2008年9月アーカイブ

最愛の人と仲睦まじく暮らしていても、
暖かい家族にめぐまれていても、
道を示してくれる師と呼べる人がいても、
忌憚なき意見を言ってくれる友人の存在があったとしても、
人はやはり、究極的には孤独(ひとり)である。

サミシイ......と嘆いて何になろう。

音楽を愛し、オーディオと真剣に向き合ってきたのなら、
なぜ、嘆く前に、愛聴盤に耳を傾けないのか。

孤独だからこそ、音楽の大切さを実感する、有難さが身に沁みる。
これを幸福と呼ばずして何を幸福というのだろうか。
20代のころ、音の表現として、
感心できる音、
感激できる音、
感動できる音、があると思ってきた。

30代のころ、感動の先にもうひとつあると思ってきた。

40になって、気づいた。
感謝できる音、があることに。

感心と感激は、快感の域、
感動、感謝が幸福の域、と言い切る。
瀬川先生の鳴らされていた音を聴くことは、もうできない。
けれど、瀬川先生の愛聴盤を聴くことは、その音をイメージするきっかけになるだろう。

廃盤になっていたものも、CDで復刻されている。
ヨッフムのレクイエムも出ている。
     ※
そのせいだろうか、もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
     ※
はじまりの鐘の音が収録されていないCDも出ているが、
ここはやはり鐘の音が収録されているほうで聴きたい。
グラモフォンから発売されている。

エリカ・ケートの歌曲集も昨年、CDになった。
     ※
 エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
     ※
瀬川先生が書かれたものを読み返したり、
当時のステレオサウンドの試聴レコードのリストを参考にされれば、
どんなレコードを好んで聴かれていたかが、すこしだけだろうが、伝わってくる。

まだ手もとに届いていないが、バルバラのSACDも購入した。
バルバラの声が、SACDではどう響くのか、瀬川先生が聴かれたらなんと言われるか、
そんなことを想像して届くのを待つのも、じつに楽しい。

空想鼎談

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audio sharing で公開しているEMTの930stに関するユーザー鼎談は、
サウンドステージ誌の1992年秋号に掲載されたものである。

登場人物は、清滝錬一郎、久和亮平、吉田秋生の3氏。
この記事を audio sharing で公開しているため、
私がこの中の一人だと思われた方もいるかもしれない。

もう16年経ったから言ってもいいだろう。
3人とも私である。誰一人として実在しない。
私の中にある、いくつかのものを脹らませて、930stについて語った次第だ。

瀬川イズムの吉田氏、SUMOのThe Powerを愛用する久和氏、シーメンスのスピーカーの清滝氏──。

私自身も930stを使っていた。
正確にはトーレンス・ヴァージョンの101 Limited、シリアルナンバー102で、
最初に入ってきた2台のうちの1台。
シリアルナンバー101がいい、と言ったけど、「これは売らない」と言われ、102になった。
101 Limitedのシリアルナンバーは101から始まっている。
シリアルナンバー101と102は、トーンアーム929のパイプが黒色塗装。
その後、927Dstに買い替えのため手放した。

シーメンスのスピーカーも使っていた。
清滝氏と同じオイロフォンと言いたいところだが、コアキシャル・ユニットだ。
これを、ステレオサウンドの弟誌サウンドボーイが取材用に製作した平面バッフル、
ウェスタンの平面バッフルを模したもので、米松の1.8m×0.9mの大きさ。
これを6畳間にいれていたこともある。
エッグミラーのアッテネーターも使っていた。

SUMOのアンプは、The Powerではなく、The Goldを愛用していた。
瀬川先生が、熊本のイベントで、トーレンスのリファレンスのときに使用されていたのが、
The Goldだったことも、このアンプを選択したことにつながっているのかもしれない。

これらの断片から生れたのが、930stのユーザー鼎談で、
第二弾、第三弾として、4343篇、300B篇も考えていたが、諸般の都合で1回だけで終了となった。

数年前から感じていることだが、
ある年齢に達しないと出せない音、世界があきらかにある。
菅野先生の音を聴くたびに、その思いは強くなる。

菅野先生と同じだけのオーディオの才能、センス、耳、 
そして同じオーディオ機器と同じリスニングルーム環境を持った人が、 
もしこの世の中にもうひとりいたとしても、 
菅野先生の今の音を出すためには、 
同じくらいの人生を送ってこなければ無理なのではないか......、 
類稀なセンスや感性、才能を持っていても、 
それだけではどうしても到達できない 音の世界(レベル)がある。 

孔子の論語が頭に浮ぶ。 

子曰く、 
吾れ十有五にして学に志ざす。 
三十にして立つ。 
四十にして惑わず。 
五十にして天命を知る。 
六十にして耳従う。 
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。 

1932年生れの菅野先生は、今日、76歳になられた。
「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。 」、
まさにそのとおりである。

愛聴盤が、思い描いた通りの音で鳴ったとき、

それ以上の音で鳴ったときに感じているのはなんなのか。 

ずっと欲しかったオーディオ機器を、やっとの思いで手に入れたときの感じもそうだ。 
快感なのか幸福感なのか。 
音の変化は快感をもたらす。でも、快感は一時的なものにしかすぎない。持続しない。
快感を追い求めつづけるのは否定はしない。快感の積み重ねが幸福につながるのかもしれない。
けれど、つねに変化を──、機器の入れ換え、ケーブルをあれこれ試してみたり、
インシュレーターを挿んだり重ねたり、やろうと思えば、際限なく行なえる。 
いい音の追求は、必ずしも幸福を得ることにつながっているのではないのか。 
快感に、一時期とことん溺れてみるのは、経験しておいたほうがいいかもしれない。
けれど、いつまで経っても快感の追及だけだとしたら、虚しいではないか。

「芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、
むしろ、少しずつ、一生をかけて、
わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。
われわれはたったひとりでも聴くことができる。
ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、
美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の
諸要素を評価するようになってきているし、
ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ
自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている」。 

グレン・グールドの言葉である。
グールドについて語られるとき、よく引用されるから読まれた方も少なくないだろう。 

アドレナリンの瞬間的な射出を快感、
一生かけて、わくわくする驚きと落着いた静けさの心的状態を幸福として受けとめると、
グールドがコンサートをドロップアウトしたことが理解できそうでもあるし、
オーディオで音楽を聴くことが幸福の追求であるとも思えてくる。


瀬川先生は、レコードをターンテーブルに置かれた後、
必ず人さし指と中指で、レーベルのところをちょんと、軽く押えられる。
ターンテーブルに密着させるためではなく、
レコードに「今日もいい音(音楽)を聴かせてくれよ」という呼びかけのような印象を、
その行為を見ていて、私はそう感じた。

これを見た、その日からさっそくマネしはじめた。
その他にも、カートリッジをレコードに降ろすとき、
右手の小指はプレーヤーのキャビネットに置き右手の動きを安定させる。
カートリッジの針がレコードの盤面に近づいたら、
ヘッドシェルの指掛けから、指を素早く離す。
針がレコードに触れるまで持っていると、レコードを逆に傷つけてしまうからだ。

しかも、瀬川先生はレコードのかけ替えの時、ターンテーブルはつねにまわっているままだ。
すっとレコードを乗せて、すっと取られる。ためらっていると、レコードは傷つく。

これももちろんマネした。
ずっとマネしていると、サマになる。

ステレオサウンドにいたとき、取材の試聴の時、つねにターンテーブルはまわしっぱなし。
一度もレコードを、そのせいで傷つけたことはない。
21歳ぐらいのときか、西日暮里にあった伊藤(喜多男)先生の仕事場に伺ったとき言われたのが、
「アンプを自作するのなら、1時間自炊をしなさい」であり、肝に銘じてきた。

1年ほど前に、伊藤先生がつくられた
ウェスタンの349Aプッシュプルアンプを聴いて(無線と実験に発表されたモノ)、
当時使っていたロジャースのPM510に組み合せるのは、「このアンプだ」と思っていた時期であり、
自分でそっくりの349Aアンプをつくろうと思っていることを話したら、上の言葉をいただいた。

つまり人間の感覚のなかで、聴覚は、味覚に比べると目覚めるのが遅い。
味の好き嫌い、おいしい、まずいを判断できるようになる時期と比べると、
聴覚のその時期は人によって異るけど、たいていはかなり遅い。

目覚めの早い味覚、言い変えれば、つきあいの長い自分の味覚を、
自分のつくったもので満足させられない男が、
つきあいの比較的短い聴覚を満足させられるアンプをつくれるわけがないだろう、ということだ。
味覚も聴覚も視覚も、完全に独立しているわけでもない、と。

それにどんなに忙しくても1時間くらいはつくれるはずだし、
1時間の手間をかければ、そこそこの料理はつくれるものだ。
同時に、料理をつくる時間を捻出できない男に、
アンプを作る時間はつくれないだろう、と。

設計をする時間、パーツを買いに行く時間、選ぶ時間、アンプのレイアウトを考える時間、
そしてシャーシの加工をする時間、ハンダ付けの時間......、
それらの時間は料理に必要な時間よりも多くかかる。

納得できる。

1時間自炊はアンプの自作だけに限らない。
アンプやスピーカーを選択し、セッティングし、調整して、いい音を出すことにも、
ぴたりあてはまる。

井上先生がよく言われていたのは
「レコードは神様だ、だから疑ってはいけない」。

なかには録音を疑いたくなるようなひどいディスクもあるけれど、
少なくとも愛聴盤、自分が大事にしているディスクに関して、
疑うようなことはしてはいけない、と私も思う。

「このレコードにこんなに音が入っていたのか」ではなく、
「このレコードって、こんなにいい録音だったのか」と思ったことが何度かあるだろう。

己の未熟さを、少なくともレコードのせいにはしたくない。
オーディオに冗長性は必要だろうし、実際に冗長性はある。

録音の過程も器材も、再生機器も、どれひとつ完璧なものは存在しない。 
だからこそ冗長性が必要であり、
実際に冗長性(といまのところ私が考えているもの)のおかげで、
家庭で、素晴らしい音楽を再生することが可能になっている。 

冗長性が無駄になっては意味がないし、
無駄になる時代は、まだまだ来そうにないだろう。

冗長性が不要になるとき、オーディオは趣味として終るのだろうか。
最近ではデジタルディレイのおかげで、
サブウーファーをメインスピーカーよりもかなり前に出している例を見かける。 
これでも良さそうな感じだが、実際に聴くと、よろしくない。
耳だけで聴いている低音ならば、それでも良しだろうが、
体感する低音となると、あきらかに違和感を感じる。
どんなにデジタルディレイで時間差を調整したとしても、
メインスピーカーとサブウーファーの距離差が大きいと、
サブウーファーがかなり手前にある場合、
すぐ近くで鳴っていると体が感じてしまう。 

体感する低音となると、左右チャンネル共通のサブウーファーならば、
センターに置くしかない。 

仮想音源と実音源をよく理解したい。
1月にサブウーファーを導入した。
サーロジックのSPD-SW1600である。
ご存じのように、アナログ信号をデジタル信号に変換して、DSPによって、
カットオフ周波数の変更、急峻なハイカット、タイムディレイなどをコントロールしている。

