2008年9月アーカイブ
菅野先生と同じだけのオーディオの才能、センス、耳、
そして同じオーディオ機器と同じリスニングルーム環境を持った人が、
もしこの世の中にもうひとりいたとしても、
菅野先生の今の音を出すためには、
同じくらいの人生を送ってこなければ無理なのではないか......、
類稀なセンスや感性、才能を持っていても、
それだけではどうしても到達できない 音の世界(レベル)がある。
孔子の論語が頭に浮ぶ。
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
1932年生れの菅野先生は、今日、76歳になられた。
愛聴盤が、思い描いた通りの音で鳴ったとき、
それ以上の音で鳴ったときに感じているのはなんなのか。
ずっと欲しかったオーディオ機器を、やっとの思いで手に入れたときの感じもそうだ。
快感なのか幸福感なのか。
音の変化は快感をもたらす。でも、快感は一時的なものにしかすぎない。持続しない。
快感を追い求めつづけるのは否定はしない。快感の積み重ねが幸福につながるのかもしれない。
けれど、つねに変化を──、機器の入れ換え、ケーブルをあれこれ試してみたり、
インシュレーターを挿んだり重ねたり、やろうと思えば、際限なく行なえる。
いい音の追求は、必ずしも幸福を得ることにつながっているのではないのか。
快感に、一時期とことん溺れてみるのは、経験しておいたほうがいいかもしれない。
けれど、いつまで経っても快感の追及だけだとしたら、虚しいではないか。
「芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、
むしろ、少しずつ、一生をかけて、
わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。
われわれはたったひとりでも聴くことができる。
ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、
美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の
諸要素を評価するようになってきているし、
ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ
自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている」。
グレン・グールドの言葉である。
グールドについて語られるとき、よく引用されるから読まれた方も少なくないだろう。
アドレナリンの瞬間的な射出を快感、
一生かけて、わくわくする驚きと落着いた静けさの心的状態を幸福として受けとめると、
グールドがコンサートをドロップアウトしたことが理解できそうでもあるし、
オーディオで音楽を聴くことが幸福の追求であるとも思えてくる。
だからこそ冗長性が必要であり、
冗長性が無駄になっては意味がないし、
これでも良さそうな感じだが、実際に聴くと、よろしくない。
体感する低音となると、左右チャンネル共通のサブウーファーならば、
仮想音源と実音源をよく理解したい。
タイムディレイにしても、音質変化がゼロとは思えないし、思っていない。
そしてサブウーファーという言い方ではやめたい。
ヴァンゲリスを取りあげられたときにつけられたタイトルである。
この号の編集後記で、KEN氏は、
異相の木は、人それぞれだろう。自分にとっての異相の木があるのかないのか。
異相の木はなんなのか。
その異相の木は、ずっと異相の木のままなのかどうか。
そんなことを考えてみると、おもしろい。
スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5AやLS5/8(できればチャートウェルのPM450)、
LS3/5AとPM510、それからLS5/1(Aがつかない初期のモデル)は、使っていた時期もある。
もちろん、過去のスピーカーではなく、現行製品のなかから選べればいいのだが、
だから、もう良質のBBCモニターの音は、聴けない、とここ10年ほど思っていたところに、
ハーベスには魅力を感じない、という先入観たっぷりの耳にも、
デレク・ヒューズは、スペンドール時代に、プリメインアンプのD40を設計している。
もちろんHL Compact 7ES-3専用の、小型で粋なプリメインアンプを。
アコースティック録音から電気による録音、SPからLP、
そんな(陰影なんて)のは、音がマスキングされた結果、
プログラムソースの情報量は増えている。シュワルツベルグ/アルゲリッチのフランクの、
私たちは、聴こうと思えば、どちらも聴ける世界に住んでいる。
だから、いまの時代の陰影を求めてみたい。
「ハマってしまったアナタに ──木村伊兵衛か土門拳か──」は、
オーディオについて考えるヒントを与えてくれる。
(以下引用)
土門は被写体に真っ向勝負を挑み、理想の構図、ピントを求めて大きなカメラを何百回とシャッターを切りつづけた。学生時代に絵描きを志した土門にとって、写真は映画同様、自己の世界観を存分に投影しうる、人間主体の芸術でした。
ところが、土門がその存在を終生意識し続けた木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なものでした。カメラを使いこなすことは、カメラという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくこと。写真は人間主体の芸術ではなく、むしろその主体性の限界を示してくれる存在で、その限界から先はカメラに結果を委ねるしかない。(中略)
一眼レフであり、コンパクトであれ、木村のようにその性能に意思を委ねるもよし、土門のようにすべてのパラメーターと格闘して意思の実現を目指すもよし。いずれにせよ、写真は自己認識に関わる豊饒な遊び。だから愉しいのです。
※
オーディオにも不如意なところは数多く存在する。それをどう捉えるか、どう処理するのか。
木村伊兵衛スタイルの人もいるだろうし、土門拳スタイルの人もいるだろう。
アルゲリッチの、アバンティ・クラシックへのフランクの録音は、2005年、
1925年にウェスタンが電気によるディスク録音を開発したばかり、
2005年のアルゲリッチになると、デジタル録音、それもDSD方式で、5.1チャンネルでの収録。
ティボー/コルトー盤は、いまでもよく聴く。
古い古い録音だが、音が良くなると、コルトーのピアノの音に驚く。
この機種は音楽性がある、とか、豊かだとか、もしくは貧弱だとか。
音ゆのものはよいが音楽性が感じられない、というふうに一刀両断にできたりもする。
音楽性とは、なんなんだろうか。
2006年暮、友人にさそわれて、とある高級オーディオばかりを扱う販売店の試聴会にでかけた。
スピーカーは2機種。どちらも1千万円弱(当時)する。
2つのスピーカーの厳密な比較試聴というよりも、それぞれの世界を味わってください、
最後にかけられたのは、ラミレスのミサ・クリオージャであった。
ホセ・カレーラスのではなく、アルゼンチンの大御所、メルセデス・ソーサの歌唱によるもの。
はじめて聴くディスクだが、
ソーサほどの歌手が、ミサ・クリオージャをこんなふうに歪めて歌うわけがない。
ミサ・クリオージャという音楽、メルセデス・ソーサをすこしでも知っていれば、そう思えるはず。
そんな疑問が消えぬうちに、もうひとつのスピーカーからソーサの歌声が鳴ってきた。
なるほどAのスピーカーの世評は高い。
