2008年11月アーカイブ

50年(その2)

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ブラムラインがいたコロムビアは、1931年にHMV(イギリス・グラモフォン)を買収して、
EMI(Electric and Musical Industries Ltd.》となる。

ドイツでは、第二次大戦中にステレオ録音ヘッドの開発に成功し、
1944年秋、ギーゼキングとローター指揮ベルリン放送管弦楽団による
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番のステレオ録音を行なっている。

不思議に思うのは、なぜフルトヴェングラーのステレオ録音が存在しないのか、である。

1981年だったか、イタリアのチェトラ・レーベルからフルトヴェングラー/スカラ座オーケストラによる
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の全曲LPが出ると話題になったとき、
当初ステレオ録音だと発表されていた。
結局、発売されたLPはモノーラルだった。

フルトヴェングラーのステレオ録音は、ほんとうにないのか。
モノーラル録音と同時にステレオ録音も試していたとしても不思議ではない。

フルトヴェングラーのステレオ録音は、どこかにあって、それを誰かが独り占めしている......、
あくまでも妄想にしかすぎないけど、そんな気がしてならない。
五味先生の遺稿集「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)を読んでいると、
いくつもの、印象ぶかい言葉にぶつかる。

「私の好きな演奏家たち」に出てくる言葉がある。
     ※
 近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎
としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの
才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる
連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられ
ぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の
多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばな
らない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
     ※

「長生きしたくないなぁ、50くらいでぽっくり死にたいな。病気で苦しみたくないし」という者が、
私のまわりに何人かいる。おそらく、そう思っている人は少なくないのかもしれない。
先の見えないこういう時代だと猶更なのか。

私も、20代前半のころは、そんなふうに思っていたことがある。
30過ぎたころから「長生きもいいかも」と思いはじめ、
そして5年くらい前から「しぶとく長生きしよう」と決めた。

長生きする才能が備わっているかどうかはわからないので、思うだけ、なのだが、
長生きしなければ出しえない音がある以上は、思うことからはじめる。
そう決めた。

50年(その1)

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あまりというか、ほとんど話題になっていないようだが、今年はステレオLPが誕生して50年目である。

ステレオ録音のはじまりはずっと以前に遡る。
バイノーラルサウンドの発見は、1881年、フランスのクレマン・アデルによってなされている。
ステレオ録音、ステレオディスクの歴史に関しては、
岡先生の「マイクログルーヴからデジタルへ」の下巻をお読みいただきたい。
一時期絶版だったこの本も、オンデマンド出版で購入できる。

1988年、ステレオサウンドからいちばん近いレコード店は、WAVE六本木店で、
週に3度は通っていた。
まだオリジナルLPが騒がれる前ということと、CD全盛の時代ということもあって、
グレン・グールドの初期LPが格安で大量に入荷して、まとめ買いしたことがある。

これだけ通っていると、めずらしいレコードを見つけることもある。
ステレオサウンドの記事で紹介したことのあるブラムラインのステレオディスクも、
WAVEで見つけた一枚である。

アラン・ドゥアー・ブラムラインは、1924年からインターナショナル・ウェスタン・エレクトリックで、
国際電話網の建設に従事した後、29年にイギリスのコロムビアに入社している。

コロムビアの研究所にはいったブラムラインは、
ベル研究所の録音用カッターヘッドがバランスドアーマチュア型なのに気がつき、
ムービングコイル型のカッターヘッドの開発・試作を行なっている。
しかもMFBによる改良も実現している。
カッターヘッドだけでなく、
ムービングコイル式(MC型)カートリッジやマイクロフォンの試作も行なっていたらしい。

MC型カッターヘッドの最初の特許は1931年12月14日に申請され、1933年6月14日、
イギリス特許第394325号として登録されている。
この特許には、バイノーラルという言葉で、
現在の45/45方式のステレオ録音と再生に関する原理特許も含まれている。

ブラムラインは、2つのコンデンサー型マイクロフォンを組み合せたMS方式のステレオマイクも開発、
1933−4年ごろ、ステレオディスクの録音・再生のテストを行なっている。
だが当時はまだSP時代だったため、商品化にはいたらなかった。

ブラムラインのステレオディスクは、そんななかの一枚と思われるもので、
ビーチャムの指揮による録音が収められていた。

レーベルはSymposium。LPではなく78回転のSPのステレオディスクである。
とうぜん再生にはSPのステレオカートリッジが必要になる。

海老沢徹氏に、「こういうレコードをみつけました」と連絡したところ、
ひじょうに興味をもっていただき、
ラウンデールリサーチのカートリッジ2118を改造した専用カートリッジをお持ちくださった。

このレコードの詳細は、1988年当時のステレオサウンドに載っている。

出てきた音は、なぜ1958年までステレオディスクが登場しなかったのか──、
解決すべき問題が、いかに多く、20年以上の年月を必要としたことがが、直ちに理解できた。
思い起きてきた「きもち」はひとつだけではなかった。

1999年、audio sharing をつくろう、と思ったきもち、
98年、「得手」を読んだときのきもち、
94年、草月ホールでのきもち、「プラトンのオルゴール」展でのきもち、
91年、はじめて「Design Talk」を読んだときのきもち、である。

2000年のE-LIVEのときもそうだったが、川崎先生の講演が終ると、すこし休憩に入る。
何人かのひとが、川崎先生のもとに集まる。

ここで順番を待っていると、気後れすると思って、真っ先に川崎先生のところに行った。
実は、この日、最前列の真ん中に座っていた。

その日の朝、印刷したばかりの手作りの、たった3行の名刺──、
audio sharing の下にURLとメールアドレスだけで、私の名前も電話番号もない、そんな名刺を渡し、
「菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」とお願いしたときの川崎先生の顔は、
よく憶えている。いまでも、はっきりと思い出せる。
2002年6月のE-LIVEは川崎先生だった。

講演が終りに近づきはじめたとき、川崎先生が「いのち・きもち・かたち」と言われた。
「いのち・きもち・かたち」について説明されるのを聞きながら、
私の「いのち・きもち・かたら」はなんだろう、と考えた。

川崎先生は、このとき、「私のいのちはデザイナーであるということ」と言われた。
ならば、私はオーディオマニアだ、ここまではよかった。
だが、オーディオマニアとしての「かたち」がなかった。

オーディオマニアの「かたち」は、その人の「音」しかないだろう。
このときも、まだオーディオは再開してなかった。
1度、再開したことはあったが、なぜか機械の不調が続き、その他の理由もあって、1年と続かない。
オーディオの休止は10年を超えていた。

「かたち」を持たないオーディオマニア......。
そう思ったとき、川崎先生との距離は、1994年の草月ホールで感じたときよりも、さらに遠かった。

2年前のE-LIVEの時と同じように、また足踏みしようとしていた。

「かたち」がひとつあることに気がついた。
audio sharing である。
これがいまのオーディオマニアとしての「かたち」だ。
そう思ったとき、audio sharing をつくろうとしたときの「きもち」がよみがえってきた。

「かたち」が「きもち」に気づかさせてくれた。
audio sharing の公開は2000年8月だが、5月には公開できるまでつくっていた。
3カ月ズレたのは、おもにそういう理由からだ。

公開して、まず黒田先生から公開の許諾をいただいた。
岩崎先生と瀬川先生のご家族の連絡先がわからなかったため、ことわりをいれていたところ、
ある日、岩崎先生のお嬢様からメールが届いた。
またしばらくして瀬川先生の妹さんをご存じの方からのメールが届き、許諾をいただいた。

2001年春、菅野先生に、audio sharing を見ていただいた。
トップページを見て、「おっ、美しいなぁ」と言ってくださった。
正直、この言葉で、川崎先生に見てもらう自信がついた。

けれど、この年のE-LIVEは、川崎先生ではなく、MacPower誌の編集長・石坂氏だった。
2000年5月、EIZO主催の催し物 E-LIVE 2000で、川崎先生が講演をやられる。

誰にも話していないが、実は、この時、MacのPowerBook G3を持っていき、
川崎先生にaudio sharing を見てもらい、菅野先生との対談をお願いするつもりでいた。

川崎先生の話をきいていた。やっぱりすごい。菅野先生との対談は、絶対面白くなる。
そう思っていた。けれど、休憩時間に、会場に展示してあったアンチテンションのフレームを見て、
急に尻込みしてしまった。

まだダメだ。段階を踏んで、それからお願いしよう、そう決めた。
audio sharing の公開はその年の8月だから、
この時点で、瀬川先生、岩崎先生のご家族の方と連絡はついていなかった。
黒田先生、菅野先生のページは、まだつくっていなかった。

トップページの出来にこだわったのは、川崎先生に見てもらうため。
そのためにPowerBook G3を持ってきたわけだが、帰り途、重たく感じた。

財布の中には、もう小銭しかなくて、会場のある五反田から、当時住んでいた荻窪まで歩いて帰った。

翌日、Macを中古販売店に買い取ってもらうことで、とりあえずしのげたものの......。
「絶対零度下の音」──、これが最初につけていたサイトの名前だった。

1999年いっぱいで仕事を辞めて、2000年1月からサイトづくりを始めた。
トップページは何度作りかえたことだろう。

トップページが変ると、当然、他のページのデザインも変っていく。
満足できるトップページが作れない。
それに続くページもうまくいかない。

そんなある日、Macをさわっていて、File Sharing という単語が目にとまった。
このとき使っていたのはMac OS9の英語版だった。
Macは2台使っていたので、ときどきFile Sharing(ファイル共有)の機能は使っていた。
でも、ふだんは気にとめることはなかったのに、この日は違っていた。

これだ、と思った。audio sharing が、
いまつくっているサイトの中身に、よりふさわしい、というか、ぴったりだ。

名前が最終的に決り、またトップページの作り直し。
この時も思った、デザインの勉強をしてくればよかった、と。

Macを使っていたから、MacPowerを読んでいた。
MacPowerを読んでいたから、川崎先生の存在を知った。
川崎先生の存在を知ったから、audio sharing をつくろうと思った。

そして、Macを使っていたから、audio sharing という名前にした。
文章を書くことも含めて、なにかを表現する行為は、詰まる所、自己顕示欲の現われだと思っている。
その自己顕示欲を何処まで昇華できるかが才能であるとも思っている。

誰かに頼まれたわけでもないのにウェブサイトを作り、そこに自分の文章を書いていくことは、
自己顕示欲をうまく利用していかないと続かないだろう。

1999年にウェブサイトをつくろうと決めた。
何をそこに載せるのか。

このころになると、オーディオの個人サイトも増えてきていた。
オーディオを休止していた私は、現在進行形でオーディオを語れない。
それまでの経験と知識で、いかにもオーディオを、こんなに熱心にやっています、
と見せかけることをやろうと思えばできなくはなかったが、それは不誠実な行為にすぎない。

どうするか。

いくつか決めていったことがある。

できれば自己顕示欲から離れたものでありたい、
想定読者は、まずは私自身。読みたいもののためであること。
つまり菅野先生と川崎先生の対談を実現するための場。

もうひとりの読者は、13歳の私である。
1976年、オーディオに興味を持ちはじめたころの私のためである。

もし、いま(1999年)、13歳の私がいたとしよう。
はたして、1976年といまとでは、どちらが幸せだろうか。

生れてくる年、性別など自分では選択できない事柄が、かならずある。

私は76年に13歳だった。そのころは、岩崎先生も五味先生も、瀬川先生も健在だった。
やはり、このことはすごい幸運であった、といまでも思っている。

1999年、いま(2008年)でもどちらでもいい。13歳の私がいて、幸運だ、と思えるようにしたい。
そう思いやったわけだ。
動かなきゃ、と思ったものの、何をするのか、すればいいのか。
1998年にやったことは、川崎先生のデザインのメガネをつくったこと。
まず、ここから始めよう、始まると思ってのことだ。
12月末のことだ。

年が明けたからといって、何かが起こるわけではない。

菅野先生と川崎先生の対談のまえがきに書いたが、
おふたりの対談を、ステレオサウンドかMacPowerがやるだろうな、と思っていた。
春が来て、夏がおわり、秋が過ぎ去ろうとしても、
私がいちばん、面白い、読みたいと思っている記事は、どちらにも載らなかった。

ならば、自分でやりたい、実現したい、と思いはじめたものの、実際にどうするか。
まえがきには、「その場」をインターネットにつくればいいと、簡単に書いたが、
どういうサイトをつくるのか、つくれるのか、と考え込む。

大きな理由のひとつは、オーディオを休止していたからだ。
1996年夏、高校球児でもないのに、五厘刈りにしたことがある。
この年のツール・ド・フランスにマルコ・パンターニの姿はなかった。
不運な事故による足の骨折で、1年、棒に振ったパンターニの復帰を願っての、五厘刈り。
できれば、彼の同じスキンヘッドにしたかったのだが、仕事上、やはりまずいので。

マルコ・パンターニの存在を知ったのは、94年のツール・ド・フランス。
自転車に興味をもちはじめたばかりの私にとっても、
パンターニの、山岳ステージでの走りは驚異的だった。熱狂した。

97年のツール・ド・フランスのラルプ・デュエズで、ステージ優勝。
パンターニ復帰する。
ゴールでの、雄叫びをあげるパンターニのガッツポーズ。
そのポスターを手に入れてから、ずっと目に付くところに貼っていたこともある。