デジタル信号処理そのものにはすごく期待しているが、
いまのところは、まだ信用していない面もあるというが本心だ。
 
タイムディレイにしても、音質変化がゼロとは思えないし、思っていない。
どういう処理で行なうかによっても、音は違ってくるだろうし、
タイムディレイだけでもこんな感じだと、他の信号処理が洗練されていくのは、
ハードウェアの進歩とともに、ソフトウェアの進歩と洗練も必要になるだろうから、
もうすこし先のことになるだろうし、
実際に製品が積極的に市場に出ることによって、その時間は短縮される。

CDプレーヤーが登場したときに、その音に触れて、
「発売を1年くらい遅らしてでもいいから、
もう少しいい音に仕上げてから出してほしかった」という声があったが、
実際に市場に出て、ユーザーの声がフィードバックされることにより、
進歩はあきらかに早くなる。

そういう気持ちにどこかにあるためか、いまサブウーファーを考えると、
ユニットは二発にして、一発はいっさいの処理を行なわないストレートな信号を入力、
もう一発には、デジタル信号処理でもいいしアナログのイコライザーを使用してもいいが、
とにかく部屋の特性を含めて、補正した信号を入力する。
つまりパワーアンプは、それぞれのユニットごとに必要になる。
同時に、それぞれのウーファーのレベルは別個に調整できるようにして、
角度も独立して変えられるようにしたい。 

そしてサブウーファーという言い方ではやめたい。
ユニバーサルウーファーという名にふさわしいモノは、
どういうかたちなのかを考えていきたい。
いま、オーディオファイルとして語るべきこと──
これだけはつねに忘れず、書いていこうと思っている。
さっき、ふと思いたって検索してみたら、
通信販売のみで、グラシェラ・スサーナのCD5枚組が、7月に発売されているのを見つけた。
「アドロ」「サバの女王」など、これまで何回もCD化された曲ももちろん含まれているが、
やっとCD化された曲も多く、ためらうことなく購入した。

昨年5月、20年以上ぶりで、グラシェラ・スサーナのコンサートに行った。
最初にグラシェラ・スサーナの歌を聴いたのが、中学2年の秋で、
翌年、はじめてコンサートにも行った。
フルトヴェングラーよりもグールドよりも、ケイト・ブッシュよりも長く聴いている。

去年のコンサート時、スサーナは54歳、私がはじめて聴いた時は24歳、
30年の歳月とともに体重も増えて、髪の毛の色もずいぶんかわって、
むかしのかわいらしさは、どこに行ってしまったんだろう......
と失礼なことを思いながら聴いていた私の耳に届いていたのは、
30年前とほとんど変わらぬ歌であった。

変わらぬから、安心して聴ける、懐かしい、ではなく、新鮮だった。

目まぐるしい変化のなかでは、
変わらぬことの新鮮さ、変わらないからこそ新鮮、ということを、
グラシェラ・スサーナの歌は教えてくれた。

「異相の木」

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「異相の木」は、黒田(恭一)先生が、
ステレオサウンドに以前連載されていた「さらに聴きとるもののとの対話を」のなかで、 
ヴァンゲリスを取りあげられたときにつけられたタイトルである。 

おのれのレコードコレクションを庭に例えて、
そのなかに、他のコレクションとは毛色の違うレコードが存在する。
それを異相の木と表現されていたように記憶している。

この号の編集後記で、KEN氏は、
自分にとっての異相の木は八代亜紀の雨の慕情だ、と書いている。

異相の木は、人それぞれだろう。自分にとっての異相の木があるのかないのか。 
異相の木はなんなのか。 
その異相の木は、ずっと異相の木のままなのかどうか。 

そして異相の木は、レコードコレクションだけではない。
オーディオ機器にもあてはまるだろう。
五味先生にとって、JBLのメトロゴンは異相の木だったのだろうか。
そんなことを考えてみると、おもしろい。
デレク・ヒューズ設計の、HL Compact 7ES-3にぴったりのアンプが、
どんな感じに仕上がるのか、勝手に妄想するのも楽しいけれど、
現実の組合せを妄想するのは、もっと楽しい。

HL Compact 7ES-3を中心とした組合せを考えるとなると、
個人的に意識するのは、スペンドールBCII、ラックスLX38、ピカリングXUV4500/Qの音である。

この組合せの特質を、HL Compact 7ES-3の組合せにも求めたい。

友人のAさんは、販売店で聴いた、
ラックスのAクラスのプリメインアンプとの組合せの音に、まいってしまった。
こういう話をきくと、ラックスの真空管式のプリメインアンプもいいだろうな、と思いながらも、
第一に試してみたいのは、ユニゾンリサーチのP70かP40である。

EL34のシングルアンプのS2の、余計なものを感じさせない音に魅力を感じるだけに、
ユニゾンリサーチ久しぶりのプッシュプルアンプの音は、いちばん興味のある音でもある。

別にS2でもいいような気もするが、パワーがすこし足りないだろうし、
音、というよりも響きの豊かさを求めるとき、すこし物足りなさを感じるだろう......。
それにP70、P40のガラスのフロントパネルを見ていると、
ラックスの過去の真空管アンプSQ5Bを思い出すのも、個人的に気にいっているところ。
BBCモニター系列の音には、つよく惹かれるものがある。 

瀬川先生は、BBCモニターの音を、
コンフォータブルサウンド(快適な、心地よい音)と言われていた。
同じモニタースピーカーでも、ある種の厳しさをもつJBLの4300シリーズとは異る。

スペンドールのBCII、ロジャースのLS3/5AやLS5/8(できればチャートウェルのPM450)、
もしくはPM510、ハーベスのモニターHLなどは、
程度のいいモノがあれば、 いまでもなんとか手に入れたい気持ちが、どこかにある。 

LS3/5AとPM510、それからLS5/1(Aがつかない初期のモデル)は、使っていた時期もある。 

もちろん、過去のスピーカーではなく、現行製品のなかから選べればいいのだが、
ロジャースもスペンドールも昔の面影はそうとう薄れてしまったし、
ハーベスも、告白すれば、創立者のハーウッドがリタイアし
アラン・ショウの時代になってからの一連のスピーカーには、まったく魅力を感じなかった。 

だから、もう良質のBBCモニターの音は、聴けない、とここ10年ほど思っていたところに、
ハーベスのHL Compact 7ES-3が登場した。 

ハーベスには魅力を感じない、という先入観たっぷりの耳にも、
HL Compact 7ES-3の音は素晴らしく魅力的だった。
すこし大げさに表現すれば、やっと21世紀のBBCモニターの音が聴けた、と感じた。

調べてみると、いまBBCモニターと呼べるのは、ハーベスのスピーカーであり、
2003年1月からスペンドールのデレク・ヒューズ(創立者スペンサー・ヒューズの息子)が、
ハーベスに参画しているし、昔のBBCモニターの開発に携わっていたスタッフも協力している。
勝手にワクワクしている(笑)。 

デレク・ヒューズは、スペンドール時代に、プリメインアンプのD40を設計している。
D40は、ボリューム、セレクターとバランサーの3つのツマミだけというそっけない顔つき、
サイズも小型で、スペンドール・ブランドでなければ、まったく期待しないつくりだが、
BCIIと組み合せたときの音は、見事。BCIIの中域の弱さをおぎなって、しかも品位を失わない。
デレク・ヒューズがふたたびアンプを設計してくれないかと願っている。 
もちろんHL Compact 7ES-3専用の、小型で粋なプリメインアンプを。
AC電源のオーディオ機器を2台以上接続することで発生する多重ループの問題を低減するのに
有効なのは、バッテリー式電源の採用か絶縁トランスの採用である。

絶縁トランスが効果的だからといって、すべてのオーディオ機器に使用するのは、ひかえたい。
どんなに優れた絶縁トランスでも、固有音が存在する。
この固有音を完全になくすことは不可能であるから、できるだけ使用数を減らしながらも、
より効果的に使うには、中間の機器に採用することである。

CDプレーヤーとプリメインアンプという構成ならば、
迷うことなくCDプレーヤーに絶縁トランスを使う。

アンプがセパレート構成ならば、コントロールアンプに使用する。
CDプレーヤーがセパレートで、アンプがプリメイン構成ならば、D/Aコンバーターに、
CDプレーヤーもアンプもセパレート構成なら、
CDトランスポートとコントロールアンプに使う。
小学校に上がるまで暮らした家は、
ひんやりしているところも、薄暗いところもあった古い木造家屋だ。 
だから、怖いテレビや本をみたり読んだ夜は、ひとりでトイレに行くのを避けたかった。
いまの、隅々まで光が行き届いた、マンションに住む子供は、そんな思いはしないような気もする。

アコースティック録音から電気による録音、SPからLP、
モノーラルからステレオ、アナログからデジタル、と変化するごとに情報量は増え、
それは隅々まで光が行きとどいた、薄暗さをなくした部屋のようになってしまうのか。

細部までよく見える(聴こえる)。かわりに陰影は薄れていく。 
そんな(陰影なんて)のは、音がマスキングされた結果、
もしくは音をマスキングするものだから、要らない、という人もいて当然だと思うが、
ティボー/コルトーのフランクのヴァイオリン・ソナタを聴いていると、そうじゃないとも思う。 

プログラムソースの情報量は増えている。シュワルツベルグ/アルゲリッチのフランクの、
音の漂う感じ、質感の素晴らしさ、そして実体感の見事さは、
最新の、最良の録音だからこそ捉えたものだろう。 

私たちは、聴こうと思えば、どちらも聴ける世界に住んでいる。 
だから、いまの時代の陰影を求めてみたい。
仕事で長距離の移動をされるとき、瀬川先生の旅の供は、
ステレオサウンドから、当時は年二回出ていたハイファイ・ステレオガイドと電卓だと、
ご本人からきいたことがある。

予算やテーマ(鳴らしたいレコードや、どんな音を出したいか)などを自分で設定して、
ページをめくり、このスピーカーに、あのアンプ、カートリッジはこれかな、と楽しくて、
いい時間つぶしになる、とのこと。

私も中学・高校生のとき、同じことをやっていた。
高価なオーディオ機器を、すぐに買えるわけではないけれど、
予算無制限だったら......、とか、現実的な価格での組合せや
自分ではあまり好んで聴かない音楽のための組合せだったら......、こんな感じで。

ただ当時のハイファイ・ステレオガイドは、
アルバイトのできない中学生には、かなり高価な本だった。
5月29日発売の週刊文春に掲載されている福田和也氏の 
「ハマってしまったアナタに ──木村伊兵衛か土門拳か──」は、 
オーディオについて考えるヒントを与えてくれる。 

(以下引用)        
土門は被写体に真っ向勝負を挑み、理想の構図、ピントを求めて大きなカメラを何百回とシャッターを切りつづけた。学生時代に絵描きを志した土門にとって、写真は映画同様、自己の世界観を存分に投影しうる、人間主体の芸術でした。 
 ところが、土門がその存在を終生意識し続けた木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なものでした。カメラを使いこなすことは、カメラという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくこと。写真は人間主体の芸術ではなく、むしろその主体性の限界を示してくれる存在で、その限界から先はカメラに結果を委ねるしかない。(中略) 
 一眼レフであり、コンパクトであれ、木村のようにその性能に意思を委ねるもよし、土門のようにすべてのパラメーターと格闘して意思の実現を目指すもよし。いずれにせよ、写真は自己認識に関わる豊饒な遊び。だから愉しいのです。 

