2008年10月アーカイブ

LS3/5AとAE2とでは、まさしく隔世の感だ。

おそらく早瀬さんのリスニングルームのエアーボリュームではSL700でも、
あそこまでの音量を、何の不安さを感じさせずに鳴らすことは無理だろう。
ましてLS3/5Aでは、低域を思いっきりカットしたとしても、到底無理である。

だからといって、LS3/5AがAE2に対して、すべての面で劣っているとは思っていない。

ちょうどいまごろの季節、夜おそく、ひとり静かにしんみりと、ひっそりと音楽を味わいたいとき、
ごく小音量で親密な音楽との接し方を望むとき、LS3/5Aは、やはり最適の存在である。

この良さが、SL6以降、薄れはじめ、AE2では、もう希薄というよりも、無いと言いたくなる。

たとえ深夜であろうと、まわりを気にせず、好きな音量で聴ける環境を持っていたとしても、
日本に住んでいると季節感と無関係ではいられない。
個人的な趣向かもしれないが、肌寒くなって来はじめたころになると、
LS3/5Aの鳴り方が恋しくなってくる。

こういう情緒的なところをもつスピーカーを、手元においておきたいものだ。
ARのスピーカーが、それまでのフロアー型スピーカーと比べると小型化に成功したときから、
小型スピーカー・イコール・密閉型という図式が続いてきたと思う。

セレッションのSL6以前の小型スピーカーのディットン11も密閉型だし、
すこし大きめのUL6はパッシヴラジエターを採用して、低域を補っている。

およそ小型スピーカーでバスレフ型というのは、アコースティック・エナジー以前には見たことがない。
そして、この後、小型スピーカーのバスレフ型が増えていくことになる。

このことは、おそらく小口径ユニットが各部の改良によって、
かなりの振幅でも使えるようになったためではないかと思う。

AE2は、早瀬さんが一時期鳴らされていたことがあるので、
数回にわたって、かなりの時間を聴くことができた。

当時の早瀬さんのリスニングルームは、広かった、そして大きかった。
おそらく50から60疂ほど広さで、弧を描いている天井も、いちばん高いところでは、
5、6mほどあったと思う。
さらに低域がこもらないようにと、廊下と続いている。

だからエアーボリュウムとしては相当なものだ。
そういうところで鳴らしても、まったく平気だったのがAE2だ。

心配することなくボリュームを上げていける。
おそらくアコースティック・エナジーの謳い文句どおりに、
ウーファーのアルミ振動板がきっちり放熱しているのだろう。

LS3/5が登場したのが1970年、改良モデルのLS3/5Aが75年、SL6が82年、
AE1、AE2の日本登場は90年だが、イギリスでは87年に登場しているらしい。

SL6からわずか5年である。
セレッションのSL6の登場以降、いわゆる小型スピーカーの鳴り方は、
ロジャースLS3/5Aと比べると大きく変化した。

小型スピーカーだから、あまりパワーを入れてはいけない、大きな音はそれほど望めない、
低域に関してもある程度あきらめる......などといった制約から、ほぼ解放されている。

SL6はその後、エンクロージュアの材質を木からアルミ・ハニカム材に変更した上級機SL600を生み、
さらにトゥイーターの振動板をアルミに変更し、
専用スタンドとの一体化をはかったSL700へと続いていく。

同じイギリスからは、すこし遅れてアコースティック・エナジーが登場している。
フィル・ジョーンズが設計をつとめたAE1とAE2は、
アルミ合金を芯材として表面を特殊処理の薄膜シートで被うことで、
高剛性と適度内部損失を両立させただけでなく、
大入力時のボイスコイルの熱を効率良く振動板から逃がすことにも成功している。
口径はわずか9cm、センターキャップが鋭角なのも視覚的な特徴であるとともに、
このブランドのスピーカーの音とぴったり合う。

トゥイーターもマグネシウム合金を採用するなど、意欲的な設計だ。

そしてAE1、AE2が、LS3/5Aとはもちろん、SL6とも大きく異るのは、
バスレフ型エンクロージュアを採用していることだ。
同じ平面型スピーカーでも、日本とアメリカとではずいぶん異る。

スピーカーの振動板に求められる、高剛性、内部音速の速さ、適度な内部損失、そして軽さ、
これらすべてを高い水準で満たしている材質はないため、さまざまな工夫が生れている。

日本の平面型スピーカーが追求していたのは、当時のカタログや広告からわかるように、
分割振動をなくし、ピストニックモーション領域の拡大、
それからコーン型の形状からくる凹み効果から逃れることだろう。

アメリカはというと、トランジェント特性の追求だと、私は見ている。

だから、日本のメーカーは、多少質量は増えても、まず高剛性であることを重視して、
振動板の材質を選んでいる。

アメリカはどうか。インフィニティのEMI型にしても、マグネパンやコンデンサー型にしても、
振動板の材質は、軽いフィルム系のものである。高剛性よりもまず軽いことを重視している。
セレッションSL6の開発スタイルは、同じイギリスのアレックス・モールトンとそっくりだと思う。

アレックス・モールトンは小口径ホイールの自転車で、
日本で一時期流行したミニサイクルの原型と言われている。

開発者のモールトン博士は、理想の自転車を開発するために、
まず従来の大口径ホイール(28インチ)とダイヤモンド・フレームという組合せだけでなく、
いままでの自転車の乗り方にまで疑問を持ち、自ら、ひとつひとつの疑問に答を出し、
その結果が、小口径ホイール(17インチ)とサスペンション、トランス・フレーム採用の、
現在の形態である。

通常とは異る乗り方も考え出したらしいが、危険な面もあり、従来の位置関係を踏襲している。

モールトンは、まずサイズありき、でもない。一般的な常識ありき、でもない。
従来の枠組みの中での理想を追い求めたのではない。

アレックス・モールトンの輸入元は、
質量分離型トーンアームの DV505やスーパーステレオ方式、
ダイヤモンドカンチレバーを早くからカートリッジに採用していたダイナベクターである。

ブリヂストンがライセンス生産しているブリヂストン・モールトンもある。
47研究所のアンプGainCardを使っている、意外な店が東京・吉祥寺に2軒ある。

1軒は、ジングルジャングルという、ハワイをイメージした飲み屋で、
もう1軒は、洞くつ家という、横浜家系のラーメン店。

どちらもジャズ喫茶や名曲喫茶ではないので、
GainCardの音を真剣に聴くという雰囲気ではないし、
店内に入ってすぐにわかるようなところに置いてあるわけでもなく、見つけ難いかも。
セレッションSL6の横幅は20cmである。
開発リーダーのグラハム・バンクが当時語っていたのが、
エンクロージュアの横幅が広いと音場感の再現に悪影響をもたらす、ということだった。

エンクロージュアの左右の角からの不要輻射とユニットからの直接音との時間差が
ある程度以上になると、人間の耳は感知し、その結果、音場感がくずれてしまうらしい。

スピーカーを左右の壁に近づけすぎると、
スピーカーからの直接音と壁からの一次反射音との時間差が少なくなると、
部屋の響きとしてではなく、音の濁りとして感知されるということは、
以前から言われていたが、エンクロージュアの不要輻射に関しては反対のようだ。

おそらく面と線(エンクロージュアの角)の違い、
反射と不要輻射の違いからくるものだろう。

個人的な意見だが、エンクロージュアの側板の鳴きは、響きが美しければ、
スピーカー全体の音を豊かに響かせてくれると感じている。
スピーカーの角度の振りは、聴取位置から、
エンクロージュアの側板が見えるくらいの方が、時として楽しめる音を出してくれる。

グラハム・バンクによれば、ひとつの目安として、
エンクロージュアの横幅は、人間の左右の耳の間隔と同じにすることらしい。
これよりあきらかに横幅が大きくなると、音質上問題が生じるとのこと。

SL6のウーファー口径の15cmは、エンクロージュアの横幅をぎりぎりまで狭くしたいことも
理由のひとつだったのかもしれない。

日本のスピーカーで、ラウンドバッフルが流行った。左右のコーナーを直角ではなく、
丸く仕上げている。

ラウンドバッフルは指向性の改善のためと言われているが、
ある程度低い周波数まで効果があるようにするには、かなり大きいカーヴが必要になる。
ダイヤトーンの2S305くらいのラウンドバッフルでなければ、改善効果は高い周波数に限られる。

にも関わらずカーヴの小さなラウンドバッフルが増えてきたのは、不要輻射を抑えるためである。
直角よりも少しでもラウンドバッフルにしたほうが、
エンクロージュアの左右の角からの不要輻射は減ることがわかっている。
一般的なコーン型ユニットの口径は、8cm、10cm、12cm、16cm、20cm、25cm、30cm、38cmである。

セレッションのSL6のウーファーの口径は15cm。おそらく他のメーカーだったら16cmを採用しているだろう。
15cmと16cm、それほど大きな違いはないようにも感じられるが、
あえて15cmにしている点は見逃せないと思える。

SL6のユニットは、トゥイーターもウーファーも、専用の新規開発だから、
16cmすることもたやすかったはず。
それにウーファーは面積が大きいほど低音再生に関しては有利になってくる。

SL6はウーファーは高分子系重合材を振動板に採用している。
剛性、内部損失、経年変化の度合い、製造時のバラツキの少なさなどを考慮しての選択だろうが、
おそらく16cmもつくっていると、私は思っている。もしかしたら14cmのものをつくっているのかもしれない。

それらをレーザー光線による振動の動的解析を行なった上で、振動板の材質との兼合いも含めると、
15cm口径が、彼らの求める性能を実現してくれたからなのだろう。

まずサイズありき、の開発では、15cm口径のウーファーはあり得なかっただろう。

そういえば、同じイギリスのグッドマンのAXIOM80も、約22.5cmという中途半端な口径だった。
どちらかといえば保守的な印象の濃いイギリスだが、
暗黙の規格に縛られないところもイギリスの良さなのかもしれない。
ソニーの平面型スピーカー、APMシリーズは、
Accurate Pistonic Motionの頭文字をとっている。

コーン型振動板の分割振動を嫌い、
できるだけ正確なピストニックモーションを実現するための平面振動板の採用だったわけだ。

LINNの代表モデル、LP12は、
ご想像の通り、LPをかけるプレーヤーで、その直径が12インチだからである。
CDプレーヤーのCD12の「12」は、CDの直径が12cmだから。

47研究所の「47」は、主宰者の木村準二さんの名前からとられている。
木村→き・むら→黄・紫で、抵抗のカラーコードで、黄色と紫は4と7を示すからである。
27年前のいまごろ、瀬川先生が最期に口にされたお酒は、
ホワイト&マッケイの21年もの、だと、
当時、ロジャースの輸入元だったオーデックスに勤められていたYさんから聞いたことがある。

医師の許可をとられて、病室で口にされている。
これがどういうことか、瀬川先生ご本人がよくわかっておられたであろう。

ホワイト&マッケイの21年ものは、瀬川先生の希望だ。
しかも、21年ものは、お酒が寝ているから、それを起こすための水も必要だ、と言われ、
水(ミネラルウォーター)の指定も出されたそうだ。

ホワイト&マッケイはスコッチ・ウィスキー。スコットランドであり、
スコットランドにはLINNがある。
当時オーデックスはLINNも輸入していた。

Yさんは、LINNのアイバー・ティーフェンブルン氏に連絡したところ、
ホワイト&マッケイの21年ものと指定のミネラルウォーターを、送ってくれたのではなく、
持ってきてくれたと聞いている。

病室でのお酒──、
瀬川先生がどんなことを考えておられたのか、
どういう想いだったのか、は、わからない。
ジェフ・ロゥランドDGのModel10、12のカタログには、
8Ω負荷時38Wの連続出力を持つパワーデバイスを、Model10は12個、
model12は12個だが、こちらはモノーラル仕様なのでステレオだと24個使っている、とある。

このパワーデバイスは、ようするにパワーICで、47研究所のGainCardに使われているものより、
ひとまわりサイズが大きく、出力も大きいLM3886というパワーICである。

Model10は、LM3886を12個使っているわけだから、片チャンネル当り6個使用。
内部を見るとわかるが、LM3886のNFBループ用の抵抗には、
コンピューターや最近のデジタルオーディオ機器に使われるようになったチップ抵抗を、
プリント基板に取り付けられているものの、サイズの小ささを活かして、
LM3886のリード線ぎりぎりまで近づけて、やはりNFBループをかなり小さくするよう配慮されている。

つまりGainCardと同じ思想でつくられたアンプを、
Model10は、片チャンネル当り6個並列に接続しているといえる。
アンプ全体としてみると、GainCardよりもかなり大型のジェフ・ロゥランドDGのアンプだが、
中身に関しては、特徴的なところはそっくりである。
クレルの初期のパワーアンプとは対照的な思想でつくられているのが、47研究所のGainCardだ。

GainCardのクローンという意味のGainCloneで検索すると、海外の自作マニアのサイトが数多くヒットする。
47研究所のGainCardをそっくりそのまま模倣したものから、
設計思想はそのままで、使用するパワー ICを、より大出力のものに変更したり、
電源とアンプ本体を一体化したり、真空管によるバッファーを前段に設置したり、と、
それぞれ創意工夫がこらされている。なかには空回りしているものも......。

トランジスター、FET、抵抗やコンデンサーを組み合わせてつくるディスクリート構成と比べると、
OPアンプ(パワーIC)によるアンプは性能だけでなく音質面でも低いものと見がちだが、
必ずしもそうではなく、結局は、広い意味での使いこなしである。

GainCardは、パワーICを使い、入力端子、出力端子との配線も極力短縮化し、
信号経路の短縮化を実現している。
さらにパワーICのリード線に直接NFB用の抵抗をハンダ付けすることで、
NFBループもひじょうに小さなものになっている。
結果、アンプ本体は手のひらに乗せることが出来る。

47研究所のサイトでは信号経路の短さが謳われているが、注目したいのは、NFBループの小ささだ。

携帯電話やパソコン、インバーター式の家電製品が氾濫し、オーディオ機器は、
あらゆる高周波ノイズにさらされている。

高音質化をうたい、高音質パーツ(大概大きい)を使い、ディスクリート構成で安易に組み上げると、
NFBループが大きくなってしまう。ここから高周波ノイズがはいってくる。
NFBループは小さいほどいい。

パワーICを使っても、プリント基板にパーツを配置して、となると、
リード線に直接ハンダ付けと比較するとNFBループは大きくなる。
それを嫌い、作業としては何倍も面倒なリード線にハンダ付けの手法をとっている。

アマチュアライクという人もいるだろうが、確実な方法だと私は思っている。

47研究所のGainCardと同じ思想でつくられているのが、ジェフ・ロゥランドDGのModel 10、12だ。
クレルの独自のパーツ配置は、その後、他社のアンプと同じように凝集されていく。
パーツ同士が近接すれば、互いに干渉する度合いが強まる。
離せば、干渉は減っていくが、配線がのび、信号経路が長くなる。

一概にどちらが正しいとは言えない。
それでも初期のクレルのアンプで聴けた音の質感は、
あのコンストラクションと無縁ではないと、いまでも思っている。

クレルのKSA100やKMA200のコンストラクションで特徴的だったことをひとつ書くと、
ヒートシンクとファンの位置関係がある。

ファンを使っているアンプでは、ヒートシンクが横方向に置かれていることが多いが、
クレルでは縦方向であり、ファンの位置も、こういう場合、ヒートシンクの上に取りつけられる。
クレルはというと、シャーシ底板とヒートシンクの間に、
ファンがゴムプッシュを介して取りつけられている。めったにない取付け方法だ。

パワーアンプのパーツの中では、電源トランスに次ぐ重量物がヒートシンクであり、
通常なら、シャーシにしっかりと固定するものを、
あえてファン上に置き、左右に力を加えると、多少ふらつくようにしている。