そして98年。
ジロ・デ・イタリアで総合優勝。
でもツール・ド・フランスの、おおかたの予想は、前年度の覇者ヤン・ウルリッヒ。
私もそう思っていた。

でも、雨の日の、あの山岳ステージ、
パンターニがアタックをかけて成功してしばらくすると、テレビ画面の下に、
暫定マイヨ・ジョーヌを示すテロップが出た。
深夜、友人宅で、テレビ放送を見ていたことも重なってか、
「なぜ、こんなところにいるんだろう......」と、
いきなり、そんな思いがこみあげてきた。

その数ヶ月後、MacPowerの12月号が出た。この号の「Design Talk」のタイトルは「得手」だった。

川崎先生が菅野先生のことを書かれている。

「得手」を読んで、あの日と同じようなことを思っていた。
そして、とにかく動かなきゃ、と思った。
どうやったら川崎先生と会うことができるのか。

デザインの勉強をしてきたわけではない。接点はなにひとつないように思えた。
とにかく、できるのはMacPowerに連載されている「Design Talk」を読みつづけることだけ。

読みつづけていたら、ある日、真空管アンプについて書かれている号があった。
えっ、もしかしてオーディオマニアなの? と思った。

またしばらく読みつづけていたら、今度はJBLの4343という単語が出てきた。

このころである、もしかすると会える日がやってくるかもしれない、と感じたのは。
それでも草月ホールでの講演から、3年ほど経っていた。
ギャラリー間の床は、真っ白なタイルで敷きつめられていた。靴は入口でぬぐ。
スリッパなんて無粋なものは用意されていない。

壁も白い。
部屋の中央に12本の、白い、細長い柱が建っていて、その上にオルゴールが置かれている。

「プラトンのオルゴール」は川崎先生のサイトで見ることができる。
左端WorksにあるMusic boxをクリックしてほしい。

12年後の2006年、金沢の21世紀美術館で開催された川崎先生の個展「いのち・きもち・かたち」にも
「プラトンのオルゴール」は展示してあった。

そして気がつくのだが、「プラトンのオルゴール」は、
柱の上に乗っているオルゴールひとつひとつのことではなく、
ギャラリー間に構築された空間そのものである。

21世紀美術館の展示では、タイルのまわりから見るだけで、作品そのものの中には入れない。

ギャラリー間では、川崎先生の作品の中に入っていたことになる。
だから、印象は強烈だったのか。

このとき受けた感じを、いまでもうまく表現できないでいる。
ステレオサウンドの弟分にあたるサウンドボーイ誌の編集長だったO氏は、
QUADのESL63が登場するずいぶん前に、スタックスに、
細長いコンデンサースピーカーのパネルを複数枚、特注したことがあって、
それらを放射状に配置し、外周部を前に、中心部を後ろに、
つまり疑似的なコーン型スピーカーのようにして、
長島先生同様、なんとか球面波に近い音を出せないかと考えての試作品だった、と言っていた。

結果は、まったくダメだったそうだ。
だからO氏も、ESL63の巧みな方法には感心していた。
QUAD・ESLの2段スタックは、1970年代前半、
香港のオーディオショップが特別につくり売っていたことから始まったと言われている。

ステレオサウンドでは、38号で岡俊雄先生が「ベストサウンド求めて」のなかで実験されている。
さらに77年暮に出た別冊「コンポーネントステレオの世界'78」で山中先生が、
2段スタックを中心にした組合せをつくられている。

38号の記事を読むと、マーク・レヴィンソンは75年には、自宅で2段スタックに、
ハートレーの61cm口径ウーファー224MSを100Hz以下で使い、
高域はデッカのリボン・トゥイーターに受け持たせたHQDシステムを使っていたとある。

山中先生が語っておられるが、ESLを2段スタックにすると、
2倍になるというよりも2乗になる、と。

ESLのスタックの極付けは、スイングジャーナルで長島達夫先生がやられた3段スタックである。

中段のESLは垂直に配置し、上段、下段のESLは聴き手を向くように角度がついている。
上段は前傾、下段は後ろに倒れている格好だ。
真横から見ると、コーン型スピーカーの断面のような感じだ。
上段と下段の角度は同じではないので、写真でみても、威容に圧倒される。

この音は、ほんとうに凄かったと聞いている。
山中先生の言葉を借りれば、3段だから3乗になるわけだ。

長島先生に、この時の話を伺ったことがある。

3段スタックにされたのは、ESLを使って、疑似的に球面波を再現したかったからだそうだ。

繊細で品位の高い音だが、どこかスタティックな印象を拭えないESLが、
圧倒的な描写力で、音楽が聴き手に迫ってくる音を聴かせてくれる、らしい。

その音が想像できなくはない。
ESLを、SUMOのThe Goldで鳴らしていたことがあるからだ。

SUMOの取り扱い説明書には、QUADのESLを接続しないでくれ、と注意書きがある。
ESLを鳴らすのならば、The Goldの半分の出力のThe Nineにしてくれ、とも書いてある。

そんなことは無視して、鳴らしていた。
ESLのウーファーのf0は50Hzよりも少し上だと言われている。
なのに、セレッションのSL6をクレルのKMA200で鳴らした音の同じように、
驚くほど低いところまで伸びていることが感じとれる。
少なくともスタティックな印象はなくなっていた。
個人サイトやブログに「このアンプの不満点は電源コードを交換できないこと」とあるのを見かける。
「電源コードで音色をチューニングできない」とつづく。
先日も、あるサイトで、マランツ#七の不満点として、このことが書かれていた。

電源コードが着脱し気になっていないモノでも、まったくアンプ本体に手を加えることなく、
電源コードを、あれこれ試すことができるモノもある。
リアパネルにACアウトレットを備えているアンプがそうだ。
マランツ#7はアンスイッチドを1つ、スイッチドを5つ持つ。

必要なのは、試したい電源コードの両端をACプラグにすることである。
これをACアウトレットに挿せば、電源コードとして使える。

アンスイッチドを使えば、アンプ本体の電源スイッチがそのまま使えるし、
スイッチドならば電源スイッチをパスできる。
視点を、ほんのすこし変えるだけで電源コードを交換できる。

注意点はもともとついていたACプラグに安易に触ると、とうぜんビリッとくるので、絶縁すること。

自慢のように聞こえるだろうが、高校生の時にすでにやっていた。
当時使っていたプリメインアンプは、サンスイのAU-D907Limited。
このアンプの音を少しでも良くしたいと思っていて考えついた。
電源スイッチをパスしたかったのである。

そのとき試したのはオヤイデから出ていたスターカッドタイプのもので、
たしかLi50とかいう型番だった。
芯線の絶縁体はピンクと白で、軟銅線を使ったしなやかなコードだった。
これをスイッチドに接続して聴いていた。

ほんのちょっと視点を変えるだけの話である。
ウェスタン・エレクトリックの555ドライバーの設計者のE.C.ウェンテは、1914年に入社し、
3年後の17年にコンデンサー型マイクロフォンの論文を発表している。
555の発表は26年だから、コンデンサー型マイク、スピーカーの歴史はかなり長いものである。

コンデンサー型スピーカーの原理は、1870年よりも前と聞いている。
イギリスのクロムウェル・フリートウッド・ヴァーリィという人が、
コンデンサーから音を出すことができるということで特許を取っているらしい。

このヴァーリィのアイデアを、エジソンは電話の受話器に使えないかと、先頭に立って改良を試みたが、
当時はアンプが存在しなかったため、実用化にはいたらなかったとのこと。

ウェンテのマイクロフォンは、0.025mmのジュラルミン薄膜を使い、
その背面0.0022mmのところに固定電極を置いている。
11年後、改良型の394が出て、これが現在のコンデンサー型マイクロフォンの基礎・基本となっている。

このことを知った時にふと思ったのは、可動電極がジュラルミン、つまり金属ということは、
コンデンサー型スピーカーの振動板(可動電極)にも金属が使えるのではないか、と。

いまのコンデンサー型スピーカーは、フィルムに導電性の物質を塗布しているか、
マーティン・ローガンのCLSのように、導電性のフィルムを使っている。
金属では、振幅が確保できないためだろう。

しなやかな金属の薄膜が実現できれば、コンデンサー型スピーカーに使えるし、
かなりおもしろいモノに仕上がるはず、と思っていた。

だから数年前にジャーマン・フィジックスのDDDユニットを見た時は、
やっと現われた、と思っていた。

DDDユニットに採用されているのはチタンの薄膜。触ってみるとプヨプヨした感触。
これならば、そのままコンデンサー型スピーカーに流用できるはず。

いま手元に要修理のQUADのESL63Proが1ペア、押入れで眠っている。
初期型のものだ。

純正のパネルで修理するのが賢明だろうが、いずれ、かならず、また修理を必要とする日が来る。
ならばいっそチタンの薄膜に置き換えてみるのも、誰もやってないだろうし、楽しいはず。

ただ、あれだけの大きさのチタン薄膜がなかなか見つからない。
QUADの旧型のESLを、ESL63とはっきりと区別するために、ESL57と表記するのを見かける。
ESL63の末尾の「63」は、発売年ではなく、開発・研究が始まった1963年を表している。
なのに、ESL57の「57」は発売年を表しているとのこと。
ESLが発表されたのは1955年である。

なぜ、こう中途半端な数字をつけるのだろうか。

ところで、ESLだが、おそらくこれが仮想同軸配置の最初のスピーカーだと思う。
中央にトゥイーター・パネル、その左右にスコーカー・パネル、両端にウーファー・パネル。
ESLを90度向きを変えると、仮想同軸の配置そのものである。

ESLを使っていたとき、90度向きを変えて、鳴らしたことがある。
スタンドをあれこれ工夫してみたが、安定して立てることができず、
そういう状態での音出しだったので満足できる音ではなかったが、
きちんとフレームを作り直せば、おもしろい結果が得られたかもしれない。
真空管パワーアンプの出力端子は、通常、4Ω、8Ω、16Ωとなっている。

ほとんどやる人はいないと思うが、真空管パワーアンプで、
たとえば公称インピーダンス2Ωのアポジーのカリパーを鳴らしたいとき、どこの端子につなげばいいのか。

4Ωの端子でもならないことはない。じつは一度試したことがある。
マッキントッシュのMC275でカリパーを鳴らしたのだ。

4Ω端子でもいけるといえばいけるが、精神衛生上はあまりよくない。
そのときは試さなかったが、8Ω端子と16Ω端子をつかうという手がある。
8Ω端子にマイナス、16Ω端子にプラスを接続するわけだ。

一般的な出力トランスの場合、8Ω端子と16Ω端子間のインピーダンスは、1.32Ωである。
ちなみに4Ωと8Ω端子間は0.68Ωである。

まぁ大丈夫なはずだが、試したことはないので保証はできない。
QUADのESL(旧型)を使っていたときに、山中先生にそのことを話したら、
「ESLをぐんと上まで持ちあげてみるとおもしろいぞ。
録音スタジオのモニタースピーカーと同じようなセッティングにする。
前傾させて耳の斜め上から音が来るようにすると、がらっと印象が変るぞ!」
とアドバイスをいただいたことがある。

やってみたいと思ったが、このセッティングをやるための、
壁(もしくは天井)からワイヤーで吊り、脚部を壁からワイヤーで引っ張る方法は、
賃貸の住宅では壁に釘かネジを打ち込むことになるので、試したことはない。

山中先生は、いちどその音を聴かれているとのこと。
そのときの山中先生の口ぶりからすると、ほんとうにいい音が聴けそうな感じだった。
素朴な音、素朴な組合せは、プリミティブな音、プリミティブなオーディオ機器の組合せではない。

オーディオにおける「素朴」を考えることは、
オーディオにおけるシンプル(単純)、潔さについて考えることにつながろう。

わずかでも音がよくなるなら、どんな煩雑なことでも積極的にこなす──、
PCオーディオに取り組まれている、ある一部分の人たちの取り組み方を見ていると、
そんな印象を受けてしまう。

別に批判しているわけではない。ただそれだけでいいのだろうか、と思うのだ。
対極にあるものを意識した取り組み方を、つねに忘れてはならないと思う。

素朴、単純、潔さ......と思い浮かべていると、簡素、簡潔といった言葉も出てくる。
「簡」から始まる言葉には、他に、簡雅、簡勁、簡厳、簡朴、簡明などがある。

デジタル技術の進歩により、いままで無理だったことが可能になっているからこそ、
素朴(ネイティヴ)について、いまの感覚で捉えなおすことも大事だと思う。
時折考えるのが、素朴な音を聴かせてくれる素朴な組合せ(システム)とは、
いったいどういうものかということ。

スピーカーはフルレンジ、それにコンデンサーひとつで低域をカットしてトゥイーターをつけるぐらいか。
アンプは真空管か。どんな回路で組むか。市販品に、素朴なにぴったりのモノがあるようには思えない。

手持ちに、フィリップスの20cm口径のフルレンジがある。いちおうアルニコ仕様だ。
アルテックの20cmのもある。
あとダイナコのSCA35(管球式プリメインアンプ)から取り外した出力トランスと電源トランスもある。

プログラムソースはどうするか。アナログかCDか。
ここで行き詰まる。
4341と4345には台輪(ハカマ)がついている。台輪の下に何かを置いて床から持ちあげても、
底板の鳴りは基本的に変化しない。
台輪の内側にブロックをかませたら、もちろん変化するが、台輪を利用するかぎり、
底板の鳴り(天板の鳴り)はメーカーが意図したままである。