このとき、音楽性という、この便利な言葉、とても曖昧な意味で使われることの多い言葉を、
FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた
瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、
パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。
LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。
しかも2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、
位相干渉による音像の肥大を防ぐために、3kHz以上では、
1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。
そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。
専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、
瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。
いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。
その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。
もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。
おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。
さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。
これがうまくいったのかどうかはわからない。
瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、
このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。
だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。
LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur》の取材で、
だからというわけではないが、じつは随分長い間、アバドの1番は聴いてこなかった。
82年から25年の間に、いくつかの第1番を聴いた。
ひさしぶりのアバドの演奏を聴いて感じたのは、
こういう区分けはあまりやらないほうがいいのはわかっていても、
肯定する人、そんなのは単純思考だと否定する人がいる。
単純なものが最善ではなく、
偉大なるという言葉が少々大仰ならば、
そして大事なのは、ほんとうにシンプル(単純)であるということは、
瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。
良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。
でも怪我をしたり、病気すると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。
だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。
なぜ最低条件かと言うと、
おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。
さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、
その存在を主張するし、存在を意識する。
良い音とは、そういうものだろう、ということだった。
瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、
失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。
昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。
熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。
「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。
一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
なにせ当時高校2年生でしたから、
「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
#105は、傾斜したフロンドバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
いまのステレオサウンドの表紙と違い、
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。
目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
インパルスレスポンスの解析法の
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。
このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
そういう聴き手である私にとって、
一枚はラミレスの「ミサ・クリオージャ」。
はじめて、このディスク(というかこの曲)を聴いた時、
ヨーロッパのクラシックとは違う、こういう美しさもあったのかと驚き、
いまも、ときおり聴く。
もう一枚は「AROUND THE WORLD」。
タイトルどおり、各国の代表的な歌をカレーラスが、その国の言葉で歌っている。
国内盤のタスキで、黒田先生の文章が読める。
これが、また素晴らしくいい。
※
汗まみれの、力まかせの熱唱なら、未熟な歌い手にだってできる。
しかし、声をふりしぼっての熱唱では、ききての胸にしみじみとしみる歌はきかせられない。充分に経験をつんだ歌い手が表現の贅肉をそぎおとして、静かに、淡々とうたったときにはじめて、耳をすますききての心の深いところで共鳴する歌がある。このアルバムで、ホセ・カレーラスのきかせてくれているのが、そういう、味わい深い歌である。今のカレーラスだけに咲かせられた、いろどり深く、香り幽き秋の花にでもたとえるべきか。
※
この黒田先生のすてきな文章を読みたくて、
輸入盤のほかに国内盤も買ったほどである(国内盤は友人にプレゼント)。
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、
1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
この測定方法の元になったのは、
この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。
掲示板で活発な議論がなされているのを読むのも楽しい。
でも、最近つよく思うのは、
オーディオの「原点」とはなにかを、
いちど徹底的に考えてみることである。
