(ベース)、スタンドと床、スピーカーと床との相関性を考え、
従来のスタンドの構成から、先に進んでいる。

インディペンデントベースは、まずスピーカー本体と同寸法の、重量級の分厚い木製ベースによって、
床をある程度安定化させようする、一種のアブソーバー的なものであり、
スピーカー底面と床との空間を埋め、定在波の影響を抑えようとしている。

もちろんこのベースそのものの不要輻射(2次放射)を抑えるために、
表面処理も考慮されたものに仕上がっている。

この基本ベースの4隅には、それぞれ円筒型の穴が開けられている。
ここに円柱状の脚を挿し込み、これがスピーカーの底面と接する構造だ。
しかも円筒型の穴の内壁には、厚めのフェルトが貼られている。
それぞれの相互干渉と、脚そのものの共振を抑えるためであろう。

4本の脚は、ある意味フリーな状態で、頼りないと感じられるかもしれないが、
SX1000 Laboratory本体が上にのることで、安定する。

SX1000 Laboratoryと4本の脚、脚とベースをネジや接着剤で固定してしまっては、
このベースの意味はなくなる。

専用ベースとしてSX1000 Laboratoryに付属してきながらも、それぞれが独立している意味を考えてほしい。
ML2Lの定電圧回路は、ディスクリート構成の、JC3のそれと較べるとかなり大がかりである。
±両電源で、20石以上のトランジスターが使われ、直列に入る制御用のパワートランジスターも、
2パラレルになり、出力アップに対応している。

そして、この定電圧回路の出力電圧は、28Vと、JC3から10Vも高くなっている。

JC3は15W+15Wのステレオ仕様、ML2Lは25Wのモノーラル仕様。

想像するしかないが、マーク・レヴィンソンはJC3の音には満足していたのだろう。
ただ15Wという出力は、彼には少な過ぎたのではないだろうか。

この音のクォリティのまま、さらにパワーを求めるために、
1976年1月のCESでのJC3の展示から、ML2Lの発表までの1年以上の期間が必要だったのだろう。

ステレオからモノーラル構成になり、出力トランジスターも2パラレルから4パラレルに、
定電圧回路も、より大がかりで電圧も、当然高くしている。
ほとんど倍の規模になっていると、いってもいいだろう。

電圧増幅段の回路も、JC3そのままではない。
上下対称回路なのは同じだし、初段はFETの差動回路なのも同じだが、
共通ソースには定電流回路がつけくわえられているし、2段目もJC3そのままではない。
細部をブラッシュアップすることで、出力の増加を図りながらも、
クォリティの維持にとどまらず、より良い音のための工夫がこらされている。

そして保護回路も万全になっていると、以前瀬川先生が、週刊FMに書かれていた。
ML2Lは、動作中に水をかけてもスピーカーにダメージを負わせることはないらしい。

JC3に、保護回路があったのかどうかは、わからない。

ML2LがJC3そのままとは言えない。
ただJC3が基本になっていることは、断言できる。
そして、ML2Lのイメージにもなっている、あの外観をつくりだしたのはジョン・カールである。

JC3を、マーク・レヴィンソンの要求をできるだけ満たすようにつくり変えたのが、
おそらくトム・コランジェロ、その人なのだろう。
やはりケンプだった。

五味先生が病室で最期に聴かれたのは、ケンプ弾くベートーヴェンの作品111。
おそらくバックハウスの作品111は通夜で、最期にかけられたのだろう。

お嬢様の五味由玞子さんが、「小説新潮スペシャル」に収められている
「父・康祐の遺したレコード」(1981年1月)に、こう書かれている。
     ※
最後に、わが家から父のもとに届けたレコードは、オイゲン・ヨッフム指揮の「マタイ受難曲」とウィルヘルム・ケンプの弾いたベートーヴェンのピアノソナタ、作品一〇六、一〇九と一一一である。父は一一一を聴きながら泣いていた。父の涙を、私はそのとき、はじめて見た。
「ルードウィヒ・B」は手塚治虫氏の未完となった3作品のひとつであり、
タイトルから想像できるとおり、ベートーヴェンを主人公とした作品である。

紙からは音は出てこない。そんな平面の世界──制約だけの世界──で、
一瞬たりとも立ち止まることのない音楽を、どう表現するのか。

手塚治虫の答えが、「ルードウィヒ・B」には、いくつか提示されている。

バッハの平均率クラヴィーアを描いた1コマは、圧巻と言うしかないだろう。

物語がどういう展開になるのかは、もう誰にもわからない。
「ルードウィヒ・B」はおそらく、まだ全体の4分の1くらいのところだったのではないか、
そんな気がしてならない。

ハ短調交響曲を、手塚治虫はどう描き切るのか、
「第九」は......、後期のピアノ・ソナタは......、そのなかでも作品111は、どうなっていっただろうか。

回を追うごとに、手塚氏の表現力は増していっただろう。

私の想像が追いつくことはこないだろう。
それでも、想像をめぐらすしか、他にない。

「ネオ・ファウスト」も「グリンゴ」も続きが読みたかった。
「ルードウィヒ・B」は読みたいだけでなく、せめて1コマでいいから見たかった作品である。
1988年5月に、黒田先生のお宅に打ち合わせで伺ったときのこと。雑談中にある話を黒田先生がされた。

「最近の雑誌の編集者のなかには、一度も顔を合わせたことがない人が何人かいる。
最初の原稿依頼が電話で、その次からは電話かファクシミリ。
書いた原稿もファクシミリで送信してほしいと言ってくるか、もしくはバイトの子に取りによこさせる。」

黒田先生は、当時から音楽誌、オーディオ誌意外に一般誌にも原稿を書かれていた。
上の話は、その一般誌のことだった。

20年以上前から、筆者と編集者のつき合いは、大きな出版社から、すでに希薄になりはじめていたのだろう。
いま思えば、われわれはなんだかんだいって、よく筆者のお宅に伺っていたのかもしれない。
それが当り前のことだと思ってもいた。

いまはファクシミリよりも便利なメールがある。
もう、原稿の、直接の受け渡しもなくなっているのだろうか。

筆者と編集者の間には、いまや必要最低限のコミュニケーションだけしか残っていないのだろうか。

だとしたら哀しいことである。
JC3が、当時の多くのパワーアンプと大きく異る点は、出力段の電源まで定電圧化していることだ。

通常のパワーアンプでは電圧増幅段の電源は定電圧回路から供給することが多いが、
出力段までとなると発熱量の多さ、設計の困難さから、平滑コンデンサーから直接供給される。

JC3の電源回路は、15Vの三端子レギュレーターとパワートランジスターによる
リップルフィルターを組み合わせたもので、
三端子レギュレーターとアース間には3.6Vのツェナーダイオードが挿入され、
制御用のパワートランジスターのベース・エミッター間の0.6Vの電圧降下分をいれて、18Vになっている。

ML2Lも、前述したように、出力段の電源まで定電圧化している。
「想い出の作家たち」という本のことを知った。
1993年に文藝春秋から出ており、今は亡き作家の素顔を、身近にいた家族が語った本とのこと。

その第1集に、五味先生の奥様、千鶴子氏の文章が収められている。

絶版だが、amazonで古本が購入できる。価格も、送料のほうが高いくらいだ。
注文したばかりなので、手もとに届くのは数日後である。
ML2LとJC3のもっとも大きく異る点は、出力の大きさだと思う。

スイングジャーナルのCESの記事に載っているマークレビンソンの試作パワーアンプの出力は15W+15W。

ジョン・カールから手渡されたJC3の回路図が、2種類あることは書いた。
ひとつはネット上で公開されているもので、何かのオーディオ誌に掲載されたもののコピー、
もうひとつはジョン・カールの手書きによるもののコピーで、こちらは電源回路も含まれている。

JC3の基本回路構成は、いわゆる上下対称回路と呼ばれているもので、
初段はFETの差動回路、2段目はトランジスターによる増幅で、ドライバー段、出力段と続く。

ふたつのJC3の違いは、出力段とドライバー段、バイアス回路のトランジスターは同じものが使われているが、
初段FETの+側と2段目のトランジスターが他の品種に置き換えられている。
そのこともあってか、NFBの定数が異る。

もうひとつ異る点で見逃せないのが、出力段の電圧だ。
手書きのJC3の回路図では18V、もうひとつのJC3では20Vになっている。
わずかとはいえ出力アップが図られている。

JC3は、出力段の電源電圧の18Vから推測するに、出力は15Wとして設計されているのだろう。
1976年のCESで、マークレビンソンのブースに展示してあった試作品のパワーアンプは、
まずJC3そのものと考えて間違いないはずだ。
家庭内で、よほど大音量を鳴らさない限り、
ウーファーの振幅が目に見えるほど前後に大きく振動することはまれである。

ハーマンインターナショナルのサイトにある許容振幅
──38cm口径だと4cm、20cmだと2cmとある──まで、使うことのない音量では、
小口径と大口径の振動体積の差は、あの表にある数値ほどではない、
自社の製品にとって都合の良い、便宜的なものだ、という声もあると思う。

JBLが比較しているのはコーン型ウーファーである。
コーン型ウーファーは、大口径になるほど、コーンの深さは増す。

コーンの頂角はメーカーや機種によって異るとはいえ、38cm口径と20cm口径とでは、
振動板が囲っている体積は、そうとうに違ってくる。

スピーカーというものが、振動板が前後に動いて空気の疎密波をつくりだすものである以上、
面積よりも、重要なのは体積であることを、例え便宜的なものであったとしても、
JBLの表は教えてくれている。
2006年のいまごろ、ハーマンインターナショナルのウェブサイトを見ていたら、
JBLが大口径ウーファーにこだわる理由の説明がなされていた。

このページは、JBLのホームオーディオに行き、
テクノロジー解説の「スピーカーシステムの低音再生能力について」にて読める。
リンクしてもよかったのだが、3年前と今とでは、サイトが作りかえられたためだろう、
アドレスが変更されていた。
今後もサイトの変更とともにアドレスも変更されるだろうから、あえてリンクはしなかった。

そのページでは、4インチ(10cm)口径から15インチ(38cm)口径まで8つのサイズのユニットの
振動板面積、許容振幅、振動体積を表組みで提示してある。

振動板面積は、ユニットの口径から算出した円の面積である。
注目したいのは、振動体積だ。

38cm口径だと4534cc、30cmは2120cc、20cmは628cc、10cmは79ccとなっている。
この振動体積は、振動板面積と許容振幅を掛け合わせて得られる、1振幅当りの値である。

この振動体積で比較すると、38cm1発と同等の値を得るには、
30cmだと2発、20cmだと7発、10cmになると50発ものウーファーが必要となる。

振動体積だけで低域の再生能力の全てが語れるわけではないだろう。
それでも、井上先生が言われた、
「38cmなら(片チャンネル当り)2発、30cmなら4発」というが、ぴったりあてはまる。

井上先生は、長年の、ご自身の体験から得られた感覚的な結論として言われたのであって、
振動体積を考慮しての発言ではなかったと思う。

38cm2発と20cm14発、どちらが優れた低音再生能力を見せてくれるかは、
実際に試してみないことにははっきりしたことは言えないが、ひとつだけ言えるのは、
20cm14発のシステムをつくることは、38cm2発のシステムを組むよりも、
そうとう大がかりで困難な作業であることは明らかだ。

38cm2発ならば、ユニット配置は縦にするか横にするかぐらいだが、
14発ともなると、どうレイアウトするかだけでも難しい。
それにユニットの接続も、2発なら並列につなぐことが基本になる(直列接続がいいこともある)が、
14発ではシリーズとパラレルを組み合わせるしかない。
この組合せをひとつひとつ、音を聴いて確かめていく作業だけでも、気が遠くなりそうだ。

JBLのウェブサイトに示されている各口径のスペックは、あくまでもJBLの基本的なユニットの値である。
許容振幅は38cmが4cmなのに対して、20cmだと2cmだ。
他のメーカーが独自技術で、20cm口径の許容振幅を大幅に向上させたら、
10cmを超える振幅を実現したら、話はまた違ってくるだろう。
ML2Lを開発する前に、マーク・レヴィンソン自身が使っていたパワーアンプの中には、
パイオニア/エクスクルーシヴM4が含まれていた、と何かの記事で読んだことがある。

M4は50W+50Wの、A級動作のステレオ仕様のパワーアンプだ。
スピーカーははっきりとしないが、QUADのESLを使っていたことは間違いないだろう。
ML2Lと前後して発表されたHQDシステムの中核は、ESLのダブルスタックなのだから。

瀬川先生は、ML2Lは、輸入元(R.F.エンタープライゼス)の測定では、
50W(8Ω負荷)の出力が得られた、と書かれている。
おそらく公称出力の25Wまでが完全なA級動作で、それ以上はB級動作に移行しているだろう。

井上先生は
「ML2Lでオペラのアリアを聴いていると、いい音で、気持ちいいんだよなぁ。
でも曲が盛り上がってきて、合唱が一斉に鳴り出した途端に、音場感がぐしゃと崩れるのがねぇ......。
そうとう能率の高いスピーカーでない限り、25Wの出力は、やっぱりきつい。」と言われていた。

ML2Lがクリップすると言われているのではない。
それまできれいに展開していた音場感が、曲の高揚とともに、それなりの出力を要求される領域になると、
途端に音が変化すると言われている。
25Wまででカバーできているとのの音は素晴らしいけれど、それ以上の出力となると、
おそらくA級動作からはずれるのであろう、その音の違いが如実に現われたのかもしれない。