4343に限らないが、台輪がないスピーカーを床にベタ置きしたとしよう。
底板は床によって補強されたのと同じになり、底板の鳴りは大きく減る。
するとどうなる。天板の鳴りが、逆に増えてしまう。
これはダイヤトーンが測定で明らかにしている。

天板の上に石や木を乗せて振動を抑えると、
次はエンクロージュアの強度的に弱い箇所の振動が増える。

どこかでエンクロージュアにたまっているエネルギーを消費しないと、
イタチごっこになってしまうわけだ。

4343の底板の四隅に木のブロックを、できるだけ外側にもってきて、
つまり底板が何にも接触していない面積をできるだけ広くした状態の音を聴いて、
ブロックを少しずつ内側に入れていく。
つまり底板の、フリーな面積が減ることになる。低音の表情が変化していく。

トーンコントロールやイコライザーなどの電気的なコントロールとは、
また違う、低域のコントロール方法である。

4343が縦置きだけのスピーカーで、もし台輪がついていたら、
4343の評価はすこし変わっていただろう。
4333Aの横幅と奥行きは619×514mm、4341は600×500mmと割合近い寸法だ。

エンクロージュアのプロポーションがどう音に影響するかを正確に把握するには、
いくつものエンクロージュアを試作して試聴することを行なうことだが、
メーカーの技術者でないかぎり無理である。

だから、私の印象は、あくまでも実際の製品を聴いてきた蓄積からのものである。

バスレフ型の場合、密閉型よりもエンクロージュアの奥行きの影響が大きいように感じている。
なんとなく、こういう理由かなぁ、と思っていることはあるが、まだはっきりとしたことは言えない。

それでも、バスレフ型はある程度の奥行きがあったほうが、好ましい低音が得やすい。そう感じている。

4343だが、低音が出ないわけではない。2π空間でなくても、低音を出すことはできる。
ただ、そうすんなり行かないことがケースが多い。

4343を設置する際、大抵の人が床と4343の底板の間に何かをかませるだろう。
木のブロックだったり、コンクリートのブロックだりをかませて、すこし床から持ちあげる。

ここで注意したのは、ブロックの材質の音が影響することもだが、
それ以上に、どういうふうにかませるか、である。

底板の鳴りは天板の鳴りと関係していて、天板の鳴りは音場感に影響する。
しかも天板が、聴取位置から見えなくても、だ。
4343は2π空間前提のスピーカーだから、ときとして低域が不足しがちなのか。

ブックシェルフ型スピーカーという言葉が生れたとき、
この手のサイズのスピーカーは、文字通り本棚の中に設置し、
スピーカーの周囲を本で埋めることでバッフルを拡大するのと同じ効果をねらい、
低域の量感をカバーしていた。

あらためて説明するまでもなく、壁に埋め込めば、低域の鳴り方は大きく変化する。
これも言うまでもないことだが、壁に埋め込まないまでも、左右、後ろの壁だけでなく、
さらに床に近づけることで、低域の周波数レスポンスは改善される。

理論的には部屋のコーナー、つまり左右の壁、床の3つの面が交差するところにスピーカーを置けば、
無響室での特性よりも18dB程度上昇することになる。
もっともこれは理想の壁、床の場合で、実際には6から12dBくらいだと言われている。

だから4343を壁に埋め込まずに使うと低域が不足すると、決めつけるのは間違っている。

4333Aはどうだろうか。

4333Aの外形寸法はW619×H778×D514mmで、4343よりもやや小さい。
人によっては、特にジャズが好きなひとは、4343の低域よりも4333Aのほうがずっといい、と言う。
バスレフポートのチューニングも違うだろうが、やはりエンクロージュアの奥行きが、
深く関わっているように思えて仕方がない。
4343は2π空間を前提に設計されていると書いた。その前身の4341はどうだろうか。
資料はないから断言できないが、4341の外観から判断すれば、
4π空間(フリースタンディング)での使用前提と言えないが、
少なくとも2π空間は考えられていないはずだ。

理由はエンクロージュア底部に台輪(ハカマ)がつけられているからだ。
壁に埋め込むことを想定していたら、こんなものはつけないはずだ。4345もハカマ付きだ。

4343と4344のエンクロージュアの外形寸法は全く同じだが、4343と4341は異る。
4341のほうが背が低く、奥行きがある。横幅もわずかだが狭い。
4341:W600×H950×D500mm
4343:W635×H1050×D435mm

4343は奥行きが足りないような気がする。そこが低音の鳴らし難さと関係しているのではないか。

4341、4343、4333A、4350A、すべてウーファーは2231Aである。
このなかで、低音不足になることが多いと言われるのは4343。
4333の奥行きは514mm、4350は508mm。

4343だけ、他のエンクロージュアと比べて約7cm薄い。

低域の鳴り方は、同じウーファー、同じ内容積のエンクロージュアでも、
とうぜんだがプロポーションによって違ってくる。
「プラトンのオルゴール」について書くつもりだったが、
今日書店に寄ったら、MacPowerが平積みしてあって、すこし驚いた。

季刊誌になって4号目。ウワサでは前号でふたたび休刊と聞いていただけに、
また川崎先生の連載「ラディカリズム 喜怒哀楽」が読める、
そう思うと、やはりうれしくて、これを書いている。
4343時代のころ、オンキヨーから、スピーカーの位相チェッカーが出ていた。
細長い形状で、パルスをスピーカーに入力して、先端のマイクロフォンで音をとらえ、
インジケーターの緑がついたら正相、赤がついたら逆相というものだった。
いまでも同じ機能のものは、他社から発売されているらしい。

これで4344を極性をチェックしたことがある。
結果は、ウーファーは逆相。ミッドバス、ミッドハイ、トゥイーターは緑が点灯し正相だった。
ネットワークだけの回路図ではなく、4344の回路図をみればわかるが、
ウーファーのプラス端子はネットワークのプラスにつながっている。
つまりユニットが逆相だから、ネットワークを通しても逆相である。
ところが、上3つのユニットは、ネットワークのプラスとユニットのマイナスがつながっている。
反転しているわけだ。だから、当然、トータルでは正相になる。

4343は逆相だったと記憶している。

2π空間での使用が前提の4343は逆相、
4π空間(いわゆるフリースタンディング)使用の4344は、ウーファーは逆相だが、
トータルでみれば正相といってもいいだろう。

このことから推測すると、おそらくL250もシステムとしては正相だと考えてもいいだろう。

この極性の変化は、デジタル時代を迎えるにあたってのJBLの変化なのだろう。
逸早くデジタル時代を見据えていたのだろう。
だからこそL250とともにデジタル・マスターレコーダーを運んできた、と私は考えるのだが......。
JBLのスピーカーユニットは、以前は、いわゆる逆相だった。
スピーカー端子のプラス(赤色)に、電池の+(プラス)をつなぐと、
通常は振動板が前に動くのだが、JBLは反対に後ろに動く。
これがJBLの音の秘密のひとつとも言えるが、音場感を重視した再生を目指すなら、
正相状態で使ったほうが有利である。

フルレンジスピーカーをお持ちなら、一度スピーカーのプラス・マイナスを逆にして聴いてみるといい。
逆相にして鳴らすと、音像型と表現したくなるような感じになることが多い。

ネットワークを使用したマルチウェイの場合、スピーカー端子のところで、
プラス・マイナスを反転させるのは、あまりおすすめしない。
なぜならネットワークはアンバランス構成であり、パワーアンプも大半のものがアンバランス出力だからで、
基本的にパワーアンプのアースとネットワークのアースを接続すべきであるからだ。
マルチウェイのスピーカーで反転した音を聴きたいのであれば、
スピーカーユニットの端子のところで反転したほうがいい。

ただし、これでも厳密に言えば、コイルの巻き方の向きの問題があるので、
他の要素を全く変えずに極性のみ反転させるのは、
バランス接続のアンプを使い、そのバランスケーブルのところで反転させるのが望ましい。

ここまでこだわらなくても、試しにスピーカー端子のところで反転した音を聴いて、
その状態の音が気にいったのであれば、スピーカーユニットの端子で反転させてみるのもいいだろう。

ネットワークがバランス構成のものも、数はひじょうに少ないがいくつかある。
それならば、スピーカー端子のところで反転してもかまわない。
4333のコンシューマーモデルがL300、4331のそれはL200(B)、
4343はL400が出ると言われていたけど、結局は登場しなかった。

これらスタジオモニター・シリーズとコンシューマーモデルの、いちばんの違いは再生空間である。

4343も、4333、4331は2π(パイ)空間での使用を前提に設計されている。
おもに低域の再生においてである。

最近ではあまり言われなくなったが、2π空間とは、スピーカーまわりの自由な空間の広さで、
2πが表すように、スピーカー前面の空間──水平方向180度、垂直方向180度、2つの180度空間である。
つまり4343、4333、4331は壁に埋め込んで使うことを前提している。壁バッフルを利用するわけだ。

L300、L200(B)、それにL250もそんな使い方は想定されていない。
4π空間──スピーカー前面だけでな後面も、水平、垂直の180度空間──での使用が前提である。
とくにL250はそうである。

そして4343のお姉さんにあたる4344も、じつは4π空間前提で設計されているスピーカーである。
なぜJBLはL250のためにデジタル・マスターレコーダーまで運んできたのか。

JBLのスタッフは、L250をデジタルのプログラムソースで聴いてほしかったためだろうが、
自社製品でもないレコーダー、それもかなりの重量物を日本まで持って来たのか。

なんの根拠もない推察だが、
おそらくL250の開発において、デジタルのソースで試聴していたのではないだろうか。

デジタルのソースで聴いた時、それまでのスピーカーとは違うよさをL250は発揮してくれる、
そう考えても良いような気がする。

B460もいっしょだったことも考え合わせたい。
L250のウーファーは14インチだが、JBLの発表によると、30Hzまでフラットに再生するという。
B460は、25Hz前後の帯域をフラットにする補正が加えられており、
実際のリスニングルームでの設置では20Hzまで拡張されるという。

−6dB/oct.のネットワークの採用、ピラミッド型のエンクロージュアなど、
あきらかに音場型スピーカーといえる特徴をもつL250、
そして音場感の再生で重要となる最低域の再生、それを受け持つB460、
この2つの組合せのよさをデモするのにふさわしいソースは、
低域再生に安定したよさを聴かせるデジタルのソースであろう。
スピーカーの周波数特性で、振幅周波数特性を重視するか位相回転の少なさをとるかで、
ネットワークの次数は自然と決ってくる。

もっともシンプルで、カーブはゆるやかたが、位相回転の少ないのは−6dB/oct.型である。

古くは、井上先生が愛用されたボザークのスピーカーがそうである。
カーブがゆるやかなため、ひとつひとつのユニットの再生周波数帯域はある程度広く、
しかも周波数特性の両端に共振峰が少ないことが求められる。
そのためホーン型ユニットで採用されることはほとんどない。

L250のユニットは、すべてダイレクトラジエーター型。しかも専用ユニットが開発されている。

エンクロージュアもピラミッド型で、上部に行くに従い細くなっている。
平行面を減らし定在波を抑えるとともに、
JBLのスピーカーにはめずらしい、ユニットまわりのバッフルの面積を小さくするなど、
いわゆる音場型スピーカー的アプローチをとっている。

L250のプロトタイプは、グレッグ・ティンバースが、自身のために作ったものとのこと。

もしかすると、L250は、それまでのJBLのスピーカーとは異り、
逆相ではなく正相ではなかったかと、いま思っている。
L250とB460が、ステレオサウンドの試聴室に持ち込まれたとき、
JBLのスタッフ2人に、ハーマン・インターナショナルの人、通訳の人、それに編集部数人。
しかもJBLのスタッフは、スピーカーだけでなく、
3M(だったはず、もしかするとサウンドストリーム製か)のデジタル・マスターレコーダーと
マスターテープからのダイレクトコピーをプログラムソースとして用意しての大がかりなものだった。

このころのステレオサウンドの試聴室は、長辺の壁にスピーカーを置いていた。
L250をかなり左右に広げて設置して、その真ん中にデジタルレコーダー。
エレベーターにぎりぎりはいったくらいの大きさと重さで、ここ以外に設置場所はなかった。
しかもB460も設置しなければならなかったのだから。

L250は型番からわかるように、それほど高価なスピーカーではない。
にも関わらず、JBLの、この力の入れようは、正直、すこし不思議に思えた。

ユニットの構成からすると、ティンバース設計の4315に近い。
ウーファーは14インチ、ミッドバスは8インチ、ミッドハイは5インチのコーン型。
トゥイーターのみ1インチ口径のドーム型。
クロスオーバー周波数は、400Hz、1.5kHz、5kHz。
4343は、300Hz、1.25kHz、9.5kHzだ。

ミッドハイとトゥイーターのクロスオーバーは1オクターブほど違うが、
もっとも異るのは、ネットワークの減衰特性である。

L250は−6dB/oct.のカーブを採用している。
JBLのスタジオモニターの4331、4333には、それぞれコンシューマーモデルがあった。
L200とL300である。
4331、4333を基本として開発されていて、フロントバッフルは傾斜しており、
床に直置きしたときに、椅子にかけた聴き手の耳の高さに合うようにである。
エンクロージュアの仕上げも丁寧で、家庭で使うにふさわしい内容のスピーカーといえる。
ダグ・ワーナーによるスタイリングだ。