おそらく、この点は、常識にとらわれることなく、耳で判断しての結果であろう。
平面振動板実現へのアプローチ、素材の選択、システムとしてのまとめかたは違っていても、
ほぼ同時期、日本とアメリカで出てきたのは偶然とも言えるだろうし、
素材や加工・製造技術が進歩して、それまでは大量生産が無理だったものが可能になったためかもしれない。

とはいえ結果としてまとめ上げられたシステムは、アメリカと日本では、そうとうに異る。
メーカー間の差よりも大きいと感じている。

日本のメーカーは、平面振動板を実現するのに、高剛性の素材を積極的に採用している。
一方のアメリカのメーカーは、コンデンサー型にしてもフィルムというやわらかい素材のものが目立つ。
そして、システムとしての能率もアメリカのほうが低い。
アメリカのほうがリスニング環境はスペース的にめぐまれているにも関わらず。

やわらかい振動板と低い能率、このことと新しく登場したコントロールアンプの性能と音が、
関係していないと言えないだろう。
アメリカから真空管アンプの新顔が登場しはじめた1979年ごろ、
日本のスピーカーには、平面化が流行しはじめていた。

Lo-Dは、従来のコーン型(振動板は金属)のくぼみに充填材をつめ表面をフラットにするとともに、
最上級機のHS10000では、フロントバッフルの寸法が、横90cm、縦180cmの大型エンクロージュアを採用し、
さらに壁に埋め込むことで、バッフル面積をさらに稼ぐよう指定されていた。

ソニー、テクニクス、パイオニアはアルミハニカムコアを振動板に採用。
ソニーは四角い振動板で、テクニクスはアルミハニカムを扇状に広げて円の振動板、
パイオニアは振動板の形状は四角だが、4ウェイを同軸構造とするなど、
一言で平面型といっても、各社のアプローチはずいぶん異っていた。

アメリカでも、似た状況のようで、
コンデンサー型フルレンジユニットに、サブウーファーを足したシステムが第1作のインフィニティは、
その後、ウォルッシュドライバーを採用したりするが、78年ごろ、独自のEMI型ユニットを開発。

エレクトロ・マグネティック・インダクション(EMI)型と名付けられた、このユニットは、
極薄のフィルムに薄膜状のボイスコイルを貼り合せたものを振動板にしている。

同じような構造のユニットはフォステクスから出ているし、
77年、テクニクスから出たリーフトゥイーターも、振動板にボイスコイルをエッチングしている。
リーフトゥイーターをリボントゥイーターの一種と混同されている方がおられるが、
リーフトゥイーターは振動板前面にあるディフューザーに見えるもの、これがないと動作しない。

古いところではマグネパンも存在していたし、KLHも屏風状のコンデンサー型スピーカーをつくっていた。
前述のアクースタットやビバリッジもあったし、カナダからはガスを封入することで
コンデンサー型スピーカーの弱点の解消をはかったデイトンライトも登場している。

愛聴盤と言う、長年聴き続けてきて、そしてこれから先もずっと聴き続けていくなろうディスク、
なにか大事なときには必ず聴きたくなるディスクのことだが、
愛聴盤というニュアンスではなくて、ある短期間(数カ月だったり1年だったり)、
ことあるごとにかけるディスクもある。
それこそ毎日鳴らすこともあるし、一日のうちに二度三度聴くこともある。
そういうディスクのことをなんと呼んだらいいのか、
と以前、黒田先生がステレオサウンドに書かれていた。

たしかに愛聴盤とは呼べない。限られた期間とはいえ頻繁に聴くディスクにぴったりの呼称がない。

少し前の週刊文春に連載されている近田春氏の「考えるヒット」の欄外に、
ヘビーローテーション盤という言葉を見つけた。

愛聴盤と比較するとカタカナがすこし長いし、酷使されている感じもするが、
いまのところ,これがイチバンぴったりの言葉だろう。

いうまでもないが、ヘビーローテーション盤と愛聴盤は違う。
ヘビーローテーション盤を、愛聴盤と混同してはならない。
アメリカから現われた真空管アンプはコントロールアンプに集中している。
これらコントロールアンプと同じころ、
イギリスから登場したのがマイケルソン&オースチンのパワーアンプTVA1だ。

マッキントッシュのMC275と同じ、KT88のプッシュプルアンプで、
トランスのカバーがクロームメッキされていることもあってか、MC275の現代版と呼ばれることもあった。

イギリスという、いわば保守的なイメージがある国からの登場ということもあってか、
古典的な真空管パワーアンプのような印象を持たれがちだったが、
当時、マッティ・オタラ博士が発表し、話題になっていたTIM歪に対して、
オーバーオールのNFB量を最少限にとどめることで、改善を図っていることをうたっていた。

TVA1は、ステレオサウンド 55号のベストバイ特集で、
瀬川先生がパワーアンプのマイベスト3に選ばれている。
日本で、TVA1を高く評価されていたのは瀬川先生だった。

亡くなられる数カ月前に出たスイングジャーナルの別冊では、
アルテックの620Bに、このアンプを使われ、組合せをつくられている。
アクースタットのAcoustat Xは、3枚のフルレンジのパネルを、角度をつけた構成で、
専用アンプが内蔵されている。

Acoustat Xの輸入元はバブコで、カタカナ表記はアコースタットだが、
輸入元がファンガティにかわり、表記もアクースタットになり、
こちらのほうが認知されているようなのでアクースタットと表記する。

内蔵アンプは、電圧増幅部はトランジスターで、出力段は真空管で構成されている。
コンデンサー型スピーカーの動作上、パワーアンプからの入力信号を、
かなりの高電圧に昇圧しなければならない。
そのためコンデンサー型スピーカーは昇圧用トランスを内蔵している。

真空管アンプでコンデンサー型スピーカーを鳴らす場合、出力トランスが出力管の信号を降圧して、
その信号をスピーカー内蔵のトランスで昇圧するという、いわば無駄なことをやっている。

Acoustat Xは、出力管の出力をそのままコンデンサー・ユニットにつないでいる。
使用真空管は不明だが、かなり高圧が出力できるものだろう。
そうでなければ、昇圧トランスを省くことはできないから。

数年後、ファンガティが輸入をはじめたモデル3は、アンプは省かれ、
昇圧トランスを低音用、高音用とふたつ分け使っている。
もちろんユニットは、フルレンジのコンデンサー型だ。

このファンガティ取扱い時代、推奨アンプはオーディオリサーチの真空管アンプだった。
小うるさいことを書いている。

そんな些細なこととオーディオの音は何の関係もないだろう、
いい部屋にいいオーディオ機器、それを使いこなせばいいのであって、
モーツァルトのレクィエム、と略せず書いたからといって、音が良くなるはずなどなかろう。

そう少しでも思っている人は五味先生の「オーディオ巡礼」に所収されている
「芥川賞の時計」を読んで、何を感じるのだろうか。
     ※
沢庵とつくだ煮だけの貧しい食膳に妻とふたり、小説は書けず、交通費節約のため出社には池袋から新宿矢来町までいつも歩いた......そんな二年間で、やっとこれだけのレコードを私は持つことが出来た。
 白状すると、マージャンでレコード代を浮かそうと迷ったことがある。牌さえいじらせれば、私にはレコード代を稼ぐくらいは困難ではなかったし、ある三国人がしきりに私に挑戦した。毛布を質に入れる状態で、マージャンの元手があるわけはないが、三国人は当時の金で十万円を先ず、黙って私に渡す。その上でゲームを挑む。ギャンブルならこんな馬鹿な話はない。つまり彼は私とマージャンが打ちたかったのだろう。いちど、とうとうお金ほしさに徹夜マージャンをした。数万円が私の儲けになった。これでカートリッジとレコードが買える、そう思ったとき、こんな金でレコードを買うくらいなら、今までぼくは何を耐えてきたのか......男泣きしたいほど自分が哀れで、居堪れなくなった。音楽は私の場合何らかの倫理感と結びつく芸術である。私は自分のいやらしいところを随分知っている。それを音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に坐り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた。──三国人の邸からの帰途、こんな金はドブへ捨てろと思った。その日一日、映画を観、夜になると新宿を飲み歩いて泥酔して、ボロ布のような元の無一文になって私は家に帰った。編集者の要求する原稿を書こうという気になったのは、この晩である。
     ※
都営住宅の家賃が2700円で、芥川賞の賞金が30000円のころの数万円の儲けは、
当時の五味先生にとっては、そうとうな大金だったはず。

まだ18歳だった、この文章を1読んだとき涙がこぼれた。
いま書き写していても、熱いものがこみ上げてくる。

オーディオを通して、音楽を聴くということは、そういうものである。
ステサン──ステレオサウンドを、こう略して言う人は少なくない。
なぜ略すのか。

誌面に限りがあり、文字数をぎりぎりまで減らす必要があるならば、略すのもわかる。
しゃべりで、ステサンと言うのとステレオサウンドと言うのと、時間にしたらわずかである。
そんなに言葉を多く話すのがイヤなのか、それとも略すのをカッコいいとでも勘違いしているのか。

個人サイトやブログでも、略語を使う人はいる。
ネットの良さは、誌面の制限を受けないことだと思っている私には、略語を使う意味がわからない。
キーボードを打つのが面倒なら、単語登録しておけばすむこと。
そんなわずかな手間を惜しむのか。
だとしたら、「オーディオに向いていないよ、あなたは」と言いたくなる。
オーディオこそ、手間を惜しまず取り組むことを求められる趣味だから。

もうひとつ言いたいのは、モツレクとかベト7とか、ひどい略語についてである。
モツレクを、個人サイトではじめて見たとき、「えっ?」と、ほんのわずかな時間だが考えた。

モーツァルトのレクィエムのことである。ベト7はベートーヴェンの交響曲第7番のこと。
五味先生の著書を読んできた私は、レクイエムではなく、レクィエムと書く。

しかも、そのサイトの主は、モツレクは大好きな曲で愛聴盤だと書いている。
なのに「モツレク」である。言葉の響きとして、まったく美しくない。

モツレクと平気で言える人、書ける人の美意識──、
そんなのでほんとうにオーディオを追求していけるのか。

そんなことは音とは関係ないと言うだろう、そういう人たちは。
だけど、そんな小さなことにその人なりが表われるし、「音は人なり」である。
インターナショナルオーディオショウで見かけた、あることについて書く。

20代か30歳そこそこといった若い感じの人が、あるオーディオ評論家の方に、
ステレオサウンドに書かれていた記事について、質問されていた。

盗み聞きしてはいけないと思いながら、それとなく聞いていたら、
どうも、質問されている人の勘違いのようで、そのオーディオ評論家の方も
「家に帰られたら、もういちど読み返してほしい。そんなふうには書いていないから。
それでも、もしそう受けとめられたら、明日も明後日も私はここ(会場)に来ているから、
また声を掛けてください」と真摯に応えられていた。

それに対して、若い感じの人は
「いやー、ステサンは買ってないんですよ。立ち読みです。
でも重たいから立ち読みも大変なんですよ」と笑いながら自慢気であった。

いいかげんに立ち読みして、勘違いして、そのことで、何の落ち度のない人を煩わせて、
へらへらして平気な顔をしている。

立ち読みを勧めはしないが、真剣に立ち読みをすれば、つまらない勘違いもしない。
情報があふれ返っていることに馴れきってしまったことの不幸なのだろう。
KEFの#105の資料は、手元に何もない。写真があるぐらいだ。

以前、山中先生が言っておられた。
「ぼくらがオーディオをやりはじめたころは、得られる情報なんてわずかだった。
だからモノクロの写真一枚でも、じーっと見続けていた。
辛抱づよく見ることで、写真から得られるもの意外と多いし、そういう習慣が身についている。」

私がオーディオに関心をもちはじめたころも、山中先生の状況と大きく変わらない。
東京や大阪などに住んでいれば、本だけでなくオーディオ店にいけば、実機に触れられる。
しかも、オーディオ店もいくつも身近にある。

けれど、熊本の片田舎だと、オーディオを扱っているところはあっても、
近所にオーディオ専門店はない。
得られる情報といえば、オーディオ誌だけである。
まわりにオーディオを趣味としている先輩も仲間もいなかった。

だから何度もくり返し同じ本を読み、写真を見続けるしかなかった。

いまはどうだろう。
情報量が増えたことで、あるひとつの情報に接している時間は短くなっていないだろうか。

数年前、ある雑誌で、ある人(けっこう年輩の方)が、
「もう、細かなことはいちいち憶えてなくていいんだよ。
ネットで検索すればいいんだから」と発言されていた。
それは趣味の分野に関しての発言だった。

ネットに接続できる環境があり、パソコンもしくはPDAで検索すればそのとおりだろう。
仲間内で、音楽やオーディオの話をしているとき、
その人は、つねにネットに接続しながら話すのだろうか。
それで成り立つ会話というのを想像すると、つよい異和感がある。
KEFの#105の底にはキャスターが取り付けられていた。
いまのオーディオの常識からすると、なぜそんなものを取り付ける? となるが、
当時は、スペンドールのBCII、BCIIIの専用スタンドもキャスターをがついていた。 

ただスペンドールの場合も、このキャスター付きのスタンドのせいで、
上級機の BCIIIはずいぶん損をしている。
日本ではBCIIのほうが評価が高く、BCIIIの評価はむしろ低い。 

ステレオサウンドだったと記憶しているが、瀬川先生が、BCIIIを、専用スタンドではなく、
他のスタンドにかえたときの音に驚いた、といったことを書かれている。

スペンドールのスタンドは、横から見るとコの字型の、鉄パイプの華奢なつくりで、キャスター付き。
重量は比較的軽いBCIIならまだしも、BCIIのユニット構成に30cmウーファーを追加し
エンクロージュアを大型にしたBCIIIで、スタンドの欠点が、よりはっきりと出たためであろう。 

KEFの試聴室の写真を見たことがある。
スピーカーは、105の改良モデルの105.2で、一段高いステージの上に置かれているが、
とうぜんキャスターは付いていない。あのキャスターは、輸入元がつけたのかもしれない。
そして、キャスターを外した105の音はどう変化するのかを確認してみたい。
KEFの#105をはじめて聴いたのは1979年、熊本のとあるオーディオ店で、
菅野先生と瀬川先生のおふたりが来られたイベントの時である。 

オーディオ相談といえるイベントで、菅野先生、瀬川先生はそれぞれのブースにおられて、
私はほとんど瀬川先生のブースにずっといた。 
その時、瀬川先生が調整して聴かせてくれたのが、105である。
 
いまでこそクラシックが、聴く音楽の主だったものだが、当時、高校二年という少年にとっては、
女性ヴォーカルがうまく鳴ってほしいもので、瀬川先生に、
「この人とこの人のヴォーカルがうまく鳴らしたい」(誰なのかは想像にまかせます)と言ったところ、
「ちょっと待ってて」と言いながら、ブースの片隅においてあった105を自ら移動して、
バルバラのレコードをかけながら、
スピーカー全体の角度、それから中高域ユニットの水平垂直方向の調整を、
手際よくやられたのち、「ここに座って聴いてごらん」と、
バルバラをもういちど鳴らしてくれた。 

唇や舌の動きが手にとるようにわかる、という表現が、当時のオーディオ雑誌に載っていたが、
このときの音がまさにそうだった。 
誇張なく、バルバラが立っていたとして、ちょうど口あたりのところに、
何もない空間から声が聴こえてくる。 

瀬川先生の調整の見事さと早さにも驚いたが、この、一種オーディオ特有の生々しさと、
けっして口が大きくならないのは、強い衝撃だった。 
バルバラの口の中の唾液の量までわかるような再現だった。

ヴォーカルの再生は、まず口が小さくなければならない、と当時のオーディオ誌ではよく書いてあった。
それがそのまま音になっていた。

いま思い出すと、それは歌い手のボディを感じられない音といえるけれど、
なにか他のスピーカーとは違う、と感じさせてくれた。
KEFのレイモンド・E・クックの
「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 を
もういちど思い出してみる。