ESLの能率は低い。25Wでは出力不足を感じることもあっただろう。
だからブリッジ接続による出力増大が必要になったのかもしれない。
低音再生について、井上先生が言われていたことがある。
「本気で取り組むのなら、38cm口径ウーファーを方チャンネル当り2本、
30cm口径だったら4本ぐらい、用意するくらいじゃないと、ね」

同じことをステレオサウンドにも書かれていたはずだ。

よくウーファーの口径について語る時、
38cm口径1本と20cm口径4本分の面積は、ほぼ同じだとある。
円の面積だけで考えれば、間違いではない。

井上先生の話を聞いていた時、私も面積で考えていた。

38cm口径2本よりも、面積でいうなら30cm口径4本のほうが広い。
ならば、30cm4本のほうが、好結果が得られるかもしれない、そんなことを安易に思ったこともあった。

同じことは振幅についても言われている。

口径が38cmと20cmの場合、円の面積比は4対1だから、
20cm口径ウーファーの振幅を38cmの4倍にすれば等価である、と。

スピーカーユニットの口径は、円の面積では語れないのである。
あったもの、なくなったもの」を読んでくれた友人のYさんが、メールをくれた。

Yさんのメールには、
「希望」というキーワードは、広告コミュニケーションの世界では、
一昨年あたりからますます重要視されている、と書いてあった。

Yさんは、「あったもの、なくなったもの」を読んで、時代というものを感じた、と書いてくれた。
私も、Yさんのメールを読んで時代を感じるとともに、
「広告コミュニケーション」という言葉に、目が留まる。

広告の世界ではなく、「コミュニケーション」がそこにはついている。

オーディオの出版の世界も同じだろう。
コミュニケーションがつくかどうかの違いは大きいはず。

2000年に、audio sharingの独自ドメインをとったときに、.netでも.orgでもなく
.comを選んだのは、コミュニケーション (communication) のcomであってほしいという想いからだ。

もちろん.comは company だということはわかっている。
ML2Lは、出力段がA級動作のため、消費電力は常時400Wながら、出力は8Ω負荷時で25W。
ただ、同時代の他のパワーアンプと違うのは、スピーカーのインピーダンスが4Ω、2Ωとさがっていくと、
理論通りに50W、100Wの出力を保証している。

4Ω負荷で2倍の出力を得られるものは数は少ないながらもいくつか存在していたが、
2Ωまで保証していたものはなかった。

またML2Lを方チャンネル当り2台必要とするブリッジ接続では、8Ω負荷で、これも理論通りの100Wを実現している。
ブリッジ接続時では4Ω負荷で200Wまで保証している。

このブリッジ接続に関しても、大抵のアンプは2倍までの出力増にとどまっていた。

ブリッジ接続はスピーカーの+側と−側の両方からドライブする。
つまり8Ω負荷の場合、アンプ1台あたりの負荷は半分の4Ωになる。
負荷が4Ωになれば、出力は2倍になる。しかも±両側からのドライブだから、
さらに2倍になり、4倍の出力が得られるわけだ。

ML2LはA級動作ということに加え、出力が理論通りに増加することの実現で、
理想的なアンプ、完璧なアンプという印象を与えようとしていたように、いまは感じなくもない。
人にはそれぞれ大切にしていることがある。
しかし、それは、赤の他人からすれば、どうでもよい、ちっぽけなことだったりすることもある。
それでも、当の本人には、大切なことに変わりはない。

けれど、ちっぽけなことと受けとめた、まわりの人は知らぬうちに踏みにじることもあるだろう。
その時は気がつかない、時間が経ってから、その人にとってそれが大切なことであったことを知る。
今にして思えば......と後悔するが、遅い。
私だって、そんなことをしてきたし、いまでも気がつかずにしているかもしれない。

「思いやり」とは、踏みにじる、その前に気がつく心でもあると思っている。
ML2Lが登場した時にも、その後にも話題になったことはほとんどないが、
ML2Lはバランス入力を装備している。
1970年代後半のこの時期、バランス入力をもつコンシューマー用パワーアンプは、
すこし前に登場したルボックスのA740ぐらいだった。

当時バランス出力をもつコントロールアンプは、コンシューマー用モデルには存在してなかった。
だから話題にならなくて当然とも言えるのだが、なぜML2Lはバランス入力だったのか。
LNP2LもXLR端子は備えていても、アンバランス出力であり、
少なくともマーク・レヴィンソンが指揮していた時代に、バランス出力のコントロールアンプは登場しなかった。

ML2Lの入力端子は、CAMAC規格のLEMOコネクターによるアンバランス入力が2系統ある。
通常の非反転入力(正相)、反転入力(逆相)、それにバランス対応のXLR端子だ。

アンバランス入力で使用する場合には、使わないアンバランス入力にショートピンを挿しておく。
XLR端子でショートさせても同じことだ。

反転入力の場合、バッファーアンプを経由することになる。

ML2Lのバランス入力はブリッジ接続を可能にするためにつけられたのではないかと、私は見ている。
ジョン・カールは、ML2Lの回路とコンストラクションは、JC3と同じだと言っていた。

だから彼に訊いた。「あのヒートシンクは、特注品なのか、誰のアイデアなのか」と。

私の中では、星形のヒートシンク・イコール・ML2Lとイメージができ上がっているほど、
強烈な印象を与えていたヒートシンクは、実は、一般に市販されていたもので、JC3にも当然使用していた、とのこと。

そういえば1970年代なかごろ、ダイヤトーンのパワーアンプDA-A100は、カバーがかけられているため目立たないが、
ML2Lと同じ型のヒートシンクを使っている。
それにマークレビンソンと同じ時代のアンプ・ブランド、
ダンラップ・クラークのDreadnaught 1000、Dreadnaught 500も、サイズはひとまわり小さいようだが、
やはり同型のヒートシンクを、シャーシーの左右に、むき出しで取りつけている。
Dreadnaught 1000は空冷ファンを使っているため、ヒートシンクは横向きになっている。

たしかに、ジョン・カールが言うように、市販されている、一般的なパーツだったようだ。

なのに、なぜML2Lだけに、星形のヒートシンクのイメージが結びついているのか。
Dreadnaught 500も、真上から見たら、ML2Lと基本的なコンストラクションは同じといえよう。

異るのは、ヒートシンクの数とその大きさ。
ML2Lを真上から見ると、ヒートシンクが3、中央のアンプ部のシャーシーが4くらいの比率で、
ヒートシンクは左右にあるため、半分以上はヒートシンクが占めている。

一方Dreadnaught 500は、ヒートシンクがひとまわり小さい。
それにパネルフェイスの違いもある。

ML2Lは中央下部に電源スイッチがひとつと、ラックハンドルだけのシンプルなつくりなのに対して、
Dreadnaught 500は、2つの大きなメーターのほかに、電源スイッチと4つのツマミがあり、
どうしてもパネルの方に目が行ってしまう。

ML2Lには精悍な印象がある。音だけでなく、見た目にも無駄な贅肉の存在が感じられない。

1976年のCESのマークレビンソンのブースに展示されていたステレオ仕様のパワーアンプが、
ジョン・カールが主張するJC3そのものだとしたら、
ML2Lのイメージは、JC3のイメージそのものであり、
おそらくこのアンプこそ、JC3であった可能性が高い。
ML2Lは、シャーシー両サイドに3基ずつ、計6基のヒートシンクを備えていて、
この星形のヒートシンクが、ML2Lの外観上の大きな特徴にもなっている。

アンプ内部のコンストラクションは、フロントパネルの真裏に電源トランス、
そして平滑用コンデンサー、金属の仕切り板(シールド板)があり、
その向こうにプリント基板が2枚垂直に取りつけられている。
リアパネル側に近いほうが電圧増幅段で、もう1枚が定電圧回路と保護回路となっている。

6基あるヒートシンクは、左右で+側と−側に分かれており、
それぞれフロントパネルの真裏の1基ずつが定電圧回路の制御トランジスターが取りつけてある。

ML2Lは、電圧増幅段だけでなく、ドライバー段、出力段の電源供給をすべて定電圧電源から行なっている。
言うまでもなくML2LはA級動作のパワーアンプである。
この部分の放熱量もかなりのものとなる。

真ん中と後ろ側のヒートシンクが、出力段のためのもので、
それぞれのヒートシンクにパワートランジスターが2つずつ取りつけられている。
真ん中のヒートシンクにはドライバー段も含まれている。

つまりML2Lの出力段は、4パラレル・プッシュプルである。

これらのヒートシンクは、上下の取りつけネジを外せば、容易に取り外せる。
電圧増幅段の基板、定電圧電源・保護回路の基板も、
メイン基板にコネクターで接続されているので、交換は容易だ。

メンテナンス性は高く設計されている。
ヴェンデッタリサーチを興したころのジョン・カールにインタビューした時の話を元に書いている。
その時は不思議に思わなかったけれど、彼は、この時、JC3の回路図のコピーを用意していた。
事前に、マークレビンソン時代のことを訊くことは伝えていなかったし、
マークレビンソンのことが話題になったのも話の流れから、であった。

なのに彼は、JC3の回路図のコピーを2枚渡してくれた。
1枚は手書きのもので、もう1枚はインターネットで公開されているもの。
ほとんど同じだが、一部定数が異る箇所があるくらい。

インタビューは、1987年ごろだった。マーク・レヴィンソンと決裂して10年は経っている。

いま思えば、ジョン・カールは、アンプの技術者としての誇りを、
まわりは、なぜ? そこまでこだわるのか、と思うほど、大切にしていたのだろう。
だからこそ、己が設計(デザイン)したアンプには、JCとつけるのであって、
それを無断で外されること以上の、彼に対する侮辱はないのかもしれない。
ステレオサウンドの試聴室では、JBLの4344の下にダイヤトーンのDK5000をかませて使っていた。
DK5000の一辺は9cmだから、4344の底面と床の間に空間が生じる。この空間が案外厄介である。

こんなわずかな空間でも定在波が発生するし、後ろの壁から回り込んできた音との絡みもあるのだろうが、
この空間に吸音材を入れた音を聴いてみてほしい。
もちろん吸音材はグラスウールではなく、天然素材のものが好ましい。
ウールでもいいし、かなり厚手のフェルトでもいい。その吸音材を、スピーカーの底板に接触しないように置く。

その大きさは試聴を繰り返しながら、最適値を決めていくしかないが、とにかく、まず吸音材がある音とない音を聴く。
聴感上のSN比に注目して聴けば、その差は明らかだろう。

ダイヤトーンのスピーカーDS2000専用のスタンドのDK2000は、これらのことも考慮して作りとなっている。
スピーカー本体とベースが平行にならないようになっているし、
スピーカーを支える脚部も、ハの字にすることで、やはり平行面をなくしている。

台輪(ハカマ)付きのスピーカーでも、この定在波は発生している。
もう10年ほど前になるか、週刊文春で剣豪小説を取りあげた企画があった。
座談会形式だった。五味先生についても語られていた。

五味先生は、「喪神」により1953年(昭和28年)2月に、第28回芥川賞を受賞されている。
松本清張氏の「或る『小倉日記』伝」との同時受賞。

この時の芥川賞の選考委員は、川端康成、丹波文雄、舟橋聖一、石川達三、瀧井孝作、佐藤春夫、宇野浩二、
坂口安吾の8氏。

週刊文春によると、坂口安吾氏が、もっとも強く推されたとある。
記憶がかなり曖昧だが、坂口氏がもし選考委員でなかったら、五味先生の芥川賞受賞はなかった、
そういう印象だった。
坂口氏は「この男は、大化けする。」、そう言って推されたそうだ。

「文藝春秋」1953年3月号に選評の概要が載っている。

坂口安吾氏は語っている。
「剣士や豪傑については日本古来の伝承的話術があり、この作品はそれに即している如くであるが、
実はそれに似ているだけで、極めて独創的な造形力によって構成された作品である。
かかる発明はとうてい凡手のなしうべからざるところで、非凡の才能というべきである。」

丹波、舟橋、宇野3氏の、そっけなく冷たい評とは、まったく異る。
JC1、JC2のJCは、ジョン・カール (John Curl) の頭文字である。

ジョン・カールに聞いた話では、当時、彼が住んでいたスイスまで、
マーク・レヴィンソンが訪ねてきて、彼の手もとにあったJC3を回路図と一緒にアメリカに持ち帰った。
それから1年以上が経ち、マークレビンソンからML2Lが発表された。
しかも、そのまえに、JC2がML1Lへと変更されている。

MLはもちろんMark Levinson の頭文字である。

この変更についても、事前にジョン・カールに何の連絡もなかった、ときいている。

このふたつの件で、ジョン・カールとマーク・レヴィンソンの仲は、完全に決裂する。
1976年のスイングジャーナルのオーディオのページに、CESの記事が載っている。
そこに興味深いものが写っている。

マークレビンソン・ブランドのパワーアンプである。
ML2Lの登場は77年であり、モノーラル・パワーアンプで、出力は25W。

写真のパワーアンプにはまだ型番はなく、プロトタイプと思われる。
外観はML2Lそっくりで、独特の星形のヒートシンクが左右に3基ずつある。

ML2Lとの相違点は、ステレオ・パワーアンプということ、そして出力は15W+15W。
しかもフロントパネル中央には、電源スイッチが2つついている。

2つの電源スイッチが、左右独立したものなのか、片方がスタンバイスイッチなのかは、
まったく説明がないのと、写真が不鮮明で小さいため、はっきりとしたことはわからない。