4343が出たときに、そのコンシューマー版、つまりL400が出る、とうわさになっていた。
JBLが、出す、といっていたらしい。
1976年暮にステレオサウンドから出た別冊「コンポーネントステレオの世界 '77」の
岩崎先生の組合せのページに、この話が出ている。
結局、L400は出なかった。

代わりかどうかはわからないが、82年に、L250が出る。4ウェイ構成のコンシューマーモデルだ。
手がけたのは、グレッグ・ティンバースだ。
そして同時に、ティンバースが設計した18インチ・ウーファー2245H(4345のウーファーでもある)を
搭載したサブウーファー、B460も登場した。

L250は、ハーマン・インターナショナルが、JBLを買い戻して最初に企画したスピーカーでもある。
4345がはじめてステレオサウンドに登場したとき、瀬川先生が記事を書かれている。
そのなかで、試しにバイアンプ駆動を試してみたが、最近のJBLのスピーカーシステムのネットワークは、
L150以降、格段に良くなっているため、試聴という短い時間の中では、好感触を得られなかった、とある。
JBL 60th Anniversary には、L150を手がけたエンジニアの名前の記述は見あたらないが、
少なくともL150のネットワークは、グレッグ・ティンバースの手によるものだろう。

4345の記事を読みながら思っていたのは、その新しい技術のネットワークが4343に採用されたら、
どんなに素晴らしいか......、4343に惹かれるものにとって、4345のスタイルは、音のよさは認めながらも、
やはりなんとかしてほしい、と思っていただけに、
4345のネットワーク3145を、4343に組み込んでみたいということだった。

その妄想に対するJBLの答えが4344なのだが、それでも、一度試してみたいと思いつづけている。
4343と4344の違いは、こまかく見ていくと書き切れないほどある。

ユニットも、ウーファーとミッドバスだけの変更にとどまらず、
ミッドハイのドライバーも、4343、4345に搭載されている2420のダイアフラムのエッジを、
ウェスタン・エレクトリックの時代から続いていたタンジェンシャルエッジに比べ、
再生帯域内の周波数レスポンスがよりフラットで、
高調波成分も抑えられたダイアモンドエッジに変更している。
これにともないドライバーも、2420から2421となっている。

型番上はなんら変更のないトゥイーターの2405も新型ダイアフラムを採用している。

エンクロージュアも改良されている、ユニットのレイアウトも違う。
同じなのはエンクロージュアの外形寸法と、4ウェイ4スピーカーという形式ぐらいかもしれない。

すべての変更点の積み重ねによって、4343と4344の性格の違いがあるのだが、
個人的にはネットワークの存在が大きいと考えている。

4344の開発エンジニアは、グレッグ・ティンバース。
ステレオサウンド刊行のJBL 60th Anniversary には、
彼の技術の中核はネットワーク・エンジニアリングを通して、
ユニットとシステムのレスポンスを繊細にチューニングし、
最適の性能を得ることだとある。
「4343のお姉さん」とは、黒田先生が、4344に対して語られた言葉だ。

ステレオサウンドの62号に、こう書かれている。

     ※
4344の音は、4343のそれに較べて、しっとりしたひびきへの対応がより一層しなやかで、はるかにエレガントであった。したがってその音の感じは、4343の、お兄さんではなく、お姉さんというべきであった。念のために書きそえておけば、エレガント、つまり上品で優雅なさまは、充分な力の支えがあってはじめて可能になるものである。そういう意味で4344の音はすこぶるエレガントであった。
     ※
「4343のお姉さん」は、4344の特質を一言で的確に表現されている。
ただ、JBLのラインナップ、技術的な内容から言えば、4345の妹、といったほうが、よりぴったりくる。
黒田先生の表現は、あくまでも4343と4344の比較の上でなされたものだから、
4345に対してどうのということはなくて当然である。

4344は、外形寸法は4343はまったく同じである。
しかし、「4343と103」で述べたようにエンクロージュアのつくりは異る。
フロントバッフルのこともそうだが、補強棧の数、入れ方も大きく違う。

4344では、底板と天板の横方向に補強桟が入っているし、
側板の補強桟も鳴きを抑えるよりも、うまく利用するような方向に変わっている。

補強桟の断面は正方形ではなく長方形で、通常なら、補強桟を横向き、
つまり断面の長辺を補強したい板に接着する。4343もそうだった。

4344からは短辺のほうを接着している。これは現行製品の4348も同じである。

それからミッドバスのユニットは、4345と同じ2122Hに変更されるとともに、
バックキャビティも奥行きが増している。

あまり知られていないようだが、4345と4344のネットワークの回路図を見ると、
まったく同じである。コンデンサーやコイルの定数も同じだ。

ユニット・レイアウトやバスレフポートの位置もそうだし、
4345と4344の開発エンジニアは、グレッグ・ティンバースで、
4341、4343、4350は、パット・エヴァリッジであることから、
4344は4345から派生したもの、4345の妹機と見たほうがいいだろう。
4343までのJBLのエンクロージュアの大きな特長は、リアバッフルを含めて、
はずさせるところが1箇所もなかった点だ。
エンクロージュア強固につくるために、ユニットもネットワークも、表からの取りつけとなっているし、
板と板の接ぎ合わせは、いわゆる接着ではなく、
JBLがウッドウェルドと呼ぶ、一種の溶接に近い方法をとっている。
エンクロージュアの材質のチップボードは、木を細かくしたチップを接着剤で練り固めたもので、
接合部に高周波加熱をすることで、チップボードから接着剤が融け出し、溶接のように一体化する。

このころのJBLのエンクロージュアは、意外にチップボードが使われていた。
積層合板を正式に採用し、それを謳ったのは、4344のフロントバッフルからのはずだ。

また4344ではドライバー、トゥイーターの交換が簡単に行なえるように、
リアバッフルの上部がネジ止めされるようになっている。
これは4345から採用されている。

4343の、向きを変えられるようにしたバッフルは、あたりまえだがネジ止めである。
フロントバッフルが一枚板で、しっかりと接着されている4341、4344とは異るし、
4343の弱い点だと指摘される方もいる。

実際、そうだろうし、4343のフロントバッフルが一枚板でしっかりと固定されていたら、
4343は、もうすこし使いこなしやすくなっていたかもしれない。
とはいえ、一枚バッフルだったら、ウーファーとレベルコントロール・パネルとの間のスリットがなくなる。
4343のカッコよさに惹かれたものにとって、これは、かなり重要なことだ。

4343のバッフルの向き変えとユニット配置は、どちらが先に発想されたのだろうか。
4341、4344と同じユニット配置では無理だし、
ウーファー、ミッドバス、ミッドハイのユニットの中心を揃えた配置だから可能なことである。
4343だけ違うユニット配置ということから推測すれば、
おそらくバッフルの向き変えの発想が先にあったのではないだろうか。

縦置き、横置き、どちらでも使えるようするという発想は、KEFの103のサイズだったらわかるが、
4343サイズのスピーカーで、それをやってしまうのは、アメリカだからできるのかもしれない。
JBLの4343とKEFの103の共通点は、どちらも横置き、縦置きでも使えるように
フロントバッフルを向きを変えられるところである。

103は、鋼板のフロントバッフルには20cm口径のベクストレン・ウーファーB200と、
5cm口径のドーム型トゥイーターT52が取りつけられている。
4343は、フロントバッフルが2分割されており、ミッドバスより上の帯域、
3つのユニットとレベルコントロール・パネルが取りつけられているフロントバッフルが
取り外し可能で、向きを変えられるようになっている。

4341と4343の違いのひとつがこれであり、そのため4341にあった台座はなくなり、
4343では底板も化粧仕上げとなっている。

この構成のためもあってか、4341と4343はユニットの配置が異るし、
4343ではミッドバス、ミッドレンジ、トゥイーターの3つのユニットがぎゅっと近接している。
かわりに、ウーファーとの距離は、縦置きの場合、レベルコントロール・パネルが間にあるため
4341のときよりも離れているし、
ウーファー用のバッフルと上3つのユニット用のバッフルの間にはスリットがある。
細いスリットだが、これが4343の印象をずいぶん引き締めたものにしている。
アナログ録音、アナログディスクで奏でられるヴァイオリンの音──、
それも真空管採用の録音機で録られたもの、
さらにいえばステレオよりもモノーラル録音のヴァイオリンの音は、
ヴァイオリンという弦楽器が鳴っているというよりも、
たとえば、人が歌っているような感じが印象として加わったような、
もしくは木管楽器の響きに通じるような、情感ただよう感じが増幅されて出てくる面があると思う。

そういう良さを拒否した、ある意味ドライなのかもしれないが、
かといって決して無機質になることのない、別の良さ、魅力が、
優れたデジタル録音のヴァイオリンの音にある。
純粋器楽的な音と言っていいのかもしれない。

もっともデジタル技術の進歩だけでなく、
マイクロフォンが、以前よりも指向性の広いものが使われていることも大きな要素だと思っている。
アナログフィルターの一致に関しては、CDプレーヤーの登場によってくずれてしまったが、
特にそのことを批判する気は全くない。
この基本原則にとらわれていては、録音側も再生側も、いまのような進歩は望めなかっただろうから。

1980年ごろから、クラシックに関してはデジタル録音が増えてきた。
それにともない、録音テクニックも変わってきた。

82年10月にCDが登場して、しばらくは「ヴァイオリンの音はひどい、聴くに堪えない」、
と書かれたり言われたりしてきた。
ほんとうにそうだったのだろうか。

録音、再生ともに、デジタル技術の進歩、使いこなしがこなれてくるとともに、
実はデジタルになって良くなったのは、ヴァイオリンの音だと、すこしずつ確信できるようになった。

直接聴くヴァイオリンの音に近い再生が可能なのは、デジタルの方である。

たしかにアナログ録音のLPをうまく再生したときの音は、味わいぶかいものがあるし、
ときに妖しい響きを奏でてくれる。
そういう音が出たときの喜びは大きいものだし、苦労が多ければ、
当人にとってはかけがえのない大切な響きなことはわかる。

けれど、どちらがヴァイオリンの再生として優れているかではなく、
どちらがよりヴァイオリンそのものの音に近いかといえば、
優れたデジタル録音だと、私は言う。
1977年になると、アメリカのサウンドストリーム社がデータレコーダーを利用して、
PCM録音機の試作品を、AESで発表している。
翌78年には、3M社が、32トラックのデジタル録音機と編集機を発表、
国内メーカーも、この時期、さまざまな試作機を発表して、盛観を呈していた。

意外に思われるだろうが、五味先生も、PCM録音の音の良さは認められていたようだ。
読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に所収の「ルクセンブルクで聴いたフォーレ」で、こう書かれている。
     ※
いうまでもなくPCMはNHKの要請で日本コロムビアが開発した世界に誇る最新録音方式である。そのSN比、ダイナミック・レンジは従来の録音システムでは到底のぞめぬ高い数値を出し、音の素晴らしいのに音キチは驚嘆したものだ。ただ惜しむらくは、せっかくの新方式も発売されるレコードに(とくにクラシックに)いい演奏家の盤を見いだせない。わずかにジャン・ジャック・カントロフのヴァイオリンに私など注目し、その名演を楽しむ程度だった。
     ※
デジタル(PCM)録音といっても、
CDやSACDで、聴き手の手もとに届けられる現在とは異り、
とうぜん聴き手はアナログディスクで聴くわけだから、
カッティングを含めて録音・再生のアナログ系の一部にデジタル機器がまぎれこんだようなもので、
デジタル録音に対する印象も、CDで聴くのとでは異る面も多々あるだろうが、
その可能性は聴きとっておられたと思う。

デジタル録音を、アナログディスクで聴くことの技術的なメリットは、
録音と再生に使われるデジタル機器が同じだということ。
デジタル録音の理屈からいって、
A/Dコンバーターの前にあるアナログフィルターとD/Aコンバーターの後にあるアナログフィルターは、
同じものであることが、ひとつの基本であるはずだ。
この基本が、このころは、あたりまえだが守られていた(はずだ)。

これがCDの登場によって、くずれてしまった。
岡俊雄氏の著書「マイクログルーヴからデジタルへ」(刊行:ラジオ技術社、現・アイエー出版)によると、
デジタル録音による最初のLPは、
1971年4月25日に発売された「打!──ツトム・ヤマシタの世界」(NC8004) とある。
日本コロムビアから発売された。

このPCM録音(当時はデジタルではなくPCMという言葉が使われていた)は、
NHK技研による実験試作機で、コロムビアが自社開発したPCM録音機は、72年に登場している。
いまのデジタルの基準からすると、その機械の大きさは、想像できない人もいるかもしれない。
当時の写真には、傍らに女性が写っているが、機械の高さは、その女性の身長とほぼ同じ、
横幅は身長よりもはるかに大きい。
ビデオテープ・レコーダーを使用したもので、メカ部の他に、信号処理部、
ディスプレイ付きのコントロール部の3つの大きな筐体から構成されている。
おそらく3つの機械の総重量は、400kgを越えているだろう。
スペックは、サンプリング周波数が47.25kHz、13ビットである。

2年後には、テープ幅が約1/2の2号機が完成し、ヨーロッパでの録音を実現している。
3号機では1/4になり、4号機でUマチック・ビデオを使うようになり、
可搬性の向上とともに、ビット数も増えていく。