このインタビューの詳細を思い出せればいいのだが、さすがに30年前のことになると、
記憶も不鮮明なところがあるし、手元にステレオサウンドもない。
いま手元にあるステレオサウンドは10冊に満たない。
もうすこしあれば、さらに正確なことを書いていけるのだが......。

クックが言いたかったのは、#105は単にユニットの音源合わせを行なっているだけではない。
ネットワークも含めて、位相のつながりもスムーズになるよう配慮して設計している。
そういうことだったように思う。
他社製のスピーカーを測定すると、位相が急激に変化する帯域があるとも言っていたはずだ。

当然、その測定にはインパルスレスポンスによる解析法が使われているからこその発言だろう。
ビバリッジが開発したコンデンサー型スピーカーは、他社とは一寸違っていた。
フルレンジ型のユニットを用い、振動膜の前面にスリットを複数設け、
平面波を、上から見れば、半円筒状に広がっていくように工夫されている。
設置方法も、通常のスピーカーとは異り、壁にぴったりくっつけることが指定されていた。
マッキントッシュのスピーカーXRT20と、ある部分、設計思想が似ていると言えるだろう。

しかもXRT20はリスナーの前面の壁に設置する。
これが当然だが、ビバリッジのスピーカーは、リスナーの真横の設置が標準になっていた。

どんな音がしたのか、というよりも、どういう音場感を提示してくれたのか、
ステレオサウンドの新製品紹介の記事で見た時から、ひじょうに興味があったが、
残念ながら実物を見たこともない。

RM1/RM2は、このスピーカーと同時期に出ている。

おそらく、このコンデンサー型スピーカーの能率はかなり低かったのだろう。
RM1/RM2は聴いていないが、同じ設計者によるRM5が、わずかな間で出ていて、
聴いた印象では、おそらくノイズレベルでは大差ないと思われる。

ビバリッジのコンデンサー型スピーカーと前後して、
アクースタットからもコンデンサー型スピーカーが登場している。
ミュージック・リファレンスも登場していた。
主宰者のロジャー・モジャスキーによると、同社のコントロールアンプRM5と
カウンターポイントのSA5の回路はそっくりらしい。
ふたつの回路図を見ると、使っている真空管は6DJ8だし、基本回路構成はたしかに似ている。
とはいえ回路定数はもちろん違うし、コンストラクションも大きく違う。
ただミュージック・リファレンスとカウンターポイントに共通していることは、
どちらも真空管でMCカートリッジ用のヘッドアンプを製品化していることである。

ミュージック・リファレンスがRM4、カウンターポイントがSA2が、それぞれの製品だが、
真空管全盛の時からアンプをつくってきたメーカーが考えもしない、
アマチュア的な挑戦を、いい意味で感じさせてくれるところは、
新興メーカーならではの強みかもしれない。

とはいえ、どちらも聴いたことがあるが、誰でもが容易に使えるというレベルには、
残念ながら達していなかった。

思うに、これらのメーカーのエンジニア、主宰者が使っているスピーカーの能率は、
極端に低いものなのかもしれない、
だからこのノイズレベルでも、おそらく問題とならないのだろう、と。

当時、ステレオサウンドの試聴室のスピーカーのJBL 4344はカタログ上は93dBである。
真空管アンプ全盛のころのスピーカーと比べるとけっして高くはないが、
それでもアメリカから登場した真空管アンプにとっては、能率の高いスピーカーなんだろうと思える。

ミュージック・リファレンスのRM4、RM5の型番から気がつかれているだろうが、
ビバリッジのRM1RM2の設計もロジャー・モジャスキーである。
そしてビバリッジはコンデンサー型スピーカーのメーカーでもあった。
伊藤アンプに魅了されているころ、海外から真空管アンプがぽつぽつと現われはじめていた。

まず登場したのがコンラッド・ジョンソンのPreAmplifier(たしかこういう型番だった)で、
そっけないパネルでアマチュアの手作りの雰囲気を残していたが、
井上、山中両氏の新製品紹介の記事では、新鮮な音の印象といったことが書かれていたと記憶している。
このあたりから、新しい──音も回路技術も──真空管アンプが登場してくることになる。

順不同だが、プレシジョン・フィデリティ(Precision Fidelity》から、
金色のフロントパネルのコントロールアンプはC4が登場した。
プレシジョン・フィデリティは、スレッショルドのネルソン・パスのプライベート・ブランドだときいている。

それからビバリッジのRM1/RM2。外部電源採用のコントロールアンプで、
アンプ本体と電源部のシャーシは同じサイズで、たしかアンプ部がRM1、電源部がRM2だった。
多少不安定さがありながらも、調子が良いときの音は格別だったと聞いている。
山中先生が、組合せの特集で、このビバリッジとSUMOのThe Goldを、最高のペアだと言われていた。

カウンターポイントのSA1も登場している。
このころのカウンターポイントは、マイケル・エリオットではなく、
創立者エドワード・フマンコフの設計である。
エリオット設計のSA5から安定していったが、SA1は気難しい面を持っていた。

SA1はステレオサウンドの試聴室で聴いている。
上に挙げた機種とくらべてまずパネルフェイスがこなれていた。
もうすこし安定してくれたら、欲しいのに......と思ったほど、ソノリティの良さは見事だった。

こうやって書いていくと気がつくが、アメリカから登場した真空管アンプはコントロールアンプばかりである。

パワーアンプは、と言うと、イギリスのマイケルソン&オースチンのTVA1が挙げられる。
マッキントッシュのパワーアンプの型番の意味するところは、
モノーラル機かステレオ機か、と、出力の大きさである。

真空管アンプのころ、MC275、MC240のモノーラル仕様のMC75、MC40が存在からわかるように、
MCの後につづく数字の最初が「2」であればステレオ仕様であり、そのあとの数字が出力を示す。
「2」がない場合はモノーラルで、MCの後すぐの数字が出力である。
これはトランジスター化されても基本的には続いている。

過去の製品を含めると同じ出力のアンプも存在すると、
型番の末尾に出力とは関係のない数字がつくこともあったし、
出力250W+250Wだが、MC252という型番も出てきた。

モノーラルで「2」がつくのは、超弩級のMC2kWである。
これは出力が2000Wなので、このように例外的な型番となったのだろう。
とはいえ「2」のあとに数字ではなくkWと続くので、それほど例外とも言えない。
あと真空管アンプのMC3500は、350Wのモノーラル仕様なのに、「0」がひとつ多かったりする。

だから原則的にマッキントッシュのパワーアンプの型番のつけ方に大きな変化はないと思っていた。

けれど、MC2301は違った。
型番から判断すると、300W+300Wのステレオ仕様なのに実際は300Wのモノーラルである。
メーターがひとつだから、モノーラルということは実物、写真を見ればすぐにわかることとはいえ、
なぜ、このアンプだけ型番のつけ方が異るのか、ちょっと気になる。
伊藤先生のアンプは、他の筆者の方の自作アンプとは、たたずまいがまるっきり異っていた。
それは、まだ自作の経験のない中学生にもはっきりとわかるくらいの違いであった。

真空管アンプを自分の手で作るなら、これだ、これしかない、と瞬間的に思い込んでしまった。

次に伊藤先生のアンプを見たのは、
ステレオサウンドで連載が始まった「スーパーマニア」という記事の1回目だった。
その方は、シーメンスのオイロダインとEMTの927Dstを使われていて、
アンプは伊藤先生製作のの300Bシングルアンプとコントロールアンプの純正の組合せ。
カラーではじめて見る伊藤アンプに、またも魅了された。

3回目は、ステレオサウンドの弟分にあたるサウンドボーイ誌に載った、
EL34のプッシュプルアンプの製作記事だ。
この記事がありがたかったのは、製作過程をカラー写真で細部まで明らかにしてくれたことだ。
この記事の写真をよく見るとわかるが、登場するEL34のアンプは1台ではない。
少なくとも2台のアンプを撮影しているのがわかる。
そんなことに気づくほど、写真を何度も見つづけた。
1981年ごろのクレルとスレッショルドのパワーアンプのラインナップ構成は似ている。
最上級機がモノーラルで、下の2機種がステレオ構成で、規模も出力も価格に比例している。

こういうラインナップは川の流れに例えられる。
上流がいちばん小型の機種、中堅機が中流、最上級機が下流といったぐあいに、だ。

川の上流に行くにしたがい、川幅に狭くなり水流も少なくなる。
けれどわき出したばかりの水は勢いがあり、水しぶきも目にまぶしい。

中流に行くと川幅も広くなり水の量も増える。ただし水そのもの透明度や新鮮さは薄れている。

下流になると、圧倒的な水流になる。
天候の影響で水かさが増したとき、上流ではそれほど増えなくとも、下流ではものすごい水流となる。

クレルもスレッショルドも真ん中の機種、KSA100とSTASIS2が中庸といえる。
そのラインナップのリファレンス的な音であり、規模である。

下のモデル、KSA50、STASIS3になると、より反応がきびきびした印象が増してきて、
透明感も聴感上のSN比の良さもきわだってくる。
かわりに、やはりスケール感は、最上級機と比べるとあきらかに小ぶりになる。

KMA200、STASIS1は価格も規模も違うだけあって、たっぷりと音が出てくる印象をまず受ける。
すべてに余裕があり、SL6をKMA200で鳴らしたときのように、思わぬ驚きを聴かせてくれる。
これに、KSA50、STASIS3がもつ、反応の、きわだった良さが加われば
ほんとうに素晴らしいことだが、
残念ながら、80年代のアンプはこの傾向を克服できなかったように思う。

現在のアンプはどうだろうか。
同一ブランドのパワーアンプすべてをならべて聴く機会がないため、なんとも言えないが、
少なくとも技術は進歩している。
出力段に使われるトランジスター、FETにしても、
従来なら複数個並列接続して得ていた出力を、
いまなら1組、もっと少ない数の素子で実現できる。

もしかすると、いまは最上級機がすべてにおいて優れているのかもしれない。
けれど、それは案外、オーディオをつまらなくしている面もあるだろう。

以前のクレルやスレッショルドのような音の傾向の違いは、
何を求めるかによって──純度の高さを優先する人なら、
KMA200やSTASIS1を購入する経済力があっても、
KSA50やSTASIS3の選択があり得た。

KMA200やSTASIS1が買えなくて、KSA50、STASIS3をかわりに買ったとしても、
これならではの魅力に気がつけば、イソップ童話のキツネになることはない。

以前のパワーアンプには、こういう、必ずしもヒエラルキーに支配されない面白さがあった。
いまはどうなのだろう。
私がオーディオに興味をもったころ、
すでにマランツもマッキントッシュも真空管アンプの製造をやめていた。QUADもそうだ。
五味先生の著書に登場するアンプは、どれも現行製品では手に入らない。

自作という手もあるな、と中学生の私は思いはじめていた。

「初歩のラジオ」や「無線と実験」、「電波科学」も、ステレオサウンドと併読していた。
私が住んでいたいなかでも、大きい書店に行けば、真空管アンプの自作の本が並んでいた。
それらを読みながら、真空管の名前を憶え、なんとなく回路図を眺めていた時期、
衝撃的だったのが、無線と実験に載っていた
伊藤喜多男氏の名前とシーメンスEdのプッシュプルアンプの写真だった。

伊藤先生の名前は、ステレオサウンドに「真贋物語」を書かれていたので知っていた。
その内容から、オーディオの大先輩だということはわかっていた。

それまで無線と実験誌で見てきた真空管アンプで、
「これだ、これをそのまま作ろう」と思えたものはひとつもなかった。

それぞれの記事は勉強にはなったが、どれもアンプとして見た時にカッコよくない。
そんな印象が強まりつつあるときに読んだ、伊藤先生の製作記事は文字通り別格だった。
ラックスのLX38の前身は、SQ38FD/IIで、その前はSQ38FD、SQ38F、SQ38D、SQ38と遡る。

SQ38の「38」は、初代モデルが発売された年、昭和38年からきている。
2代目の型番末尾のDは、deluxe の頭文字である。
つまり初代SQ38の改良モデルは、SQ38 Deluxeというわけだ。
SQ38Dは昭和39年発売で、出力は10W×2で、当時の価格で58,500円している。

つぎの改良モデルは、昭和43年に登場したSQ38F。
Fはfinal の頭文字。このとき出力管が、NECが開発した50CA10に変わり、出力も30W×2となり、
SQ38FD/IIの原型といえる仕様となっている。

これで最後からと思ったら、昭和45年にまた改良モデル。またDがついている。
SQ38FDは、SQ38Final Deluxeの略だ。さらにその改良モデルということで、IIをつけている。

型番のアルファベットや数字には、わりと意味のあるものが多い。

マークレビンソンのLNP2は、Low Noise Pre-Amplifierの略であり、
あまり知られていないが、LNP1というモデルもある。
ML2、ML3のMLは、Mark Levinsonの頭文字だし、JC1、JC2はJohn Curlの頭文字だ。
HQDシステムは、使用スピーカーのブランドの頭文字、H(Hartley)Q(QUAD)D(Decca)である。
マークレビンソンから出ていた高品質レコード、UHQRは、Ultra High Quality Recordの略。

その他思いついたものから書いていくが、
ヤマハのスピーカーの型番の頭につくNSは、Natural Soundの略。
同じヤマハのパワーアンプのB-I、B-2のBは、Basic Amplifierからきている。
前にも書いているが、LX38はスペンドールのBCIIとの組合せで聴いた。

五味先生が書かれている、倍音の美しさに関しては、販売店でのイベントということもあって、
実を言うとそれほど感じられなかったが、音の湿りけには魅了された。

音の湿度感は、私にとってけっこう重要というか、乾き切った音は生理的に苦手なところがある。
例えが古いが、エンパイアの4000D/III(カートリッジ》は世評も高いし、
他のカートリッジでは聴けない、見事な乾きっぷりは、ドラムの音や打楽器の爽快感を体感させてくれ、
その魅力は理解できるし、そのためだけにお金が余裕があったら欲しい、と思っても、
4000D/IIIで、私が聴きたい音楽のすべてを聴きたいとは思わない。

断っておきたいのが、音の湿度感の感じ方、捉えかたは、
人によってずいぶん違うことを経験している。
私は4000D/IIIの質感を乾いている、乾き切っていると感じるが、
そんなことはいちども感じたことがはない、という人もいる。
反応の鈍い音を、湿りけをおびた音とネガティヴな意味で使う人もいる。

人の声を聴いた時の、口やのどの湿り、弦楽器の陰の部分の、ほのかな暗さ、
そういうものを無視したかのような音が、私にとっての乾いた音である。
分解能や、音の細部の鮮明度ではあきらかに520がまさるにしても、音が無機物のようにきこえ、こう言っていいなら倍音が人工的である。したがって、倍音の美しさや余韻というものがSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ男だから、石のアンプは結局は、使いものにならないのを痛感したわけだ。これにはむろん、拙宅のスピーカー・エンクロージァが石には不向きなことも原因していよう(私は私の佳とするスピーカーを、つねにより良く鳴らすことしか念頭にない人間だ)。ブックシェルフ・タイプは、きわめて能率のわるいものだから、しばしばアンプに大出力を要し、大きな出力Wを得るにはトランジスターが適しているのも否定はしない。しかしブックシェルフ・タイプのスピーカーで"アルテックA7"や"ヴァイタボックス"にまさる音の鳴ったためしを私は知らない。どんな大出力のアンプを使った場合でもである。
     ※
五味先生の、「オーディオ愛好家の五条件」のひとつ「真空管を愛すること」からの引用である。

これを書かれたのは1974年。
マークレビンソンのLNP2の輸入をRFエンタープライゼスがはじめたころで、
LNP2の登場以降、著しく進歩するトランジスターアンプ前夜の話とはいえ、
真空管アンプでなければ出ない音が確実にある、ということはしっかりと、
当時中学生の私の心には刻まれていった。