おそらくこれがジョン・カールが言う「JC3」なのだろう。
1989年の1月20日付けで、ステレオサウンドを辞めた。
実際には有給休暇が1ヵ月近く残っていたので、12月下旬の時点で仕事からは離れているが、
今年で20年経つ。節目といってもいいだろう。

その節目のときに、私にとってももうひとつの大事な節目である、瀬川先生と同じ46歳になるというのは、
これもなにかの縁かもしれない、と勝手に思っている。

いまはまったくオーディオとは無関係の仕事に就いている。
これから先、仕事としてオーディオと関わっていくのかどうかは、まったくわからない。
それでも、編集の仕事とは何か、という問いを、自分に投げかける。

四六時中考えているわけではない。でも、当り前のように考える。
無意味なことを考えるなんて、と思われる人がいてもいい。
考えるしかないから、考える。

編集とは、橋を架けることだと思う。

人と人、人とモノ(オーディオ)、人と音楽、人と社会、人と時代の間に橋を架けることだ。

その橋は一方通行では、意味をなさない。

そして編集に必要なものは何か、とも考える。

「思いやり」である。
この気持ちを失えば、もうジャーナリズムではなく羽織ゴロでしかない。
マーク・レヴィンソン自身はアンプの技術者ではない。
だから、マークレビンソンのアンプには3人の男が関わっている。

ひとりめは、LNP1、LNP2の初期ロットやLNC1(LNC2の前身)に採用されたモジュールの設計者、
リチャード・S・バウエン(ディック・バウエン)だ。

ふたりめはLNP2の自社製モジュールの設計、ヘッドアンプのJC1、
薄型コントロールアンプの流行をつくったJC2を手がけたジョン・カール。

最後のひとりは、ML7Lの設計者として、はじめて名前が明かされたトム・コランジェロ。

マークレビンソン・ブランド初のパワーアンプML2Lの設計者は、当初、マーク・レヴィンソンだと伝えられた。
かなり後になり、ML2Lは、トム・コランジェロを中心としたチームの設計だと訂正された。

だがジョン・カールは「ML2はJC3と呼ぶべきアンプ」だと主張する。
ビクターのZero-L10とSX1000 Laboratoryの間には、SX1000が存在する。

SX1000の登場は1988年、SX1000 Laboratoryは1990年。
この5年の間に、個々のユニット、エンクロージュアは細部が見直され、さらに聴感上のSN比は向上している。
エンクロージュアの仕上げも、カナディアンメイプル材をイタリアで染色するという、
凝ったツキ板の採用で、日本のスピーカーには珍しい雰囲気をまとっている。

だが、これ以上に外観の変化で目につくのは、スタンドにおいて、である。

SX1000は、LS1000という専用スタンドが別売りされていた。
このスタンドの構造は、基本的にはZero-L10のものは同じだ。

それがSX1000 laboratoryではインディペンデントベースという名の専用スタンドが、最初から付属している。
SX1000 laboratoryは、エンクロージュアの底面も、他の面と同じ仕上げが施されている。
いわゆる6面化粧仕上げで、大型のブックシェルフ型に分類されるだろうが、
実際にはインディペンデントベースと一体で開発されたものだけに、
この専用ベース込みでの、中型フロアー型と見るべきだ。

このインディペンデントベースの構造は、LS1000とは、まったく異っている。
川崎先生の「いのち、きもち、かたち」を言い換えるとしたら、
「きもち」は「喜怒哀楽」、
「いのち」は「運命、宿命、天命、使命」か。

「かたち」は......。
CD(というよりもデジタル)時代の到来によって、音の差がなくなるようなことが、一部で言われていた。

デジタル・イコール・画一化の技術だと思っていたのだろうか。

もちろん、とんでもない話だとほとんどの人が思っていたし、
もし仮にD/Aコンバーターに、各社の性能差がまったくなかったとしても、
それ以降のアナログ部が各社違うのだから、そんなことはありえないのに。

そんなことが言われたときから、今年で27年になる。

CDに続き、DATが登場し、ソニーのMDやフィリップスのDCCというのもあった。
パーソナルコンピューターの普及によって、MP3というフォーマット、
圧縮音源のフォーマットも、さらにいくつか登場している。

CDは16ビット、44.1kHzのPCM信号だったのに対し、DSD信号が出てきた。
PCMに関しても、よりスペックが上の、24ビット、96kHzなどもある。

CDだけ見ても、金蒸着CDが登場し、ガラスCD、それに最近各社から出ている新素材によるモノがある。
パッケージメディアも、CD、SACD、DVD-Audio、Blu-Ray Audioがあり、
デジタル配信も話題になっている。

iPodの存在も無視できない。そのiPodもハードディスク内蔵のモノと、メモリーのモノがある。

いったい、どれだけの人が、これだけデジタルの種類が増えることを予想しただろうか。
おそらく、ひとりもいないだろう。

いま、オーディオがコンピューターに寄り添おうとしている。
なぜ、オーディオが寄り添うのか。
コンピューターが寄り添う在りかたこそ、論じられることだと思う。

オーディオ評論について考える時、思い出すのが、井上先生が言われたことだ。

──タンノイの社名は、当時、主力製品だったタンタロム (tantalum) と
鉛合金 (alloy of lead) のふたつを組み合わせた造語である──

たとえば、この一文だけを編集者から渡されて、資料は何もなし、そういう時でも、
きちんと面白いものを書けたのが、岩崎さんだ。
もちろん途中から、タンノイとはまったく関係ない話になっていくだろうけど、
それでも読みごたえのあるものを書くからなぁ、岩崎さんは。

井上先生の、この言葉はよく憶えている。
試聴が終った後の雑談の時に、井上先生の口から出た言葉だった。

井上先生は、つけ加えられた。
「それがオーディオ評論なんだよなぁ」と、ぼそっと言われた。

それから、ずっと心にひっかかっている。

岩崎先生は、「オーディオ評論とはなにか」を、以前ステレオサウンドに書かれている。
そのなかで、柳宗悦氏の言葉を引用されている。

「心は物の裏付けがあってますます確かな心となり、物も心の裏付けがあってますます物たるのであって、
これを厳しく二個に分けて考えるのは、自然だといえぬ。
物の中に心を見ぬのは物を見る眼の衰えを物語るに過ぎない」

ふたつの言葉が浮かぶ。

釈迦の「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」と
川崎先生の言葉の「いのち、きもち、かたち」である。
ビクターのZero-L10とSX1000 Laboratoryを比較する。

Zero-L10は口径39cmコーン型ウーファー、21cmコーン型ミッドバス、6.5cmドーム型ミッドハイ、
3cmドーム型トゥイーターからなり、クロスオーバー周波数は230、950、6600Hz。

SX1000 Laboratoryは、31.5cmコーン型ウーファー、8cmドーム型スコーカー、3cmドーム型トゥイーターで、
クロスオーバー周波数は440、5000Hz。

Zero-L10のミッドハイとトゥイーターの振動板はピュアファインセラミックス、
SX1000 Laboratoryのスコーカーは、ダイヤモンドをコーティングしたピュアファインセラミックス、
トゥイーターはダイヤモンドになっている。

SX1000 Laboratoryの振動板は、より精確なピストニックモーションに必要な条件を、
Zero-L10のそれよりも高い次元で満たしている。

注目すべきはSX1000 Laboratoryのスコーカーで、
Zero-L10のミッドバスとミッドハイが受け持っていた帯域を、
このユニットひとつで、ほぼカバーしている。

ウーファーもひとまわり小さくすることで、指向性を犠牲にすることなく、440Hzまで受け持たせている。
これがZero-L10と同じ39cm口径なら、指向性がやや狭くなりはじめる帯域になってしまったであろう。

SX1000 Laboratoryのインピーダンスは4Ω。ウーファーに直列に入るコイルの値も、
8Ωにくらべて小さくて済む。
4343は、トゥイーターの2405は、ミッドハイの横に配置されているが、
基本的なユニット配置は、インラインになっている。

ダイヤトーンのDS5000とビクターのZero-L10は、どちらもインライン配置を取っていない。

ビクターはG (Gliding) ラインと名付けられた、独自の配置で、上3つのユニットが弧を描くようになっている。
ダイヤトーンの配置は、できるだけ4つのユニットが近接するようになっている。

4ウェイ構成で特に問題となる、垂直方向の指向性を、どれだけ均等に保てるかに対する、
それぞれの、その時点での答えであろう。

この問題に関しては、ユニットの数を減らすのも答えである。

スピーカーユニットの振動板に、より高剛性、より内部音速の速い素材を採用し、
ピストニックモーション領域を、さらに可能な限り広くしていくことで、3ウェイ構成へと、進化していける。

ビクターの解答が、SX1000であり、SX1000 Laboratoryである。
ハーベスのHL Compact 7ES-3の組合せは、その1で書いているように、
スペンドールのBCIIとラックスのLX38、ピカリングのXUV4500Qの組合せが奏でてくれた音を、
いまの時代に、いまのクォリティで再現したいという想いから、あれこれ考えていたもの。
だから、最初からアンプは、真空管式のモノに限定していた。

そういう個人的な想いを抜きにすれば、組み合わせるアンプは違ってくる。

第一候補は、というよりも、これしかないと思っているのが、ボウ・テクノロジーのWAZOO-XLだ。
最近では、オーディオ誌にまったく登場しなくなったが、
粋なプリメインアンプであることに、変わりはない。

聴いたばかりのオーディオ機器が好ましいモノであれば、
古いモノよりも、そのオーディオ機器に惹かれがちなのが人間なのだろう。
それに誌面には限りがある。古いモノが、徐々に登場しなくなるのは仕方のないこととわかっている。
いったい去年1年でどれだけの数の新製品が登場したことか。

このアンプの肌合いの良さと、小気味よいリズミカルで躍動感のある音は、
ユニゾンリサーチのP40、P70で鳴らす音よりも、いくぶん年齢的に若くなるだろう。

CDプレーヤーは、ヘーゲルのCDP4Aがぴったりくるだろう。
背筋がもっとしゃんと伸びて、涼しげな雰囲気が加わると想像する。

この組合せにもっとも期待しているのは、HL Compact 7ES-3から、
ハーベスのデビュー作であるMonitor HLを初めて聴いた時の新鮮な驚きと、
ふたたび出合えそうなことである。

ベテランのスピーカー・エンジニアがつくりあげた、
新鮮で瑞々しい響きのBBCモニターであったMonitor HLの印象が強かっただけに、
つづくMonitor ML、HL Compactの音に、惹かれることはなかった。

そんな私が、HL Compact 7ES-3の音には惹かれる。

ヘーゲルはノルウェー、ボウ・テクノロジーはデンマーク、
北欧の国のペアで鳴らすHL Compact 7ES-3からは、新鮮で、格別な音が聴けそうな気がする。

どちらもパネルフェイスは、大きな、ふたつのツマミが特徴的だけに、
並べて置いても、面白いだろう。
ハーベスのHL Compact 7ES-3に組み合せるアンプは、ユニゾンリサーチのP40かP70と、
私の心の中では決っている。

今日まで悩んできたのは、CDプレーヤーに、何を持ってくるかである。

妄想組合せとはいえ、価格のバランスを極端に無視したものは選びたくない。
それから実際に設置したときの見た目のバランス、雰囲気も疎かにはできない。
現行製品の中から選ぶのは、当然のことだ。

EMTの986とかリンのCDプレーヤーなどが候補として頭に浮かんだが、ピンとこない、私の中でしっくりとこない。

実は、第一候補は別にあった。コードのCODAとQBD76のペアなのだが、価格的にバランスしない。

なぜだか、QBD76がぴったりだという確信があって、これだけははずしたくない。
CODAを、他のモノと取り換えるとしたら......、ひとつあった、ワディアの170 iTransportがあった。
iPodと170 iTransportにすれば、組合せのトータル価格をぐんと抑えられる。

心の中で、なにかがぴたっと収まった気がして、すっきりしている。
それに、この組合せ、かなりいいのではないか、と自負している。
石清水を入力したのに、出てきたのは濁水だった......。
そこまでひどいアンプは、当り前だが存在しない。

でも石清水の味わいが失われて、蒸留水に近くなったり、
蒸留水に、ほんのわずかだが何かが加わって出てくる。
そういう精妙な味わいの変化は、アンプの中で起こっている。

完全な理想のアンプが存在しない以上、
アンプの開発者は、なにかを優先する。

ある開発者は、できるだけアンプ内で失われるものをなくそうとするだろう、
また別の開発者は、不要な色づけをなくそうとするだろう。

もちろん、その両方がひじょうに高いレベルで両立できれば、それで済む。
現実には、特にマーク・レヴィンソンがLNP2に取り組んでいたころは、
失われるものを減らすのか、それとも色づけをなくしていくのか、
どちらを優先するかで、つねに揺れ動いていても不思議ではない。

ふたつのLNP2を聴いて、私が感じていたのは、そのことだった。

バウエン製モジュールのLNP2は、失われるものが増えても、色づけを抑えたい、
マークレビンソン製のモジュールのLNP2Lは、できるだけ失われるものを減らしていく、
そういう方向の違いがあるように感じたのだった。

LNP2Lは失われるものが10あれば、足されるものも10ある。
LNP2は足されるものは5くらいだが、失われるものは15ぐらい、
少し乱暴な例えではあるが、わかりやすく言えば、こうなる。