       ※ 
オーディオにも不如意なところは数多く存在する。それをどう捉えるか、どう処理するのか。 
木村伊兵衛スタイルの人もいるだろうし、土門拳スタイルの人もいるだろう。
どちらがいい悪いではない。
フランクのヴァイオリン・ソナタの、有名なのは、ティボー/コルトーの演奏だろう。1929年の録音だ。 
アルゲリッチの、アバンティ・クラシックへのフランクの録音は、2005年、
ティボー/コルトーの演奏から約80年の隔たりがある。 

1925年にウェスタンが電気によるディスク録音を開発したばかり、
それ以前は、アコースティックによるディスク録音、
ティボー/コルトーの録音はそういう時代に行なわれている。 

2005年のアルゲリッチになると、デジタル録音、それもDSD方式で、5.1チャンネルでの収録。
言葉で書く以上に、その差は大きい。 

ティボー/コルトー盤は、いまでもよく聴く。
フランクのヴァイオリン・ソナタが聴きたいときはもちろん、
音が良くなったときにも必ずかける。 

古い古い録音だが、音が良くなると、コルトーのピアノの音に驚く。
素晴らしいピアニストだと思っていたが、こんなに素敵なピアニストだったのか、と、
その音の美しさに聴き惚れる。
「音楽性」という言葉ほど、便利な言葉はないように思っている。 
この機種は音楽性がある、とか、豊かだとか、もしくは貧弱だとか。 
音ゆのものはよいが音楽性が感じられない、というふうに一刀両断にできたりもする。 

音楽性とは、なんなんだろうか。 

2006年暮、友人にさそわれて、とある高級オーディオばかりを扱う販売店の試聴会にでかけた。 

スピーカーは2機種。どちらも1千万円弱(当時)する。 
2つのスピーカーの厳密な比較試聴というよりも、それぞれの世界を味わってください、
という感じで、それぞれのスピーカーには、異るアンプとCDプレーヤーが組み合わされていた。 

最後にかけられたのは、ラミレスのミサ・クリオージャであった。 
ホセ・カレーラスのではなく、アルゼンチンの大御所、メルセデス・ソーサの歌唱によるもの。 

はじめて聴くディスクだが、
それでも、あきらかにAのスピーカーから鳴ったソーサの歌い方はおかしい、と感じた。 
ソーサほどの歌手が、ミサ・クリオージャをこんなふうに歪めて歌うわけがない。
こんな歌い方ではなく、敬虔に歌うはずである。 
ミサ・クリオージャという音楽、メルセデス・ソーサをすこしでも知っていれば、そう思えるはず。 

そんな疑問が消えぬうちに、もうひとつのスピーカーからソーサの歌声が鳴ってきた。
正しい歌い方だ。 

なるほどAのスピーカーの世評は高い。
けれど、ミサ・クリオージャをこんなふうに歪めて鳴らしているということは、
ラミレスに関しては、音楽性を歪めている、と言い換えてもいいだろう。 

このとき、音楽性という、この便利な言葉、とても曖昧な意味で使われることの多い言葉を、
すくなくとも、私自身の中で意味付けられるような感じがした。

FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた

瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、

パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。 


LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。

しかも2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、

位相干渉による音像の肥大を防ぐために、3kHz以上では、

1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。

そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。 


専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、

瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。

いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。

その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。 


もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。

おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。 

さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。

これがうまくいったのかどうかはわからない。 


瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、

このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。


だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。


LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。

「なぜ、これだけなの?」と思ったのも、ほんとうのところである。 
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
瀬川先生の愛機のLS5/1A、LNP2L、A68を見た時に、
そう思い、なんともさびしい思いにとらわれた。 

それからしばらくして、4345がどこに行ったのかをきいた。
それでも、なぜ、これだけなのか、と当時はずっと思っていた。 
けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生にとっての愛機だったのだということである。
楷書か草書かで言えば、カラヤンのスタジオ録音は楷書であろう。 
70年代の録音を聴くと、そう感じる。

楷書、草書のふたつだけで区分けすることの無理があるのはわかっている上で、 
5月発売になった、最後の来日公演のライヴ録音のなかのブラームスの交響曲第1番は、
楷書なのかと、自問する。考えこんでしまう。


アバドのマーラーは、私にとっては、1980年前後にシカゴ響との旧録のほうが、
そのなかでも交響曲第1番は、ひときわ印象ぶかいものとなっている。 

1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur》の取材で、
アバドによる第1番をはじめて聴いたとき、
第1楽章出だしの緊張感、
カッコウの鳴き声の象徴といわれているクラリネットが鳴りはじめるまでの、
ピーンと張りつめた、すこしひんやりした朝の清々しい空気の描写に、
息がつまりそうな感じに陥ったのを、はっきりとおぼえている。 

ステレオサウンドにはいってまだ数ヶ月。
長時間の、しかも数日続く試聴にまだなれていなくて、
さらに、たとえば4344の試聴にしても、4343との比較、
アンプも3通りほど用意してという内容だっただけに、
試聴室の雰囲気も緊張感がみなぎっていて、
そこにアバドの演奏で、ぐったりになったものだ。 
いったい、何度聴いたのだろう......。

だからというわけではないが、じつは随分長い間、アバドの1番は聴いてこなかった。
なのに去年暮、ふと聴きたくなってあらためてCDを購入した。 

82年から25年の間に、いくつかの第1番を聴いた。
バーンスタインの再録ももちろん聴いている。 

ひさしぶりのアバドの演奏を聴いて感じたのは、
「このころのアバドは楷書で、バーンスタインは草書」ということ。 

こういう区分けはあまりやらないほうがいいのはわかっていても、
楷書か草書かで、自分の好きな演奏家や音を照らし合わせてみるのはおもしろい。
あいかわらず言われつづけている、シンプル・イズ・ベスト。 
肯定する人、そんなのは単純思考だと否定する人がいる。

単純なものが最善ではなく、
フルトヴェングラーの言葉にあるように「偉大なるものはすべて単純である」こそ、
真理であり、不変と言えよう。 
偉大なるという言葉が少々大仰ならば、
最善なるものは単純である、ベスト・イズ・シンプルでもいい。 

そして大事なのは、ほんとうにシンプル(単純)であるということは、
どういうものかを、見極めることであり、これが難しい。

瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。


良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。

でも怪我をしたり、病気すると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。

だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。


なぜ最低条件かと言うと、

おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。

さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、

その存在を主張するし、存在を意識する。

良い音とは、そういうものだろう、ということだった。


瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、

失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。

再生音は......

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小林秀雄賞を受賞された多田富雄氏の、「女は存在で、男は現象」論は、
そのまま音についても当てはまると言えるのではないか。
「生の音(原音)は存在、再生音は現象」と考えていきたい。

S氏

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五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 
昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

ある組合せ

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スペンドールのBCII、ラックスのLX38、ピカリングのXUV/4500Q、 
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。 

熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。 
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
瀬川先生が「今日ここにあるオーディオ機器で、聴いてみたい組合せや機種はありますか」
と言われたので、真っ先に手を上げてお願いしたのが、上記の組合せである。 

このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
アンプもマークレビンソンのLNP2やSAEの2500、
カートリッジもピカリングの他に10機種ほど用意されていた。 

BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。 
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。 
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
当日も用意されていただけで鳴らされなかった。 

けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。
もっと高価な組合せもお願いできたけれども、
どうしても聴きたかったのは、この組合せで、
BCIIの音に惹かれていただけに、もっともっといい音でBCIIを聴きたい、と思って、である。 

「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
瀬川先生「これはひじょうにおもしろい組合せだ。ぼくも聴いてみたい組合せ」と言われ、
わくわくされている感じを受けた。 

そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。 

一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
ちょうど最前列の真ん中の席が空いていたので、そこに座られ、
瀬川先生のお好きなレコードを、もう1枚かけられて、
そのときの楽しそうに聴かれていた表情と、「玄人の組合せ」という褒め言葉が、
二重にうれしかった。 

なにせ当時高校2年生でしたから、
特に「玄人」という言葉が、うれしくてうれしくて、
ひそかに「才能あるんだな、オレ」と自惚れていました。 

「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
見事な組合せだ。BCIIとLX38がこんなに合うとは思わなかった」とも言われました。 

その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
カートリッジは異っていたけど、菅野先生も、BCIIとLX38を組み合わされている。

私にとって、いわゆる黄金の組合せ、もしくは三位一体の組合せ、である。
使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、
一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。 
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。 

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。 

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。 

#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。
「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。 

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。 

#105は、傾斜したフロンドバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。 
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。 

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。 

#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。
KEFの#105は、ステレオサウンド 45号の表紙になっている。
このころのステレオサウンドの表紙を撮影されていたのは安齋吉三郎氏。 

いまのステレオサウンドの表紙と違い、
この時代は、撮影対象のオーディオ機器を真正面から見据えている感じがしてきて、
印象ぶかいものが多く、好きである。 
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。 

目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
見えてこないものがあることを、
安齋氏の写真は無言のうちに語っている、と私は思う。
#104と#104aBの違いは(たしか)ネットワークだけである。
ユニットはまったく同じ、エンクロージュアも変更されていない(と記憶している)。
そのため、KEFでは、旧モデルのユーザーのために、
aBタイプへのヴァージョンアップキットを発売していた。 
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
スピーカーユニットが同じにも関わらず、
スピーカーの耐入力が、50Wから100Wと大きく向上している。 

この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
aBタイプへの改良に使われたヒューレット・パッカード社の
HP5451の処理能力の違いから生れたものだろう。 

インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
処理する装置の能力次第で、時間は短縮され、
その分、さまざまなことを試せるようになっているし、
結果の表示能力も大きな違いがあるのは容易に想像できる。
そこから読み取れるものも多くなっているはず。 

インパルスレスポンスの解析法の
進歩・向上によって(言うまでもないが、進歩しているのは解析法だけではない)、
#105が生れてくることになる。 

私が考える現代スピーカーのはじまりは、この#105である。
KEFの#104aBは、20cm口径のウーファーB200とソフトドーム型トゥイーターT27の2ウェイ構成に、
B139ウーファーをベースにしたドロンコーンを加えたモデルである。 

B200は、クックが中心となって開発された高分子素材のベクストレンを振動板に採用している。
ベクストレンは、その組成が、紙以上にシンプルで均一なため、ロットによるバラツキも少なく、
最終的に音質もコントロールしやすい、との理由で、BBCモニターには1967年から採用されている。 
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。 

T27の振動板はメリネックス製。T27の最大の特長は振動板ではなく、構造にある。
磁気回路のトッププレートの径を大きくし、そのままフレームにしている。
従来のドーム型トゥイーターの、トッププレートの上にマウントフレームが設けるのに対して、
構造をシンプル化し、音質の向上を図っている。
のちにこの構造は、ダイヤトーンのドーム型ユニットにも採用される。 

このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
たとえばQUADの管球式パワーアンプのIIでは、
QUADのネームプレートを留めているネジで、シャーシ内部のコンデンサーも共締めしているし、
タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックがウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させているのと対照的に、
ひとつのマグネットで兼用している。
しかも中高域のホーンの延長として、ウーファーのカーブドコーンを利用している。
こういう、イギリス独特の節約精神から生れたものかもしれない。
インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。 

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。 
この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、
カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。 

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。 
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」
と高く評価されている。 

インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
75年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、#104aBにモデルチェンジしている。
ホセ・カレーラスがいったい何枚のディスクを出しているのか、知らない。 
ネットで調べれば、すぐにわかることだろうが、数にはあまり興味がないため、
だから、すべて聴いたわけではもちろんない。 
そういう聴き手である私にとって、
ホセ・カレーラスの数あるディスクの中で、 大切なのは、二枚だ。 