私が、この文章を読んだのは76年。LNP2だけでなく、SAEのMark 2500、スチューダーのA68、
スレッショルドの800A、AGIの511などが登場しており、
明らかに新しいトランジスターアンプの音を実現していたように、
ステレオサウンドを読んでも、感じられた。

76年は、ラックスからCL32が登場している。薄型のシャーシを採用することで、
ことさら真空管かトランジスターかを意識させないよう、
そういうコンセプトでつくられていたのかもしれないが、
76年ごろ、現行製品の真空管アンプの数はいまよりもずっと少なく、
ラックスの他にはダイナコとオーディオリサーチぐらいで、
しばらくしてコンラッド・ジョンソンが登場している状況だっただけに、
強烈に聴きたかったアンプのひとつであった。

実際に聴いた真空管アンプは、同じラックスのプリメインアンプのLX38だった。
もっとも私が生れたころ、家にあったテレビは真空管式だったので、
LX38がはじめて聴いた真空管アンプの音ではないわけだが、
五味先生の文章を読んだ後ではじめて聴いたのは、LX38である。
クレルのPAM2とKSA100が印象ぶかく記憶に残っているのは、音だけではなくて、
独特の処理による、シルクのような白い質感のフロントパネルと、
クレルのブランドロゴを刻んだ金属プレートとマイナス・ビスの金色、
この対照的な金属の組合せが醸し出す雰囲気は、クレルの音そのものだった。

金色のプレートはその後も変らなかったが、
シルクの質感に近いパネル処理は、しばらくしてなくなり、青色になったり、
また白にもどっても、初期のパネルとは違う質感だったりと、入荷の度に変わっていた。

のちにわかったことだが、初期のクレルのパネルの処理は、ある職人ひとりの技術で、
誰にもマネできないものだったのが、
その職人の死により、技術そのものが消えてしまったときいている。
同じ質感を再現しようと、かなりの試行錯誤をくり返したが無理だったらしい。

クレルのパワーアンプのラインナップは、KSA100(100Wのステレオ機)のほかに、
KSA50(50Wのステレオ機)とKMA200(200Wのモノーラル機)から成っていた。
これと同じといえるラインナップを揃えていたのが、スレッショルドであり、
STASIS1、STASIS2、STASIS3の3機種だ。

STASIS1がトップモデルで、これだけがモノーラル構成、STASIS2が中堅モデルで、
STASIS3はもうすこし規模が小さくなる。

型番が示すように、3機種ともSTASIS(ステイシス)回路を採用している。
クレルのデビュー作、KSA100は、A級動作で100W+100Wの出力を持つということもあって、
かなり大型のシャーシを採用しているが、自然空冷ではなくファンによる強制空冷である。

あれだけの大きさのシャーシであれば、ヒートシンクをシャーシの両サイドに配置することで、
自然空冷も可能だろうが、KSA100は、かわりに内部のパーツ配置に、
それまでの他のアンプでは見られなかったほどの余裕を割いている。

熱の問題に対処するためだというパーツ配置だが、
電源トランスからはフラックスが出ているから、あまり近くにパーツがないほうがいい。
それに平滑用の電解コンデンサーからもフラックスは出ている。

1980年代のパイオニアのアンプやCDプレーヤーの内部を見ると、
電解コンデンサーに銅箔テープを巻いている。これもフラックス対策のひとつだ。

プリント基板のパターンや部品のリード線に銅箔テープが接触しないように注意するだけで、
あとはコンデンサーに巻くだけだし、結果が芳しくなくても、剥がせば元どおりになるのだから、
試して、どのくらいフラックスが音に影響を与えているのか、確認するのも難しいことではない。

KSA100の出力段のパワートランジスターは、A級動作ゆえ、発熱量はかなり大きい。
ファンを使うことのデメリットはあるが、もちろんメリットもある。
自然空冷よりもシャーシ内の温度は低くできる。
一般に、電子機器のシャーシ内温度が5度高くなれば、故障率は2倍になるという。
あまり温度が低くても、また別の問題が発生するが、
あまりに高温になりすぎて、故障にいたらなくても、
アンプ内部には高温に弱いパーツがいくつもある。これらは確実に劣化の度合いが早まる。

パワーアンプ内で振動発生源として大きいのは、電源トランスと出力段(ヒートシンクを含む)である。
振動をできるだけ発生させないのはもちろんだが、起こった振動の影響からどう逃げるか。
いろんな対処法があるが、熱や電磁波、フラックスと同じく、
出来るだけ距離をとるのは、有効である。

アンプやCDプレーヤー、スピーカーが見た目そのままの大きさではなく、
それらが出している振動や熱、電磁波、フラックスなども考慮することで、
見た目以上のサイズをもつのと同じように、
アンプに使われているパーツも、必ずしも見た目そのままの大きさではない。

パーツ同士の相互干渉をできるだけ取り除くことも、地味だが、大事なことである。

クレルのパワーアンプのパーツレイアウトは、
それらのことが反映されていると、私は捉えている。

もっとも不用意にパーツを離しすぎると、配線が長くなることで、
インダクタンス成分の増加の悪影響が出てくることになる。
小学校低学年のころ、ひどいゼンソクで、学校を早退したり休んだりが多かった私は、
この時間を利用して、世の中に出ているマンガのすべてを読んでやろう、と思っていた。
でも数年もすれば、いかに無謀なことか小学生でもわかる。
それでは、と考えたのは手塚治虫作品をすべて読もう、ということ。

いまでこそ講談社から手塚治虫全集が出ているが、当時、そんなものはなく、
初期の作品「新宝島」(トレース版)が復刻されたのが、ひじょうに珍しいことだった。

「鉄腕アトム」ももちろんまっさきに買って読んでいた。

オーディオに興味をもちはじめてから読みなおすと、
アトムの腹部には真空管が3本使われていることに気がついた。
真空管が切れたから、といって交換するシーンがある。

ウェスタン・エレクトリックの211Eのような、大型の真空管だ。

なんと強引なこじつけだと自分でも思うのだが、
鉄腕アトムが、他の漫画家の描くロボットに比べ、表情がゆたかで、多くのひとに愛されるのは、
真空管が使われているからだ、と。

五味先生は、オーディオ愛好家の五条件に、「真空管を愛すること」と書かれている。
私がステレオサウンドに入ったころの、試聴室でリファレンスアンプとして使われていたのは、
マッキントッシュのC29とMC2205の組合せだった。

セレッションのSL6も、最初、この組合せで聴いた(はずだ)。
まだCD登場前だから、プログラムソースはアナログディスクで、
プレーヤーはパイオニア・エクスクルーシヴのP3aと、
カートリッジはオルトフォンのMC20MKIIを使用。

この組合せから出てきた音に、驚いた。
そしてクレルのKMA200と、純正のコントロールアンプPAM2の組合せにつないだときの驚きは、
オーディオで体験した驚きの中で、いまでも強烈な印象を残している。

何がそこまで強烈だったのか。低音の再現力の素晴らしさであった。

JBLの4343BWX(もしくは4344)でも、当然KMA200の音を聴いている。
JBLでの、マッキントッシュとクレルの差よりも、SL6で聴いたほうが違いが素直に出てきた。
低域にその違いがはっきりと出た。

SL6のウーファーは、高分子系の振動板で、ダストキャップのないワンピース構造という特徴はあるが、
口径はわずか15cm。JBLは38cm口径。

にも関わらず、圧倒的な、最低域まで素直に伸びた、量感ある低音を聴かせてくれたのはSL6だった。
アンプを変えたことで、ここまでスピーカーの低域の再現能力が大きく変化するとは、
JBLで、KMA200を聴いた時には想像できなかった。だから驚きは倍加された。

しかも安定した鳴りかたで、まったく不安定さを感じさせない。
こういう低音は、聴いていて気持ちがいい。

そして、クレルのアンプも、サイズについて考えるのに好適の存在である。
LS3/5Aも、価格的に不釣り合いなアンプ、
アナログプレーヤーやCDプレーヤーと組み合わされる例も多い。
相当に高額なアンプで鳴らされている例をネットで見たこともある。

そういう気持ちにさせる一面をLS3/5Aは持っている。
とはいえ、個人的には奢った組合せでも、やはりある程度の節度は保ってこそ、
LS3/5Aの魅力は、より活きてくると感じている。
ここに関しては個人差が、ひときわ大きいように思うけど。

もしLS3/5Aを、自由な組合せで鳴らせるとしたら、まっさきに組み合わせてみたいのは、
スチューダーのパワーアンプA68だ。
瀬川先生の愛機でもあったA68の、アメリカのアンプとはまったく違う音の出しかたが、
LS3/5Aの世界に寄り添ってくれそうな気がするからだ。

すこしでもいい音を出すために、制約をできる限り取り除き、
物量も惜しみなく投入してつくり上げられることの多いアメリカのアンプと比べると、
A68には最初から、ある枠が設けられているかのように、節度ある品の良さを感じさせるし、
それゆえに音楽のもつ情感がひたひたと迫ってくる様は、
いまでも、アメリカのアンプからはなかなか得難い特質のように感じられる。

音の情報量の多さでいえば、現代アンプの方が上であるし、
私も基本的には情報量は多い方がいいと思っているが、
単純に多ければいいというわけでもないと感じている。
情報量と音量は絡み合っているところがあるからだ。

音量の制約があるLS3/5Aには、だからこそA68だと思う。

それにしても、こんなことを書いていると、A68を手に入れたくなってくる。
それもできれば瀬川先生が使われていたA68そのものを。
セレッションのSL6をはじめて聴いたのは、ステレオサウンドの新製品紹介の記事の試聴で、だ。
山中先生に試聴をお願いしていた新製品のいくつか聴いてもらい、最後に鳴らしたのがSL6である。
当時の試聴室のリファレンススピーカーのJBL(4343BWXだったり4344だったりしていた)を
どかした場所に専用スタンドの上に乗せたSL6を設置した。

小型スピーカー・イコール・LS3/5Aの印象が強いころだっただけに、
「この位置で、ほんとうに大丈夫?」と訝りながらも、出てきた音には素直に驚いた。

SL6が登場したときは、まだCDが出ておらずアナログディスクでの試聴なのだが、
ウーファーのフラつきがなく、いささかの不安も感じさせずに安定した低音を響かせる。
LS3/5Aよりもサイズはたしかに大きいが、あきらかに時代の違いが現われている。
とにかく音だけ聴いていると、目の前にあるSL6のサイズを想像できない。

山中先生も興奮されている。
「これで鳴らしてみようよ」と言われた。

さっきまでJBLで聴いていたクレルのモノーラルパワーアンプのKMA200は、
A級動作で200Wの出力をもつ、筐体の大きさはSL6よりも大きい。
価格もSL6がペアで156000円に対し、KMA200はたしか258万円だった。

ここでもう一度驚くことになる。
ロジャースのLS3/5AとセレッションのSL6、どちらもイギリスで誕生した、いわゆる小型スピーカーだが、
LS3/5Aが可搬型モニタースピーカーとして、サイズ自体の設定から開発が始まったのに対し、
SL6は、技術者が求める性能を満たすために必要な仕様として、逆にサイズが割り出されたものであること、
最初から小型スピーカーとして開発が始まったわけではない、という点が、
開発年代の違いとともに、2つを比較すると浮び上がってくる。

セレッションはSL6の開発にあたり、従来の開発手法を用いるのではなく、
技術部長のグラハム・バンクが数年前から取り組んでいたレーザー光線とコンピューターによる
スピーカーの振動モードの動的な解析技術を導入している。

この解析法で、スピーカーユニットの振動板の形状から素材まで徹底して調べ研究することで、
ユニットの口径・構造、システム全体の構成、エンクロージュアの寸法まで決定されている。
SL6は小型スピーカーをつくろうとして生れたきたものではなく、
セレッションが、当時の、持てる技術力で最高のスピーカーをつくろうとした結果のサイズである。
1978年ごろに、テクニクスからコンサイスコンポが登場したとき、
黒田先生がステレオサウンドに、LS3/5Aを組み合わせて楽しまれている記事を書かれている。

キャスター付きのサイドテーブルの上に、LS3/5Aとコンサイスコンポ一式と、
たしか同時期に出ていたLPジャケットサイズのアナログプレーヤーSL10もふくめて
置かれていた写真を、こんなふうに音楽が楽しめたらいいなぁ、と思いながら眺めていた。

コンサイスコンポは、A4サイズのコントロールアンプ、パワーアンプとチューナーがあり、
どれも厚みは5cmくらいだったはず。
パワーアンプはスイッチング電源を採用することで薄さを可能にしていた。

手元にその号がないのでうろ覚えの記憶で書くしかないが、
黒田先生は、気分や音楽のジャンルに応じて、サイドテーブルを近づけたり遠ざけたり、と
メインシステムでは絶対にできない音楽の聴き方をされていた。

コンサイスコンポ・シリーズのスピーカーも発売されていたが、
黒田先生はLS3/5Aと組み合わされていたのが、この、音楽を聴くスタイルにまたフィットしているし、
省スペース・小型スピーカーだからこそ、活きるスタイルだと思う。

セレッションのSL6の登場以降、小型スピーカーの在りかたは大きく変化していったいま、
LS3/5Aに代わるスピーカーがあるだろうか。
左右のスピーカーと自分の関係が正三角形を形造る、いわゆるステレオのスピーカーセッティングを正しく守らないと、このスピーカーの鳴らす世界の価値は半減するかもしれない。そうして聴くと、眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する。いくらか線は細いが、音の響きの美しさは格別だ。耐入力はそれほど強い方ではない。なるべく良いアンプで鳴らしたい。
     ※
ステレオサウンド 43号に、瀬川先生はLS3/5Aについて、こう書かれていた。

一辺が1m未満の正三角形のセッティングで聴くLS3/5Aの音は、まさにこのままで、
ミニチュアの音像が見えるかのように定位する箱庭的世界は、他のスピーカーでは味わえない。

ただしウーファーのフラつきは絶対に避けるべきで、その意味ではCDになり、
より安定した音が容易に得られるだろう。

井上先生はQUADのパワーアンプ405との組合せを推奨されていた。
405は、あまり知られていないが巧みな低域のコントロールを行なっている。
小出力時はそのままだが、ある程度の出力になると、低域を適度にカットオフしている。
だからこそ、当時の技術で、あのサイズで、100W+100Wの出力を安定して実現できていた面もある。

この性能こそ、LS3/5A向きと言えよう。

私が聴いたなかで、強烈だったのが、GASのThaedra(ティアドラ)で鳴らした音だ。
ティアドラはコントロールアンプだが、ラインアンプの出力は、
8Ω負荷で約数W(うろ覚えだが3Wだったはず)をもつ。しかもA級動作で、だ。
スピーカー端子はないから、RCAプラグにスピーカーケーブルをハンダ付けして聴くことになる。

そこそこの音で鳴るかな、という期待は持っていたが、それを大きく上回る、
新鮮で、楽器固有の艶やかな音色を、過不足なく描写する。
LS3/5Aの線の細さが薄れるのは、人によって魅力がなくなったと感じるかもしれないが、
それ以上の瑞々しさに聴き惚れてしまう。気になるボケが感じられない。

ティアドラのラインアンプの出力は、トランジスターのエミッターからではなく、
コレクターからとり出している。このことも効いているのかもしれない。
LS3/5Aに搭載されているウーファーのKEFのB110は、
1970年代、ステレオサウンドから出ていたハイファイステレオガイドをみると、
スコーカーのページに掲載されていた。
ハイファイステレオガイドは、編集部での校正だけでなく、
国内メーカーや輸入商社に取扱い製品のチェックも依頼しているので、
校正ミスでスコーカーに分類されているわけではない。

スコーカーだが、小口径ウーファーとしてなんとか使えそうな特性も持っているユニットと捉えた方が、
LS3/5Aを理解するうえではいいかもしれない。

アナログディスクがプログラムソースの主役だったころからLS3/5Aを鳴らされている人なら、
LS3/5Aは近距離で聴いてこそ魅力を発揮するスピーカーだと感じとられていると思う。