水の話をしてきたから、ミネラルウォーターに例えると、
LNP2Lは硬水、LNP2はやや軟水か。水の温度も、LNP2Lのほうがやや低い。

これは、どちらのLNP2が、アンプとして優れているかではなく、
オーディオ機器を通して、音楽を聴く、聴き手の姿勢の違いである。

音楽と聴き手の間に、オーディオ機器が存在(介在)する。
その存在を積極的に認めるか、できるだけ音楽の後ろに回ってほしいと願うのか、
そういう違いではないだろうか、どちらのLNP2を採るか、というのは。

そして、LNP2Lを通して足されるものに、黒田先生は、
マーク・レヴィンソンの過剰な自意識を感じとられたのではないのか。

足されるものは、聴き手によって、演出になることもあるし、邪魔なものになる。

瀬川先生は、LNP2Lによって足されるものを、積極的に評価されていたのだろう。
だからこそ、アンプをひとつ余計に通るにも関わらず、バッファーアンプを搭載することに、
積極的な美(魅力)を感じとられた、と思っている。

だからML7Lが登場したとき、
黒田先生は、積極的に認められ導入されている。
瀬川先生は、ML7Lの良さは十分認めながらも、音楽を聴いて感じるワクワクドキドキが薄れている、
そんなことを書かれていたのを思い出す。

JBLの2405とピラミッドのT1Hの試聴記も思い出してほしい。
分割振動が起きる周波数をできるだけ高いほうに移動させ、
ピストニックモーションの領域の拡大、より精確な動きを実現、
さらに4ウェイにして、それぞれのスピーカーユニットの、優れている領域のみを使う。

そうすることで浮かび上がってきたのが、エンクロージュアの鳴きだった。
箱鳴りである。

響きのいい素材でエンクロージュアをつくろうと、板厚を増し補強桟をさらに入れ、強度を高めようと、
スピーカーユニットがピストニックモーションなのに対して、
エンクロージュアの鳴きは、ピストニックモーションで振動することは、まずない。

このふたつの響きは、性質の異るものである。
だからこそスピーカーユニットの性能が高くなればなるほど、異質の鳴りだけに、
エンクロージュアの鳴きが、以前よりも耳につくようになってきた。そう言えないだろうか。

ならば、どうするか。
エンクロージュアを、というよりも、エンクロージュアを構成するそれぞれの面──
左右の側板、天板、裏板などをピストニックモーションで振動するような構造にすればいい。

少なくとも、面積の大きい左右の側板だけでも、そういう構造にするだけで、効果はかなり期待できるような気がする。

具体的にどうするか、2つほど考えている。
ただ作るのがどうやって面倒なので、もうすこし簡略化できる構造を考えつくまでは、
手がける気が起きない。
雑共振、不要輻射をひとつひとつできるだけ抑えていく。
その結果、確かに聴感上のSN比は、少しずつ確実に高くなっていく。

けれど、同時に、世の中に存在する、すべての物質には固有音がつきまとう。
どんなに高剛性で内部音速が速い素材であろうが、固有音から逃れることは出来ない。

その固有音が、いままで雑共振や不要輻射にマスキングされていたのだろうか、
ダイヤトーンでいえば DS5000の6年後に登場したDS-V9000は、より徹底した高SN比を実現したためであろう、
特にドーム型振動板に採用されたB4Cの固有の音が、際立って聴こえる。

これはビクターのZero-L10にもいえる。
やはりDS5000より3年後に登場した分だけ、DS5000よりも、高SN比化の手法が随所に見られる。
そして、その分だけ、やはりドーム型振動板のセラミック特有の音が、際立つようになった、と私は受けとめている。

いま思うと、DS5000は、なかなかバランスのとれたスピーカーだったのかもしれない。

そういえば、早瀬さんが、昔、吉祥寺に住んでいたときのスピーカーがDS5000だった。
意外に小さめな音量で鳴っていたように記憶している。
しかも、そういう音量でも、音が痩せるということはなく、余裕があって、静かに鳴っていた。
「人間の死にざま」(新潮社)に所収されている「音と悪妻」で、

このところ実は今迄のマッキントッシュMC275の他に、関西のカンノ製作所の特製になる300B-M管一本を使ったメイン・アンプを併用している。これは出力わずか8ワットという代物である。さすがに低域はマッキンの豊饒さに及ばぬが、だが、何という高音の美しさ、音像の鮮明さ、ハーモニイの味の良さ......昔の愛好家がこの真空管に随喜したのもことわり哉と、私は感懐を新たにし、マッキンよりも近頃は8ワットのカンノ・アンプで聴く機会が多い。

と書かれ、組み合わされているコントロールアンプについて、「ベートーヴェンと雷」のなかで、
マークレビンソンのJC2だとされている。

念のため、関西の、と書かれているが、正しくは、小倉の、である。

カンノ・アンプをお使いだったことは、以前から知っていた。
コントロールアンプはマッキントッシュのC22かマランツの#7のどちらかで、おそらく#7かな、と思っていただけに、
JC2の文字を見た時は、驚きよりもうれしさのほうが大きかった。

実は、私もJC2を使っていたからだ。

1987年だったか、とある輸入商社の方にお願いして、アメリカから取り寄せてもらった。
しかもジョン・カールによってアップグレードされたJC2だった。
しかもJC1が搭載されているものだった(「人間の死にざま」を手に入れたのは2000年ごろ)。

ツマミは、初期の、細くて長いタイプ。
見た目のバランスは、途中から変更になった、径が太くなり、短くなったツマミの方がいいのはわかっているけど、
JC2の、あの時代のアンプの中で、ひときわとんがっていた音にぴったりなのは、やっぱり細いツマミだからだ。

五味先生のJC2がどちらなのかは、写真で見たわけではないのでわからない。
けれど、きっと初期のモノだと、確信している。
文藝春秋 2月号を読んだ。

五味先生が最期に聴かれたレコードは、バックハウスのベートーヴェンの作品111、とある。

五味先生の追悼記事が載ったステレオサウンド 55号の編集後記に、原田氏は、
「最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの111番だった」と書かれている。

新潮社から出た「音楽巡礼」に、五味先生と親しくお付き合いされていた南口氏も、
ケンプのベートーヴェンがお好きだった、と書かれていたので、
今日までずっとケンプのベートーヴェンを最期に聴かれたものだと思ってきた。

ケンプは病室で最期に聴かれたのかもしれない、バックハウスは通夜でかけられたものかもしれない。

まぁ、でも、どちらでもいいような気持ちも、正直にいえば、ある。
ケンプのベートーヴェンも、バックハウスのベートーヴェンも、代わりなんて思い浮かばない。
音楽とは、本来そういうものだということを想い起こさせてくれる。

どちらにも、自恃がはっきりとある。
いま書店に並んでいる「文藝春秋」2月号に、
ステレオサウンドの原田 勲会長が、
「五味康祐先生のオーディオ」というタイトルで、コラムを書かれている。

実は、いましがた、傅さんからいただいメールで知ったばかりなので、未読。
こんな時間に開いている書店が近所にあれば、すぐに買いに走るところなのに......。

「オーディオ巡礼」復刻版の巻末には、原田氏の「五味先生を偲んで」が所収されている。
岡先生は、バウエン製もジュールのLNP2を購入されたあとに、
マークレビンソン自社製モジュールのLNP2との比較も行なわれたうえで、
バウエン製モジュールのLNP2を、高く評価されていた。

瀬川先生は、バウエン製モジュールのLNP2は聴かれていないはず。
もし聴かれていたとしても、自社製モジュールのLNP2をとられたであろう。

なぜそうなるのか。

おふたりの、オーディオを通しての、音楽の聴き方の違いから、であろう。

70年代のステレオサウンドの別冊で、
岡先生、瀬川先生、黒田先生の鼎談が掲載されている。
読んでいただければわかるが、岡先生と黒田先生の意見に対し、
瀬川先生の意見が、まるっきりかみ合わない。
これはレコード音楽の聴き方の相違から生れてくるもので、
相手を理解していないからでは、決してない。だから、ひじょうに面白い鼎談になっている。

この時期(70年代後半)に、黒田先生が、2つのLNP2を聴かれたら、
おそらく岡先生と同じようにバウエン製モジュールのほうを選ばれたかもしれない。

1980年にML7Lが登場したときに、黒田先生がステレオサウンドに書かれた文章に、興味深いことが出てくる。

ML7L以前のマークレビンソンのアンプには、己の姿を鏡に写して、それに見とれているような、
そんな印象を受けていた。ML7Lには、そういうところがなくなっている。
そんな意味合いのことだった。

黒田先生が言われる、ML7L以前のアンプは、LNP2とJC2 (ML1L) のことであり、
LNP2は、自社製モジュールの搭載のもの。

黒田先生は、世紀末はナルシシズムの時代とも書かれていた。
"straight wire with gain" を目指したアンプは、味も風味もない、素っ気無い音の代名詞のようにいわれた時期があった。
蒸留水のような音、とも言われていた。

この「蒸留水のような」という表現は、あきらかに誤解を生み易い。
たしかに蒸留水は、味気のない水で、ちっともおいしくはない。

けれど、もう一度、"straight wire with gain" をきっちりと捉えなおしてほしい。

もし完璧な "straight wire with gain" といえるアンプが存在していたとしよう。
このアンプに蒸留水を入力すれば、出力には蒸留水のまま、水量だけが変化して出てくる。
清冽な石清水を入れたら、やはり水量だけ変化して石清水が、成分はまったく変化せずに、
濁水ならば、浄水されることなく、そのまま濁水で出てくる。

石清水を入れても濁水でも、出てくるのが蒸留水であるのなら、
それはフィルターを通した水(音)であり、この手のアンプは、断じて "straight wire with gain" ではない。

蒸留水イコール無色透明なわけではない。

これから先、どんなに技術が進歩しようと、少なくとも私が生きている間には、
"straight wire with gain" を実現できるアンプは現われはしないだろう。

2台のLNP2(岡先生のLNP2とステレオサウンド常備のLNP2L)は、
内部のモジュールが違い、外部電源の仕様もまったく違う。
そのモジュールも、設計者が同じならばまだしも、かたやリチャード・S・バウエン、
もう片方はジョン・カールと、これもまた違う。
つまりまったく別物のアンプと捉えるべきだ。なのに外観がまったく同じ。
こんな例はおそらくLNP2が初めてだろうし、最後だろう。

どちらのLNP2を良しとするかは、聴き手次第であり、私は、迷うことなくLNP2Lをとる。
五味先生の「オーディオ巡礼」が復刻される。
1月24日、ステレオサウンドから発売になる。

実は「オーディオ巡礼が」が復刻されることは、1年前に、ステレオサウンドの原田会長から聞いていた。

2月2日、瀬川先生の墓参に行く車の中で、五味先生の話になったとき、
「五味さんの命日の4月1日に、オーディオ巡礼を復刻したいんだ」と話された。

五味先生の文章に心打たれ、ときに涙して、音楽とオーディオにのめり込んでいった者は、
どんなに時が経とうと、忘れることは絶対にない。

字面だけを読んできた者には、理解できないことだろう。
1970年代の半ばごろか後半か、アメリカのオーディオジャーナリストのジュリアン・ハーシュが、
理想のアンプの条件として、"straight wire with gain(増幅度をもったワイヤー)" と定義した。

いまではあまり見かけなくなり語られなくなったようだが、一時期はよく引き合いに出されていた。

ジュリアン・ハーシュが、どこからインスピレーションを得て、この言葉を思いついたのかは不明だが、
LNP2や、さらにシンプルな機能のJC2の登場が、多少は関係しているように思われる。

この "straight wire with gain" といっしょに語られていたのが、アンプの理想を蒸留水とした例えである。
「遅れてきたガレージメーカー」と、私は、真空管アンプの新興メーカーのことを、こっそりと、そう呼んでいる。

マークレビンソンに代表されるガレージメーカーは、トランジスターによるアンプで、
規模は小さいながらも、少なくとも日本に輸入されたものは、それなりの完成度だった。

繰り返し書いているが、新興ブランドの真空管アンプは完成度が低い、と言わざるを得ない。

真空管をトランジスターのように扱っているから、と説明してくれた人もいるが、
そうだとしても、先に登場したガレージメーカーのトランジスターアンプよりもお粗末だ。

トランジスターアンプのガレージメーカーの技術者が、NASAや軍事関係のメーカーから、だとしたら、
「遅れてきたガレージメーカー」の人たちは、どういうキャリアなのか。

趣味でアンプを自作してきた人たちなのだろうか......。
別冊FM fanに瀬川先生が、マーク・レヴィンソンは、このまま、どこまでも音の純度を追求していくと、
狂ってしまうのではないか、という主旨のことを書かれていた。
実際には狂うことなく、むしろ経営者として面が強くなっていったようにも、私個人は感じているが......。

LNP2が出たころ、マーク・レヴィンソンはアンプの技術者でもあり、
LNP2の新モジュールは、当初はレヴィンソンの設計によるものだと言われていたし、
ほとんどの人がそう信じていた。もちろん私も信じ切っていた。

1984年にMLAS (Mark Levinson Audio Systems) を離れCelloを興したころ、
レヴィンソン自身が、「アンプの技術者ではなかった」と語っている。