一枚はラミレスの「ミサ・クリオージャ」。 
はじめて、このディスク(というかこの曲)を聴いた時、 
ヨーロッパのクラシックとは違う、こういう美しさもあったのかと驚き、
敬虔な気持ちになったものだ。
いまも、ときおり聴く。 

もう一枚は「AROUND THE WORLD」。 
タイトルどおり、各国の代表的な歌をカレーラスが、その国の言葉で歌っている。 
国内盤のタスキで、黒田先生の文章が読める。 
これが、また素晴らしくいい。 
     ※
汗まみれの、力まかせの熱唱なら、未熟な歌い手にだってできる。 
しかし、声をふりしぼっての熱唱では、ききての胸にしみじみとしみる歌はきかせられない。充分に経験をつんだ歌い手が表現の贅肉をそぎおとして、静かに、淡々とうたったときにはじめて、耳をすますききての心の深いところで共鳴する歌がある。このアルバムで、ホセ・カレーラスのきかせてくれているのが、そういう、味わい深い歌である。今のカレーラスだけに咲かせられた、いろどり深く、香り幽き秋の花にでもたとえるべきか。 
     ※
この黒田先生のすてきな文章を読みたくて、 
輸入盤のほかに国内盤も買ったほどである(国内盤は友人にプレゼント)。
LS5/1Aは、スタンダードサンプルに対して規定の範囲内に特性がおさまるように
1本ずつ測定・キャリブレートが要求される。 
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、
このことは当り前のこととして受けとめていただろう。 

1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
62年にはウーファーのB139を発表している。
ワーフェデール時代にやれなかった、理論に裏打ちされた
新しい技術を積極的に採りいれたスピーカーの開発を特色として打ち出している。 

1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
彼を中心としたチームは、ブラッドフォード大学と協力して、
スピーカーの新しい測定方法を開発し、1973年のAESで発表している。
インパルスレスポンスの解析法である。 

この測定方法の元になったのは、
D・E・L・ショーターが1946年にBBCが発行しているクオータリーに発表した
「スピーカーの過渡特性の測定とその視覚的提示方法」という論文である。
第二次世界大戦の終わった翌年の1月のことである。驚いてしまう。 

この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。
オーディオについて語るのは楽しい、 
掲示板で活発な議論がなされているのを読むのも楽しい。 

でも、最近つよく思うのは、 
オーディオの「原点」とはなにかを、 
いちど徹底的に考えてみることである。

ラックスのリニアイコライザー、QUADのティルトコントロール、 名称は異るが

どちらもほぼ同じ機能で、ある周波数を中心に、周波数特性をシーソーのように上昇下降させる。 

世の中に登場したのは、リニアイコライザーのほうが先。


QUADがマネをしたのか、リニアイコライザーに刺激をうけてのものなのかはわからないが、

リニアイコライザーの考え方そのものが、なんとなく東洋的な思想によるもののような気もする。 

高域側を2dB上げたら低域側を2dB下げる。低域を上昇させたら、同じレベルだけ高域を下げる。

その中心周波数はつねに同じ( ラックスとQUADでは、たしか中心周波数が異っていたはず)。


つまり、エネルギーの総和はつねに同じになる。 

どこかをあげたら、同じ変化量だけどこかをさげる。 


このことはイコライザーをいじる上で、大事なことではなかろうか。 

もちろん中心周波数をきちんと決めた上で、である。 

リニアイコライザーにしてもティルトコントロールにしても、

こまかいイコライジングは無理である。 


ならばもうすこし多ポイントで、リニアイコライザーと同じ思想のものは、どうだろうか。 

たとえば中心周波数を640Hzとする。 

1オクターブ下の320Hzを上昇させたら、 

1オクターブ上の1.28kHzを、同じ量だけ下降させる。 

というよりも、この場合、320Hzと1.28kHzのツマミはひとつで、 

センターよりも時計方向に回したら1.28kHzが上昇し320Hzは下降する。 

反時計回りだと、320Hzが上昇し1.28kHzは下降するという具合だ。 

20Hzから20kHzまでは10オクターブ、 

2オクターブ上は2オクターブ下と、3オクターブ上は3オクターブ下と......、

こんなふうにして、ツマミは5つ。 

ユニークなイコライザーの出来上がり、かな。

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。 
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、
イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。 

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。 

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに
公開試聴で負けたことは、その場にいたかどうかは不明だが、
ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。 

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、
クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。
クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、
振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。
紙コーンのW12RSとは異なり、型番の末尾が示すとおり
発泡プラスチックを振動板に採用している。 
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、
ブリッグスが採用を拒否している。このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。 

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては
必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。 

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。
もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。
昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、
正しくはケー・イー・エフである。 

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変わっていて、
ワーフデールだったりもするが、個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。 

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biobraphies」を出している。 
イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。 

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、
ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。 

ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、
公開試聴をしたいという申し出である。 
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。
当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、
会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。 

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。 

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。
1年ほど前だったと思うが、ある掲示板で
「現代スピーカーの始まりはどこからか」というタイトルで語られていたのを
ちらっと読んだことがある。 

この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
コメントを寄せている人の中には、B&Wのマトリックス801という人もいたし、
その他のメーカー、スピーカーの型番をあげる人もいた。 

挙げられたスピーカーの型番は、
ほぼすべて1980年代の終わりから90年にかけて登場したものばかりで、
ここにコメントしている人たちは、私よりも10歳くらい若い世代か、
さらにその下の世代かもと思っていたら、
大半の方が私よりも二、三歳上なので、驚いた。 

驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
スピーカーの型番を挙げ、その理由というよりも、私的感想を述べているだけなことだ。 

特定の人しか読めないようになっている、内輪だけの場や酒を飲みながら、
あれが好きだとかこれはちょっと......と語り合うのは、くだらなさを伴いながらも楽しいし、
そのことに、外野の私は、何も言わない。 

けれど不特定の人がアクセスする場で、
少なくとも「現代スピーカーはここから始まった」というテーマで語り合うにしては、
すこし幼すぎないだろうか。 

話をもどそう。 

現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。
瀬川先生の終の住み処となった中目黒のマンションでのメインスピーカーは、JBLの4345。 
アナログプレーヤーは、パイオニア・エクスクルーシヴP3を使われていた。
アンプは、マーク・レビンソンのペアだと思っていた。
ML7Lのことも高く評価されていた(ただし、これだけでは満足できないとも書かれていたけど)し、
パワーアンプは、やはりレビンソンのML2Lだと、そう思いこんでいた。 

けれど、昨年11月の瀬川先生の27回忌の集まりの時に、
当時サンスイのAさんの話では、アキュフェーズのC240とM100の組合せだった、とのこと。 
たしかにステレオサウンドに掲載されたM100の新製品のページは瀬川先生が書かれていたし、
そうとう高い評価以上に、
その文章からは音楽に浸りきっておられる感じが伝わってきた、と記憶している。 
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
ステレオサウンドの記事で、世田谷のリスニングルームで行なわれた、
オール・マークレビンソン(ML2L、6台)で鳴っていた4343とは、もう別世界だろう。 

4343と4345の鳴り方の違い、
マークレビンソンのアンプとアキュフェーズのアンプの音の違い、
それから世田谷で使われていたEMT927Dstとマイクロの糸ドライブ、
それらとエクスクルーシヴP3の性格の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
SMEの3012R、JBLの4345、アキュフェーズのM100を記憶の中から呼び起こす。
そこに共通するものを感じるのは私だけだろうか。
ちょっとしたブームの感もあったスーパートゥイーターの増設。 
低域のレンジ拡大に比べると、手軽な印象のある高域のレンジ拡大だが、
スーパートゥイーターの導入で、すこし書きたいことがある。

スピーカー・エンクロージュアの天板は、音にかなり影響する。 
大半のスピーカーでは、天板の面積は、他のフロントバッフルや側面にくらべて小さい。
しかも聴取位置から、背の高いスピーカーだと死角になっているにもかかわらず、
天板の鳴りをちょっと変えると、すぐさま音の変化としてあらわれる。 

ためしに何でもいいので、天板の上に乗せてみて聴いてみてほしい。
もちろんそのとき、左右のスピーカーの天板に置くものは同一で、
同じ場所に置いてください。 
やわらかいもの、硬いもの、重いもの、軽いもの、
それらをどこに置くかで天板の鳴り(振動モード)が変化する。 

スーパートゥイーターを導入される方の多くは、
メインスピーカーの天板に置かれるだろう。 
このとき、スーパートゥイーターを接続せずに、
天板に上に置き、置いた音と置く前の音をしっかり確認してほしい。 
それからスーパートゥイーターの位置をあれこれ変えてみる。 
その音の違いに驚かれる人もいるだろう。 

それらの確認をした上でスーパートゥイーターを接続してほしい。 

スーパートゥイーターを天板に置くことで、
天板の鳴りを変化させていることに気づいてほしいから、である。 

それから、スーパートゥイーターの磁気回路から出ている漏洩磁束が、
メインスピーカーのスピーカーユニットの磁気回路に影響を与えてもいる。
もちろん、反対にメインスヒーカーのユニットの漏洩磁束が、
スーパートゥイーターにも影響している。
パラゴンの形態は、当時のステレオ録音が左右チャンネルに音を振り分けすぎていたのを
再生側で融合させるため、という説明が昔からある。
けれども1957年に登場したパラゴンの開発には、10年以上の歳月が要した、とのこと。 
10年以上が、12年なのか、15年なのかは不明だが、なんにしても、1940年代はモノーラル。
モノーラルLPの登場が1948年だから。 
となると、いったいなぜ、パラゴンの形態は生れたのか。 

パラゴンは、よく知られるようにJBLとリチャード・レンジャー大佐との共同開発。
レンジャー大佐はアカデミー賞受賞者でもある。 

これだけのことから勝手に推測するに、
1940年にベル・ラボラトリーが公開した、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団による、
映画フィルムのサウンドトラックを利用した3チャンネルのステレオ録音・再生が、
パラゴンを生むことにつながっているのではないだろうか。 

レンジャー大佐は、このとき(もしくはその後)に、
アカデミー賞受賞者だけに、ステレオ録音・再生に触れていた可能性は高いと思う。
そして3チャンネル・ステレオを、ミニマムの2チャンネルで再生するにはどうしたらいいのか、
その解答が、パラゴンの形態だとしても不思議ではないような気がする。

五味先生とJBL

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五味先生のJBL嫌いは有名である。

ステレオサウンド刊の「オーディオ巡礼」に収められている「マタイ受難曲」の中では、こう書かれている。 
     ※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。 
 まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。 
     ※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
五味先生はパラゴンの姉妹機メトロゴンを所有されていた。しかも手放されることなく、である。 

五味先生がメトロゴンについて書かれていたのは見たことがない。
けれど、数カ月前、ステレオサウンドから出た
「往年の真空管アンプ大研究」の272ページの写真をみてほしい。
「浄」の書の下にメトロゴンが置いてあるのに気がつかれるはずだ。