ラックスのリニアイコライザー、QUADのティルトコントロール、 名称は異るが どちらもほぼ同じ機能で、ある周波数を中心に、周波数特性をシーソーのように上昇下降させる。 世の中に登場したのは、リニアイコライザーのほうが先。 QUADがマネをしたのか、リニアイコライザーに刺激をうけてのものなのかはわからないが、 リニアイコライザーの考え方そのものが、なんとなく東洋的な思想によるもののような気もする。 高域側を2dB上げたら低域側を2dB下げる。低域を上昇させたら、同じレベルだけ高域を下げる。 その中心周波数はつねに同じ( ラックスとQUADでは、たしか中心周波数が異っていたはず)。 つまり、エネルギーの総和はつねに同じになる。 どこかをあげたら、同じ変化量だけどこかをさげる。 このことはイコライザーをいじる上で、大事なことではなかろうか。 もちろん中心周波数をきちんと決めた上で、である。 リニアイコライザーにしてもティルトコントロールにしても、 こまかいイコライジングは無理である。 ならばもうすこし多ポイントで、リニアイコライザーと同じ思想のものは、どうだろうか。 たとえば中心周波数を640Hzとする。 1オクターブ下の320Hzを上昇させたら、 1オクターブ上の1.28kHzを、同じ量だけ下降させる。 というよりも、この場合、320Hzと1.28kHzのツマミはひとつで、 センターよりも時計方向に回したら1.28kHzが上昇し320Hzは下降する。 反時計回りだと、320Hzが上昇し1.28kHzは下降するという具合だ。 20Hzから20kHzまでは10オクターブ、 2オクターブ上は2オクターブ下と、3オクターブ上は3オクターブ下と......、 こんなふうにして、ツマミは5つ。 ユニークなイコライザーの出来上がり、かな。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
手元にその号はないので、記憶による要約だが──
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
挙げられたスピーカーの型番は、
驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
特定の人しか読めないようになっている、内輪だけの場や酒を飲みながら、
けれど不特定の人がアクセスする場で、
話をもどそう。
現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
4343と4345の鳴り方の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
低域のレンジ拡大に比べると、手軽な印象のある高域のレンジ拡大だが、
スーパートゥイーターの導入で、すこし書きたいことがある。
スピーカー・エンクロージュアの天板は、音にかなり影響する。
大半のスピーカーでは、天板の面積は、他のフロントバッフルや側面にくらべて小さい。
ためしに何でもいいので、天板の上に乗せてみて聴いてみてほしい。
やわらかいもの、硬いもの、重いもの、軽いもの、
スーパートゥイーターを導入される方の多くは、
このとき、スーパートゥイーターを接続せずに、
それからスーパートゥイーターの位置をあれこれ変えてみる。
その音の違いに驚かれる人もいるだろう。
それらの確認をした上でスーパートゥイーターを接続してほしい。
スーパートゥイーターを天板に置くことで、
となると、いったいなぜ、パラゴンの形態は生れたのか。
パラゴンは、よく知られるようにJBLとリチャード・レンジャー大佐との共同開発。
これだけのことから勝手に推測するに、
レンジャー大佐は、このとき(もしくはその後)に、
※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。
まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。
※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
(中略)
マークレビンソン(Mark Levinson)というブランドが、
他のオーディオ・ブランドと異なる点は、
ブランドに、自分の名前をフルネームでつけたことではないだろうか。
マークレビンソン以前にも、マランツ、マッキントッシュなど
創立者、中心人物の名前をブランドにしたメーカーはいくつもある。
けれど、どれもファミリーネームだけで、
創立者のフルネームをそのままブランドにはしていない。
フルネームをブランドにしたメーカーは、
マークレビンソン以外にも、JR、JBLなどがあるが、
創立者のフルネームのイニシャルどまり。
最近ではジェフ・ロゥランド・デザイン・グループが、
創立者のフルネームを使っているが、
これは最初ローランド・リサーチだった。
けれど、日本のローランド社からのクレームで、
日本語表記がロゥランド・リサーチになり、
それでもまだ紛わしいというクレームのため、
現在の社名になったわけで、
マークレビンソン(Mark Levinson)とは異なる。
バウエン製モジュールのLNP2と
自社製モジュールのLNP2の音の違いは、
このことは大きく関係しているように思えてならない。
「神を」のあとに、どの言葉を続けるか......。五味先生は「視ている」である。
五味先生の文章を読んでいて、こちらの心につき刺さってきた言葉はいくつか、というよりもいくつもある。
五味先生について語るとき、「神を視ている。」は、重要な言葉のひとつだといまも思っている。
※
五味先生の内にあった神とは......。
瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。
疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
ML2Lがないのはなぜ?
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。
2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。
1981年(亡くなられた年)の春、
スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。
当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、
取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、
「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、
アンプはマークレビンソンはもういい、
マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、
プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。
そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、
最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、
「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ......」と
ぽつりとつぶやかれた、ときいた。
そのすこし前に使われていたのは、JBLの4343に、