彼がほんとうにアンプの技術者だったら、瀬川先生の心配が現実になったかもしれない。

ときどきバウエン製モジュール(UM201)と
マークレビンソン自社製モジュールLD2の音の違いについて聞かれることがある。

どちらが良いのか、どんな違いなのか......と。

バウエン製モジュールのLNP2は数が極端に少ないため、実際に聴いた人は少ないようだし、
私もステレオサウンドにいたから、幸運にも試聴の機会にめぐまれた。

岡先生所有のLNP2と、ステレオサウンド試聴室で使っていたLNP2Lとの比較である。
LNP2もJC2も外部電源になっている。
言うまでもなく、電源トランスからの漏洩フラックス、振動の影響を避け、SN比をできるかぎり高めるためである。
電源部が外部にあることで、アンプ内部のコンストラクションの自由度も増す。

ただメリットばかりではなく、デメリットもある。
最も問題なのは、電源部とアンプ本体を接ぐケーブルには、必ずインダクタンスが存在すること。

ケーブルが長ければ長いほどインダクタンスも大きくなり、外部電源の出力時には低かったインピーダンスも、
ケーブルを伝わってアンプに供給されるときには、高域のインピーダンスが上昇する。

これを防ぐには、極端にケーブルを短くすればいいが、これでは実用性がない。
もうひとつは、アンプ本体のコネクター部からNFBをかけれる手法だ。

型番がついた外部電源、PLS150ではまだ採用されていなかったが、
次のPLS153からはこの手法により、インピーダンスの上昇を抑えている。
そのためコネクターのピン数が増えている。

つまり外部電源とアンプ本体を接ぐケーブルがNFBループ内に含まれるため、
このケーブルを好き勝手に、他のケーブルと交換するのはやめたほうがいい。
雑共振を抑えるだけでなく、不要輻射も抑えることで聴感上のSN比は、確実に向上していく。

振動板から出るより先に、スピーカーのフレームから音が出ることは以前書いたとおりだ。
フレームの表面処理も重要になってくるし、フレームをフロントバッフルに固定しているネジにも言える。
ダイヤトーンのDS10000、DS9Zのネジの頭にゴム製のキャップをかぶせていた。
ネジの頭の凹みから不要輻射を抑えるためである。このキャップにも、DIATONEの文字が入っていた。

ラウンドバッフルの採用も、不要輻射を抑えるためで、
DS5000は曲線ではないけれど、両サイドを斜めにカットすることで、鋭角な箇所をなくしている。

4343も、後継機の4344、4344 MkIIも、フロントバッフルはすこし奥に付いている。
その分、直角のコーナーが増えることになり、不要輻射の箇所も増しているわけだ。

4348が、音響レンズの採用をやめたのも、フロントバッフルも引っ込ませていないのも、
聴感上のSN比向上のためであろうし、実際に早瀬さんのところで4343Bと直接比較した際にも、
はっきりと、そのことが確認できたし、
おそらく今後JBLは音響レンズ付きのモデルを開発することはないであろう。

ダイヤトーンのスピーカーは、DS5000までは、フロントバッフルにレベルコントロールがついていたが、
その後に出た機種、DS1000から、レベルコントロールそのものがなくなってしまう。

レベルコントロールを廃したことに賛否あったが、これも不要輻射をなくすための手法である。
レベルコントロールのツマミも、そのまわりのパネル部分も雑共振と不要輻射の元である。
聴感上のSN比を高めるために、井上先生が4343に施されたことを一言で表せば、雑共振を抑えることである。

このことはダイヤトーンのDS5000やビクターのZero-L10を仔細に見ていけば、納得されるだろう。
ひとつひとつ具体例をあげていこうと思ったが、そうすると、この項がいつまでも終らないので省かせていただく。

それでもいくつかあげれば、吸音材はどちらもウール100%の天然素材だし、
エンクロージュアのどの部分を叩いてみても、雑共振を感じさせるところはない。
Zero-L10はドーム型振動板の保護用の金属網を着脱できるようになっていた。
ダイヤトーンもDS5000ではないが、DS1000あたりから鉄と銅の異種金属を使い、
少しでも影響を少なくしようとしていた。

異論もあるだろうが、スピーカーユニットの分割振動も、ある種の雑共振といえるだろう。

国内メーカーが、スピーカーの振動板に高剛性の素材を使いはじめたころから、
聴感上のSN比の向上が始まっていた、といえるし、
ピストニックモーションの追求は、SN比の追求でもあった。
1970年代は、ガレージメーカーと呼ばれる規模のアンプメーカーが、いくつもアメリカで誕生している。
1972年にLNP2を送りだしたマークレビンソンがそうだし、AGI、SAE、GAS、DBシステムズ、
ジェニングスリサーチ、スレッショルド、ダンラップクラーク、アナログエンジニアリングなどだ。
これらのブランドは日本に輸入されたもので、
輸入されなかったブランドは、もっと多く誕生し消えていったのだろう。

なぜこれほど多くのブランドが誕生したのかは、アポロ計画の終焉によるNASAの規模縮小や、
ベトナム戦争からの撤退による関連企業から優秀な技術者の流出が理由だと言われている。

それにこの時代は、信頼性、精度が高く、性能も優れているパーツが数多く開発されたことだろう。
そして、これらのパーツも、70年代に入り、
一般市場において容易に入手できるようになったのではないかと思っている。

LNP2が登場したころから、MILスペック(軍規格)のパーツを使用した、と謳うアンプが増えている。

真空管アンプの新興メーカーの登場は、数年後である。
ステレオサウンド 38号に掲載されている山中先生のリスニングルームには、
マランツの#7、ハドレーのModel 621、GASのテァドラがメインのコントロールアンプとして、
クワドエイトのLM6200R、JBLのSG520、マッキントッシュのC22とC28、
マランツの#1 (×2) +#6がサブのコントロールアンプとして、ラックに収められている。

プレーヤーにはEMTの930st、オープンリールデッキにアンペックスのModel 300を使われることからもわかるように、
山中先生は、プロ用機器、コンシューマー機器というカテゴリーにとらわれることなく、
優れた、魅力あるオーディオ機器ならば、コレクションに加えられ、使いこなされていた。

そういう方だから、1974年にシュリロ貿易がサンプルとして入荷したLNP2を、
「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない......」と
酷評されたのは、むしろ当然だろう。

どこをそう感じられたのか。

テープ入出力端子とメインの出力端子のRCAジャックと並列に接いだだけのXLR端子がそうだろう。
LM6200が600Ωのバランス対応なのに、
LNP2は、ハイインピーダンス受けのアンバランス入力とローインピーダンスのアンバランス出力、
当時のプロ用機器で常識だったインピーダンス・マッチングには、何の配慮もない。

レヴィンソン自身が、市場に、自身が満足できるクォリティのミキサーが存在しないために作ったというのは、
75年から輸入元になったR.F.エンタープライゼスの謳い文句だが、
LNP2のブロックダイアグラムを見て、ミキサーから生れたコントロールアンプと言えるだろうか。

LNP2の型番からわかるように、LNP1というモデルが存在する。
このLNP1が、レヴィンソンによるミキサーだが、ブロックダイアグラムなどの資料がまったくないため、
詳細は不明。LM6200のようにバランス対応だったのか、それともアンバランスだったかも不明だ。

LNP2のインプットレベルヴォリュームとインプットアンプのゲイン切換えに、
ミキサー的と言えなくもないが、やはり中途半端なままだ。

ライン入力でも、接続する機器によって信号レベルが異る場合がある。
さらにフォノイコライザーアンプの信号レベルは、組み合せるカートリッジ、
それがMC型ならば、ヘッドアンプのゲインや昇圧トランスの昇圧比によって、
ライン入力とかなりレベル差が生じることもある。

プロ用機器として、ミキサーとして、本来開発されたものであるならば、
例えばリアパネルの各入力(フォノ入力は除く)端子に、
それぞれ独立した、しかも左右独立のレベルコントロールを設け、
入力信号を切り換えても、再生レベルが変化することがないように調整できるようにしておくべきだ。
プロの録音現場で使われていたLM6200を、もう一度見てほしい。

もちろん、コンシューマー用コントロールアンプには、こういうことは私だって求めない。
だがプロ用機器となると話は別だ。

それから外部電源という形態もそうだろう。
SN比を高めるための手段とはいえ、それはコンシューマー機器で許されることであって、
プロ用機器では、こんなことは、まずあり得ない。

つけ加えておく。
LNP2に対し厳しいことを書いているけれど、LNP2にずっと憧れてきたし、
いまでも、一度は自分のモノとして使いたい、と心のどこかで思ってもいる。

LNP2とほぼ同時期に、アメリカのQUADEIGHT(クワドエイト)からLM6200Rというコントロールアンプが出ていた。


LM6200は、ポータブル用ミキサーで、6チャンネルの入力、それぞれにレベルコントロールをもつ。

末尾にRのつくモデルは、1、2チャンネルにRIAAイコライザーカードを搭載したモデルである。

LM6200Rだと、ライン入力はのこり4チャンネル、つまり左右で2チャンネル必要だから、ライン入力は2系統となる。


LM6200Rと便宜上呼んでいるが、正確にはミキサー部がLM6200であり、VUメーター部はVU6200で、

独立した筐体をトランクケースにラックマウントしている。

ライン入力がさらに必要な場合には、LM6200を足すことで対応できる。


入出力はXLR端子を使い、プロ用機器という性格上、すべてバランス対応なのは言うまでもない。


質実剛健なつくりのプロ用機器として、LM6200Rは、岩崎先生が愛用されていたし、

山中先生も所有されていた。

LNP2のブロックダイアグラムは、多くのコントロールアンプの構成とは、やや異る。
オプションのバッファーアンプを装備しない標準状態では、
カートリッジの信号は、フォノプリアンプ、インプットアンプ、アウトプットアンプを通る。
AUX、チューナーなどのライン入力は、インプットアンプ、アウトプットアンプを、
テープ関係の信号は、ライン入力と同じだが、
テープセレクタースイッチを使えば、インプットアンプをパスでき、アウトプットアンプのみを通って出力される。

リアパネルには、テープ入出力とメイン出力端子は、XLRコネクターが併設されているが、
パランス入出力ではなく、いずれもアンバランス入出力である。

LNP2はメイン(アウトプット)ヴォリュームの他に、
インプットアンプの前にインプットレベルヴォリュームが左右独立で設けられ、
さらにインプットアンプのNFB量を切り換えることで、この段のゲインを調整できる。

VUメーターに表示されるのは、このインプットアンプの出力レベルである。

ここのゲインとインプットレベルヴォリュームの設定が、
組み合わせるパワーアンプの感度やスピーカーの能率によっては、意外に神経質な面をのぞかせることもある。

初期のLNP2はゲイン切換えが0〜+20dBまでだったのが、末尾にLがつくタイプからは、+40dBとなり、
ゲイン切換えにともなう、つまりNFB量の変化によって音の抑揚や音場感も変ってくる。

メインヴォリュームは、トーンコントロールの役割ももつアウトプットアンプの前にある。
最初に手にしたステレオサウンドは、1976年の12月に出た、
JBLの4343が表紙の41号で、中学2年の時だった。

この号の特集は、「コンポーネントステレオ──世界の一流品」というタイトルで、
いくつものオーディオ機器が紹介されている。

JBLの4343、4350、マークレビンソンのLNP2とJC2、SAEのMark 2500、ヴァイタヴォックスのCN191、
EMTの930stなどなど、このまま思いつくまま挙げていけば、それだけでかなりの分量になるくらい、
何が紹介されていたか、どんなことが書かれていたかは、かなりはっきりと憶えている。

41号と同時に発売されていた別冊の「コンポーネントの世界」との2冊で、
一気にオーディオにのめり込んでいく。

とはいえ中学2年、まだ13歳。アルバイトはまだ禁止されていたし、
中学校の英語教師の息子がもらえるこづかいは、まぁ、そのぐらいだった。

それなのに、4343がいつか買えると思っていたというよりも信じていたし、
LNP2にしても930stだって、そうだ。そう遠くないうちに手に入れられる──、
そんな夢みたいなことを、何の根拠も計画もなしに思っていたのが、いま思い返してみても不思議である。

なぜなんだろう、といまでも思う。

あのころのステレオサウンドに載っていた文章、つまりオーディオ評論には、
いまのオーディオ評論には、ほとんどなくなってしまったものかあったのか。
そうだとしたら、それは何だったのだろうか。

それとも私が歳をとって感じとれなくなりつつあるとしたら、それはいったい何なのか。

はっきりとは感じとれなくても、すべての文章にはなくても、
あのころのステレオサウンドで読んだオーディオ評論には、あきらかに「希望」があった。

この希望の存在が、単なる憧れだけでは終らせなかった。いまは、はっきりとそう思う。
1980年(だったと思う)のFM fanに、傅さんによる菅野先生と瀬川先生の記事が載っていた。
菅野先生のページには瀬川先生の、瀬川先生のページには菅野先生の、それぞれの囲み記事があり、
真に親しい間柄だからこそ出来る、軽い暴露的な話が載っていた。

瀬川先生は、「JBLの375とハチの巣は、菅野さんよりもぼくのほうが早く使いはじめた」と、
菅野先生は「彼は白髪を染めている」と書いてあったのを思い出す。

今日、1月10日は瀬川先生の生日だ。存命ならば74歳。
髪は真っ白になられていただろうか。
どんなふうになられていただろうか......。74歳の瀬川先生の風貌を想像するのはなかなか難しい。