ことあるごとにJBLを毛嫌いされていた。
けれど、新潮社刊「人間の死にざま」に、ステレオサウンドの試聴室で、
4343を聴かれたときのことが載っている。

     ※
原価で総額二百五十万円程度の装置ということになるが、現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せと社長(注:ステレオサウンドの、当時の原田社長、現会長)がいうので、聴いてみたわけである。なるほど、まことにうまい具合に鳴ってくれる。白状するが、拙宅の〝オーグラフ〟では到底、こう鮮明に響かない。私は感服した。 
(中略)
〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。(中略)楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。 
     ※
おそらく、このころであろう、ステレオサウンドの記事「オーディオ巡礼」で、奈良在住の南口氏のところで、4350の音を聴かれ、驚かれている。
さらに前になると、瀬川先生のところで、375と蜂の巣を中心とした3ウェイ・システムを聴かれ、
「瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
 ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。」
とステレオサウンド16号に書かれている。

マークレビンソン(Mark Levinson)というブランドが、 

他のオーディオ・ブランドと異なる点は、 

ブランドに、自分の名前をフルネームでつけたことではないだろうか。 


マークレビンソン以前にも、マランツ、マッキントッシュなど 

創立者、中心人物の名前をブランドにしたメーカーはいくつもある。 

けれど、どれもファミリーネームだけで、 

創立者のフルネームをそのままブランドにはしていない。 


フルネームをブランドにしたメーカーは、 

マークレビンソン以外にも、JR、JBLなどがあるが、 

創立者のフルネームのイニシャルどまり。 


最近ではジェフ・ロゥランド・デザイン・グループが、 

創立者のフルネームを使っているが、 

これは最初ローランド・リサーチだった。 

けれど、日本のローランド社からのクレームで、 

日本語表記がロゥランド・リサーチになり、 

それでもまだ紛わしいというクレームのため、 

現在の社名になったわけで、 

マークレビンソン(Mark Levinson)とは異なる。 


バウエン製モジュールのLNP2と 

自社製モジュールのLNP2の音の違いは、 

このことは大きく関係しているように思えてならない。

「神を視ている。」──、これは「天の聲」に収録されている
「マタイ受難曲」のなかに出てくる五味康祐氏の言葉である。 
「神を」のあとに、どの言葉を続けるか......。五味先生は「視ている」である。 

五味先生の文章を読んでいて、こちらの心につき刺さってきた言葉はいくつか、というよりもいくつもある。
そのなかで、もっともつよく深く刺さってきたのが、「神を視ている。」 

五味先生について語るとき、「神を視ている。」は、重要な言葉のひとつだといまも思っている。
同時に、素晴らしい言葉だとも思っている。
     ※
われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる──神を異にする──民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い──それこそ至高の──音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。 
     ※
五味先生の内にあった神とは......。

五味先生の最後の入院のとき、病室に持ち込まれたのは、
クレンペラーとヨッフムのマタイ受難曲。
「自分のお通夜に掛けてほしい」と書かれていた盤である、どちらも。
最後に聴かれたのは、ケンプの弾くベートーヴェンの作品111。
1980年のことだから、ずいぶん昔のことだが、そのとき、感じていた、ある疑問を思い出した。
ステレオサウンドの夏号(55号)のベストバイの特集(このころベストバイは夏号だった)で、
各筆者がそれぞれのマイベスト3をあげられている。 
瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
コントロールアンプは、マークレビンソンのLNP2LとML6L、それにアキュフェーズのC240。
パワーアンプは、たしかアキュフェーズのP400に、マイケルソン&オースチンTVA1、
それにルボックスのA740だった(と記憶している)。 

プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。 

疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
なぜマークレビンソンのML2Lをあげられていないかだった。 
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
価格的に高価なものを除外されているわけでもないにも関わらず、ML2Lがない。 

このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
新シリーズに移行していたので、Mark2500がないのはわかる。 

ML2Lがないのはなぜ? 
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。

2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。


1981年(亡くなられた年)の春、 

スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。 


当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、 

取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、 

「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、 

アンプはマークレビンソンはもういい、 

マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、 

プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。 


そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、

最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、 

「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ......」と 

ぽつりとつぶやかれた、ときいた。 


そのすこし前に使われていたのは、JBLの4343に、 

マークレビンソンのアンプのペア、 

そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。 


JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、

表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。

1970年代の後半にオーディオに興味をもち始めた私にとって、 
MLAS(Mark Levinson Audio Systems)を主宰していたマーク・レヴィンソンは、 
ミュージシャンであり、録音エンジニアでもあり、 
そしてすぐれたアンプ・エンジニア──、 
憧れであり、スーパースターのような存在でもあり、 
マーク・レヴィンソンに追いつき、追い越せ、が、じつは目標だった。 

LNP2やJC2をこえるアンプを、自分の手でつくり上げる。 
もっと魅力的なアンプをつくりあげる。 
そのために必要なことはすべて自分でやらなければ、 
マーク・レヴィンソンは越えられない。 
そう、中学生の私は思っていた。

とにかくアンプを設計するためには電子回路の勉強、 
これもはじめたが、一朝一夕にマスターできるものじゃない。 
(中学生の私にも)いますぐカタチになるのは、パネル・フェイスだな、 
かっこいいパネルだったら、なんとかなるんじゃないかと思って、 
夜な夜なアンプのパネルのスケッチを何枚も書いていた時期がある。 

フリーハンドでスケッチ(というよりも落書きにちかい)を描いたり、 
定規とコンパス使って、2分の1サイズに縮小した図を描いたことも。 
横幅19インチのJC2を原寸で描くための紙がなかったもので、 
2分の1サイズで描いていたわけだ。 
(とにかく薄型のかっこいいアンプにしたかった) 

「手本」を用意して、いろいろツマミの形や大きさ、数を変えたりしながら、 
中学生の頭で考えつくことは、とにかくやったつもりになっていた。 

1977〜78年、中学3年の1年間、飽きずにやっていた。 
授業中もノートに片隅に描いてた。
けれども......。 

  ※ 

そんなことをやっていたことは、すっかり忘れていた。 
当時はまじめにやっていたのに、きれいさっぱり忘れていた、このことを、 
ある時、ステージ上のスクリーンに映し出されている写真を見て思い出し、 驚いた。 

このときのことは、ここ 
http://www.audiosharing.com/people/dialogue/2002_07/maegaki/maegaki.htm )で、
すこしふれている。 

1994年の草月ホールでの川崎先生の講演で、 
スクリーンに映し出されたSZ1000を見た時に、 
中学時代の、そのことを思い出した。 

当時、私が「手本」としたアンプのひとつが、そこに映っていたからだ。 

デザインの勉強なんて何もしたことがない中学生が、 
アンプのデザインをしようと思い立っても、なにか手本がないと無理、 
その手本を元にあれこれやれば、きっとかっこよくなるはず、と信じて、 
落書きの域を出ないスケッチを、それこそ何枚と書いていた。 

当時、薄型のコントロールアンプ各社から出ていた。
ヤマハのC2、パイオニアのC21、ラックスのCL32などがあったなかで、 
選んだのはオーレックスのSZ1000、そしてもう一機種、同じくオーレックスのSY77。

SZ1000のパネルの横幅は、比較的小さめだったので、 
まずこれを1U・19インチ・サイズにしたらどうなるか。 
ツマミの位置と大きさを広告の写真から計算して、 
19インチのパネルサイズだと、どの位置になり、どのくらいの径になるのか。 
そんなことから初めて、ツマミの形を変えてみたり、位置をすこしずつずらしてみたり、 
思いつく限りいろんなことをやっても、手本を越えることができない。 

SY77に関しても、同じようなことをやっていた。 
SY77は、オプションのラックハンドルをつけると、 19インチ・サイズになる。
これを薄くすると、どんな感じになるのか、という具合に。 

1年間やっても、カッコよくならない。 
「なぜ? こんなにやっているのに......」と当時は思っていた。 

その答えが、十数年後の、1994年に判明。 
同時に、われながら、中学生にしてはモノを見る目があったな、と 
すこしだけ自惚れるとともに、 
敗北に似たものを感じたため、やめたことも思い出していた。 

あらためて言うまでもSZ1000もSY77も、川崎先生の手によるデザインだ。

「かたち」

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菅野先生がときどき引用される釈迦の言葉、 
最近ではステレオサウンド167号の巻頭言で引用されている──
「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」。 
デザイナーの川崎先生の言葉、 
「いのち、きもち、かたち」。 

このふたつに共通している「かたち」。 
オーディオに限らずいろんなことを考える時に、 
この、ふたりの言葉は、私にとってベースになっているといえる。 

いままでは「いのち、きもち」が「心」で、 
それが「私」だと、なんとなく思ってきた......。
けれど「かたち」が加わって、はじめて「私」なんだということに、 
4年ほど前に気がついた。 

川崎先生の「いのち、きもち、かたち」をはじめてきいたのが、 
2002年6月だから、2年半かかって気がついたことになる。 

正直に言うと、いままで、なぜ「心はかたちを求める」のかが、 
よくわからなかったけど、 
「いのち、きもち、かたち」こそが「私」だとすると、 
「かたちを求める」のところが、自然と納得できる。 

そして、よく口にしておきながら、 
これもなぜそうなのかが、よくわからなかった 
「音は人なり」という言葉も、すーっと納得できる。 

そして「音は『かたち』なり」とも言いたい。
「人は大事なことから忘れていく」
川崎和男氏の言葉。

だから、私はいまでも五味先生の文章を読み返す。
EMIのクラシック部門のプロデュサーだったスミ・ラジ・グラップは、 
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。 
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」 
と語っている。

心に刻んでおきたい言葉のひとつである。
菅野先生がお使いのスピーカーは、 
JBLの375+537-500(蜂の巣)を中心としたシステム、 
マッキントッシュのXRT20、 
そして4年前に導入されたジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムの3組である。

中高域以上は、JBLはホーン型、XRT20はドーム型の複数使用、 
ジャーマン・フィジックスはウォルッシュ・ドライバー。 
振動板の素材もまったく異る。
JBLはアルミ、ジャーマン・フィジックスはチタンで、同じ金属と言っても、
ジャーマン・フィジックスのチタンはひじょうに薄い膜であり、
指で軽く触ってみると、プニョプニョした感触で、剛性を高めるための金属の採用ではない。
まったく異なる型式・方式・素材のスピーカーが三組と受けとめられがちだが、
「中高域の拡散」ということでは、三つとも共通していると、私は考えている。

なぜ菅野先生は、375と組み合せるホーンに、蜂の巣を選択されたのか。 
菅野先生のリスニングルームの壁の仕上げ、
JBLのシステムに数年前から導入さてれているリボン・トゥイーターの理由、 
そして音を聴かせていただくと納得できるのが、 
中高域の拡散、ということ。 

なぜ菅野先生は、JBLのトゥイーター075だけでは満足されなかったのか。 
それは高域レンジの問題だけではなく、 
375と蜂の巣の組合せによる中域の拡散と比べると、 
高域の拡散が不十分と感じられたためではないかと思っている。

妄想食玩

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今日去年の春ごろ登場した、フェンダーのギター1/8スケールの食玩。
http://www.f-toys.net/p_fender-g.html 

とっくに売り切れてしまったと思っていたら、近所のコンビニエンスストアにまた入荷していた。
食玩の中では、息が長い。やっぱり人気があるのだろう。

箱を手にとって思っていたのは、70年代オーディオの食玩を、出して欲しい、ということ。
マークレビンソンのLNP2やJBLの4343、EMTの930St もいいし、
もうすこし古いところでは、JBLのパラゴンやハーツフィールド、
タンノイのオートグラフやモニターレッド、アルテックの604などなど。 