マークレビンソンのアンプのペア、
そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。
JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、
表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。
MLAS(Mark Levinson Audio Systems)を主宰していたマーク・レヴィンソンは、
ミュージシャンであり、録音エンジニアでもあり、
そしてすぐれたアンプ・エンジニア──、
憧れであり、スーパースターのような存在でもあり、
マーク・レヴィンソンに追いつき、追い越せ、が、じつは目標だった。
LNP2やJC2をこえるアンプを、自分の手でつくり上げる。
もっと魅力的なアンプをつくりあげる。
そのために必要なことはすべて自分でやらなければ、
マーク・レヴィンソンは越えられない。
とにかくアンプを設計するためには電子回路の勉強、
これもはじめたが、一朝一夕にマスターできるものじゃない。
(中学生の私にも)いますぐカタチになるのは、パネル・フェイスだな、
かっこいいパネルだったら、なんとかなるんじゃないかと思って、
夜な夜なアンプのパネルのスケッチを何枚も書いていた時期がある。
フリーハンドでスケッチ(というよりも落書きにちかい)を描いたり、
定規とコンパス使って、2分の1サイズに縮小した図を描いたことも。
横幅19インチのJC2を原寸で描くための紙がなかったもので、
2分の1サイズで描いていたわけだ。
(とにかく薄型のかっこいいアンプにしたかった)
「手本」を用意して、いろいろツマミの形や大きさ、数を変えたりしながら、
中学生の頭で考えつくことは、とにかくやったつもりになっていた。
1977〜78年、中学3年の1年間、飽きずにやっていた。
けれども......。
※
そんなことをやっていたことは、すっかり忘れていた。
当時はまじめにやっていたのに、きれいさっぱり忘れていた、このことを、
ある時、ステージ上のスクリーンに映し出されている写真を見て思い出し、 驚いた。
このときのことは、ここ
(http://
1994年の草月ホールでの川崎先生の講演で、
スクリーンに映し出されたSZ1000を見た時に、
中学時代の、そのことを思い出した。
当時、私が「手本」としたアンプのひとつが、そこに映っていたからだ。
デザインの勉強なんて何もしたことがない中学生が、
アンプのデザインをしようと思い立っても、なにか手本がないと無理、
その手本を元にあれこれやれば、きっとかっこよくなるはず、と信じて、
落書きの域を出ないスケッチを、それこそ何枚と書いていた。
当時、薄型のコントロールアンプ各社から出ていた。
ヤマハのC2、パイオニアのC21、ラックスのCL32などがあったなかで、
選んだのはオーレックスのSZ1000、そしてもう一機種、同じくオーレックスのSY77。
SZ1000のパネルの横幅は、比較的小さめだったので、
まずこれを1U・19インチ・サイズにしたらどうなるか。
ツマミの位置と大きさを広告の写真から計算して、
19インチのパネルサイズだと、どの位置になり、どのくらいの径になるのか。
そんなことから初めて、ツマミの形を変えてみたり、位置をすこしずつずらしてみたり、
思いつく限りいろんなことをやっても、手本を越えることができない。
SY77に関しても、同じようなことをやっていた。
SY77は、オプションのラックハンドルをつけると、 19インチ・サイズになる。
1年間やっても、カッコよくならない。
「なぜ? こんなにやっているのに......」と当時は思っていた。
その答えが、十数年後の、1994年に判明。
同時に、われながら、中学生にしてはモノを見る目があったな、と
すこしだけ自惚れるとともに、
敗北に似たものを感じたため、やめたことも思い出していた。
あらためて言うまでもSZ1000もSY77も、川崎先生の手によるデザインだ。
「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」。
デザイナーの川崎先生の言葉、
「いのち、きもち、かたち」。
このふたつに共通している「かたち」。
オーディオに限らずいろんなことを考える時に、
この、ふたりの言葉は、私にとってベースになっているといえる。
いままでは「いのち、きもち」が「心」で、
それが「私」だと、なんとなく思ってきた......。
けれど「かたち」が加わって、はじめて「私」なんだということに、
4年ほど前に気がついた。
川崎先生の「いのち、きもち、かたち」をはじめてきいたのが、
2002年6月だから、2年半かかって気がついたことになる。
正直に言うと、いままで、なぜ「心はかたちを求める」のかが、
よくわからなかったけど、
「いのち、きもち、かたち」こそが「私」だとすると、
「かたちを求める」のところが、自然と納得できる。
そして、よく口にしておきながら、
これもなぜそうなのかが、よくわからなかった
「音は人なり」という言葉も、すーっと納得できる。
そして「音は『かたち』なり」とも言いたい。
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
と語っている。
JBLの375+537-500(蜂の巣)を中心としたシステム、
マッキントッシュのXRT20、
そして4年前に導入されたジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムの3組である。
中高域以上は、JBLはホーン型、XRT20はドーム型の複数使用、
ジャーマン・フィジックスはウォルッシュ・ドライバー。
まったく異なる型式・方式・素材のスピーカーが三組と受けとめられがちだが、
「中高域の拡散」ということでは、三つとも共通していると、私は考えている。
なぜ菅野先生は、375と組み合せるホーンに、蜂の巣を選択されたのか。
菅野先生のリスニングルームの壁の仕上げ、
JBLのシステムに数年前から導入さてれているリボン・トゥイーターの理由、
そして音を聴かせていただくと納得できるのが、
中高域の拡散、ということ。
なぜ菅野先生は、JBLのトゥイーター075だけでは満足されなかったのか。
それは高域レンジの問題だけではなく、
375と蜂の巣の組合せによる中域の拡散と比べると、
高域の拡散が不十分と感じられたためではないかと思っている。
http://
箱を手にとって思っていたのは、70年代オーディオの食玩を、出して欲しい、ということ。
CDが登場、しばらくして話題になったのがパッシヴフェーダー。
このとき、減衰量によって、出力インピーダンスが変化するから、
使用に当たっては、フェーダー・パワーアンプ間の接続ケーブルは極力短くと言われていた。
たしかに−6dBでインピーダンスは最大になる。
実際にはCDプレーヤーの出力インピーダンスも関係してくるので、厳密に−6dBではないが、
とにかくこのあたりでインピーダンスが高くなるのは、原理的に避けられない。
でも、この−6dB付近をさけて使用すれば、それほど気にすることもないような気もする。
むしろ短くしたいのは、CDプレーヤー・フェーダー間のケーブルである。
そして短くするよりも効果的な接続方法があるのを、気づかせてくれたのは、
ラジオ技術誌に連載されていた富田嘉和氏の記事である。
出力ケーブルを短くした方がいいように思えるが、
アースの観点からみると、違ってくる。
ボリュームによって分流された信号が流れるアースと