つまり、それだけの時間が経っていること。
今年は、それをいつもよりも実感している。

あと20日もしないうちに、私も46歳になる。
瀬川先生と同じ歳になるからだ。
LNP2用のモジュールの設計には、ひとつの大きな制約があった。消費電力である。

LNP2には片チャンネル当り6つの信号用モジュールとVUメーター駆動用モジュールが1つ、
左右両チャンネルで8つのモジュールを搭載している。
さらに、バッファーアンプ用にモジュールを追加できるように、最初からそうなっている。

瀬川先生は、信号が通過するアンプモジュールは増えることになるが、
バッファーアンプを追加したほうが、音の表情の幅と深さが増すと書かれていた。
実際、瀬川先生が愛用されていたLNP2は、バッファー用とモジュールが追加されていたし、
ステレオサウンドに常備されていたLNP2も、そうだった。

1977年に、入出力コネクターが、一般的なRCAジャックからCAMAC規格のLEMOコネクターに変更されたとき、
外付け電源も大きく変更され、電源にもPLS150という型番がつけられるようになった。
それまでは、そんなに立派な仕様ではなく、汎用性といった感じのモノが付いていた。

もともとの付属電源の容量が、実はそれほど余裕があるわけでなく、
しかもLNP2は最大10個のモジュールを搭載する。
OPアンプ中心の回路構成で消費電力も低かったバウエン製モジュールでは、
それでも問題は生じなかった。

けれど、74年に登場した、ジョン・カール設計のJC2搭載のモジュールを、
そのままLNP2には消費電力の面で、搭載は無理だった。

ディスクリート構成のモジュールを、
OPアンプ中心のバウエン製モジュールと変わらぬ消費電力で実現しなければならない。
このことに、苦労させられたと、ジョン・カールは語ってくれた。

そのことを裏づけるかのように、JC2のモジュールには、Class Aという表記がある。
LNP2のモジュールには、そういう表記はない。
1972年に、アメリカでLNP2は誕生している。バウエン製モジュール搭載のLNP2である。

アンプ・モジュールはエポキシ樹脂で固められているので、中身がどうなっているのかは、
回路構成を含めて、当時は一切わからなかった。

ステレオサウンドにいたとき、ジョン・カールにインタビューしたことがある。
80年代にはいりディネッセンのJC80を出し、
その数年後の、ヴェンデッタ・リサーチからSCP1を発表したばかりのころだ。

このときバウエン製モジュールについて、すこしだけ教えてくれた。
回路の中心はOPアンプで、性能向上のため、いくつかのパーツが使われている、とのことだった。
おそらくOPの前段にFETによる差動回路の追加か、
出力にバッファーアンプを設けたのか、もしくはその両方か。

マーク・レヴィンソンは、バウエン製モジュールにOPアンプが使われていることが、大きな不満だったらしい。
そのためだろうか、性能も音質に関しても、完全には満足しておらず、
そのためジョン・カールに、バウエン製モジュールと互換性があり、
より高性能で高音質の、自社製モジュールの設計を依頼した、とのことである。
アンプは何も複雑な回路構成のものでなくてもいい。
アナログディスク全盛の時には、FET1石のゼロバイアスのヘッドアンプの自作記事がよく載っていた。
私も作ったことがある。電源は006P角形9V乾電池でいい。コンデンサー、抵抗の使用も僅かだ。
配線さえ間違えなければ、調整箇所もない。

ゼロバイアス・ヘッドアンプの音が優れているかどうかはおいておくが、
こんなアンプでも、プリント基板の音の違いははっきりと出す。

アンプをつくるのが面倒な人は、ガラスエポキシ基板とベークライト基板だけを買ってきて、
親指と人さし指で基板をはさみ、指で弾いた音を聞いてほしい。

テフロン基板単体を手にしたことはないので、弾いたことはないけれど、
ガラスエポキシともベークライトとも違う音なのは確かだ。

プリント基板は、トランジスター、FET、OPアンプ、真空管などの能動素子、
コンデンサー、抵抗、半固定抵抗などの受動素子を支えるベース(基板)である。

こんなことがあったのを思い出す。
DATが登場したときのことだ。ステレオサウンドの試聴室で、各社のDATデッキ、テープの試聴が終った後、
「振ってみろ」と言いながら、井上先生が、使用テープをこちらに渡された。

親指と人さし指ではさみ数回振ってみる。無音ではない。テープ機構の音がする。
カチャカチャという音、カシャカシャという感じに近い音、ガチャガチャと濁る音......、
まったく同じ音がするものはひとつもなかった。

「いましがた聴いた音と、いまのその音、似てるだろう」とも言われた。
そのとおりなのだ。

そのテープにはデジタルで記録される。にも関わらず、アナログ的な要素が音と関係してくる。
スピーカーの聴感上のSN比には、ネットワークの処理も、もちろん大きく関係してくる。

回路が同じ、コンデンサー、コイル、抵抗などの使用パーツも同じでも、
個々のパーツの配置や取りつけ方法が異れば、音は変るし、聴感上のSN比も良くなれば悪くなることもある。

私がステレオサウンドにいた頃のスピーカーは、海外製品でネットワークの構成に、
プリント基板を使っていないものは、ほとんどなかった。
一方国産スピーカーは、いわゆる598のスピーカー(スピーカー1本の価格が59800円のもの)でも、
ネットワークにプリント基板を使ったものは見たことがない。
たいていが木のベースにパーツを固定して、パーツのリード線同士をハンダ付けもしくは圧着している。

エンクロージュア内部の音圧は高い。ネットワークは振動に取り囲まれている。

プリント基板の採用は絶対悪だと言いたいわけではない。
ただ細心の注意が求められる。
ネットワークの設置場所は、エンクロージュア内のどこなのか。またプリント基板の向きはどうなのか。
こんなことでも、聴感上のSN比には影響する。
プリント基板の材質も、もちろん影響する。

スピーカーのネットワークだけでなく、アンプ、CDプレーヤーの大半に使われているのは、
ガラスエポキシ基板である。

20年ほど前に、マークレビンソンが、No.26Lのプリント基板を、
ガラスエポキシからテフロン製のものに交換したNo.26SLを出し、その音の違いが話題になった。
プリント基板が異るだけで、回路もその他の使用パーツはまったく同一なのに、
大きく音が変化したからだ。

このときテフロン基板の電気的特性の良さが注目されたが、理由はこれだけだろうか。

アンプの自作経験がある方のなかには、
プリント基板の材質によって音が違うのは経験されているだろう。
テフロン基板なんてものは入手が容易でないため比較対象に入らなかったが、
少なくともベークライト基板とガラスエポキシ基板の音を較べると、
電気的特性、信頼性ではガラスエポキシが基板が上だし、価格も高いが、
こと音に関しては、ガラスエポキシ基板がいいとは言い切れない。
話は遡って、2002年1月に、あるCDを購入した。

「これは絶対素晴らしい、素敵なCDだ。」と封を切りながら、期待を、これ以上ないというぐらいに、
思いっきりふくらませて聴いた。

こんな聴き方はおすすめしないし、碌なことはない。ほどほどの期待ぐらいでとめておいたほうがいい。

聴いて思っていた、
「もし菅野先生と川崎先生の対談が実現できたら、このCDをかけていただこう」。
聴いていたのは、ポータブルCDプレーヤーで、だった。

実現できるどうかもわからなかった時期に、こんなことを思わせる、妄想させるディスクと出合えたということは、
予感だったのかもしれない、と7月4日に気がついた。
川崎先生に、菅野先生との対談をお願いしたのが、6月1日、
対談の日取りが決ったのが、6月14日。
それから7月4日まで、なんと待ち遠しかったことか。

大人になると、1年があっという間に過ぎ去ってしまう、そんなふうに私も感じていた。
でも、6月14から7月4日までの20日間は長かった。
待ち遠しい日があると、子供の時のように、時間が経つのが遅く感じられる。

心をワクワクドキドキさせて待つ日が、年に数回あれば、
意外に1年は長く感じられるものかもしれない。

しかも7月1日には、川崎先生が表紙のAXIS誌が出た。
エンクロージュアの仕上げで、スピーカーの音は変る。
ツキ板と塗装の違いもなあるし、
塗装にしても、一回だけの塗装と2回、3回と重ね塗りしたものも違うし、
一般的なウレタン塗装と、ダイヤトーンがDS10000で採用した漆黒塗装でも、大きな違いがある。

エンクロージュア表面の仕上げが音に影響することは、具体例を細かく挙げなくても周知のことだろう。

エンクロージュアの表面は、なにも表から見えているだけではなく、
エンクロージュア内部から見れば、内側もまた表面である。

外側の表面を丁寧に仕上げているスピーカーでも、エンクロージュア内部、
内側の表面を仕上げているものは、おそらくほとんど存在しないだろう。

けれど、エンクロージュア内部の音は、吸音材の違いが音となって表われるように、封じ込められるものではない。

手間もお金もかかるのはわかっている──。
聴感上のSN比をさらに高めるためには、内側の表面も仕上げたほうがいい。
初対面の方に、なにか依頼するとき、人は「ことわられたら、どうしよう......」と大抵は思うだろう。

私は「引き受けてくださったら、どうしよう......」と、反対のことを思っていた。
なぜそう思っていたのか、もう少ししたら書こう。

川崎先生は、引き受けてくださった。

五反田の会場からの帰り途、今回は2年前と違い、荻窪まで歩く必要はなかった。
でも、やっと実現できるという喜びから、てくてく恵比寿駅まで歩いていた。
聴感上のSN比に関係するものとして、エンクロージュア内部の吸音材もあげられる。

ダイヤトーンのDS5000は、SN比の劣化を嫌い、グラスウールではなく100%のウールを採用している。
ビクターのZero-L10もそうだ。

グラウスウールは工業製品で、繊維の一本一本がほぼ同じ太さで同じ長さ。
つまりグラスウールが立てる音、いいかえれば雑音はある帯域に集中する。
帯域が分散してれば、それぞれのレベルも低く、それほど聴感上のSN比を劣化させないが、
なまじ均一なものをつくるのが得意な日本製だと、それが裏目に出てしまう。

4343当時のアメリカのグラスウールは、日本製ほど繊維の太さも長さもそれほど揃っていない。
工業製品としては、出来が悪いということになるのだが、このことがかえって聴感上のSN比を、
国産グラスウールほどは劣化させなかった。

グラスウールを押しつぶしたときの音を聴いてみるとわかる。
その音がエンクロージュア内で発生しているのだ。
ステレオサウンド 63号の記事で井上先生がやられていることは、
4343の聴感上のSN比を高めることである。

そのために音響レンズ2308のフィンの間に消しゴムを小さく刻んだものをはめていく、
2405の取付け穴のメクラ板の鳴きを抑えるためにブチルゴムを、ほんのすこし貼る、などである。

大事なのは、雑共振を適度に抑えられていること。

たとえばメクラ板全面にベタッとたっぷりのブチルゴムを貼れば、ほとんど鳴きを抑えることは出来るが、
音が必ずしも良くなるものではないことは、言うまでもないことだろう。

しかも重要なのは、井上先生がやられていることは、気に喰わなければすぐに原状復帰できる点である。

だからハンダ付けを必要とするパーツの交換については、いっさい語られていない。

ネットワークのコンデンサーを、違う銘柄のモノに交換する場合、
まず既存のパーツを取り外すためにハンダゴテを当てる。
当然熱が加わる。取り外すパーツにも、それ以外のパーツにも、である。
この熱が、少なからずパーツに影響をあたえる。しかもその影響を取り除くことはできない。

井上先生が言われていたのは、アンプでもスピーカーでもいい、
パーツに熱を加えたら、それだけ音は変化(劣化)する。決して元には戻せない、ということだ。

交換したコンデンサーをまた外して元のコンデンサーを取りつけても、
以前のまったく同じ音にはならないことは肝に銘じておきたい。

このことは修理にも言える。
音をよく理解しているメーカーは、アンプの修理の場合、片チャンネルのあるパーツを交換した際、
異常がなくても、反対チャンネルの同じパーツを交換する。
片チャンネルだけのパーツの交換では、熱による影響によって、微妙とはいえ、
左右チャンネルの音に無視できない音の差が生じるためである。

ブチルゴムは、貼った音が気に喰わなければ剥がせばいい。
全面的に気にいらなくても、すこしでもいい点を感じとることが出来たら、
ブチルゴムの大きさや貼り方を工夫してみる。
さらにはメクラ板を、いろんな材質で、厚みを変えて作ってみるという手もある。

そうやって経験を、ひとつひとつ積み重ねていくことは、いずれ宝となる。
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、
今回これを除いてほかに一機種もなかった。していえばその低音はいくぶんしまり不足。
その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、
しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     ※
ステレオサウンド 55号のプレーヤーの比較試聴記事で、
瀬川先生のEMT 930stについて、上のように書かれている。

SAEのパワーアンプMark 2500についても、低音の豊かさの良さを指摘されていた。

瀬川先生がお好きだった女性ヴォーカルの、アン・バートンとバルバラ。
ふたりとも細身で透明で、ちょっと神経質だけど、どこかしっとりと語りかけるような歌い方をする。
体形の話をすれば、ふたりともグラマラスではなく、ほっそりと柳腰という印象。

ほっそりのアン・バートンとバルバラ、低音の量感豊かな930stとMark 2500。

どちらも、瀬川先生は好まれていた。
EMTについては、たびたび「惚れ込んでいる」、と書かれていた。

瀬川先生の出されていた音、求められていた音を考える上で、見逃せないことのように思う。
1987年に、スチューダーのA727を購入した。
このとき、どちらにしようか、すこしだけ迷った機種がある。アキュフェーズのDP70だ。