内部構造までのぞきこめるようになっていたら、かなりヒットするはず......。

CDが登場、しばらくして話題になったのがパッシヴフェーダー。 
このとき、減衰量によって、出力インピーダンスが変化するから、 
使用に当たっては、フェーダー・パワーアンプ間の接続ケーブルは極力短くと言われていた。 

たしかに−6dBでインピーダンスは最大になる。 
実際にはCDプレーヤーの出力インピーダンスも関係してくるので、厳密に−6dBではないが、

とにかくこのあたりでインピーダンスが高くなるのは、原理的に避けられない。 

でも、この−6dB付近をさけて使用すれば、それほど気にすることもないような気もする。 
むしろ短くしたいのは、CDプレーヤー・フェーダー間のケーブルである。 
そして短くするよりも効果的な接続方法があるのを、気づかせてくれたのは、 
ラジオ技術誌に連載されていた富田嘉和氏の記事である。


出力インピーダンスの観点からみれば、 
出力ケーブルを短くした方がいいように思えるが、 
アースの観点からみると、違ってくる。 

ボリュームによって分流された信号が流れるアースと 
入力と出力を同電位にするためのアースは分離すべきである。 

そのため入力端子は3端子のコネクターを使うのが簡単だけど、 
RCAプラグを使ってもいい。 

内部の配線は、ホット側に関しては、通常と同じ。 
ボリュームのアースにつなげる端子とRCAプラグのコールド側と接続。 
出力端子のRCAプラグからの線は入力端子のRCAプラグには接続せずに、 
別途設けたアース端子に接続する。 

アース端子からCDプレーヤーの出力端子のアース側に接続する。 

これでボリュームの帰還用アースと同電位のためのアースを分離できる。

たおやか

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瀬川先生の求められていた音を簡潔な言葉ひとことで表すと、
なんだろうと、ぼんやり考えていた。
 
洗練という言葉が好きだし、剥き出しの音は嫌いだ、と言われている。 
だから「洗練」でもいいのだろうけど、これだけだと足りないものを感じる。
もっと適確で簡潔な言葉はないだろうかとずっと思っていた。

「たおやか」である。 
私がイメージする瀬川先生の音を一言で表すなら、これである(いまのところ)。
些細なことだが、オーディオ雑誌やネットの記事を読んでいて気になっていることが、すこしある。

まずは、デジタルドメインからSITを使ったパワーアンプ、B-1aのこと。
オーディオ雑誌の紹介記事のなかには、必ずヤマハのパワーアンプのことが書かれている。 
ヤマハのB-1と表記されている。
でも正しい表記は、B-Iである。コントロールアップはC-I。 
姉妹モデルとして出たのが、C-2、B-2だったため、
C-1、B-1と勘違いしてもしかたないと思うが、当時のカタログや広告で確認してみてほしい。 
C-I、B-Iとローマ数字になっているのを。 

もうひとつは、チョークコイルのこと。チョークと書いても通じるのに、
わざわざチョークトランスと表記される人がいる。
いったいいつからチョークコイルがトランスに化けたのだろうか。
アルテックの604シリーズは、38cmコーン型ウーファーとホーン型トゥイーターの同軸型で、
クロスオーバー周波数は、モデルによって多少異るが1.5kHz前後。 
中高域はマルチセルラホーン採用なので、水平方向の指向性は十分だろう。 
問題はクロスオーバー周波数から1オクターブ半ぐらい下までの帯域の指向性だろう。 
実測データを見たことがないのではっきりしたことは言えないが、
604の、このへんの帯域の指向性はあまり芳しくないはず。 

BBCモニターのLS5/1Aは、38cmウーファーと
ソフトドームのトゥイーター(2個使用)の2ウェイ構成で、クロスオーバーは1.75kHz。 
当時すでにBBCの研究所では指向性の問題に気がついており、
ウーファーをバッフルの裏から固定し、バッフルの開口部は円にはせずに、
横幅18cm、縦30cmくらいの長方形とすることで、水平方向の指向性を改善している。 
ユニークなのは、30cm口径よりも38cm口径のほうが
高域特性に優れている理由で採用されていること。 

1980年ごろ登場したチャートウェルのPM450E(LS5/8)は30cm口径ウーファーだが、
バッフルの裏から固定、開口部はやはり長方形となっている。 

アルテックがスタジオモニターとして役割を終えた理由として、いくつか言われているが、指向性の問題もあったのではないかと思う。 
同じことはタンノイの同軸型ユニットについても言えよう。
JBLの4341(4343)について考えてみる。 
JBLのモニターシリーズには、4333が同時期にあった。 
ユニット構成は、4341(4343)に搭載されたミッドバス2121を除けば、ウーファーは2231A、ドライバーは2420、トゥイーターは2405と同じ。 
スピーカーの周波数特性としては、エンクロージュアのプロポーション、内容積は異るが、
上限と下限はほぼ同じである。 

4333のウーファーとミッドレンジのクロスオーバーは800Hz。
4341(4343)のウーファーとミッドバスのクロスオーバーは300Hz。 
周波数特性的には4333も4341(4343)も、2231の良好なところで使っているが、
指向性に関しては、4333は多少狭まっている帯域まで使用している。 

スピーカーの指向性は狭い方がいい、という意見もある。
部屋の影響をうけにくいから、ということで。 
けれど、再生周波数帯域内で、指向性が広いところもあれば極端に狭いところもあり、
スコーカーの帯域に行くと、また広がる、そんな不連続な指向性がいいとは思えない。 
狭くても広くても、再生帯域内では、ほぼ同じ指向性であるのが本来だろう。 

4341(4343)から、JBLの真のワイドレンジがはじまった、と言えると思う。

便利な小物

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EMTのカートリッジのクリーニングに便利なものが、 
ステッドラー社のファイバーブラシ、 MARS-FIBRASOR。 

EMTのカートリッジ、TSD(XSD)15の、 
トーンアームとのコネクター部分は、すぐに硫化して黒ずんでしまう。 
微小信号の通るところだけに、マメにきれいにしておきたいもの。
MARD-FIBRASORで軽く磨くと、きれいになる。液体を使わないのもうれしいところ。 

そして、ステッドラーもドイツ製というのが、またうれしい。
JBLのD130、LE8Tのようにセンターキャップがアルミのものを、
一般的にはメカニカル2ウェイのフルレンジと呼ぶ。 

でも、ほんとうにメカニカル2ウェイなのか。 

アルテックのフルレンジユニット420−8Bのように、
コーン紙の中間あたりにコンプライアンスをもたせたコルゲーションを設け、
そこを境に高域と低域を分割する。
しかもコーン紙の頂角も高域のコーン(内側)は浅くて、
ウーファー(外側)のコーンの頂角は深いという工夫がこらされおり、
こういう設計思想によるものなら、メカニカル2ウェイと納得できる。 

けれどセンターキャップだけアルミ(金属製)で、
メカニカル2ウェイといえる動作をしているのか。 
420-8Bのセンターキャップとコーン紙のつなぎ目と同じように、
コンプライアンスをもたせていれば、わかる。 

D130は38cm口径、センターキャップは10cm、
材質も紙とアルミ(内部音速もかなり違う)だけに、
センターキャップにアルミを採用した良さは、音を聴いても、出ていると感じる。 
大口径のフルレンジ(振動板は紙のもの)は、
真正面で聴けば、それなりに高域は出ているように感じるが、
軸をずらすと、高域が明らかに落ちている印象になったように記憶している。 

だからといってメカニカル2ウェイとは呼びたくない。マテリアル2ウェイと呼びたい。
スピーカーに関して言えば、周波数、ダイナミックレンジの他に指向特性の広さも、
ワイドレンジの実現に密に関係してくると考えている。 

たとえ話として、スピーカーにとって理想の振動板ができたとする。
高剛性で軽量で、内部音速が、従来の素材とは比較にならないほど速いもので、
コーン型フルレンジをつくったとする。 
低域も十分カバーするために口径は38cmとする。
理想の振動板なので、高域の再生限界周波数は20kHzをこえている。
帯域内にピークもディップもない。
これでいい音が聴けるかというと、おそらくだめであろう。 

コーン型スピーカーの場合、
振動板の最外周の長さと、音の波長の長さが等しくなった周波数あたりから、
それ以下の周波数ではきれいに球面上に広がっていたのが、
それ以上の周波数になると、周囲に広がらなくなってしまう。 

38cmのコーン型スピーカーなら、コーンの実際の直径は33cm前後で円周は約1m。
波長1mの周波数は、約340Hz。 
つまり、38cmのコーン型のスピーカーでは、
400Hz以上の周波数になると、指向性が徐々に狭まってくる。 

どんなに理想の振動板を用いても、これでは良質なステレオ再生は望めない。
多重ループに、外部もしくはオーディオ機器の内部からなんらかの電流が誘起されると、
同相成分(コモンモード)が発生する。 

多重ループの影響から逃れるために、システム全体をシンプルにしろ、というのは
簡単で確実な方法ではあるが、後ろ向きの解決方法であるという印象も拭えない。 
またシンプルを、どう捉えるかも別の問題として浮び上がってくる。

現代のCDプレーヤー、アンプなど電子機器に求められる性能は、
CMRR(Common Mode Rejection Ratio)同相信号除去比の高さだろう。 

比較的低い周波数だけでの高いCMRR値ではなく、可聴帯域をこえて、
かなり高い周波数まで、できるだけフラットで高い値の実現。

現代OPアンプのなかに、数MHzまでフラットなCMRR値を持つものも出てきている。
AC電源を使ったオーディオ機器のアースの多重ループの観点からみると、
安易なモノーラル構成は、どうかと思う。 
モノーラル化は音の出口に近い方から行なう方が理にかなっている。 
まずパワーアンプ、それからチャンネルデバイダーを使っているならこれ、
そしてプリ・パワー間にイコライザー類を挿入しているのであればモノーラル化する。
そしてコントロールアンプ。
音の入口に近いD/Aコンバーターは最後のほうでいいと考える。
なのに最近の流行なのか、D/Aコンバーターのモノーラル構成のものが出始めているし、
同一D/Aコンバーターを2台用意してモノーラル化される方もいるときく。 

たしかにSACDやDVD-Audioの登場によって高域の再生限界が伸びているため、
従来のCDプレーヤー以上にチャンネルセパレーションを確保するのが難しくなるため、
セパレート化のメリットも多いことは認めるものの、
その前にモノーラル化の順序について、いちど考えてみてほしい。
音をよくするため、CDプレーヤーを、CDトランスポート部とD/Aコンバーターに分け、
場合によっては、あいだにアップサンプリングの機械をいれたりする。 
アンプに関しても、同じくセパレート化。
さらにマルチアンプとなるとチャンネルデバイダーが挿入され
、グラフィックイコライザーやパラメトリックイコライザーを使うとなると、
システム全体の規模はかなり大きくなると、アンプ一台では生じなかった問題がある。 

AC電源のオーディオ機器を2台以上つなぐと、電源を通じてアースにループができる。
上記のような構成になると、複雑な多重ループが生れる。 

しかもこのループの問題は、ストレーキャパシティがからんでいるため、
高域再生の上限周波数が高くなるほど問題は大きくなってくる。 
信号がシャーシやACラインに流れてしまうのをすこしでも防ぐためには、
あえてナローレンジにするという手がある。 