入力と出力を同電位にするためのアースは分離すべきである。
そのため入力端子は3端子のコネクターを使うのが簡単だけど、
RCAプラグを使ってもいい。
内部の配線は、ホット側に関しては、通常と同じ。
ボリュームのアースにつなげる端子とRCAプラグのコールド側と接続。
出力端子のRCAプラグからの線は入力端子のRCAプラグには接続せずに、
別途設けたアース端子に接続する。
アース端子からCDプレーヤーの出力端子のアース側に接続する。
これでボリュームの帰還用アースと同電位のためのアースを分離できる。
洗練という言葉が好きだし、剥き出しの音は嫌いだ、と言われている。
だから「洗練」でもいいのだろうけど、これだけだと足りないものを感じる。
私がイメージする瀬川先生の音を一言で表すなら、これである(いまのところ)。
まずは、デジタルドメインからSITを使ったパワーアンプ、B-1aのこと。
ヤマハのB-1と表記されている。
姉妹モデルとして出たのが、C-2、B-2だったため、
C-I、B-Iとローマ数字になっているのを。
もうひとつは、チョークコイルのこと。チョークと書いても通じるのに、
中高域はマルチセルラホーン採用なので、水平方向の指向性は十分だろう。
問題はクロスオーバー周波数から1オクターブ半ぐらい下までの帯域の指向性だろう。
実測データを見たことがないのではっきりしたことは言えないが、
BBCモニターのLS5/1Aは、38cmウーファーと
当時すでにBBCの研究所では指向性の問題に気がついており、
ユニークなのは、30cm口径よりも38cm口径のほうが
1980年ごろ登場したチャートウェルのPM450E(LS5/8)は30cm口径ウーファーだが、
アルテックがスタジオモニターとして役割を終えた理由として、いくつか言われているが、指向性の問題もあったのではないかと思う。
同じことはタンノイの同軸型ユニットについても言えよう。
JBLのモニターシリーズには、4333が同時期にあった。
ユニット構成は、4341(4343)に搭載されたミッドバス2121を除けば、ウーファーは2231A、ドライバーは2420、トゥイーターは2405と同じ。
スピーカーの周波数特性としては、エンクロージュアのプロポーション、内容積は異るが、
4333のウーファーとミッドレンジのクロスオーバーは800Hz。
周波数特性的には4333も4341(4343)も、2231の良好なところで使っているが、
スピーカーの指向性は狭い方がいい、という意見もある。
けれど、再生周波数帯域内で、指向性が広いところもあれば極端に狭いところもあり、
狭くても広くても、再生帯域内では、ほぼ同じ指向性であるのが本来だろう。
4341(4343)から、JBLの真のワイドレンジがはじまった、と言えると思う。
ステッドラー社のファイバーブラシ、 MARS-FIBRASOR。
EMTのカートリッジ、TSD(XSD)15の、
トーンアームとのコネクター部分は、すぐに硫化して黒ずんでしまう。
微小信号の通るところだけに、マメにきれいにしておきたいもの。
そして、ステッドラーもドイツ製というのが、またうれしい。
けれどセンターキャップだけアルミ(金属製)で、
420-8Bのセンターキャップとコーン紙のつなぎ目と同じように、
D130は38cm口径、センターキャップは10cm、
大口径のフルレンジ(振動板は紙のもの)は、
だからといってメカニカル2ウェイとは呼びたくない。マテリアル2ウェイと呼びたい。
たとえ話として、スピーカーにとって理想の振動板ができたとする。
低域も十分カバーするために口径は38cmとする。
コーン型スピーカーの場合、
38cmのコーン型スピーカーなら、コーンの実際の直径は33cm前後で円周は約1m。
つまり、38cmのコーン型のスピーカーでは、
どんなに理想の振動板を用いても、これでは良質なステレオ再生は望めない。
多重ループの影響から逃れるために、システム全体をシンプルにしろ、というのは
現代のCDプレーヤー、アンプなど電子機器に求められる性能は、
比較的低い周波数だけでの高いCMRR値ではなく、可聴帯域をこえて、
モノーラル化は音の出口に近い方から行なう方が理にかなっている。
まずパワーアンプ、それからチャンネルデバイダーを使っているならこれ、
なのに最近の流行なのか、D/Aコンバーターのモノーラル構成のものが出始めているし、
たしかにSACDやDVD-Audioの登場によって高域の再生限界が伸びているため、
アンプに関しても、同じくセパレート化。
AC電源のオーディオ機器を2台以上つなぐと、電源を通じてアースにループができる。
しかもこのループの問題は、ストレーキャパシティがからんでいるため、
信号がシャーシやACラインに流れてしまうのをすこしでも防ぐためには、
ただし現在のワイドレンジのオーディオ機器の入力にハイカットフィルターを挿入して
けれども、ワイドレンジ再生とは、
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。
このことを教わったのは、
岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」
岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の
1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。
その「良い音とは何か?」からの引用。
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。
二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。
(中略)
いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
......こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間......そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに......。
(中略)
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも
頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、
あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
まずきちんとセッティングする。
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、
そのあとは、瀬川先生が書かれているように、
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。
五味先生は、「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」で次のように書かれている。
