2230も2231も設計者は、エド・メイだ。

エド・メイによれば、アクアプラス処理を施したウーファーは、
カットオフ周波数が比較的低い4ウェイ構成においては、問題は発生しないが、
もうすこし高い周波数(たとえば4333の800Hz)になると、
アクアプラスによりダンプされたコーン紙が、中低域より上の帯域で波打つこと、
さらに感度も低下する、らしい。

最低共振周波数はアクアプラス処理したものと同等か、より低い値にまでひろげ、
同時に中低域の改善をはかるためにあみ出したのが、質量制御リングである。

アルミ製のリングを、コーン紙とボイスコイル・ボビンとの接合部に装着するという手法で、
軽くて堅いコーン紙を採用しながら、振動系の質量はこのリングによってふえ、
最低共振周波数も低くすることが可能になっている。

この手法のポイントは、質量を駆動点・振動板のほぼ中心に集中させていることだ。
4344のネットワークは3144だが、JBLのサイトに回路図はない。

ステレオサウンドが1982年に出版した別冊「Sound Connoisseur(サウンドコニサー)」に、
4344のネットワークの回路図は載っている。

4345と4344は、ウーファー以外のユニットは共通とはいうものの、
ベースとなるウーファーそのものが、口径も18インチと15インチで異り、
表面からはわからないが、コーン紙の裏を見比べると、4345のウーファー2245Hは白い。
ランサプラス処理(以前はアクアプラスと呼ばれていた)が施されているからだ。
4350の最初期型に搭載されていたウーファー2230ではじめて採用されたさの手法は、
低域の最低共振周波数を下げるとともに、ダンピング効果もある。
ある種の塗装をコーン紙に施すわけだが、国内メーカーのいくつかが、試みたことがあるという話をきいている。

塗り方にもノウハウがあるため、うまくいった例はほとんどない、らしい。

この処理だけでなく、2245Hは、2231A(H)や2235Hとは、あきらかに異る設計である。

2231A(H)も2235Hも、アクアプラス処理はされていない。
かわりに質量制御リング(Mass Control Ring)を採用している。
もうひとつ目につくことは、タップ付きのコイルの採用である。
2441と2405のレベルを落とすために使われている。

4355のネットワーク3155は、4344のネットワーク3144、4345のネットワーク3145と共通する設計である。

ちなみに4345と4344のネットワークの型番は異るものの、実際にはまったく同じものである。
少なくとも回路図はコイルやコンデンサーの定数すべて同じ。

4344のネットワークが4343のネットワークと比較して語られたことがあったためだろうか、
一部の人のあいだで、JBLがタップ付きのコイルを使い出したのは4344(もしくは4345)から、と言われているようだが、
この手法そのものは新しいものではなく、BBCモニターではよく使われているし、
JBLのスタジオモニターでも、4333、4320などですでに使われていたし、
それ以前のスピーカーシステムにもある。

4320のネットワーク4310のコイルは、タップがひとつだけでなく3つ出ていて、
これらのタップを切り替えることで、レベルをコントロールしている。

こうやって見ていくと、4343(4341)、4350のネットワークのほうが、
JBLの製品のなかでは、やや異色の設計ともいえる。
4350の後継機4355は、ウーファーが2231Aから、4344にも使われている2235Hへ、
ミッドバスは2202であることは同じだが、フェライト仕様の2202Hへ、
ミッドハイは2440からダイアフラムが改良され高域のレスポンスが伸びた2441へ、と変更されている。

トゥイーターの24045は変更なしだが、途中のロットからこれもフェライト仕様の2405Hになっているようだ。

ネットワークは3107から3155に変更されている。

3107と3155の回路図を見比べると、それだけで、4350と4355の開発者が代っていることがわかる。

3155ではレベルコントロールが増えている。ミッドハイの2441用のが増えている。
4350の2202と2440のように、固定はされていない。
さらに通常のネットワークのように、ミッドハイにはローパス(ハイカット)フィルターがはいり、
この部分に関してはバンドパスフィルターになっている。