ただし現在のワイドレンジのオーディオ機器の入力にハイカットフィルターを挿入して
ナローレンジにしたところで、音が良くなるどころ、むしろ劣化する。
ワイドレンジの話になると、周波数レンジのことばかり語られることが多い。 
けれども、ワイドレンジ再生とは、
周波数レンジとダイナミックレンジの両方をバランスよく広げることだと考える。 
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。 

このことを教わったのは、
ステレオサウンド43号の「故岩崎千明氏を偲んで」のなかの瀬川先生の文章。
そのところを引用する。 


岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」 
 岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の 
セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 
1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 


ただひとつ、時間、が必要なのだ。 
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。 
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) 
 いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。 
 ......こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間......そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに......。 
(中略) 
 スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 


使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも 
頻繁に語られているけども、 
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 
あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
ケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか......。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、
理解されていないように感じる)ことがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 

そして1年、できれば2年経ったあたりから、 
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。

五味先生は、「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」で次のように書かれている。 


「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない、あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを、画家は視ておればいい。もともと、画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない、他のものとは、即ち色だ──「そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した」と、ルノアールも言っている。セザンヌの言うところも同じだろう。──この筆法でゆけば、ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない、そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが、ナマの音は存在しない、そう言いかえてもいいだろう。 

絵画に関しては素人だが、フェルメールの絵がすごい、のは、 
光が存在しない画布に絵具を重ねただけなのに、 
光を感じさせてくれるところにあるのはわかる。 
この一点においてもフェルメールは天才だと思うし、 
素人の私は、ゴッホやピカソよりも天才だと思える。 

再生音にないのは、いったいなんなのか。 
五味先生は上のように書かれている。 
納得できるけれど、なにかすこし違うようにも、これを読んだとき、 
もう20年以上前になるが、その時からそういう思いが続いている。 

再生音にないものをはっきりといえるようになったとき、 
大きく一歩前進する、といってもよいだろう。

「比較ではなく没頭を」??フルトヴェングラーの言葉である。 

「音楽現代」7月号から連載がはじまった「フルトヴェングラーの遺言」(野口剛夫)で、

最初に取りあげられたのが、この言葉である。 


1954年11月にフルトヴェングラーは亡くなっているから、残されている彼の録音はモノーラルであり、

夥しいライヴ録音には、けしていい録音とは言えないものも多い。 

にも関わらず、スタジオ録音、ライヴ録音に関係なく、

CD時代になり、リマスター盤が多く出ている。SACDまで出ている。 

マスターテープからの復刻、テープの劣化を嫌って、オリジナルLPからの復刻、

その方法も20ビットハイサンプリングでデジタル化などもある。 

それらすべてを聴いたわけでは、勿論ない。聴くつもりもない。

それでも、いくつかを聴くと、たしかに音は異なる。 

もっともアナログディスクもなんども復刻されている。 


グールドも、リマスターの種類は多い。 

オリジナルLPを含めて、どれかいいのか、どう違うのか、比較するのは楽しいといえば楽しい。 

情報もモノもあふれているいまは、比較をしようと思えばいくらでもできる。

そして、自分なりに感じたその違いを、簡単に公表できる。

これが、比較することをあおっているような気もする。 

レコードに限らない、よりよいモノを求めるために比較する、そんな声がきこえてくる。 

けれど、それは比較することに没頭してしまう罠に嵌ってしまうかもしれない。 


いうまでもなく没頭したいのは、

フルトヴェングラーの演奏であり、グールドの演奏であるのはいうまでもない。 

そして、よりよいモノ、最上のモノを選んだとしたも、

結局、あたえられたものを聴いているのだということに気づいてほしい。

「天才を作るのは高度な知性でも想像力でもない。知性と想像力を合わせても天才はできない。愛、愛、愛......それこそが天才の魂である。」 

モーツァルトの言葉。 
いい音を生み出すのも、愛、愛、愛であろう。他に何があろう。

家族の犠牲の上で成り立っていた──、そういうふうに五味先生のオーディオを捉えている人がいる。 
そんなことはない。 

亡くなられた後に読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に収められている

五味由玞子氏の「父と音楽」を読んでほしい。 
いくつか書き写しておく。 

     ※ 
夢中になると、父は一晩中でも音楽を鳴らしている。母と私は、真夜中、どんなに大きな音で鳴っていようと、目を覚ますことはない。時折り今でも、父の部屋で音楽をかけるのだが、不思議と私はよく、絨毯の上にころりと横になりねむってしまう。たとえようのない安らぎがそこにはある。そこには父がいる。 
 母は音楽を聴いているときの父がいちばん好きだという。 
     ※ 
 父が音いじりをするとき、また、テープを編集するときは、たいがい、だぼだぼのパジャマに母お手製の毛糸で編んだ足袋。冬には、駱駝色のカーディガンを羽織り、腰紐を締め、木樵のおじさんのような恰好で、蓬髪おかまいなく、胡坐をかいて一心に、テープを切ってつないだり、コードを差し換えたりしている。短気のせいか、無器用なのか、うまくいかないとよくヒステリーをおこし、ウォーッとか、エーイといった奇声が居間に聞こえてくる。すると、私と母は、またやっている、と目を見合わせほほえむ。試行錯誤の結果、気に入った音がでたときは、それはもう大喜びで、音楽にのって、親愛なるタンノイの前で踊っている。たまらなく幸福そうな表情で、そんな顔が私はいちばん好きであった。 
     ※ 
 父は、ひとくちに言ってしまえば、純真な音キチである。いい音を求め、音楽を愛した一人の青年である。私はこの父の娘として生まれて本当に幸福であった。心からの感謝を献げたい。そして、これからも、すばらしい音楽を心をこめて聴いてゆきたい。音楽は、なにものにもかえがたい父の遺産なのだから。

オーディオ機器との出会いには、幸運なときもあれば、 
そうでないこともある。 

たとえば瀬川先生とマーク・レビンソンのLNP2との出会い。 
瀬川先生は、LNP2との出会いについて、次のように書かれている。 

−−−−−−−−− 
彼(註:山中敬三氏のこと)はこのLNP2を「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない......」と酷評していた。 
 ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。 
 あとで考えると、大きなチャンスを逸したことになった。 
 74年夏のことである。 
 75年になって輸入元が変わり、一度聴いてみないかと連絡があったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ、久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレビンソンとのつきあいが始まった。 
−−−−−−−−− 

早く聴かなかったことを後悔した、と書かれているけど、 
ほんとうにそうだろうか。 
瀬川先生自身、気がつかれてなかったのか。 

山中先生が「無機的な音さ」と言われたLNP2は、 
シュリロ貿易がサンプル輸入したモノで、 岡俊雄先生が購入されたモノ。 
つまりバウエン製モジュール搭載のLNP2である。 
一方、75年になって、RFエンタープライゼスが輸入したLNP2、 
瀬川先生がはじめて聴かれたLNP2は、 
ジョン・カールの設計によるマーク・レビンソン製のモジュール搭載になっている。 

もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれていたら、 
瀬川先生はどういう反応をされただろうか。 

岡先生は、LNP2が製造中止になったときに、ステレオサウンド誌に、 
LNP2物語を書かれている。 
この記事でもそうだし、過去に何度か発言されているが、
岡氏は、マーク・レビンソン製モジュールのLNP2よりも、 
バウエン製モジュールのLNP2を高く評価されている。 

岡先生と瀬川先生の音の嗜好の違い、捉え方の違い、ひいては再生音楽の聴き方の違いは、 
1970年代のステレオサウンド別冊に掲載されている 
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の鼎談を 
読んだことのある人ならば、ご存知のはず。 

勝手な推測だが、 
もし瀬川先生がバウエン製LNP2を聴かれていたら、 
山中先生と同じような感想を持たれたことだろう。 

山中先生の言葉を信用してバウエン製LNP2に興味を持つことにやめにし、 
輸入元がかわったLNP2に対しても、全く気乗りしなかった瀬川先生だけに、 
もしバウエン製LNP2音を聴かれていたら、 
レビンソン製LNP2を聴く機会すら拒否されたかもしれない。 
聴く機会が、それこそもっと後になったかもしれない。 

そう考えると、瀬川先生とLNP2との出会いは、幸運だった、 
出会うべくして、出会うべきときに出会った、と私は思っている。 

不思議なのは、シュリロ時代のLNP2が 
バウエン製モジュールだということに、 
なぜ瀬川先生は気がつかれなかったのこということ。
気がつかれなかったからこそ、LNP2との出会いについて書かれるとき、 
山中先生を引き合いに出されるわけなので。 

実は、バウエン製モジュールのLNP2と、 
マーク・レビンソン製モジュールのLNP2を 
じっくり聴き較べてみたことがある。

岡先生がLNP2の記事を書かれたとき、
写真撮影に岡先生所有のLNP2をお借りしていたときに、
ステレオサウンド試聴室常備のLNP2Lと聴き比べてみた。

ステレオサウンドのLNP2Lは、もちろんマーク・レビンソン製モジュール搭載で、
しかも瀬川先生が、こちらのほうがさらに音が良いと書かれている、
追加モジュール搭載仕様で、その意味ではよりLNP2Lらしさは強い。

そのときの印象からいえば、 
瀬川先生にとってのLNP2は、 
やはりマーク・レビンソン製モジュールのモノだということである。
瀬川先生の本名は大村一郎。ラジオ技術の編集者時代から、
大村とΩをひっかけて、親しい人からはオームと呼ばれていたとのこと。

ある日、ペンネームを考えながら電話帳をめくっていたら、 
「瀬川冬樹」という名前が目にとまったから、とのこと。
オーディオに関心をもつきっかけは、 
五味康祐氏の「五味オーディオ教室」で、
多くのマニアの方のように、
どこが素晴らしい音楽(音)に触れたのがきっかけというのではなく、
一冊の本との出会いが、私のオーディオの出発点になっている。 

「五味オーディオ教室」が、私にとって最初のオーディオの本であり、 
この本と最初に出合ったこと、原点となったことは、 
とても幸運だったと、いまでも思っている。 

買ってきたその日から、毎日読んだ。 
学校に持っていては休み時間に読み、 
帰宅してからも、ずーっと読む。 
何回も何回も頭から最後まで読み返して、 
また興味深いところだけを、これまた何回も読み直して、 
何度読んだかは、もうわからないくらい読み返した。 

何度も読みながら、
「オーディオという趣味はなんと奥深いものなんだろう......、 
音楽を聴くという行為の難しさ、素晴らしさ──、これは一生続けられる趣味だ」と思うとともに、 
当時ステレオを持っていなかった私は、この本を読むことで、 
オーディオの本当の音は、こういうものなんだ、 と勝手に想像(妄想)したものである。 

いくつも強烈に印象にのこっている言葉がある。 
そのなかのひとつが、 
「いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。 
これこそは真にレコード音楽というものであろう」のフレーズ。 

空気が無形のピアノを目の前に形作って、 
そのピアノから音(音楽)が響いてくる──、 
中学二年の私は、それがオーディオの在りかただと思い込む。 

しかし、五味先生は、 
「実際に、空気全体が(キャビネットや、 
ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを 
私はいまだかつて聴いたことがない」とも書かれている。 
     ※
2005年5月19日、菅野先生のリスニングルーム。 

菅野先生が「第三世代」と呼ばれている 
ジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムで、 
プレトニョフのピアノ(シューマンの交響的練習曲)で、 
「五味オーディオ教室」を初めて読んだときから29年、 
「空気が無形のピアノを鳴らす」のを、 はじめて耳にした。 
夜更かししながら、岩崎千明氏の「オーディオ彷徨」を読むと、 
ジャズの熱心な聴き手でない私だけど、 
無性にジャズを大音量で聴きたくなる、そんな衝動にわき上がってくる。
深夜まで開いているレコード店があれば、
いま読んでいた岩崎先生の文章に出てきたディスクを買いに走りたくなる。 