デジタル録音の歴史も、40年近くになろうとしている。
オーディオ誌が、小型スピーカーを取りあげるとき、スモールスピーカーと言ったり、
コンパクトスピーカーといったりするが、小型・イコール・スモールはいいとして、
小型(スモール)・イコール・コンパクトではないと言っておきたい。

コンパクト(compact)は、本来は数学用語のようだが、その定義について書こうとは思っていない。
それよりも、川崎先生が、AXIS誌で連載されている「デザインのことば」で、
コンパクトについて書かれているのを読んでほしい。
「デザインのことば」は、川崎先生のサイト「Kazuo KAWASAKI」で、いつでも読むことができる。
ありがたいことだ。
下部左端の information をクリックすると、「デザインのことば」にアクセスできる。
全文はアクセスして読んでいただくとして、一部引用しておく。
     ※
COM=共に、PACT=堅く締めるという原始的な意味がより明確になってくる。
つまり、より狭く閉塞された空間の中で、密集する要素や、
ぎっしりと詰め込んだ状態を表現する言葉になっていることが理解できる。
そこで、一般的には、体積的により小さく、
その空間に凝縮された中身が詰っていることになる。
     ※
つまり、見た目が小型だから、コンパクトではない。
現行スピーカーの中で、コンパクト・スピーカーは何かといえば、
B&OのBeoLab5であり、JBLのDD66000である。

コンパクトであることが、これからの現代スピーカーの条件だと、私は考えている。
その日の午後は、草月ホールにいた。
時間が来た。川崎先生がステージが登場され、
スクリーンには、カウントダウンの数字が映し出される。ここからして、カッコいい。

東芝時代の話から始まった。
「ずっと心にあったこと」でも書いているが、SZ1000が映し出されたとき、
「この人だったのか」と思っていた。

話は続いていく。途中で、Mac特有のSadMacがスクリーンに出た。
Macを使っている人はすぐにわかると思うが、使用中に爆弾マークは出ても、SadMacが出ることはない。
SadMacが出るのは、起動中のトラブルにおいてのみだから、
すぐに川崎先生のジョークであるとわかった人は多かったはず。

話を聞いていて、「Design Talk」を読んで感じてたよりも、さらにすごい人だ、
でも「遠い、すごい遠い。この人に会える日が来るんだろうか......」と、そんなことを思っていた。

午前中に「プラトンのオルゴール」展のことがあったから、よけいにそうだったのかもしれない。
ドリームデザイナーと書いてあっても、川崎和男という人がどんな人なのかは、まったく知らなかった。
とにかく読んでいこう、この人の書くものは、すべて読んでいきたい、と思いながら、
毎月18日のMacPowerの発売日には、必ず書店に寄り買っていた。

読んでいくうちに、すこしずつわかってくる。
川崎先生についても、Macのこと、コンピューターのことについても。

連載1回目から読んでいたわけではない。
だから単行本になるのを待っていた。1994年に「デジタルなパサージュ」が出た。

そして、乃木坂にあるギャラリー間で、個展を開催されると、「Design Talk」に書いてあった。
しかも、草月ホールで、講演会も行なわれる。

ギャラリー間と草月ホールのあいだは歩いて移動できるので、
講演会のある日の午前中、「プラトンのオルゴール」展に行った。

ギャラリーのあるビルに着くと、ビルの大きさからしてそれほどスペースは広くないことがわかる。

エレベーターを降りて、ギャラリーの入口の前で、立ち止まってしまったことを、
いまでもはっきりと憶えている。
そのスペースに入るのに、覚悟が要るというのも、変な言い方に聞こえるだろうが、
そう思った。引き返そうかとも思っていた。
スピーカーユニットに、+(プラス)の信号が加わると、
振動板が前に動こうとすると、フレームがその反発を受けとめる。

大砲から弾が発射されるとき、砲身が後ろに下がるのと同じで、
振動板が前に動く(作用)には、かならず反作用が発生する。
その反作用はフレームを振動させ、振動板が前に動き出して音を放出するよりも先に、
振動板まわりのフレームから音を出している。
その振動は、エンクロージュアにも伝わり、側板、リアバッフル、天板、底板を鳴らす。

フレームから先に音が出ることは、1980年代に、ダイヤトーンが測定で捉えている。

その反作用は、振動板のマスに比例する。
ドーム型やコーン型のダイレクトラジエーターよりも、
コンプレッションドライバーのほうが大きいだろう。

平面型のスピーカーユニットでも、日本とアメリカでは異ることを書いた。

薄いフィルム状の振動板だと、日本のメーカーが採用したハニカム振動板よりも、
磁気回路、フレームに与える反作用が相当に小さいのは、容易に想像がつく。

トランジェント特性のよさを追求していても、コンプレッションドライバーとでは、
もちろん、フィルム状振動板の方が圧倒的に小さいだろう。

フレームが受ける反作用が小さければ、
フレームを介してエンクロージュアに伝わる振動も比例して減っていく。

このことは、スピーカーシステムとしてまとめられたときに、
大きな違いとして形態に現われてくる。
実は、一度、ある真空管アンプの輸入商社の担当の方に訊いたことがある。
「ノイズの多さを、設計者は気にしないのか」と。
返ってきた答えは、予想していたとおりのもので、
「彼らが使っているスピーカーは能率が低いですから、気にならないんです」と。

ひとつことわっておくが、この時代、CDはまだ登場していなくて、
アナログディスクが、メインのプログラムソースだったため、
ここで言うノイズは、フォノイコライザーアンプとラインアンプのノイズの加算されたものである。

その答えも理解できなくはない。
ノイズが質や出方が同じで、SN比だけが異る(そんなことはありえないが)のならば、
スピーカーの能率次第で、気にならなくなるだろう。
しかし、前述したように、楽音に粒子の小さな砂が混じっているようなノイズの出方では、
スピーカーの能率の高低で、気にならなくなるということはない。

当時は、それ以上、訊かなかったし、自分なりの結論を出すこともできなかったが、
いまは、スピーカーの能率よりも、スピーカーの形態そのものの違いによるものだと思っている。
現在のコントロールアンプだと、SN比向上にともない、
聴感上のノイズが気になることはあまりないのかもしれない。

アメリカから新興ブランドの真空管アンプが登場したころは、トランジスターアンプでも、
能率の高いスピーカーや近接距離での試聴では、ノイズの出方に注意が行く。

レコードに針を降ろしてボリュームをあげ、音が出るまでのわずかな時間のノイズ、
音楽がピアニシモになったときのノイズの出方はさまざまで、
サーッとワイドレンジで、ホワイトノイズのように広い帯域に分布しているものもあれば、
比較的に耳につきやすい中高域にシフトしているもの、ザーッという感じのもの、
へんな言い方だが、ノイズが左右にきれいに広がり、
バックグラウンドノイズと言いたくなるものもあれば、
ふたつのスピーカーのセンター付近に定位するものもある。

測定上のSN比とは別に聴感上のSN比がいいものは、音楽が鳴り出すと、
ノイズは、楽音と混じりあわない。
けれど、なかには砂をまぶしたように、楽音に絡みつく類のノイズを出すアンプがある。

測定上は同じ値のSN比でも、後者のアンプは、ノイズが耳についてしまう。

砂をまぶしたようなノイズも、砂の粒子がいろいろで、
やはり粒子が小さくなり、しかも乾いてさらさらしているならば、
粒子が大きく湿ってジャリジャリした感じのものよりも、ずいぶんいい。

粒子が小さくて、乾いてさらさらしている感じのノイズを、
新興ブランドの真空管のコントロールアンプに共通してあるように感じていた。
アメリカでも、オーディオリサーチ、ダイナコが真空管アンプをつくり続けていた。
とはいえ、アメリカの新興ブランドの真空管アンプと、
真空管アンプ全盛時代のマランツ、マッキントッシュ、QUAD、リークといったブランドのそれらとは、
あきらかに技術の断絶がある、と言いたい。

トランジスターは小信号用も含めて、基本的には電流増幅素子である。
一方、真空管は、出力管もそうだが、電圧増幅素子と考えたほうが良い。
つまり回路全体のインピーダンスが大きく異る。

それから真空管にはヒーター(フィラメント)が必要不可欠で、熱も出す。
機械的な電極から構成され、外側を被っているのは、金属もあるが、大半はガラスだ。
サイズも、トランジスターと比較するとそうとうに大きい。

回路構成も重要だが、真空管の取りつけ方法、それから向き、配線の引き回しなど、
コンストラクションに関して、トランジスターとは、また違う注意が必要になるのに、
技術の断絶からか、トランジスターと同じように扱っているという印象を、
個人的に、新興ブランドの真空管アンプに対して持っている。

もっとも、従来の真空管の使い方にとらわれないから、
従来の真空管アンプとは異る、
そして最新のトランジスターアンプとも違う魅力を持っているのは、確かにそうである。
ステレオサウンドで連載されている菅野先生の「レコード演奏家訪問」、
この企画の前身にあたる「ベストオーディオファイル」の対談のまとめを担当していたときがある。

どの号に載っているのかは忘れてしまったが、交通事故に遭われた方との対談は、
いまオーディオの効能性を考えるにあたって、私の中では継がっている。

その方は、ひどい交通事故に遭われて、医者からも「そんなに長くない」と言われ、
実際、後遺症がひどくて、風で髪の毛がなびいただけでも、全身に強い痛みが走り、
ものすごい強い痛み止めの薬を(医者からは一日の量が決められていたにもかかわら
ず)、
家中、それこそトイレの中にまで、痛み止めの薬を置いて、
制限量などまったく無視して服用しなければ、がまんできないほどの痛みに悩まされて
いた。

そういう日をおくっていたら、ある日、
ある医者に「最近はCDという便利なものが出ていて、比較的簡単にいい音がきけるから」と
オーディオをすすめられて、毎日毎日モーツァルトのオペラを中心に、
CDプレーヤーのリピート機能を使って、一日中聴く生活をはじめられた。

モーツァルトを聴き続けているうちに、知らず知らずのうちに薬を飲む量が減ってきて、
菅野先生が訪問されたときには、ほとんど服用しなくてもいいくらいに回復されていた。

ステレオサウンドの80号前後に載っているはず。
手元にその号をお持ちなら、ぜひ読みなおしていただきたい。

オーディオの持つ効能性だと、私は思っている。
2000年ごろの資生堂発行の「花椿」に、
資生堂の研究所が、肌に心地よい刺戟を与えると、免疫力が活発になることを発見した、
という短い記事が載っていた。

肌に心地よい刺戟......。
いろいろあると思う。
肌の触れ合いやマッサージもそうだろうし、それこそ男女の営みもそう。
もちろん、いい音楽をいい音で聴くという行為(ヘッドフォンではなく、スピーカーで)も、
肌への心地よい刺戟となっているはずだ。

菅野先生が、ジャーマン・フィジックスのトロヴァドールを導入されたときの音、
何度も菅野先生の音を聴かせてもらっているが、それまでの音といちばん異っていたのは、
皮膚感覚に訴えてかけてくる感触だった。音を浴びているといってもいいかもしれない。

その日は、5月にしてはかなり暑い日で、たまたま半袖姿だったので、
肌が露出している両腕、顔が受けている刺激は、いままで体験したことのない心地よいものだった。

菅野先生の肌艶がいいのもうなずける。

音楽療養師という仕事がある。
実際に見たことがあるが、その仕事は、
患者が歌をうたったり、楽器を演奏することでリハビリを行なうもの。

脳血管障碍の合併症としての、失語症(自分の考えている言葉がスムーズに出てこない、
もしくは思っている言葉と違う言葉が出てきてしまう)でも、
話す言葉の中枢と歌うときの中枢は異るようで、
流暢にカラオケで歌うことができ、その表情は生き生きとし、
話せないことによるストレスが、歌うことで解消されると聞いている。

またリハビリの時、痛さを少しでも紛らわせるために、BGMとして、
クラシックに関心のない人でも、耳にしたことのある曲を流しているところもある。

ただ、どちらも積極的に音楽を聴くことによる療養ではない。
病院というシステムの中で、音楽を聴かせるためだけのスペースを確保し、
そのための装置を用意して、しかも調整して......、ということは、まだまだ望めないことだろう。

けれど、いつかそういう日が来てほしいし、そうあってほしい。
そう思うのには理由がある。
個々のオーディオ機器が持つ効能性、オーディオそのものが持つ効能性がある。

オーディオ機器の効能性といっても、なかなか定義し難い。
ひとつ言えるのは、効能性を語るには、機能性、性能性について語っておくべきだということ。
機能性、性能性を把握したうえで、何ができるようになったのか、ではないだろうか。

どれだけよくなったとか、これだけ素晴らしい音がするといったことから一歩踏み込んでところでの、
どんなことが可能になり、どんなことをもたらしてくれるのか。

これから先、ハードウェア、ソフトウェアとも、
デジタル技術がますます導入されるのは間違いないこと。
プログラムソースの形態も変りつつある。
コントロールアンプの形態も、必然的に変っていく。

これから機能性を語ることが重要視されるだろうし、
効能性への言及も求められると思っていいだろう。
というよりも、求められなくとも、自ら語っていくべきだと思っている。

ただ、すべてのオーディオ機器について、効能性を語れるかというと、そうでないものもある。
機能性・性能性・効能性を語ることは、
オーディオそのものについてだけでなく、個々のオーディオ機器に関しても、そうしていきたい。