さらに細かい点を見ていくと、使用されているすべてのコンデンサーに、
小容量(0.01μF)のコンデンサーが並列につながっている。高域特性の改善のためである。
また連続可変のアッテネーターのカバーが、4343、4350に使われていた磁性体ではなくなっている。

ネットワークをおさめていた金属ケースも排除されている。
他者からの「承認」がえやすい音とは、いいかえれば「わかりやすい」音である。

なぜ、わかりやすい音のスピーカーが登場してきて、増えてきているのか。
それはオーディオ評論がもつ「曖昧さ」「恣意性」と関係しているし、
これらをなくそうとしようとすることから、生れてきたのかもしれない。

かたちのない音を、言葉で表現することの難しさは、だれもが痛感していることだろう。
この難しさがあるから、面白いといえるのだが、同時に誤解も生じている。
わりと多く使われる音の表現でも、表現する側はいい意味で使っていたとしても、
受けとり手によって、否定的な意味に捉えられることは、別に珍しくもない。

いわゆる「文学的表現」に近くなればなるほど、誤解の生じる可能性は高くなる、といってもいいだろう。

書き手の能力も読み手の能力も、より問われるからだ。

ならば、即物的な表現、そっけない表現の方が、誤解は少なくなるだろう。
さらに数量的な表現となれば、もうすこし詳細に伝えることもできるようになるだろう。
テーマはいくつもあるのに、ときに書くのにひどく苦労する日がある。

なぜか、と思って振り返えれば、そういう日の多くは、書いては消し、をやっている。
文章が気に入らないから、消す。
なぜか、といえば、感情がこもっているから。

演奏や歌で、「感情をこめて!」と音楽の先生が、生徒に向って注意する、という、
映画や小説などで、よくありそうなシーンだが、
「感情をこめた」演奏や歌は、ほんとうに名演奏なのか──、聴く人の心を打つ、とは私は思っていない。

演奏家や歌手に求めたいのは「心をこめた」演奏なり歌である。

感情をこめているようでは、文章もダメである。
こめるのは「心」であり、私が「この人の書いたものはすべて読みたい」と思った人たち、
川崎先生、黒田先生、瀬川先生、そして五味先生の書かれる文章は、
その人ならではの「心」がこもっていた。

私は、まだ未熟だ。
情報量が多いことが「善」だとして、情報量の追求をしていく行為で、
注意してほしいのは、その過程において「あからさま」にしていくことに快感をおぼえてしまうことだ。

「あからさま」な音は、すべての音が主張をしはじめる。
大げさな表現では、すべての音が自己顕示欲をむき出しにしてくる。

そこには慎みも恥らいは、ない。
そんな音に、品位は存在しない。

音と音楽のあきらかな違いが、このへんにありそうな気がする。
モノーラル録音を、モノーラルで再生すること──スピーカーも1本──も、
素朴な音とは? を考えていくうえで忘れてはならないことではないか。

要素が増えていくことで可能になることもある一方で、
要素を減らしていくことで見えてくることもあるはずだからだ。
決着点も、きっとある。
トーレンスの101 Limitedには、アナログディスクが2枚ついてきた。
101 Limitedにあわせて金色のジャケットの、いわゆる高音質盤とよばれる仕様で、
ボップスとクラシックが1枚ずつ。

クラシックはリッカルド・シャイー指揮ナショナルフィルハーモニックによるロッシーニの歌劇序曲集だった。

じつはシャイーの演奏を聴いたのは、このレコードが最初だった。
シャイー、27か28歳の演奏で、なかなかどうして聴いていて気持の良いものだった。
あまり話題にはならなかったように記憶しているが、音にも気持の良さがあって、わりとよく聴いていた。

期待の若手指揮者のひとりになった。
けれど、低迷とまではいわないが、ある時期、あまりぱっとしなくなってきた印象があり、
ここしばらくはシャイーの新譜に興味をもつことはなかった日が、けっこうな期間続いていた。

それが、この2年くらいのあいだに、私の中で、急に復活してきた感があり、
今年1月に発売されたマタイ受難曲は、聴ける日が待ち遠しかった。
輸入盤入荷の翌日に購入。仕事が忙しく、聴いたのは2日後になってしまった。
HQDシステムは、スピーカーシステムの名称ではなく、コントロールアンプ、
エレクトロニック・デヴァイディングネットワーク、
パワーアンプまでを含んだトータルとしてのシステムの名称である。