近所迷惑なので、そんなことはできないけど、 
そのためだけにJBLのハークネスC40が欲しくなる。

ステレオサウンドのリスニングルームの特集に載っていたデザイナー、
田中一光氏のリスニングルームの写真で、はじめて見たハークネス。
角度をつけずに真っ正面に向けて置かれたふたつのハークネスの間には、
すてきなテーブルと椅子(どちらも北欧製のモノ)が、
誂えたかのようにぴったりと収まっていた。
なんて素敵な部屋だろう、なんて素敵なスピーカーだろう、と、
いつか、こういう部屋に住むと思ったものの......。
瀬川先生のカートリッジのクリーニング方法。 

アナログ全盛時代を体験された方ならば、おそらくひとつ以上はお持ちであろう 
FR社のカートリッジ・キーパー・ケース。 
5つのカートリッジを収めることができて、 
カートリッジの持ち運びにも便利なこのケースの内部は、硬めのスポンジ。

瀬川先生は、このスポンジ部分で、 
カートリッジの針先の汚れを落とされていた。 
カートリッジを指で持って、針先で、 
このスポンジを、まっすぐにひっかく。 
だから、瀬川先生のケース内のスポンジは、 
ひっかきキズだらけ。 

もちろん、慣れていないと針先がとれてしまったり、 
カンチレバーをいためたり曲げたりするため、 
だれにでも勧められる方法ではないけど、 
これがいちばんだ、と話されていた。

液体のスタイラスクリーナーは、よほどしつこいゴミが付着したとき以外は、
まったく使わない、とも話された。
アルコールが主成分だが、すぐにすべてが蒸発するわけでなく、
カンチレバーの表面を、蒸発せずに残ったクリーナー液が毛細管現象でダンパーに届き、
変質もしくは傷めてしまうから、ときいている。

レコード(アナログディスク)のクリーニングも液体はいっさい使わず、
もっぱらビロードを円筒状にしたワッツのクリーナーを愛用している、とのこと。
そして、大事なのは、聴き終ってレコードを内袋に収める前にクリーニングすること、と言われた。

スクラッチノイズは、ディスクに付着したゴミよりもキズが原因であり、
意外にキズがつきやすいのが、ゴミを付着したディスクをそのまま保管しているときだそうだ。

「目的地」

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ステレオサウンド38号からもうひとつ。 

黒田恭一氏の文章から。 

「したがってぼくは、目的地変動説をとる。 
さらにいえば、目的地は、あるのではなく、つくられるもの。 
刻一刻とかわるその変化の中でつくられつづけられるものと思う。 
昨日の憧れを今日の憧れと思いこむのは、 
一種の横着のあらわれといえるだろうし、 
そう思いこめるのは、仕合せというべきだが、 
今日の音楽、ないし今日の音と、 
正面切ってむかいあっていないからではないか。」 


いま読んでも、するどくふかいと感じる。

この文章と、アバド、ポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲は同時代である。
瀬川先生が、ステレオサウンド38号で語られている言葉。 

「ぼくがときどき、ある意味で絶望的な気持ちになるのは、たとえばオーディオ・メーカーのショールームなどで、ぼくの考えている装置を持ちこんで、その場で可能なかぎりの条件を整えて、いつも自分が聴いている音にできるだけ近づけて鳴らしたときに、それを聴きにくださった方のなかに必ず何人か、瀬川さんがいつも書かれていることがこの音を聴いてやっと理解できました、とおっしゃる方がいることです。一生懸命ことばを考えて書きつらねても、ほんの小一時間鳴らした音には及ばないのか、そう思うと、いささか絶望的な気分になっしまう。いったいどうしたらいいんだろうと、ときどき考えこんでしまいます。」 

晩年、瀬川先生は「辻説法をしたい」とまで思いつめられていた、ときいている。

そして、瀬川先生は、オーディオ評論をはじめるにあたって、 
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写された、ともきいたことがある。
瀬川先生の追悼記事がステレオサウンドに載ったのは、61号。 
62号と63号の二号にわたって、第二特集として、 瀬川先生の記事が掲載されている。

私がステレオサウンド編集部にバイトで入ったのが、 
1982年1月下旬。19歳の誕生日の約1週間前のこと。
(ぎりぎり18歳だったので、ずっと「少年」と呼ばれていました) 

初めて試聴室に入ったときに、ハッとして、
目が奪われたが、試聴室隣にある器材倉庫の一角。
そこにはKEFのLS5/1Aとマーク・レビンソンのLNP2L、 スチューダーのA68が、
なんとも表現しがたい雰囲気をただよわせていた。
編集部の方に訊ねるまでもなく、瀬川先生の遺品であることは、すぐにわかった。
まったく予想していなかったこと、だからうれしくもあり、かなしくもあり、
綯交ぜの気持ちにとまどう。

だから「瀬川先生のモノですよね......」という言葉しか言えなかった。

数ヶ月間、LS5/1AもLNP2LもA68も、そこに置かれていた。
「お金があれば......」と思った。すべてを自分のモノにしたかった。
どれかひとつだけ、と思っていても、学生バイトにそんなお金はなく、
「欲しい」と言葉にすることすら憚られた。
トーレンスのリファレンスがステレオサウンドに登場したのは、
記事としては56号だが、前号(55号)の輸入元ノアの広告にモノクロ写真が載っている。
それほど大きくない写真で、価格は3580000円と書いてあった。
とうぜん、このプレーヤーはいったい何なんだろう......、次のステレオサウンドで紹介されるんだろうな、きっと、と思いながら発売の待っていた56号の表紙は、リファレンスだった。
安齊吉三郎氏によるリファレンスの写真は、前号のモノクロ写真とは違い、「おおっ」と思わせるとともに、記事をすこしでも早く見つけたい、読みたいという気持ちをさせてくれた。

いそいでページをめくって、瀬川先生の新製品の記事を見つけて、 読む。
しばらくして、また読む、何度も読んでは、どんな音なのか妄想をふくらまして、
聴きたい、とにかく聴いてみたい、でもここ(熊本)では、おそらく聴く機会は訪れないだろう......。

(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、 
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、 
カートリッジの聴き比べのときもあったし、 
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、 
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、 
すごくためになったし、レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、 
ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。

1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。 
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。 
正直「今日はカセットかぁ......」とがっかりしたものの、
実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。 
瀬川先生の話が面白い。

でも、どうしても目は、 
すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。 

イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」 
と言われた。 

「明日なのかぁ......」とがっくり。 

この時期(高校3年の秋)、 
オーディオに熱を入れすぎて、学校の成績ががくっと落ちて、 
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、 
「今回は行ってはだめ」と言われたのを、 
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、 
「明日はどうやっても無理だな......」とあきらめながら会場を後にする。

当日の朝も「行きたい」とは口にしなかったというかできなかった。 

でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
待っていた言葉が出てきた。 

イベントがはじまったころは、 
いつもと変らない感じの瀬川先生が、 
(その1)にも書いたように、 
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。 

そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。 

リファレンスの音を聴けたことで、 
そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、 
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、 
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。 

このときは、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。 

「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終了。 

そして約一年後の、1981年12月19日。 

当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、 
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。 
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ 
秋葉原の石丸電気本店の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
このときに手にとったのは、レコード芸術。 
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、 
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。 
目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、 
瀬川先生の追悼記事。 

元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、 
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
後にも先にも、頭の中が真っ白になったことは、このときだけである。
 
その記事を読み終わって、嘘だろう......、と思って、書棚に戻して、 
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、 
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。 

冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、 
熊本でステレオサウンドを購入。 
追悼記事が載っていた。 

このときは母に感謝した。 
もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは......。

いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、 
あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、 
熊本で手術を受けられたということ。 

なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。 
オーディオに関心も理解もあまりない母が、 
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、 
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか......。 

あの日のリファレンスの音、 
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、 
私にとって、どういう意味を持つのか、 
それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。 

ひとつ確実に言えるのは、 
大きな感動があったということ。 

感動という言葉、よく使うけれども、 
感動とはどういうことだろうか。 
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、
心を奪われること、とある。 

でもこれだけではない。 

なぜ「動く」という字が使われているのか。 

やはりなにかが動くんだろうな、と 
あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。 

感動とは、心の中になにかが生れたり、 
沸きあがってくることであり、 
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。 

いまは残っていないけど、 
リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。 
誰かに読んでもらうわけではないけれども、 
どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。 

そういう感動を与えてくれたリファレンス、 
瀬川先生の思い出とも繋がっていて、 
あらゆるオーディオ機器の中で、 
私の中で、いちばん印象深い存在になっている。

トーレンスのアナログ・プレーヤー "リファレンス"の実物をはじめて見て、 

その音を聴いたのは、もうずいぶん前のこと。 

まだ熊本にいたころ、高校3年生の時だから、27年前になる。 

熊本市内のオーディオ店(寿屋本庄店)で、 

(たしか)三カ月に1度、土日の二日連続で開催されていた 

瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」というイベントにおいて、である。 


そのときのラインナップは、 

トーレンスのリファレンス、 

マークレビンソンのLNP2L とSUMOのTHE GOLDの組合せで、 

スピーカーは、もちろんJBLの4343。

この時、正直にいえば、パワーアンプはTHE GOLDではなく、

LNP2LとペアになるML2L で聴きたいのに......と思っていた。


いろんなレコードの後、 

最後に、当時、優秀録音と言われていて、 

瀬川先生もステレオサウンドの試聴テストでよく使われていた 

コリン・デイヴィス指揮の 

ストラヴィンスキーの「火の鳥」をかけられた。 


もうイベントの終了時間はとっくに過ぎていたにもかかわらず、 

なぜか、レコードの片面を、最後まで鳴らされた。 


そのときの音は、いま聴くと、 

いわゆる「整った」音ではなかっただろう。

けれど、その凄まじさは、いまでもはっきりと憶えているほど、

つよく刻まれている。


レコードによる音楽鑑賞、ではなくて、音楽体験、 

それも強烈な体験として、残っている。


聴き終わって、瀬川先生の方を見ると、 

ものすごくぐったりされていて、顔色もひどく悪い。 


いつもなら、イベント終了後、しばらく会場におられて、 

質問やリクエストを受けつけられるのに、 

その日は、すぐに引っ込まれた。 


「体の調子が悪いんだ。 

なのに『火の鳥』、なぜ最後まで鳴らされたのかなぁ

途中で針をあげられればよかったのに......」と、 

そんなことを考えながら、店の外に出ると、 

駐車場から出てきた車のうしろで、さらにぐったりされている瀬川先生の姿が見えた。

言いたいこと

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掲示板やmixiで、五味康祐先生、瀬川冬樹先生について書かれていることがある。 
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。 
書いている内容が古い、と書く。 
でも、そういう人たちが言っているのは、おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。私にいわせれば、内容が古いわけではない。 
それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。 
そして、功罪がある、とも書く。 
その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。 
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。 
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。 
読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。 
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。 
それでいいと思う。 
だからこそ、繰り返し読むのである。 
これも言っておきたい。 
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。 
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。 
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。 
間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。 
そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、 
ステレオサウンドは存在していない。 
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。

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