新しく登場したオーディオ機器が、どういう音を聴かせてくれるか、
もちろんそれがいちばん知りたいことであるが、やはりそれは性能性について語っているだけであり、
その機械のもつ特質を語るには、機能性についてもきちんと語っていく必要があると思う。
恥じらいのないその光は、素顔の隅々まであからさまにする──
かわさきひろこ氏は書かれている。

「あからさま」と「あきらか」とでは,明らかに、言葉の持つ意味合い、与える印象がはっきりと異る。

音の情報量をすこしでも精確に、すこしでも多く再生したいとのぞむとき、
恥じらいを失っていては、あからさまにしていくだけになりはしまいか。
恥じらいのない行為──、愛のない行為でもあろう。

川崎先生は、よく、3つの言葉を掲げられる。
「いのち、きもち、かたち」もそうだし、「機能、性能、効能」もそうだ。

川崎先生に倣い、「情報」について考えるとき、あと2つの言葉を考えてみた。
ひとつは「情景」。これはすぐに出た。
もうひとつはなにか......。
しばらく考えて思いついたのは、「情操」だった。

他の言葉が、もっとぴったりはまるかもしれない。
だとしても、情報量について、これから書いていくとき、
「情報・情景・情操」をもとに考えていくつもりだ。
芸術とは非大衆的な事柄である。しかも芸術は大衆に向かって語りかける。
不可思議なことは、最も単純なものは最も偉大な人によってのみ表現されるということ、
そして最も複雑なものは街路に転がっているということである。

偉大さとは魂のうちにある。
     ※

フルトヴェングラーが1929年に語っている言葉である。

「単純」を、考え方が一面的であると捉えている人が少なくないように思う。
単純(シンプル)と原始的(プリミティヴ)をごっちゃにしていないだろうか。
考え方が一面的なことは、原始的(プリミティヴ)と呼ぶべきだろう。

否定的な意味合いで、単純(シンプル)という言葉を使うのは、
いつ終わりになるのだろうか。

石井幹子氏の言葉について書いたあと、しばらくして、そういえば、照明について、
やはり女のひとが書いている記事があったなぁ、と思い出し、
5年前、インプレス社から発行された、
2号のみの刊行で終ってしまった雑誌「desktop」をひっぱり出した。

引用しておく。
     ※
真夜中、コンビニの無機質な光源むき出しの光に、私たちは虫のように集まっている。余剰すぎる明るさが、安心感すら与える。けれど、恥じらいのないその光は、素顔の隅々まであからさまにするから困ってしまう。
私たちは「明るい」、「まぶしい」には無頓着。その一方で「暗い」ことには過敏で神経質である。行為、行動を妨げる夜の暗闇は怖い、恐いとまで感じる。
(中略)
目に見えるはっきりとした明るい世界がすべてではない。
見えない、見渡せない、見通せない暗闇には、その隅っこや境界、限界をとらえることはできない奥深さや広がりがある。
     ※
石井氏、かわさき氏の、光というよりも「あかり」に関する文章を読んでいると、
音の情報量について、きちんと考え直す必要があると思えてならない。

情報量は、ワイドレンジとも絡んでくるし、音量との関係も深い。
そして、もっとも大事なのは、音楽の聴き方そのものに大きく関わってくることだ。

情報量については、しばらくして書くつもりでいる。
Mark Levinsonの日本語表記だが、
マークレビンソンとマーク・レヴィンソンと使いわけている。

Mark Levinson個人の表記は、マーク・レヴィンソンにしている。

ブランドのMark Levinsonは、R.F.エンタープライゼス時代には、ブランド表記は、マーク・レビンソンだったが、
現在の輸入元のハーマン・インターナショナルの表記に従い、マークレビンソンとしている。

これから先も何度か登場すると思うMark Levinsonだけに、ことわっておく。
KEFの#105で思い出したことがある。
1979年前後、マークレビンソンが、開発予定の機種を発表した記事が
ステレオサウンドの巻末に、2ページ載っていたことがある。

スチューダーのオープンリールデッキA80のエレクトロニクス部分を
すべてマークレビンソン製に入れ換えたML5のほかに、
マランツ10 (B)の設計、セクエラのチューナーの設計で知られるリチャード・セクエラのブランド、
ピラミッドのリボントゥイターT1をベースに改良したモノや、
JBL 4343に、おもにネットワークに改良を加えたモノのほかに、
KEFの#105をベースにしたモノもあった。

A80、T1(H)、4343といった高級機の中で、価格的には中級の#105が含まれている。
#105だけが浮いている、という見方もあるだろうが、
訝った見方をすれば、むしろ4343が含まれているのは、日本市場を鑑みてのことだろうか。

マークレビンソンからは、これと前後して、HQDシステムを発表している。
QUADのESLのダブルスタックを中心とした、大がかりなシステムだ。
このシステム、そしてマーク・レヴィンソンがチェロを興してから発表したスピーカーの傾向から思うに、
浮いているのは4343かもしれない。

結局、製品化されたのはML5だけで、他のモノは、どこまで開発が進んでいたのかすら、わからない。

なぜマーク・レヴィンソンは、#105に目をつけたのか。
もし完成していたら、どんなふうに変わり、
どれだけマークレビンソンのアンプの音の世界に近づくのか、
いまはもう想像するしかないが、おもしろいスピーカーになっただろうし、
#105の評価も、そうとうに変わってきただろう。
黒田先生が、ステレオサウンドの58号(だったと思う)に、
カラヤン指揮のワーグナーのパルジファルのレコードを聴き、
そこにおさめられている音楽・録音に挑発され、
それまでお使いだったコントロールアンプ(ソニーのTA-E88)に対して力不足を感じられ、
マークレビンソンのML7Lに買い替えられたことを書かれている。

ディスクが、聴き手を挑発する。

あるディスクに挑発され、システムの一部、もしくは全体を買い替えることになったとか、
それまでの調整(チューニング)の方向をまるっきり変えてしまうことになったとか、
そういう経験はないだろうか。

私にとっての「挑発するディスク」は、
パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番。

1969年のマールボロ音楽祭のでのライヴ・レコーディングで、
発売はたしか1976年ごろ、
このディスクをはじめて聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室で、1983年ごろだった。
サウンドボーイ編集長のO氏に教えてもらって、だ。

それまで使っていたスピーカーはロジャースのPM510。
とても気に入っていたし、手放したいまでも、ふと聴きたくなることもあるが、
カザルスのベートーヴェンに聴かれる、
つよい緊張感、音楽の生命力の漲る感じや尊さが、十分感じられるものの、
やはり基本的にグッド・リプロダクションのスピーカーであり、
ほんとうは、もっともっとヴァイタリティを終始持続した演奏のはずだという思いが、
拭いきれないまま聴いていた。

できれば、部屋に2組のスピーカーを置けるだけの余裕、
それと経済的な余裕があれば、PM510を手放さずにすんだのだが、
ハタチの若造には、どちらも無理なことだった。

そして選んだスピーカーは、シーメンスのコアキシャル・ユニットだ。
これを、サウンドボーイで製作した平面バッフル(縦1.8m×横0.9m)に取りつけ、
6畳弱の部屋に、聳え立たせていた。
川崎和男の名前を知ったのは、1991年9月ごろだったと記憶している。
当時、MacのClassic IIを使いはじめたばかりの私は、Mac関係の雑誌をすべて買っていた。
MacPower、MacLife、MacJapan、MacWorldである(いまはどれもない)。

Macに関して何の知識もなかったので、手当たり次第、読んでいた。
そして出会ったのが、川崎先生の連載「Design Talk」だった。

正直、書いてあることの半分も理解できなかった。
それでも、「この人はすごい」と直感でわかった。

「Design Talk」というタイトルの下に、ドリームデザイナー/川崎和男、とあった。

他の人が使っていたら、陳腐に感じていただろう。
でも、本文を読み終わると、とてもカッコよく感じたのを思い出す。
#105の2年ほどあとに登場した303というブックシェルフ型スピーカーは、
ペアで12万4千円という、輸入品ということを考えれば、かなりのローコストモデルだ。

20cm口径のコーン型ウーファーとメリネックス振動板のドーム型トゥイーターで、
エンクロージュアの材質は、木ではなく、プラスチック樹脂。
外観はグリルがエンクロージュアを一周しているという素っ気無さであり、
合理的なローコストの実現とともに、製造時のバラツキの少なさも考慮された構成だ。

303の音は、当時、菅野先生と瀬川先生が高く評価されていた。
たしかおふたりとも、ステレオサウンド 55号(ベストバイの特集号)で、
マイベスト3に選ばれている。

こういうスピーカーは、従来の、技術者の勘や経験を重視したスピーカーづくりではなしえない。
理知的なアプローチと、それまでのスピーカーづくりの実績がうまく融合しての結果であろう。
#105の誕生があったから生れたスピーカーだろうし、
303も優れた現代スピーカーのひとつだと、私は思う。

瀬川先生が書かれていたように、303のようなローコスト設計を日本のメーカーが行なえば、
もっと安く、それでいて、まともな音のするスピーカーをつくれただろう。
KEFの#105が日本であまり芳しい売行きでなかったのは、
なにも上にモノを乗せられないばかりではないと思う。

#105と同時期のスピーカーといえば、価格帯は異るが、JBLの4343があり、爆発的に売れていた。
#105と同価格帯では、QUADのESL、セレッションのDitton66(662)、
スペンドールBCIII、ダイヤトーンの2S305、タンノイのアーデン、
すこし安い価格帯では、ハーベスのMonitor HL、スペンドールBCII、JBLの4311、
BOSEの901、パイオニアのS955などがあった。

これらのスピーカーと比較すると、#105の音色は地味である。
現代スピーカーの設計手法の先鞭をつけたモデルだけに、周波数バランスもよく、
まじめにつくられた印象が先にくるのか、
魅力的な音色で楽しく音楽を聴かせてくれる面は、薄いように思う。
もちろんまったく無個性かというと決してそうではなく、
昔から言われるように、高域に、KEFならではの個性があるが、
それも#104に比べると、やはり薄まっている。
それにちょっと骨っぽいところもある。

もっともKEFが、そういうスピーカーづくりを嫌っていただろうから、
#105のような性格に仕上がるのは同然だろうが、
個性豊かなスピーカー群に囲まれると、地味すぎたのだろう。
少なくとも、いわゆる店頭効果とは無縁の音である。

店頭効果で思い出したが、
上にモノが乗せられないことは、オーディオ店に置いてもらえないことでもある。
当時のオーディオ店では、スピーカーは山積みで展示してあり、
切換スイッチで、鳴らしていた。
#105のスタイルは、オーディオ店でも嫌われていた。

おそらく、このことは輸入代理店を通じて、KEFにも伝えられていたはず。
それでも、KEFは、スタイルを変えることなく、105.2、105.4とシリーズ展開していく。
推測というよりも妄想に近いとわかっているが、#105のスタイルを、
レイモンド・クックは、LS3/5A+ウーファーという発想から生み出したように思えてならない。

LS3/5Aに搭載されているスピーカーユニットはKEF製だし、KEFとBBCの関係は深い。
時期は異るが、KEFからもLS3/5Aが発売されていたこともある。

#105は、セッティングを緻密に追い込めば、精度の高い音場再現が可能だし、
内外のスピーカーに与えた影響は、かなり大きいといえるだろう。

にも関わらず、少なくとも日本では#105は売れなかった。

#105は、より精度の高さを求めて、105.2に改良されている。
もともとバラツキのひじょうに少ないスピーカーではあったが、105.2になり、
全数チェックを行ない、標準原器と比較して、
全データが±1dBにおさまっているモノのみを出荷していた。

またウーファーの口径を30cmから20cmの2発使用にして、
ウーファー・エンクロージュアを小型化した105.4も出ていた。
ということは、#105はKEFにとって自信作であり、主力機でもあったわけだが、
日本での売れ行きはサッパリだったと聞いている。

この話をしてくれた人に理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「(スピーカーの)上にモノが乗せられないから」らしい。
いまでは考えられないような理由によって、である。
KEFの#105の写真を見ていると、LS3/5Aにウーファーを足したスタイルだなぁ、と思ってしまう。

スコーカーは10cm口径のコーン型で、
トゥイーターはT27でこそないが、おそらく改良型といえるであろうソフトドーム型。
これらを、ただ単にウーファーのエンクロージュアに乗せただけではなく、
左右上下に角度調整ができる仕掛けがついている。

#105の、見事な音像定位は、LS3/5Aの箱庭的定位に継がっているようにも思えてくる。
LS3/5Aも、#105の中高域部と同じように、仰角も調整して聴いたら、
もっと精度の高い、音の箱庭が現われるのかもしれない。

LS3/5Aを使っていたときには、仰角の調整までは気がつかなかった。

セレッションのSL600を使っていたときに、カメラの三脚の使用を検討したことがある。
スピーカーの仰角も、左右の振り、そして高さも、すぐ変更できる。
いい三脚は、ひじょうにしっかりしている。

スピーカーのベストポジションを見つけたら、そこからは絶対に動かさないのと対極的な聴き方になるが、
被写体に応じて、構図やカメラのピントを調整するように、
ディスクの録音に応じて、スピーカーのセッティングを変えていくのも、ありではないだろうか。
グレン・グールドが、終生愛用した、父親製作の折畳み式の椅子。
2年前、そのレプリカが、フランスで作られ、現在購入できる。
990ユーロ+送料で、世界中に配送してくれる。