そのスピーカーシステムは、一般的なスピーカーシステムとは形態が大きく異り、
完成品というよりも、マークレビンソンとしてのスピーカーのアイディアのひとつの提示である。

だからダブルスタックのQUADの設置場所、それに仰角の調整、ハートレイのウーファーの置き場所と、その相関関係、
個々のレベル調整など、多岐にわたる調整箇所によって、
HQDシステムの音の変化幅は、通常のスピーカーシステムを鳴らすよりも広いところももつだろう。

ひと言で、HQDシステムは、こういう傾向の音、とは言いにくい面があることは承知のうえで、
アンプ関係はまるっきり同じでも、JBLの4343を、バイアンプドライブしたとき、
それもウーファーをML2Lのブリッジ接続で鳴らしたときの、「おそるべき迫力」をもって、
音楽が聴き手に迫ってくるスリリングな感じは、ひじょうに出にくいのではなかろうか。

HQDシステムと4343とでは、音源(音楽)と聴き手の距離感に、決定的な違いがある。

蛇足とはわかっているが、「近い」というより間近なのは4343であり、
やや距離をおくのがHQDシステム、であると書いておく。
HQDシステムのQUADとデッカは、いうまでもなくイギリスのスピーカーシステムとスピーカーユニットであり、
繊細さの表現において、個性的な存在といえる性質を持つが、あくまでも控えめな身上の音。

ハートレイはアメリカ東海岸のスピーカーメーカーとして、大口径のウーファーで知られているが、
創業者のハートレイ氏は、もともとはイギリススピーカー界で名の知られた人である。
いまもハートレイのスピーカーユニットは、ごく少数ながら作られ続けられているようで、
イギリス製だときいている。

つまりHQDシステムは、イギリス製およびイギリスに深く関係しているモノから構成されていたわけだ。
そこには己の存在を前面に押し出してくる、いわばアクの強さはない。

HQDシステムの音を聴いたことはないが、それでも、それぞれのスピーカーの性格から、
なんとなく、大まかな性格は想像していると、
ML2Lが、このハートレイとQUADとデッカの集合体を鳴らすのに、
ぴったりのパワーアンプとは、あまり思えない。

たしかにクォリティとしては十分なものがあるのはわかっている。
マーク・レヴィンソンがいたころのレビンソンのアンプでいえば、
パワーアンプはML3Lが、コントロールアンプもML7Lの組合せが、
スピーカーに寄り添っていく鳴り方をしてくれるはずだ。
オーディオ・コンポーネントの主役は、いかなる時代においてもスピーカーシステムであって、
アンプは、そのスピーカーシステムを十全に鳴らすためのもの、ということは、
オーディオに関心をもち始めた頃から、なんども目にしたことであり、
この基本的事実はこれから先も変らない、ということは重々承知している。

オーディオ・コンポーネントの選択においては、まずスピーカーシステムが選ばれたのちに、
アンプ(それもセパレートアンプならパワーアンプがコントロールアンプよりも先に)が選ばれる。

にもかかわらず、マークレビンソンのアンプに合うスピーカーシステムは何だろう? と考えていたころが、実はある。

決して「基本」は忘れていなかったが、それでもあえて「基本」を無視したくなるほど、
マークレビンソンのアンプは、主張の強い音だったように、いまは思う。
夢中になる人もいれば、拒否する人もいたのは、そのせいもあったのだろう。

この主張の強さは、ML2Lが登場したころが、ピークだった。

ML2Lの発表のあとに、HQDシステムも発表している。
以前も書いているが、ハートレイのウーファーと、QUAD・ESLのダブルスタック、
デッカのリボン・トゥイーターから構成されるスピーカーシステムを、
マルチアンプで駆動するという、大がかりなシステムではあるが、
意外にも、というべきか、当然ともいうべきか、ハートレイもQUADもデッカも、
いわゆるレビンソン的主張の強い音を持つものではない。

最近のコメント

2010年3月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
Powered by Movable Type 5.01
OpenID対応しています OpenIDについて