「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない、あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを、画家は視ておればいい。もともと、画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない、他のものとは、即ち色だ──「そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した」と、ルノアールも言っている。セザンヌの言うところも同じだろう。──この筆法でゆけば、ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない、そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが、ナマの音は存在しない、そう言いかえてもいいだろう。
絵画に関しては素人だが、フェルメールの絵がすごい、のは、
光が存在しない画布に絵具を重ねただけなのに、
光を感じさせてくれるところにあるのはわかる。
この一点においてもフェルメールは天才だと思うし、
素人の私は、ゴッホやピカソよりも天才だと思える。
再生音にないのは、いったいなんなのか。
五味先生は上のように書かれている。
納得できるけれど、なにかすこし違うようにも、これを読んだとき、
もう20年以上前になるが、その時からそういう思いが続いている。
再生音にないものをはっきりといえるようになったとき、
大きく一歩前進する、といってもよいだろう。
「比較ではなく没頭を」??フルトヴェングラーの言葉である。 「音楽現代」7月号から連載がはじまった「フルトヴェングラーの遺言」(野口剛夫)で、 最初に取りあげられたのが、この言葉である。 1954年11月にフルトヴェングラーは亡くなっているから、残されている彼の録音はモノーラルであり、 夥しいライヴ録音には、けしていい録音とは言えないものも多い。 にも関わらず、スタジオ録音、ライヴ録音に関係なく、 CD時代になり、リマスター盤が多く出ている。SACDまで出ている。 マスターテープからの復刻、テープの劣化を嫌って、オリジナルLPからの復刻、 その方法も20ビットハイサンプリングでデジタル化などもある。 それらすべてを聴いたわけでは、勿論ない。聴くつもりもない。 それでも、いくつかを聴くと、たしかに音は異なる。 もっともアナログディスクもなんども復刻されている。 グールドも、リマスターの種類は多い。 オリジナルLPを含めて、どれかいいのか、どう違うのか、比較するのは楽しいといえば楽しい。 情報もモノもあふれているいまは、比較をしようと思えばいくらでもできる。 そして、自分なりに感じたその違いを、簡単に公表できる。 これが、比較することをあおっているような気もする。 レコードに限らない、よりよいモノを求めるために比較する、そんな声がきこえてくる。 けれど、それは比較することに没頭してしまう罠に嵌ってしまうかもしれない。 いうまでもなく没頭したいのは、 フルトヴェングラーの演奏であり、グールドの演奏であるのはいうまでもない。 そして、よりよいモノ、最上のモノを選んだとしたも、 結局、あたえられたものを聴いているのだということに気づいてほしい。
「天才を作るのは高度な知性でも想像力でもない。知性と想像力を合わせても天才はできない。愛、愛、愛......それこそが天才の魂である。」
モーツァルトの言葉。
いい音を生み出すのも、愛、愛、愛であろう。他に何があろう。
家族の犠牲の上で成り立っていた──、そういうふうに五味先生のオーディオを捉えている人がいる。
そんなことはない。
亡くなられた後に読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に収められている
五味由玞子氏の「父と音楽」を読んでほしい。
いくつか書き写しておく。
※
夢中になると、父は一晩中でも音楽を鳴らしている。母と私は、真夜中、どんなに大きな音で鳴っていようと、目を覚ますことはない。時折り今でも、父の部屋で音楽をかけるのだが、不思議と私はよく、絨毯の上にころりと横になりねむってしまう。たとえようのない安らぎがそこにはある。そこには父がいる。
母は音楽を聴いているときの父がいちばん好きだという。
※
父が音いじりをするとき、また、テープを編集するときは、たいがい、だぼだぼのパジャマに母お手製の毛糸で編んだ足袋。冬には、駱駝色のカーディガンを羽織り、腰紐を締め、木樵のおじさんのような恰好で、蓬髪おかまいなく、胡坐をかいて一心に、テープを切ってつないだり、コードを差し換えたりしている。短気のせいか、無器用なのか、うまくいかないとよくヒステリーをおこし、ウォーッとか、エーイといった奇声が居間に聞こえてくる。すると、私と母は、またやっている、と目を見合わせほほえむ。試行錯誤の結果、気に入った音がでたときは、それはもう大喜びで、音楽にのって、親愛なるタンノイの前で踊っている。たまらなく幸福そうな表情で、そんな顔が私はいちばん好きであった。
※
父は、ひとくちに言ってしまえば、純真な音キチである。いい音を求め、音楽を愛した一人の青年である。私はこの父の娘として生まれて本当に幸福であった。心からの感謝を献げたい。そして、これからも、すばらしい音楽を心をこめて聴いてゆきたい。音楽は、なにものにもかえがたい父の遺産なのだから。
そうでないこともある。
たとえば瀬川先生とマーク・レビンソンのLNP2との出会い。
瀬川先生は、LNP2との出会いについて、次のように書かれている。
−−−−−−−−−
彼(註:山中敬三氏のこと)はこのLNP2を「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない......」と酷評していた。
ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。
あとで考えると、大きなチャンスを逸したことになった。
74年夏のことである。
75年になって輸入元が変わり、一度聴いてみないかと連絡があったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ、久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレビンソンとのつきあいが始まった。
−−−−−−−−−
早く聴かなかったことを後悔した、と書かれているけど、
ほんとうにそうだろうか。
瀬川先生自身、気がつかれてなかったのか。
山中先生が「無機的な音さ」と言われたLNP2は、
シュリロ貿易がサンプル輸入したモノで、 岡俊雄先生が購入されたモノ。
つまりバウエン製モジュール搭載のLNP2である。
一方、75年になって、RFエンタープライゼスが輸入したLNP2、
瀬川先生がはじめて聴かれたLNP2は、
ジョン・カールの設計によるマーク・レビンソン製のモジュール搭載になっている。
もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれていたら、
瀬川先生はどういう反応をされただろうか。
岡先生は、LNP2が製造中止になったときに、ステレオサウンド誌に、
LNP2物語を書かれている。
この記事でもそうだし、過去に何度か発言されているが、
バウエン製モジュールのLNP2を高く評価されている。
岡先生と瀬川先生の音の嗜好の違い、捉え方の違い、ひいては再生音楽の聴き方の違いは、
1970年代のステレオサウンド別冊に掲載されている
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の鼎談を
読んだことのある人ならば、ご存知のはず。
勝手な推測だが、
もし瀬川先生がバウエン製LNP2を聴かれていたら、
山中先生と同じような感想を持たれたことだろう。