1991年だったか、カナダ大使館で開催された「グレン・グールド1988」展。

グールドが亡くなった翌年(1983年)に、カナダ国立図書館に寄贈された遺品は、
25万点以上あり、その整理に時間がかかり、カナダで最初に開かれたのが1988年。

日本での公開は3年後で、約200点が展示されていた。
平日とはいえ、会場はガラガラだった。
日本でのグールドの人気を考えると、信じられないくらいの人の少なさ。

椅子も展示されていた。

グールドの晩年、椅子の状態は相当にボロボロの状態だったと話はきいていたが、
実物は想像以上にひどかった。
「こんなのに座っていたの?」というぐらいに。

その椅子のレプリカ──。

グールドがその椅子に座り、ピアノ(音楽)と向き合ったように、
この椅子に坐ったからといって、グールド的リスナーになれるわけでもないけれど、
グールドの演奏を聴くときには、この椅子で、と思う。
グレン・グールドが語っている。

「地理的ギャップというものもある。
東へ行くほど、レコードは録音によるコンサート効果をねらっていることがわかる。
もちろんさらに遠く日本にでも行けば、
西欧化されたコンサート・ホールの伝統による禁忌などはとりたててないから、
レコーディングはレコーディング独特の音楽経験として理解されている」

グールドは日本に来たことはないはずなのに、
なぜ、日本でのレコードの聴かれ方について、こう認識しているのだろうか。
少なくとも、この言葉は、レコードをコンサート代用品とか、
カンヅメ音楽といって軽視している人たちのことではなく、
オーディオにつよい関心をもっている人たち、菅野先生が提唱される、
レコード演奏家そのものであろう、というより、であると断言していいだろう。

「日本のオーディオはアメリカのハイエンドに比べると10年くらい遅れている」
という発言をしている人を、ときおりネットでみかけると、かなしくなる。

グールドの全CDやDVDが手に入り、多くの関連書籍が読めるその日本から、
グレン・グールド的リスナー(インタラクティブで創造的な聴き手)が出てきても
不思議ではないのに、と思っているからだ。

グールド的リスナーからの視点による、オーディオの機能性を語れれば......と思う。

2002年夏、 TEPCO銀座館プラスマイナスギャラリーで開催された
「ヒューマン・センター・デザインの視展(ユニバーサルデザインを超えて)」の会場で、
設置されていたモニターでは、
デザインの「機能性、性能性、効能性」について、川崎先生が語られていた。

オーディオの「機能性、性能性、効能性」──。

オーディオマニアが音について語るのも、
オーディオ雑誌が、オーディオ機器の評価をするのも、
オーディオの「性能性」のところであろう。
音がどんなふうによいのか、どれだけよいのか、という性能性についてである。

80年代からオーディオは斜陽産業と言われてきた。
なぜそうなったのかは、いろんなことが絡みあってのことだろうが、
そのひとつの理由が、オーディオに関心のある人たち、プロもアマチュアも、
オーディオの性能性ばかりについて語ってきたためだと思う。

オーディオ好きな人に対しては、それで十分だろうが、
音楽が好きだけど、オーディオにはさほど、もしくはまったく関心のない人たちに対して、
オーディオの性能性ばかりを伝えても、大半のひとは振り向いてくれないだろう。

いい音を聴くためだけに、少なくとも数十万円、できれば百万円以上、
さらに上には一千万円以上必要なんて、と思われてしまってもむべなる哉。

エジソンが蝋管によるアコースティック蓄音器を発明したのをオーディオの始点としても、
オーディオの機能性は発展は多岐にわたり、素晴らしいものだと思う。

蝋管が円盤になり、複製が容易になり、取り扱いも楽になったことも、
機能性に関することである。
そして蓄音器が アコースティック式から電気式になり、
音量の調整が可能になり、モノーラルからステレオになり、
低音、高音だけの増減だけのトーンコントロールから、
パラメトリックイコライザー、グラフィックイコライザーなども登場し、
デジタル技術が、さらなる機能性をもたらしている。

オーディオの機能性の魅力を把握してこそ、
個人個人のオーディオの世界は広がりを増すだろうし、
これまで、音楽は好きだけど、
なぜかオーディオに関心をもってくれなかった人たちに、
オーディオの機能性を、正しく伝えること、説明することは重要なことである。
金曜の夜、「瀬川冬樹氏のこと」その17と18を公開して、
ほぼ1時間後に傅さんから電話をいただいた。

「読んでいたら、ほろっとくるものがあって、それを伝えたくて」ということだった。
つづけて、「ぼくらが大事にしてきたことは、こういうことなんだよなぁ」とも言われた。
約1時間、あれこれ、オーディオについて話していた。

いまインターネットの普及で、誰でも簡単にいつでも、言いたいことを発信できる。
そこにプロとアマチュアの境界線はなくなりつつある、曖昧になりつつある。
本とは異り、編集者不在の発言。そして匿名でも発言できる。

そして、その発言への評価はアクセス数によって決っていく、とも言えよう。
時価総額で企業を判断するのに似ているような気もする。

傅さんとの話が終った後、
いまの時代、ひとりのオーディオマニアとして語るべきことは、なんだろうと考えてしまった。

言葉を尽くして語っていくことだけは、忘れてはならない。
テレビを持っていないので、DVDを観る時は、すこし古めのパソコンを使っている。
そのせいもあるのだろうが、信号面は、見た目キレイなのに、
どうしても読み込めないディスクが、たまにある。

CDでも同じことを体験している。
やはりすこし古めのCDプレーヤーだと、TOCを読めなかったり、かなり時間がかかるものがある。

そんなときディスクをクリーニングすると、何の問題もなく読み込む。
もっとも、そういうCD、DVDも、新しいプレーヤーだと、別にクリーニングしなくても大丈夫。

CDが登場したときに、ディスク表面には、プレス時の離型剤が完全に取り除かれているわけでなく、
わずかに残っていて、それがピックアップに影響をおよぼすと言われていた。

各社からクリーナーが登場し、なかには超音波クリーナーもあった。

5年ほど前、J-WAVEの番組で、オーストラリアの博士が、
CDにビールをかけると音が良くなる、と電話インタビューで話していたのを聞いたこともある。

数年前に購入したクラシックのCDに、
接着剤のカスのようなものが、がんこに付着していたことが2度続けてあった。

意外と汚れているのかもしれない、と最近思っている。

ディスクではないが、コンデンサーや抵抗、トランジスターなどの電子パーツのリード線も、
意外に汚れているものがある。汚れの有無で、ハンダのノリが違ってくる。
瀬川先生への追悼文の中で、菅野先生は
「僕が高校生、彼は僕より三歳下だから中学生であったはずの頃、
われわれは互いの友人を介して知り会った。いわば幼友達である。」と書かれている。

菅野先生は1932年9月、瀬川先生は1935年1月生まれだから、学年は2つ違う。
ということは、菅野先生が高校2年か1年のときとなる。

けれど、去年の27回忌の集まりの時、菅野先生が、
「瀬川さんと出会ったのは、ぼくが中学生、彼が小学生のときだった」と話された。
みんな驚いていた。私も驚いた。

27回忌の集まりは、二次会、三次会......五次会まで、朝5時まで6人が残っていたが、
「さっき菅野先生の話、びっくりしたけど、そうだったの?」という言葉が、やっぱり出てきた。

それからしばらくして菅野先生とお会いしたときに、自然とそのことが話題になった。

やはり最初の出会いは、菅野先生が中学生、瀬川先生が小学生のときである。
共通の友人とは、佐藤信夫氏である。
「レトリックの記号論」「レトリック感覚」「レトリック事典」などの著者で、佐藤氏だ。

佐藤氏の家に菅野先生が遊びに行くと、部屋の片隅に、いつも小学生がちょこんと正座していた。
大村一郎少年だ。いつもだまって、菅野先生と佐藤氏の話をきいていたとのこと。

何度かそういうことがあって、菅野先生が佐藤氏にたずねると、紹介してくれて、
音楽の話をされたそうだ。いきおい表情が活き活きとしてきた大村少年。

けれど3人で集まることはなくなり、菅野先生は高校生に。
ある日、電車に乗っていると、「菅野さんですよね?」と声をかけてきた中学生がいた。
中学生になった大村少年だ。

「ひさしぶり」と挨拶を交わした後、
「今日、時間ありますか。もしよかったら、うちの音、聴きに来られませんか。」と
菅野先生をさそわれた。

当時はモノーラル。アンプもスピーカーも自作が当然の時代だ。
お手製の紙ホーンから鳴ってきた音は、
「あのときからすでに、オームの音だったよ、瀬川冬樹の音だった」。

瀬川冬樹のペンネームを使われる前からつきあいのある方たち、
菅野先生、長島先生、山中先生、井上先生たちは、大村にひっかけて、
オームと、瀬川先生のことを呼ばれる。
瀬川先生自身、ラジオ技術誌の編集者時代、オームのペンネームを使われていた。

菅野先生と瀬川先生の出会い──、
人は出会うべくして出逢う、そういう不思議な縁があきらかに存在する。ほんとうにそう思えてならない。
今日で、瀬川先生が亡くなられて27年経つ。1年前は、27回忌だった。

26年という歳月は、
人が生れ、育ち、結婚し、子どもが生れ、家庭を築くにも十分な、そういう時間であ
る。
当時、瀬川先生より若かった人も、いまでは瀬川先生の年齢をこえている。

熊本のオーディオ店での瀬川先生のイベントに毎回かかすことなく通っていただけでなく、
毎回一番乗りだったし、最初のころは学生服で行っていたこともあり、顔を覚えてくださっていた。

私がステレオサウンドに入ったとき、すでに亡くなられていた。瀬川先生と仕事をしたかった、
と、思っても仕方のないことを、いまでも思う。

そんな私が、27回忌の集まりの幹事をやっていいものだろうか、
私がやって、何人の方が集まってくださるのか、そんなことも思っていた。

おひとりおひとりにメールを出していく。
メールを受けとられた方が、他の方に声をかけてくださった。

オーディオ関係の仕事をされている方にとって、この時期はたいへん忙しい。
にもかかわらず、菅野先生、傅さん、早瀬さんをはじめ、
瀬川先生と親しかった輸入商社、国内メーカーの方たち、
ステレオサウンドで編集部で、瀬川先生と仕事をされた方たち、
サンスイのショールームの常連だった方たち、
みなさんに連絡するまでは、数人くらいの集まりかな......、と思っていたのに
多くの方が集まってくださった。

幹事の私でも、初対面の方がふたり、
約20年ぶりにお会いする方がふたり、数年ぶりという方がふたり。

「おっ、ひさしぶり」「ご無沙汰しております」という声、
「はじめまして」という声と名刺交換が行なわれてはじまった集まりが、
26年の歳月を感じさせず、盛り上がったのは、みんなが瀬川冬樹の熱心な読者だからであろ
う。

集まりの最後、菅野先生が仰った、
「みんなの中に瀬川冬樹は生きている」

みんなが、この言葉を実感していたはず。
2年前の11月6日、そのころはmixiに登録していたので、そこそこ利用していた。
mixi内に瀬川先生のコミュニティがあるのは知っていたが、参加者も少なく、
発言もほとんどないので登録することはなかったが、
この日は、ふと、もしかして、と思いがあって、のぞいてみた。

参加者がひとり増えていることに気がついた。
そして、その人のハンドルネームと写真(加工してあったが)を見て、
すぐに「あっ、Kさんだ」と気がついた。

ステレオサウンドにも、スピーカーの自作記事を書かれていたし、
資料的価値の高いイラストも描かれていた人で、
瀬川先生のデザインのお弟子さんだ。

ステレオサウンドを辞めて以来だから、ほぼ20年ぶり。
さっそくmixiを通じてメッセージを送った。
Kさんの連絡先はわからなくても、mixiに登録しているだけで連絡がとれる、ありがたい。
返事がとどいた。憶えていてくださった。

それから、Kさんを通じて、サンスイに勤務されていて、
西新宿にあったショールームで、
瀬川先生、菅野先生のイベントを企画されていたNさんの連絡先もわかった。

それから2ヶ月後には、やはりmixiを通じて、
オーデックスに勤められていたYさんとも連絡がとれた。

みなさん、瀬川番と呼ばれていた方たちだ。

インターネットの普及と、その力のおかげだが、不思議なものである。

明日、11月7日は立冬。
瀬川冬樹先生の命日だ。
ワトソン・オーディオのModel 10の外形寸法は、横幅60×高さ120×奥行き55cmである。

全体の構成は、横幅60×高さ40×奥行き55cmほどのエンクロージュアの上に、薄い衝立が立っている。
5ウェイで、ウーファー(20cm口径を2発)をエンクロージュアにおさめ、
上の帯域のユニットは、衝立に取りつけられている。
ダルキストのDQ10に、このへんのつくりは似ている。
ウーファー部分だけ、サブウーファー単体として発売されていた。

Model 10の公称周波数特性は、17〜25000Hz(±5dB)である。
ウーファー部分を、単体のサブウーファーとして発売するのも頷けるレンジの広さである。
しかもさほど大きいサイズでもない。
板厚が不明なので内容積は正確にはわからないが、70リットル前後か。
ブックシェルフ型スピーカー程度の大きさだ。