アナログプレーヤーは、101 Limited (930st) がある。
だからまるっきり傾向の異るモノを、CDプレーヤーとして選ぶのもいいような気がした。
そうなると、DP70がぴったりだった。

ステレオサウンドの試聴室で、2機種ならべて聴き較べしようと思えば、できた。めぐまれた環境だと思う。
けど、あえてしなかった。
結論は、LHH2000を最初に聴いたあと、自宅で101 Limitedの音を聴いた時に出ていたからだ。
2年前のことを思い出せばよかった。比較試聴の必要はなかったのだ。

ステレオサウンドの63号の記事で、井上先生が、4343の鳴らし込みをやられている。
そこでもバスレフダクトに、すこし手を加えられている。

バスレフダクトに手を突っ込んで、ダクトの縁(もちろん外側)に、
ブチルゴムか布製の粘着テープを少量貼り、鳴きをコントロールするというもの。

たったこれだけのことなのに、確実に音は変化する。
貼った音か、オリジナルそのままの音を採るかは、その人次第だが、
一度は試してみてほしい。そして、バスレフダクトに、わずかに手を加えただけで、
どういうところが変化するのを経験しておくのは、決して無駄にはならない。

バスレフダクトの問題点は、他にもある。固定方法だ。
ほぼすべてのバスレフ型スピーカーは、フロントバッフル(もしくはリアバッフル)側だけで固定している。
つまりバスレフダクトは片側がフリーの、片持ち状態である。
長いダクトであるほど、片持ちは避けたい。

さらにダクトは通常切りっぱなしで、両端の縁は直角になっている。
ここにアール(丸み)をつければ、もちろん音は変化する。
カーヴを大きくすれば、さらに変わる。

材質も金属が、つねに最良というわけではない。
すこし柔らかい材質の方がいい結果が得られることもあるし、
金属でも、ダンプするかしないか、
ウィルソン・ベネッシュのディスカヴァリーのように、
チーンという金属の鳴きを積極的に活かしているスピーカーもある。

バスレフダクトの長さや径を変化させなくても、バスレフダクトをどう処理するかで、
おもしろいくらいに遊べるのである。
井上先生がよく言われていたことがある。
海外製品を買うときの心得だ。
「買うと決めたモノは、目の前にあるそれを買うこと。強引に奪ってでも買え!」
何度この言葉を聞き、何度この言葉を実感したことか。

国産オーディオ機器、とくに大メーカーのモノは型番が変わらない限り、
初期のロットの製品も中期のモノも後期のモノも、パーツが変わっていたり、
コンストラクションが微妙に変化してたりすることは、まずない。

ところが海外製品は、型番は同じでもロットが違えば中身も異る、そう思っていたほうがよかった。
少なくとも1980年代までは、そうだった。

有名なマランツ#7だって、ボリュームの銘柄が変っているし、コンデンサーも大半はスプラーグ製だが、
ごく一部にグッドオール製が使われているものもあると聞く。
しかもマランツ#7はラグ板を使ったワイヤー配線だから、作り手の僅かな技倆の差も、
バラツキとなって出てきても不思議ではない。

マークレビンソンのLNP2やJC2も、ずいぶんロットによってパーツが違う。

初期ロットがいいと言う人もいるだろう、後期のほうがいいと言う人がいてもいい。
大事なのは、音を聴いて、猛烈に欲しい、買いたい、買う! と決めたならば、
聴いた現物を買ったほうがいい。
キズがあっても、多少くたびれた感じであっても、それを買うべきだ。

新品の方がもっといい、と思いたがる。私だって、そうだ。
でも、新品の入荷を待って購入したとしよう。それが、聴いて惚れたモノと、
まったく同じだという保証は、当時の海外製品にはなかった。

もちろんもっと気にいるモノである可能性もある。

どちらを採るかは、その人次第だ。
フィリップスのLHH2000は、本体とコントロールパネルはワイヤーで接続されている。
当然だが、コントロールパネルを外してしまうと、ディスクをセットしても再生はできない。

けれど、細かいことは忘れてしまったが、LHH2000本体のリアパネルにある、
コントロールパネルとの接続用のコネクターの、特定のピンをショートさせることで、
コントロールパネルを外しても、ディスクの再生が可能になる。
もちろんディスク先頭から再生するだけで、スキップなどはできない。

けれど、この時の音を一度聴いてしまうと、多少の不便さは我慢しようと、誰もが思うだろう。

コントロールパネルが発しているノイズを遮断できるからなのだろうが、すーっと音が抜ける。
そして(聴感上の)ダイナミックレンジがローレベル方向に伸びるのがわかる。
音楽の躍動感が、いっそう増す。
LHH2000は、ステレオサウンドの試聴室で数回聴いている。ロットはすべて異る。
いずれもLHH2000の音なのは当然なんだが、最初に聴いたLHH2000の音が抜群に良かった。

なにも初めて聴いたLHH2000の音だから、記憶として鮮明なためではなく、
他社製のCDプレーヤーやアナログプレーヤーの音とも比較しているから、
やはり最初に聴いたLHH2000が良かったのは、事実だろう。

とにかく音の安定感がよかった。
そうCD登場前夜に聴いたCD63が聴かせてくれた安定度の高さを思い起こさせる。

LHH2000のピックアップ部はCDM0だと言われている。真鍮製のベースだという。
おそらくCD登場前夜のCD63のピックアップ部も、CDM0だったのではないか。
そして量産品はアルミ製のCDM1になっている。

そうだとしたら、あの日の音の凄さのわけが納得できる。

内部を見て確認したわけではないが、 LHH2000は途中からCDM1に変更されたとも聞いている。
もしこれが事実なら、最初のLHH2000が凄かったわけだ。

CDと真鍮は、意外と相性がいいのかもしれない。
なぜかといえば、LHH2000の後継機として、フィリップスとスチューダーが共同開発したA730、
このモデルのピックアップ、CD-ROMも読取り可能なCDM3(アルミ製)を、
サブシャーシに取りつけフローティングしていた。
サブシャーシには一部真鍮が使われていた。

A730の音の安定感も格別のものがあった。
DS5000について書くために記憶を辿っているうちに、ひとつ思い出したことがある。
おそらくDS5000が、バイワイヤリング対応の最初のスピーカーではないか、ということだ。

入力端子は2組あり、下がウーファー専用の端子、上がミッドバス、ミッドハイ、トゥイーター用の端子で、
上下の端子は金メッキが施された無酸素銅のバーで結ばれていた。

バイワイヤリング方式は、イギリスから始まったように言われているようだが、
少なくとも1982年にDS5000はバイワイヤリング方式を採用していた。

ただし当時は、バイワイヤリングという言葉がまだ使われていなかった。
DS503のネットワークには、いっさいハンダが使われていない。
コイルやコンデンサーなどのパーツは、すべてスリーブによる圧着で接いでいる。

ハンダによる抵抗分のロス、異種金属同士によるダイオード効果が及ぼす
ローレベルへの悪影響を嫌って、の圧着の全面採用である。

アルミ製のバスレフダクト、圧着によるネットワーク、
これらがどのくらいローレベルのクォリティを向上させているか──、
ステレオサウンドにいたとはいえ、試作品を聴くことは稀である。

けれどDS503に関しては、紙ダクトとハンダ付けネットワークの音を聴いている。

1982年にステレオサウンド別冊として出たサウンドコニサー(Sound Connoisseur)で、
DS503を取りあげている。

紙ダクトのDS503の音は、ずいぶん違っていた。
完成品のDS503(アルミダクト)では、耳をそれほど聳てなくても聴き取れる音が、
あきらかにかすれて、かなりここでこの音が鳴るとわかって集中するからなんとか聴き取れる、
そんな感じになってしまう。あきらかにマスキングされている音になる。

バスレフダクトの材質が変るだけで、これだけの変化である。
アンプの性能を表すSN比が、聴感上という枕詞がつくようになったとはいえ、
スピーカーについても語られるようになったのは、
ダイヤトーンの3ウェイ・ブックシェルフ型DS1000からだったと、私は思っている。

とはいえそれ以前から高SN比の試みは少しずつではあるが、為されていた。
ダイヤトーンのスピーカーでいえば、DS505とDS5000の間に登場した3ウェイ・ブックシェルフ型のDS503である。

DS503は、DS505同様、ウーファーにはアラミドハニカム振動板、
スコーカーとトゥイーターはボロン採用のDUD構造のドーム型を採用。
DS505が密閉型に対し、DS503はバスレフ型となっている。

ペアで25万円の普及クラスのスピーカーであるが、たとえばバスレフダクトは、
通常のスピーカーが紙ダクトを使用しているのに──4343ですら紙ダクトである──、
DS503のダクトは、3mm厚のアルミ引抜きパイプである。

ダイヤトーンによると、紙ダクトだと約400Hz付近に一次共振が表われる。
DS503は3ウェイなので、ウーファーのクロスオーバー周波数は500Hz。
ウーファーの受持ち帯域内で、バスレフダクトの一次共振が起こることになる。
アルミダクトの一次共振は1500Hzと、2オクターブほど高くなっている。

さらにダクト内は塗装仕上げとなっている。
気がつき難い、こんなところまで仕上げているのは、やはりローレベルのクォリティを向上させるため、
聴感上のSN比を向上させるためである。

バスレフダクトを通って出てくる空気は、ダクト内の表面がざらついていると風切り音を発生させる。
DS503の塗装を、それを抑えるためである。

ヤマハが1988年に発表した、負性インピーダンス駆動とバスレフ型エンクロージュアを
組み合せたYST方式(発表当時はAST方式と呼んでいた)のバスレフダクト内には、
風切り音を抑えるためにフェルトが貼られていた。
しかもただフェルトを使うだけでなく、柔軟剤でさらに柔らかくすることで、
徹底して風切り音を抑えるよう工夫されていた。

余談だが、柔軟剤も市販されているものすべて集めて試したと聞いている。
テクニクスのSB-E500を除いて、国産の4ウェイ・スピーカーは、
すべてコーン型とドーム型もしくはリボン型などのダイレクトラジエーターのユニットを採用しているだけでなく、
平面振動板、ハニカム素材やボロン、セラミック系など、高剛性で内部音速の速い素材を積極的にとり入れている。

もちろん4343もピストニックモーションの良好な帯域で、それぞれのユニットを使うために、
帯域を4分割しているのだろうが、JBLの場合、ピストニックモーションの積極的な追求よりも、
むしろ全帯域にわたってエネルギーレスポンスの充実・フラット化と
水平方向の指向性のワイドレンジ化を優先しているように思える。

同じ4ウェイという形態でも、優先的に追求している点は異っている。

もう1点違うのは、聴感上のSN比向上がある。
ダイヤトーンのDS5000がそうだし、ビクターのZero-L10では、さらにはっきりしている。
帰りの電車の中でも、欲しい、と思いつづけていた。
さすがにLHH2000の音が耳に残っている状態で、帰宅してまで、CDの音を聴きたいとは思わなかった。
それでアナログディスクを鳴らすことにする。

鳴ってきた音を聴いて、「な〜んだぁ」と思った。
LHH2000に感じていた良さは、そのまますべて101 Limited (930st) から出ているのに気がついたからだ。
LHH2000を強烈に欲しいと思った理由はわかった。
しかも、この音には、当然だけど、デジタル特有のジュルジュル音はまったくない。

さっきまでの悶々とした気持ちは、もうどこにも、小さなかけらすらない。
LHH2000のおかげで、プログラムソース機器に、自分が何を求めているかがはっきりした日でもあった。

LHH2000の音は、その後、数回聴いている。
そして感じたのは、CD63を聴いて感じていたのと同じ疑問である。
フィリップスの業務用CDプレーヤー、LHH2000の音は、CD63をはじめて聴いた時と同じように衝撃だった。
CDが登場して3年経って登場したLHH2000は、D/Aコンバーターの分解能が14ビット。
なのに、その音には圧倒された。CDから、こんな音が出るのか、欲しい、とストレートに思った。

ただすこし冷静になると、別に冷静にならなくても、LHH2000の再生音には、
中域にデジタル機器特有のジュルジュルというノイズが出ているのに気がつく。

1982年に、JBLのスタッフがL250と一緒に持ち込んだデジタルレコーダーも、
このジュルジュル音を出していた。

CD63には、こんなノイズはなかった。国産のCDプレーヤーにも、ない。
この高価なCDプレーヤーには、なぜかある。

ドライブ/信号処理部とコントロールパネルに分かれているLHH2000の筐体は奥に長い。
ピックアップ部の後ろには長方形のプリント基板が、6枚くらい、
コンピューターの拡張カードと同じように、メイン基板に垂直に立っている。
ひとつひとつ基板にはLSIをはじめパーツがかなり取りつけてある。
なぜ、こんなにパーツが必要なのかと思うほど、だ。

しかもある基板に取りつけてあるパーツは厚みがあるため、隣の基板と接触しそうで、
応急処置的に絶縁テープが貼ってあった。
このへんが、ジュルジュル音に関係しているのかもしれない。

それでも欲しいと思っていた。
瀬川先生が愛用されていたJBLの4341を譲り受けられたMさん曰く
「新品のスピーカーだと、最初の音出しをスタート点として、多少良くなったり悪くなったりするけど、
全体的に見れば手間暇かけて愛情込めて鳴らしていけば、音がよくなってくる。
けれど瀬川先生の4341は、譲り受けて鳴らした最初の日の音がいちばん良くて、
徐々に音が悪くなる、というか、ふつうの音に鳴っていく」。