CDが登場して、サブソニックの発生がなくなったこと、
それにLS3/5Aのネットワークが新型(11Ω)になったことも関係しているのか、
以前にくらべると、ある程度パワーを入れても不安さを感じさせなくなった。

そのためかだろうか、いまどきの小型スピーカーと同じように、
左右、後ろの壁から十分に距離をとり、聴取位置もそれほど近くない設置で聴いて、
短絡的に評価をくだし、ネット(掲示板や自身のサイト)に書いてあるのを読んだことがある。

LS3/5Aが、箱庭的な描写力で聴き手を魅了するのは、
手を伸ばせばLS3/5Aに届くぐらいの近い位置、1m以内の近接位置で聴いてこそ、である。
ほとんどヘッドフォン的な聴き方に近い。
省スペースの意味を含めた小型スピーカーとして、私にとって印象ぶかいのは、
ロジャースのLS3/5Aである。

ご存じのようにLS3/5Aは、BBCのライセンスを受ければ、ロジャース以外のメーカーでも製造できる。
スペンドール、KEF、ハーベス、チャートウェルから出ているが、
最初に聴いたLS3/5Aはロジャース製であり、所有していたのも15Ωタイプのロジャース製であるため、
私にとって、LS3/5Aといえば、ロジャースのそれである。

つい最近ロジャースから復刻版のLS3/5aが出た。なぜだが、型番末尾が、
Aではなく小文字のaに変更されている。
もっともオリジナルのLS3/5Aの表記も、ネットではLS3/5aと表記している例が多いが、
所有されている方ならば、リアバッフルの銘版には、LS3/5Aと記してあるのをみてほしい。

こういう表記のいいかげんなところは、ネットの拡大とともに目につくようになった。
LS3/5Aと同じBBCモニターのLS5/1には、Aがつくのとつかないのがある。
LS5/1が当然オリジナルモデルで、当時、LSナンバーはライセンスされていなかったため、
どこそこのメーカー製ということはない。
日本で知られている、そして瀬川先生の愛機だったのは、改良モデルのLS5/1Aであり、
このモデルからKEFで生産されるようになった。

LS5/1とLS5/1Aの違いは、まずウーファーがプレッシャー製からグッドマンのCB129Bに変更され、
エンクロージュアの内部構造も手を加えられているし、
吸音材の材質、入れ方ともに変更されている。また専用アンプも、メーカーが異る。

KEFではその後、専用アンプをハリソン製のトランジスターアンプに変え、
ネットワークをやめバイアンプ駆動しに、
低域のローブーストとともにレンジ拡大をはかった5/1ACを出している。これにはLSはつかない。

LS5/1(A)は、2基搭載しているトゥイーター(セレッションのHF1300)のうち1基は、
3kHz以上での干渉をおさえるためにロールオフさせている関係で、
高域補正した専用アンプか、それ以外のパワーアンプを使用するならば、
正確な高域補正をして聴くのが当然だ。
SACDプレーヤーが世に登場したばかりのころの、ある機種で、SACDを再生すると、
コントロールアンプと接続しないでも(ケーブル無しでも)、
ボリュームをかなり上げると音楽が聴こえるという現象が起きた。

CDプレーヤーよりも高いクロックを扱うことに、まだ技術が完全に追いついてなかった為、
不要輻射が盛大にプレーヤーから放出され、それをコントロールアンプが拾ってしまったためである。

そのSACDプレーヤーばかりのせいでもなく、コントロールアンプ側にもある。

つねにオーディオ機器は目に見えないもの、
電磁波や地磁気、漏洩フラックス、振動、熱、そういったものにさらされていて、
なんらかの影響を受けている。

こういうと、それぞれの要因が与える影響はほんの微々たるもので、
その程度で電子機器は影響を受けない、ともっともらしいことを言われる人がいる。
たしかにひとつひとつの要因を単独で判断するとそうかもしれない。

けれど実際にはすべての要因がからみあって作用している。
有吉佐和子氏の「複合汚染」を知らないのだろうか。
オーディオ機器も複合汚染にさらされているというのに。
ACの極性によって音を変化させるものに、ACファンがある。
DCファンは、ACの極性は関係しない。

ACファンを使用しているオーディオ機器をお使いならば、
ファンのAC極性のみを反転した音を聴いてみてほしい。
電源のAC極性の違いと同じ傾向で、おもに音場感の再現が、ときには大きく変化する。

ACファンにも極性があることを知っているメーカーもあれば、知らないメーカーもあるようだ。

そういう例はないと思うが、ステレオパワーアンプで、ACファンを二基、
左右チャンネルにそれぞれ使用しているもので、
ACファンの極性が左右でもし違っていたら、音場感はいびつになる。
以前、SUMOのThe Goldを使っているときに試したことがある。
ちなみに、ボンジョルノはACファンの極性のことを知っているようで、
アンプのACの極性をきちんととると、ACファンの極性も揃うようになっている。

ACファンの回転数を落としたいとき、直列に抵抗を使うのが一般的だが、
200V仕様のファンを100Vで使う手もある。
また抵抗の代わりにフィルムコンデンサーを使うこともある。
抵抗と違い、熱がほとんど出ないのがメリットだ。
どのくらいの値をコンデンサーを使うかだが、
ファンのインダクタンスとの兼合いがらみなので、
いくつかの値のコンデンサーを用意して、試してみるのがいい。
スピーカーはどうだろう。

オーディオ誌で、サイズごとに区分けされ、評価されるのはスピーカーである。
どこまでが小型スピーカーなのか、大型スピーカーはここから、といった明確な区分けはないものの、
なんとなく小型スピーカー特集が組まれたりしている。

見た目が小型スピーカーなら、たしかに設置面積は狭い。だからといって省スペースとはいえない。

小型スピーカーの音質上の大きなメリットである音場感の再現の高さを活かすには、
左右のスピーカーの間に、基本的には何も置いてはならない、と多くの人の共通認識だろう。

しかも左右、後ろの壁からも十分な距離をとる。これらを守って設置したら、
スピーカーまわりは何も置けない空間になってしまう。
スピーカーの設置面積ではなく、設置空間ということを考えると、
小型スピーカーも大型スピーカーも、それほどの差はない。
小型スピーカー・イコール・省スペースとは言えない。

省スペースとは言えなくても、スピーカーは、つねに目につく存在だけに、
視覚的に小型なことは、それだけでも、人によっては大きなメリットであろう。

断っておくが、小型スピーカーには、ならではの音質上の特質があるので、
存在価値は認めている。
オーディオ機器の中でノイズを放出しているモノとなると、
CDプレーヤーに代表されるデジタル機器だろうが、意外にもパワーアンプからの輻射も多い。
スイッチング電源やD級アンプ(デジタルパワーアンプという呼称は不正確)式のモノは当然だが、
昔ながらの純アナログ式(変な言い方だが)のパワーアンプでもそうである。
特にヒートシンクが筐体の外に取りつけてあるものは注意したい。

ノイズの影響から逃げるには、距離をとるのがベストだと書いたが、
ノイズ輻射の多いオーディオ機器や、外来のイズの影響を受けやすいオーディオ機器を使っているとしよう。

それらをノイズの影響を受けないように設置しようとすると、意外にも十分なスペースを必要とする。
ちいさなサイズの機器でも、ノイズ輻射の多いものならば、近くに他の機器を設置できない。
多少筐体は大きくても、それがノイズ輻射を減らすため、
もしくは外来のイズの影響を受けないためのものだとしたら、設置条件はかなり自由である。

オーディオ機器のサイズは見た目だけで判断しがちだが、
目に見えないノイズのことを考慮したうえで、サイズを捉えなおすと、
決して外形寸法通りではないことに気づかれるだろう。

サイズを捉えなおす上で見落としてならないのはノイズだけではない。
振動を発生するもの、その影響を受けやすいもの、
漏洩フラックスの多いもの、その影響を受けやすいもの、
発熱の大きいもの、などがある。
CSEが、1990年ごろ発売していたMODE L93-94 EMI NOISE CHECKERは、
1台手元にあると便利な簡易計測器である。

型番のとおり、ノイズチェッカーである。
メーターや数値でノイズを表示する計測器はいくつか市販されているが、
高周波ノイズを音に変換するモノとなると、このぐらいしかないと思う。

メーター式のもので十分じゃないか、と思う人もいると思う。
でも、実際にCSEのノイズチェッカーを試してみると、
ノイズの質(たち)の違いが音の違いとなって、すぐにわかる。

連続するノイズでも、ジャーなのか、シャーなのか、ジージーと波打つ感じなのか、
断続的なノイズでも、ボッボッ、プチップチッだったり、じつにさまざまで、
思わぬものが意外にノイズをかなり出していることもわかる。

ノイズの影響を避けるにはどうしたらいいのか。
シールドを厳重にしたり、電波吸収材を使ったりする前に、いちばん確実で有効な手段は、
ノイズ源から十分な距離をとることである。
お金も必要としないし、シールドすることによる音質への影響も関係ない。
バイワイヤリング対応のスピーカーを鳴らす際、スピーカーケーブルが2組用意できれば、
そのままバイワイヤリング接続をすればいいが、1組だけのとき、
2組あるスピーカー端子のどちら(ウーファー側かトゥイーター側か)にケーブルを接くか。

もちろん最終的には両方の音を聴いて、好ましい方を選べばいいのだが、
最初に音を出すときは、当然だが、どちらかを選んで接がなければならない。
なかにも、ケーブルのプラスをウーファー側に、マイナスをトゥイーター側、
もしくはその逆に接ぐ人もいるが、ふつうはウーファーかトゥイーター側のどちらかだろうし、
それはいつまで聴いて好ましいことが多かった方を、自然と選ぶものだろう。
無頓着に、そのときの気分で、という人はあまりいないだろう。

私はと言うと、100%、ウーファー側に接続する。
これまでいろんなスピーカーで試してきた結果から、ウーファー側を選んでいる。

基本はウーファー側に接ぐ、というのが、私の中にはあるし、
ほとんどの人がそうだと勝手に思い込んでいた。

ところが、意外にトゥイーター側を選ぶ人が多いことに、2年ほど前に気がついた。
しかも、その人たちが、私よりも10歳くらい若いということにも。
もちろん私よりも上の世代で、トゥイーター側を最初に選ぶ人も、極端に少ないけどいる。
とはいえ、私のまわりでは、ウーファー側を選択する人がほとんどだ。

どうも、このことは聴く音楽のジャンルとは関係ないようだ。
世代による違いと関係がある、と私のまわりの人たちだけを見ての感じではあるが。

それであれこれ考えて、私なりの結論が、
もしかすると中心周波数の630Hzが、
育ってきた環境によって上の周波数にズレてしまったのではないか、である。
周波数帯域以上にワイドレンジ化していると感じられるのが、昨今のオーディオの機器の価格の幅。

熊本のオーディオ店でのイベントで瀬川先生が、
オーディオ機器の価格帯についても、40万の法則と同じようなことが当てはまると、
と言われたのを思い出した。

当時はカタログ誌のハイファイ・ステレオガイドが出ていた。
これに掲載されているオーディオ機器の最低価格と最高価格の積の平方根が、
そのジャンルのオーディオ機器の中心価格であり、
その価格の前後の価格帯が、価格と音質向上の度合いが比例関係にある、という内容だった。

横軸を価格、縦軸を音質向上の度合いに設定したグラフを描くと、
中心価格帯のところは、45度以上の急な直線だが、
その価格帯を外れると、上も下もゆるやかなカーブに移行する。

中心価格帯からはずれた、より高額な価格帯は、カーブが寝てきて、
価格をかけた割にはそれほど音質は向上しない、つまり飽和状態に近くなるし、
また反対に下の価格帯にも同じことが言える、とも。

最近では、極端に高価格のモノが存在するが、
いちおう同価格帯でいくつもの候補が存在するまでを最高価格として、
最低価格は、オーディオマニアが使えるギリギリのモノとしてする。
今はカタログ誌がないから、価格の参考になるのは、冬に出るステレオサウンドのベストバイの号か。

ベストバイに選ばれた機種の最低価格と最高価格の積の平方根を、
それぞれのジャンルで出してみたあとで、どういうモノが選ばれているか、
製品分布はどうなっているかをチェックしてみるのもおもしろいだろう。


幼い頃から耳にしている再生音(スピーカーからの音)は、テレビやラジオの音がいちばん多いと思う。
最近ではテレビのない家庭も増えていると聴くから、一概にそうとは言えないだろうが、
私と同世代、もしくは上の世代の人には、やはりテレビ、ラジオの音を、
意識するしないに変わらず、もっとも長く聞いてきていると思う。

そのころのテレビといえばモノーラルだったし、
ラジオについていたスピーカーもフルレンジ一発だった。

ところがテレビの音声多重放送がはじまりだして、
テレビのスピーカーがフルレンジから安っぽいトゥイーターをつけた2ウェイが現われ出したし、
ラジカセもステレオが当然になり、フルレンジから、
これも品のないトゥイーターを付け足したモノがあっという間に増えた。

レンジが広がり、音の品位が向上するのならいいが、
そういったテレビ、ラジカセの存在を私は知らない。
特にラジカセで、一時期流行ったスタイル──アザラシの死体のような外観の、
黒くてぶざまな製品から出てくる音のひどさといったら......。

アザラシの死体、という例えは、どなたの発言だったか忘れてしまったが、ぴったりの表現だと思う。

存在を強調するように鳴るトゥイーターがついたテレビの音、ラジカセの音を、
幼い頃からずーっと聞いてきたとしたら、
もしかすると、人の体にある630Hzという基準が高い方にズレてしまう気がする。
大きく40万の法則から外れた音に馴染んでしまうことによって。
私の勝手な推測にすぎないことは断っておく。

なぜ、こんなことを思うようになったかといえば、
バイワイヤリング対応のスピーカーの接続の例を、いくつか見てからである。
「虚構世界の狩人」のなかの「四〇万の法則」で、瀬川先生は、田口博士の話を書かれている。
     ※
博士は言う。そしてさらにこの六三〇ヘルツという周波数の正体を探ってみると、第一にこれは人間の内耳のナチュラル(自然共振)であり、内耳の特性曲線は六三〇ヘルツを中心にした確立曲線を示している。第二に人間の発声のメカニズムを円錐型のラッパと考えると、口をぽかんと開いたときのナチュラルが同じく六三〇ヘルツだという。さらに630のオクターブ下(1/2)の三一五ヘルツは女の人の声の高さであり、二オクターブ下(1/4)の一六〇ヘルツ附近は男の声の高さ、なので、結局、人間の耳は人の声を聴くのに都合よくできているし、また、内耳の構造からみても六三〇ヘルツを中心とした対称型の周波数が、快い音の条件になるのが当然だと、博士は結論づけておられる。
     ※
人間の体の中に630Hzが存在していることは、
これを人は自然と、感覚の基準としているのかもしれないが、
同時に、人の感覚は揺れ動く面も持ち、外的要因で、630Hzの基準が変わってしまうかもしれない、
高い方にスライドするかもしれない、と思うことがある。
音楽之友社から1982年に出版された中野英男氏の「音楽 オーディオ 人びと」の
扉の写真は、瀬川先生が撮られたものだ。

巻末の『「あとがき」のあとに』を読むと、81年春の撮影で、
瀬川先生の愛機ライカSLIIで撮られたことがわかる。
瀬川先生は81年11月7日に亡くなられている。

中野氏がLPを両手で持たれている、その斜め後ろにEMTの927Dstが写っている。
いままでかけられていたLPをとりあげ、ジャケットにしまわれようとされているのだろう。
モノクロの、たった1枚の写真だが、瀬川先生が求められていた音を、
そこから感じとれる、と言ったらいいすぎだろうか。
C50SMから4333Aにいたる間での変遷とほぼ並行して、
JBLは、ワイドレンジ・スピーカーを追究している。