山中先生の言葉を信用してバウエン製LNP2に興味を持つことにやめにし、
輸入元がかわったLNP2に対しても、全く気乗りしなかった瀬川先生だけに、
もしバウエン製LNP2音を聴かれていたら、
レビンソン製LNP2を聴く機会すら拒否されたかもしれない。
聴く機会が、それこそもっと後になったかもしれない。
そう考えると、瀬川先生とLNP2との出会いは、幸運だった、
出会うべくして、出会うべきときに出会った、と私は思っている。
不思議なのは、シュリロ時代のLNP2が
バウエン製モジュールだということに、
なぜ瀬川先生は気がつかれなかったのこということ。
気がつかれなかったからこそ、LNP2との出会いについて書かれるとき、
山中先生を引き合いに出されるわけなので。
実は、バウエン製モジュールのLNP2と、
マーク・レビンソン製モジュールのLNP2を
じっくり聴き較べてみたことがある。
瀬川先生にとってのLNP2は、
やはりマーク・レビンソン製モジュールのモノだということである。
「瀬川冬樹」という名前が目にとまったから、とのこと。
五味康祐氏の「五味オーディオ教室」で、
「五味オーディオ教室」が、私にとって最初のオーディオの本であり、
この本と最初に出合ったこと、原点となったことは、
とても幸運だったと、いまでも思っている。
買ってきたその日から、毎日読んだ。
学校に持っていては休み時間に読み、
帰宅してからも、ずーっと読む。
何回も何回も頭から最後まで読み返して、
また興味深いところだけを、これまた何回も読み直して、
何度読んだかは、もうわからないくらい読み返した。
何度も読みながら、
当時ステレオを持っていなかった私は、この本を読むことで、
オーディオの本当の音は、こういうものなんだ、 と勝手に想像(妄想)したものである。
いくつも強烈に印象にのこっている言葉がある。
そのなかのひとつが、
「いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。
これこそは真にレコード音楽というものであろう」のフレーズ。
空気が無形のピアノを目の前に形作って、
そのピアノから音(音楽)が響いてくる──、
中学二年の私は、それがオーディオの在りかただと思い込む。
しかし、五味先生は、
「実際に、空気全体が(キャビネットや、
ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを
私はいまだかつて聴いたことがない」とも書かれている。
※
2005年5月19日、菅野先生のリスニングルーム。
菅野先生が「第三世代」と呼ばれている
ジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムで、
プレトニョフのピアノ(シューマンの交響的練習曲)で、
「五味オーディオ教室」を初めて読んだときから29年、
「空気が無形のピアノを鳴らす」のを、 はじめて耳にした。
ジャズの熱心な聴き手でない私だけど、
無性にジャズを大音量で聴きたくなる、そんな衝動にわき上がってくる。
近所迷惑なので、そんなことはできないけど、
そのためだけにJBLのハークネスC40が欲しくなる。
アナログ全盛時代を体験された方ならば、おそらくひとつ以上はお持ちであろう
FR社のカートリッジ・キーパー・ケース。
5つのカートリッジを収めることができて、
カートリッジの持ち運びにも便利なこのケースの内部は、硬めのスポンジ。
瀬川先生は、このスポンジ部分で、
カートリッジの針先の汚れを落とされていた。
カートリッジを指で持って、針先で、
このスポンジを、まっすぐにひっかく。
だから、瀬川先生のケース内のスポンジは、
ひっかきキズだらけ。
もちろん、慣れていないと針先がとれてしまったり、
カンチレバーをいためたり曲げたりするため、
だれにでも勧められる方法ではないけど、
これがいちばんだ、と話されていた。
黒田恭一氏の文章から。
「したがってぼくは、目的地変動説をとる。
さらにいえば、目的地は、あるのではなく、つくられるもの。
刻一刻とかわるその変化の中でつくられつづけられるものと思う。
昨日の憧れを今日の憧れと思いこむのは、
一種の横着のあらわれといえるだろうし、
そう思いこめるのは、仕合せというべきだが、
今日の音楽、ないし今日の音と、
正面切ってむかいあっていないからではないか。」
「ぼくがときどき、ある意味で絶望的な気持ちになるのは、たとえばオーディオ・メーカーのショールームなどで、ぼくの考えている装置を持ちこんで、その場で可能なかぎりの条件を整えて、いつも自分が聴いている音にできるだけ近づけて鳴らしたときに、それを聴きにくださった方のなかに必ず何人か、瀬川さんがいつも書かれていることがこの音を聴いてやっと理解できました、とおっしゃる方がいることです。一生懸命ことばを考えて書きつらねても、ほんの小一時間鳴らした音には及ばないのか、そう思うと、いささか絶望的な気分になっしまう。いったいどうしたらいいんだろうと、ときどき考えこんでしまいます。」
晩年、瀬川先生は「辻説法をしたい」とまで思いつめられていた、ときいている。
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写された、ともきいたことがある。
62号と63号の二号にわたって、第二特集として、 瀬川先生の記事が掲載されている。
私がステレオサウンド編集部にバイトで入ったのが、
1982年1月下旬。19歳の誕生日の約1週間前のこと。
初めて試聴室に入ったときに、ハッとして、
(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、
カートリッジの聴き比べのときもあったし、
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、
すごくためになったし、レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、
ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。
1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。
正直「今日はカセットかぁ......」とがっかりしたものの、
実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。
でも、どうしても目は、
すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。
イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」
と言われた。
「明日なのかぁ......」とがっくり。
この時期(高校3年の秋)、
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、
「今回は行ってはだめ」と言われたのを、
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、
「明日はどうやっても無理だな......」とあきらめながら会場を後にする。
でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
イベントがはじまったころは、
いつもと変らない感じの瀬川先生が、
(その1)にも書いたように、
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。
そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。
リファレンスの音を聴けたことで、
そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。
このときは、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。
「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終了。
そして約一年後の、1981年12月19日。
当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ
秋葉原の石丸電気本店の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。
目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、
瀬川先生の追悼記事。
元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
その記事を読み終わって、嘘だろう......、と思って、書棚に戻して、
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。
冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、
熊本でステレオサウンドを購入。
追悼記事が載っていた。
このときは母に感謝した。
もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは......。
いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、
あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、
熊本で手術を受けられたということ。
なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。
オーディオに関心も理解もあまりない母が、
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか......。
あの日のリファレンスの音、
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、
私にとって、どういう意味を持つのか、
それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。
ひとつ確実に言えるのは、
大きな感動があったということ。
感動という言葉、よく使うけれども、
感動とはどういうことだろうか。
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、
でもこれだけではない。
なぜ「動く」という字が使われているのか。
やはりなにかが動くんだろうな、と
あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。
感動とは、心の中になにかが生れたり、
沸きあがってくることであり、
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。
いまは残っていないけど、
リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。
誰かに読んでもらうわけではないけれども、
どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。
そういう感動を与えてくれたリファレンス、
瀬川先生の思い出とも繋がっていて、
あらゆるオーディオ機器の中で、
私の中で、いちばん印象深い存在になっている。
トーレンスのアナログ・プレーヤー "リファレンス"の実物をはじめて見て、 その音を聴いたのは、もうずいぶん前のこと。 まだ熊本にいたころ、高校3年生の時だから、27年前になる。 熊本市内のオーディオ店(寿屋本庄店)で、 (たしか)三カ月に1度、土日の二日連続で開催されていた 瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」というイベントにおいて、である。 そのときのラインナップは、 トーレンスのリファレンス、 マークレビンソンのLNP2L とSUMOのTHE GOLDの組合せで、 スピーカーは、もちろんJBLの4343。 この時、正直にいえば、パワーアンプはTHE GOLDではなく、 LNP2LとペアになるML2L で聴きたいのに......と思っていた。 いろんなレコードの後、 最後に、当時、優秀録音と言われていて、 瀬川先生もステレオサウンドの試聴テストでよく使われていた コリン・デイヴィス指揮の ストラヴィンスキーの「火の鳥」をかけられた。 もうイベントの終了時間はとっくに過ぎていたにもかかわらず、 なぜか、レコードの片面を、最後まで鳴らされた。 そのときの音は、いま聴くと、 いわゆる「整った」音ではなかっただろう。 けれど、その凄まじさは、いまでもはっきりと憶えているほど、 つよく刻まれている。 レコードによる音楽鑑賞、ではなくて、音楽体験、 それも強烈な体験として、残っている。 聴き終わって、瀬川先生の方を見ると、 ものすごくぐったりされていて、顔色もひどく悪い。 いつもなら、イベント終了後、しばらく会場におられて、 質問やリクエストを受けつけられるのに、 その日は、すぐに引っ込まれた。 「体の調子が悪いんだ。 なのに『火の鳥』、なぜ最後まで鳴らされたのかなぁ 途中で針をあげられればよかったのに......」と、 そんなことを考えながら、店の外に出ると、 駐車場から出てきた車のうしろで、さらにぐったりされている瀬川先生の姿が見えた。
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。
書いている内容が古い、と書く。
でも、そういう人たちが言っているのは、おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。私にいわせれば、内容が古いわけではない。
それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。
そして、功罪がある、とも書く。
その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。
読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。
それでいいと思う。
だからこそ、繰り返し読むのである。
これも言っておきたい。
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。
間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。
そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、
ステレオサウンドは存在していない。
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。