このウーファー・エンクロージュアには、ヘリウムガスを封入されていた。
ヘリウムガスの音速は、通常期空気のおよそ1/3程度だ。
つまり内容積は、縦・横・奥行きがすべて3倍になるため、3の3乗で27倍に相当する、
というのがワトソン・オーディオの説明であり、特許を取得していたはずだ。

70リットルとして、27倍となると、1890リットル。
壁にユニットを取りつけて、隣室をエンクロージュア代わりに使うようなものだ。

残念ながら、このスピーカーも実物を見たこともない。

けれど、ステレオサウンドにいたころ、傅 信幸さんの試聴中に、なにかのきっかけで、
このスピーカーの話になったときに、
「あのスピーカーの、低音はすごかった、新品の時はね。」

やはりヘリウムガスが、どうしても抜けてくる。
エンクロージュア内部にはビニールを使うなどして、もちろん工夫してあったのだが、
完全な密閉構造は、たやすくない。

ヘリウムガスが抜けてしまった後の音は、
「ふつうの、あのサイズのスピーカーの低音」だそうだ。

とはいえ、このスピーカーの指向しているものは、いまでも興味深い。
1980年ごろ、日本に一時期輸入されたブランドに、ワトソン・オーディオがある。

クレルを創立する前に、ダニエル・ダゴスティーノが在籍していたことや、
ガス入りのコンデンサー型スピーカー、XG8を開発したカナダのデイトンライトのグループ企業である。

XG8は、ガスを入れることでコンデンサー型スピーカーの弱点である耐入力を改善するとともに、
フルレンジの8枚のパネルを上下に4枚ずつ配置。それぞれに角度を持たせることで、
たしか斜め方向への指向性を強くしていたように記憶している。
ステレオ再生に求められる指向性を研究しての結果らしい。
残念ながら、実物を見たこともないので、どんなふうに音場感が展開するのかは不明。

コントロールアンプのSPSも、奥に長いシャーシで、リアパネルのラッチを外すと、
シャーシ全体が二分割されるという、メインテナンスに配慮した構造を持っていた。

それから、この時代にめずらしい、本格的なヘッドフォンアンプも製品化していたはずだ。

そういう、他社の製品とは、どこか一味違う製品をつくっていた会社のもうひとつのブランド、
短命で終ったものの、ユニークなスピーカーだった。

小型スピーカーではなく、コンパクトスピーカーと呼べる、はじめての製品かもしれない。
いま発売されている週刊文春11月6日号に掲載されている、
照明デザイナーの石井幹子氏のインタビュー記事は、
そのままオーディオに置き換えられる興味深い話がいくつもある。

石井氏は、フィンランドの著名な照明デザイナーのリーサ・ヨハンセン・パッペ氏の教え、
「照明で最も大事なのは光源」
「光は見るものではなく浴びるもの」
「ルックス(明るさの単位)は数字でなく感覚で理解すること」
このライティングの基礎がいまも座右の銘と語られている。

これらは、こう置き換えられるだろう。
「オーディオで最も大事なのは音源」
「音は聴くものではなく浴びるもの」
「dB(デシベル)は数字でなく感覚で理解すること」

さらに「人を魅きつけるあかりは陰翳のグラデーションの中にこそある」、と語られ、
「照らしすぎた照明では、人は『見える』としか感じられない」、とされている。

情報量の多すぎた音では、人は「聴こえる」としか感じられない、
そういう面が、いまのオーディオにはあるような気がしてくる。

例として、石井氏は、
「目の前の茶碗ひとつにしても、ポッと柔らかなあかりが灯ったところ──
明と暗の中間に美しい陰翳があれば、人の記憶に訴える」ことをあげられている。

情報量が多いだけの音では、記憶に訴えられない、
そんな音で聴いて、音楽が記憶に残るのだろうか、
心を揺さぶるのだろうか。

柔らかな明かりで陰翳をつくれば、ディテールはどうでもいいというわけではない。

「仕事はディテールこそが全体を左右する」と言われている。

欧米の文化が「光と闇の対比」で照明をとらえるのに対して、
日本的な「光と闇の中間領域のグラデーションの美」を表現してみたい、とのこと。

示唆に富む言葉だと思う。

わずか3ページの記事だが、ぜひ読んでもらいたい。

もうひとつだけ。
経験則として語られているのが、人の記憶を呼び覚ます照明デザインは理屈じゃなく、
「肩を寄せあって見つめるにふさわしいあかり」を実現できれば、
「人はそのあかりのもとに集まってきてくれるだろう」と。

なぜ音に関心をもつ人が少数なのか。そのことをもういちど考えなおす、良きヒントだと思う。
伊藤先生を始めとする真空管アンプの製作記事に共通していえるのは、プリント基板を使ったものは、
私が当時見たかぎりではひとつもなかった。
トランジスターアンプでは、プリント基板を使うのが、メーカー製でも自作でも当然だが、
真空管アンプでは使用パーツ点数がトランジスターンプに比べてそれほど多くないこと、
真空管まわりのパーツも、ソケットとラグ板を利用することで、
プリント基板を使う必要性があまりないこともあってのことだろう。

それにマランツやマッキントッシュの真空管アンプも使っていなかった。
だから真空管アンプ・イコール・プリント基板レスというイメージができあがっていた。
もちろん配線の美しさに、つくった人の技倆がはっきりと現われるけれど。

サウンドボーイ誌には、伊藤先生のワイヤリングを、「美しく乱れた」と表現してあり、
まさしくそのとおりだな、と納得したものだ。

手配線は、つくる人の技倆によって出来不出来が、多少ならずとも生じてしまう。
メーカーが、同じ性能をモノをいくつもつくらなければならない、
そのためにプリント基板を使うのは理解できる。

それでも、当時のアメリカから登場した新興メーカーの真空管アンプの内部のつくりは、
写真を見ると、かなりがっかりさせられた。
トランジェント特性に優れた方式は、コンプレッションドライバーとホーン組合せだけではない。
インフィニティ、マグネパンやコンデンサー型スピーカーが振動板に採用しているフィルム。
この軽量のフィルムを、全面駆動、もしくはそれに近いかたちで駆動する方式だ。

いろんな面でまったく正反対だ。
コンプレッションドライバーとホーン型の組合せには、感覚的にだが、ある種の「タメ」があり、
次の瞬間勢いよく立ち上がる。そんな感じを持っている。

一方、軽量のフィルを振動板に使ったスピーカーはどうか。
それは親指でおさえずに人さし指でモノを弾くのに似ているように思う。
駆動力が確実に伝われば、軽量のフィルムは、すっと立ち上がる。

しかもフィルム振動板の多くは、フィルムにボイスコイルを貼り合せたり、エッチングしたりする。
コンプレッションドライバーのダイヤフラムのように、ボイスコイル、ボイスコイルボビン、
ダイヤフラムというふうに振動が伝わるわけではない。

コーン型にしろドーム型、コンプレッションドライバーも、
ボイスコイルボビンの強度はひじょうに重要である。

コンプレッションドライバーとホーンの組合せと、フィルム振動板の大きな違いは、
放射パターンにもある。

マグネパンやコンデンサー型スピーカーがそうであるように、
後面にも前面と同じように音が放射される。もちろん位相は180度異る。

インフィニティのEMI型ユニットは、後面の放射をコントロールしているが、
インフィニティはシステムとしてまとめるとき、
エンクロージュア後面にもEMI型ユニットを取りつけている。
前面に取りつけているユニット数よりも少ないものの、
同社のフラッグシップモデルだったIRS-Vは、EMI型トゥイーター、つまりEMITユニットを、
前面24個、後面12個という仕様になっている。

トランジェント特性の優れたもの追求しながら、
日本(コンプレッションドライバーとホーンの組合せ)と
アメリカ(軽量フィルム振動板によるダイポール特性)の違い、
このことがアメリカから登場した真空管のコントロールアンプに大きく影響していると考えている。
フルトヴェングラーは、マタイ受難曲について、

空間としての教会が今日では拘束となっている。
マタイ受難曲が演奏されるすべての場所に教会が存在するのだ。

と1934年に書いている。

五味先生が、フルトヴェングラーの、この言葉を読まれていたのかどうかはわからないが、
五味先生の「神を視ている」は、フルトヴェングラーと同じことを語っている。そう思える。
五味先生の著書「五味オーディオ教室」でオーディオの世界に入った私にとって、
冒頭でいきなり出てきた「肉体のない音」という表現は、まさしく衝撃的だった。

演奏家の音をマイクロフォンで拾って、それを録音する。
そしていくつかの工程を経てレコードになり、聴き手がそれを再生する過程において、
肉体が介在する余地はない、と五味先生も書かれている。

けれど、鳴ってきた音に肉体を感じることもある、とも書かれている。

「肉体のある音」とはどういう音なのか。

ほとんど経験というもののない中学生は、リアリティのある音、
ハイ・フィデリティという言葉があるのなら、ハイ・リアリティという言葉があっていいだろう。
そんなふうに考えた。

いま思えば、なんと簡単に出した答えだろう、と。
けれど、それからずっと考えてきたことである。
トランジェント特性、いわゆる過渡特性の優れたスピーカーを語るとき、ホーン型は無視できないだろう。
ここで言うホーン型は、コンプレッションドライバーとの組合せを指す。
ドイツのアバンギャルドは、ホーンを採用しているが、コンプレッションドライバーには否定的である。

最初に断っておくが、コンプレッションドライバーとホーン型スピーカーについて、
感覚的なことを書いていく。

20年ぐらい前からなんとなく思ってきたというか、感じてきたことだが、
コンプレッションドライバーとホーン型スピーカーの動作は、
指で何かモノをはじくときに似ていないかということ。

ふつう人さし指(もしくは中指)を親指で抑えて、
人さし指にある程度力が蓄えられたときに、
親指からはなれると、勢いよく人さし指が前に動く。

親指で抑えずに、人さし指だけを動かしてみると、
どんなに速く動かそうとしても、軌道も安定しないし、スカスカといった感触の動きになる。

コンプレッションドライバーには、この親指の抑えの働きみたいなものが作用しているのでは。
いうまでもダイヤフラムが人さし指にあたる。

親指で抑えられた人さし指は、抑えられていないときに較べて、
力が蓄えられるまでの間、わずかとはいえ時間を必要とする。
コンプレッションドライバーのダイヤフラムも、
コーン型やドーム型のダイレクトラジエーター型にくらべて、
ほんのわずかかもしれないけど、時間を必要とするのかもしれない。
そのかわり、ダイヤフラムは解きはなたれたように、パッとすばやく立ち上がる。

この間(ま)というか、ほんの一瞬の「タメ」と、
すばやいダイヤフラムの動きが、
コンプレッションドライバーとホーン型スピーカーの魅力をつくっているようにも思える。

さらにつけ加えるなら、コンプレッションドライバーのダイヤフラムのエッジも、
ドーム型やコーン型とくらべると硬いことも関係しているだろう。
LS3/5Aを情緒的なスピーカーと表現したが、
すこし補足すると、歌の情景を思い浮ばせてくれるスピーカーといいたい。

クラシックを聴くことが圧倒的に多いとはいえ、やはり日本語の歌が無性に聴きたくなる。
だからといって、J-Popは聴かない。歌(言葉)が主役とは思えない曲が多いようにも感じるし、
すべてとは言わないが、歌詞に情緒がない、情景が感じられないからである。

いいとか悪いとかではなく、中学・高校のときに聴いてきた日本語の歌が、
もっぱらグラシェラ・スサーナによる、いわゆる歌謡曲で、それに馴染みすぎたせいもあろう。

「いいじゃないの幸せならば」「風立ちぬ」(松田聖子が歌っていたのとはまったく違う曲)
「夜霧よ今夜も有難う」「別に...」「粋な別れ」など、まだまだ挙げたい曲はあるが、
スサーナによるこれらの歌を聴いていると、なにがしかの情景が浮かぶ。

だがどんなスピーカーで聴いても浮かぶわけではない。
目を閉じて聴くと、間近にスサーナのいる気配を感じさせる素晴らしい音を聴いたからといって、
必ずしも情景が浮かぶわけではない。
すごく曖昧な言い方だが、結局、聴き手の琴線にふれるかどうかなのだろう。
まだ他の要素もあるとは思っている。

だから私にとって、情景型スピーカーであるLS3/5A(ロジャースの15Ω)が、
他の人にとっては、なんてことのないスピーカーと感じられるかもしれない。

そして五味先生の文章にも情景を感じられる。
そして、この「情景」こそが、
五味先生が言われる「肉体のある音」「肉体のない音」につながっていくように思えてならない。

まだまだ言葉足らずなのはわかっている。
追々語っていくつもりだ。

1932年

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フルトヴェングラーの「音楽ノート」の所収の「カレンダーより」の1932年に、

ラジオの聴衆が音楽会から受けとる、あの栄養素のない、ひからびて生気のぬけた煎じ出しを
心底から音楽会の完全な代用物とみなすことができるのは、
もはや生の音楽会が何であるかを知らない人たちだけである。

と書いている。
フルトヴェングラーはレコードを信用していなかったことは有名な話である。
だから、この記述に驚きはしないが、この1932年9月25日にグレン・グールドは生を受けている。

単なる偶然、そう、たぶんそのとおりだろう。

けれど、ごっちゃにしすぎと言われそうだが、
菅野沖彦、長島達夫、山中敬三の三氏の誕生月も、1932年の9月である。

レコードの可能性、オーディオの可能性を信じてきた人たちが、ここに集中しているのは、
ほんとうに偶然なのだろうか。

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