1973年に発表された4350、翌74年の4340/4341の開発である。

ステレオサウンド刊「JBL 60th Anniversary」に収録されている「JBLの歴史と遺産」によると、
4350の開発を担当した人物は、JBLに入社まもないパット・エヴァリッジ(Pat Everidge)で、
4340/4341も開発している。
4330/4331、4332/4333の開発担当はグレッグ・ティンバース(Greg Timbers》だ。
彼は現在、JBLコンシュマー・プロダクツのチーフ・エンジニアである。
ティンバースの入社は72年7月で、この頃のJBLの、システムをまとめ上げられるエンジニアは、
有名なエド・メイの他に、パット・エヴァリッジ、ティンバースの3人だけだったと、ティンバース自身が語っている。
彼によると、4350、4343を除く、ブルーバッフルのスタジオモニターは
彼が手がけたものだ。4315、4345もそうだ。

ということは、4350、4341を手がけたエヴァリッジが、間違いなく4343も手がけたのだろう。
そして4343の外観のデザインは、おそらくダグラス・ワーナー(Douglas Warner)だ。
彼は、パラゴンやL88 Nova、SA600やSG520をデザインしたアーノルド・ウォルフが
経営していたコンサルタント会社でウォルフの助手をしていた人物で、
「JBL 60th Anniversary」によるとL200は彼のデザインで、
ウォルフがJBLの社長に就任した際に、彼の会社をワーナーが引きつぎ、
ワーナー・アンド・アソシエイツと改称し、
1980年代半ばまでのJBLのインダストリアルデザインに大きく貢献した、とある。

「JBL 60th Anniversary」には、4343のデザインした人物については何も書いてない。
だから、あくまで推測にすぎないが、ウォルフの手直しや助言があったのかもしれないが、
4343はワーナーのデザインと見て間違いないと思う。
4331Aについて井上先生は、ステレオサウンド 62号に
「システムとしては、バランス上で高域が少し不足気味となり、
3ウェイ構成が、新しいJBLのスタジオモニターの標準となったことがうかがえる」し、
4333Aについて「本格的な3ウェイ構成らしい周波数レスポンスとエネルギーバランスを持つシステムは、
4333Aが最初であろう」と書かれている。

瀬川先生は、41号に、「家庭用の高級スピーカーとしては大きさも手頃だし、
見た目もしゃれていて、音質はいかにも現代のスピーカーらしく、
繊細な解像力と緻密でパワフルな底力を聴かせる」L300の登場によって、
「4333の問題点、ことにエンクロージュアの弱体がかえっていっそう目立ちはじめた」と書かれている。

4331/4333から4331A/4333Aの変更点は、主にエンクロージュアにある。
使用ユニットにいっさい変更はない。
板厚が、43331/4333はすべて19mm厚だったが、フロントバッフル以外を25mm厚にしている。
バスレフポートが、4331/4333で、ウーファーの上部横だったのが、
ウーファーの斜下、エンクロージュアのかなり低いところに移動し、
ポートの径も多少小さくなっている。
2405の取付け位置もまた変更され、4320と同じ位置になっている。
こういった細かな改良を施したことによって「4333よりもL300が格段に良かったのに、
そのL300とくらべても4333Aはむしろ優れている」と瀬川先生は高く評価されている。

C50SMからスタートしたスタジオモニターは、4333Aとなり、
質の高いワイドレンジを実現したことになる。
同じ2ウェイの4320と4331は、エンクロージュアのプロポーションやつくり(板厚)は同じだが、
ユニットは、ウーファーが130A系の2231Aになっている。
4320採用の2215Bは、LE15系のハイコンプライアンス型で、
磁束密度も2231Aが12000ガウスと高くなっている。
中高域のホーンも変更されている(ドライバーは同じ2420を採用)。
4320採用の2307はホーン長・約22cmに対して、4331の2312は約29cmだが、
クロスオーバー周波数は800Hzと同じだ。

2231Aは、マス・コントロールリングを採用したJBL初のウーファーだ。
軽くて硬いコーン紙を使いながらも、
コーン紙とボイスコイルボビンの接合部に金属のリングをつけることで、
f0(最低共振周波数)を下げることを実現している。

外観上の変更点は、ユニットのレイアウトとバスレフポートの数の変更だ。
4320は3ウェイ化するときに追加する2405の位置が、
ウーファー、ミッドレンジ、トゥイーターが縦一直線に並ぶようになった。
バスレフポートは4320の2つから1つに減り、当然チューニングも変えられている。

4331、4333について、瀬川先生はステレオサウンド 41号に次のように書かれている。
     ※
しかしこのシリーズは、聴感上、低域で箱鳴りが耳につくことや、トゥイーターのホーン長が増してカットオフ附近でのやかましさがおさえられた反面、音が奥に引っこむ感じがあって、必ずしも成功した製品とは思えなかった。
     ※
翌75年に、4331と4333のコンシュマーモデル、L200とL300が発表される。
この両モデルの成功が、4331、4333にフィードバックされ、76年に4331A、4333Aになる。
JBLがプロフェッショナル部門の設立と同時に発表した
スタジオモニターの4310と4320(1971年発売)。
ワイドレンジについて語るとき、4320のその後の変遷は興味深い。

4320の原型は、C50SM。1962年に発表されている。約170リットルのエンクロージュアは密閉型で、
2ウェイのS7と3ウェイのS8の2つの型があった。
4320は、大ざっぱに言えば、C50SM/S7をバスレフ型に、使用ユニットをプロ仕様のモノに変更、
クロスオーバー周波数も500Hzから800Hzになっているのは、耐入力向上のためでもある。

翌72年に、4320の小改良モデルとして4325を出す。ウーファーを2216に変更(4320は2215B)、
ドライバーとホーンは4320と同じだが、クロスオーバーは1.2kHzに上げられている。
発表データでは、4320の低域レスポンスは40Hz、4325は35Hzと少しだけワイドレンジ化されている。
4325の評価は必ずしも高いものではなかったようで、4320は製造中止にならず併売されている。

4320、4325が、アルテックの604を使用したモニタースピーカーに代わり、
スタジオに導入されるケースが増えるとともに、低域レスポンスの拡張、最大出力音圧レベルの向上、
クロスオーバー付近の音質向上が求められ、74年に、4330/4331に改良される。

4331がネットワーク仕様モデルに対し、4330はバイアンプ駆動専用である。
そして同時に3ウェイモデルの4332/4333も発表されている。
40万の法則は、再生周波数帯域が、
可聴帯域(20Hz〜20kHz)よりも狭いときに成り立つもののように思える。

何の根拠もない推測だが、可聴帯域よりも狭い再生音を聴いているとき、
人は自然に、その再生音の中心周波数を認識しているような気がする。

ここで言う中心周波数とは再生音の上限と下限の積の平方根、
つまり40万の法則に従った再生帯域であれば、632.455Hzとなる。

トゥイーターを追加したり、より上の帯域まで伸びているトゥイーターに交換したり、のとき、
低域も伸ばさないと、高域が伸びた分、中心周波数が上にスライドする。
上限と下限の積が50万だと、707Hzになる。60万だと774Hz。80万だと894Hzだ。

下限が40Hzで上限が20kHzだと、その積は80万になる。

この中心周波数のズレが、中域が薄くなる、弱く感じる理由のような気がする。

ウェスタン・エレクトリックの100FやB&Oのポータブルラジオの再生周波数帯域はわからない。
でも、おそらく中心周波数は632Hz前後だと思う。
以前から言われていたことだが、安易にワイドレンジ化すると、
中域が薄く(弱く)なるということがある。

この場合のワイドレンジ化はトゥイーターによる高域を伸ばすことだが、
トゥイーターを追加してもレベルを他のユニットときちんと合わせて鳴らせば、
中域が薄くなるということは理屈に合わないように思える。
そう思って聴いても、中域が薄く感じられる例がある。

井上先生もステレオサウンド62号に、具体例を書かれている。
     ※
 余談ではあるが、当時、4320のハイエンドが不足気味であることを改善するために、2405スーパートゥイーターを追加する試みが、相当数おこなわれた。あらかじめ、バッフルボードに設けられている、スーパートゥイーター用のマウント孔と、バックボードのネットワーク取付用孔を利用して、2405ユニットと3105ネットワークを簡単に追加することができたからだ。しかし、結果としてハイエンドはたしかに伸びるが、バランス的に中域が弱まり、総合的には改悪となるという結果が多かったことからも、4320の帯域バランスの絶妙さがうかがえる。
 ちなみに、筆者の知るかぎり、2405を追加して成功した方法は例外なく、小容量のコンデンサーをユニットに直列につなぎ、わずかに2405を効かせる使い方だった。
     ※
なぜこういう現象が起こるのか。
40万の法則が、ここでも当てはまる、と私は思っている。
B&Oのポータブルラジオの話を聞きながら、思い出していたのはウェスタン・エレクトリックの100Fのことだった。

おそらくB&Oのラジオを聴ける機会は訪れないだろう。
私がこれまで聴いてきた音で、おそらく、これにいちばん近い特質の音を持っていたのは、100Fである。

100Fは、真空管アンプ内蔵の可搬型スピーカーである。
サイズはうろ憶えだが、横幅が30cmくらいで高さは20cmぐらい。
使われているユニットは、ジェンセン製の5インチのフルレンジ。
真空管アンプはACを電源トランスを使わずにそのまま整流・平滑することで、
省スペース化を図っている。入力にもトランスが使われていたはずである。

内容的にはどうってことはない。レンジも極端に狭い。
けれど、いちど耳にすると、強烈な印象を受ける。

ウェスタン・エレクトリックの音、といっても、いまの映画館では、その音は聴けない。
ウェスタン・エレクトリックのスピーカーやアンプを鳴らしている人もいるが、
彼らの音がウェスタン・エレクトリック純正の音と言えるかは、難しい。
その人個人の音であることも関係しているからだ。

それでも、100Fは、ミニサイズだが、ウェスタン・エレクトリック純正の音と私は思う。
おそらく100Fの再生周波数帯域も40万の法則に従っていると感じる。

Jacqueline du Pré

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1987年10月19日、ジャクリーヌ・デュプレは亡くなっている。


デュプレが亡くなって、数年後に、音楽評論家の三浦淳史氏の文章で、

イギリスで「Jacqueline du Pré」という薔薇が生れたということを知った。

残念なことに写真はなかった。


1997年にインターネットに接続したときに、検索した言葉のひとつが「Jacqueline du Pré」だった。

ネットならば、Jacqueline du Pré がどういう花なのかがわかるはずという期待からだったが、

まったくヒットせず。


1年後くらいか、やっとイギリスの個人サイトで、写真を見ることができた。

小さな、不鮮明な写真だった。

英文の説明には、入手が非常に難しい、と書かれていた。

栽培が難しいらしい。


日本で見ることは無理だなと思いながらも、数年に一回、ふと思い出しては検索してみると、

日本の薔薇の愛好家のサイトでも見ることができるようになっていた。

薔薇の世界の技術も進歩しているらしい。


Jacqueline du Pré は、

イギリスの薔薇交配家のピーター・ハークネス氏の育てた品種の中から

多発性硬化症で入院していた彼女の視力はかなり衰えていたので、

嗅覚だけで、彼女自身が力強い香りのものを選んだときいている。


1989年、Jacqueline du Pré が世に出ている。


デュプレの命日が近い。日本での入手はそう難しくない。

オーディオ機器のサイズの定義は、あるようでない、と言えよう。

スピーカー・ユニットの口径ひとつとっても、何cm以上が大口径なのか、小口径は何cn以下なのか、
まったく決っていない。ただ感覚的に、38cm口径は大口径と言っている。

たしかに10cm口径のユニットと比較すると38cmは大口径と言えるが、比べてみての話だ。
エレクトロボイスが以前出していた76cm口径のウーファー、30Wや
ダイヤトーンが市販したことのある160cmのウーファーと比べると、
38cmも小口径と言わないが、大口径とは言えない。

定義が決ってないので、ふだん見慣れているモノのサイズよりも大きければ、大口径、大型となる。
ということはオーディオに関心のない人にとっては、20cm口径のユニットでも、
相当大きなスピーカーと感じるかもしれないし、
同じオーディオマニア同士でも、世代が違えば、サイズに対する感覚も異っているだろう。

60年代のスピーカーは、ウーファーといえば38cm(15インチ)がスタンダードだと言えよう。
この時代のスピーカーに馴染んでいる人と、90年代以降のスピーカーに馴染んでいる人とでは、
サイズ感覚もずいぶん違うだろう。それに住環境も無視できない。

そしてオーディオ機器のサイズは、見た目だけではない。

Kazuo Kawasaki Ph.D.

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いまかけているメガネも、その前のメガネも、もうひとつ前のメガネも、
1998年からずっとKazuo Kawasaki Ph.D.ブランドのメガネを愛用している。

川崎先生のデザインのメガネには、心地よい緊張感がある。

2001年に出たアンチテンションのフレームから取扱店が大幅に増え、電車に乗っていると、
ときおり川崎先生デザインのメガネをかけている人を見かける。

でもそれ以前は、東京でも、
取り扱っていたのは日本橋・三越本店の新館の二階にあるメガネサロンだけだった。

最初に買った川崎先生のメガネは、カタログを増永眼鏡から取り寄せてもらって注文したので、
おそらく東京で、このメガネをかけているのは私だけという密かな喜びもあった。
いまかけているメガネも、詳細は書けないが、そういう喜びがある。

川崎先生のメガネにアンチグラビティというモデルがある。
94年ごろに出ている。
パッド(鼻当て)のところに大きな特長がある。

これを見た時、オーディオに応用できるんじゃないか、と直感的に思った。
それから10年、スピーカー・スタンドに応用できることに気がつく。
さらにラックにも応用できる。

2001年には、アンチテンションのモデルが出ている。
これを見た時も、オーディオに使えるはず、と思った。
いまでも、ときどき考えるが、なかなか思い浮ばずにいる。
瀬川先生は、定規やコンパスを使わずに、手書きでキレイな円を書かれていた、と
瀬川先生のデザインのお弟子さんだったKさんから聞いた。

訓練の賜物なのだろうが、そればかりでもないと思う。

紙に薄く下書きの線が引いてあったら、それをなぞっていけばいい。
そんな線がなくても、紙を見つめていると、円が浮んで見えてくるということはないのだろうか。

ナショナルジオグラフィックのカメラマンは、携帯電話についているカメラ機能でも、
驚くほど素晴らしい写真を撮ると聞く。
素晴らしいカメラマンは、ふつうのひとには見えない光を捉えているとも聞く。

卑近な例だが、友人の漫画家は、「うまいこと絵を描くなぁ」と私が感心していると、
「だって線が見えているから」と当り前のように言う。
イメージがあると、白い紙の上に線が見えてくるものらしい。

音も全く同じであろう。
聴きとれない音は出せない。

同じ音を聴いていても、経験や集中力、センス、音楽への愛情、理解などが関係して、
人によって聴きとれる音は同じではない。

そして見えない線が見えてくるように、いまはまだ出せない音、鳴っていない音を、
捉えることができなくては、まだまだである。
出てきた音に、ただ反応して一喜一憂しているだけでは、つまらない。
40万の法則といっても、若い人はほとんどご存じないだろう。
私よりも上の世代には、いわばオーディオの常識のひとつであった。

人間の可聴帯域の下限(20Hz)と上限20kHzを掛け合わせた値が40万であり、
聴感的に心地よいの音の帯域はバランスは、再生音域の下限と上限の積が40万、
もしくはそれに近い値になることが多い、と言われている。