そんなバカなことがあるものか、気のせいだろうと思われる方もいて不思議ではない。

でも、瀬川先生の遺品となったJBLの4345も、そうなのだ。

瀬川先生が亡くなられて1年弱経ったころ、サンスイのNさんが編集部に来られたときに話された。
「瀬川さんの4345を引き取られたIさん(女性)から、すこし前に連絡があってね。
ある日、4345の音が急に悪くなった、と言うんだ。故障とかじゃなくて、
どこも悪くないようなんだけど、
いままで鳴っていた音が、もう出なくなったらしい」。

これも、やはり瀬川先生が亡くなられて半年後のことだったらしい。

半年で、瀬川先生が愛用されていたスピーカーに込められていた神通力、
それがなくなったかのように、どちらもふつうの4341、4345に戻ってしまったようだ。

西新宿にあったサンスイのショールームで行なわれていた瀬川先生の試聴会、
それもJBLの4350を鳴らされたときに行った人の話を聞いたことがある。
「がさつなJBLのスピーカーが、瀬川さんが鳴らすと、なんともセンシティヴに鳴るんだよね」。

「音は人なり」と言われはじめて、ずいぶん、長い月日が経っている。
けれど、何がどう作用しているのかは、誰もほんとうのところはよくわからない。

真に愛して鳴らしたモノには、少なくとも何かが宿っているのかもしれない。
ビクターZero-L10の専用置き台ST-L10は、ダイヤトーンのDK5000とは違い、調整代(しろ)がない。
2本の角材をX字型の桟で連結した構造で、寸法もZero-L10にぴったりくるようになっている。

ST-L10上で、Zero-L10を多少前後させることで、調整できないことはないけれど、
見た目を考えると、面を揃えたほうがしっくりくる。
もちろん置き台とスピーカーとの間に、スペーサーを挿むこともできるが、
メーカーと主張としては、置き台とスピーカー底面の接触面積を決めておくことで、
音を仕上げているわけで、まずは何も挿むことなく取り組むべきだろう。

Zero-L10は、Zero1000の3ウェイ・プラス・スーパートゥイーター的構成ではなく、
DS5000同様、中低域の再現能力を高めるための本格的な4ウェイである。

ウーファーとミッドバスは、セラミック・ファイバーとクロスカーボンの複合素材を、
ミッドハイとトゥイーターは、ピュアファインセラミックを振動板に採用している。
振動板を剛性を高め、内部音速の速い素材を使うことで、
分割振動をできるだけ上の帯域に移動させ、ピストニックモーション領域の拡大を図っている。

ピストニックモーションの追求こそ、4343と国産4ウェイ・スピーカーとの、
もっとも大きな違いだと、私は考えている。
ダイヤトーンが、アコースティックキューブと呼んでいたDK5000は、
カナダ産カエデを使い、ブロックを12分割したランバーコア構成にしたもので、
先に述べたように上部センターに無酸素銅のピンが打ち込まれている。
アクセサリーとして直径25mm、厚み1.6mmの無酸素銅のスペーサーが8枚ついている。

通常の銅よりも無酸素銅は振動の減衰が早い。
同じ直径、厚みのものを弾くと、チーンという音の鳴りの時間が無酸素銅は短いことからもわかる。

このスペーサーを利用することで、スピーカー底面への接触面積は減り、より自由な鳴り方になるとともに、
当然、この銅スペーサーの音も、わずかとはいえ、音にのる。

DK5000の後には、ヤマハからスペーサー・セットが発売された。
無酸素銅のスペーサーの他に、セーム革やフェルトなど、素材の異る円状のスペーサーの詰め合わせだった。

DS5000(DK5000)が登場した1982年ごろから、置き台、スタンドに、専用のモノがぼつぼつ出てくるようになった。

セレッションのSL6も、木製の専用スタンドが用意されていたし、
SL600ではクリフストーンスタンドと呼ばれる鉄製で、パイプの中に石が詰め込まれたものになっている。
ダイヤトーンからも自社製ブックシェルフ・スピーカー用に、DK5、DK10などが用意されていた。
ビクターやヤマハからも、木製のスタンドが登場している。

それまでのキャスター付きの、間に合わせ的なつくりのモノから、
しっかりとしたつくりで、組み合せるスピーカーとのことを配慮しはじめたモノへと変化していっている。

そして国産4ウェイ・スピーカーで、1985年と遅くに登場したビクターのZero-L10には、
専用の置き台ST-L10が用意されていた。
DK5000は、何もDS5000専用というわけではない。
ステレオサウンドの試聴室では、リファレンス・スピーカーとして使ってきたJBLの4344は、
常時DK5000の4点支持だった。

床にベタ置きとDK5000を使ったときで何か異るのか。
まずスピーカーの底板の鳴りが大きく変化する。
ベタ置きでは、底板を床でダンプするようなもので、
底板の鳴りが減った分、主に天板、その他の部分の鳴りが大きくなる。
このことはスーパートゥイーターのところで触れている。

DK5000や角材でスピーカーを浮かすと、底板の鳴りは、いくぶんフリーになる。
さらに4点支持でも、DK5000をどの程度、スピーカーの底板にかませるかによって、
底板の鳴りをコントロールできる。

ためしにDK5000がスピーカーからはみ出ないように、四隅をきちんと揃えた音と、
DK5000のセンターピンが、スピーカーの四隅ぎりぎりになるまで外側にはみ出させた音、
まずはこのふたつの状態の音を聴いてみてほしい。

低音の鳴り方、締まり具合の変化が大きいはずだ。

DK5000を四隅に揃えた状態とは半分かかった状態では、底板がフリーになっている面積が違う。
当然底板の鳴り方が変化し、エンクロージュア全体の鳴り方も変化している。

一般的にスピーカーユニットは前面に取りつけてあるため、スピーカーの重心は前面寄りにある。

だから、さらなる調整として、前側2つのDK5000と後ろ側2つのDK5000のかませ具合を変えてみる。
前側は四隅からはみ出ないようにして、後ろ側は半分だけかませてみる。
このへんは自由に試してみてほしい。

DK5000にかかる荷重が変化するということは、おそらく床の振動モードも変化しているはずである。

スピーカーの設置場所は、壁からの距離だけの関係だけでなく、床との相関関係も大きい。
4343とDS5000のいちばんの大きな違いは、ともにエンクロージュア底面も仕上げされたフロアー型スピーカーだが、
DS5000には、DK5000という専用のベース(脚)が用意されていることだ。

フロアー型スピーカーだから床に直接設置して、それでいい音が得られるわけではない。
台輪(ハカマ)付きであっても、多少持ちあげて鳴らしたほうが好結果のことが多い。

床からの反射ということだけでなく、スピーカーと床との相関関係は、
スピーカーの重量が重く、エンクロージュア底部の面積が広いモノほど、密接なものとなる。
この関係をどう捉え、どうコントロールするかが、スピーカー設置、
特にフロアー型スピーカーの使いこなしの最大のポイントといえよう。

DK5000は一辺9cmの、良質の木の立方体のブロックで、上面センターに金属のピンが打ち込まれている。
8個1組のDK5000で、DS5000を4点支持、もしくは3点支持で持ちあげる。
アンプやCDプレーヤーもふくめて、3点支持だと音の輪郭がくっきりする傾向がある。
4点支持では、安定した、しなやかな音になる。

スピーカーの場合、床が完全にフラットのことは稀なため、
3点支持の方がガタツキなくセットしやすい。
4点支持だと、ガタつかないまでも、4つすべてのDK5000の上に、均等に荷重がかからないことが多々あり、
ひとつだけ手が容易に動かせてしまうものが出てきたりする。

そのままにしておくと、4点支持の良さは活きてこない。
なんらかのスペーサーを、床とDK5000の間に挿し込み調整する必要がある。
当然、スペーサーの素材によっても音は違ってくる。
私の経験では、和紙の使用がいい結果をもたらしてくれることが多かった。

最近では「レベラー」というコンクリートがある。
通常のコンクリートよりも、水のようにさらさらしたもので、
水は自然に水平が出るように、このレベラーも、流し込むだけいい。
ただし通常のコンクリートよりもかなり高価だけど。
DS5000が、4343を意識しているのは外形寸法の他に、ソニーのSS-G7、G9同様、
フロントバッフルに、ウーファーとミッドバス以上3つのユニットの間に、スリットをいれている。

もっとも4343の場合は、横向きで使うことを考慮して、上3つのユニットを取りつけたバッフルの向きを
90度変えられるように、フロントバッフルを2分割したため生じたスリットだが、
DS5000は、エンクロージュア表面を伝わる振動をカットするためのスリットという違いはある。

この他にも違いはいくつもある。
ウーファーの位置も、4343がエンクロージュア下部ぎりぎりまで下げているのに対し、
DS5000のウーファーの位置はできるだけ上に取りつけようと、
他の3つのユニット配置も考慮されている。
4つのユニットは、4343と異りぎりぎりまで近接している。
おそらくこれ以上近づけたらフロントバッフルの強度が不足するのだろう。

レベルコントロールも、4343は、上3つの帯域がそれぞれ可変なのに対し、
DS5000はウーファーとミッドバスのレベルは固定され、ミッドハイとトゥイーターのみ可変だ。
これはDS505もそうで、ミッドバス帯域のレベル設定に自信があることの現われだろうし、
中低域再生能力を高めるための4ウェイ構成であると語っている。

DS5000の音は、ダイヤトーンのスピーカーの中で(すべて聴いたわけではないが)、
意外に新しさは少なく、そのかわり、もっともゆとりある音を聴かせてくれたように記憶している。
どこかに試作品っぽいところを残している4S-4002P、
4S-4002Pの経験を活かして、売れ筋の価格帯で腕試しをしたともいえるDS3000、
この2機種開発の経験があるからこそ、DS5000の完成度は高いものになっているといえよう。

いわば力作である。それを、なにも4343と同寸法に作ることはないではないか。
もっと自信をもって、最良と考えられるサイズにすればいいのに......、
それともあえて4343と同寸法という制約を自ら設けて、挑んだということか。

モノは試作品を経て製品になり、そして商品になることで完成する。
資本主義というよりも、商業主義の世の中では、製品のままでは、会社は成り立っていかない。

だから売るため売れるために、4343と同寸法にしたことも理解できないことはないといいつつも、
DS5000と同じようなユニット構成で、6年後(1988年)に登場したDS-V9000のエンクロージュアの寸法は、
W65.2×H108×D49.7cmで、4343よりも奥行きが長く、背が低くなっている。

だからDS-V9000の完成度は、DS5000よりも高い、と言えないところがスピーカーの面白いところだ。

DS-V9000のトゥイーターとミッドハイのドーム型ユニットの振動板は、新開発のB4Cである。
DS5000も、ボロンを採用しているが、
ダイヤトーンにとってボロンの採用はこれがはじめてではなく、DS505に搭載している。
その後、3ウェイのブックシェルフ型DS501にも使うなど、
DS5000開発時には、ダイヤトーン技術者にとって、ボロンは新素材ではなく、
手なれた素材だったのかもしれない。

DS-V9000は、ステレオサウンドの試聴室で何度か聴いている。
DS5000とDS-V9000のあいだに、ダイヤトーンは、
DS1000やDS2000、これらのHR板、それにDS10000も開発している。
それらの成果が活きているのだろう、スピーカーとしては、DS5000よりも高性能になっている、
そんな印象とともに、新素材振動板の音が際立っているとも受けとめた。
CD63で、はじめてのCDの音を聴いた後、もう一度P3でアナログディスクを鳴らす。
あれほど安定した音を出してくれるプレーヤーとして頼もしく感じていたP3の音が、
なんとも不安を感じさせる音にしか、もう聴こえない。

CDの音すべてがP3の音をうわまっていたのではない。
けれど、ゆるぎない安定感のある音を、目の前のちっぽけな機械が、いとも簡単に実現している。

それまでは、安定した音のためには、ある程度の物量投入が要求されるもの、
そう思っていたし信じていた。なのに......、である。
これが技術の進歩なのか、新しい音なのか、とおそらく編集部全員思っていただろう。
聴き終った後、興奮気味に話していた。

しばらくしてステレオサウンドで特集記事で、各社のCDプレーヤーの試聴を行なった。
もちろん、その中にCD63も含まれていた。
また、あの音が聴ける、と内心喜んでいた。
価格順にひとつひとつ聴いていき、やっとCD63の番。
けれど、鳴り出した音に、あの日の、圧倒的な安定感は、なぜだかわからないが、なかった。

理由と思われるものは、もう少しあとになってわかる。
それがLHH2000の、「最初」の音だ。
カスリーン・フェリアーのバッハ/ヘンデル集が録音されたのは、1952年。
モノーラル録音で、使われている器材はすべて真空管式である。

モノーラル録音ということに、いちども不満を感じたことはない。

デッカは、のちにオーケストラ・パートだけをステレオで録りなおして、
モノーラルのフェリアーの歌唱とミキシングしたディスクも出している。
指揮者は同じ、サー・エイドリアン・ボールトだ。

人は、生れる時代も性別も選べない。
だが、かりに選べたとして、選べることができるのだろうか。どうやって選ぶというのだろうか。

フェリアーの歌声と真空管器材による録音は、うまくいっている、合っている。
これが、もしトランジスター初期の、冷たく硬い音で録られていたら、どうなる。

時代の音というのが、儼然たる事実として、人にも器材にもある。

もうこの先、フェリアーのような歌手は登場しないだろう。

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