池田圭氏の著書「盤塵集」(ラジオ技術刊、絶版)にも詳しいし、
瀬川先生の「虚構世界の狩人」に収録されている
「四〇万の法則と音のバランス」をお読みいただきたい。

瀬川先生の、そのなかで、B&Oのポータブルラジオについても書かれている。

西新宿にあったサンスイのショールームで定期的に行なわれていた瀬川先生のイベントで、
このラジオを鳴らされたときがあった。
その音を聴いた人たち(私よりも一回り以上年上の方たち3人)は、
感慨深げに「あれは、ほんとうにいい音だったなぁ」、
「ナローレンジなんだけど、実にいい感じで鳴ってくれる」、
「あれも40万の法則にぴったり当てはまるんだよな」と語ってくれた。
「トランスはフィルター理論を駆使して設計しなければならない」──
マリックの松尾氏の言葉である。
といっても、この言葉を直接聞いたわけではなく、また聞きであることをことわっておく。

マリックといっても、ご存じない方も少なくないだろう。
伊藤先生の300Bシングルアンプのトランスは、松尾氏の設計によるマリック製である。
松尾氏が亡くなってからは、他社製のトランスに切換えられている。

また聞きとは言え、私にこの話をしてくれたOさんは、
松尾氏から直接聞かれているし、伊藤先生の弟子でもあり、
伊藤先生の300Bシングルアンプを、
音楽之友社から出た「ステレオのすべて」に掲載された写真から、
回路図、シャーシーの大きさなどを割り出してそっくりのアンプをつくりあげた人だから、
途中で情報が変質している心配はない。

三角形を思い浮かべてほしい。
この三角形のどの部分を使用するかによって、トランスの周波数特性は決る。
頂点に近いほうならば、帯域は狭い、下に行くに従って、帯域は広がっていく。
大事なのは、三角形の頂点の周波数はいくつかということだ。
その値は、630〜640Hzあたりとのことだ。

つまり40万の平方根値である。
トランスに関しても、40万の法則があてはまる。
岩崎先生の遺稿集「オーディオ彷徨」。

気温がさがっていくこれからの季節、夜、ひとりで読むにぴったりの本だとあらためて思っている。
友人のAさんも「オーディオ彷徨」に惚れているひとりだ。

彼と私の共通点はそんなにない。
歳が同じこと、オーディオが好きなことぐらいか。
それ以外のことはそうとうに異っているが、そんなことに関係なく、
ふたりとも「オーディオ彷徨」を読むと、ジャズが聴きたくなる衝動にかられる。
ふたりとも、聴く音楽のメインはジャズではないのに、である。

「オーディオ彷徨」はいちど絶版になっている。
それを、当時ステレオサウンド編集部にいたTNさん
(彼はジャズと岩崎先生の書かれるものを読んできた男)が、
情熱で復刊している。彼も衝動に突き動かされたのだろう。

岩崎先生の文章には、人を衝動にかり立てる力がある。
そして衝動が行動を生み、
行動が感動を生むことにつながっていく。

衝動、行動、感動、すべてに「動き」がつく。
動きには、力が伴う。動きには力が必要だ。

岩崎先生の言葉には、力が備わっている。私はそう感じている。

待ち遠しい

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今年イチバン楽しみに、その発売を待っていたのが、
アンドラーシュ・シフのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集第8巻である。
ECMから出る。10月14日に入荷予定とのことだ。

収められているのは30番、31番、32番。

デッカ時代のシフの演奏にも惹かれるものがあったが、
ECMに移ってからの演奏には、まいった。
最初に聴いたのは、バッハのゴールドベルグ変奏曲。
デッカにも、1980年代に録音しているし、聴いていた。

「20年で、これほど人は成長するのか」──、そうも感じた。

ぼんやりとした記憶だが、当時のシフは、グールドを師と呼んでいたはずだ。

シフは1953年生れ。二度目のゴールドベルグ変奏曲の録音時(2001年10月)は、
48歳になる二カ月ほど前である。
グールドが二度目のゴールドベルグ変奏曲を録音したときは49歳。
あえて、ほぼ同じ歳になったときを選んだのだろうか。

同じ曲を、ときには難解な言葉を並べて、あらゆる言葉を尽くして語ろうとする演奏家もいるし、
詩のように、言葉をできる限り削ぎ落として語る演奏家もいる。

どちらが素晴らしいとかではない。
そんなことを感じさせる演奏があるということだ。

シフの、いまの演奏がどちらかは聴いてみればわかる。
ステレオサウンドでは試聴の準備で、CDプレーヤーやアンプはすべてACの極性をチェックする。
アース電位をデジタルテスターで測ってみる。
テスターに表示される数字の低い方を、基本的にはACの極性が合っていると判断する。
ただ一部の機器は、メーカー側の指定があり、アース電位の高いこともある。

私がステレオサウンドにいたのは1988年12月までで、
それまで測った機種でアース電位が優秀だったのは、マッキントッシュのアンプだった。
いまのマッキントッシュのアンプがどうなのかは知らない。

マッキントッシュのコントロールアンプと、
機能を絞った、いわゆるハイエンドオーディオと言われるメーカーのコントロールアンプ、
アース電位が低いのはマッキントッシュである。

いうまでもなくマッキントッシュのコントロールアンプは多機能だから、
トーンコントロール、フィルターなどを装備しているため、どうしても内部構成は複雑になる。
にも関わらず、ほとんどコントロールアンプとしての機能を持たない機種、
つまり内部構成はずっとシンプルで、配線の引き回しも少なく、ディスクリート構成なのに、
アース電位はかなり高く、しかもAC極性を変えると、大きく値が変動する。
しかも測定している最中、アース電位がふらつく。

マッキントッシュの方は、低いだけでなく、AC極性を反転させても、
ほとんとアース電位が変化しない。しかも安定している。

もちろんアース電位の値だけで音が決定されるわけではない。
けれど、AC極性の反転で電位の変化幅の大きいアンプは、音の変化も大きい。
マッキントッシュのアンプも、AC極性を変えると音は変化するが、それほど大きい差ではない。

人の価値観はさまざまだから、どちらを優秀なアンプとして評価するかは異るだろうが、
少なくともアンプとして安定しているのはマッキントッシュである。
1981年か82年ごろか、あるオーディオ誌に連載をお持ちのあるオーディオ評論家が、
「ACに極性があるのを見つけたのは私が最初だ」と何度か書いているのを見たことがある。
なぜ、こうもくり返し主張するのか、声高に叫ぶ理由はなんなのか......。

少なくとも、このオーディオ評論家が書く以前から、
ACの極性によって音が変化することは知られていた。
私でも、1976年には知っていた。
この年に出た五味先生の「五味オーディオ教室」に、次のように書いてあったからだ。
     ※
 音が変わるのは、いうまでもなく物理的な現象で、そんな気がするといったメンタルな事柄ではない。
 ふつう、電源ソケットは、任意の場所に差し込みさえすればアンプに灯がつき、アンプを機能させるから、スイッチをONにするだけでこと足りると一般に考えられているようだが、実際には、ソケットを差し換えると音色──少なくとも音像の焦点は変わるもので、これの実験にはノイズをしらべるのがわかりやすい。
 たとえばプリアンプの切替えスイッチをAUXか、PHONOにし、音は鳴らさずにボリュームをいっぱいあげる。どんな優秀な装置だってこうすれば、ジー......というアンプ固有の雑音がきこえてくる。
 さてボリュームを元にもどし、電源ソケットを差し換えてふたたびボリュームをあげてみれば、はじめのノイズと音色は違っているはずだ。少なくとも、どちらかのほうがノイズは高くなっている。
 よりノイズの低いソケットの差し方が正しいので、セパレーツ・タイプの高級品──つまりチューナー、プリアンプ、メインアンプを別個に接続して機能させる──機種ほど、各部品のこのソケットの差し換えは、音像を鮮明にする上でぜひ試しておく必要があることを、老練なオーディオ愛好家なら知っている。
     ※
これを読んだとき、もちろん即試してみた。お金もかからず、誰でも試せることだから。
たしかにノイズの量、出方が変化する。

もっともノイズでチェックする方法は、
現在の高SN比のオーディオ機器ではすこし無理があるだろう。
音を聴いて判断するのがイチバンだが、テスターでも確認できる。
AC電圧のポジションにして、アース電位を測ってみるといい。
もちろん測定時は、他の機器との接続はすべて外しておく。

ここで考えてみてほしいのは、
なぜ五味先生はACの極性によって音が変化することに気づかれたかだ。

マッキントッシュのMC275に電源スイッチがなかったためだと思う。
五味先生が惚れ込んでおられたMC275だけでなく、マッキントッシュの他のパワーアンプ、
MC240も、MC30などもないし、
マランツのパワーアンプの#2、#5、#8(B)にも電源スイッチはない。
マッキントッシュの真空管アンプで電源スイッチがあるのは、超弩級のMC3500、
マランツは#9だけである。

MC275の電源の入れ切れは、
コントロールアンプのC22のスイッチドのACアウトレットからとって連動させるか、
壁のコンセントから取り、抜き挿すするか、である。

あれだけ音にこだわっておられた五味先生だから、おそらく壁のコンセントに直に挿され、
その都度、抜き差しされていたから、ACの極性による音の変化に気付かれたのだろう。

なにも五味先生に限らない。
当時マランツの#2や#8を使っていた人、マッキントッシュの他のアンプを使っていた人たちも、
使っているうちに気づかれていたはずだ。
だから五味先生は「老練なオーディオ愛好家なら知っている」と書かれている。

そして、誰も「オレが見つけたんだ」、などと言ったりしていない。
アナログ式のイコライザーで、グラフィックイコライザーのようなカーブを作り出せないか。
櫛形フィルターを使わずに、しかも6dB/oct.のフィルターによって、ということを考えていた。

そんなとき、スピーカーのレベルコントロールによる
スピーカーシステム全体の周波数特性がどう変化するのを表したグラフを見て思いついた。

2ウェイのネットワークだと、当然だが低域と高域だけの変化である。
3ウェイだと、それに中域が加わり、4ウェイでもせいぜい2.5オクターブの粗さである。

ならば、この3つを加えたらどうなるか。
けっこう複雑なカーブを作り出せそうな気がしてきた。

ラインレベルの入力をまず3系統にわける。
後につながる負荷が小さくないのでバッファーアンプを設けたい。
それぞれのフィルターは、
抵抗とコンデンサーだけで形成した6dB/oct.のチャンネルデバイダーと同じである。

つまり2ウェイ、3ウェイ、4ウェイの、パッシヴのチャンネルデバイダーを用意する。
そしてそれぞれのチャンネルデバイダーに信号を振り分けたのち、
それぞれの信号、つまり2+3+4の7つの信号をミキシングして出力する。
ミキシングの段階で、それぞれのレベルをコントロールする。

この方式のポイントは、それぞれのチャンネルデバイダーのクロスオーバー周波数の設定である。
うまく設定できれば、グラフィックイコライザーには及ばないものの、
かなり自由にイコライジングカーブがつくり出せるのではないだろうか。

スピーカーのレベルコントロールを、電気的に細かくいくつもにわけたものが、
グラフィックイコライザーと、乱暴な表現だけど、そう言えるだろう。

スピーカーだと4ウェイでも、低域、中低域、中高域、高域の4つの帯域だから、
ひとつのレベルコントロール当り大ざっぱに言えば2.5オクターブだが、
グラフィックイコライザーは、1オクターブに満たない、
1/3オクターブという狭い帯域でコントロールできる。

そのために櫛形フィルターを使う。

非常に狭い帯域でピーク・ディップをコントロールする際、櫛形フィルターは有効だ。
だが一般的と思われる使い方、
たとえば500Hzを中心にゆるやかにもちあげて、3kHzあたりをやや下げて、
その上の帯域をゆるやかに上昇させるという帯域バランスを得たいとき、
グラフィックイコライザーのツマミを、そういうカーブに配置する。
なるほどグラフィックである。

だが、櫛形フィルターを採用していることを思い出してほしい。
微視的に見れば、櫛の歯の長短を変えて、そういうカーブを作り出しているわけだ。
櫛の歯銅氏の間はどうなっている?

アメリカの技術書に、単発サイン波を、グラフィックイコライザーを通すと、
どう変化するかが載っている。

だからグラフィックイコライザーは使用すべきではない、と言いたいわけではない。
どんなモノにもメリット・デメリットがあるということだ。

そして、これはアナログ技術のグラフィックイコライザーについててである。
デジタル式が、どういうふうにカーブ通りのイコライジングを行なっているのか、
じつのところ調べていないが、アナログ式とはそうとうに異っているはずだろう。

個人的には、デジタル技術の導入によって、デメリットの面が薄れ、
グラフィックイコライザーの本領発揮の時代がきたと考えている。
UREIの813は、新しいスタジオモニタースピーカーとして開発され、
メインユニットにアルテックの同軸ユニット604-8Gを採用している。

604が搭載されているアルテック純正のスピーカーシステム612との大きな違いは、
サブウーファーの採用ではなく、ネットワークにある。

604-8Gの構造図を見ればわかるが、中高域を受け持つドライバーの振動板と
ウーファーの位置関係はかなり離れている。
ホーン型ということもあり、中高域が後ろに配置されている。
とうぜんウーファーからの音とドライバーからの音には時間差が生れる。

同軸ユニット構造とすることで、発音源の一体化をはかっても、これでは効果も薄れる。
デジタル器材が進化し安価になった今なら、
デジタルチャンネルデバイダーを用いてのマルチアンプ駆動で、
ウーファー側にディレイをかけて補正するところだが、
77年当時で、しかもマルチアンプではなくアンプ1台で、
同じことを実現するのは無理のように思われていた。

UREIは独自のネットワーク技術で時間差を補正している。
このネットワークの存在と、
604-8Gのオリジナルのセルラホーンを、独自の濃い水色のホーンへの変更のふたつからは、
鮮やかな印象を受けた。

このネットワーク技術をタンノイの同軸型ユニットにも採用したら、
素晴らしい音が聴けるに違いない、と当時中学生だった私は、そんなことを想っていた。

当時はどういう技術なのか具体的なことはまったくわからなかったが、
UREIはいまJBLの一部門であるため、JBL Proのウェブサイトにアクセスすれば、
813のネットワークの回路図をダウンロードできる。

813だけではなく、QUADのESL63も、この場合、ネットワークとは言えないが、
デジタル技術ではなくアナログ技術で、時間差をつくりだすことと、
同心円上に8分割に配置された固定電極の採用で、
平面波しか出せないコンデンサー型スピーカーから、中高域のみ球面波を可能としている。
ESL63もコイルの複数使用での実現である。

ESL63は球面波を実現したと言われるが、
この動作によって生れるのが、ほんとうに球面波なのかは、すこし疑問に思う。
たしかに球面波に近いと思うのだが......。

UREIの813とQUADのESL63を例に挙げたが、
技術書に書かれていることだけでなく、実際の製品から学べることは多い。
技術書に書かれていることだけがすべてではないということである。
スピーカーのレベルコントロールをいじれば、クロスオーバー周波数はわずかだが変化する。
2ウェイ・スピーカーのでトゥイーターのレベルをあげると、
クロスオーバー周波数は低い方に移動する。レベルを下げると高い方にスライドする。
3ウェイで、スコーカーのレベルを上げると、ウーファーとのクロスオーバーは低くなり、
トゥイーターとのクロスオーバーは高くなる。

だからレベルコントロールはいじらない方がいいと言いたいわけではない。
必ずしも、各ユニットのカットオフ周波数とクロスオーバー周波数が一致するわけではない。
このことを忘れてほしくないだけである。

3年前に、あるネットの掲示板で、スピーカーのネットワークに関して、
ふたりの方が言い合いをされていた。
そのうちのひとりは、ネットワークが12dB/oct.の場合、
2ウェイならばトゥイーターを、3ウェイならスコーカーを逆相接続にする、
スピーカーの教科書にもそう書いてあるし、
メーカー製のスピーカーもそのようになっていると力説されていた。

たしかに1970年代に出版されていたスピーカーの技術書には、そう書いてある。
間違いではないし、事実、メーカー製の中に逆相接続のモデルもあった。

けれど80年代から12dB/oct.のネットワーク使用でも逆相接続ではなく、正相接続が出てきたし、
おそらく、いまきちんとした技術力をもつメーカーの製品なら、逆相接続はほとんどないはずだ。

音場感の再現を重視すれば、ウーファーとトゥイーターの極性が逆相のままというのはありえない。
たしかに12dB/oct.のネットワークだと、クロスオーバー周波数でディップが生じる。
それから逃げるために片方のユニットを逆相接続するわけだが、
この問題をさける手法は、なにも逆相接続だけではない。
メーカーは確実に技術を進歩させている。

70年代は、ラジオ技術誌や無線と実験誌の別冊として、
スピーカーやプレーヤーに関する技術書が、メーカーのエンジニアによって書かれていた。
いまはその手の本はない。
そのため、上で挙げた例のように古い技術書に書かれていたことを
オウムのように繰り返す人が出てきてもしかたないだろう。

個人攻撃をするつもりはないが、
その人は、ネットワークでタイムディレイは実現できないと断言されていた。
たしかにデジタルディレイのような細かいディレイを実現するのは困難だが、
1977年にはUREIの813が登場している。
3年前くらいに思いついたが、まだ試していないイコライザーについて書いてみる。

帯域のバランスを簡単に変化させるのは、スピーカーについているレベルコントロールだろう。
最近のモデルは省いているものが多いが、3ウェイ、4ウェイとなるほど、
レベルコントロールは重宝するといえる。

レベルコントロールの調整といえば、瀬川先生のことが浮ぶが、
ステレオサウンド 38号に井上先生が次のように書かれている。
     ※
システムの使いこなしについては最先端をもって任ずる瀬川氏が、例外的にこのシステムの場合には、
各ユニットのレベルコントロールは追い込んでなく,
メーカー指定のノーマル位置であるのには驚かされた。
     ※
このシステムとは、JBLの4ウェイ・スピーカー、4341である。
その後に使われていた4343も、レベルコントロールはほとんどいじっていない、と
どこかに瀬川先生が書かれていたと記憶する。

そういえばKEFのLS5/1Aはレベルコントロールがない。そのことが不満だとは書かれていないはず。

LS5/1Aにしても、4341(4343)も購入されている。それは気にいっておられたわけだし、
長い時間をかけて鳴らしこめるわけだ。

瀬川先生がスピーカーのレベルコントロールを積極的に使われるのは、
試聴などで、短時間で、瀬川先生が求められる音を出すための手段だったようにも思える。

レコード芸術の連載で、スピーカーは最低でも1年間、できれば2年間は、
特別なことをせずに、自分の好きなレコードを、
ふだん聴いている音量で鳴らしつづけることが大切だと書かれている。

惚れ込んで購入するスピーカーなら、帯域バランスに関しても、
大きな不満を感じられることはなかっただろう。
だからこそ、レベルコントロールをいじらずに、大切に鳴らし込まれていたのだろう。

38号の写真を見ると、4341の下には板が敷かれているが、
板と板の間に緩衝材のようなものを見える。
このあたりの使いこなしは積極的に行なわれていたようだ。
くり返しになるが、ワイドレンジになればなるほど、
ナローレンジでは顕在化しなかった問題が出てくる。
贅をつくすことではなく、だから注意深く意を尽くすことが求められる。

しかもステレオだということを忘れてはいけない。
モノーラルのワイドレンジ化はステレオのそれとくらべれば、それほど難しくはないと言えよう。
もちろんモノーラルでもワイドレンジ化にともない、いくつかの問題が顕在化するが、
ステレオほどではない。

そしてモノーラルを2つ用意して鳴らすのがステレオではないということだ。

例えばモノーラルパワーアンプの電源の取り方ひとつでも、ステレオの場合、
多重ループの問題を考慮すると、左右チャンネル(2台)とも、
同一コンセントから電源をとるべきである。

右チャンネルのパワーアンプはこっちのコンセント、
左チャンネルの分はあっちのコンセント、とわざわざ分ける人がいる。

分けると、一瞬、分離がよくなったように聴こえるだろう。
分離の良さというか、分離が良くなったように感じられることと、
音場感の再現性が向上することは区別してほしい。

音場感に注意して聴けば、AC電源の多重ループについて知らなくても、
モノーラルパワーアンプは同一コンセントに挿すことになる。

コンデンサースピーカーの場合も同じだ。
必ず同一コンセントから電源をとるべきである。
今回のインターナショナルオーディオショウで「これは聴いてみたい」と思ったのは、
マッキントッシュのパワーアンプMC2301だ。
型番こそ、2301とステレオ機のそれだが、MC2301はモノーラルの管球式アンプだ。
KT88を片チャンネル8本使い、300Wの出力。
ほとんど、以前のMC3500の現代版である。
MC3500は、同社最後の管球式アンプだった(その後、管球式が復活したため最後ではなくなったが)。
MC3500の出力は350W。実物を見たことはあるが、実は音を聴いたことはない。

MC2301は、見た目も、きっと音も、MC3500よりも洗練されている。
安定度も問題なく高いはずだ。

このアンプを、マッキントッシュジャパンのブースで見ていたら、
タンノイのスピーカーで聴いてみたくなった。
カンタベリー15と組み合わせて聴きたい。

まだ熊本に住んでいた頃、ロックウッド社のジェミニというスピーカーを聴いたことがある。
ロックウッドのスピーカーはタンノイのユニットを、
独自のバスレフ型エンクロージュアに収めたもので、
ずいぶんタンノイ純正のスピーカーとは異る印象を受けた。

聴いたといってもわずかな時間だし、ずいぶん昔のことだけど、
タンノイのユニットとは思えないほどエネルギッシュな音だった。

もしかすると、あの時の音が、MC2301で鳴らすカンタベリー15から聴けるような気がしてしまう。
アースのループもAC電源の多重ループも、
オーディオ機器がワイドレンジになればなるほど影響が大きくなってくる。

そして、アースには分けるべきものと分けてはいけないものがあることを憶えていてほしい。
ラインケーブルのアースは分けてはいけないものだが、
パワーアンプがモノーラル機ならば、分けたほうがいい。
それからパッシヴフェーダーのところで書いたが、信号の分流(帰還)用のアースと、
信号基準のアースは最終的には1点で接続するが、
そこまでは合流しないように分けるべきである。
たとえばスピーカーのネットワークのアースも分離すべきだと考える。

6dB/oct.のネットワークだと、ウーファーにはコイルが、トゥイーターにはコンデンサーが
直列にひとつだけ入るだけなので問題はないが、
12dB以上になると並列にコンデンサーやコイルがはいる。
ウーファーだとコイルが直列にはいったあとにコンデンサーが並列にはいる。
このコンデンサーのアースラインと、ウーファーユニットのアースラインは
スピーカーの中でひとつにまとめられてしまうが、
この2つのアースラインに流れる信号は異る。
一本にまとめないで、それぞれ独立したアースラインで、
パワーアンプのスピーカー端子のところでまとめる。

この方式でパワーアンプとスピーカーを接続すると、
3ウェイ、4ウェイとユニットの数が増えるに従って、
ネットワークが12dB、24dB......と増えるに従って、
アースラインの数が一気に増えてしまうのが難点だが、
2ウェイならば、実用の範囲で処理できる。
インターナショナルオーディオショウで、個人的に印象に残っているのは、
ベーゼンドルファーの不在である。

去年、聴いたベーゼンドルファーの音を
もういちど聴きたくて会場に足を運んだといってもいいくらいだっただけに、残念である。

今年はじめ、ベーゼンドルファーをヤマハが買収したニュースをきいて、
いちばん心配だったのがスピーカーの製造が終了してしまうことだった。
案の定だ。

ピアノメーカーがつくったスピーカーだけに、ピアノの再生は得意だけど、
ほかのものは......、という印象が強かったようだが、
響きの忠実性は、高いものを持っていたスピーカーだった。

去年のノアのブースでかけられていたカンターテ・ドミノだが、
教会で録音されていることはよく知られているが、
この教会は石造りではなく、木で造られた教会だけに、
一般にイメージされる教会の響きと違い、暖かく柔らかい。
この木の感じを、よく出してくれる。

そして次にかかった、同じ教会でも石造りのところで録音されたCDでは、
そういう響きを見事に響かせてくれる。

いわゆる音場感とは違う、響きの再現性。
なかなかこういうスピーカーはないだけに、ひじょうに残念だが、
ベーゼンドルファーのスピーカーに関する主要スタッフは、ふたりだけらしい。
もしかすると、彼らが独立して、またスピーカーづくりをはじめるかもしれない、
という情報も耳にした。期待している。
早瀬(文雄)さんが、クレルのKSA80を使われていた時期だから、1990年ごろか。
よく早瀬さんの家に遊びに行っていて、KSA80のリアパネルに、
パワーアンプにも関わらず、アース端子が設けられているのを見て、
これなら簡単にできる、と思い、ある提案をした。

プリアンプもクレルで、たしかバランス伝送で接続されていた。
このケーブルにすこし細工をする許可をもらって、プリアンプとパワーアンプのアース端子を結び、
接続ケーブルのXLRコネクターをばらし、片側のシールドをはずした。
アンバランスでもバランス接続でも同じだが、プリ・パワーともステレオ構成ならば、
アースのループができる。
プリアンプの出力もRCAコネクターは見掛けは、アースが独立しているようにみえるが、
内部ではひとつになっている。
パワーアンプの入力も同じである。
つまりケーブルの両端はつながっているアンプの内部でひとつになっている。
接続ケーブルが長ければ長いほど大きなループが形成される。

両端がつながっているなら同電位なので問題ないだろう、と思われるだろう。
実際に浮遊容量、磁束の横切り、高周波やコネクター接触の問題などがからみ合って、
問題なしとは言えない。

解決方法は簡単でケーブルにすこし手を加えればいい。
上記したようにアース側の接続を片側はずして、アース線を用意して接続する。
プリ・パワー間のとき、どちらのアースを外すかは、ひとそれぞれだろうが、
私はプリアンプの領域はパワーアンプの入力端子までと考えるので、
パワーアンプの入力側のアースのハンダを外す。もちろん両チャンネルともだ。
CDプレーヤー・プリアンプ間も同様だ。

うちでは1m、ながくても2m弱だったが、早瀬さんのところはプリ・パワー間は5、6mあった。
同じことを自分のところでもやっていたので、これだけケーブルの長さが違うと、
かなり効果は大きく出るであろうと予想はしていたにも関わらず、ふたりして驚いたものだ。

どのように音が変化するかは書かない。
簡単な作業で実験できることなのでご自身の耳で確認してみてほしい。
菅野先生が使われているスピーカーに共通するのは、中高域の拡散ともうひとつ、
低域の電子的なコントロールがあげられる。

マッキントッシュのXRT20は、専用のヴォイシングイコライザーMQ104(調整ポイントは4つ)か
MQ107(調整ポイントは7つ)で、専門のエンジニアによる
部屋のアコースティック環境の補正(ヴォイシング)サービスを行なっていた。
菅野先生はご自身で調整されている。

JBLの375を中心としたシステムウーファーと、
ジャーマン・フィジックスのDDDユニットのシステムの低域は共通で、
JBLのウーファーを、マルチアンプ駆動で使われている。
このウーファーも、もちろんグラフィックイコライザーでコントロールされている。

中高域の拡散と低域の電子的なコントロール──、
このふたつの要素を充たしているスピーカーを、現行製品から見つけ出すと、
B&OのBeolab5が、まさしくそうである。

オシャレなオーディオ機器として扱われがちなB&Oの製品だが、
違う観点からBeolab5を、いちど見てほしい。
明日からインターナショナルオーディオショウがはじまる。
晴海でオーディオフェアが開催されていたときの状況と比較すると、
試聴条件ははるかによくなっている。

けれども入りきれないほどの人が集まったブースでは、
なかなかいい音で鳴ってくれないし、ほかの理由で本領発揮できないスピーカーもあろう。

「オーディオ機器は自宅試聴しないとほんとうのところはわからない。
特にスピーカーはその傾向が強い」という人もいる。
なじみのオーディオ店(というよりも人だろう)があり、
関心のあるオーディオ機器を自宅で聴けるのなら、それに越したことはない。

あえて言おう。どんなにひどい音で鳴っていたとしても、
自分にとって運命のスピーカーというものと出合ったときは、すぐにわかるはずだ。

瀬川先生が以前言われていた。
「運命の女性(ひと)と出逢ったならば、そのひとがたとえ化粧していなくても、
多少疲れていて冴えない表情をしていたとしても、ピンとくるものがあるはずだ。
スピーカーもまったく同じで、
ひとめぼれするスピーカーなら、ひどい環境で鳴っていても惹かれるものがある」

瀬川先生の、この言葉は自戒も含まれているように思う。

1968年に山中敬三氏から、「お前さんの好きそうな音だよ」と声を掛けられて、
山中氏のリスニングルームでKEFのLS5/1Aを聴かれたが、
「この種の音にはどちらかといえば冷淡な彼の鳴らし方そのもの」だったし、
しかも山中氏のメインスピーカーアルテックA5の間に置かれ、
左右の距離がほとんどとれない状態での音出しも影響してか、
LS5/1Aの真価を聴きとれなかったことへの......。

とにかくショウの3日間、直感を大事にして音を聴いてほしい。

カタログ誌

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1970年代は、年に2回発行されていたハイファイ・ステレオガイド。
年1回になり、名称もオーディオガイド・イヤーブックにかわり、
1999年末の号で休刊になった、いわゆるカタログ誌。

オーディオがブームのころは、販売店もカタログ誌を発行していたし、
サウンドステージを発行していた音楽出版社も一時期発行していたのに、
いまオーディオのカタログ誌はない。

カタログ誌なんて、まったく役に立たないから不要だ、と思われている方もいるだろう。
それほど鮮明ではない、モノクロの写真1枚とある程度のスペックと簡単なコメントだけでは、
なんにもわからないから、というのも理解できなくはない。

でも、意外にカタログ誌は楽しめる。

趣味にしている自転車の世界では、カタログ誌がけっこう発行されている。
フレーム本体、完成車のカタログに、周辺パーツのカタログといったぐあいに、
複数の出版社から出ていて、写真がカラーで大きく掲載されていることもあって、
手にとって見ているだけで、すなおに楽しい。

カタログ誌は、年月とともに資料的価値が高くなってくる。

カタログ誌が一冊あれば、瀬川先生のように電卓片手に、あれこれ組合せを空想しては楽しめる。

カタログ誌は、手元に一冊あると重宝する。

カラー写真で、しかも1枚ではなく数枚の写真を大きく、
スペックも発表されている項目はすべて書き写し、
どういう製品なのかについて、コメントも掲載するとなると、
ネットで公開するのが最善なのかもしれない。

ネットの最大の特長と私が考えているのは、即時性ではなく、アーカイヴ性である。

ネットでのカタログ誌はページ数の制限を受けない。
現行製品ばかりでなく、製造中止になった製品も資料として残していける。
ティボー/コルトーのCD復刻を、
メタル原盤から行なったのはキース・ハードウィック(Keith Hardwick) で、
当時のレコード芸術誌に関連記事が載っていた。

使用器材で目を引くのは、EMTの927だ。DstではなくAstのようで、
カートリッジはEMT製ではなく、スタントンなどのMM型を
メタル原盤にあわせて使いわけていたと記憶している。
MM型カートリッジの採用は、針先の交換が容易に行なえることがメリットとして、である。

ステレオサウンドの姉妹誌HiViが、DAT登場の時、面白い企画ができないかと、
927Dstの音をDATで録音して再生して比較するという記事をやっている。
927Dstの出力をA/D変換してDATに収録して、それをさらにD/A変換して再生しても、
927Dstの音ははっきりと聴きとれる。
もちろん個々のDATによって、多少の差はあるが、
927Dstの音を聴いたことのある人ならば、驚かれるだろう。

当然、ティボー/コルトーの復刻CDから聴ける音にも同じことは言えるだろう。

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